第8章 鳩首会談


 午後4時40分、偵察小隊との合流を果たした嘉城の小隊は、黒尽くめの兵士とヴェロキラプトルの死体を収容する嫌な作業に追われていた。
 その一方で少年騎士隊員達は、空き地で羽を休めるチヌーク輸送ヘリと偵察車両に群がっていた。交替で作業を休む自衛隊員も、装備展示会に集まった子供のように無邪気な彼らの姿を興味深く、そしてどこか微笑ましげに見ていた。
「ニッポンという国は、悪魔の力を持っているのか!?」
 ヘリから少し離れた場所で、顔面蒼白になったシーマイルが嘉城を詰問していた。
「悪魔だなんてとんでもない。あれらはどれも人間が作った道具ですよ。それに我々の世界では珍しくも何ともないことです。例えば、あのヘリコプターという空を飛ぶ乗り物は、軍隊以外でも幅広く使われていますし、鉄の車は誰もが持っている代物です」
「世界にネワディン王国以上の文明を持つ人間の国家が存在していたとは……。もし我が国にもこのような力があれば、奴らの重圧に屈することも決してないだろうに……」
 シーマイルは、心から口惜しそうに言った。
「はあ……」
 この世界の情勢も一筋縄ではいかなそうだなと、防大で国際関係学を専攻していた嘉城は思った。
「それで、カシロ殿らはこれからどうなさるおつもりだ? 貴公方に我が国を侵略する気がないのは分かった。我らも成り行き上とはいえ、命を救ってもらった恩がある。しかし、このまま放っておくわけにもいかぬ。それはそちらも同じであろう?」
「そうです。沖の船にはまだ、途方に暮れている仲間が大勢います。とにかく我々は、この世界の人々との交渉の窓口が欲しいんです」
「我々は帝都パスキリーへ報告に戻るが、貴公方と一緒では色々と不都合が生じよう。ここから南東の方角に船を進めれば、帝都に面するミゼロ湾に出る。宮廷との交渉については、私が責任を持って何とかする。ここまでの経緯は、その場で直接述べられるがよい」
「分かりました。上にもそう伝えます」
「嘉城二尉、作業完了しました! 撤収命令が来たんで、急いで下さい! コラ、危ないからあっち行け!」
 エンジンを始動したヘリから少年騎士を追い払いつつ、江見原が嘉城に叫んだ。
「本当にどうもありがとうございます。地獄に仏だ」
 シーマイルに敬礼し、嘉城は大急ぎでヘリのドアに滑り込んだ。
「ホトケ?」
 シーマイルはことわざの意味を理解できず、首を傾げた。
 やがて、ヘリは大爆音を立てて空へ舞い上がると、海の方角に去っていった。
「これより海岸へ戻るぞっ!!」
 斉木の号令一下、偵察車両群も排気ガスを吐き出しながら次々と走り出した。
「待って!」
 XLRのアクセルをふかした真河が、突然した声に振り返ると、先程助けた少女隊員が駆け寄ってきていた。
「よお、さっきの嬢ちゃんか。さっきはその……怒鳴ったりしちゃって、悪かったな」
「あ、あの……助けてくれて……ありがとう」
 顔をわずかに赤くしながら、少女が礼を述べた。
「いや、当然のことだ。ところで、名前くらい訊いてもいいか?」
「レンス・テラス。あんたは?」
「俺は真河潔だ。できたら、また会おうぜ」
 嘉城はエンジンを全開し、仲間の後を追った。

 ダンッと立派なテーブルを叩く音が、夕日の差し込む広い会議室内に響き渡った。
「この期に及んで、よくそのような建前を並べていられますな! 大地竜帝国のケダモノ共は、必ずやこのパスキル帝国にもその牙を伸ばしてくるはずです! その前に……」
 ボサボサの白髪と口髭を生やし、紺色の軍服を着た初老の男が怒鳴り上げた。
「その前にあなた方と軍事同盟を結び、お国の軍隊を我が国に駐留させよとおっしゃるのですね?」
 向かいに座る柔和そうな中年男が訊いた。
「そうです! この国の弱小軍隊では、2日間抵抗できればいい方ですぞ。近代化された我がネワディン王国軍がいれば、奴らも手を出せますまい。仮に攻めてきても、即座に撃滅して御覧に入れます」
 瞬時に自信満々の表情に変わった軍人は、そのまま椅子の上でふんぞり返った。
「重ね重ね申し上げているように、我が国はいかなる理由であれ他国の軍隊を領土に入れることを許していません。それが例え、我が国を保護するためであってもです。自分の国は自分で守る。これが我が国の基本であることは知っておられましょう?」
「それができぬから言うておるのでしょう! 事態は一刻を争うのですぞ!!」
 丁重に拒絶された軍人が、またもがなり立てた。
「国内では、お国が裏で大地竜帝国と協力し合っているという噂も流れていますが」
 中年男の隣に座る鋭い目付きの女が言った。
「何を馬鹿らしい。そのような妄言を信じなさるとは、内府も御乱心されましたな」
 軍人は嘲笑したが、女の氷のように冷たい視線を浴び、思わず黙り込んだ。
「お待ち下さい。このまま話を続けても、不毛な堂々巡りになるだけです。我々も皇帝陛下に上申し、御裁断を仰がねばなりません。今日のところは、これでお引き取り願いましょう。また日を改めて協議したいと、パルプ国王陛下にお伝え下さい」
 場の空気を察して、男が言った。
「……分かりました。後悔なさる前に、賢明な決断をされることを期待しておりますぞ。おい、カフカルド参謀。帰るぞ」
「はっ、レーマール閣下」
 テーブルから少し離れて立っていた若い将校を引き連れ、長靴で床をドカドカと鳴らしながら軍人は退出した。
「ふん、馬鹿な奴らだ。進駐の方がまだいくらかましだというものを。参謀、軍に国境への全面侵攻作戦を準備するよう伝えろ」
「しかし、彼らの結論がまだ……」
「どうせやるのなら早い方がいい。竜人連中との折衝にも、時間が掛かるだろうからな」
 回廊には2人以外の姿はなく、その会話を耳にした者はいなかった。

 午後7時、地上部隊と艦載機を収容した艦隊が南東へ全速力で向かう中、「たんご」の会議室には安達原が召還されていた。
「君は戦闘艦の速射砲を、警察官のピストルと同じように考えているのかね?」
「味方の生命を敵から救うために使用する武器としては、同じに考えてよいかと」
 いつになく厳しい口調で問いただした梨林に対し、安達原は簡潔に答えた。
「結果はどうあれ、君はその味方の生命をも危うくしたのだぞ!」 
 艦隊幹部の1人が、声を荒らげて怒鳴った。
「しかし放っておけば、37人の陸自隊員とあの現地人達は全滅していました」 
「この件に関しては、いずれ問題とするからな!」
「御勝手に」
 例によって敵意剥き出しの口調で言った木林に対し、安達原は無感動に返した。
「これが元の世界でなかったことを感謝するんだな。何せ君は、沖縄沖で資源調査をしていた中国船に独断で砲を向け、最新鋭艦『くろひめ』艦長内定を取り消されて老朽艦に島流しされた男だからな! ま、恐竜と原住民相手なら外交問題にはならんわ! はん!」
 彼は、嫌味たっぷりな木林の言葉を無視して退出した。
 通路をしばらく歩いていると、脇に固まっている嘉城小隊の面々が見えた。彼らはだらしなく銃も装備も放り出し、衛生科の隊員が配給した生理食塩水を飲んでいた。
「なあ、おい。本物の恐竜はどんな感じだったんだ? 現地人とは何を話したんだ?」
 安達原は芸能業界紙記者よろしく、テープレコーダーとボールペンとメモ帳とをポケットから取り出し、嘉城に迫った。
「今日は勘弁して下さい。もうクタクタなんです……」
「少しでいいからさ、向こうの連中の姿格好とか話してくれよ。少しでいいから、な!」
「お願いしますよ~」
「ちょっと、ちょっとだけ!」
 床を這って逃げようとする嘉城を、安達原は後ろから押さえ込み放そうとしなかった。その姿は、ある種の誤解を招きかねないほど異様だった。
「ちょっと一佐、この方達には休養が必要なんです! どいて下さい!!」
 衛生士の横井二曹が、安達原を押しのけた。
「どわあっ!?」
 バランスを崩した彼は、床でしたたか体を打った。

 パスキル宮廷の帝宮は、帝都パスキリーを見下ろす高台に造営されていた。
 皇帝や各大臣が政務を行う宮殿を中心に、倉庫、小屋、療養所、近衛騎士団の兵舎などが広い敷地内に点在していた。さらに、背の高い堅牢な城壁がそれらを囲む。
 建物の門扉や柱などは、恐竜を始めとする中生代生物の彫刻で飾られていた。
 宮殿はドーム状建物と、その上にそびえ立つ白い巨塔から構成されている。そして今、ドーム内ホールの奥に位置する玉座の前には、帝国の3人の重臣が集まっていた。
「夜分遅くにお揃いで……いかがしましたか? まず話を聴きましょう」
 皇帝のリネル・シェルカが、丁寧な口調で言った。
 彼女はまだ20歳をわずかに出た少女だったが、彼女の気品と聡明さは外見を大きく凌駕していた。額にはめた簡素な王冠と、宮廷の紋章が入ったタイトドレスも、その姿によく似合ったものであった。
「恐れ入ります。陛下も御存知の通り、ネワディン王国が我が国に軍の駐留を求めております。本日も私とナイトウ外交院長で、アール・レーマール大将軍と会談いたしました」
 内府のミジャータ・ミグドットは、リネルとは対照的な大人の女性だった。数々の修羅場を経てきたことを物語る冷徹な目付きが、彼女の妖艶さをより一層際立たせていた。
「大地竜帝国の勢力が我が国へ向けられ始めているのは、紛れもない事実であります。彼らの侵略を単独で食い止められる人間の国家は、残念ながらネワディン王国のみです。一方、我が国が相互防衛の協定を結んでいる山岳自治国や群島公国などは、仮に全て合わせたとしても、帝国の力には対抗できますまい」
 外交院長のナイトウ・ナイトが、後を引き継いで言った。
「困ったものですね……」
 若き女帝は憂いを含んだ言葉を吐きながら、褐色のうなじに掛かる短い黒髪を弄んだ。
「皇帝陛下、我が精強なるパスキル帝国軍の力を信頼なさいませ。ネワディンの偽善者共は、口では人間全体の味方であるなどとほざいておりますが、結局は世界を竜人と分割支配したいだけに過ぎません。そのような欺瞞には、耳を傾ける価値すらありませぬ」
 護国大臣のクアード・ギブソムが口を開いた。その巨体は頭の頂点から爪先まで筋肉で覆われており、鼻の下には見事なカイゼル髭が鎮座していた。幾多の戦を戦い抜いてきた戦士である彼は、名実共に宮中一のタカ派であった。
「あの国の暴政は想像を絶するものがありますからな……。もっとも、人間そのものを下等な生物と見下している竜人よりは、まだましかもしれんが」
「何を言っておるのだ、外交院長! 縁起でもないぞ!」
「も、もちろん例えでございますよ、護国大臣」
 ギブソムの強烈な一喝に、ナイトウが慌てて弁解した。
「それで、どう対応を?」
「相手が相手だけに、下手に刺激するような回答をすれば、それだけで軍事侵攻を招きかねません。表向きでは協力する姿勢を見せながら、進駐そのものはのらりくらりと先送りし、その間に防衛体制を強化するしかないと存じます」
 リネルの問いに、ナイトウが結論を話した。
「私もそう思います」
「正直言って姑息なやり方だが、今はやむを得まい」
「陛下、御裁断をお願いいたします」
 リネルはナイトウの神妙な顔、ミジャータの刃物のような顔、ギブソムの苦虫を噛み潰したような顔をそれぞれ見渡し、「外交院長の言われた案でよいと思います」と答えた。
「はっ……」
 ナイトウが深々と頭を下げた。
「皇帝陛下に申し上げます!」
 制止しようとする衛兵ともつれ合いながら、シーマイルが汚れた服に泥や葉をこびり付かせたままでホールに乱入してきた。懲罰を与えられること間違いなしの格好だ。
「何だ、不作法な! 衛兵、今すぐこの無礼者を引きずり出せい!!」
 ギブソムが叫んだ。
「失礼を承知で参りました。大至急、皇帝陛下や皆様方のお耳に入れたいことがあります!」
「陛下、上官の私からもお願いいたします。私も聴いた時は半信半疑でしたが、紛れもない真実のようなのです」
 彼の後から、ギブソムに比してインテリ的な印象を受ける騎士がやって来た。宮中府直属の近衛騎士団を率いるロザク・ギルドだ。
「衛兵、下がってよい」
 ミジャータの一言で下がらされた衛兵が呆然とする中、シーマイルは報告を始めた。
 報告が一通り済むと、間髪置かずにギブソムの怒声がホール中に鳴り響いた。
「貴様ァ!! そんな夢物語を我々に信ぜよと言っておるのか!!」
「お言葉ですがギブソム大臣、彼と彼の率いる少年騎士隊に加え、私が結託して宮廷の皆様方に嘘八百を並べようとしているとでも言われるので?」
 怒りを辛うじて抑えた口調でギルドが訊き返した。
「違うのか!? しかもそやつらに帝都まで来るのを勝手に許したとはどういうことだ!!」
「お2人ともおやめなさい。シーマイル隊長、彼らの目的などは聞き出しましたか?」
「も、申しわけございません、ミジャータ様。それはできませんでした。ですが、あの者達からは悪意よりも戸惑いのようなものが感じられました」
「まあいい。本当だとするならば、その恐るべき軍団を野放しにしておくわけにはいかんな。陛下、直ちに討伐の用意を! 奴らの正体が何であれ、我々の敵であることに変わりはありません!」
「ああ、体に筋肉が付くのはよいことだが、それが頭の中にまで及ぶと、このような短絡した思考を生むことになるのか……」
 ギブソムの訴えに対し、やれやれと呆れたように息を吐き出しながらギルドが言った。
「何だと!!」
 ギブソムが、顔中の筋肉を怒張させて怒鳴った。
「我が国を攻めようと考えているのなら、わざわざ回りくどい交渉を持ち掛けたり、シーマイル隊長らを生かして帰すでしょうか? かなり紳士的な侵略者のようですな」
 その時、伝令兵が息せき切ってホールに駆け込んできた。
「皇帝陛下、一大事にございます!! ミゼロ湾内に6隻の巨大な鋼鉄船が侵入してきたとの、水軍からの報告であります!!」
「そんな、まだ半日も経っていないのに……もう来たのか!!」
 当のシーマイルは絶句した。
「陛下、彼らに使者を遣わすよう手はずを?」
「それには及びません。私が直接、彼らと接見します」
「陛下!!」
 ミジャータを始め、家臣らが異口同音に叫んだ。
「相手は着くべき港を見失い、我が国に救いを求めてきた迷い人達です。呼び出せば礼を失することになりかねません。それに、私も自らその姿を見てみたいのです。ギブソム大臣、ギルド団長。万一のため、水軍と近衛騎士団に出動を命じて下さい」
 リネルは言いながら、ゆっくりと席を立った。

「司令、沿岸から距離3キロです。湾内に障害物はありません」
「全艦に達する。全機関停止。甲板配置の隊員は、銃を携帯して作業に当たるように。警戒を厳とせよ」
 司令席に陣取る梨林が、マイクで命令を伝えた。
「10月1日21時56分、これは人類の探検の歴史に残るかもしれんな」
「はい。陸自の嘉城二尉らの証言に基づいてここまで来たわけですが、間違ありませんな。ここがミゼロ湾で、前方に見える灯りはパスキリーとかいう都市のものでしょう」
 岩田が相槌を打った。
「それにしても、まさか恐竜世界に人間の文明国家が存在していたとはな……」
「夜で幸いでした。昼間なら、ハチの巣を突いたような騒ぎになっていたことでしょう」
「嘉城二尉の話が正しければ、向こうから何か言ってくるはずだが」
「司令、『しゅり』の安達原副司令より入電です」
 通信長がヘッドセットを渡してきた。
「司令、感無量で涙が出てきそうですよ。木林のオッさんの顔を、ぜひ見たいもんです」
 安達原の声は弾んでいた。
「分かった分かった、そのセリフは彼には言わんでおくよ。それに、状況はまだ手放しで喜べるものではないんだ。交渉に備えて、君も身だしなみを整えてきたまえ」
 梨林は苦笑しながら返した。
「ハッ!」
「艦長、後は頼むよ。私も着替えてくる」
 通信を切ると、梨林はブリッジから退出した。
「艦長、対水上レーダーに反応です。沿岸から無数の小型船艇が一斉に出航しました。我が艦隊を包囲する気です。沿岸にも、たいまつの光が多数確認されているとの報告です」
 CICにいる船務長が艦内電話で報告してくる。
「刺激を与えぬよう、監視にサーチライトは使わないよう言え。それから、ウエル・ドックの艦尾ゲートを開けて、連中の舟が入れるようにしておくように。特別警備隊員を配置するのも忘れるな」

 皇帝一行を乗せた小舟は水軍の軍船に護衛され、艦隊で最大の船に近付いていた。
 6隻の鋼鉄の軍艦は、大小や形の差こそあれ、どれも島のような大きさがあった。
「マストに帆も張らず、この巨大な鉄の塊がどのように動くというのだ。あの帽子を被った鉄のクジラなどは、そのマストすらないではないか」
 人生を怖いもの知らずで通してきたギブソムだったが、これには驚きを隠せなかった。海賊と紙一重の荒くれ者揃いの水軍兵士らも、また同様だった。
「乗っているのは、一応我々と同じ人間のようですな」
 甲板上に並ぶ水兵達を見上げたナイトウが、わずかながら安心した口調で言った。
 彼らのいで立ちは、青服に編み上げブーツ、灰色の兜とジャケットという飾り気のないもので、その手には武器らしき鉄の棒がしっかりと握られていた。
 舟はやがて、鉄扉の下ろされた艦尾から内部へと進んだ。縦に並べられた2隻の異形の大型船を通り越すと、黒の戦闘服と防弾装備に身を包んだ10名の特別警備隊員が、89式小銃を持って待ち構えていた。
「お待ちしておりました。会議室まで御案内します」
 班長の一曹はそれだけ言うと、回れ右をして歩き出した。
 彼らの無表情さと黒尽くめのスタイルは、ギブソムに少なからぬ敵愾心を抱かせた。
「夜なのに船内は昼間のように明るいな。照明には何を使っているのだろうな」
 そんな彼も、敵愾心より未知への好奇心の方が若干上回っているようであった。

 会議室には、梨林、安達原、丸ノ内、今井の陸海空の幹部が詰めていた。梨林と安達原は詰め襟に金ボタンの白い長袖制服で、丸ノ内は緑色の作業服で、今井は灰色のそれで、それぞれ正装していた。
「司令、お連れしました」
 班長の声がした。
「御苦労。お通ししろ」
 班長がドアを開けると同時に、4人は一斉に起立して姿勢を正した。
「パスキル帝国皇帝のリネル・シェルカです、閣下」
 何をどう勘違いしたのか、リネルは安達原に向かって頭を軽く下げた。
「……ようこそ皇帝陛下。しかし自分は、副司令官の安達原であります。司令は……」
 背筋をピンと伸ばしたまま、安達原は答えた。
「ああ、私ですよ、陛下」
 梨林が苦笑しながら敬礼した。残りの3人も、すぐさまそれにならう。
「日本国海上自衛隊派遣艦隊司令・梨林悟郎です。お会いできて、光栄であります」
「失礼をお詫びいたします、閣下。この方だけ、胸に立派な勲章を下げていたので……」
「なあに構いません。どうぞ、お座り下さい」
 安達原の制服の左胸ポケットには、陸上自衛隊のレンジャーバッジとパラシュートバッジが輝いていた。海上自衛隊員としてはほとんど役に立たないものであるが、彼は若手幹部時代に丸ノ内と共にその訓練を受けていた。丸ノ内の作業服の左胸にも同じ徽章が縫い付けられていたが、黒刺繍であるために目立たなかったのだ。
(これが1つの帝国の皇帝なのか)
 少女のあどけなさを残しつつも威厳を備えた若き女帝の風貌に、4人は思わず心の中で唸った。
 やがて、リネルと3人の側近は着席して梨林らと向き合った。
「ではさっそくですが、まず我々がなぜこの世界に来たのかについて……」
 梨林は誤解を招くことを防ぐため、アメリカのイラク攻撃作戦に協力しているということは伏せつつ、これまでの経緯をできるだけ詳しく説明した。
「信じられん。嵐にも遭わず、ただ流れてきただけというのか?」
 ギブソムが怪訝な顔をしながら訊いた。
「はい、そうであります。しかも残念ながら、帰還は今のところ不可能だと思われます。
そこで元の時代に戻る方法が見つかるまで、必要最小限の兵員の居住地と物資の援助をお願いしたいのですが……」
「申しわけありませんが、それはできません」
 ナイトウが恐縮して言った。
「なぜです?」
 安達原が訊いた。
「我が国は、原則として外国の軍隊が領内に入ることを認めていないのです。仮にあなた方が堂々と国内に居座れば、他国に誤解される恐れがあります」
「………」
「ナシバヤシ閣下。我が国を含め、この世界のいかなる勢力とも敵対しないと約束できますか?」
 それまで黙っていたミジャータが訊いた。
「誓います」
「では、陛下……」
「そうですね。我々の責任で、特別に便宜を図って差し上げましょう。第一、この時代の人間ではないあなた方に我々の決まりを押し付けるわけにはいきませんからね……」
「ありがとうございます!!」
 4人の幹部自衛官は机に手を着き、深々と頭を下げた。
「取り敢えず、パスキリーの水軍基地と練兵場を用意します。ゆるりとお休みになって下さい。娯楽や慰安に不足があれば、いずれ将兵の外出なども考慮しましょう」
「街へ出られるのですか!?」
 ガタリと椅子を蹴り、安達原が思わず立ち上がった。
「はい。この世界の歴史や風俗に関しても、可能な限りお教えしましょう」
 偽りのない顔で、リネルは答えた。
 感極まって涙を流し始めた安達原を、丸ノ内が慌てて座らせた。
「では……」
 リネルは席を立った。
「ニッポン国の皆様にこの星の加護がありますように」
 梨林らは起立し、感謝に満ちた表情で改めて最敬礼を送った。



最終更新:2007年10月31日 03:04