氏名 |
所属 |
職種 |
社会人経験年数 |
松田丈志 |
コスモス薬品 |
日本競泳選手 |
7年 |
経歴 ・業務内容
宮城県延岡市に生まれ、東海スイミングクラブというビニールハウスでできたプールという過酷な練習環境からうまれた選手。東海スイミングのコーチである久世由美子コーチとともに2012年ロンドンオリンピックまで活動してきた。今は久世コーチの元を離れ、平井伯昌コーチの元で選手をしている。
2003年に中京大学に入学。2007年にミズノスイムチームとしてミズノに入社。高速水着の問題からミズノ社とは契約を切り2008年にレオパレス21と契約し2009年に契約満了。2010年にコスモス製薬と契約。
やりがい
仕事への姿勢/考え方
つぎはぎだらけのビニールハウスからオリンピック出場を果たして述べる言葉は「決して恵まれた環境ではなかったけど、その分工夫して自分を磨いてきた」。また「長いものに巻かれると自分の価値は半減する。環境がそろったところでは頑張れない気がした」と大手スイミングクラブからの契約の申し出を断った松田。幼い頃から過酷な状況で進んできた松田は厳しい状況でこそ自分は力を発揮するとして弱みを強さに変えてきている。
転機
私生活
今後の目標
「五輪を目指すことが大変なのは重々分かっているが、可能性を探らないと見えてこない」と話し、ロンドン五輪を終えても現役続行を述べた。今後は今までマンツーマンで歩んできた久世コーチの元を離れて北島康介や中村礼子など多くの選手を育ててきた平井伯昌コーチの元で指導を受ける。そこでの挑戦について松田は「やる限りは上を目指さなければ周囲も納得しない。シビアに勝負するならば、海外へ行くより日本で日本人のコーチに見てもらう方がいいと思って。そうなった時に平井先生しか思い浮かばなかったんです。金に届かなかったのは何なのかというのを考える上でもそうだし、自分が今まで思ってもいなかったアイデアとか、考えてはいたけど確信が持てなかった部分を平井先生とうまくリンクさせていけば面白くなると思いましたね」と述べる。また、平井コーチが東洋大にチーム平井を作ることについても「世界のトップを目指すチームがあって、そこで日常的にやれるというのは僕にとってもすごく魅力的だし。これから社会人選手が増えてくるだろうから、そういうチームが日本に何チームかできて、互いに切磋琢磨できるようになれば、日本水泳界にとっても良いと思いますね」と述べている。今後世界で戦うことをあきらめるようになるまでは戦い続けていくのだろう。
感想①
どんな過酷な状況でも強く強く戦い続ける松田選手の姿に胸を打たれた。競泳は自分とのたたかいがとても多い競技で、かつ、バタフライは他の種目と比べても一層つらいものだ。その環境をコーチと二人三脚で乗り越えてきた松田選手。今後平井コーチの元でどのように変化していくのかファンとしてもとても楽しみである。またこのような生き方にはあこがれを感じるため自分のこれからに活かしていきたいと思う。
感想②
過酷な状況で進んできた経験から、厳しい状況でこそ力を発揮するというのがすごいと感じました。わたしはすぐに諦めてしまうので、ストイックに行う松田さんを見習いたいなと思いました。
感想②
仕事への姿勢/考え方や今後の目標を読み、わたしとは全然違う人だなと感じました。また、わたしはスポーツ観戦が好きで他のスポーツ選手の考え方を本やインターネットで読むことも多いのですが、いままでのどの選手とも違った考えを持っていて、その中に芯の強さが見えた気がします。今の自分足りないものは何か、これから自分の夢を実現させていくにあたって何をすべきかをしっかり考えて大学生活を過ごしていくべきだと感じました。
感想③
まず、松田さんの幼少期の水泳練習の環境について初めて知って驚きました。松田さんが設備が整っているとは言えない環境で幼少期に水泳に打ち込んできていたことを知って、水泳に対するやる気と情熱の持ち方が普通の人よりもそうとう強いのが伝わってきました。過酷な環境で頑張ると言って、大手の契約を断ったのは、志の高さと、自らのスタイルを貫く気持ちがとても伝わりました。松田さんの水泳選手としてだけではなく、人間としての考えはすばらしいと感激しました。これからも、水泳の良さや魅力を多くの人に伝えて、水泳に携わっていただきたいと思いました。
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最終更新:2018年02月21日 13:33