カラハラ様。カラハラ様。
私達は良い子です。
早寝早起き。手洗いうがい。先生のお手伝いにお勉強。なんでもします。
カラハラ様。カラハラ様。
私達は元気な子です。
雨にも風にも負けない、強い身体を持っています。
カラハラ様。カラハラ様。
だから食べないで下さい。
先生を。お友達を。私を。
―――――どうか食べないで下さい。
◇ ◇ ◇
「うぐぇ……がっ!!」
醜い悲鳴をあげ、崩れ落ちる男。手に持っていたお粗末な武器も地面へと落下し、空虚な音が鼓膜に響く。
「だから……! 知らねえっつってんだろ!! アヴェンジャーなんてとこはよぉ……!」
また別の男が身動きも取れぬほどの傷を追いながら恨めしそうにこちらを睨んできた。その男だけではない。気がつけば俺の周りにはズタボロになって倒れこむ者全員が全員、理不尽な暴力に対し恐怖と怒りが交じり合った感情をぶつけてきている。
「あっ……そう。じゃあもう用はない。死ねよ」
「ッ! やめろぉ!! やめてくれぇ!!」
伸ばされた手に怯え、両腕で顔を隠す男。そして手が男に触れようたした瞬間、俺はその手をピタリと止める。
「――と、思ったが。あんたらなんて殺す価値もない。虫けららしくその場で這いずり回ってるのがお似合いだよ」
言い捨て、ボロボロに砕かれた廃墟跡を去る。その内の一人が俺の背中に向けて疑問を投げかけた。
「テ……メエは一体何なんだよッ! なんでここまでしてアヴェンジャーっていうスキルアウトを狙うんだ」
足を止め、その言葉を返すように振り向いた。
「暴食部隊《マンイーター》。正体も理由もこれだけで十分だろ」
◇ ◇ ◇
第10学区の河川敷、ポカポカと日が当たる陽だまりの中で俺はベンチに腰掛けて呟く。
「これで5件目。ホントいい運動だよ」
「それで! お姉ちゃんの手がかりは? アヴェンジャーの手がかりは?」
「皆無。というかそんなすぐに見つかる訳ないだろ」
隣に座る子供は結果を知り、残念そうに肩を落とす。
もともとここらへんのスキルアウトが大した情報を持っていないことなど最初から承知の上だろう。それをわかっていて無理やりここまで着いてきたのだから一々一喜一憂しないで欲しい。
「でも、モブさんのお陰で第10学区ってとこまで絞れたんだから、見つけるのももう時間の問題だよね」
「まだ10学区ていうのが確定事項じゃない。ただ可能性が高いってだけだ」
◇ ◇ ◇
模部駄と頬好姉。両者の協力が確定された後に、その二人と俺とこの子供で一度集まった。これからどのように探っていくのかの方針を固めていくためだ。
『模部駄。もしアンタが頬好を捉えたとしたらその後どのようにアヴェンジャーとコンタクトを取る予定だったんだ?』
まず最初に模部駄がまだアヴェンジャーとの繋がるための道を持っているかどうかの確認をした。
だがその答えはあちらから教えられたフリーのメールアドレスというもの。しかも指定された時間を超過したら失敗と見なしそのメアドは削除、つながりは完璧に途絶えてしまっていた。
それでは、ということで模部駄が初めてアヴェンジャーの者と接触した場所である第10学区に狙いを定め探るということになった。第10学区は学園都市の中でも治安の悪い部類に入る学区で、小規模のスキルアウトが点々と存在し、中にはそれらを狩る無能力者狩りの集団も紛れ込んでいる。そんな吹き溜まりのような場所だが、だからこそ『裏』の情報網は広く、有益となる情報を有している可能性があるとも言えた。
ここまでが子供を含めた時に決めたこと。そしてこの後が3人のみで決めたことになる。
『はっきり言うと、ただの聞き込みなんて意味を持たないわ。特にあの学区ではね』
先ほど決めたことを全否定するように頬好が言った。それは俺も模部駄もよくわかっていることであった。知っているにしても知らないにしても、あそこの住人が馬鹿正直に答えるとは思わない。一向に真実を得られなかったり、偽の情報に踊らされる可能性だってある。そこで、頬好が提案したのは『聞き込み』ではなく『尋問』。ある程度痛みつけなければ真実は見えてこない。そう言いたいのだろうが要するに実力行使ということである。
『それでも本当に何も知らないことの方が多いかもしれないわ。でもね、それをさらさら無駄なことにする気もない。そもそも尋問の方がオマケにすぎない。真の狙いは“アヴェンジャーを嗅ぎまわっている者がいる”という噂を広めることにあるわ』
『……つまり燻り出すってわけか』
『だ、だけどよ。俺らは今は特に力のある勢力でもないんだぜ? そんな奴らが嗅ぎ回ろうとアヴェンジャーはなんの反応も示さねえんじゃねえか?』
その点については模部駄の言う通りであった。確かに無名の組織がいくら探りを入れようと『勝手にやってろ』な状態である。それだけの余裕と実力が確かにアヴェンジャーにはある。よってそのままでは特に動きを見せずに終わるのが予想される結果だ。
『そうね。だから嘘でもいいから名乗っとくのよ。そのアヴェンジャーでさえも震え上がるような組織の名を』
頬好は口端をわずかに釣り上げフと笑い。
『例えば……暴食部隊《マンイーター》とかね』
静かに、一つの名を口にした。
それに続く言葉はなかった。空白が続いた。なんとも言えない沈黙だけがそこには存在していた。
暴食部隊。俺はそれがどのようなものかは知らないがこの二人の表情を見ればそれが大体どのようなものなのかわかる。模部駄はもちろん、口にした本人であるはずの頬好までもが難しく顔をしかめていた。
『暴食部隊……! それは本気でいってんのか!? や、やめとこうぜ。確かにアヴェンジャーを揺らすことは確実だけどよお……』
模部駄が不安一色の声で悲痛に喚く。
『なあに、ただ名前を借りるだけでしょ。連中らもそれほどけち臭くないわ』
余裕ある振る舞いを見せる頬好だが、その顔には綻びが見えていた。パンドラの箱を開けるという禁忌を犯す者のような表情が見え隠れする。
『暴食部隊……ね。それは一体どんなものなんだ?』
『へえ知らないんだ? まあ見るからに『裏』入りたてそうだし知らなくても当然かしらね。学園都市の『裏』より深い『闇』の部分なんて『表』の人間じゃ知る者はごく一部ですもの』
『くだらない選民思想はいいからさっさと話してくれ』
『まったくせっかちね。まあいいわ……パパっと説明してあげましょう』
コホンと仕切り直して、頬好は口を開く。最初に尋ねてきたのは一つの都市伝説だった。
『“カラハラ様”っていう都市伝説は知っているかしら? 結構メジャーなものよ』
『それなら知ってる。と言ってもガキをしつけるための幼稚な内容だった気がするが?』
カラハラ様。それは都市伝説というよりもいつの間にか定着していた脅し文句に近い。好き嫌いしてるとカラハラ様がくるぞ、早く寝ない子にはカラハラ様がくるぞ、カラハラ様が来たら食べられちゃうぞ。のような感じで通用するのはせいぜい小学校低学年まで、本気にして怯える者はそうそういない。
『その認識は間違いじゃない……けど、もしそれが事実に基づいて生み出された都市伝説だとしたら?』
事実に基づいて……?
それはつまりあの話には元となった現実があるということなのか?
『これも噂に過ぎないんだけど、何年か前、とある小さな小学校から一夜にしてそこの生徒教員全員が消えたって話があるわ。そしてそれは『闇』に隠蔽されただけで実際は――――』
間が空く。隣にいる模部駄の息を呑む音が聞こえてきた。
『顔は潰れ、腕がもげ、内蔵は飛散し、眼球はえぐれ……血の海ができるほどの、まるでバケモノに食い荒らされたようなそんな死体が山積みにされていたそうよ』
頬好の言葉通りに想像してみれば、生々しく細密に情景を思い起こすことができた。とても人間の所業とは思えない、まるで地獄絵図とも言えるような様子。かつて人間だったであろう肉塊に満たされた赤い空間。叫びが、痛みが、悲しみが、丸ごと殺されてしまっているかのようだ。
『……はっ。つまりはそれが暴食部隊のしわざで、今はカラハラ様と名を変え都市伝説として伝わっているってことか』
にわかに信じ難いことだが、それが真実だとすれば俺が思っている以上にこの街は腐りきっている。そんなモノが日常に隠され存在している時点でやはり――。
『その噂はここらへんのスキルアウトなら大体の奴が知っているぜ。それで皆どこか心の片隅で恐怖している。次は自分たちの番なんじゃないかってな』
模部駄が気乗りのしない様子で付け加えた。
『なんで小学校の次の狙いがスキルアウトなんだ? 飛躍しすぎだろ』
『その小学校っていうのが聞く所によると無能力者から異能力者程度しか存在しなかった小規模な場所だったらしいわ。そして暴食部隊は格下相手を無作為に食い散らかす最凶の無能力者狩りのチーム。ここまでくれば大体察しがつくでしょ』
『なるほど……あいつらにとっては無能力者という時点で標的対象。あんたらが狙われる可能性も0じゃないというわけね』
暴食部隊という名だけでもここではかなりの影響力を持つことは分かった。しかしそれを偽って名乗ることによって生じるデメリットもあるだろう。
『名乗ることに関しては俺は構わない。ただ“今のところの”表の生活に支障がでるといけないから顔が割れない程度の変装はさせてもらう』
『それが利口な判断よ。暴食部隊は数多くの敵を作っている。学園都市の『闇』に、私達『スキルアウト』に。そして同業者でもある数多くの『無能力者狩り』の組織にもね』
『同業者にもね……まるで死体に群がるハイエナ共の争いだな』
貪欲に食い散らかす獣は他の獣から潰される。自分たちの標的だったはずの獲物さえもそいつらは横取りしていくからだ。出る杭は打たれるというものか。
頬好は眉をひそめ、指折り数える。それは何の数を示すのかを次の言葉で明らかにした。
『17。私の知っている無能力者狩りのグループだけでもこれだけいるわ。そしてその中の半数以上が暴食部隊を敵視している。それこそ“見つけ次第殺せ”とされているくらいにね』
『はっ。嫌われたもんだなそいつらも』
『笑い事ではなく真剣に聞いて。つまり“暴食部隊を名乗る”ということはこれだけの数に狙われるということよ。命の保証はできない』
ツンと突き刺すような言葉が空を走る。
命の保証はできない。それは俺が殺されるかもしれないということか?
笑わせるな。所詮下位能力者しか相手取ってきていない連中に負ける気はない。誰が相手だろうと邪魔をするなら潰すまでだ。
『貴方の実力は知らないけど、その余裕ならレベル4と見て間違いはないわね。だけど相手の無能力者狩りにも当然高位能力者は存在する。それも複数ね。互角の実力者とはいえそれが複数人で襲いかかってきたら間違いなく貴方は負ける。相手は無能力者専門とはいえ戦闘経験も豊富でしょうし』
模部駄がそれに同調するように言葉を放つ。そこから出たのはある無能力者狩りの名だった。
霞の盗賊《フォグシーフ》。暴食部隊を敵視する中でもトップクラスの実力を保持する組織。模部駄の知っているスキルアウトは全てそこによって殲滅されたらしい。
『分かったよ。そのリスクについては。だがどの道やるしかないんだろ? それが一番確実な方法なんだから』
『それはそうだけど……貴方はどこか生き急いでるような気がしてならないの。だから』
『クドい。とにかく俺は“暴食部隊”を名乗って尋問する。あんたらはあんたらで行動してくれ』
◇ ◇ ◇
「ねえ。なんで僕にも聞き込みをさせてくれないのさ。なんでお兄ちゃんは『ここで待ってろ』ってだけで僕を置いてけぼりにして一人で聞き込みに行っちゃうのさ」
「お前、前に馬鹿どもに絡まれたことを忘れたのか? 面倒なことになりたくなきゃじっとしてろ」
本来ならば子供は置いてくるはずだった。それは絡まれる危険性もあるが、さすがに“実力行使の聞き込み”を見せるわけにもいかないからだ。
しかしまあ着いてきたものはしかたないとして、こうして聞き込みの際には離しているがそれもいつまで続くことか。もしかしたら自分が尋問している所を目撃されかねない。
次はどうにかして置いてこないとな、と考えながらも俺はベンチを立つ。
「今日はこれくらいにする。さっさと帰るぞ」
「え!? もう帰るの? まだ日は暮れてないじゃん」
「こっちにも用事があんだよ」
「あ、待って。じゃああそこにいる人にだけ聞いてきてもいい?」
「聞き込みは俺がやるって言っただろ」
「いいじゃん。本当は僕がやるべきことなんだし。あの人女性だから心配ないよ」
子供が指し示す方向に目をやると、そこには橋の隅で川を眺めている者の背中があった。確かに体格からしたら女のそれだが、女だからと言って安全である保障はないことは頬好姉がその良い例だ。
止める暇もなくその子供は声を掛けに行ってしまった。「すみません。聞きたいことがあるんですが!」と元気よい発声の後、それに反応して女がふり返る。
――――ブワリ。
生暖かい風が駆け抜けていく。それは春特有の穏やかな風であるはずなのに心地よさは微塵も感じられない。獣の吐息のように薄気味悪く、得体のしれないもの。背筋を悪寒が貫いた。
「あら。坊や……どうしたの」
細々とした声を漏らしながら振り向いた女。年齢は二十歳前半くらいに見えるが、化粧気のない顔と傷んだ髪が実際の年齢よりも一層老け込ませている。しかし目だけはどこかギラギラと光り、怪しげな光りを含んでいた。
「あの、僕。お姉ちゃんを探してるんです。お姉ちゃんは悪い奴らにさらわれて、今も危ないんです。なにか……知りませんか?」
その子供の言葉を聞いて、女の顔がわずかに揺れた。だがそれがどういう意味を含んでいるのかはわからない。ただわかることはあの女は何かが“違う”。俺たちとは違った“何か”を持っているということだけだ。
「――……お姉ちゃんの名前は?」
「え?」
「お姉ちゃんの名前を教えて頂戴」
教えたからどうとは言わない。ただ名を聞くためだけに血色の悪い顔を子供に近づけていく。
子供はとっさに自分の姉の名を口にした。そこでまた女の顔がぴくりと反応する。
「……そう。聞かない名ね。ごめんなさい。心当たりないわ」
「いえ。ありがとうございます」
お辞儀する子供にニコと笑顔を返す女。そしてその視線は俺の方へと向いてくる。
「そちらの方は君のお兄さん?」
「ああいえ。この人は――」
「僕はこの子の協力者です。その悪い奴らを懲らしめてお姉さんを助け出すための、ね」
俺も子供の方まで歩み寄る。近くで見ると更にこの女の不気味さが増したようにも感じた。血走ったその目からは何かにとりつかれたような狂気さえも感じ取れる。
まるで水彩画の中心にベッタリとこびりついた油絵の具のように、この女の雰囲気が穏やかな景色と噛み合わず隔絶されている。――やはり異様、いや、異常というべきか。
「ウ、フ、フフフフフフフフ。勇敢ね。まるで勇者様みたい」
だけど、と女の声が1オクターブ低くなる。
「それが悪いスキルアウトってどうして決めつけられるのかしら? そもそもスキルアウトに捕まるなんて相当な事をしなければならないわよ。……そんなお姉さんが……完璧な善人だったのかしらね?」
「ハハハ。いやあ、それがどうしようもない悪人《クズ》でしてね。僕も正直助けるのは気乗りしないんですよ」
「お兄ちゃん!! そんな言い方……!」
癇に障って怒る子供を制し、次の言葉へとつなげる。
「けど、どんな姉であろうとこいつの姉であることは誰にも否定出来ない。善だとか悪よりもまず先にその事実が大事なんです。また会えた時にいくらでも喧嘩すればいい、失望したと罵ればいい、大っ嫌いと喚けばいい。けどまずは生きて再開できなければそれすらも叶わない。その余地を僕は与えてやりたいんです」
女はまた何か意味深な笑みを浮かべた。半月のように裂けた口元からは不気味な笑い声が漏れる。
「フフフ……ご立派ね。お姉さん……ウフ、フフフフフフフ……見つかるといいわね」
そう言って女は去っていく。ゆらゆらと奇妙に揺れながら、そっと俺たちの視界からその姿を消した。
風は止み、気がつけば小鳥のさえずりが遠くから聞こえてくる。子供はしばらく硬直したままだった。おそらくこいつもその目で視覚し、その肌で感じとっていたのであろう。あの女の異様な雰囲気を。
「なんか……変わった人だったね」
「場所が場所だからな。ここではあんな風な奴はゴマンといるだろ」
だが、それだけで片付けていいものだろうか。
あの不気味な瞳を思い起こす度に奇妙な不安感に煽られる。何か突っ掛かるところがあるのは気のせいなのだろうか。違和感の正体をいくら探せども答えは出ない。それは感覚的なものなのだから当然なのだろう。
風は止んだはずなのにずいぶんと冷え込んできている。
曇天が迫っているのか遠くを見ればドス黒い積乱雲がゆっくりとその足音を忍ばせていた。
◇ ◇ ◇
「ぎゃはははははははは!! ぐふっ、ぎゃは!! あ~……苦しいよぉ」
薄暗く、血の匂いで満ちた暗闇。うっすらと照らすランプの下で女の汚い笑い声が響いていた。
地下の牢獄、並べられた三つの檻の内の一つ。その中で倒れこむ少女“らしき”人物。それにむかって女は口悪く叫ぶ。
「なあ聞こえるか? 聞こえねえかぁ? そりゃあそうか死んじまってるんだもんなぁお前!!」
ズドン!! と女は動かなくなった少女を蹴り上げる。血にまみれ、原形を留めぬくらいに腫れ上がった顔と、痣と火傷だらけの四肢。物言わぬ存在と成り果てた今でもその姿が悲鳴を放ち続けている。
「お前の弟、お前を頑張って探してやんの!! もうこの世にはいねえ存在だってのになぁ!! ぎゃはははははははは!! どうだ!? 今の気分は!? 悲しいか? 悔しいか? だけどなぁ……テメエらはそれ以上の苦しみを私に与えたんだ!! 因果応報ってやつだろ?? なぁ……!!」
檻を揺らす女。フーフーと息を荒げ、怒り狂った感情全てをその者にぶつける。返事など返ってこないことはわかっているが、それでも彼女は止まらない。溢れだした憎しみの濁流を止められるものなどここには誰一人としていないのだ。
「おい。こいつを始末しとけ。そこのトランクバッグに入りきらなきゃバラしても構わねえ」
「はいッ!! クイーン!!」
クイーンと呼ばれるその女はそうして暗闇の監獄から去っていく。残されたのはその部下と二人の囚人……そして一つの――
(う……)
否、一人の少女。
意識が飛んでいた間に死んだと思われていたが、かろうじてまだ生きている。もはや痛みの感覚すら消え失せていたのが幸運でクイーンによる蹴りにも無反応でやり過ごせた。
(あの子が……私を探している……?)
クイーンから聞いた弟の現状。それを聞いた瞬間、死を待つだけの運命を享受していた彼女の心に再び生の執着が芽生えていた。
いずれこうなることは分かっていた。だからこそ、遺書じみたメッセージも残してある。
だが、それでも死にたくなんてない。こんな自分が許されるとは思えないがそれでも、どうしても最後にこの口で我が弟に別れを告げたい。この身体でギュッと抱きしめたい。この瞳で弟の姿をしかと見据えたい。
贅沢な望みだろうか。身の程知らずなのだろうか。
だけど、それでも――――
(会いたいよ……あの子に、会いたい。誰か……助けて)
叫びは届かない。
助けてくれる者などいるはずがない。
「よぉ……しッ。クイーンに叱られる前にゴミの掃除といきますかぁ」
檻を開けて入ってきたのは大柄な男。その手には、まず“まともな体勢”だったら人は入ることのできないトランクバッグと“何か”を切断するための巨大なナタ。銀光りするナタが少女の視界に入る。それで何を始めるのかを悟った少女は麻痺していた恐怖が身体の奥底から溢れだすのを感じた。
(や、め……て)
声は出なかった。身体は指先一つ動かせなかった。
もはや生きているのか死んでいるのかさえも曖昧な状態。それをはっきりさせるため、男のナタが大きく振り下ろされる。
(私は……生き――)
視界が赤く染まった。
最後の瞬間、少女の脳裏によぎったのは弟の笑顔、そしてそれに寄り添う自分――――。
◇ ◇ ◇
救世主《ヒーロー》は都合よく現れてはくれない。
だが、復讐者《アヴェンジャー》ならどうだろう?
その者の犠牲を悲しむ者がいるとするならば、その者は復讐者に姿を変えて報復に出るかもしれない。救世主の出現よりもそれは確かなものだ。
こうして“復讐者によって生み出された復讐者“の報復が始まる。
誰が救われるわけでもなく、誰が帰ってくるわけでもなく、ただ自己の欲求を満たすためだけの報復が。
最終更新:2014年01月27日 20:50