氏名 |
所属 |
職種 |
社会人経験年数 |
松本清 |
千葉県松戸市市長(逝去時) |
実業家。マツモトキヨシ創業者。元松戸市市長。元千葉県議会議員 |
43年 |
経歴
1909年4月24日、千葉県東葛飾郡湖北村(現・我孫子市湖北)で生まれる。14歳の頃に薬の勉強を始め、1930年に星製薬商業学校(現・星薬科大学)を卒業。その2年後に1932年薬種商免許取得し、マツモトキヨシの全身である「松本薬舗」を開業した。1942年に千葉県東葛飾郡小金町議会議員(後・昭和の大合併後に東葛市を経て松戸市に編入)となり、1947年から1969年まで千葉県議会議員を務めた。その間、1954年に「有限会社マツモトキヨシ薬店」を設立し、1956年から1958年まで千葉日報社社長に就任した。その後1969年に千葉県松戸市の市長選挙へ立候補して当選。1973年5月21日、2期目の市長在職中に心不全で逝去(享年64)。
業務内容
千葉県松戸市長在任中の1969年に「市役所は『市民に役立つ所・市民にとって役に立つ人がいる所』をモットーに、日本初の即応部門「すぐやる課」を市役所に設置。この課を市長直属とすることで、機動性を確保し、緊急に対応が求められる事態に対しても、何重もの決裁が必要とされてすぐには対応が出来ないという問題を解決しようとしたのである。「市政についての要望等の緊急処理及び連絡に関すること」を、業務としている。職員が実際に現場にお伺いしてすぐ処理できるものはその場で対応し、すぐできないものや専門技術が必要なものについては、時間をかけて作業を行ったり、担当部署に回付、“可及的速やかに”処置する事になっている。
やりがい
仕事への姿勢/考え方
市長時代は「すぐやる課」を設置したことや、任期中に無給勤務で話題になった。また、市長在職当時、県会議員選挙の投票率が低迷していたため、投票整理券の整理番号を用いてくじの実施を提案。くじを実施しても投票の公正性が害されることがないと考えた松本は、その案を実施した。このように、松本清は自由な発想でアイディアを考え、思ったことを実現させてきた。また、すぐやる課やマツモトキヨシといったユニークなネーミングセンスも特徴的である。
私生活
転機
貧しい農家の息子であった松本が小学生の頃、視学(現代の教育委員会の指導主事のような職業)が学校を出ようとしたとき、所用で来校した県議会議員と鉢合わせになった際に、逆に視学が慌てて道を譲った。松本は県議会議員がそれほどまでに凄いのかと驚いて県議会議員になりたいと思ったそうだ。
今後の目標
参考URL
感想①
以前、本を読んで松本清について知った。すぐやる課という市民のことを考えたこの発想にとても感動したのと同時に、彼のような大胆な行いをする人が居たことに驚いた。松戸市だけではなく他の地域にも広まり、彼の行いは多くの人の役に立ったのも素晴らしいと思う。将来、地方公務員になって地元の市役所で働きたいと思っている。松本清のように市民に寄り添ったアクションを起こせるようになりたい。そのために、アイディアを考えて実行できるような企画力を身につけられるように努力しようと思う。
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最終更新:2017年02月26日 16:39