最近は事務仕事も板についてきた。
元々、この時代の事務というものはそう複雑ではない。
文字が分かれば書類整理くらいこなせるし、算術ができれば織田家の収支状況をまとめたり、兵糧の計算などに使える。

そういうことをしながら時々信長様との面会を行い、家では孤児たちの面倒と教育、硝石作りに励むわけで結構忙しい。
ただ、硝石を作るために百姓の家々を回り、床下の土を集めるのは、彼らの年長者に任せているので、それについては問題はでていない。
彼らでも出来る簡単で安全な仕事でもあるので、奨励している。

しかし、そうやってただ毎日を過ごしていても、出世は出来ない。
このままでは俺は自らの目的を達成する事などできはしないだろう。
そもそも、この時代では武功の方が重要視され、俺のしているような事務では出世など望むべくもない。

―――命を張る覚悟が必要なのだ。そして、それはもうできている。

だから俺は『とある案』を提出した。その結果、予想通り信長様に呼び出される事になった。
……ここからが勝負である。



気晴らしに書いた現実から戦国 第四話「出世への一歩」



「面を上げい」

短く、それだけの言葉を聴いて、俺は顔を上げた。
相変わらず才気と威圧感に溢れた信長様の姿がそこにはあった。

……やはり、気圧される。

所詮自分は軟弱な現代人。この戦国の人間との胆力の差は歴然。
血を血で洗う戦国で生き抜いてきている本物の戦国大名を相手にどっしり構えるのは厳しいものがある―――だが、それでも……渡り合ってみせねばならない。
出世のために。あの可愛いあいつらのために。

思いを強くし、心を保つ。
そうしている俺を知ってか知らずか。信長様は一枚の紙を畳んで投げてきた。

「明人、そちの描いたこれを見た。……これをまことに出来るのか?」

紙を拾い、中を見る。
ああ、確かにこれは俺の描いた絵と文だ。提出したものに間違いない。

中身を確認した俺は小さく頷く。

「材料から人員まで全て揃いさえしますれば、必ずや」
「……で、あるか」

数瞬、信長様は考え込むように眼を閉じ、そして見開いた。

「なれば、この書状を持って明日、熱田神宮へ往けい。神人衆のものどもが力になるであろう」
「ははっ! ありがとうございます!」

俺は深々と頭を下げながら、信長様から一通の文を預かる。
これで俺は己の願いにまた一歩、歩みを進めた。あまりの順調さに思わず顔も綻ぶ。
あとは信長様が退出するのを頭を下げ続けて待つだけだった。

―――このまま何事も無く終わる。

俺はそう思っていたが、信長様は退出する直前、こちらに振り返って一言だけ言った。

「明人、必ず成果は上げよ」



翌日、俺は供のものを連れ、早速熱田神宮に向けて出発した。
俺の供をする連中は、信長様が用意してもらえた。
自分で用意するのも多少難があったし、費用も信長様持ちなので正直ありがたい。
そして、なにより信用できるというのがいい。

この時代、誰が信用出来るのか否かがとてもわかりづらい。
だから下手な奴を護衛にでも雇ったら、道中で殺されて身ぐるみを剥がされるなんて事も起こり得るのだ。
その点、信長様が付けてくれた供は、身元がはっきりしているため、信用が置ける。

……まぁ、信長様が俺を嵌めようとしているのならば、これ以上ない窮地ではある。

だから信頼はしない。信用はするけど、信頼はしない。
尤も、信長様が俺を如何にかするのならば、こんな回りくどい手は使わないだろうが。

結局、道中に懸念に思っていたことも起こることなく、目的地である熱田神宮へとたどり着く。
熱田神宮は、三種の神器の一つである草薙剣を御神体としている千数百年の歴史を持ち、現代においても、年間一千万人近い参拝者が訪れる由緒ある神社だ。
また、鎌倉幕府を開いた源頼朝の生誕地も、この熱田神宮から近く、更に頼朝の母は熱田大宮司の娘であり、頼朝自身にとても縁が深い地でもある。

そして、この熱田神宮はこの戦国時代において大いに栄え、更に門前町を抱えている。
門前町というのは、大規模で多くの参詣者を集める寺院や神社の前に、寺社の関係者と参拝客を相手にする商工業者が集って作られた町である。
広い意味では、近隣の信徒が集落を形成する事になった寺内町や社家町も含める。
歴史的な市街地の成立場所には、城や湊、市場に相場などがあるが、寺社もそのうちの一つである。神社の場合には鳥居前町とも言ったりもする。

俺の目的は、この熱田神宮が抱える門前町の工人衆、つまりは職人に用がある。
信長様は神人衆を頼れと言ったが、神人というのは古代から中世の神社において、社家に仕えて神事、社務の補助や雑役に当たった下級神職や寄人の事だ。
まぁ、神社の人と単純に考えていいが、別に信長様の発言が間違いであるということはない。神社に隷属した芸能者、手工業者、商人なども時代が進んで神人に加えられる事になるからだ。
神人でも手工業者は含んでおり、その手工業者がいわゆる職人である。だから信長様の神人衆を頼れという言葉は間違いではない。

ただ、神人は社頭や祭祀の警備に当たることから武器を携帯しており、僧兵と並び立つほどに乱暴狼藉や強訴が多くあった事が現代でも記録に残っているほどで、俺にとってはそれがかなり不安材料でもある。
流石に信長様の家臣をいきなり如何にかするような事はないだろうが、それでも警戒はしておくべきだろう。

俺は早速供を連れて熱田神宮の境内に入り、中にいた明らかに神人と思える服装をした人に声をかけた。

「あぁ、そこの方。我々は織田弾正忠家のものですが、少々宜しいでしょうか」
「ああ、はい。なんの御用でしょうか」

怪訝そうな顔をしてこちらを見ていたのだが、こちらが織田弾正忠家のものと言うと警戒を解いて近づいてきた。
まぁ、信長様が子供の頃から度々顔を出していたそうだから、個人的にも公的にも相当親しい関係なのだろう。

織田氏は元々、尾張守護斯波氏の家臣であり、清洲織田家と岩倉織田家に分裂して争っていた。
それを清洲織田家の三家老の一人であった弾正忠家の織田信定公と、その子である織田信秀公は、才智と経済力を背景に主家を凌ぐ力をつけた。
そして、信秀公の代には活発に戦を行い、尾張統一を進めると同時に、美濃の斎藤氏や三河の松平氏、駿河の今川氏と抗争を繰り広げた。
その信秀公の息子こそが信長様であり、現在の織田弾正忠家の当主である。

俺はまだ長い付き合いというわけではないが、信長様は人情論よりも数学的論理を重視する人だということは分かっている。
その方向へ導いたのが神人衆だ。その神人の中にいる工人は、神人の中でも武具などを作る技能集団であり、彼らの仕事振りを幼いころから信長様は見てきたという。
工人は仕事での誤魔化しが効かない。常に現実的事象から物事を理論的に修正し、そして突発的な出来事にも柔軟に対応しなければならない。
その工人の仕事、作業工程から信長様は様々な事を学んだようだった。それが信長様という人物の礎となっているのだろう。

ともあれ、俺は話しかけた人に事情を話し、渡りをつけてもらう。
彼はそれを承知して熱田神宮の奥へ引っ込んでいった。
しばらくすると、壮年の偉そうな人が現れ、軽くこちらに頭を下げた。俺も頭を軽く下げてお辞儀をする。
偏屈そうな人に見えて、個人的にあまり親しくなりたいとは思えなかったが、とりあえず信長様から預かった書状を渡した。

書状を受け取ると、早速開いて中を読み始めた。読んでいる間の沈黙が少し気まずい。
しばらく時間が経つと、彼は書状の内容を読み終えたらしく、綺麗に折りたたんで自分の懐に入れた。

……なんて書いてあるのか俺は知らないんだけどなぁ。

内容だけでも話して欲しいと思っていたが、この偉そうな人は見た目通りの偏屈な人のようで、最初に話しかけた神人の人にボソボソと話すとさっさと何処かに歩いていってしまった。
流石に放置は困るのだが。そう思っていると、先程の人が声をかけてくる。

どうにも俺をある人物の下へ案内するように指示されたらしい。
苦笑いしながら、そのように言ってくる彼に少し同情する。
面倒ごとを押し付けられて、いいように使われる部下。そんなイメージを抱いた。

その彼に案内されて、工房らしいところに連れてこられる。供のものも一緒だ。
盛んに金槌か何かで物を叩く音が聞こえる。どうも工房らしいじゃなく、工房へ連れてこられたようだ。
そのまま中に俺は入ったが、供のものたちは入り口で自然と待機する。何かあったときには彼らが信長様の下へすっ飛んでいくのだろう。
ただ、俺は一体誰に警護されればいいのやらと思ったが。腕っこきを一人くらい傍においておく必要はありそうだ。

中に入ってみれば、そこかしこで何かの作業をしている人たちがいた。
あるものは鎧を、またあるものは籠手を、また別のものは釘を……各々が自分の仕事に集中して作業をしていた。
こういった職人が職人として、本当に手作業で一つ一つの品物を作っていくその作業は、自分にとって珍しいものとして映った。

しばらく眺めていたかったが、そこから更に奥に案内され、客間と思える場所に通される。
ここで少しの間待っていて欲しいと言われ、素直に従う。
彼はこの場所に誰かを連れてくるようだった。まぁ、その誰かがどのような人物であれ、俺の要望する仕事のできる人間である事は恐らく間違いないだろう。何しろ信長様の紹介なのだから。

しばしの時を持て余しつつ、おとなしく待機していると先程の彼が戻ってきた。
勿論一人ではない。後にまた一人続いて客間に入ってくる。
厳つい顔と身体で、髭を生えるに任せて伸ばしっぱなし。むっとした表情を隠しもせずに目の前に座りこんだ。

……これは骨が折れそうだな。

一目見てそう思った。そして物理的にも、そうなるかもしれない雰囲気を持っている。
だが、それでも俺は退くわけにはいかない。たとえ、殴られようが蹴られようが必ずこちらの要求をかなえてもらう。
無理だ、出来ない、などと難色を示されたとしても口八丁手八丁で口説き落とす。その自信は目の前の男を見ても変わらずあった。

まぁ、そもそも織田家からの要望である。それを断わるなど出来はしないという打算もしている。
ただそれでも、まず話をするのが先決であろう。それでこいつの人柄を見極める。

「織田弾正忠家が家臣、司馬十兵衛と申す」
「……熱田工人、堀田木八郎にございます。して、此度は何用でありましょうや。仕事が立て込んでおりまするゆえ、出来うる事なら早めに用向きを済ませたく」

余計な事を言わず、堅苦しさを感じる。よく言えば、クソ真面目か。
頑固で石頭なガチガチの職人気質の人間と見た。

ちなみにこちらの名乗りの十兵衛というのは仮名(けみょう)、通称である。
俺の本来の名前である明人は諱(いみな)として日常では使われない。

諱は中華文明を発祥とした東アジアの漢字圏における人名の一要素だ。
諱という漢字は、日本語では「いむ」と訓ぜられるように、本来は口に出すのが憚れる事を意味する動詞である。
古代に貴人や死者を本名で呼ぶことを避ける習慣があった事から、人の本名のことを指すようになった。
諱に対して普段人を呼ぶときに使う名称のことを、字(あざな)と言い、時代が下ると多くの人々が諱と字を持つようになった。

普段は、貴人を居住する邸宅の所在地名や官職名などに基づいてつけられた通称を使って呼ぶことが通例だった。
また、無位無官のものについては太郎、次郎など仮名をもって日常的な通名として使用していた。

この時代では、そのような通称による呼称が一般的なので、俺も合わせたわけだ。
尤も、十兵衛には深い意味はない。通称が必要になった際に、時代劇の柳生十兵衛が頭に思い浮かんだだけで使い始めたものだ。

「貴殿はそれがしの用向きを知らされておらぬのか。いや、それよりもまず聞いておきたい。貴殿は何の仕事なさっておいでか」
「ハァ……? 家屋大工の棟梁をしておりますが、それが如何なさいましたか」

家屋大工……つまりは一般的な住宅の建設、木材の加工などを行っていると考えていいのだな。
ならば全く問題ない。いや、それどころかこれはちょうどいい人材だ。

顔は真面目なままで、内心笑みを浮かべる。
この人物を紹介したのは熱田神宮の名も知らぬ人か、信長様の配慮かのどちらかだろうが、どちらであろうとも感謝はしておく。中々にいい人選であるから。

頭の固い人ではあろうが、腕はよさそうなので気に入った。
実際の仕事も見ておきたいところだが、こちらとしても早めに成果を信長様に見せておきたいし、扱うにしても人手と熟練するための時間がいるものなので、さっさと作ってもらいたいのだ。
そういうわけで、堀田木八郎。勝手に決めて悪いが、俺にとことん付き合ってもらうぞ。

意地の悪い事を考えつつも、その素振りを全く見せずに真面目一辺倒に見えるよう真剣な面持ちで言葉を発した。

「貴殿に頼みたい仕事がある。いや、貴殿というには語弊がある。正確には貴殿の配下のものの手もお借りしたい」
「……他ならぬ織田家からの仕事にございますれば、否とは言いませぬ」
「それはよかった。では、まずはこちらを見ていただきたい」

俺は懐から一枚の紙を取り出すと、その場に広げた。
それを訝しげに見る堀田。

「これは……一体何でございましょうか?」
「うむ。これは投石機だ。正確には平衡錘投石機という。こいつをお前たちに作ってもらいたい」

―――これが俺が戦で出世するための切り札である。




最終更新:2008年12月21日 21:53