File5 残骸に遺された記憶
「あーー、もう! ホントムカつく! なにが“結局はそういうことだろ”よ! 自分だけわかったみたいな口ぶりしてんじゃないっつの!」
自動運転のバスの中で少女の怒号が響きわたる。
このバスは時間帯からすると帰宅部の者が乗るはずだが、今は風紀委員の湖后腹と一厘しか乗っていなかった。
帰宅部の連中が乗っていないのは、夏休み前の文化祭の準備を実行委員に手伝わされているかららしい。
「あはは……まぁ、一厘さん落ち着いて」
やりづらいな、と湖后腹は思った。
今日の昼休みから隣の座席に座るこの少女、一厘鈴音は酷く不機嫌なのだ。
その理由はなんでも今日の昼休みの食事中に百城とケンカしたとか。
湖后腹もその時一緒に食事を取ってたが、途中で抜け出したため何が発端でケンカに発展したかはわからなかった。
「私は落ち着いてるわよ……それで、これからどこ行くの?」
未だ不機嫌な一厘は急かすように尋ねてくる。
そう、今 湖后腹達は『あること』の調査のため第十学区に向かっていた。
本来ならば今回の調査は湖后腹だけでいく予定だったのだが、破輩が怒り心頭の一厘に『頭を冷やすついでに湖后腹についていけ』と命を下したので、一厘と一緒にこうして行動している。
「えっと……それはですね」
湖后腹は焦りながら答える。
「とりあえず、アヴェンジャーの隠れ家に行ってみようと思うます」
「!?」
アヴェンジャー。
今この学園を荒らしまわっている、無能力者(低能力者も含む)狩りのグループ。
そんな者達の隠れ家がわかったなら、さっさと教えて、風紀委員総力を上げて乗り込むべきだ。
なのに何故この男、湖后腹真申は二人だけで、しかも顔色を変えずに至って冷静なのだろうか。
そんな一厘の苛立ちと困惑の交じり合った表情を見て、湖后腹は慌てて言い直した。
「あ……少し言葉足らずでした。正確には“元”アヴェンジャーの隠れ家“だった”場所です」
なんだ、と一厘はため息をついて、
「“元”アヴェンジャーって、前の会議で言ってた、『一ヶ月前』くらいに潰れたスキルアウトのこと?」
「そうっす。一厘さんは前回の会議に遅れてきたのに、よく知ってましたね」
「あの後厳原さんから大方の話しは聞いたのよ。バカにしないで」
……で、それが何か関係があるの? と、一厘は先を促す。
「実は、その『一ヶ月前』というのがちょうど校内で“今”のアヴェンジャーによる暴行やカツアゲが始まった時期なんです」
「偶然……にしては、出来過ぎてるわよね」
「はい」
バスは湖后腹達の座ってる座席に振動を与えながら、尚も進み続ける。
途中で何人かの乗客者が入ってきたため、湖后腹は少し声を小さくして言った。
「だから。その“元”アヴェンジャーについてざっと調べてみたんです」
一厘に手渡したのは一つのファイル。中には何人かの顔写真と、事件の記録の紙が入っていた。
一厘はそれを慣れた手つきでパラパラとめくる。ひと通り目を通すだけでも十分ばかりかかった。
「……酷い」
読み終えた一厘から出てきた言葉はたったそれだけ。
それだけだというのに、その内容がどれだけ酷いものかを表情で物語っていた。
「実際“それ”があった建物に入るわけだから、一厘さんは今ここで戻っても構いませんよ」
湖后腹は、急に気分を悪くした一厘に気を使うように声をかける。
今から少し前、第十学区には“元”アヴェンジャーの隠れ家があった。
それは表向きは閉店した『占い屋』として置かれていた建物だったらしい。彼らは“能力者狩り”を主に行動していたスキルアウトで、様々な学区を転々としては、気に食わない能力者を潰していった。
能力者が持つ力なんてほとんどが拳銃に対抗できるかどうかのシロモノだ。彼らにとっては数の暴力で能力者を潰すのはわけもないことだったのだろう。
だがそれが、終わりを告げたのは今からちょうど一ヶ月前。
第一発見者は第十学区に住む一人の学生だったらしい。
占いに興味を示したその学生は、その店が閉店だとも、偽りだとも気づかずその中へと足を踏み入れていってしまった。
そこで彼が目にしたのは、血の海。鮮血とは言えないほどに濁って、汚れきった大量の血だった。
壁や天井は激しい戦闘の後が残り、中には壁にめり込んでいる者もいたという。
彼はすぐに警備員に通報。
後にわかったことはアヴェンジャーは何者かに潰されたということだけ。
それ以外は皆目検討もつかないまま調査は今もまだ停滞していた。
そして、そのアヴェンジャーのリーダーである『クイーン』という女が警備員付属の病院で奇妙な言葉を残していた。
それが――――
『私達は名を奪われた』、か……どういう意味なんだろね」
「わかりません、が、その事件でアヴェンジャーのメンバーはほとんどが重体……死者がいなかったってのが奇跡なぐらいです」
プシューと音を上げ、その事件が起きた第十学区にバスが停止する。
「どうしますか、やっぱ俺に任せて、一厘さんは戻ったほうが……」
先に降りた湖后腹は未だに煮え切らない思いを顔に出しながらそう言った。
おそらくこれから向かう先は一厘の日常からは大きく掛け離れた、残虐で、非道で、狂気に満ちた場所だろう。
だが、一厘は声色一つ変えずに言う。
「私も行くよ、ここまで来ちゃったんだし、後には引けない」
◇ ◇ ◇
バスから降りた二人はタクシーに乗り換えてその場所に向かう。
第十学区というと、学園都市で唯一墓地があることや、地価が安いことで有名だが極めつけは治安の悪さだ。
そのせいか、すれ違う人物は大きく分けて二種類しかいない。
誰かを襲おうと、目をぎらつかせている人物。誰かに襲われるんではないかと、目を泳がせている人物。
「なんか、ここ怖い……」
タクシーから外を伺う一厘はそれだけをポッと呟いた。
「そうですか? 住めば都というし、案外ここで生活しだしたら慣れるかもしれませんよ」
湖后腹の言葉に返答はなかった。
常盤台のお嬢様にはやはりこういうところは苦手なのだろうか。
「それで、そのアヴェンジャーを潰した組織ってまだわかってないの?」
「今のところは……。ある話では救済委員だとか無能力者狩りの集団による報復とも言わていますが、どれも根も葉もない噂で……」
一厘の頭の中に、クイーンという女が残した言葉がよぎる。
『私達は名を奪われた』
これがどういうことを意味するのかわからない。
名とは何か。
アヴェンジャーを潰した者たちにとって彼女達の名を奪って何の得があったというのか。
「う~~ん。深く考えても仕方ないかなっ! そんな事より着くまでの時間、しりとりでもしない?」
急に元気を取り戻した様に大声を上げる一厘。
だがそれは湖后腹にしてみれば、ただの空元気にしか見えなかった。
「ハハッ、いいですね! 俺の『る』責めにどこまで保ちますかな!?」
それでも、湖后腹は今はこの少女に付き合って上げようと思った。
これから目にする現実から少しでも離れさせてあげるために。
◇ ◇ ◇
数分後にタクシーは到着した。
ドアの外に広がる世界は同じ学園都市とは思えない光景。
すっかりと荒廃してしまった建物が立ち並び、スプレーで落書きされた壁や建物が一層酷く映る。
「あそこにあります」
運転手が指さしたのはその中の建物の一つ。外観は周りのものと大差ないが、その建物を取り巻く黄色いテープが異様さを際立てている。
「じゃあ、行きましょうか一厘さん」
「うん」
タクシーからその建物の距離はそんなに離れていない。
ゆっくりと歩いたとしても三分あれば辿りつけてしまう距離だ。
だが、そこへと進む一歩一歩がひどく重く感じられた。
ザッザッと、足音が響く。湖后腹は一厘に目をやると、
「まったく、いつまで湖后腹君は私に気をつかってるの? 別にあそこで死人が出たわけじゃないんでしょ? ちょっとくらい血の跡が残ってるだけなんでしょ? 私はそんぐらい屁でもないんだから」
何度も自分の様子を伺ってくる湖后腹に気づいていたのか、一厘はその建物に入る前にそう言った。
「確かに、“アヴェンジャーの人物では”死人は出ませんでした。だけど……」
「え……? ちょっと、それはどういう……」
「死人はいました」
バッサリと断言した湖后腹。それを見る一厘は裏切られたかのような表情をする。
「アヴェンジャーによって捉えられ、監禁され、拷問され、そして殺された人物が三人。原型を留めない状態で、発見されたんです」
一厘の表情が強張る。大きな瞳は震え、ワナワナとその場に倒れこんだ。
「バカッ……なんで……それをもっと早く言わないのよ」
「すいません。もっと早く言うべきでしたけど、なかなかタイミングが合わなくて……」
同年代とはいえ、この少女にはまだその世界を見るには早かったようだった。
しかし湖后腹は一人でも進む。
たとえそれが殺人現場だとしても、学園のためになるなら進むしかないのだ。
ガチャリ、と軋んだ音を立てながらドアを開けると、
「俺が見てきます。一厘さんは……ここで待っててください」
そう伝えて室内に入ろうとした。
が、
「待ってよ」
その一言で湖后腹は引き止められる。
気がつくと一厘は立ち上がっていた。震える手で必死に湖后腹の袖を掴みながら。
「そんな場所なら、尚更一人でなんて行かせられないよ……私もついていく。仲間と協力するのが風紀委員、でしょ?」
「一厘さん……」
湖后腹は少し迷った。こんなに震え、怯える少女をその原因となっている場所へ向かわせていいのか。
しかし、来るなといってもこの少女は絶対についてくるだろう。
一厘と同じ支部として働き出したのはわずか二ヶ月前だが、彼女がどれほど頑固かは理解していた。
「気持ち悪くなったら、無理しないで外に戻ってくださいよ」
一厘はコクンと頷く。
それを確認した湖后腹はついにドアを完璧に開けて中へと進むのだった。
◇ ◇ ◇
ビュウと風が吹き抜ける。
室内のあちこちには銃痕があり、そこら辺にぶちまけてあるのは原型すらとどめていない椅子や机。
それでも血の跡などは残されていなかった。少なくともここで死者が出たとは思わせないくらいに。
「うっ……」
一厘は持ってきたハンカチで鼻を覆う。いくら見てくれを綺麗にしたって、この建物に充満する血の臭いは消えていない。
外はもう夕暮れ時、建物の中も次第に暗くなっていくが、明かりはつかなかった。
「あちゃーー、これじゃ部屋全体を調べることもできないな」
真っ暗な建物内で、湖后腹は手さぐり状態で電源を探す。電気が通ってないとしても自分の能力を使って電流を流せば、一時的にだが電気をつけることができるかもしれないのだ。
壁をさすったり、床に手を伸ばしたりするが一向に電源のようなものは見つからない。
もしかしたら戦闘に巻き込まれて壊されてしまったのかもしれない。
「ねえ……湖后腹君。まだ見つからないの? いい加減怖くなってきたんだけど」
「もう少し、待ってて下さい……あとちょっとで」
とりあえず、自分の周りを手で掻き分けていく、すると――――
ムニュリ
湖后腹は何やら柔らかいものを掴んだ。
その感触はゴムでもなく、紙でもなく、もちろん金属なんて物ではない。
ちょうど手にすっぽりと収まるぐらいの調度いいサイズ。
「え……もしかして――――」
どっかの一級フラグ建設士ならばこのまま気づかずに触り続けるだろうが、湖后腹は察しがいいのか、それが何であるのか気づいてしまった。
その柔らかい物からはドクンドクンと振動が伝わってくる。そしてそのすぐ近くには人の気配が感じてとれた。
もちろんこの場所にいるのは湖后腹と一厘の二人しかいない。
と、言うことはだ
「な、な、な……」
湖后腹の顔に軟らかい声と甘い吐息が小切れに振りかかる。
それは、いきなりのことにしどろもどろしている――――
「な、なにしてんのよーー! このバカチン!!」
胸を触られた一厘が今まさに叫びをあげようとしている予兆であったのだ。
「す、すいません!! ついうっかり!!」
手を即座に離して、光の速さで土下座を繰り出す湖后腹。もし支部の女性(主に破輩)を怒らせた場合、こう対処するようにと鉄枷に教わっていた。
「うっかりじゃ済まないわよ! この……!」
だがそこで、一厘はピタリと手を止める。
別段湖后腹を許したわけではないが、あることに気づいたのだ。
(あれ、私……)
そう、先ほどまでの恐怖が、震えが、嘘のように収まっていたのである。
「……ぷ、」
一厘の表情に笑みが戻る。それは良い感じに緊張がほぐれたせいだったのかもしれない。
「あははは! なんでこんなとこでこんな事やってるのよ、私たちは。ふふっ」
(……? 一厘さんの怒りが収まった? ありがとうございます鉄枷先輩!! 貴方の考えだした能力『光速謝罪《ドゥーゲイザー》』のお陰で俺なんとか事なきを得ました!!)
そんなことには気づかず、湖后腹は、鉄枷が編み出したただの土下座……否、ドゥーゲイザーに感謝するのであった。
「もう、いいから、早く見つけてよね。電源」
「言わずもがなですよ!」
それからわずか三分で湖后腹は電源を見つけた。それが、なんのおかげかは言わないでおこう。
「はぁ……ようやく明るくなったわね」
「足元に気をつけてください、まだ木片があちこちに転がっているので」
「私は木片よりも湖后腹君に気をつけてなきゃいけないわよ」
顔を赤らめながら一厘はずんずんと先へ進んでいってしまう。こんなんならさっきの状態のほうがマシだったかもしれない。
とりあえず、二階は一厘に任せるとして湖后腹は地下に向かった。
蛍光灯が壊れている場所は先ほど見つけたLEDライトで照らして進む。
血と腐臭の交わった臭いは風通しの悪い地下ではそう消えることはない。湖后腹は反射的に鼻を押さえて、
「確かに、この臭いはキツイな……」
あちこちが欠けた階段を下りながらそう呟いた。最後の一段を降りると、錆びている扉を開ける。
その扉の先は囚人を納めておくような牢獄の作りになっていた。
主にペットショップが大型の動物を閉じ込めておくのに利用する檻。それが、何段にも積み重ねられておいてあったのだ。
湖后腹は想像する。
アヴェンジャーの連中はこの檻に能力者を閉じ込め、いたぶり、そして――――
(―――――ウッ!)
突如として吐き気を催す湖后腹。胃袋から酸味を帯びた内容物が逆流しそうになるがなんとかこらえた。
確かに、ここで殺された能力者の死体はとっくに片付けられてしまっている。
だが、そこには言葉で形容できない“なにか”があったのだ。
(こっちには……一厘さんはこさせない方がいいな)
その後、部屋の隅々を探ったが、この地下にも“今”のアヴェンジャーに通ずるものは何もなく、急ぎ足でその場を後にする。
もちろん後ろなど振り返ったりはしない。
「湖后腹君。こっち来て!」
二階の方から一厘の声が聞こえてくる。一人でいた時間なんてたったの数分だというのにその声はとても懐かしく感じさせた。
何事かと思い、急いで階段を駆け上がって行くと、
「これ、なんか変じゃない?」
一厘が指差したのはただの壁。そう、ここから見る限りは。
「変って……何がっすか?」
「いいから、触ってみればわかるよ」
言われるがままに湖后腹はそこの部分に触れる。
すると、そこには膨らみのようなものが感じてとれた。
「この壁の内部に何か埋まってるのか?」
「わかんない、けど私の能力じゃこの壁は壊せないよ、なんか道具があればいいんだけど……」
そう言って一厘は部屋を見渡すが、あるのは家具の残骸のみ。
あとの物は証拠物件として警備員に回収されたか、破棄されたのだろう。
「よし、じゃあ俺の電撃でぶっ壊します。危ないから一厘さんは少し下がってて下さいね」
「あ、あのさ。自分の提案だからこんな事言うのも何だけど、勝手に壊しちゃってもいいのかな? 後で警備員の人に怒られたりしない?」
「大丈夫っすよ。もう既にボロボロなんですから、今更壁に一つや二つ穴が開いたってバレやしません」
ニッと湖后腹はイタズラな表情を浮かべ笑った。
直後、その指先から『雷撃の槍』が繰り出される。
ドオォォォン!! という激音と同時にコンクリが砕け、その粉塵がバラバラと舞って視界を埋め尽くした。
「ゴホッゴホッ……ちょっとやりすぎたかな? これでもパワーはセーブしたんだけど」
既に窓ガラスが割れているので換気の必要はない。
煙っぽさがなくなって、その壁を見てみると、
「うわっ……これはいくらなんでも……」
一厘はその光景を見て唖然とする。
その壁に半径一メートルに渡る巨大な穴がポッカリと開いてたのだ。
「まさか、埋まってた物ごと消し飛ばしちゃってないよね……?」
一厘の懸念の言葉に湖后腹は、
「いえ、なんとか無事だったみたいですよ」
瓦礫の中からあるものを拾い上げた。
どちらもコンクリの粉を盛大に被っていたので手で払ってみると、
「それって、フォトアルバムと日記帳……だよね。なんでこんな所に?」
そこに現れたのは写真がたくさん収納されているアルバムと、古びた日記帳。
「空間移動か、または念動力系の能力で、この壁に埋め込んだんじゃないですか? 問題なのは“何故”こんなとこに隠したっか、ってことですね」
湖后腹は何気なく腕時計に目をやると時刻はもう七時を回っていた。
外もすっかりと暗くなり、鈴虫の鳴き声が不協和音のように聞こえてくる。
「とりあえず、ここからは出ましょうか この中身を確認するのはそのあとにしましょう」
◇ ◇ ◇
「うわーー、もうこんなに暗い。そんなにいなかったつもりだけど時間の流れって早いものねーー」
満点の星がきらめく夜空を眺めながら一厘は感嘆の声を上げた。
その瞳に映る星も同調するかのようにして輝く。
まるで、さっきまでのことを全て洗い流してくれるように。
「さて、これからどうしましょうか。この内容を拝見するのにバス内では無用心すぎますし……」
手元にある二つの本を持て余すように、湖后腹は問う。
すると一厘は携帯の画面を湖后腹に向けて、
「心配ご無用。ちゃんと部屋を予約しておいたから」
『予約完了』の文字がでかでかと表示された携帯の画面。
それを見て湖后腹は目を点にした。
「え……? 今から、ですか?」
「そうだけど。どうしたの湖后腹君。なんか問題ある?」
個室サロンとは学園都市でのポピュラーなサービス業の一つ。
形式としては少し豪華なカラオケボックスのような所で、時間を決めて部屋を借りれる自由な空間だった。
主にはパーティーを開くときなどに使われているが、朝まで借りて一夜を過ごすといった使い方をする者もいる。
特にそんな使い方をするのは学生間のカップルに多いと聞くが、それが何をするためにかと言えば……
「いやいやいやいや!! さすがに風紀委員である俺達がそ、そ、そ、そんなことしちゃいけないっしょ! それにまだ中学三年なのに早すぎるというか! 心の準備ができてないっつーか!!」
「……? なに言ってんの。もう八時から二名様で予約しちゃったんだから、キャンセルなんてもったいないでしょ」
アタフタする湖后腹の手をグイッと手を引く一厘。
それで更に湖后腹の顔は赤くなった。
「ちょ……!?」
「それに私、お腹すいちゃったし、そこで適当になんか食べたいからさ。早く行こうよ」
どうせなら、と一厘は付け加えて。
「私が、湖后腹君が好きなものも頼んであげる」
(え、一厘さん今なんて言った……?)
あまりの慌てっぷりに湖后腹は一厘の言葉を聞き流していた。
耳に入ってきていたのはどれも断片的な単語ばかり。
『私』……『湖后腹君』……『好き』……『あげる』
それを脳内で組み立てなおしていくと一つの文が出来上がった。
(『私を湖后腹君の好きにさせてあげる』!!??)
「どうしたの!? 漏電してるよ!?」
能力の制御が効かなくなって体からバチバチと漏電させる湖后腹。
「まじで、まじでそれはやばいッスよ!! 支部に戻って閲覧しましょう、これは! その方がお互いのためになります!!」
「なんでそうなるのよ! それに今日はそのまま寮に帰るから、支部には戻らないし!」
(『今日は“寮”に戻らないし』!!? ほんとに一夜過ごす気なのか!?)
一度暴走した思考は止まることを知らない。一厘の言葉は何もかもが意味深な言葉に置き換えられてしまい、まともに湖后腹には届かなかった。
結局こんな事もあろうかと用意したビニール手袋をつけた一厘によって、漏電状態の湖后腹はグイグイと引きずられてく。
制止を呼びかけるが、動作では示さないのが湖后腹の弱さだった。
◇ ◇ ◇
「まったく、湖后腹君がうだうだ言うせいで、予定の時間よりも五分遅れちゃったじゃない!」
受付からルームキーをとってきた一厘はプンスカ怒りながら湖后腹と指定の部屋に向かっていた。
こんな十学区だが、ビルの内部は綺麗に清掃されていて、好感を持てる。
しかしながらやはりは第十学区。すれ違う客はどれも、いかつい格好をしたカップルや不良どもの集まり。
いくらビルが綺麗だとしても中に住むものが汚れていては元も子もない。
「すいません。でも腕章の件だけは譲れなくて……」
入り口間際で論争になったことは、風紀委員の腕章を付けて入るかはいらないかということ。
こんな時間に男女の風紀委員が一緒の部屋に入るなんてとこを目撃されたら大問題になるのだ。
一厘は『別に悪いことをするわけじゃないんだからいいじゃない』と、反対。
このお嬢様はたとえ自分にそんな気がなくとも、相手に誤解されてとられるかもしれない可能性をまったく危惧してなかったのだから恐ろしい。
それでもなんとかの説得の上、頑固な一厘を説得することに成功した。
『もしそんな噂が広まったら破輩先輩にどやされますよ』と、言ったらすんなりと納得してくれたのだ。
「あ、この部屋ってシャワーつきなんだ……でも着替え持ってきてないから。いいかな」
部屋に入ってみるとそこはまさしくカラオケボックスと同じような作りになっていた。
奇妙にも設置されてある、部屋の奥のシャワーとダブルベッドを除いて。
(おいおいおいおい!! 何が仮眠用のベッドだよ!! めっちゃ手の凝った作りじゃねえか!)
湖后腹の心臓が激しくビートを刻む。もはやこのまま勢いで……なんて事にはならないだろうかと心配した時。
ピンポーンと、チャイムの鳴る音が聞こえてきた。
それは受付時に頼んだ食事を店員が運んできてくれたのであった。
テーブルに並べられた幾かの食事。その大半は湖后腹の頼んだもの。
「よく、そんなに食べられるわね……」
ひと通り食事が並べられたところで一厘が呆れながらも訪ねてきた。
「え? ま、まあこんぐらいでも腹八分目ってとこですよ!」
実際は嘘だった。
ただこうでもしないと間が持たない。
密室で女子と二人っきりになるだなんていうサプライズは湖后腹にとって刺激が強すぎるのだ。
「ま、いっか。そいじゃまーーいただきまーす」
一厘が頼んだのはシーフードサラダとオレンジジュースだけ。それに引き換え湖后腹が頼んだものは肉……肉……肉。もはや肉料理オンリーで埋め尽くされていた。
ガツガツガツとものすごい勢いで料理を喉に通す湖后腹。
一厘はそれを見ながら、
「“あれ”を見るのは食べ終わった後でいいよね……?」
「はい。おそらく、食事中に見れるものじゃないと思うんで」
湖后腹はソファに置かれたアルバムと日記帳に目をやる。今のところまだ中には目を通してないが、恐らく内容は凄まじいものなのだろう。
何せ、殺人集団の一人によって書かれたものなのだから。
しばらくして、一厘が食事を終えた。だが湖后腹の前にはまだたっぷりの料理が残っていてこれを全部食べ終えるにはまだ時間がかかりそうだった。
「私は待ってるから、早く食べ終えてよね。そ、その一人で見てろなんて言わないでよ!」
「はいはい、わかってますよ」
苦笑いしながら湖后腹は思う。
もう少し考えて料理を頼むべきだったと。
それは肉料理ばかりのせいで、三品目でもう胃がもたれて来たのだ。
「はぁ……キツイ」
パンパンになった腹を苦しそうにさする湖后腹。
気がつくと一厘が食べ終えてからもう十分が経過しようとしていた。
普段ならここで、『なにやってんのよ、ばかじゃないの?』という一厘の毒舌が飛んでくるのだが――――
「!!??」
コトン、と一厘が湖后腹の右肩に頭を乗せてきた。
一瞬止まった思考を再起動作さて湖后腹は確認する。
「あ、あの一厘さん!?」
返事はない。代わりに聞こえてきたのはかすかな寝息だった。
「スーー、スーー」
(寝ちゃってる……どうするよこの状況)
今日の一日で、一厘は様々な感情がかき回されて相当疲れたのか。
その寝顔は可愛らしくも、少々悪夢にうなされているようにも見えた。
このままでは料理を食べることもできない。
そう判断した湖后腹はそっと一厘の身体を元の体勢に戻させる。
しかしまたしても一厘の頭が湖后腹の右肩に乗ってきた。
このままソファーの上で横にさせるのも考えたが、さすがにこのあまり柔らかくないソファーの上で寝かせるのは男としてどうかと思う。
「頼むから起きないでくださいよ……」
そう言って、湖后腹は一厘の首の後と両足の太ももの後ろに手を回りこませる。
所為、お姫様抱っこというわけだ。
一厘の身体は思っていた以上に軽く、ベッドまで運ぶのはさして困難ではなかった。
問題なのは途中で一厘が目を覚まさないかということ。
もし、そんな状況で目を覚まさせられたら、先日の鉄枷の二の舞だ。
そっと、そっと、割れ物を扱うかのごとく慎重にベッドに寝かせる。
結局、手を離す瞬間まで一厘が起きることはなかった。
(―――――ふぅ)
そっと胸を撫で下ろす湖后腹だが、そこであることに気づく。
そう、一人残された自分と、そのままの二冊の本のことである。
「しゃーない。俺一人で見るか」
頭をボリボリと掻いて湖后腹はベッドに腰をかける。
先ほどのソファーの方で見ようかとも思ったが、目の前の料理をこれ以上見たくなかったのと、あの位置からだとグッスリと眠っている一厘のスカートの奥を思わず見てしまいそうだったのでここにした。
「さて……と。始めるとしますか」
まずはアルバムから目にする。
一ページ目に映されているのはどれも真っ黒な写真。否、マジックでグチャグチャに塗りつぶされた写真だった。
塗りつぶされていない日付が写っているのを見ると今から一年前の日付となっていた。
その後も二ページ、三ページとペラペラめくっていく。だがどれも似たようなものばかりでその写真の内容がどのようなものかを把握することはできなかった。
だが最後のあたりのページでようやく塗りつぶされていない写真を見つけた。
だが、それほど見なかった方が良かった思う写真はないだろう。
何せその写真は、『あの地下室』で拷問から殺害までの経過が映し出されていた写真だったのだから。
七割は血の海、そしてもう三割は痛みにもがく能力者の顔だった。
(―――――うぇ!)
湖后腹はそれを思いっきり放り投げると、洗面所に向かった。
そして、抑え切れない吐き気をそのまま洗面台にぶちまける。
(はぁ……はぁ……はぁ……狂って、やがる……)
酸っぱいものが口中に充満して気持ちが悪い。
湖后腹は何度かうがいをしてまたベッドの方へ戻った。
一厘はまだ眠っていた。
できるなら立場を逆転させて欲しい思ったが、それでも次は日記帳に手を掛ける。
先ほどのようなことがあったので今度は慎重に一ページ目を開く。
5/22
今日、妊娠検査薬を使ってみると私は妊娠していることが判明した。
ようやく彼との間にできた子供。この子を私は立派に育てていきたい。
一ページ目に数行という随分贅沢な使い方だが、これといって変わりのない女性の日記のようだった。
湖后腹は次のページをパラパラとめくって読み進めていく。
11/14
ついに来月で妊娠6ヶ月だ。お腹は膨らみ、私の赤ちゃんはたまに内側から蹴ってくる。
それを感じるたび、私は彼と笑いあった。
今の私はとっても幸せだ。
……
12/23
私の弟からプレゼントが届いた。
レベル4の弟が私にくれたのはこれからのための育児キット。
こんなレベル0の私だが別け隔てなく接してくれるそんな弟が私は大好きだ。
明日は彼とドライブの約束をしている。はやく寝なくては。
そのあとは何ページか空白のページが続いた。
何故こんな途切れ方をしているのか不思議に思う湖后腹。
そうして、十ページ目で日記は再開されていた。
2/3
気がつくと私は病院にいた。
そこで、気がついたのはボロボロになった体と、すっかりとしぼんだお腹。
クリスマスイヴの日、私は無能力者狩りに遭い、お腹の中の子を流産させられたらしい。
彼も今意識不明の重体に追い込まれた。
ここまでした能力者の顔を私は鮮明に覚えている。
絶対に見つけ出して……
そこで言葉は止まっていた。
そして次のページには、
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す
そんな言葉でぎっしりと埋め尽くされていた。
湖后腹はさっきとはまた違った恐ろしさに目をそむける。
(これは、“元”アヴェンジャーのクイーンって奴が書いたもんなのか……?)
3/25
私はあの能力者を見つけ出すため、『アヴェンジャー』を結成し、各地で能力者狩りを始めた。
情報はあまり集まってこない。
だが『奴』から受け取っていたこのキャパシティダウンさえあればどんな能力者だって潰せるから心配はいらない。
すぐに見つけ出して、息の根を止められるはずだ。
……
4/9
ついにあの3人組の能力者をひっ捉えた。
このクズどもは凝りもせず『無能力者狩り』を行なっていたらしい。
すぐには殺さない。タップリと地獄を味あわせてから最後に惨たらしい殺し方をしてやる。
それからは延々と拷問の記録が書かれ続けていた。湖后腹はそれをまともに直視できない。
『むにゃむにゃ……ごめんなさい形製さん……今日も遅れまふ……』
そんな時、隣りで一厘の寝言が聞こえてきた。その気楽さに羨ましく感じながらも、少し和んだ湖后腹はなんとか続きを読む。
4/19
今日、ついに三人組の中の一人が死んだ。死体はとりあえずそのままにしておいた。
ああ、なんて今日は気分がいいのだろう。
……
4/20
私は久々に能力者狩り以外の用事で外に出た。とても日差しが気持ちい。
きっと、天国の赤ちゃんが私によくやったといってくれているのだろう。
そのままブラブラしていると私は二人の少年に声をかけられた。
一人は小学生の少年。もう一人は黒と金のツートンカラーの髪が目立つ高校生ぐらいの男だ。
小学生の少年が言うには、なんでも『わるいやつらにさらわれたオネエちゃん』を探してるだとか。
私はそれとなく少年とその姉の名前を聞いてみた。
私はここに戻ったら大爆笑した。何故ならその少年が探している姉とはつい昨日ぶっ殺したクソアマだったんだもん。
ザマァみろ。
……
4/29
最近『暴食部隊《マンイーター》』とかいう組織が私達のことを嗅ぎまわってるらしい。
もしも戦闘になったとしたら、こちらには大きな被害が出るだろう。
そろそろこの隠れ家を変えて違う学区に拠点を移したほうがいいかもしれない。
……
5/6
新しい拠点となる物件を探すため私はまた外に出かけた。
すると数日前に出会ったあの二人の少年にまた出会ってしまった。
偶然にしてはでなにかうま過ぎないか。
……
5/13
ついに次の拠点が決まった。
明日の午後7時に出れるよう準備で忙しい。
そして、拷問してた残りの二人も昨日ようやく死んだ。
引越し前に余分なゴミが消えて嬉しい。
……
5/14
まさか今日、能力者の襲撃に遭うとは思はなかった。おそらく下の階は地獄と化している。
今隠れながらこれを書いてる間にも六人の襲撃者は私を殺そうと躍起になって探しているんだろう。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ 嫌だ、
嫌だ、 嫌だ、 嫌だ 嫌だ嫌だ
死に たく
は
な
い
そこから先は、何も続きが書かれていなかった。
五月の十四日と言うと、アヴェンジャーが潰されたとされている日。
この日記と一致していた。
「何なんだよこれ……」
湖后腹は気味が悪くなって、日記を閉じようとした時。
最後の日が記されているページをよく見ると、靴に踏みつけられたような跡が残ってることに気づいた。
本来ならそれだけの話で済むのだが、この靴の跡はどこかで見た覚えがある。
と、いうより。
「――――!!」
湖后腹はとっさに自分の靴の裏側を見る。
そう、この靴の跡は、風輪学園指定のローファーのものだった。
ここに来て大きな手がかり。
そしてクイーンの残した『私達は名を奪われた』というのは――――
(そうか……そうか、そういうことだったのか!!)
湖后腹は立ち上がると、近くで寝ていた一厘の身体をさする。
「起きてください一厘さん! わかりましたよ “元”アヴェンジャーと今活動しているアヴェンジャーの繋がりが!」
「ん~~……むう?」
一厘は寝ぼけまなこで湖后腹を見つめると、
「もうどこ行ってたのよ~~、私の『ハグハグくまさん』~~」
ベッドに押し倒す様な形で思いっきり抱きついてきた。
『ハグハグくまさん』とは今女子の中で流行の抱きまくらで、それを湖后腹と勘違いしているらしい。
「え!!?? ちょ、ちょっと何やってるんですか!?」
湖后腹はそれをすぐ引き離して考える。
これは単なる寝ぼけなのかそれとも、
(もしかして……)
一厘からほのかなアルコールの匂いが香ってきた。
まさかと思い、先ほど飲んでいたオレンジジュースを確認すると
「……これ、チューハイじゃねえか!」
急いで中身を破棄して一厘の様子をもう一度確かめる。
「う~~ヒック。あれ……空がなんか、回ってるよ?」
その姿はやはり寝ぼけているというより、酔っているといった方が正しかった。
チューハイがいくら酒の部類に入ると言っても焼酎などと比べてはアルコール度数は数%と明らかに少ない。
それをコップ半分程度飲んだところでここまで酔うとは、どれだけお酒に弱いのだか。
「はあ……どうしたものか」
さっきまでのシリアスな雰囲気から一転。すっかりと空気が変わってしまった。
これじゃわざわざ話しても一厘は覚えてはいないだろう。
「仕方ない……ここはあの人に」
だから、湖后腹はある者に電話をかける。自分の支部のリーダーたる破輩に。
何度かのコールのうち、ようやく電話がつながった。
『もしもし、どうだった湖后腹。何か分かったか?』
「はい。“元”アヴェンジャーの隠れ家からある物を見つけました」
『なんだそれは?』
湖后腹は話す。
壁に埋まってたフォトアルバムと、日記帳のことを。
そして、その内容も包み隠さずすべて伝えた。
『なるほど……で、それが今この学園ではしゃいでる、アヴェンジャー《バカども》と何が関係してるんだ?』
「それは、足跡ですよ」
『足跡?』
「日記の最後のページに、誰かが踏みつぶしたかのような跡が残っていました。その足跡は風輪学園のローファーと同じ型だったんです」
『!!』
破輩の驚愕する顔が電話越しにも伝わってきた。
「そしてクイーンの残した言葉『私達は名を奪われた』とは、つまり……」
湖后腹が結論を言う前に、破輩が口を開いた。
にわかに信じがたいので確認のため自分が言いたいといった感じで。
『要するに、“元”アヴェンジャーを潰したのは風輪《うち》の生徒で、その目的は『アヴェンジャー』という名前を奪うため。そして、今その名で私達の学園を荒らし回っている……ということか』
「そうです」
『可能性としては無くはないが……私は自分で見たものしか信じないからな。明日にでもその二つ見せてくれ』
わかりま……、と言い掛けて湖后腹は口を止める。
「明日……ですか? どうせ俺今から支部に戻るんで、今日中に目を通したほうがいいんじゃないですか?」
『はぁ? 今何時だと思ってる? 私はとっくに寮に戻ってるつーの!』
湖后腹は携帯で時間を確認すると時刻はもう十時を過ぎていた。
確かここに来たのは八時。もう何だかんだで二時間が経過していた。
「げっ!! もうこんな時間っすか!? やっべ……バスあるかな」
『安心しろ、塾に通ってる生徒のために夜でもバスが通ってるところはある。それに第七学区をまたぐことになるが、走って帰ることもできるだろ』
「走って……って、何時間掛かるんですか!? いいです、今からバス停に行くんで!」
湖后腹は持ってきたバックの中にフォトアルバムと日記帳を詰め込み、身支度をする。
『そう言えば、一厘はどうした。お前と一緒同行してったんじゃないか?』
「ああ、一厘さんなら――――」
湖后腹は急いでたので、現状のままを破輩に伝えてしまった。
それが、大きな誤解を招くとは気づかずに。
「俺の隣で寝てますよ」
返事はしばらく返ってこなかった。
「……あれ、どうしたんですか破輩先輩?」
『湖后腹……ことと場合によちゃあ、お前を務所にぶち込まねえといけねえかもなぁ……』
破輩の、背筋まで凍るかのようなドスを利かせた声が耳元に響く。
そこで湖后腹は初めて自分の失言に気づき、
「え、いやいやいや!! それは誤解です!!」
『明日会うのを楽しみにしてるよ? ……その時じっくりとお話しようか。湖后腹君』
その呟きを残して電話は切れた。
ツーー、ツーー、ツーーという電子音がやけに長く聞こえる。
「あぁぁぁ!! 最悪だ!! 殺される、まじで破輩先輩に殺される!!」
壁にガンガンと頭をぶつける湖后腹。
その音で酔いから覚めた一厘が飛び起きた。
「ん……なにやってんの湖后腹君…… ――――って、もうこんな時間!? なんで起こしてくれなかったのよ!」
「ええい、誰のせいだと!! とにかくここからさっさと出ますよ!!」
湖后腹は半ばヤケクソ気味に部屋を飛び出す。
「ええっ!? ちょっと、待ってよーー!」
それを追いかける一厘。
夜空の下、二人の男女がバス停をゴールとする追いかけっこを繰り広げる。
すれ違う者たちからは『爆発しろ!』なんて声が嫉妬混じりで聞こえてきた。
こんな状況にどこに妬む要素があるといのか、と湖后腹は考える。
「ちくしょーー!! ああ、もう最悪だーー!!」
そう、湖后腹にとってこの状況は“不幸”のなにものでもなかったのだから。
次の日、湖后腹は破輩のよって徹底的に制裁《おしおき》された。
本当ならば一厘が弁明してくれるはずだったのだが、飲んだ酒によりその日は二日酔いでダウン。
携帯にすら出てくれなかったので、確認のしようがなかったとか。
最終更新:2013年02月18日 00:30