アナトーリー・ザイツェフ(1947年12月20日~)
経歴
モンゴル人民共和国チョイバルサン市の軍人一家に生まれる。彼の母方の祖先は、アブハズ系である。軍学校入校まで、ザバイカルに在住。
1969年、ブラゴヴェシチェンスク戦車学校、1979年、装甲戦車兵アカデミー、1991年、ロシア連邦軍参謀本部アカデミーを卒業。
戦車小隊長から軍管区参謀長までを歴任。極東、ザバイカル及びウクライナ、ドイツ及びチェコスロバキアで勤務。在シリア主任軍事顧問だった。ロシア連邦軍では、中将まで昇進し、最後の職務は、ザバイカル軍管区副司令官だった。
2003年12月、ロシア連邦軍退役後、アブハジア市民権を取得し、同国政府から軍務に招聘された。2004年6月、国防次官に任命。2005年3月、アブハジア共和国軍参謀総長となった。
ザイツェフの意見によれば、特にアブハジア住民の大部分が
ロシア連邦市民であることを考慮すれば、アブハジアと
グルジア間の安全と軍事行動の停止の最良の保障は、ロシア平和維持軍のアブハジア領土駐留である。彼はまた、平和維持軍が撤退した場合、アブハジア軍と沿ドニエストル及び南オセチアの義勇兵が国境線を占めるとも語った。
パーソナル
赤星勲章と「武勲に対する」勲章を受章。その外、アブハジアの三等「アヒズ=アプシャ」(名誉と栄光)勲章を有する。
最終更新:2008年10月01日 21:33