氏名 |
所属 |
職種 |
社会人経験年数 |
さくまあきら |
現在フリーランス |
ゲームライター |
40年 |
経歴
東京都立武蔵丘高等学校から一年浪人。立教大学経済学部、劇画村塾出身。『ジャンプ放送局』などの編集に参加する一方で漫画評論家としても活動。その頃の評論は『だからマンガ大好き!』(1982年) 、『まんが雑学ゼミナール まんがを100万馬力で読む方法』(1983年)にまとめられている。後に堀井雄二らとともに「花伝社」を設立し、新人漫画家を育成する雑誌『マンガハウス』を発行するも、億単位の赤字を出し2年で終了。その十数年後に、同様のコンセプトで『チョコバナナ』という雑誌を創刊するが不況のあおりを受け16巻(1995-1998)で停滞・休刊となる。その後、友人である土居孝幸らと共にゲーム製作の案を出し1987年10月26日にファミコン用ゲームソフト『桃太郎伝説』が発売、その後シリーズ化。こうしてゲーム開発や連載などで多忙を極めることとなった。1997年には『桃伝』から数えてゲーム製作10周年を迎えた。記念として製作された『怪物パラ☆ダイス』には友人の堀井らが登場するモンスターのデザインを提供している。後輩のいしぜきひでゆきの誘いもあって、2010年4月に大阪電気通信大学の客員教授となる。小池一夫曰く「自分の一番弟子」。自身が中学生のときから強い影響を受けたという作曲家のすぎやまこういちにあやかって、ペンネームを平仮名にする。
漫画評論家を廃業した後は、『週刊少年ジャンプ』にて1982年-1995年にわたり掲載された読者投稿コーナー『ジャンプ放送局』の構成や、コンピュータゲーム『桃太郎伝説』(桃伝)、『桃太郎電鉄』(桃鉄)シリーズの生みの親として活動している。
業務内容
昨年6月まで「桃鉄」の監修を行っていたが、コナミとの関係が悪化し退職。
「桃鉄」シリーズの終了とともに、現在はフリーランスとして仕事をしている。
やりがい
仕事への姿勢/考え方
自身の興味がないことに関してははぐらかしたり、取り上げなかったりすることがあるが、基本的には厳しい作り手。「読み手のことを考えていない」と他のスタッフがつくったものを総没にしたこともあるほどである。
無我夢中になって仕事をすることがフリーの役割だと考えており、周囲に止められても仕事の手を休めることはそうそうない。彼の同誌に対する情熱を物語るエピソードは数多く、中でも脳内出血で倒れたときのその後の活動に周囲から「とても病人の仕事のペースじゃない。そもそも病人は仕事しない」と言われたことは有名。超仕事人間として知られている。
私生活
昔は暴飲暴食で、それがたたり脳内出血で倒れたこともあった。最近も外食等が多く、主治医に心配されているようである。
転機
もともと漫画系の職についていたが、友人がゲーム製作をしているということから駄目元で「桃太郎伝説」というゲームを作り始めたのが転機。
今後の目標
自身のブログにて、「スローペースに挑戦が課題だろうね、私の場合」と語っている。
参考URL
感想①
「桃太郎電鉄」といえば皆がやったことがあるゲームであるが、その監督であるさくまさんは、僕たちのような「コンシューマー」のことを最大限に考えてゲーム作りをしているんだな、ということを感じた。
感想②
『桃太郎電鉄』の製作者としてしか知らなかったが、今回調べてみてゲームクリエイターとしての顔は彼の一部でしかなく、その他にも様々な方面で活躍していることを知った。フリーランスとして活動していることにも驚かされたが、もっと驚かされたのは彼の仕事への熱意である。代わりが居ないフリーランスが走り続けなければならないのは宿命なのかもしれないが、彼が立ち止まらないのはそれだけその仕事が楽しいからというのもあるのだろうと感じた。自分もそれだけやりがいのある仕事を見つけたい。
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最終更新:2017年04月30日 15:00