鉄血外伝・Imagine Sense 後編
まったく、気の重い行軍だった。脱出のめどは立たず、敵は時間をおうごとに増えていく。すくなくても、前線でズタボロにやられた敵兵にだけは捕まりたくはない。けど、今はまだ目的地があるだけマシだろう。
地元民が山に入るためにつくった歩道を使い小山を上った。ケモノ道より少しマシ程度のものだが、何もない斜面を登るより体力を抑えられる。尾根まで上がらず、途中、地滑りが起きて視界が広がった場所があったので、そこから平地を見渡した。
ラプトルと兵士の集団が少なくても100人はいる。中隊規模だ。
「装備が一緒だ。敗残兵なんかじゃない、きちんと編成された追跡隊だよ」
「あの背中に背負ってる筒、やつら迫まで持ってるのか? 畜生、VIP待遇だな」
「包囲されたらまずい。山を降りよう」
「何処へ向かう?」
「海はどうかな? ここからなら、あの追撃隊と山を挟んで向こう側だし、友軍との連絡も取りやすくなる」
七飯が地図に指を滑らし海岸線を示した。そう遠くはない。山を降りて3時間ほどの距離だろうか。
「だめだ。作戦概要を読まなかったのか? 敵船団への攻撃も目標になっている。今頃、海側は敵がうようよいるぞ」
「そうとも限らないよ」と七飯がぴしゃりと言った。
「昨日は、敵の物資集積所を爆撃した。そして、この船団には敵の補給物資が山積みされていた」
「敵は補給物資が不足しているということか?」
「そう、その状態なら敵は沈んだ船からだって荷物を拾おうとする。そのためには人手がいる。たぶん、自持ちの兵隊だけじゃなくて、地元民まで動員すると思うよ」
「港の近寄らなければ、人気は少ない」
「そういうこと」
山を降りることは上るより注意が必要だった。足を降ろした位置が悪いと、落石などで痕跡を残しやすい。ようやく山を降りたのは、正午近くになった頃だった。
「丁度いい、敵は昼飯を取っているよ」
「俺達はずらかるぞ。ここを離れるのが第一だ」
道や田畑は避け、林の中を進んだ。林の中は下草が生い茂り、視界は30メートルと確保出来ない。それは自分の姿を隠してくれるが、半面敵の姿も隠しているので厄介ではあった。
一時間、林の中を歩きそこで昼食を取る事にした。食事と言っても、固形物のレーションと缶詰だけ、それも食い伸ばしをするためすぐに終わる。食べ終わった頃、急に七飯が、きょとんとした顔で辺りを見渡した。
「どうした?」
「何か、音が・・・」
立木を背にして、銃を構える。
「どっちからだ!?」
「そっちだ!」
七飯が茂みの奥を指差す。首を回した瞬間、茂みの中から、大きく開かれた口が俺の方に向かってきた。咄嗟に銃を前に出し、口に中に押し込む。相手はラプトルだった。しかも、首に首輪をしている。ラプトルは口に挟まった銃を外そうとしきりに首を振る。こちらも銃を掴んでいる手を離されまいと必死だった。指でセイフティーを弾き、トリガーを引く。くぐもった音がして、弾はラプトルの上顎を貫通し、鼻先から上へ飛び出した。
ラプトルが怯んだ隙に、銃を取り戻す。
「畜生!」
サイレンサー部分が潰れたMP5SD4を構え直し、マガジンに残った全弾を叩きこむ。
ラプトルは後ろに下がったが、倒れることはなかった。
「嘘だろ・・・」
その時になって、俺は表皮の硬い恐竜には89式小銃でも有効ではなかったと言う報告書があった事を思い出した。ライフル弾でもだめだったものに、それより威力の低い9ミリ・パラベラム弾を当てたところで効果は知れている。
ラプトルが雄叫びを上げ、こちらに突進して来た。鋭い爪に一撃はケブラー繊維の防弾チョッキを切り裂き、左腕を掠める。
「手榴弾だ!」
七飯の声に反応して、胸ポケット前に吊り下げた手榴弾を取った。ピンを外し、ラプトルに向かって放り投げる。ラプトルはそれを口でキャッチしようとして、口の中に飲み込んだ。それから、再びこちらを睨みつける。
「伏せろ!」
地面に転がるように伏せると同時にラプトルの身体が爆発した。至近距離の爆発で、一瞬意識が飛びそうになる。耳が痛い。
起き上がって、状態を確認した。四散したラプトルの肉片が、あたりに散乱している。自分も、ラプトルの血で汚れていた。
「大丈夫?」
七飯が尋ねる。
「左腕・・・」
七飯に言われて、左腕を見るとまるで斜線を引いたように、綺麗に割れていた。あの爪の一撃だ。掠めただけかと思ったが、しっかり届いていたらしい。痛みは感じなかった。
ファーストエイドキッドを取り出し、消毒剤をぶっ掛ける。激痛が走ったが、それに耐え、ガーゼと包帯で包んだ。
「すぐ移動するぞ。このラプトルはネワディン王国のやつだ」
ラプトルの雄叫びや手榴弾の爆発は確実に敵に聞こえただろう。血の匂いを辿られて追跡される。
小走りになりながら、林の中を進む。物音がそこら中でしてきた。それは単なる獣のものかもしれないし、ネワディン王国の追っ手かもしれない。
「また、確認するか?」
「今は危険だよ」
「なら、俺一人でいく。時間も稼いでみる」
シグ・ザウエルを取り出し、グリップを向けて七飯に差し出した。
「なに?」
「俺がやられたら介錯役がいなくなるだろ?」
「・・・わかった、僕も行く。それから銃はいらない、舌ぐらい自分で噛めるよ」
釣り針型に迂回路を取って、後方へ回る。茂みに隠れしばらく待っていると、ラプトルに乗った二人の兵士が現れた。やはり追跡されていた。
「あいつら俺の血の跡をつけてやがる。ラプトルに乗って移動速度がはやい、ここで片付ける」
「駄目だよ、彼らは前衛だ。後続がいる」
「じゃあどうする!?」
「まって・・・、あッ」
兵士達が突然こちらを向いた。
「血の匂いを嗅がれた! こっちに来る!」
「来やがれ! 同族殺しなら俺達の世界の方が手馴れてる!」
膝立てで銃を構えた。向こうは真っ直ぐ突進して来た。
息を吐く。
その後は、身体が機械のように動いた。
自分でも不思議なぐらい落ち着いて、時間の流れがよく煮込んだスープのように気だるく感じる。
照準に敵の頭を捉え、タブルタップで軽く引いた。ガク引きなどしなかった。訓練どおりの行動。
額を撃ち抜かれた二人の兵士は、身体の力が抜けたようにラプトルから落馬する。急に主を失ったラプトルたちは、しばらく辺りを見渡すと、どこかへ行ってしまった。
俺は身体の力が抜け、その場に蹲った。
「・・・はじめて人を殺した」
「・・・そうだね」
七飯の声が遠くに感じる。
中隊にいた頃、射撃は的じゃなくてトマト缶を詰めたキャベツを使っていた。その意味がようやくわかった。
「落ち着いてるな、七飯。お前なら取り乱すかと思った」
「まだ、実感がわかないのかも・・・」
「・・・俺もだ」
腰を上げ、元来たルートに戻り海岸線を目指す。
七飯の言う通り、後続の部隊がいるのなら、帰って来ない斥候でこちらのルートを割り出したはずだ。包囲網を狭められる前に脱出するしかない。状況は最悪と言う以外にない。中隊規模の追撃隊に追われ、負傷も負っている。脱出手段はいまだに決められていない。これが最悪でなくてなんなのだ? まるで地獄へ向かって歩いているようだ。
左腕が今更のようにむず痒くなってきた。身体も火照ってきている。
長くは持たないな・・・
そう直感した。
俺は、こんなところで死んでしまうのだろうか?
こんな知らない土地で、なにもわからないまま・・・
「大丈夫だよ」
と七飯が言った。
「なんとかなるよ。仲間だって、必死に脱出手段を考えてくれている」
仲間か・・・
あぁ、そいつらは少なくても俺を弔ってはくれるだろう。
そいつは、素敵だ。
感謝の至りだ。
俺は、そいつらを呪うことはない。
むしろ、見守ってやる。
人殺しまでやっちまっていては、天国に行けるとは思わないけど。
地獄に堕ちたら、いろいろと忙しいだろうから勘弁してくれ。
仲間はいいもんだ。
けど、いまこの地獄から救い出してはくれない。
海まで後少しというところで、林の切れ目に出た。まるで、地獄の門をくぐるみたいだ。
この門をくぐるものは、一切の望みを捨てよ、か。
七飯の方を向くと、七飯は黙って頷いた。
一応、お別れの言葉だけは言っておくか。
「スケープゴートより、マザーシスター」
「こちらマザーシスター」
「ルートの前方に、ひどく通過困難なエリアがある。これより通過を試みるが、成功する可能性が低い。そのため乙種機密保守手段を実行する。予め宣言しておく」
「スケープゴート、回避出来ないのか?」
「中隊規模の追撃を受け、スケープゴートは負傷中だ。月並みだが、議論の余地はない状況だ。了解したか?」
「マザーシスター、了解した」
「オワリ」
交信を終え、無線機を降ろす。バッテリーボックスを空け、中のバッテリーを抜き、その中に水を掛けた。バチンという音がして無線気が死ぬ。レーザー照準器にも同様の措置を取り、穴を掘って埋めた。
乙種機密保守手段は、機密機材の破壊のことだ。確実に破壊された事を確認し、隠匿して処理する。その上の甲種は、機密を持つ人間が対象になる。
銃のマガジンを換装し、チャンバーに装填する。
セイフティーを解除。
深呼吸。
「いくぞ」
「うん」
平地に出て、なるべく窪んだ場所を探り進む。太陽がすでに傾き掛けている。うまくいけば、夕闇に紛れて突破できるかもしれない。
ヒューンという音を聞いたときは、驚きより、ああやっぱりなという気持ちの方が強かった。
「伏せろ!」と叫び、飛び込むように地面に突っ伏す。
20メートルぐらい左手で爆発が起きた。
迫撃砲だ。
「走れ! 走れ!」
全速力で駆け出す。銃弾が頭の上を掠める。また、ヒューンいう音が聞こえた。爆発。まだ遠い。
「横! 土手の上に観測手がいる!」
七飯が叫んだ。
振り向き、銃を構える。土手に人影があった。三点バーストで、引き金を引く。手ごたえあり。また、走り出す。
敵の射撃が止まると、後ろの林からラプトルに乗った騎士が飛び出してきた。
手榴弾を取り、3秒数え投擲する。手榴弾はラプトルたちの目の前で爆発した。2,3、運のないラプトルと兵士が倒れたが、音は残りのラプトル達を驚かせ、騎手たちを振るい落とさせた。
突撃に失敗したとわかり、再び周囲から銃撃がはじまった。
「迫の開けた爆撃孔に入れ!」
「駄目! 包囲される!」
次に突撃した来たのは、歩兵だった。騎兵より数が多い。
残った三つの手榴弾をすべて使う。
連続した爆発が起こり、そこへ目掛け斉射する。空になったマガジンを捨て、走る。
まだ、迫撃砲の砲撃が始まった。今度は一つや二つでなく、少なくても10門近い砲座から一斉に放たれたものだった。
「あいつら、味方がまだいるんだぞ・・・」
その砲撃は残っていた歩兵を吹き飛ばした。身体を起こし爆煙の影に隠れながら、走り続ける。
マガジンを交換しようと思うと、左手の感覚がもうないことに気付いた。力の入らない腕でマガジンを交換する。
「こっち!」
倒木と岩の遮蔽物を見つけた七飯に続き、飛び込む。
息が上がって、呼吸が辛いが、ほんの僅かに小休止が取れた。
「畜生・・・」
マガジンは後3つ、それがなくなればあとはシグ・ザウエルとナイフしかない。
ここまでか・・・。
倒木から顔を出すと、横列にならんだ歩兵とラプトルの一団がじりじりと近づいてきていた。
まるで死の使いだ。
「・・・七飯」
「まだ・・・、まだだよ・・・」
「・・・お前はまだそんな事が言えるのか?」
それとも俺に殺されるのが嫌なのか?
「どちらでもないよ。君だって、そう思っているだろ?」
なぜだ?
「わからない?」
銃弾が頭上を掠める。敵の銃は単装式だ。銃口だけ出して撃ちまくる。敵が怯んだところで、顔を少し出して狙いを付けて撃った。三人倒したところで、応射が返ってきて頭を引っ込める。マガジンを交換し、応戦。
「僕も、君も諦めいていない。だから戦っているんだろ?」
俺が戦っているのは、状況がそうさせるからだ!
「違うよ。君は勘違いしている。君は自分の意思で戦ってきた。けど、それに自信が持てなかった。」
七飯は何を言ってるんだ?
なんでこいつは俺にそんな事を話す?
「まだ、わからない?」
すぐ近くで爆発が起き、身体が弾き飛ばされる。粉塵で周りが見えない。スモークだった。突撃準備射撃だと直感した。こちらの視界を奪い、白兵戦で止めをさすつもりだ。最後のマガジンと、シグ・ザウエルを取り出す。
「七飯、無事か!」
僕は無事だよ。
「もうすぐ、突撃が始まる。まだ何か言うことはあるか?」
君は?
「俺はお前が嫌いだった。いつもなよなよしてるくせに、急に意地を張りやがる。わけのわかならい奴だと思ったよ」
それは君も同じじゃないか? いつも肩意地張ってるのに、いざって時は急にしぼんじゃってさ。
「あぁ、そうだ。俺達は互いが互いに補っていた。お前は俺を励ましてくれた。お前は俺を救ってくれた。畜生、ようやくだ! ようやく気付いた! ありがとよ!」
そう。
気付いてくれた?
よかった。手遅れになる前で・・・
「もう手遅れだろ・・・?」
聞こえない?
今、僕がこうしているのは君が気付いていないことを気付かせるためだ。
君はまだ気付かないかもしれないけど、僕は気付いてる。
だから、助かるって。
信じてよ、戦友。
目を覚ましたのは、野戦天幕の中のベッドの上だった。キャンバスの天井は、よく知っていた。
「あ、気付かれました?」
衛生士の横井二曹が慌てて駆け寄ってきた。動かないよう注意されたので、体の力を抜いて楽にした。消毒薬の臭いが鼻をつく。左手の包帯は、新しく巻き直されていた。それを見ていると、横井二曹が笑いながら言った。
「あ、これ? 応急にしちゃ結構うまく巻けていたけど、こっちにも本職のプライドがあるからね。縫合もしてある。負傷手当はちゃんとつくよ」
たぶん、冗談のつもりなのだろうが、笑える気分じゃなかった。彼女もそれを感じ取ったのか、笑顔を引っ込めて続けた。
「すぐ医官を呼んであげたいけど、他の人で手一杯だから、少し待って」
右手を上げて、わかったと意思表示をすると、横井二曹は自分もやる事で一杯だからと言って出ていってしまった。
「俺はどうなったんだ・・・」
「君が知らないことを僕が知るわけないだろう?」
ずいぶん懐かしく感じる声がした。
「たぶん、直前で救援ヘリが間に合ったんだ。僕はヘリの音を聞いていたしね」
そうか、助かったのか・・・。
右手で首もとの下げられたドックタグを掴み、顔の前に掲げた。
七飯智也三等陸曹という自分の名前が書いてあった。
「・・・イマジナリー・コンパニオン」
いわゆる『架空の友達』ってやつだ。幼児期の30パーセントの子供が経験するもので、解離性同一性障害、いわゆる多重人格とはちがい、知識や記憶を共有し、ほとんどの場合はそのまま消滅してゆく幻想だった。
「そう、僕は君は同じ」
「子供の頃の話だ・・・。どうして急に現れた?」
「それは、君が僕を必要としたから。たぶん、実戦の緊張が原因だと思う。僕は知覚に優れていたからね」
ラプトルに襲われた時、追撃隊に見つかった時、土手の上に観測手がいた時、こいつは俺が気付いていない物音や視野に機敏に反応していた。それだけじゃない。行軍中、コンパスを見ていたのもコイツだった。移動ポイントを的確に判断したものだ。
「まるで守護天使だな」
「そんなのじゃないよ。本当は全部君がやっていた事だ」
「おだてるなよ。調子に乗ると失敗するのはお前も知ってるはずだろ」
「そうだね。もしかすると、それが僕を呼び戻した原因かもしれない。知覚に対して、主観でなく客観で求められる解答を君は求めていた」
「たぶん、そうだろうな・・・」
「なら、僕の役割は終わりだね。もういいだろう? 君は自分一人でやっていける。それだけの能力がある」
「待てよ」、伸ばした右手が空を掴んだ。
「お前は知覚以外にも、俺より優れている事を忘れてるぜ?」
「なに?」
「暗号表、お前の代わりに誰が覚えると思っているんだ?」
最終更新:2009年01月06日 21:33