氏名 |
所属 |
職種 |
社会人経験年数 |
日野晃博 |
レベルファイブ |
代表取締役社長 ゲームクリエイター |
・ |
経歴
1968年7月20日、福岡県大牟田市で生まれる。『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』に出会ったことで、ゲーム業界に入ることを決心する。福岡県立大牟田北高等学校、コンピュータ専門学校を卒業。システムソフトを経てリバーヒルソフトへ。プログラムを含むディレクションを何本かのタイトルで担当。その後会社のメインプログラマーとして推薦される。プレイステーションの発売が決まるとともに3Dを使ってソフトをつくれる環境が生まれ、それを転機に1998年に当時のチームメンバーと共に独立しレベルファイブを設立する。レベルファイブではSCEの下請けとしてRPGを開発。
その後『ダーククロニクル』に目が留まった堀井雄二の依頼で『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』の開発を受注。日野はディレクターを務める。
2005年より、福岡に存在するゲーム開発会社を中心とした団体GFFの会長に就任。その後、2007年には『レイトン教授と不思議な町』においてゲームソフトの自社販売を開始する。
業務内容
代表取締役としての会社経営
ゲーム開発における脚本、ゲームデザイン、企画、プロデュースなど
アニメ製作における脚本
やりがい
プログラムが自分の思ったとおりに動くということ。感動できるゲームを作るということ。
仕事への姿勢/考え方
心がけていることは、制作が終わる最後の瞬間まで、手を抜かずあきらめないこと。ソフトをよくしようという気持ちを失わないこと。ソフトは製作者にとって、子供のようなものであり、最後まで愛してあげなければいけないという考え。
転機
『ドラゴンクエスト』の開発会社になったこと。それ以前と比較すると、会社の知名度も上がり、スタッフの意識の中にも、『ドラゴンクエスト』という大きなゲーム業界の歴史ともいえる作品に参加するというプライドが生まれた。
私生活
今後の目標
ヘッドセットをつけてプレイするバーチャルリアリティ作品をつくる、自分があたかもそこにいるような映画「マトリックス」みたいな作品をやってみたい。
感想①
日野氏はゲーム製作だけにとどまらずアニメの総監修もこなしており非常に多岐にわたる才能をもっている。DSが売れ始めたときに脳を使うゲーム開発を考え、ゲームのライトユーザーを取り込むという考えには、これでこそ、売れるゲームを作ったゲームクリエイターだなと思える、時代を先読みする力があると感じた。
クリエイターとしてだけだはないが、時代を先読みする力というのは今後もどの業界においても重要となるので、自分も常に広い視野を持ち、思ったことを実行してみる行動力を備えたいと思った。
感想②
開発した作品を我が子のように扱っている点には共感できた。自分の制作した作品はどんな形であれ、自分が親である限りは我が子なのだと思う。また日野さんはマルチに仕事をこなしている点が他のクリエイターと比較して、大きく異なる点であるように思えた。ゲームシステムの中身からゲームシナリオの中身までマルチに活動のできる人はあまりいないのではないだろうか。私も社会の中でひとつの役割を持つだけではなく、複数の役割を持てる人になれるように努めていきたい。
感想③
自分の作ったソフトを最後まで愛するという日野氏の姿勢に強く心を打たれた。日野氏が開発したゲームは私も遊んだことがあり、奥深く面白いものであったのでこのような熱い姿勢が影響しているのだなと思った。この記事を読んで、日野氏は現状に満足せず更なるチャレンジをして、高みを目指しており成功する人の心構えを垣間見ることができた。私も現状に満足せず行動を行っていきたいと思った。
感想④
自分の作品を子供のように感じている点はとてもすごいと思う。そして、作品を最後まで愛してあげなければならないという思いは、日野社長のてがける作品を見ればよくわかると感じる。私はダンボール戦機のアニメ見ていたのだが、最終作品となったダンボール戦記WARSは、これまでの無印、W以上にストーリーがよく練られており、感動した。他国間戦争をサブテーマとしており、アニメを見ながら世界の現状について考えさせられたのを覚えている。アニメという触れやすいものが通して、戦争というテーマを表現することで、アニメ本来の楽しさに加えて戦争の恐ろしさを子供たちに伝えることができる。ただ、なかなかできるテーマではないと思うので、それをテーマに作ったの日野社長はすごいと思う。
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最終更新:2018年02月12日 10:27