File9 塞がる身体の傷、塞がらない心の傷
風紀強化週間四日目、山武は高等部の二年の教室の前でたたずんでいた。
なぜ中等部の山武がこんな所にいるのかというと、ある人物を待っているからである。
その人物とは春咲桜。今回の巡回を共にする風紀委員の少女だ。
本来ならば集合場所に集まって巡回を開始してる時間なのだが、いつまでたっても春咲がこないので、ここまで来たという次第である。
山武は自分よりも一回りも二回りも背の高い上級生に春咲のことを尋ねてみる。
だが返ってくる言葉は『知らない』ばかりだった。
仕方なく風紀委員の支部に行ってもう一回尋ねてみようとした時。
「おい、お前が山武智了《やまたけちりょう》か?」
いきなり、目の前の男に声をかけられた。
その男はひ弱な山武とは対照的に、細身の身体にガッチリとした筋肉を持つ、ガキ大将の様な人物。
頭髪は驚くほど鮮やかな黄色で、その一本一本がプラスチック製のカチューシャと共に輝きを放つ。
(うわ……なんか怖そうな人だな、僕になんの用だろ?)
山武はコクリと頷き、息を飲んだ。
「ははっ、やっぱそうか! 春咲から『ちっちゃい子』とは聞いていたが、ホントにチビだなお前!」
急に笑いだした男。
チビと言われるのは慣れているのでそこは気にしないか、気になる箇所が別にあった。
「あなたは、春咲さんの知り合いなんですか?」
物静かな春咲とは真逆のこのチャラチャラした騒がしい男。
山武はこんな者が春咲の知り合いとはにわかに信じられなかった。
「おうよ! 俺の名は土原来《つちはららい》。春咲とはダチだ! ……いや相談役って言った方が正しいかな?」
「はぁ……で、どうしてその土原さんが僕なんかの所に?」
「おっとそうだった! 春咲が今日早退しちまったから、その代わりに俺がお前と巡回するよう、頼まれてたんだ!」
「本当ですか? 一応風紀委員の人に聞きに行った方がいいかも……」
「ああ、いいからいいから! そんなのは後で!」
土原はそう言いながらズルズルと山武を引きずって校庭へと出ていく。
あまりの力の強さに、山武はなすがままに土原来についていった。
「さて、どっから見回りするんだ?」
「春咲さんから聞いてないんですか? 一応今回は中等部の校舎及びにプールとグラウンドといったところですかね」
「そうかそうか! じゃあちゃっちゃと済ませちまおうぜ」
またもや、どかどかと勝手に進んでいく土原。それを必死に追いかける山武。
「ちょっと、待ってくださいよーー!!」
一番最初に訪れたのはプールだった。
流石は中高一貫校なだけあり、プールといっても市民プールのように蒸し風呂状態でなく、縦百メートル、横幅二十五メートルと、学生にはもったいないくらいの広さで、冬には暖房機能が備わった屋内型の大型プールである。
しかも学生の大会にも使われるので、ギャラリーも完備されてある。
つまり放課後は水泳部の女子を眺めようと帰宅部の野郎どもが集まる場所に早変わりするのだ。
「あれ? 泳いでる奴が一人もいないぞ? どういうことだ山武」
土原は人工のタイルの上でペタペタと足音を鳴らしながら辺りを見回す。
「今は風紀強化週間ですよ? いつもより下校時刻が早くなってるんだから今頃水泳部の人たちは着替えて帰る準備でもしてるんでしょ」
「なるほど! ならさっさと帰るよう忠告しておかないとな!」
そう言うと、土原はプールサイドの奥に設置された更衣室に向かってずんずんと進んでいった。
基本的に水泳部は男女混合の部活動だ。それは風輪学園も例外ではなく、男女両性が合同で部活を行なっている。
だが、もちろん更衣室までもが男女混合というわけではない。
女子更衣室と男子更衣室はそれぞれ別で、プールサイドの右側と左側の端の真逆の方向に設置されている。
そして今土原が向かって行ったのは左側、つまりは女子更衣室になる。
「ちょっと、土原先輩! そこは女子更衣室……」
山武がそのことに気づいて警告するときには、もう全てが遅かった。
女子更衣室から響き渡る女子の悲鳴と激しい物音。
ドンガンゴンガン!! という音を立てて、入り口からは全身に傷を追った土原が飛び出してきた。
それでも追撃は止まず、ビート板やら救助用に使われる少し硬い浮輪がどんどんと投げつけられてくる。
「すまんミスった! ここはひとまず退散だ! 逃げるぞ山武!」
「ミスった! じゃあないですよー!! 何やってんですか土原さん! ……って、男子の水泳部の人がめっちゃ睨んで追いかけてきていますよ!!」
「だから逃げるっつってんだよ!! 覗いた上に返り討ちにしたら完璧にこっちが悪者になっちまうからな!」
もう訳がわからないといった様子で頭を抱えながら走る山武と、どこか幸せそうな笑みを浮かべて鼻血を垂れ流す土原。
その鼻血は鼻の殴打によるものだと信じたい。
なんとか水泳部の男どもを撒いた二人は図書館に避難していた。ここならば水着では入ってこれないし、何より女子が多い。
さすがに女子が大勢いる中、半裸状態で入ってくることなんてできないだろう。
「はーー、疲れた! 久々にいい汗かいたぜ……」
「もう……動けません……」
二人は近くにあった椅子にぐったりと腰を下ろす。
「あれ、全然人いないな……」
机から周囲を伺う土原。
ここから見える範囲内ではカウンターで作業をしてる図書館の先生ぐらいしか見当たらない。
「だから、今週は風紀強化週間で、下校時刻が早まってるって言いましたよね? 今ここに生徒がいたら注意しなきゃいけませんよ」
「そうだったそうだった……て、あそこに誰か居るぞ?」
土原の指差す先、そこには二人の男女が何やら会話をしていた。
その男女はカップルと言うにはあまりに遠い存在、強いて言うなら誘拐犯と囚われの少女の様な関係にしか見えなかった。
と言うのも男の方は、どう見ても気合の入ったヤンキーにしか見えないガタイの良い体つきと、イカツイ緑髪。
少女の方はちょっとひねっただけで折れてしまいそうなか細い四肢に、黒いワンピースを纏わせている。
髪は、一点の汚れさえも残さない『漆黒』を連想させるかのような黒で、腰に届くほどの長さのツインテールだ。
「土原さん……もしかしてあれって……」
山武はまるで殺人現場を目撃してしまってかのように表情を強張らせ、震えで咬み合わない上下の歯をカチカチと鳴らす。
風紀委員から聞いていた、『アヴェンジャー』という組織による暴行やカツアゲ。
まさかこんなに早く目にすることになるとは思ってもいなかったのだ。
「ああ……そうだな……」
急に表情を険しくさせた土原はギリギリと歯ぎしりをしながら、その二人をじっと見つめる。
「やばいですよ! このままじゃ!」
「わかってる!! もう許しちゃおけねぇ!!」
ガタリ、と土原は席から立ち上がってその二人の元へと全速力で走っていく。
『図書館では静かに』なんていうマナーをまるで鼻で笑うかのようにドタバタと騒音と大声を上げながら。
(土原さん、すごい気迫だ……どこか頼りないかなと思ってたけどやっぱすごいのかも!)
山武が思い描いていた次の展開は、土原が少女を襲う緑髪の大男をあっさりとやっつけるシーンだった。
のだが……
「そこのカップルァァァ!! 見せびらかしてんじゃねえぞコンニャロォォォ!!」
それを聞いた瞬間、山武は頭を思いっきり机にぶつけた。
まさか土原の考えと自分の考えがこうも食い違っているとは思わなかったのだ。
「……んな訳無いでしょ!! その二人がカップルなんて天と地が入れ替わってもありえません!! その男は今まさにその少女に悪事を働こうとしてるんですよ!!」
「なに!? どっからどう見ても図書館内で見せびらかすかのようにイチャイチャする、独り身の俺たちにとって最悪なカップルだろ!?」
「土原さん! あなたの目は節穴ですか!?」
「あぁ!? お前こそ――――」
「どっちも違う」
土原と山武が討論になりかけていたところで目の前の少女が遮った。
山武が不良に襲われているいたいけな少女だと思っていた、土原がイチャイチャを見せびらかす嫌なカップルだと思っていた、その少女が。
「じゃあ何なんだよ、お前らは……」
「ただの、友達」
そう言って少女は図書館から出ていく。
もう一人の緑髪の男も、二人に軽く一礼すると後を追うようにして帰っていった。
先ほどの騒ぎが嘘のように、図書館内は静かになった。
二人も斜め上の答えにどう反応していいのかわからず、ただ黙る。
図書館の先生はさっきの騒ぎで少々苛ついてるようで、いつもよりキーボードを打つ音が強く聞こえた。
「なぁ、山武」
「……なんですか」
「俺のほうが近かったな。あの二人の関係」
「友達と恋人じゃかなり違いますよ。まぁ……僕も人のことは言えませんですけどね」
世の中自分の思っていたことと大きく食い違うことがあることを実感した二人は、その後中等部の校舎をひと通り巡回して外に出た。
空は紅に染まり、遠くでカラスのなく声がエコーがかかって聞こえてくる。
最後の巡回場所はグラウンド周辺だ。
と言っても、グラウンド自体は一々歩きまわるほど入り組んではないので、用具倉庫の中の点検だけだが。
「はあ~~、特に何もなかったな。その『アヴェンジャー』とやらも出てこなかったし不完全燃焼ってかんじ」
「何言ってるんですか、何もないほうがいいに決まっていますよ。この学園はそもそもそういう学園なんですから」
山武は呆れながら用具室の戸をガラリと開ける。
もちろんその中は特に変わったことなく、グルリと見渡しただけで終了だ。
「ここも異常なさそうですね、土原さん次行きましょう」
土原からの返事はない。
山武は後ろを振り返ってみると、倉庫の外で校舎を、正確には校長室あたりのところをじっと眺める土原がいた。
その表情はついさっきまでの脳天気なものではなく、何かを思いつめてる、辛そうな表情だ。
「土原さん……?」
小柄な身体を必死に伸ばし、土原の様子を伺う山武。
「――――っと、終わったか。んじゃ次行こうぜ」
そこでようやく山武の存在に気がついた土原はまた一人で歩き出す。
それを追いかける山武は、今日何回置いてかれそうになったか考えるのであった。
無事に最後の巡回場所も廻り終えた二人は、学校備え付けの自販機の前まで来ていた。
何やら土原が初の風紀委員の仕事を終えたとかで山武にジュースをおごってくれるらしいのだ。
「『ブロッコリーコーラ』……ですか……?」
目の前で手渡されるゲテモノドリンクに山武は顔をひきつらせる。
学園都市の某所では試験的にとんでもないドリンクを販売していると聞くがこれもその一つなのだろうか。
「おうよ! これを飲むとなんかスカッとして疲れが吹き飛ぶんだぜ?」
土原は山武がいつまでたっても『ブロッコリーコーラ』を受け取らないので、ポイと投げた。
反射的に山武は両手でそれをキャッチする。
水滴を纏った缶はひんやりとした感覚を腕の中でを伝えてくる。
「なんだか薬物みたいな進め方で怖いんですが……」
「大丈夫だっての! いいからさっさと飲めよ、それともなにか? 俺の『ブロッコリーコーラ』が飲めねえってのか?」
どこの酔いどれだ、と思いながら山武は渋々栓を切った。
「じゃあ、飲みますよ……」
恐る恐る一口。
「これは……!!」
そしてもう一口。
「どうだ!? 俺のおすすめのドリンクは!?」
半分ぐらい一気に飲み干した山武は一息ついて、
「正直、普通のコーラとあんまり変わりませんね」
あんまりのリアクションに土原はズルっとすっこけた。
実を言うとブロッコリーコーラという名前は実際にブロッコリーが入っているわけではなく、ただコーラの栄養素を調整していた結果、ブロッコリーの栄養素比率に近づいたことからの命名である。
つまりブロッコリーを彷彿させるような味はしないということ。
「ま、まぁ……そこら辺のところは俺みたいにプロにならないと区別はできないからな、『ブロッコリーコーラ』初心者の君がそういう反応するのは仕方のない事だ。うん」
尻餅をつきながらブツブツと呟いている土原に、山武は手を貸す。
「いや、でも普通に美味しかったですよ」
「普通じゃだめなんだ……この味は普通なんかで終わっては……」
土原を引っ張りあげたところで、山武は土原の二の腕にかすり傷があることに気づいた。
どうやら今日のどんちゃん騒ぎで擦り剥いたのだろう。
「あ、ちょっと待っててください」
山武はウエットティッシュで土原の傷を軽く拭くと、人差し指を当てる。
するとその傷はまるでビデオで早送りをしているかのように、塞がっていった。
「すげえな……」
一瞬のことに呆気にとられながら関心した土原は、自分でもその傷があったところを触ってみる。
間違いなく、その傷は消えていた。
「こんなもん、些細な能力です。他のレベル4の人に比べたら地味ですし」
そんなことはねぇよ、と土原は言って。
「それは、どんな傷でも直せんのか?」
「骨折以上の重症じゃなかったら、ある程度は……」
「じゃあ、心の傷はどうなんだ?」
「え……?」
『心の傷』なんていうのはただの言葉の綾で、実際に心に外傷があるわけではない。
山武の能力は触れたものの自然治癒力を高めることで傷の治りを早めるだけの能力なのだ。
医者で例えると、外科と精神科の違い。
鬱病になった者の腹を裂いてみたって、その病気が治るわけがない。
「それはちょっと……」
山武は申し訳なさそうに言った。
「そうか……」
「なんでそんなことを聞いたんですか?」
「俺のダチがさ……大きな心の傷を背負ってるんだよ」
土原は沈みかけている夕日を見上げた。
夕日は彼の瞳の中でもユラユラと燃えている。
「……なんでも、レベルが低いことで姉と妹から酷いいじめを受けているらしくてな。俺はいつもレベルなんて関係ないとか、家族と一回向きあってみろ、とは言ってるんだがそいつは聞く耳を持たないんだ……それだけレベルによる心の傷が深いというわけなんだろうが、な」
山武から見た土原は弱々しく、まるでその者を助けられない自分に失笑しているかのようだった。
「その人って……」
山武はその友人には心当たりはないが、ある人物の名前が脳裏によぎった。
それは本来ならばここにいたはずの少女、土原が最初にダチと言っていた少女。
「春咲さんですか?」
その質問はただの当てずっぽうだった。
土原の友人が春咲ということだけ知っていたから聞いてみただけ。
だというのに
「な、んで……わかった?」
大きく目を見開いて土原は動揺していた。
泳ぐ瞳は焦点が合わず、絶えずあちこちに向いている。
山武にとってもその反応は予想外だったらしく、どう返していいかわからなかった。
「あの、その……なんかすいません」
「……いや、いいんだ。俺が隠しきれなかったのが悪い。だけど……このことはあまり口外しないでくれ、春咲もそれは望まないことだろうし」
山武は小さく頷いた。
「わかりました。僕もこれ以上は詮索しません」
なにか触れてはいけない場面に遭遇してしまったかのようで落ち着かない山武。
しばらく土原は山武の方を睨みつけるように見つめ、これだけ言った。
「ああ、そうしてくれると助かる」
その後なんとも言えない嫌な空気がその場を包んだのは言うまでもない。
結局、土原とは校門の前で別れることになった。別れ際にも土原は『くれぐれも黙っておいてくれよ』などと念を押し、山武もそれに再度頷いた。
ついに一人になると、山武はもやもやした感情を拭えなくなり、ポツリと呟く。
「春咲さん、か……」
実際、山武は数日前にも春咲と巡回したことがある。
その時の彼女の心境はどのようなものだったのだろうか?
レベルをコンプレックスとしている彼女が、レベル4の自分と共に行動した時の心境は。
自分だったら嫌だな、と山武は思った。
山武も春咲程ではないにしろ他者と比べられた時に感じるコンプレックスというものはある。
それはこの一五二センチという低い身長。
もし自分が身長二メートル越えの男と一緒に学校内をうろつけと言われたら首を横に振るだろう。
それは山武にとって、自分の背の低さを学校中の生徒に晒されて、辱めを受けるのと同じなのだ。
だが、春咲はそんな辱めさえも苦渋を飲んで承諾した。
レベル4と比べられ、自分が低能力者であることが浮き彫りにされることも顧みず。
山武はそれがどれほどの苦悩の上の決断なのかわからない。
わかることは、今の彼女はそれだけ重いものを背負い込んでいるということ。
「僕は……どうすればいいんだろう」
今まで山武は頼まれた傷ならいくらでも直してきた。
それを繰り返すうちに、自分は誰でも救えるだなんて過信をしてきたのだろう。
――――すぐ隣で、叫びを上げる少女にも気づけない分際で。
今日の巡回の報告をするため、山武は重い足取りで一五九支部へと向かう。
その距離はわずか数百メートル程度だというのに長く、辛く感じられた。
最終更新:2012年05月04日 02:05