小倉昌男(ヤマトホールディングス)

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    氏名        所属        職種        社会人経験年数   
  小倉昌男    ヤマトホールディングス 代表取締役社長/代表取締役会長 1948~1995 47年


経歴・業務内容

東京大学経済学部卒業後、父小倉康臣が経営する大和運輸に入社。肺結核にかかるも、当時としては奇跡的に回復し、静岡県の子会社の再建を手がけたのち本社に復帰し、1961年取締役となる。父の跡を継ぎ代表取締役社長に就任するが、オイルショックにより低迷していた業績回復のため『宅急便』の名称で民間初の個人向け小口貨物配送サービスを開始する。配送網を全国に拡大し大手運輸会社に発展する基礎を築いた。1987年、代表取締役会長に就任。

仕事への姿勢/考え方

小倉昌男の経営方針は実に消費者の利便性の向上、従業員の幸せや社会への貢献を意識したもの。消費者の暮らしを便利にしたい、社会を豊かにしたいという真心が大いにこもっていた。当時は、一般個人が荷物を送るのは大変不便な世の中であった。そこに興味を示し、単に金儲けのために企業を興したのではなく、コストをかけても質の高いサービスを利用者に提供するべく、利用者の立場で考え“サービスが先、利益は後”という合言葉を持って、小倉昌男の宅急便事業が発進した。さらに、長期的に見通す経営戦略を考え、論理的に考えていく重要性を持っていた。企業は財やサービスを社会に貢献するだけではなく、雇用の場も提供していく社会的存在であることを強調し、顧客や取引先、従業員などの関係者に対し常に公正である姿勢を貫いた。

今後の目標

荷物を運んで荷主に直接送り届けるドライバーに目を向け、やる気を引き出すため、社員全員で情報を共有して全員経営を目指した。同時に、当時は関東のみであった配送網を全国へと広げ、全国ネットワークの構築や情報システムの整備、集配車両の開発などを通し徹底した業態化を推し進めた。温度管理を取り入れたクール宅急便、ゴルフ宅急便などサービス内容を拡充させた。



感想①

企業を興すにあたって、当時の社会を見つめ何が不足しているのか、どうしたらよりよい生活ができるようになるか、といった社会貢献の姿勢をもった視点を身に付けたいと感じた。自分が好きなことを職にしたいと思う人が多いと思っていたが、中には小倉さんのような考えを持った人もいることに心打たれた。そういった視点が、利用者に対してだけでなく従業員や株主などの関係者に対しても潔白で公正な態度をとることを可能にし、人をまとめる立場になれたのではないか、と思った。

感想②

経営者として、「サービスが先、利益は後」ということを合言葉にし、消費者の暮らしのため、社会のために自分の主張を貫き、「真心がこもっていた」と周りの人からはそれが認められていることがとてもすばらしいと思った。自分の利益だけでなく、従業員や地域にも利益をと考えてそれを行動に移し妥協しない。そんな経営者だからこそ社員もついていき、そうして会社全体でよりよい会社として発展させていけたのだと考えた。私もそんな芯の強い人になり、まわりから信頼される人になりたい。

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最終更新:2017年02月22日 14:35
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