第6章後半    前哨戦 a preliminary skirmish

ここは研究所の地下にある廊下。
只今研究所は人為的な停電により、外の光が入ってこない地下は一寸先も明確に視認できない程の暗闇に覆われている。
廊下は人の気配はなく、地下で冷やされた空気が頬を突き刺さり、埃っぽい匂いが鼻孔を通り抜け、足元は床の埃で少し滑る。
時折顔や体に引っかかる蜘蛛の巣や辺りの荒廃の度合いから、ここ最近は使用されていなかった事が推測される。

そんな中で、無能力者狩りの毒島と家政夫は廊下を闊歩する。
今彼らは殺し損ねた目標を追跡しているところだ。
しかしその歩みは決して速いものではなく、むしろ普段よりほんの少しではあるが足取りは重い。

彼らは先程、揃いも揃って狩りの対象に後れを取っていた。
優位であるから、攻めの立場にあるからこそ生じてくる油断、慢心、優越感は狩りを続けていく中で彼らの心のどこかで確かに根付いていた。
その為にその場で殺せたはずの敵を殺せなかった、いや、敵が逃げの一手に回ってくれたから良かったものの、もしあの場で戦闘を続行されていたとしたら、
最悪狩られていたのは自分達の方。
その事実に彼らは気を引き締めずにはいられなかった。
彼らの弱った敵をなぶる様にジリジリと、嫌らしく近づくような。
かといって一切の油断、慢心というものが不思議と感じられないその追跡の様子は、
彼らの今の心境を如実に表していた。

「しっかし・・・ほんっまに骨やのお」
シリアスな雰囲気に相応しくない関西弁が廊下に響く。空気が冷たいせいか音がこだまする。
「地下の部屋は一応全部確認したのに一向に見つからん、もう一階に上がったんかなあ」
と、不満交じりに呟く家政夫、探し回るのにも飽きたといった様子だ。
普段の狩りでは常に先陣を切り、敵を次々と薙ぎ倒していく彼にとって捜索は面倒でもあり、不愉快でもあり、また不慣れでもあった。
しかしそれとは対照的に、毒島はあまり苦になっていないようだ。
それどころか、どこか手慣れた風にも見受けられる。
普段短気な所はあれど、長期戦での忍耐力においてはグループの中で随一である彼は、
狩りでは基本的に裏方に回る事が多い。
暗がりに身を潜め、足音を消し、息を殺し、
相手に気づかれないようにじっくりと時間をかけ一人一人着実に殺していく。
今こうして文句の一つも垂れずに捜索に専念できているのは、普段の戦い方により慣れているからであろう。

二人以外誰もいない廊下を歩きながら、毒島は家政夫の方を見ずに、
「それは多分ないだろうな」
はっきりと、迷いなく、そう断言した。
「自分が生きたまま一階に上がれば俺達も上がってくる事位アイツにも分かっているはずだ。」
「そうすれば上でまだ生き残っているアイツの仲間が危険に晒されるし、俺達二人と上の無能力者狩り三人を加えた五人から自分達が生き残れる可能性もかなり低い。」
「―――――少なくともここで難を逃れるよりはずっと、な」
「・・・」
家政夫は黙って毒島の見解に耳を傾ける。
「となると、アイツに残された選択は一つ。地下で俺達をおびき寄せながら逃走を続ける、これなら上のスキルアウトにも今以上の危険は及ばないし、上手くいけばアイツの仲間が上の三人を殺した後助けに来るかもしれないしな」
そう言っている間も、彼らは歩みを止めない。慎重に敵の探索を続けている。
しばらく何も言わずに口を固く閉じていた家政夫は、
「そんな事できんのかいな?逃げ続けるゆうても限界っちゅうもんがあるやろ。こんだけグルグル回っとればいずれ出くわすはずなんにな」
と、疑問を口にする。
「恐らくアイツは所内の操作を管理する携帯端末でも持っている。じゃなきゃさっきあんな丁度いいタイミングで停電が起こるはずもないし、追跡もとっくに終わって今頃処分し終わっている筈だからな」
声を廊下に反響させながら、毒島は続ける。
「今も恐らく・・・」
そういって、二人は廊下の角に設置されている物体を見る。
それに呼応するかのように、意思を持たないその物体も彼らをまた見る。
毒島の読みが正しければ、彼らの動向を逐一スキルアウトの女に伝えている“それ”は、
この研究所内の至る所に設置されているものである。

「監視カメラ、な。まぁ十中八九それしかないわな」
家政夫は腰に手を当て、やれやれといった様子で息を吐く。
監視カメラは機械的にこちらにレンズを向け、その様子を撮影している。
家政夫は監視カメラに視線を向けながら、
「となると、あの女はちょくちょく携帯端末を確認してワイ等とは全く逆の方向に進んどるっちゅう訳や。そうなると、やっぱホネやなぁ」
(もし見解通りなら、追跡は困難を極めるだろう。俺達はただ闇雲に廊下を走り回るのに対して、スキルアウトの女は彼らの位置を正確に判断し、逃げるのに最も適切な道を選ぶであろう。また余裕さえあれば道に罠を仕掛けて反撃をする事さえ可能―――――そうなると場合によってはどんでん返しも起こる可能性も十二分にある。)
毒島はそう推測する。少し消極的過ぎる見解。
しかしそう思わせる程に先程の遅れは彼らから慢心というものを奪い去り、
研究所の操作を管理する端末機器は、所内に限り、能力強度の大きな隔たりを埋めて余りある程に強力な武器であると彼らの頭に嫌という位に刷り込まれていた。

辺りがよく見えない中、どこから攻撃が来るかも分からない中、神経を研ぎ澄ませた状態を維持しながら全く姿が見えない敵と戦う事ほど精神的に来るものはない。
そう家政夫は思った。事実彼女を追跡し始めてからもう大分時間は立っていた。
上から銃撃の音が聞こえてくる事から、そんな何時間も経っているわけでは無さそうだが、
実際の時間より長く感じる。
もちろんそんな弱い気持ちは決して表には出さず、毒島に感づかれないように飄々とした態度を取って余裕を振舞っていたのだが。



すると急に家政夫は足を止めてその場に立ち止ると、ポケットから徐にスマートフォンを取り出す。
その場に相応しくない軽快な鼻歌交じりに、実に手慣れた手つきで携帯を操作していく。
彼は今実に上機嫌のようだが、真っ暗闇の中スマートフォンの光に照らされた彼の顔はより一層不気味なものに見える。
「・・・なにしてんだ?」
毒島は怪訝な顔で家政夫を見る、明確な苛立ちを露わにする。
しかし家政夫はそんな毒島の表情とは裏腹に、どこか得意げな様子で、
「いやぁ、な安田ちゃんにラブコールしてんねん」
家政夫は余っている手で、今にも鉛玉をブチ込んできそうな黒ずくめの男を必死に制しながら、
「閃いてん♪この状況を一発で解決する打開策ってヤツをな」
とまたもやシリアスには不向きな関西弁を廊下に響かせるのであった。





一方追われる側であるスキルアウトの女は呼吸を乱しながら、しきりに携帯端末の画面を凝視する。
「はぁ、はぁ、はぁーっ、ごほっ!!・・・っとに、あたしは戦闘要員じゃないってのに。どんだけ走り回らせるつもりなのよ?はぁっ、いい加減足が棒になっちゃうわよ」
そう弱音を呟きながら、画面に映し出された彼らの様子を確認している。
したたる汗が画面に数滴落ち、それを拭う。
目が妙にチカチカと明滅し、肺の中が嫌に冷たい。細くしなやかな足は小刻みに震え、汗は頬を通り落ちる。
彼らが精神をすり減らしているのと同様に、彼女は肉体的疲労を積み重ねていた。
いくら彼らの位置が分かっているにしても、長時間殺されるか分からない状況の中逃げ続けるのは、走って隠れるだけでも肉体も精神もいつもよりずっと無駄に消費する。

女は端末で自分の位置、そして襲撃者二人の位置が十分に離れている事を確認すると、
糸が切れた人形の様にその場に座り込む。
そして乱れた呼吸で位置を知られないよう呼吸を整えながら、
(ここで身を潜めていれば、暫くは時間を稼げるはず)
と、部屋の外の様子を伺う。
外の廊下は無音で、彼女の息遣いすら響きそうなくらいであった。
慎重に辺りを見回した後、端末で二人の位置を確認する。彼らは彼女の居る部屋とは全く違う場所で映し出されている。
彼女は共に命の危険に晒されている仲間の事に思いをはせる。
(上の子達は大丈夫かしら。・・・まぁさっきよりも銃声と爆発音が減ってるから、大方予想は付くのだけれど)
無意識に端末を持つ手に力が入る。端末がミチミチと悲鳴を上げて漸く女は自分の手に力が入っている事に気づき、力を抜く。
(死んだ奴等を考えても仕方がない、今は生き残っている奴を少しでも助けるようにしないと)
女は数回深く呼吸をして、冷静さを取り戻そうとする。端末は二人の様子を鮮明に映し出しており、それと同時に彼女の安全を確固たるものと思わせる。
画面の中の彼らは忙しなく女の事を探し回る。その様子は酷く愚かで滑稽に見え、女は大きな優越感を顔に浮かばせる。
自分は仲間を殺した襲撃者達を翻弄できている、やろうと思えば反撃も可能。
社会的にも実力的にも及ばない自分が能力者を掌の上で踊らせられる、彼女は日ごろのやり場のない鬱憤が一気に晴れるような、一種の爽快感を感じていた。
(それにしても私が連絡を入れてからもう20分は立ってるのに、幾らなんでも遅すぎる)
女は何度も視線を時計と端末に行ったり来たりさせる、二人はまだ先程の地点で捜索を続けているのが映し出されている。
(今は何とか引き付けていられているけど、私がフォローできる時間なんてもう十数分しか―――――?)
と、女はここで疑問を覚える。
二人の捜索があまりにも長く同じ地点で続けられている。
女は端末の画面に映し出された二人の様子を注意深く観察する。
それは念入りに捜索を続けているだけの様に見える、しかし極々小さな違和感が残る。
今まで地下全体を万遍なく調べていた二人の行動パターンからすると、それは急な方針変更で、それ程までに深く探す意図が全く読めない。
小さな違和感は彼女の中で徐々に組み合わさっていき、やがて彼女はこの疑問に対する一つの答えに行きつく。
それは彼女にとっては最悪の確信でもあった。
額に嫌な汗が流れる、無理矢理にでも考えを否定したかったが、もうそうであるとしか言いようがなかった。

「同じ部分が流されている――――――ッ!!!?」

管制室に何者かが侵入し、特定の時間の映像を繰り返し偽の情報を伝えていた。
それは彼女の襲撃者に対する唯一の対抗手段を逆手に取った、彼女を誘き寄せる事の出来る数少ない方法。
女は勿論その可能性に気づいていないわけではなかったが、彼女が襲撃者二人と命を賭けた鬼ごっこをしている内に、
彼女の中で鬼ごっこに関わっているのは三人という構図が出来上がってしまっていた。
“上の階にいる第三者が介入する”という可能性はいつの間にか頭の外に追い遣られていたのだ。
先程爽快な気持ちになっていた自分に対して歯噛みしながら、すぐに今の場所を離れる。
端末が使い物にならなくなった今彼女の絶対的優位は既に消え去り、只の狩られる者に成り下がる。
彼女は闇雲に廊下を走り、真っ暗闇の中何の情報もなしに二人の襲撃者から逃れようと必死になる。混乱した脳で最善の策を練ろうと思考を巡らす。
(地下は余りにも危険。一旦一階に戻ってやり過ごすしか方法は――――ッ!!)
彼女の右太腿が不意に弾き飛ばされる。肉片と血と悲鳴を撒き散らせながら、その場に倒れこむ。もはや身体は限界なのか逃げ出すほどの気力も残っていないのか、女はその場で蠢くだけであった。
「やっと見つけたで♪」
調子のよさそうな、それでいて無感情な声。
声の主は暗がりの先から姿を現すと、女の右太腿を思い切り踏みにじる。
血の勢いは加速し、血溜りはみるみる広がる。
女は顔を大きく歪ませ、両手で太腿を踏みつける足を退けようとする、しかしその足は根でも張っているかのようにビクともせず、退けようとすればする程太腿に食い込む。
「苦労かけさせよってからに」
ホッケーマスクの男は自分の足を退かそうとする手首に拳銃の照準を合わせる。
一発目で右手首の骨は砕け、二発目で右手の甲を粉砕する。三発目で漸く手首がはじけ飛ぶ。
地下に絶叫が響き渡り、廊下の至る所から木霊する。
ホッケーマスクの男は時間を掛けさせられた怒りを女にぶつける。
力一杯顔に蹴りを浴びせ、もはや元の顔がどのようなものだったかも分らなくなる程腫れあがらせる。
「お前よくもさっきワイを痛めつけてくれたなぁ、オイ殺しても殺し切れんぞワレ」
「や、やめッて」
女が手首から先のない腕で制止しようとするのもお構いなしに一方的な残虐を続ける。
ギリギリ死なないよう加減して、何度も何度も切りつける、蹴り飛ばす、踏みつける。
足の指を一本一本切り落とし、鼻にドライバーを突っ込み、髪を掴んで壁に叩きつける。女は人間としての尊厳を悉く踏みにじられた姿へと変わっていく。

やがて暗がりからもう一人の襲撃者が現れる。
黒ずくめの男、毒島はゆっくりと歩み寄り家政夫を押しのけると、身を屈めて女と目線の高さを合わせる。
女は顔面を歪にゆがませ、身体を小刻みに痙攣させながら、それでも返事が出来るギリギリの範囲で生かされていた。
その余りにも酷い姿に毒島も思わずサングラスの先の目を細める。
「目的は何だ」
「・・・モ、目的・・・何の事、かしらね・・・?」
女は腫れあがった目で目の前の男を見据える。非道の限りを尽くされたにも関わらず女には反抗する気力は残っている様に見える。
その事に毒島は内心驚きながら、
「とぼけんじゃねぇ、明らかにお前は俺達を誘き寄せて時間稼ぎをしていた」
「ア、あぁ。成程その事ね・・・」
呼吸音が口とは違うところから漏れている。腫れあがった瞼の間から微かに覗く眼の焦点は一向に合わない。
ギリギリの所で生かされているとはいえ、彼女はもう長くはないと容易に感じられた。
毒島もそれを察知し、もはや望めるような答えは聞き出せないと結論付ける。
そして彼の後ろで血のついた刃物の手入れをしている家政夫に向かって、
「生かすならもっと加減しろよボケ。聞きたいことも聞けそうにねぇぞ」
「いやぁスマンスマン、ちょっと怒り心頭に来たってヤツやな。てかそれ毒島ちゃんが言えた事ちゃうやろ」
「・・・うるせぇ」
内心何故か妙に納得してしまい、反論の言葉が浮かばなかったが、
話が脱線してしまいそうだったので早々と切り上げる。
毒島は壁にもたれ掛った女に視線を移す。
「無様な最期だな、畜生道“リーダー”東宝海松気さんよ。せめてアンタがスキルアウトじゃなかったら、もう少し真面な人生歩めたかもな」
返答はない、薄く見開かれた眼は今にも閉じようとしている。
毒島は頭を掻いて気だるそうに立ち上がると、もはやピクリとも動かない木偶人形のような女に一瞥もくれることも無く、その場を離れようとする。

「・・・あ、アハは」
と、二人の背中の方から声が聞こえた。
「言ってくれルじゃない・・・同じ屑の分際で・・・」
死にかけの女、東宝海松気は最期の力を振り絞って啖呵を切る。
「短い人生だったけド、最高の人生だったさ。勝手に人の人生を図ってんじゃねェってんだ屑」
東宝は芋虫の様に二人の方へ這いずり寄る、その姿は何とも惨めで見るに堪えない。
「・・・」
毒島は何も言わず東宝の背中を銃で打ち抜く。もはや悲鳴を上げることも無いのか衝撃で体を跳ね上がらせるだけであった。彼女の体の下に新しい血溜りが出来る。
しかしそれでも東宝は死なない。懸命に生を掴み離さない。
地面に血の跡を作らせながら、遂に二人の足元までたどり着く。左手で家政夫の服を掴み、起き上がろうとする。
「いいこと教えてやるよ、殺人鬼ちゃん共」
ゆっくり、ゆっくりと体を起こす。
二人は思いもよらない出来事にその様子を見つめるだけで、何もできないでいた。見とれていたとでもいうべきか、驚いていたとでもいうべきか、何かをしようという気にならなかったのだ。

やがて東宝は家政夫の身体を使って立ち上がると、開かない目をこれ以上ない位に見開き、
「・・・もうすぐアタシが時間稼ぎしていタ・・・理由が」
「・・・?」
「もうすぐわかるだろうさ」
彼女は微かに笑みを浮かべる、丁度その時。




ドッパアアアァァァンッ!!!!!!!!!!
という爆音が一階の方から響き渡った。今まで上で繰り広げられていた戦闘で生じた爆発音とはまた異質な、分厚いガラスを叩き割ったような音。
「な、何やッ!?テメェ何したんや!!?」
家政夫は東宝の胸元を掴みあげ、持ち上げる。
東宝は何も答えない、答える余力も残っていない。
上手く呼吸が出来ないのか苦しそうな表情をしながら、それでも目に生気を宿らせ、
「精々後悔しながら死ねばいいさ・・・まぁどの道お前らももうすぐ地獄行きだ、先に行って待っててやるよ」
そう辞世の句を吐き家政夫の足元で勢いよく倒れこむと、そのまま動かなくなる。
その顔はどこか満足感を浮かべている様に見えた
家政夫は足で東宝の死体を退けると、マスクの穴から見える目を怒りで血走らせながら
「何言ってんだか、地獄なんぞテメェ一人で行っとけや」
毒島は一切表情を変えることなく東宝を見据えると、
「さっさと一階に戻るぞ、どうやら最悪の展開になったみたいだ」
そういって一階へと向かう階段へと走りながら、ポケットにしまっていたスマートフォンで安田と連絡を取ろうとする。
東海林矢研・・・ッ!!おかしい、アイツが来るのはもっと後の筈じゃねぇのか!!?)
二人は全速力で地上へと向かう、上の方から聞こえる音は更に激しいものとなっていた。



そして、狩りはもうすぐ佳境へと迎えつつあった。





第七章へ続く

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最終更新:2012年05月12日 18:46