アナトーリー・バランケヴィッチ

アナトーリー・バランケヴィッチ(1959年12月10日~)



南オセチア共和国の軍人、政治家。安全保障会議書記。前国防・非常事態相。中将。

経歴


カリーニングラード出身。1977年、ウスリースク・スヴォーロフ軍事学校、1981年、極東諸兵科共同指揮学校、1989年、フルンゼ名称軍事アカデミーを卒業。

シベリア軍管区、アフガニスタン、駐独ソビエト軍集団、沿ヴォルガ及び北カフカーズ軍管区で勤務。第1次及び第2次チェチェン戦争に参加。

2004年6月、大佐の階級でロシア連邦軍を除隊。同月、南オセチアに去り、エドゥアルド・ココイトゥイ大統領の命令により、イブラギム・ガセーエフと交代で国防相に任命。

グルジア当局がツヒンヴァリ封鎖を試みた2004年夏のオセチア・グルジア紛争時、バランケヴィッチは、和平合意の侵害と大規模武装衝突の挑発の試みでグルジアを再三非難した。

2005年、ココイトゥイは、バランケヴィッチに中将の階級を授与した。

2006年9月3日、南オセチア防空軍により、グルジア内務省のヘリが銃撃された。後に、ヘリにはグルジア国防相イラクリー・オクルアシュヴィリが搭乗していたことが明らかになった。この事件について、バランケヴィッチは、自衛目的でヘリに発砲したと表明した。バランケヴィッチは、ヘリが南オセチア領空を侵犯したとマスコミに語った。バランケヴィッチは、南オセチアの防空兵が機関銃で銃撃され、その後、南オセチア側が報復射撃を行ったと強調した。

2006年12月12日、安全保障会議書記に任命。
最終更新:2008年10月01日 21:43
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。
添付ファイル