「外道がッ……」
オージルが吐き捨てるように言う。
彼は女性を愛している。他人から見ればただの軽い男かもしれないが、彼は全ての女性に対して敬意を払っており、だからこそ全ての女性に分け隔てなく愛を囁くのだ。
だからこそ、それを醜く歪め、いじくり回した、目の前の男に対して、オージルは砂漠のような殺意を抱いた。それは彼の中の、優しさとか、そういった『湿った』物を蒸発させて、カラカラの乾いた心に変えていく。
「悲しいな、戦士君。私と話をした者は皆そのような目をする。中々どうして、理解してもらえないのだ、この美学を」
ディエロが口元を抑えて笑った。二人には分かる。それは本意ではない。他人を挑発し、心を乱すための、過剰な演技だ。
事実、ディエロはこうやって作り上げた死体人形に対して道具以上の感情を抱いていなかった。姿形などどうでもよく、結局は他人を挑発する為の一要素でしか無い。
そう、そこには美意識すら介入していない。単純な道具としてのみ作られたのが、彼女達だ。
「まあ――君達と芸術的な議論を交わすつもりは無い。精々私の作品と遊んでいてくれ」
――。
再びディエロが何事かを呟き、その指先を動かす。
その方面に造形が深いオージルは既に把握していたが、それはルーン魔術だ。口で唱え、指先で描く。単純だが有効な魔術の練度を上げる仕草だ。
誤認の少女に守られたディエロの姿が、直立したままでスライドする。先ほどの土の魔術の応用であろう。地面そのものをベルトコンベアのように動かして、その身を動かしているのだ。
「行かせるか――ッ!」
地面を蹴った音が、一拍遅れる。
弾丸のように駆けたオージル。その手に構える槍の穂先が、渦巻いた。霊装の能力を用いた形状の変化、穂先が螺旋を描き、貫通力に特化した形状となる。
彼の思考はディエロに向けられつつ、その前に排除すべき相手を捉えていた。
五人の少女。その中でも、オージルの進行方向に居る、赤髪の少女。
一片の躊躇も無く、オージルは加速を乗せて槍を叩き込んだ。その速度は音速に迫り、捻じりを加えられた突きは空気の渦を生んだ。
衝撃音。
身体強化の魔術によって、爆発的な加速を得たオージルの一閃を、赤髪の少女が右足と置き換えられた剣で受け止めていた。死体故か、肉のない細い体からは想像もできないほどの力を発揮し、地面を爆ぜさせる程の踏み込みを見せたオージルの突進力と拮抗を生んでいた。
一瞬の静寂。まるで世界が凍り付いたかのような錯覚さえ覚える。
だが次の瞬間、両者の周囲は暴風に包まれた。それは斬撃の暴風だ。
オージルの突き、払いを、赤髪の少女は踊るように受ける。普通の人間ではありえない変則的な動きは、死体という肉体によって、既存の知識が通用しない脅威の動きとなってオージルの攻めを凌ぎ、時には反撃に転じさせた。
両者の武器の間合いが拮抗する領域、非常に狭い空間で行われたその斬撃の応酬は、仮にそこに飛び込む物があれば一瞬にしてその形状を失ってしまうであろう程に苛烈であった。その苛烈さは夜空に打ち上げられた花火のように目まぐるしく、一瞬で消える。
両者の間に割り込んだのは、各々の相棒、味方の援護である。
一つはダレンが奏でた魔術によって生み出された、烈風の刃。もう一つは、黒髪の少女が打ち付けたハンマーから迸った雷光だ。
烈風の刃は赤髪の少女に回避を選択させ、雷光もやはりオージルに回避を選択させる。
両者が介入するタイミングが少しでもズレていれば、拮抗していた筈の天秤は傾き、結果としてどちらかが無残な姿を晒すことになっただろう。それは実時間にしてみれば2秒にも満たぬ程の攻防であったが、その間に彼らは数度、戦闘不能の危機に陥っていた。
地面を三度蹴り、元々の位置にまで戻ったオージルは、持っていた槍を振り回し、下段に構える。穂先が蠢き、再び形状を変え、文字を作った。
『追跡する』
返答すら待たずに、再び突撃。オージルは素早く目を動かし、敵の陣形を見る。迎え撃つのは剣とハンマー、加えて有刺鉄線の少女。眼球の少女は右手を掲げたまま動かず、大釜も同じく。後者二人は後方支援ということだろうか。いずれも、その能力を解き明かしてはいない。魔術戦における危険度はいずれも高い。そして、オージルは。
彼女たち全員を思考から排除した。
――風が吹く。
有刺鉄線の少女から、身に纏うそれが蛇のように伸び、オージルの行く手を遮る壁を作る。剣の少女が、大きく足を振り回してそれを切断し、壁と有刺鉄線の少女との繋がりを断った。それは、有刺鉄線の壁に、ハンマーから放たれた雷が絡まったからだ。作られたのは即席の電流網。むやみに突撃すれば致命傷。切り払うにしても、オージルの獲物からすればダメージを覚悟せねばならぬ壁だ。的確な判断力。だがオージルの速度に減速は見られない。
そのまま有刺鉄線に衝突するかと思われた瞬間、オージルの姿が掻き消えた。
それは速度による動きではなく、砂絵を風で吹き消したかのような現象だ。
数瞬遅れて、少女たちの後ろで、着地音。そこには、オージルの姿があった。
それは、即席のコンビネーションだ。オージルの突撃に合わせて、ダレンが魔術を詠唱する。生み出すのは風と水による幻影。オージルは突撃したと見せかけ、ダレンに寄る補助を受け跳躍、背後に回り込んだのだ。粗雑な幻影、現に、それは攻撃を受けて一瞬で霧散した。だが、それでも死体人形の目を一瞬欺くには十分であった。
オージルはダレンに一瞥も一言すら残さずに、再び駆ける。5つの死体の実力は未知数だったが、だからこそ彼はこの道を選んだ。二人がこの場に残り、戦ったとして、どれほどの時間を浪費するのか、判断できなかったからだ。ディエロの逃走に追いすがり、攫われた少女を取り戻す。その任務を果たすには、ここで数秒の浪費をする事すら致命傷だ。
その速度は疾風の如く、オージルは既に姿を消したディエロを鋭く追跡し始めた。
無論、主の追跡を許すような死体人形ではない。己が謀られた事を察知するや否や、数体がオージルの妨害をすべく、その身を翻そうとする。
だが、ダレンがそれを足止めした。
優雅に流れるヴァイオリンの響きに合わせて、地面から石の槍が飛び出してくる。一定のリズムで飛び出す石槍は、オージルへの妨害を中止するという選択肢を彼女らに取らせる。
「……行かせない」
ダレンは、長く伸ばした髪の毛で表情を隠しながらも、ポツリと呟いた。普段は喋らぬ彼の声はか細い物であったが、その一言には怒りと、少しの哀しみが篭っていた。
対して、死体人形は、その表情を一切変えること無く、ただ自分達が処理すべき相手を認識し、各々の獲物を構えた。
※ ※ ※
風が吹いていた。それは、触れた物を切り裂くような鋭さを帯びた風だ。ディエロを追跡し、疾走するオージルが、携えた槍を振り回す。その穂先は鋭く、オージルの目の前に立ちふさがる樹の枝を的確に切断していた。
恐らく、痕跡を完全に消すのは困難であると判断したのであろう。ディエロは敢えて自らの逃走経路を一切隠蔽せず、逆に堂々と妨害工作を行っていた。それは、地面に根を張りながら斜めに倒された樹木達。或いは、地面に露骨に開けた大穴や、不自然な段差だ。ディエロが操る地面の魔術の応用であろう事は、即座に判断出来た。
迂回するならば良し。そうでなくとも、処理する動きが、オージルの速度を削る。
シンプルであるが、無視は出来ぬその妨害は、オージルが最大速度を出す事を許さなかった。ただの樹木とはいえ、魔術で加速した状態で衝突すれば重い衝撃を生む。下手をすれば、骨折すらあり得る。素早く槍で払い、時には身を交わし、遅れた足を進める。僅かなロスが積み重なっていく。
だが、それでもまだオージルの方が早いだろう。近接戦闘を主目的とする魔術師の長所はそこにある。下手な魔術よりも、身体を動かした方が『優れている』。
しかし、ディエロは、どちらかと言えば自らの陣地に置いて戦闘をする事を得意とする魔術師の筈だ。今、その場所に誘導されているのかもしれないし、そこで陣を整えている可能性もある。そうなれば話は別だ。単純な身体能力では埋められない『差』が出てくる――特に、彼が今も使用している『土の魔術』。
オージルは、それは強い不確定要素だと考えていた。
ディエロは、簡単にいえば錬金術士だ。そのカテゴリで危険人物として
必要悪の教会でも扱われてきた。死体を弄り、死体を操る。ならば――。
――土葬、か?
死体と土。魔術的に考えて。決して両立しない要素では無い。むしろ、真っ当だと言えるだろう。死体を埋める。或いは掘り返す為の土の操作。先ほどの石槍は墓石を象徴した攻撃かもしれない。
――厄介だ。
『死体』というカテゴリは、魔術として見ると、意外な『広さ』を持つ。死体そのものが保つ意味。死体の葬り方。それらは様々な宗教観によって異なり、その数だけ魔術として発展しうるのだ。
――流石に『全て』をマスターはしていないだろう。だが、『死体』を扱う以上、それに、奴ほどの使い手が全く手を付けていないとは限らん!
オージルは魔術師であり、戦士だ。『魔術を使う相手の殺し方』を知っている。それと同じぐらい、『殺され方』も知っていた。時に歴戦の魔術師であっても、訳もわからぬままにゴミのように死んでいくのだ。
だからこそ、彼の速度に対して、水のように纏わり付く妨害を処理しながら。彼はディエロという『敵』に対して深く、深く思考を進めていた。
※ ※ ※
ダレンは必死にヴァイオリンを演奏しながら、攻撃を回避し、防御し、また同時に攻撃をしていた。ダレン自身が足止めをしなければはならない。オージルが向かっているディエロの戦力がどれほどかわからぬが、更に追加されてしまえば戦局は大きく傾くだろう。
事実、こうして戦闘をしているダレンですら、彼女達の実力、コンビネーションには舌を巻く程であり、後一人でも追加されれば、ギリギリのラインで保っていた均衡は容易く崩れる事になるだろう。
その戦闘は、準備と手数の高速のぶつかり合いだ。ダレンは一人であり、対するは五人。純粋な数で言えば圧倒的に不利である。だからこそダレンは、そのチェリーニのヴァイオリンの効果を全力で発揮し、多重詠唱による複数の魔術展開を高速で行っていた。
ハンマーの少女が地面を打つ。北欧神話のトールハンマーを元にしたのであろうその霊装からは魔術的な雷が走り、地面を跳ねながらダレンを襲う。ダレンは予め詠唱しておいた土の魔術を開放し、地面を隆起させ土の壁を作る。その壁を食い破るように襲いかかるのは有刺鉄線だ。『神の子』の処刑に用いた茨の冠と対応させた有刺鉄線は、際限なく伸びてはダレンを捉え、処刑しようと、その牙を向く。即座に生み出した熱線がそれらを細切れにしたのを知覚した瞬間、ダレンが生み出したのではない暴風が吹きすさぶ。それは大釜の少女が行使する魔術だ。『魔女の釜』。何もかもを『まぜこぜ』にしてしまう、純粋にして恐ろしい一撃。ダレンは素早くその場から飛び退き、それと同時に今まで立っていた場所が真空と化した。散らばっていた有刺鉄線すら無くなっている。釜の内側に飲み込まれたのだろう。真空にひきずられる形でダレンは体制を崩す。うなじの部分に展開するのは水の防壁。そこに、間髪入れずに剣が差し込まれる。水流は剣を反らし、首元スレスレを高速で剣が通過した。それと同時に、水が沸騰する音と、焼ける痛みがダレンの首元を襲う。剣。そして熱。かの名高きアーサー王のエクスカリバーは、松明数百本分の光を発したという。即座に振りほどこうとするダレンだが、その首に冷たい足が絡まった。少女の細い足。ともすれば扇情的とも思えるその拘束は、しかしダレンの首を落とす断頭台だ。肉の焼ける音がした。少女の足が剣にめり込んでいる。焼け、そして切られた肉は即座に再生し、癒着する。より強固に、ダレンの首を押さえつける力になる。一瞬、弓を弦より離しかけたダレンであるが、腕を動かし、一音を奏でる。太ももと刃に挟まれ、水の防壁が破られんとした瞬間。その水が、一気に膨らんだ。空気を取り込み、爆発的に膨張した水の防壁は、太ももと刃の締め付けに一瞬だけの隙間を生む。ダレンは素早く体を下げ、その拘束から逃れた。呼吸を確保した後に視線を後ろに向けるが、足に剣を備えた少女は既に腕の力で距離を取り、ダレンの一撃が届く範囲には無い。だが、それでもダレンは蓄積していた魔術を開放した。チェリーニのヴァイオリンによる多重演奏。その真骨頂だ。砂や石を混ぜ込んだ風が吹き荒れ、凶器となってダレンを取り囲む少女達へと襲いかかる。無防備に受ければ致命的な損傷は免れないであろう石の数々を、少女達はそれぞれの手段で防御する。無秩序な暴風による石の打撃を防いでいるのは、眼球を埋め込んだ少女の魔術が成せる技であろう。『見る』事に特化した魔術は、今までに何度と無くダレンの動きを、そして魔術を見切り、少女達に的確な指示を下していた。
既に数分。いや、まだ数分か。
攻撃の手段、そして順番こそ違えども、状況はおおよそこのような物だ。
前衛となるのは剣。オージルと撃ちあう程の身体能力と技巧。中衛はハンマーと有刺鉄線。電撃と有刺鉄線の相性は言うに及ばず、その何れもが致命傷なりうる。後衛は眼球と大釜。戦場全体を『見て』居るであろう少女が下す命令は的確で、大釜の一撃は大振りでこそあれ、純然たる死の一撃である。
一回の攻防に凡そ10秒。ダレンが僅かな暇を見つけては完成させた演奏を、その10秒で湯水の如く消費しなければ、攻撃を防げない。そして、その防御の間に練り込んだ攻撃魔術を開放し、オージルを追わせぬ為の足止めとする。
それはさながら命がけのカードゲームだ。手札の補充をしくじれば、いかなる役も作れずに、ダレンは無残な肉塊と成り果てるか、或いは相棒を死地に立たせる事になるだろう。
ダレンは呼吸を一つ入れて、再び演奏を始めた。それと同時、四体の少女が再び陣形を組み始める。現状は拮抗。だが、何れ積み重なった一本の藁の重さでダレンは潰されるだろう。
そして、少女達の狙いもそれでった。
『無理をする必要はなし』。
『いずれ、削り取れる』。
無機質な、感情の入り込まぬ、単純な『殺し方』。
(その前に……決着を)
複数の影が交錯した。美しいヴァイオリンの音色と、破砕音が混じり合う。
最終更新:2014年01月30日 04:18