氏名 |
所属 |
職種 |
社会人経験年数 |
中村光一 |
株式会社スパイク・チュンソフト |
ゲームクリエイター、実業家 |
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経歴・業務内容
1982年エニックス主催の第1回ホビープログラムコンテストでオリジナルのゲーム『ドアドア』が優秀プログラム賞(準優勝に相当)に入選
1983年 電気通信大学に入学
1984年 株式会社チュンソフトを設立し、エニックス製品の開発に関わる。以降、ファミコンへのドアドアの移植、堀井雄二が手掛けていたポートピア連続殺人事件の開発、ドラゴンクエストシリーズ(I~V)の開発を手掛ける。
1992年 『弟切草』より自社ブランドで発売するようになる。
2005年 チュンソフトはドワンゴによる買収を受け入れる
2012年 同じくドワンゴ傘下であったスパイクを吸収合併してスパイク・チュンソフトとなる。また、彼は社長職を退いて会長に就任する。
やりがい
仕事への姿勢/考え方
転機
第1回ホビープログラムコンテストで優秀プログラム賞に入選
私生活
今後の目標
感想①
彼はドアドアを製作する前から積極的に雑誌への投稿を行っており、掲載された際に得た資金を次の開発に活かしてきた。その先へ進もうとする努力が大きな転機を呼び起こしたのではないかと思う。会社の経営が思わしくない時期がありドワンゴの子会社となったものの、今も会社の経営に携わり続ける前向きな姿勢を崩さない。現在のゲーム業界の厳しさに打ち勝つ努力と積極性はぜひとも見習いたい。
感想②
中村氏は私が情報学科を選考するきっかけとなった人物のひとりといっても過言ではありません。プログラマーというとあまり良いイメージがなく、どことなくたいへんでブラックな感じがまとわりつく職種でした。しかし、彼の伝記を学生時代に読み、私はいろいろの可能性にとらわれました。学生時代にプログラムひとつでいっぱしの人間以上のことをやり、私と同い年の時には会社を設立。さらには趣味を生活の基盤としていること。なにもかもが私の意欲を刺激し、いろいろことをするのを後押ししてくれました。
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最終更新:2014年04月10日 21:08