ムラート・スタリノフ(1963年4月26日~)
経歴
フルンゼ市出身。
- 1980年9月~1984年9月、ソ連内務省(MVD)カラガンダ高等学校聴講生。
- 1984年9月~1986年6月、アダメジンスキー地区内務課取調課の取調官。
- 1986年6月~1987年12月、アルマ・アタ州内務局カスケレンスキー地区内務課の取調官。
- 1987年12月~1989年7月、レーニンスキー地区内務課捜索局捜査係。
- 1989年7月~1991年2月、フルンゼ市内務局捜索局組織犯罪課先任捜査係。
- 1991年2月~1993年4月、ビシュケク市内務局刑事捜索課組織犯罪課の班長。
- 1993年4月~1996年10月、オクチャブリスキー地区内務課副課長。
- 1996年10月~2000年4月、内務省組織犯罪対策局副局長。
- 2000年4月~2001年3月、ビシュケク市内務局副局長。
- 2001年3月~2002年11月、チュイ州内務局長。
- 2002年11月~2003年8月、内務省刑事捜索総局長。
- 2003年8月~2004年1月、オシ州内務局長。
- 2004年1月16日~2005年3月23日、大統領府国防・安全保障問題課主任。2004年8月21日、民警少将に昇進。
- 2005年3月23日~3月24日、検事総長。
- 2005年3月~5月、内務省の管轄下。
- 2005年5月17日~2006年10月6日、内務相。
- 2006年10月6日~2007年2月7日、国家保安庁長官。
2007年2月6日から国家保安委員会議長。
パーソナル
父のアブドゥベクは、元キルギス共和国内務相。
前妻のグリナラは、元ソ連内務省カラガンダ高等学校長シェルニヤズ・マキンの娘。2男1女を儲ける。後妻のグスリツカヤとの間には、2男(トドール、カイウル)がいる。
「組織犯罪に関する優れた勤務に対する」メダル、一等「クジュルマン・キズマト・オトゴンドゥグ・ウチュン」メダルを受賞。
最終更新:2007年12月25日 21:25