氏名 |
所属 |
職種 |
社会人経験年数 |
酒徳峰章(クジラ飛行机) |
くじらはんど |
プログラマー |
14年 |
経歴・業務内容
上海の大学を2000年に卒業し、不動産会社に就職した。当時はまだアナログ全盛の業界で、社内業務の情報化も進んでいなかったため、学生時代のプログラミング経験を生かし、顧客管理システムを実現したり、物件情報をタッチパネルで検索して見られるシステムを自作するようになる。しかし、社内の情報化が進むにつれ、つぎはぎ開発の弊害が表面化し、仕事量はほとんど減らなかった。そこでもっと仕事が楽になるように「ひまわり」(日本語プログラミング言語)の開発を社内で開始する。2001年に一般公開したひまわりの反響は大きかった。しかし、ひまわりの改良に限界を感じ、全てをチャラにしてゼロから作り直そうと思い「なでしこ」(ひまわりの後継)の開発時間を十分確保するため、2002年に独立しフリーになる。
なでしこの開発はIPA(独立行政法人・情報処理推進機構)が公募する2004年度未踏ソフトウェア創造事業「未踏ユース」プロジェクトに採択され、約1年後になでしこの開発に成功した。
2011年9月頃、旅行で気に入ったマレーシアの田舎町に半移住した。以後、年に数回日本とマレーシアを行ったり来たりしながら生活している。
やりがい
酒徳の開発は一貫してオープンソースである。言語開発がある程度の段階になったらユーザーに一般公開し、フィードバックを得る。オープンソースにより独りよがりの開発を防ぐ上、しよしたユーザーからのお礼やお褒めの言葉は、やり遂げた充実感が得られる。その充実感が次の開発のモチベーションになる。
仕事への姿勢/考え方
マレーシアに渡った理由は、「プログラミングの仕事はどこでもできる。物価水準が安い場所で仕事をすれば、『食べていくための仕事』の量を抑えて、残った時間で『自分の好きな仕事』ができる」である。「食べていく仕事」とは日本からの依頼を受けてこなすスマートフォンアプリの受託開発や、原稿執筆などを指し、料金は日本の物価水準で支払われるため、フルタイムで働かなくても、マレーシアで生活するには十分な収入を得られる。なでしこの仕事はまた収入につながらないため、日本とマレーシアの物価水準差を利用し、「自分の好きな仕事」をする時間を確保している。
転機
私生活
今後の目標
現在は全体の3割ほどを「自分の好きな仕事」に当てているが、もう少しその比率を増やす。あと1~2年はマレーシアと日本の二重生活を続けるつもりだか、いつまでも続けるつまりはない。「自分の好きな仕事」の成果が納得いくようななったときに、日本に戻り、なでしこを使って日本を変える仕事に専念するつもりなのだという。
感想 ①
とあるサイトで「なでしこ」を見つけて、触ってみたのが自分の初めてのプログラミングでした。今回は、その生みの親である酒徳峰章氏を取り上げました。現在はマレーシアに半移住しているとのことで、そのことにも驚きましたが、その理由がとても素晴らしい発想だと思いました。確かに、現代ではインターネットがあれば何処でもプログラミングをすることが出来ます。この行動力は是非見本にしていきたいと感じました。
感想 ②
「食べていくための仕事」と「自分の好きな仕事」の両方をこなすために物価の安いマレーシアに移住したというこの方の行動力と発想に驚いた。好きなことを仕事にするのならこのような考え方が必要なのだろうと思う。また、独立して後にゼロから日本語プログラミング言語を開発したという点は素晴らしいと思った。私もプログラミングの学習を始める際に活用してみたいと思う。
最終更新:2025年01月05日 21:26