一善との会話を終えたあと黒丹羽は自分の部屋に戻っていった。
風輪学園の寮では一つの部屋に二人が基本だが、一六人のレベル4には特別に一人部屋が用意されている。
一部の生徒からは『不公平』や『差別』と言った声も上がってはいるが、学園側としてはレベル4はこの学園での貴重な人材なので、相部屋の者と何らかのトラブルを起こし退学処分なんてことになったらたまったものではない。
その為、ここまで過保護にしているらしい。
黒丹羽が暗証番号を入力し終えると、扉がひとりでに開いた。
明かりがついたままの部屋は黒丹羽を迎え入れるかのようにまぶしい光を辺り一面に散らし、癒しの空間へと案内する。
室内には折り畳み式のベッドと大型のテレビが目立ち、壁には突き刺さったままのダーツの矢もちらほら窺える。
黒丹羽はそのままベッドに横になると退屈そうに天井を眺めた。その瞳に宿るのは『無』。
光を一切感じさせない真っ暗な瞳はただ天井だけを見つめる。
「……」
ゴロン、と小さく寝返りをうった。
するとそこでベッドと壁の隙間に挟まれている紙のようなものを見つける。
何かと思って拾い上げてみると、それは何年も放置されていたかの様にホコリを被っている一枚の写真だった。
その写真には今より少し幼い黒丹羽と可愛らしい一人の少女。場所はどこかのケーキ屋のようで、顔一面にクリームをつけた少女を呆れ顔で眺めている黒丹羽が映し出されていた。
「――――くッ、……だらねぇんだよ。こんなもの」
そう吐き捨てながら、黒丹羽は写真を丸めてゴミ箱に投げ入れる。
その表情はまるで嫌な物を思い出してしまったかの様に苦痛で歪んでいた。
「くそったれが……またあの時の事を思い出しちまっただろうが」
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――――――――――
―――――
――
今から二年前、これはまだ黒丹羽が中学二年の時の話である。
春、というと別れの季節なだけあって風輪学園も例にも漏れず一年から二年に進級する際にクラス替えが行われた。
黒丹羽はその時に一年の時の知り合いとはバラバラになってしまい、全てが白紙に帰された状態での二年生のスタートをきることとなった。
しかし春というのは別れの季節であると同時に出会いの季節でもある。
だから黒丹羽は友人なんていつでもできるだろうと楽観的に考えていた。
が、友人作りは思った様にはうまくはいかず、黒丹羽が話し掛けてようとしても、誰もがスルーしてまともに取り合ってくれない。
何故こんなにも自分は避けられるんだろうか。他のものと比べて、自分に対する反応だけ明らかに普通ではない。
黒丹羽はそう考えると自然と一つの答えが沸いてきた。
“自分がこのクラスでただ一人のレベル4だから”
だから周りの人間は遠慮して自分との関わりを意識的に避けるんではないだろうか。
そう考えて無理矢理納得しようとした黒丹羽だが、違うクラスでのレベル4はどうやら普通に接されているという事実により、この仮定はあっさりと崩れ落ちた。
このクラスがおかしいのか、それとも自分自身がおかしいのか。
黒丹羽は次第にわからなくなっていき、思考という名のドブ沼に沈み掛けていたそんなある日のこと。
「ねえ、一緒にお弁当食べない?」
黒丹羽は初めて一人の少女に声を掛けられた。
その少女は、男の方では少し小柄な黒丹羽とも頭一つ分以上も背が離れていて、女子の中ではかなり小柄な部類に入る。
過去にもこうして一人ぼっちの自分に話しかけてくれた人物がいた。
だが、それを初めての能力の発現という形で黒丹羽は拒絶してしまったことがある。
だから、今度こそ。今度こそ必ず、その思いに応える。
「ん、あぁ、いいけど……」
そっけない返事で返す黒丹羽。だが内心は嬉しさでいっぱいだった。
再び“あの頃”の辛く寂しい場所に戻りかけていた自分をこの少女がすんでのところで引き上げてくれたのだから。
「んじゃ、食堂行こうよ! ここだとなんか狭いし……」
辺りを見渡すとクラスの者達が白い目で少女を見たり、こそこそと指を指して笑っているのが窺える。
大方、クラスの除け者として扱われてる自分に進んで関わりをもとうとしているこの少女を異常者だとか、さげすんでいるのだろう。
「そう、だな……」
席から立つと黒丹羽は速歩で教室から出ていく。
せっかく、居場所ができようとしているんだ。それをこんな者達の圧力によって潰されたくはなかったから。
「あ、待ってよーー!」
つられて少女も教室から出ていった。
二人が教室を後にしたのちにドッ、と笑い声が聞こえてきたが黒丹羽はただ無視をしていた。
笑いたければ笑えばいい。
だが、自分はそんな下らないモノに屈しはしない。そんな強い決意を持って。
――風輪学園 中等部食堂――
食堂の隅の方で黒丹羽と少女は向かい合って座っていた。
「あはは、お弁当一緒に食べよう、って言ったのに、黒丹羽君たら普通に風輪定食頼むんだね」
「……悪かったな、俺はいつもここで飯食ってるから、弁当なんて持ってきてないんだよ」
「それならそうと言ってくれればお弁当分けてあげたのにーー」
頬を膨らませる少女に黒丹羽はここで違和感を覚える。
どうしてこの少女は今日知り合ったばかりの自分に、こうも慣れ慣れしく接してくるのだろうか。
確かに声をかけてきてくれたのは嬉しかったが、それが別に自分である必要はないはずだ。
「何でお前は、俺なんかに声を掛けた? 他をあたればいいだろ」
そっと呟く黒丹羽の目は少女の方を向いてはおらず、ただ机の上だけを見つめていた。
それは少し冷静になってから考えた推測に寄るもの。
以前にもこうして自分に話し掛けてきた一人の者がいた。だがその者は……
いや、あの事を今思い出す必要はない。
今すべきことなのは少女が自分に進んで関わりを持とうとした理由を探ることだ。
「わたしもね……一緒なの」
少女は続ける。
「わたし、一年の時に誰も友達いなくってさ、ただ自分の殻に閉じこもっていた。
だけどね、二年になって黒丹羽君を見てたらなんだかお友達になれそうな気がして……だから今日勇気を振り絞って声を掛けてみたの」
「あ、そう」
話半分に聞いていた黒丹羽はただそれだけ言うと、カウンターの方へ風輪定食の食券を持ってく。
(―――――たく、要するに孤独な者同士傷を舐めあいましょう、ってか。ふざけんじゃねぇよ)
黒丹羽は確かに自分の居場所を心のどこかで求めていた。
しかし、ただ慣れ合うための場所ならいらない。そんなものは返って自分が惨めになるだけだ。
心の中で毒づきながら食券と風輪定食を交換をして再び席に戻ると。
「うぅ、グスン、ヒグッ……」
少女は静かに涙を流していた。
どうやら、自分の話をあっさりと流されたのがよほどショックだったのだろうか。
黒丹羽はキザったらしい理由ではなく、ただ純粋に女の涙が嫌いだった。
(……女っつーのはなんでも泣けば済むと思ってやがる。
心の奥底では『こんなに可哀想な自分に誰かが優しく声を掛けてくれる』とか『泣いてる私、最高に可愛い』とか思ってるくせによ)
バン! と、風輪定食の乗ったトレーを叩きつけると、少女は一瞬ビクッと肩を揺らすが泣き止みはしなかった。
「はあ……」
深い溜め息と共に黒丹羽は所々金髪に染めている髪をガシガシと掻きむしる。
周囲の注目は黒丹羽とその少女に集まっており、はたから見ると別れ話を切り出している末期のカップルの様にも見える。
(こんなんなら、一人で飯を喰ってた方が遥かに気楽だったな……)
未だに泣き止まない少女に黒丹羽は真っ黒いハンカチを差し出す。
「ほら、いつまでも泣くなよ。……さっきはお前の話、適当に流して悪かったな」
それは悪気を感じての行動ではない。ただ、今すぐにその光景を掻き消したいがための行動でしかなかったのだった。
少女は差し出されたハンカチを素早く受け取ると、しょげた様に肩を落としながら言う。
「ううん、わたしの方こそごめん……いきなりあんな重い話題を切り出されたら、引くよね……普通」
その姿はどこか哀愁を漂わせるが、黒丹羽はそんな少女を励ます気は毛頭なかった。
―――――どうせ、この少女も健気な自分に自酔して同情して欲しいだけなのだから。
「お前の過去なんて微塵も興味ないし、どうでもいい。そんなことより頼んだ飯が冷めちまうから先に食うぞ」
黒丹羽の言葉に少女は返事をしなかった。
またスネてふてくされているのか、と黒丹羽は少女の方を見る。するとその予想は外れ、今度は何やらテーブルの下をガサガサと漁っていた。
「……何してんだよ」
呆れた様子の黒丹羽に少女は、
「コンタクト……」
と、それだけ呟く。
「は?」
「だから、その……泣いてたら、コンタクト外れちゃって」
「そんな物使い捨てだろ? 新しい物に付け替えりればいいだけじゃねぇか」
黒丹羽の言葉に苛立ちの色が交じり合う。
何故こんなにも次から次へとめんどくさいことが立て続けに起こるのだろうか。
苛立つ黒丹羽を察してか、少女はビクビクしながら答えた。
「その……繰り返し使える物だから、なくなっちゃうと困るの。片方だけでも十万はするし……」
流石は学園都市製、繰り返し使えるコンタクトが両方合わせて二十万という金額だ。
レベル4分の奨学金を貰っている黒丹羽は多少金銭感覚にズレているため、その値段に『安い』 と感じたが、必死に探している少女を見て黙っておいた。
黒丹羽はこの少女が起こした問題にわざわざ首を突っ込む必要性は感じられなかったので、箸を掴み食事を開始しようとする。
が、何やら周りからの視線が痛い。
「わーー、あいつって確かこの学園の“第六位”だろ? さっき目の前の女の子泣かしたばかりだってのに手伝ってもやんねーのかよ。つめてーな」
「そうよねーー、でもこの学園のレベル4は全員曲者揃いだからあれが当然なんじゃない?」
などと、わざと聞こえる様に言う外野の声が耳に痛かった。
チッと舌打ちすると、黒丹羽は渋々ながら少女の隣りにしゃがみ込む。
「仕方がないから手伝ってやる。けどこれはお前の為じゃ……」
どこかありきたりな台詞を言い終わる前に、少女は目を輝かせながらお礼を言った。
「ありがとーー!」
純真無垢なその笑みは普通なら癒しを感じさせるのだが、今の黒丹羽には苛立ちを加速させる要因にしかなりえない。
そう、この少女ははなっから自分を頼るつもりだったのだ。
しかし、それにより周囲からの冷たい視線はすぐに黄色い声援に変わり、
「ヒューーヒューー、熱いねお二人さん!」
「キャーー、ラブラブ!」
そんな冷やかしの声があちこちからあがる。
目の前の少女にもその声が聞こえていたのか、あからさまに頬を赤らめていた。
一方で黒丹羽はそんな少女と五月蝿い外野にあきれ返っていた。
「ホント、何やってんだ、俺」
◇ ◇ ◇
「あ……あったーー!」
そう安堵の声をあげる少女。
コンタクトの片割れは机の足の影に隠れていて、それを見つけ出すのに十分も貴重な時間を費やしてしまった。
「そうか、じゃあちゃんと消毒液に漬けておけよ」
黒丹羽はこれでようやく飯にありつける、と一息つきながら箸を握り締める。
ところが視線をテーブルに戻してみると先程までテーブルに置いてあった風輪定食がない。黒丹羽は焦ってカウンターの方を見ると、それを片付ける従業員の姿があった。
「おい、まだそれ喰い終わってないんだけど」
黒丹羽はどこか名残惜しそうに、残飯ポストへと放られそうな風輪定食を指さす。
「なーに言ってんだい、どのみち昼休みはもう終わりだよ。食べる暇なんてないでしょ」
が、無慈悲な従業員のおばちゃんの一言。
それを裏付けるかの様に授業開始の予鈴が鳴った。
(結局、何も喰えずに終わっちまったか……)
「黒丹羽君、コンタクト消毒してきたよーー」
駆け寄る少女に黒丹羽は言い放つ。
「予鈴なったぞ、そろそろ教室に戻るとするか」
その姿には深い溜息と、苛立ちが見え隠れしていた。
「あの、ごめんね。わたしがコンタクト落したせいでご飯食べる時間なくなっちゃって」
走って追いついてきた少女は申し訳なさげに呟いた。
黒丹羽は目をあわせようとはしない。ただ、前だけを見つめてこう言うだけだった。
「別に腹は減ってなかったからいいけどさ……
くれぐれも俺の前では涙を流すな、大っ嫌いなんだよ女の涙は」
―――――放課後
SHRが終わり、黒丹羽は一人帰り支度をしていた。
一緒に帰る者はいない為、いつも独りで帰るのが黒丹羽の日常。こんな日常にはもう慣れてしまったし、今更湧いてくる感情は何もない。
荷物をまとめ終わり帰ろうとした時、
「黒丹羽君!」
またあの女か、と嫌々ながら声のした方を振り返る。
「どうした、またコンタクトでも落としたのか? もう探すのは手伝わないぞ」
もうあんな面倒事には捲き込まれるのは御免なので少女が何か言う前に黒丹羽は釘を打っておいた。
これ以上この少女と関わった所で、自分の利になりそうなことは何もなかったら。
「ち、違うよ。お昼何も食べてないでしょ? だから一緒にどっかで食べにいかない?」
この少女がここまで自分に進んで関わりをもとうとしているのが未だに黒丹羽には理解出来ない。
先程、食堂に行った時だって大して会話は盛り上がらなかったし、それよか空気を悪くしてしまった様な気さえする。
それなのに何故、自分を求める。
傷を舐めあう相手なら黒丹羽以外に適役はいる。
(せめて俺じゃなくてあっちの女にでも話掛けろよ………)
そう、クラスの除け者になっているのは黒丹羽だけではない。女の方にだっていた。
「ね? どうなの? 早くしないとそのお店しまっちゃうよーー!」
しかし、この後に特に用事はないため、黒丹羽は静かに頷いた。
「わかったよ」
「決定ね! じゃあ早く行こう?」
消極的なのか積極的なのかよくわからない少女は、そのまま黒丹羽の手を引いて教室から駆け出していく。
手を引かれながら走る黒丹羽は一つ尋ねたい事があった。
「なぁ、お前の名前、まだ聞いてないんだけど」
「そういえば自己紹介がまだだったね、わたしの名前は―――――」
頭一個分以上も身長差がある少女に手を引かれ走る姿はどこかシュールな光景だが、今の黒丹羽にはそんな事が気にも止まらないぐらいに笑顔で答える少女の顔に引き寄せよせられていた。
「漣《さざなみ》、
黄ヶ崎漣《おうがさきさざなみ》だよ」
少女が向ける笑顔は今まで孤独で真っ暗だった黒丹羽の心を照らすかのごとくただまぶしかった。
この少女と共に行動するということは、慣れ合いではなく、本当の居場所になり得るのではないかと思うほどに。
―――――第五学区、某所
黒丹羽と黄ヶ崎は学校の帰りに第五学区の外れにある小さなケーキ屋を訪れていた。
「でね、ここのケーキ屋さんのチーズケーキがね、とっても美味しいの! ケーキ通のわたしが言うんだから間違いないよ!」
「飯の代わりにケーキって………黄ヶ崎、お前の胃袋はどういう構造をしてんだよ」
黒丹羽のブチりも聞いてないのか、あっさりとスルーして黄ヶ崎は淡々と説明を続ける。
「ほら、それに今月は春のケーキフェアがやってて、期間限定のケーキもあるんだって! お昼の借りを返すということで、わたしが黒丹羽君の分もお金出すよ」
黒丹羽はケーキのことになると人が変わったかのように活発になる黄ヶ崎の姿を見て溜め息をつきながら
「自分の分くらい自分で出せるっつーの」
そう言い放つと目の前のケーキ屋の入口を開ける。
その店は学園都市では珍しい自動ドアではなく単なる引き戸だった。中はログハウスの様なレトロな作りになっていてどこか趣を感じさせる。
カランカラン、と鈴の音がなると同時にレジの店員の爽やかな挨拶が聞こえてきた。
どうやら黄ヶ崎はここの常連らしく、レジにいた店員は黄ヶ崎の姿を見るなり何やらニヤついた様子で話し掛けてきた。
「おや、黄ヶ崎じゃない。男と一緒にここにくるとは、ついに彼氏ができたのかしら?」
「ちっ、ちがいますよぉ……その、これは、ただぁ……」
顔を赤くしながら必死に否定しようとする黄ヶ崎だが言葉が見つからずただ、ごにょごにょと呟く。
その状態が何分も続き、黒丹羽はいい加減しびれを切らす。
「どうでもいいから、さっさと席を案内してくれ」
「あら、ごめんなさいね お詫びとして特別席にご案内してあげる」
「特別席……ですか?」
常連であるはずの黄ヶ崎でさえも初耳といった感じで『特別席』という言葉に目を丸くしていた。
「そ、特別席。まぁ行ってからのお楽しみということで! 二階の突き当たりの席だよ」
二人は促されるまま二階へと昇っていく。
するとそこにはまさしく“特別席”と書かれたプレートが設置されてる席があった。
「どこが“特別席”なんだか……他のと大して変わんないじゃねぇか」
その席は近くに大きな窓があるだけで他のと大差はなかった。
強いて言うなら客足が少ないので誰の目にも触れずゆっくりと出来るといったところだけか。
「ま、まぁ気にせず何か食べようよ?」
席についた黄ヶ崎はテーブルの中央に設置されてるタッチパネルに触れた。
すると画面には沢山のケーキのメニューが値段とともに映し出される。
食べたいケーキをタッチをすることで注文を行えるシステムらしく、レトロチックな外観にしてはそこだけは学園都市の最先端の機能が詰め込まれているようだった。
十分後。
「うーん、と……どれにしよおかなぁ……」
黄ヶ崎は未だにどのケーキにしようか悩んでいた。
なんせここの店で扱っているケーキの種類は計二十五種。
しかもどれも甲乙つけがたい人気のケーキばかりをよりすぐっているので、スイーツに弱い少女がこう迷うのも無理はない。
しかしものには限度というものがある。何十分も待たされてイラつかない人間はいない。
「おい、いい加減に決めろ。人を何分待たせる気だ」
黒丹羽はコップの中の氷をカラカラと回転させ、黄ヶ崎を急かす。
「ご、ごめんなさぃ……待たせる気はないんだけど、ただ今まで慣れ親しんできた味を取るか、開拓者の如く新たな味に挑戦しようか迷っちゃって」
「どっちも買えばいいじゃねぇか」
「だって一つ五〇〇円もするんだよ? それを二つも買ったら……」
チッと舌打ちすると黒丹羽は黄ヶ崎からタッチパネルを奪い取る。
「そんなことでいちいち悩むな。……全部買えば迷う必要なんてないだろ」
そう言って黒丹羽は全てのケーキにチェックを入れていく。この店のケーキの種類は二五。
それをこの時間だけで全て完食するなど無謀に近しかった。
「黒丹羽君、そんなに食べれるの?」
「何言ってんだ、お前も手伝うんだよ」
そうして注文したケーキ全てがテーブルの上に運ばれてきた。
机一面ケーキで埋め尽くされ、それをうっとりと見つめる黄ヶ崎。
「すごーい……ケーキバイキングみたい」
そんな黄ヶ崎には反応せず黒丹羽はショコラケーキが乗った皿を自分の元へと引き寄せた。
そして一口フォークで食べる。
「どう……?」
反応を期待しながら黄ヶ崎は様子を窺ってくる。
が予想に反して、黒丹羽の反応は希薄なものだった。
「甘ったるい」
黒丹羽はそれだけ言ってフォークを置く。
「そ、そんなぁ 口に合わなかったの……?」
「……」
何でお前が残念そうな顔をするんだ、と言いたい所だったが止めておく。これ以上余計なことを言うとまた泣き出しそうな気がしたからだ。
「あとは全部お前にやる、食いきれなかったのはお持ち帰りにでもしてもらえ」
黄ヶ崎はそれを聞いて、ケーキを貰えるのは嬉しいが出来れば一瞬に食べたかったと言わんばかりに不服そうな表情を浮かべて見つめてくる。
「……いいから。早く食え」
しばらく黒丹羽の方をチラチラと見てくる黄ヶ崎。
しかし携帯をただいじくりまわす姿を見てようやく折れたらしく、ケーキを黙々と食べはじめた。
黒丹羽は甘いものが嫌いな訳ではないし、食べられない訳でもない。
だが突如変わりだした日常に、差し延べられた手に、どう対応していいのかわからないだけ。
それに、この出会いが“あの時の二の舞”にならないという保証もない。
何分かして黄ヶ崎が口火を切った。
「ふぅ、もうお腹一杯かな……」
黒丹羽は携帯のディスプレイからテーブルへと視線を移す。
そこには先程までぎっしりと並べられたケーキが――――――――――――さっきとほとんど変わらないまま放置されていた。
減った皿はたった二つ。まあ歳相応の胃袋サイズといった所だろうか。
「そっか、んじゃ帰るか」
パタンと携帯を閉じると黒丹羽は席を立つ。
しかし黄ヶ崎はいつまでたっても席を立とうとしなかった。
「どうかしたのか?」
「ううん、ただ景色が綺麗だなって」
黒丹羽も窓から景色を眺める。
そこには夕焼けが丁度よく窓の真ん中に映し出され、優しい光がテーブルを照らしていた。
「――――なるほど、これが“特別席”の理由か」
その夕日を見つめる二人の表情は、どこか温かく柔和なものになっていった。
今日は立て続けにめんどくさい事が起き、めんどくさい少女に付きまとわれた。
しかし、“居場所”といのはめんどくさいものなのだろうと黒丹羽は思う。そしてめんどくさい以上に、温かい。かけがえのないものなのだ。
会計を終えた黒丹羽と黄ヶ崎。(といっても全額黒丹羽のオゴりだが)
夕闇に落ちる街の中で、二人は寮に向かっていた。
「なぁ、お前全部それ一人で食うのか?」
「うん、このケーキは特別な防腐加工がされてあるから一ヵ月は保つよ。それだけあれば私でも完食できるかな」
ふうん、と相槌をうつ黒丹羽。
まあ、あれだけの数のケーキを注文したのに一割も食べずに残したら店の者に何を言われるかわかったものではない。その点では持ち帰ってくれる黄ヶ崎には感謝していた。
「じゃ、私はここで」
気がつくと風輪学園の女子寮の前まで来ていた。
男子寮はここからまだまだ遠い。なので黒丹羽はここで黄ヶ崎を見送ることにした。
「ああ」
そっけなく返事を返す黒丹羽。
「また明日ね、黒丹羽君」
大きく手を振る黄ヶ崎に目も当てず、黒丹羽は背を向けてそのままその場所を後にした。
しばらく歩いた後、黒丹羽は両手を頭の後ろに組んで愚痴まじりのため息を漏らす。
「はぁ、めんどくさい一日だったな……」
そう言うものの、黒丹羽の心はどこか満ち足りた気分だった。
人と接するというのはこんなにも温かいものだったのだろうか。こんな感情は随分と久しい。
もしかしたら半分失いかけていた感情かもしれなかった。
「また明日か……」
黄ヶ崎の笑顔が何度も黒丹羽の脳裏に蘇ってくる。
黒丹羽はすこしだけニッと笑うと、夕陽の沈む中自分の寮に向かって走りだしていった。
「――――――――ふう、黒丹羽君たら。こんだけのケーキを買ったなら運ぶのも手伝ってほしかったな」
黄ヶ崎は自分の部屋の前でケーキの箱を一旦床に置くと、額を伝う汗をハンカチで拭う。
口では愚痴を零すが、内心はうれしかったらしく、置かれたケーキの箱を見て黄ヶ崎は微笑んだ。
そんな黄ヶ崎に突如掛けられた言葉。
「おい」
その言葉を聞いた瞬間、黄ヶ崎の視界は何故か上を向いていた。
右の頬に伝わる痛みからすると、どうやら思いっ切り殴られたらしい。
一メートルほど放物線を描いて吹っ飛ばされた黄ヶ崎は、鈍い悲鳴をあげながらコンクリに叩きつけられた。
「あ……が……」
右に傾いた視界に移るは、同じ風輪学園の制服を着た少女のスラリとした両足と、風に乗せられて揺れる淡い桃色の髪。
「テメエ、何楽しんでやがんだ?」
その足の持ち主は、整った顔立ちからは予想も出来ないほどの醜い罵声を浴びせた。
黄ヶ崎は震える足でなんとか立ち上がると、
「先輩……だって、まずは……距離を縮めろって……」
「答えになってねぇぞ。私が言ってるのは、テメエの役割は『あの黒丹羽の糞野郎と仲良くなったフリをしといて、ここぞという時に裏切り心に大きな傷跡をつける』という事なのに、なんで本当に仲良くなってんだ!? ってことだよ!!」
「それは……」
言葉が返せなくなる黄ヶ崎。
少女の言う通り、本当は裏切る前提で黄ヶ崎は黒丹羽に接近した。
が、今日黒丹羽と過ごした時間を楽しんで無かったといったら嘘になる。
「なーにが『黒丹羽君……』だ。テメエは出会って一日の男にすぐ股を開く腐れビッチなのか!? ああん!? こんなもんまで貰ってきやがってよォォォォォォォ!!!!」
グチャリ。
目の前で黒丹羽に買ってもらったケーキが、箱ごと少女によって潰された。
それを目の当たりにし、黄ヶ崎はワナワナと震えながら瞳から大きな水滴を零れ落とす。
「おいおい……何泣いてんだよ黄ヶ崎ぃ。こりゃあマジでビッチ決定だわ!!!」
少女は美しい顔に醜い笑みを浮かべ、何度も足でケーキの残骸をコンクリに擦り付けた。
「もう……止めてください先輩……。なんで黒丹羽君のクラスの人を洗脳したり、私を使ってまで黒丹羽君を孤立させるんですか……一体、黒丹羽君が何をしたっていうんですか!!」
「黒丹羽君、黒丹羽君うっせえんだよ!!! あいつが何かした? ああ、したよ!!! この私の順位を奪い取ったんだよ!! あいつは!!」
高等部三年の皇光双里《こうごうそうり》。それが少女の名前であり、風輪学園の第六位“だった”人物。
しかし半年前に黒丹羽が第六位に繰り上がったことにより今は第七位となっている。
それが彼女が黒丹羽を復讐の対称にする理由だった。
「それに人聞きの悪いことうぃお言っちゃあいけないなぁ黄ヶ崎。
私はあいつのクラスの奴らを洗脳した訳じゃねえ……私の能力で“感情”を少し加速させてやっただけ」
感情加速《メンタルスパイラル》。
ある人物に対する認識や感情を増幅させることが出来る能力であり、それが彼女の力。
つまり『ちょっとだけ好き』という感情を加速させれば『大好き』というところまでいき、『ちょっとだけ憎い』という感情を加速させれば究極的には『ぶち殺したい』というところまで暴走させることができる精神感応系の能力。
双里はこの能力を使い、クラス全員の黒丹羽に対する感情を加速させた。
しかし、この能力は少しでもその人物に対する特定の感情がなければ加速させることはできない。0の感情に何を掛けても0のままなのだ。
「私の『感情加速』の影響を受けた時点で、アイツのクラスメイトはアイツに対して少なからず『嫌悪感』を抱いてたってわけ!!
だから洗脳じゃねえ、本性を剥き出しにさせてやっただけってわけよぉ!!」
「そんな……」
双里はカツカツと足音を鳴らし、黄ヶ崎に近寄ってくる。
そして胸ぐらを掴んで引き寄せると、
「私は黒丹羽を風輪学園から追い出し、また元の順位を取り戻すわ。
だから協力してくれるわよねぇ? 黄ヶ崎ちゃ~~ん?」
双里の能力は、自身を効果の対称にすることも可能。
つまり黄ヶ崎の心に潜む双里に対する『恐怖心』を煽ることも出来るのだ。
黄ヶ崎は一層強くなった『恐怖心』に負け、全身を小動物の様に震わせながらゆっくりと頷いた。
「……わかりました」
「それでこそ私の優秀な手下ねえ~~。あんたがアイツを裏切る時が楽しみで楽しみで仕方ないわぁ!!」
黒丹羽に訪れた光はただの白濁した闇でしかなかった。
どうあがいても抜け出せない混沌とした闇の渦。復讐に囚われた妄信と執念だけが入り乱れ、感情を加速させていく。
彼の復讐劇はここから始まろうとしていた――――
最終更新:2012年07月16日 22:08