氏名 |
所属 |
職種 |
社会人経験年数 |
出澤 剛 |
LINE(株) |
取締役 |
約17年 |
経歴/業務内容
1996年に早稲田大学政治経済学部卒業後、大手生命保険会社に入社。2002年、ライブドアの前身であるオン・ザ・エッヂに入社し、2004年執行役員副社長モバイル事業担当に就任。2006年6月、上級執行役員メディア事業部長に就任。2007年4月、旧ライブドア(現ライブドアホールディングス)から分社独立した新事業会社ライブドアの設立に伴い、代表取締役社長に就任。
翌年の2008年には、ライブドアポータル事業として初の通期黒字化を達成。 2012年1月、経営統合によりNHN Japan(株)取締役に就任。2013年4月、NHN Japan(株)はLINE(株)に商号変更、引き続き取締役として、「LINE」をはじめとした広告事業、ITサービスセンター事業を統括。現職。
やりがい
仕事への姿勢/考え方
公式アカウントやLINE@といったサービスも、あくまでも「ユーザーにとってメリットがあるか」という視点で企画、設計している。マネタイズの手法はいろいろあると思うが、あくまでもユーザーのニーズと使い勝手を優先しながら検証していく。
転機
私生活
今後の目標
ユーザーにとってLINEは「居心地のいい最良のコミュニケーション空間」であり続けたい。
感想 ①
今回、最初は誰のことについて調べようかと悩んでいたときに、ふっとかつて世間を騒がせたライブドアの社名が頭をよぎった。私がそれまで持っていたライブドアに関する知識はあの事件当時のままでとまっており、当時逮捕された「ホリエモン」こと堀江貴文氏が元取締役社長であった企業だったなということくらいしか知らなかった。彼が逮捕されたのち、会社は新生ライブドアとしてやりなおしていったというのは風のうわさで聞いてはいた。しかし、その後を託された新取締役は誰なのだろう。それから会社はいったいどのような道を歩んでいっているのかなど、一度考え出すとだんだんと気になり始めた。そこで私は今回この出澤剛氏についてまとめることとなった。出だしはまず出澤剛氏の名前すら分からなかったので、とりあえず様々な単語で検索をかけてみた。すると、彼はすぐにヒットした。堀江元取締役の逮捕以降、あまり世間では騒がれていないように個人的に感じていたため、後続でしかない彼についての記事がこんなにヒットしてくるとは正直思っていなかった。少し驚きながらもいくつかのサイトを閲覧してみると、出澤剛氏の経歴だけでなく、私が予想もしてなかった情報が目に飛び込んできた。
なんと、ライブドアは現在、若者達の間で広く利用されている「LINE」の運営会社、LINE(株)の傘下になっているという。(ライブドアがLINE(株)になったわけではなく、まず後に現在のLINE(株)と名前をかえることとなるNHN Japan(株)によりライブドアが株式が買収される形で経営統合した)現在では既にライブドアという組織は事実上消滅しているらしいが、彼らがそれまでやってきた事業はデータホテルという会社が引き継いでいるらしい。出澤剛氏はアプリであるLINEの開発にも大きく関わったようだ。
彼がライブドアの社員だったころ、堀江氏がおこした事件によってどれだけ絶望したことだろうか。少なくとも、元社長の逮捕によって自分のいる会社の立場が危うくなることは容易に予想できただろうと思う。しかし、彼はその後の会社の舵取りを任された。そのときの彼の重圧はどれほどのものだっただろうかと考えるといたたまれなくなった。それでもその重圧の中、上手いこと企業の舵取りをして会社を立て直していった。彼は強いなと感じた。私ならばおそらくそのようなことはできないと思う。普通の状況で企業を保っていくのも大変なのに、最悪の状況下で立て直すなど常人ではできないと感じた。彼はLINEの開発にも関わったと述べたが、おそらく今のLINEアプリの成功の裏には、彼の優れた手腕が働いていたのだと思う。逆境を乗り越え、多くの経験を積んできた彼がいたからこそ、ここまでLINEを成功させることができたのではないだろうかと感じた。
感想 ②
LINEを成功させた経営力や先見性は素晴らしいものだと思います。それ以外にもインターネットコンテンツを作っており、755が刑務所に入っていた時の囚人番号だと知ったときは驚きました。一度刑務所に入ったり、週刊誌にのったりとバラエティ性の強い人ですが、本当にすごい人なのでもっとこのすごさをたくさんの人に知ってもらいたいです。
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最終更新:2018年02月21日 12:14