CNN LARRY KING LIVE
真の男◆クリント・イーストウッド総合スレPart6◆真の漢
ID:CthPjuQZさんが日本語訳をしてくれました。ありがとうございます。

超有名司会者ラリー・キング(LK)対クリント(KE)

「硫黄島からの手紙(以下手紙)」は最近全米批評家賞を獲得。
昨日はロサンゼルス批評家賞を獲得しましたが、感想は?」
KE: ポジティブに受け止めてる。
LK:驚きました?
KE: ええ、いつもの様に。
私は映画を作って、それが何とかものになった事だけでいつも驚くんです。
自分の映画を見に来る人がいるなんて思いもしないし。
ただ作ってその結果が満足であれば、それでいい。
それに完成してしばらくは頭の中が真っ白でー
LK: それでこの映画の場合(言語不明瞭)
CE: 誰かが飛びついて、気に入ってくれたら、それで十分。
LK: どうしてこの題材を選んだんです。硫黄島に関して2本も映画を作ろうなんて
CE: それは、まず最初にジェームス・ブラッドレーの原作を読んで、映画化に興味を持ったけど、
既にドリームワークスに買われてて、そこで数年眠っていたらしい。
そしたらある晩スピルバーグに呼ばれて、この映画の監督をする気がないかって誘われたんだ。
その時脚本らしいものは完成してたんだが気に入らなくて、色々練り直しているうちに、
日本側の方に興味を持った。
  この戦いは海兵隊の歴史を変えただけでなく、栗林という中将に率いられた非常に珍しく、
かつ困難な防衛が展開されていた。
だからその方も作ってみようと思ったんだ。
LK: でもどうやって、例えば日本語しか話さない俳優を監督出来たんです?
CE: どんな言語を使おうと、良い演技はわかります。
それに私は渡辺謙をはじめ考えうる最高のキャストを得られました。
彼の作品を何本かみて敬愛してたんです。
LK: 彼が中将を演じたんですね?
CE: ええ、彼が中将役で。他の俳優もオーディションで選びました。
  フィーリングで出来るかどうか、わかったし、万全を期すために
  常に通訳が脇についていてくれました。
LK: 本当に正直に言って、2本の映画とも最高の出来でした。
「手紙」はオスカーの最有力と言われていますね。
貴方にとってもう一つ追加になるのでしょうが。本当に素晴らしい映画でした。
貴方がこの題材に夢中になった意味がわかりましたよ。
CE: 分かるでしょう。取り掛かり始めたら、誰もが引き寄せられる様な題材で。
あの小さな島を必死に守る人々にひかれてしまう。
ある特定の時代に、まったく勝ち目のない過酷な戦いをする場所に送られて
しまった人々の話です。
LK: 日本軍にはまったく勝つチャンスが無かったのですね?
CE: 明らかに彼らはそう感じていました。
彼らはただ米軍を本土や、沖縄に侵攻させない為にだけで、必死に島を守ったのです。
結果的には侵攻されてしまいましたが。
しかも彼らは圧倒的に装備が足りなく、島には水も、食料も何も無い。
貯蔵したものがすべてで、敵が上陸すれば補給さえ不可能な島なのです。
LK: 硫黄島はなぜそんなに重要だったんです?
CE: それはマリワナ諸島と日本を直線で結ぶ位置にあったからです。
  その頃製作された攻撃機B29は優秀なものでしたが、エンジンに問題があり、
途中でー
LK:母艦が寄港できる所が必要だった。
CE: 上陸地が必要で、だから日本軍は本土を爆撃されない為と、レーダーを阻止するために、
そこを死守する必要があったんです。
もしそこでレーダーを妨害すれば、日本軍は、2時間半位、先に
攻撃する事が可能だった。

LK:視聴者からの質問で、俳優から監督に転身した時、誰から監督術を教わりましたか?
とありますが?
CE: 私は38年前に俳優から監督業に転向しましたが、その頃にも偉大な監督がいましたし、
今でも周りの監督すべてに教わっています。
ですが、ルーツといえばやはり、ジョン・フォード、ハワード・ホークス、
プレストン・スタージェスをあげるべきでしょう。
  初期のアメリカ人監督と、あと一寸皮肉かもしれませんが黒澤明監督に多大な影響を受けました。
黒澤は私のキャリア・アップに間接的に貢献した監督と言ってもよく、私は日本のサムライ映画の
リメイクでスターになったと言ってもいい位なのです。
LK: そうでしたね。
CE:だから私は初心に戻ってこれから日本映画を作ろうと思っています。
LK: また俳優に戻る気持ちはあるの?
CE: さぁ分からないな。
1970年に監督した映画で主演もしたんだが、どうも画面に映る自分の姿が気に入らなくてね。
  カメラの後ろに立つことはできるかもだが、見かけはねぇ、どうかな。でも分からない。
  もしかしたら凄いいい役のオファーが来て、すぐに飛びつくかも。
  でも最近は、あんまり演じてみたいいい役が無くてね。年齢とかでなく。
  それに、まぁ今はギャラを得るために演じる必要も無くなったし。
LK: でも監督は76歳だよね。
CE: ええ。
LK: 引退する気は無い?つまりもうお金の心配は無い訳だし。
CE: どういう訳か一度もそんな事を考えた事が無いんだ。
たぶん38年前に監督をはじめたとき、たぶんいつかは引退するだろうと思ってたし、
俳優はどこかで辞めるだろうと思ってた。
だけど色々な事情で今の様な形になってるんだ。
  それに仕事をしている最中は自分が何歳なんて考えもしないから。
LK: 今日のゲストはクリント・イーストウッドさん。「手紙」はこの金曜封切りだっけ?
CE: 来週の水曜封切りですよ。今から1週間後です。(CMブレーク)

「父親たちの星条旗(以下星条旗」の予告編が流れる。

LK: 今お見せしたのは「星条旗」の一場面で、これに続いて「手紙」が製作された訳です。
「星条旗」で、硫黄島にまつわる話が戦争キャンペーンに利用されたと聞いてショックを受けましたか?
CE: ええ、いや、ショックは受けなかった。
私自身(キャンペーン)それは素晴らしいアイディアだと思いました。
ただ映画で描かれたのは、あまりに多くの期待を寄せらえれ3人の若者がどんなに
  辛い思いをしたかなのです。
3人の中の1人しか比較的幸福な人生を送れなかった訳ですから。
  あの時代あのアイディアを考えだしたのは誰か知りませんが、3人の兵士を呼び戻して、
宣伝に使うのは賢かった、なぜならあの有名な写真では、誰が誰だかわからなかったんだから。
誰でもいい3人を選び出して、旗をあげた兵士と、ごまかしても良かったんだ。
だが、あの3人が呼び戻され、英雄になった。
その中にインディアン系のアイラ・ヘイズがいた。
それでなお更都合のいいイメージが出来上がったんだ。
民衆の心をつかむのにちょうどいい取り合わせだった。
LK: 監督したい作品を選ぶ基準は何?
CE: ただ直感だけだ。
脚本や原作を読んで、まず最初にOK、自分はこれをやりたいのか? 自分が出来る役割はあるか?
って考えるんだ。
  OK,これには無い。それでも監督したいのか、これから何か生み出されか?って自分に問いかけるんだ。
  本の中には素晴らしい物があっても、何か自分としっくり合わないものがあればパスする事にしている。
  だが、先ごろの2本の映画のホンはいきなり心臓を鷲づかみにされた感じがした。
つづけざまにやられたんだ。「ミスティック」は素晴らしい原作にやられ、「ミリオン」も凄くて、
ほとんど同時進行位の勢いで作り上げていった。
その頃は1日も休まない位だったよ。
LK: 「ミスティック」は本当に素晴らしい映画だった。
信じられない位凄かった。
CE: ええ(不明瞭)

LK: しかも予算以下で仕上げたんだって?
CE: ええ、しかし
LK: 貴方は本当に何をすべきか分かってる。
予定通りに撮影を開始し予定とおりに撮影を終える。しかもくだらん映画は作らない。
CE: それは分からないけど。まぁ予算以内に作ろうとは努力してる。
  時々予算よりずっと安く仕上げる事もある。
出資者に自分が出来ると宣言しちゃってるからね。
  それに、映画によっては楽なものがあるし。
それに私の製作会社マルパソは優秀なスタッフぞろいだし、どの位のコストで出来るか
  正確な数字を即座に出すことが可能なんだ。
LK: 西部劇はもう作らないの?
CE: それは、ねぇ。
私は92年に「許されざる者」を作って、それが最後だと思ってた。
テーマとか、語り口とか、もうこういうジャンルは終わりだと思ったんだ。
  でも誰かがイメージが湧く様な脚本を書いてくれたら、西部劇のジャンルとはまったく違う
ユニークなホンがあれば、やってみるかも知れない。
  たぶん最後の仕事になるかもだが。
  で、今の時点ではたぶん無いだろうな。
でも誰かが目を見張る様なホンを書いてくれたら、手がけないでもないけど。
LK: 貴方には7人お子さんがいますよね?
CE: ええ。
LK: それぞれ何歳です。何歳から何歳まで?
CE: 貴方も子沢山で有名でしょ、確か
LK: 50、47、39の三人と、7歳半、6歳半、それに25歳の義理の息子がいますよ。
CE: 私のは10歳か11歳から52歳まで。

LK: 共通点がありますね。
76歳で10歳の子供といるのはしんどくないですか?
CE: 全然。気に入ってる。
自分が歳をとってよかった事は、前より物事に忍耐強くなって、物事をより楽しめる事なんだ。
この経験は本当に素晴らしいものだよ。
LK: 結婚生活も楽に過ごせる様になった?
CE: ええ、多くの人に勧めたいんだが、出来れば結婚は出来るだけ遅らせた方がいいね、
その方が自分自身や、周りの事をより深く考えられる様になるからね。
LK: 演技する時は自然体ですか。どっちかというと地味な演技方法ですよね。
CE: 自分では自然かどうか分からない。
みんなで話し合ってるんだが俳優は生まれつきなのか、作られるものかってね。
私が思うに、それはコツを覚える事じゃないかと思うんだ。
演技を学ぶ必要は無い。自分で学べるから。
その上で色々な演技コーチが指導もしてくれる。
もっとも大事な事は観察することだ。
他の俳優の動きや、人々の行動、地下鉄でも電車でもクラブでも、市場でも人々の行動を観察する事だ。
そうすればさまざまな性格の人々の行動を再現できる様になる。
LK: メル・ギブソンの新作についてはどう思いました。映画は見ましたか?
CE: いや、まだ見ていない。
LK: かなりヴァイオレントな映画でしたよ。
CE: まだ見ていないんでね。
そういう批評も耳に入ってきたけど、あの時代がそうだったんじゃないかな。
よく分からない。見るつもりだけど。
LK:マヤ文明が主題で。
CE: ええ、本は私も読んで気に入ってる。
でも私自身はマヤ文明にあまり関心がないんで。
LK: それとは別に最近彼に起こった様々な事件に関しては?
CE: まぁ色々言われていたのは知ってる。
LK: ええ
CE: 私自身は、飲酒運転で誰も怪我をしなくて良かったと思ってるが。
  彼も映画界に多大な貢献をしてきた男だ。だから今はただ前進しようと思ってると思う。
明らかにそう努力している様に見えるが。
LK: 監督としてどう思います?
CE: もちろん。優秀な監督だ。最新のを見ていないが、非常にいい出来
 だというのも聞いている。
(CMブレーク)この後は対談に渡辺謙が加わります。

[硫黄島からの手紙」の予告編が流れる。
LK: 「手紙」はすでに主要映画賞の二つを獲得しています。
クリントもここの残ります。
さぁ、「手紙」で栗林中将を演じた渡辺謙さんをお迎えしましょう。
彼は「ラストサムライ」でオスカー助演賞にノミネートされた俳優です。
クリント、渡辺はどうやって選んだんです?
CE: 謙の起用はすぐに決まったよ。
「ラストサムライ」も見たし、他の機会でも彼を見て、ファンになってるんだ。
非常にロジカルな理由があるんだよ。彼はスクリーンで映える顔をしてるし、
堂々とした体格で、私が心から敬愛していた三船敏郎に似てるんだ。
  彼は三船の再来と言ってもいい俳優じゃないかな。
LK: 謙、君のほうは、すぐ映画のアイディアが気に入ったの?
謙:はい、最初に「星条旗」の話を聞いて。
それで日本軍の歴史なんかを、この映画の前に調べたりしてたんです。
硫黄島の話は全く知りませんでした。
  それで日本のエージェントと通じて、その映画の日本兵か日本の将校役が無いか打診してもらったんです。
でも「星条旗」では役はもらえませんでした、残念ながら。
CE: そうだったね。
謙:それで今度は監督が「手紙」も監督すると聞いて。本当に嬉しかった。
  でも、日本の俳優として僕には大きなプレッシャーがありました。
  それは日本の暗部といってもいい話で、僕の役は島で部下を皆殺しにしなければならない
指揮官という役でしたから。
LK: 彼にとっては大変だったろうね。日本軍の映画をアメリカ人が監督するとういのだから。
CE:でも謙は非常に素晴らしい反応を示してくれましたよ。
でもこの映画に出演する俳優たち、すべての日本人俳優が、
謙自身も話すと思うけど、誰も硫黄島の話を知らなかったんだ。
学校では教えられていなかったし
LK: 教えてないの?
謙:いいえ
CE: 現在の学校ではね。
謙:全く教えられていなかった。
LK: 情報が全く無かったんだ。
CE: だから手探りで進めていったんだ。
謙の役を最初に撮りながら、同時に色々なリサーチを進めていった。
彼はものすごい量の資料を集めて猛勉強してたよ。
栗林に関する事はすべて集めたが、十分な資料は無かった。
でも謙は絶え間なく資料を読みつくし、栗林の生家や暮らしていた場所を訪ねる事までしていたんだ。
LK: 彼は中将の役を誰にでも好かれる様な人格者として演じてましたね。
CE: その通り。
LK: つまり彼は
CE: それは、栗林自身が素晴らしい人物だったんだ。
私が最初に読んだ本は彼自身が書いた本だった、というか彼が息子や娘や妻にあてて書いた手紙だった。 1928年から30年まで特使としてアメリカに滞在していた頃の手紙なんだ。
  彼はアメリカで仕事をし、アメリカで英語を学んだんだ。
だから、彼が故郷に向けて書いた手紙を読むと、彼はどこにでもいる普通の父親だった
と言うことがよくわかるんだ。
LK: そう。
CE: どんな文化が背景にあろうと、その手紙を読んだとき、私は彼が実際にどんな人物だったかを
多くの人に伝えたいと、心から思ったんだ。
LK: この映画を見て、監督にも謙にも言ったんだが、謙は若き日のグレゴリー・ペックの様で、
完全に画面をコントロールしていたって。画面が彼のお陰で生き生きしてくるんだ。
CE: 若き日のグレゴリー・ペックねぇ。
LK: クリントに監督されてどうだった?
謙:実は撮影に入る前は、タフで強い人のイメージを抱いてたんですが、
実際は非常に穏やかで暖かい人柄でした。
彼は俳優のフィーリングを知っていて、彼自身も俳優なので、我々を信頼してくれ
  僕自身がやりたい様に性格作りをする様に言われ、日本語のせりふも僕たちにまかせてくれたんです。
  ええ、それに、彼は全く心配してませんでした。どんな会話をするなんて全く心配してなかった。
なので性格作りに没頭することが出来たし、非常に気持ちよく演技が出来たんです。
LK: 君自身は中将が好きでしたか?
謙: それはイエスでもありノーでもあります。彼は過酷な運命を負わされた人だった。
それに、私自身もアメリカで仕事をした事があるので、彼の気持ちが少しは分かると思います。
でも幸せな事に今私は米国と戦争したいとは思わないので。
LK: 無いだろうね。彼を監督するのは楽しかっただろう。
CE: 全くその通り。素晴らしいかった。
彼は驚くほど完全に準備を終えてきていたし、その点で言えば他の俳優全員がそうでした。
  私は常々、キャスティングさえ上手くいけば、自分自身を非常に有利な地位に置けるのでは、
と考えていたので、あんまり上手くは言えないけど。
  つまり損害を減らすため両賭けするみたいなもので、まず優秀な人材を集め、役にぴったりした
優秀な俳優を集めれば、後はほとんど賭けに勝てる様なものなんだ。
  それに、日本人俳優全員が素晴らしい熱意をもってこの映画にとり組んでくれたんだ。
ほとんど何もない所から、歴史を学んだり、素材を調べたりするのもまた得がたい経験だった。

LK: 素晴らしい映画ですよ、クリント。最高の結果を祈ってますよ。
CE: 有難う。ラリー。
LK: 謙、君にも会えて嬉しかった。
謙:有難うございます。
LK: 君は素晴らしい俳優だよ。
CE: その通り。
LK:「手紙」で渡辺謙は、再びオスカーにノミネートされるでしょう。
  このクリント・イーストウッドの素晴らしい映画「手紙」は来週の水曜日、
  12月20日にロサンゼルス地区で公開されます。
最終更新:2006年12月20日 14:13