同じ頃、「たんご」の車両甲板の一角に、偵察小隊と嘉城二尉の普通科小隊が整列させられていた。全員が各自の火器を持ち、ヘルメットと防弾チョッキ着用の完全武装だった。
「小隊本部、小銃第1班、第2班、第3班、総員集合完了! 嘉城二尉、小隊総員37名集合完了しました!」
「御苦労、江見原曹長。別命あるまで、全員をその場で休ませよ」
25歳近く年上の小隊付先任陸曹である江見原耕哉陸曹長に、嘉城が返礼した。
「小隊長、演習でありますか?」
班長の1人である島崎一曹が、10.7キロもの重量がある62式機関銃を軽々と担ぎながら訊いた。
「僕もよく知らない。ただ、連隊長命令の非常呼集だから演習じゃないでしょう。そのうち説明があると思うが……」
「それにしても、こうも簡単に弾薬が出るのは初めてですな。いつもはやれ書類だ、やれ手続きだとうるさいのに」
江見原が続けた。
「そうですね」
嘉城は苦笑しながら言った。
やがて、丸ノ内が田中川副連隊長と船橋混成機動大隊長を伴って現れた。
「敬礼!」
斉木偵察小隊長の掛け声に合わせ、集まっていた隊員が3人の指揮官に対して一斉に敬礼をした。
「御苦労、休め。諸君らに集まってもらったのは他でもない。これより上陸偵察活動を命ずる。なお、当該区域は大型の野生肉食獣等の出現が予想されるため、万一の際には小隊長命令による身体防護射撃も許可する。難しいのは分かるが、是が非でもやり遂げて欲しい。海と空からの万全のサポートを約束する。私からは以上である」
「普通科小隊はチヌーク・ヘリで、偵察小隊はLCACで陸地に向かう。班ごとに無線連絡を絶やさず前進せよ」
彼の後を引き継いだ田中川が言ったのは、それだけだった。
「正直言って、これはベトナムで米軍がやったサーチ&デストロイ作戦とほぼ同じだ。目的が敵の撃滅ではなく、状況調査であるということしか違わない。危険な反面、大きな成果はほとんど期待できない方法である。だが他に有効な手段はない。ジャングルが相手では、航空偵察にも限界がある。どうか頑張ってくれ」
最後に船橋が激励した。
「何か質問のある者は?」
「連隊長は野生肉食獣と言われましたが、具体的にはどのような種類のものが出ると予想されるのですか?」
丸ノ内の問いに対し、嘉城が右手を挙げて訊いた。
「まだはっきりしておらんが……虎もしくはライオン以上で怪獣未満といったところか」
「何です?」
「恐竜だ。言っておくが、冗談ではないぞ」
「………」
彼を始めとする隊員全員が、ほぼ同時に「信じられない」と言いたげな表情をした。
「他にはないな? では、状況開始!」
丸ノ内の命令が響くと、隊員らはおのおの装備をまとめて移動を始めた。
「恐竜だってさ。お前、どう思う?」
「よく知らねえけど、出てもおかしくなくなくねえか? 昨日から変なことばかり起こってるみたいだしよ」
「何だか、漫画か映画みたいだな」
「そうだったりして」
「でも恐竜って、銃で撃って死ぬのかな? 怖いなあ……」
「だったら今のうちにションベンしてこい!」
隊員の話題は、専ら“恐竜”という単語のみに向けられていた。
「小野寺さん、どうなんでしょうか?」
尾川二士が小野寺士長に問うた。
「知らん。俺も恐竜は映画と漫画と図鑑でしか見たことないしな。尾川、お前は?」
「あるわけないじゃないすか。とにかく、今すぐにでも家に帰りたいです」
彼ら普通科小隊員は狭い通路を抜け、ヘリ甲板に上がった。すでにCH-47JAチヌーク
大型輸送ヘリとOH-1偵察ヘリが格納庫から引き出され、最終点検を受けていた。
「これよりBLを支給する! 各員、必要な分を取れ!」
嘉城が声を上げる傍らでは、補給小隊の隊員が松の木でできた弾薬箱をカーゴから降ろし、銃剣で素早く金属テープを切って開け始めた。弾丸の入った紙箱がぎっしり詰まったブリキ缶が出され、さらにその蓋が剥がされた。
「あの、小野寺さん」
またも尾川が小野寺に尋ねた。
「何だ?」
「これって弾薬ですよね?」
「見りゃ分かるだろ。新品のピカピカ実弾だ」
「でもBLって言ってましたよね?」
「だから何だよ」
「俺あんまりよく知らないんですけど、確かBLって美少年同士のホモ話じゃありませんでしたっけ? 最近、婦女子の間ではやってるとか何とか小耳に挟んだんですけど……」
突然、小野寺の鉄拳が左頬に炸裂した。
「脳足りんのカビパンツが! 聴け!!」
昨日右頬に受けたものとは比較にならぬ痛みと衝撃でうずくまった尾川を、小野寺が防弾チョッキの襟首をつかんで乱暴に引き起こした。
「いいか、まずBLってのは定数弾薬のことだ! おめえが言ったのはボーイズラブのことだろ! お前、新隊員教育の座学時間に何習ってたんだ!? 俺が一からしごき直してやるぞ!!」
島崎班長や他の隊員が「何だ、何だ」と集まってくるのも構わず、小野寺は尾川をガクガクと揺さ振り、彼の顔に唾を飛ばしながら怒号を張り上げた。
「それからなぁ、俺がオタクだからってホモ属性もあると思ったのか!? 俺は萌え系アニメ属性だ! 漢だ! 腐女子とは違えんだよ!!」
「いえ、そんなこと思ってませんし、僕も男です……。それにモエって何です?」
両目から涙を流しながら、尾川が弱々しく言った。
「バカヤロー!! 漢字の漢と書いてオトコと読むんだ! 己の信ずる道を行く男のことをそう呼ぶんじゃ、このタコが! 萌えってのは何かに深い思い込みを抱くことだ! ついでに言うと腐った女子と書いてフジョシ、ホモ好きのオタク女を指すんだ! 分かったか、テキサス馬糞の干しカスがあ!!」
罵詈雑言の混じったオタク用語の説明は、ようやく締めくくられた。
「分かりましたぁ~!」
「聞こえん!!」
「分かりましたあぁぁぁ~!!」
尾川は必死で叫んだ。
「またやってやがるな、お前ら! 罰として1週間、班全員の半長靴磨きとベッド整頓だ!!」
群がる班員を掻き分け、2人を引き離しながら島崎が怒鳴った。
「自衛隊も堕ちたものですわ。私も若い頃は古参の士長や陸曹によく殴られたもんですが、あんな軟弱なことでは殴られませんでした。ただの神経質な問題児ならさっさと除隊させれば済むんでしょうが、兵隊としての出来がいいだけに始末が悪いんです」
喧噪を呆れ顔で眺めていた嘉城に、江見原がこれまた気抜けした声で語った。
「はあ……。まあ、そうですね……」
嘉城は呆れ顔のまま相槌を打ったが、何とか気を引き締め、「各自、持ち場に戻れ! 弾倉に弾を装填せよ!」と命令を発した。
弾丸をマガジンに込める小銃手、
リンクベルトをケースから引き抜く機関銃手、木箱から対戦車ロケットランチャーや無反動砲弾を出す砲手と、それぞれが自分の武器をいつでも使用できる状態にした。その間、小気味よい金属音が飛行甲板中に響き渡った。
「用意はいいな? よし、ヘリに搭乗!」
嘉城を先頭に、小隊員は後部貨物ドアからチヌークの機内に足を運んでいった。
「エンジン始動。キャビンドア閉めろ」
「キャビンドア閉め。エンジン始動します」
機長と副操縦士が搭乗完了を確認した後、2基の強力なターボシャフトエンジンが轟音を立て、ローターが周囲の空気を切り裂き始めた。同時に、OH-1も発進準備に入った。
「エンジン全開。離艦する!」
機長の声と共に、チヌークはその巨大な葉巻型の機体を勢いよく垂直上昇させた。間髪置かず、OH-1がそれに続く。
「やれやれ。帰ってきて機体整備が終わったらすぐまた飛べたぁ、ホントに忙しいこったね」
OH-1のパイロット席で、機長の鳥谷三佐がぼやいた。