氏名 |
所属 |
職種 |
社会人経験年数 |
岩田聡 |
任天堂株式会社 |
プログラマー、社長 |
31年 |
経歴
1959年 出生
1982年 東京工業大学工学部卒業
1982年 ハル研究所入社
1984年 ハル研究所取締役
1993年 ハル研究所代表取締役社長
2000年 ハル研究所取締役相談役
2000年 任天堂取締役経営企画室室長
2002年 任天堂代表取締役社長
事業内容
ゲーム開発(プログラミング)
ゲーム関連の展示会でのプレゼンテーション
やりがい
仕事への姿勢/考え方
失われたゲーム人口取り戻し、さらに拡大させる「ゲーム人口の拡大」をテーマとしている。
「私は会社社長という肩書きがあるが、頭は開発者で心はゲーマーでしかない」と社長になった今でもゲームを作ること、プレイすることにも興味関心を持ち忘れていない。
転機
高校時代、ヒューレット・パッカード社の電子計算機HP-65の存在を知り、手に入れたこと
私生活
管理職になってプログラムを打つ時間がなくなるので、休日出勤をして土日に嬉々として打っていた、というエピソードがある。
今後の目標
感想①
高校の時点で独学でプログラムを学び、ゲームを作り上げるほどの根っからのクリエイターであり、社長になってからもモノづくりに関わっていくことが素晴らしいと思う。また、任天堂についてやゲームについて詳しく知ってもらおうと社長自ら職員にインタビューしてHPにあげていて、自分の会社をとても愛していることがわかった。
感想②
まず「どんなに困難ことでも代案を出してでも無理やりやり遂げる」姿勢が素晴らしいと思った。企画を大事にしようという思いが伝わってくるし,何よりその姿勢のおかげで今までの数々の名作ゲームがあると思うと本当にすごいことだと思う。またインタビューで「もし今のゲーム機の10倍のパワーを持ったゲーム機が登場したとして、それを自分は認知できても、家族は使いこなせますか? 違いの分かる人だけを相手にするのは危険だ。」と言ったように万人うけするゲームというスタンスにも任天堂らしさがでていて私は好感が持てた。
感想③
ゲーム事業の未来を考え、経営をまとめるとともに、自分のしたいこともしているところは、尊敬する。自分も同じように、好きなことをしつつ、やるべきことをしっかりやっていきたい。
感想④
岩田さんの経歴について最も衝撃的だったのは、岩田さんが初めはプログラマ志望であったことである。自分は一般的にゲーム会社で経営者として活躍している方々は、企画や広報を主に行っていた人たちが出世して経営者として周りを取りまとめているというイメージが強かったため、この事実を知ったときは衝撃的だった。自分も将来はゲームクリエイターを志望しており、プログラマとして働きたいと思っているために岩田さんの「プログラマはノーと言ってはいけない」という言葉を、その意味と共に自分の中に刻みゲーム製作に携わっていきたい。
感想⑤
ハル研究所時代はプログラマであり、経営についてあまりやってこなかったのにもかかわらず、社長業もできてしまうところがすごいと思った。「立場は社長でも、頭はゲーム開発者であり、心はゲーマー」とあるように、こういう心が重要なのだと思った。自分も技術力と経営、企画能力を備え持った人材になりたいと思った。
感想⑥
元々は西武百貨店の常連客であったところから、店員に誘われてアルバイトとしてHAL研究所に参加し、その後は実力を十分に発揮して、地位を高めていったところを見て、やはりゲーム業界やそういったプログラマーのような職種は実力が全てだと、改めて勉強になった。
感想⑦
親に反対されても自分のやりたいことを貫き通して成功を収めたところがとてもすごいと思いました。また定期的に部下と面接をするというところから会社の社長として部下の意見も幅広く会社の発展に取り入れようとする姿勢がうかがえて経営者としての素質があると思いました。彼のゲームに対する熱い思いが衰退していたゲーム人口の拡大を成し遂げ
たんだと思います。
感想⑧
社長という立場になっても変わらずプログラムを作り、万人受けするような品物を作る姿勢がとても良いと思う。自分も立場が上になっても利用者のことを考えて、自らより良い品物を作る心持でいたいと思った。
感想⑨
本人自らプロモーション映像に登場するようなユーザーに目を向けている人が、プログラマー志望だったということに驚きを隠せない。さらに純粋にゲームをするのも作るのも好きでよりその楽しさをユーザーに感じてもらおうという気概も感じられる。
感想⑩
経歴を見ると、非常に順調に重役への階段を上って行っていて、素晴らしい経歴だと思った。社長になった今でもゲームを作ったりプレイしているというところから初心を忘れずにいることは大事だと改めて実感した。
感想11
大学在学中に会社の設立に協力しているということで、そのときから技術があってのだと思った。いろいろの業績を残しているけれどあくまで自分の好きなゲームを、より多くの人に楽しんでもらおうという姿勢でいるので、自分の好きなことを職に出来たらうまく進めることが出来るのだと感じた。
感想12
日本を代表とする有名企業である任天堂の社長ではあるが、「私は会社社長という肩書きがあるが、頭は開発者で心はゲーマーでしかない」という言葉が非常に心に残った。会社の一番上という立場でも現場で働く人間の心、また自分たちが作った物を遊ぶ顧客のことも常に考えていることは素晴らしいことだと思った。また、初めから社長といった経営側に関心があったわけではなく、独学でプログラミングを学ぶようなクリエイターが本職だったということに強い衝撃を受けた。しかし、社長に就任してからも特定の顧客層を狙った経営戦略ではなく、子供から大人まで楽しむことができるゲームを作ることを主眼においていたことはクリエイターを経験していたからこそできたことではないかと思う。これはHAL研究所が経営不振に陥った頃に社長に就任し、今でも続いているヒット作を世に生み出した原動力もクリエイターの頃の全ての人が楽しめるようなゲームを作るというスタンスの結果だと思う。昔は日本ではゲームについて否定的な考えが強く、「ゲーム脳」や「引きこもり」といったことが非常に騒がれていたが彼のような万人が楽しめるゲームの存在がそのような空気を取り払ったのではないかと思う。彼のような意欲的で自分の信念を崩さないゲームクリエイターがたくさん出てくれば日本のゲーム業界はさらに活性化し、世間がゲームに対して持っているマイナスイメージが払拭されるのではないだろうか。
感想13
この記事を見てまず驚いたことは、大学在学中にHAL研究所の設立に協力したということだ。大学を卒業してすぐにHAL研究所に入社し、初めてディレクターを務めたソフトが大ヒットするなど、その業績は大きい。また、ユーザーとの距離を縮めるべくとったアンケートをとり、ユーザーの需要に答えようとしたことは非常にすばらしいと思った。
また、私生活でのプログラミングを嬉々として打っていたことは尊敬に値する。
感想14
ノーベル生理学・医学賞を受賞したことで有名になった山中教授だが、受賞までにたどった経緯を知ってはいなかった。
ノーベル受賞者といえども、大きな挫折を味わうこともあることを実感し、その挫折の中で次の大きな目標ができていくのだとわかった。
私が最も注目したのはノーベル賞を取ったことを自慢することもなく、ただ謙虚に次の研究に向けて一進していることで、ぜひ見習いたいと思った。
感想15
彼は独学でプログラミングを学び初期のころから任天堂のプログラミングに関わってきていたのだが、管理職になってプログラミングを打つ時間がなくなると休日出勤をして土日に嬉々として打っていたほどであった。また「立場は社長でも、頭はゲーム開発者であり、心はゲーマー」ともGDC2005で語った。このような立場が変わりやらなくてはならないものが変わっても自分の好きな気持ちや熱意を忘れずに多くの人に受け入れてもらえるものを作り出すことは、難しいことであり同時に大事なことでもあるので非常に参考になった。さらに岩田聡は任天堂初の血縁外の社長であったためいろいろと苦労したであろう。しかもそれはプレイステーション2相手に為す術のない苦境だった。さらにゲーム業界全体でコストは上がり売り上げが減少するという状況になっている。ここからゲーム人口を増やし復権を果たしたことはとても大きい業績であり、そのようなアイデアに転換できたことも成功の要因に違いない。このようにアイデアや行動力なども岩田聡にはあり、今回でそれらに気付くことができてよかった。
感想16
今年の秋に岩田さんが亡くなられたニュースを見てどんな方なのかなと調べていたので岩田さんの経歴は少し知っていました。ここのページでは見やすくなっていて良いなと思いました。岩田さんは経営者としてもすごい方なのですが、プログラマーとしても素晴らしい方で本当に偉大な方だなと思います。HALに在籍していたときにも功績を出しておりすごいなあと思いましたが、私が偉大な方だなと思ったのは任天堂での功績です。なぜなら、私たちの世代がゲームに夢中になっていた頃、DSが発売されて私たちの世代の子供はほとんど持っているようなゲーム機の開発に携わっていたからです。日本だけでなく世界の人々も持っているようなものを開発するのはすごいなあと思いました。また、このページには載っていませんが、私が好きなMOTHERというゲームシリーズがあります。そのシリーズの開発に岩田さんはとても重要な役割を果たしていました。MOTHER2の開発は当時難航していましたが、岩田さんは「いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと2年かかります。イチからつくり直していいのであれば、半年でやります」と言い、本当に宣言したとおり半年で作られました。MOTHER2はとても長い作品で、いろんな仕掛けがあるゲームですごいと思っていた作品なのですが、半年で作りあげたことを知らずすごいなと驚きました。自ら宣言した通りに行動できるところに本私はあこがれます。私が岩田さんのようになることは難しいかなと思いますが、自分が言ったことを達成することが出来るような人になりたいなと思いました。また、企画力と技術力も身につけることが出来たら良いなと思いました。
感想17
社長という立場でありながら、常に開発者として、何より一ゲーマーとしての視点を持って活動されていたことが他の人にはないすばらしい部分であると思う。そういった視点が社長自ら直接我々プレイヤーに新作発表を行う”ニンテンドーダイレクト”という形で現れていたと思う。最もプレイヤーに近い社長であり、開発者であったことを痛感する。昨年亡くなられたという話を聞いたときは衝撃だった。ご冥福をお祈りいたします。
感想18
おそらく社長に就任すると、とてつもなく高額な収入がでてくると思う。それにもかかわらず、当人の名言より、自身が社長であっても、ゲーマーの心を忘れずにいられるのはすごいと感じる。
感想19
去年、任天堂の社長である岩田聡さんが亡くなったとニュースで知りました。そしてこの方がどのようなことをしたのか興味が湧きました。記事を読んで岩田さんは根っからのクリエイター気質であることを知りました。岩田さんは高校時代からプログラミングを独学で学んでいたのです。僕が高校のときはプログラミングには興味があっても独学で学ぼうとは思いもしませんでした。このときからやはり社長になる人というのは違うのだなと思いました。また社長になってもなおプログラマである自分を忘れずモノづくりに携わっているその姿勢がとてもすばらしいと思いました。このような社長だからこそ面白いゲームが生まれるのだなと思いました。普通は社長になればものづくりは社員にやらせるとイメージしていたので驚きました。また僕も将来このようなモノづくりをずっと続けられたらいいなと思いました。僕が情報系の勉強をしようと思ったのもゲームがきっかけで、小学校のときからゲームプログラマーになりたいと考えていました。今でもプログラマになりたいという夢があるので大学や大学院で勉強をがんばりプログラマになりたいと思います。僕のような人がきっとたくさんいると思うので岩田さんはゲームを作ることで多くの人に夢を与えたと思います。
感想20
この人物に関して調査し感じたことは、常にゲーマー視点と言うものを大切にし、的確に顧客のニーズに応え、時に良い意味で予想を裏切る行動をする人物だったと言うことだ。「Nintendo Direct」、「社長が訊く」など自らが「直接」表舞台に出ることも多く、本当に言葉通り、最前線で仕事をする人物だと感じた。2015年7月11日に胆管腫瘍によって惜しくも亡くなってしまったが、常に最前線で物を見る姿勢を学びたいと思った。
感想21
この人の記事を読んで、まず、もともとはプログラマ志望であったのにもかかわらず、ゲーム会社の経営者として成功を収めた点がすごいと思った。最初はハル研究所の社員、後に社長となって有名なゲームを生み出して経営を立て直していて、社長という立場ではあるがゲームが好きである、という気持ちからゲームを作り出している点が印象的であった。その後、任天堂にヘッドハンティングとして外部から引き入れられてその2年後にはゲーム会社の大手、任天堂の代表取締役社長になっているところがとても驚いた。「私は会社社長という肩書きがあるが、頭は開発者で心はゲーマーでしかない」という言葉から、本当にゲームが好きで、ゲームを作ることやプレイすることの楽しさを忘れずにいたという考えも経営者として成功した一因であるように思う。このほかにも、経営についてやってこなかったという点も印象的であった。一般的には経営の知識をもって昇格していくと思うが、それも関係なしに社長に就任していてすごいと思った。最後に、岩田氏は数ヶ月前に亡くなられてしまったが、自分は生前に行っていたネットの生放送を用いた新作ゲームの紹介をよく見ていた。そこでは社長自身が出演し、自ら紹介していたのが印象的だった。社員に任せるのではなく社長が紹介するというところも、このような成功につながっているのではないだろうか。
感想21
高校時代、ヒューレット・パッカード社の電子計算機HP-65の存在を知り、手に入れたことはほんとに素晴らしいと思う。若いごろから意志を持ち、努力して現在の任天堂まで作るのは世界では何人しかない。偉いと思う。
感想22
自分は日ごろから学業の片手間にゲームをしているので、任天堂に関して大変興味があった。岩田社長の項目で最も衝撃的だったのは、「私は会社社長という肩書きがあるが、頭は開発者で心はゲーマーでしかない」という、ある意味ユーモアな一面があったことである。このような思想こそ、世界に絶賛されるような数多のアイデアを輩出する根底なのだと思った。
感想23
僕が小さいころから親しんできた任天堂の社長ということで読んでみた。一般的な企業の社長というのはあまり技術に関して親しみのない人がなっているというイメージがあったので岩田さんは技術屋上がりでプログラミングに対しても造詣が深かったということを知り驚いた。また岩田さんは「mother2」の開発もしており、開発が滞っていたそれを一年で完成させた。このことから一線を画すプログラミング能力、他の同僚とすりあいをするコミュニケーション能力、いろんな意見を取り入れそれをまとめる能力が非常に高かったのだなあと思った。また社長に就任したのちに経営戦略を「ゲーム人口の拡大」に位置付け、その後それに則った製品「ニンテンドーDS」や「Wii」 がヒットしたことはそもそもの戦略が正しいことの証左であり岩田さんの経営手腕の高さを示している。今回人材wikiを読んで岩田さんが会社的に素晴らしい人材であることがわかったが、だからこそ亡くなってしまったことが悔やまれる。しかし最近任天堂が発売した「任天堂スウィッチ」を見る限り岩田さんの「ゲーム人口の拡大」という考え方は生き続けているように思えた。
感想24
私がこの記事を見て気になったのは私生活の部分である。
ヒット作を生み出せるのは、プログラムを打つ時間が管理職になることでなくなるので休日出勤をして土日に打っていたというような自身も開発がすることが出来る社長がいたからこそ成しえることだと思う。
感想25
私もゲームが大好きで、スマッシュブラザーズをよく遊んでいるのでそれを作った岩田さんは以前から尊敬していました。私をゲームに携わる仕事をしたいと思っているので岩田さんのようなヒット作のゲーム製作に関われたらいいなと思います。
感想26
岩田氏の社長という立場でありながら、ゲーマーとしての気持ちを忘れないという心持ちが様々な人気ゲームの開発につながっていると思った。また、彼は、ゲーム人口の拡大をテーマとしてきたが、近年、ゲーム事業が盛り上がっているのは彼の尽力によるものも大きいだろう。このように何か目標をもってそれを最後までやり通す精神を参考にしたいとおもった。
大乱闘スマッシュブラザーズは自分も小さい頃からやっており、今でも飽きることなくプレイしている。彼のつくるゲームは初心者から上級者まで幅広い層に支持されており、ユーザーが求めるゲームシステムを見事に反映しているので素晴らしいと思う。何よりもユーザーを配慮し、質の高いものをつくるのに努力をいとわない彼の姿勢を見習いたいと思った。また、新しく何かを作る際にはそれを利用する人の立場になって考えることが大切だと感じた。
感想27
会社が経営難の際に出した大乱闘スマッシュブラザーズというゲームは大ヒットし、今でも多くの人に愛されている。そのような万人から愛されるゲームを作れるのは社長である岩田氏自身がゲームをする人側の心をもっているのが理由だと思いました。社長の心がけは大ヒットにつながるほど大事なものだと思いました。
感想28
死の直前までゲームに生きてきた彼は様々な層にゲームを楽しんでもらおうと尽力してきた
その方針は任天堂の株主にはなかなか受け入れられなかったようだが、このような人物がソーシャルゲームに押されつつあるゲーム業界に新たな道を示すきっかけを作るのだと思う。
感想29
独学でプログラミングを学んだり、休日出勤を自分からして土日でプログラミングをやったりと、クリエイターとしても経営者としても第一線で活躍していることが素晴らしいと思った。この何事にも前向きで積極的な姿勢を見習いたいと思った。
感想30
ゲーム関連の展示会でのプレゼンテーションや、メディアを通したゲーム等の宣伝などを自ら行うような、ユーザーに目を向けることのできる、経営力のある人材である上に、自分自身もプログラマとして働いていたという事実にとても驚いた。私も、彼を見習って、色々な分野で活躍をしていけるように努力をしていきたいと感じた。
感想31
聡氏は、大学在学中にHAL研究所設立に協力をし、卒業後に正社員となった。のちのHAL研究所代表取締役社長なども歴任している。これはHAL研究所がゲーム事業の不振と不動産投資の失敗により多額の負債を抱えて経営危機に陥り、和議を申請した中で、取締役開発部長であった岩田が代表取締役社長になった経緯がある。大学時代からプログラムを書くことを好み、それを仕事し、また代表取締役に就任後もプログラマとして活動をつづけたというところに驚いた。プログラムへの熱意により、多くの大ヒットゲームが生み出されたことも頷ける。僕自身プレイしたゲームタイトルも数多くあり、特に任天堂から発売された大乱闘スマッシュブラザーズDXは何百時間もプレイした思い出がある。この大乱闘スマッシュブラザーズDXにおいても開発が遅れた時は、聡氏自身が開発現場に赴き、コードレビューやデバッグを行った。社長自身が社員の目線でゲームを開発することは、社員からしても非常に身近に感じられるので会社に一体感が生まれるだろうと考える。
感想32
一昨年,岩田聡社長の訃報を聞いて私はとても驚いたことをよく覚えている。私自身、ゲームが大好きで岩田社長が行う Nintendo Direct や「社長が如く」をよく見ており、尊敬していたからだ。私は社長自らが積極的に新商品のプレゼンや社員にインタビューしたりする等とても好感が持てた。2年で任天堂初の血縁外の社長として就任したという事実にとても驚いた。岩田社長が亡くなられた日、日本国内のみならず海外の任天堂ファンから訃報を惜しむ沢山のメッセージやイラストなどTwitterやネットの掲示板などに寄せられていたのを覚えている。私も彼のように死してもなお、世界中の人々に愛される人になりたい。
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- q -- 名無しさん (2017-06-19 11:41:57)
最終更新:2024年09月05日 12:08