奥井雅美

奥井 雅美


1968年3月13日
兵庫県伊丹市出身のシンガーソングライター・音楽プロデューサー
A型
大阪芸術大学芸術学部を一年次に中退する。
所属事務所・レコード会社は、ピーエムクリエーターズ、M FRIENDS・スターチャイルド(キングレコード)、キングレコード、ドワンゴ・ミュージックエンタテインメント/evolution(ジェネオン・エンターテインメントを経てエイベックス・マーケティング。
愛称は「まっくん」など。

概要

1989年から、斉藤由貴・原田知世・Winkなどのバックコーラスを担当する。
1990年から1995年にかけては、松任谷由実のツアーで、コーラス&バック・ダンサーを務めた(高橋洋子などとも、一緒に仕事をしていた)。その間にシングル「誰よりもずっと」で、ソロデビュー(アルバイト感覚だったらしい)。
以後は、主にアニメ主題歌を多く手掛けて、アニソン歌手として認知されるようになる。また、楽曲提供や雑誌へのエッセイ連載などでも活動する。

2000年には、TOTOのスティーブ・ルカサーや、MR.BIGのビリー・シーンなどの海外アーティストと共演していたが、この頃からプロデューサーである矢吹俊郎と、音楽性に関するずれを感じるようになる。
その後は、矢吹と袂を分かち、本格的にセルフプロデュースを開始する。
コンセプトミニアルバム「ANGEL'S VOICE」は、林田健司により、それまでとは全く異なる作風に仕上がり、新境地を開拓した。
また、石田燿子に「power of love」を提供するなど、徐々に音楽プロデューサーの活動も開始する。
この頃は「JAM Project」に加入したり、米倉千尋と「r.o.r/s」を結成したりなど、積極的に活動する。

2004年には、自主レーベル「evolution」を設立して、プロデューサー業を本格化した。
同年に始まった「奥井雅美 O-Live」では、アニメ専門携帯着メロサイト「アニメロミックス」との共催で“着歌ヴォーカリストオーディション”を開催して、近江知永がデビューを果たした。
近年は「@Tunes.」の司会を務めるなど、以前にも増して幅広く活躍している。

人物

子供の頃からレイジーの大ファンであり、最も影響を受けたバンドもレイジーであると語っている。
中学生の頃はレイジーと共演するためにアイドルを目指していたとも明かしている。
2009年9月27日に行なわれたライブイベント「ランティス祭り」にてレイジーと初共演し(『感じてKnight』のコーラスとして)、呼び込みの段階で感激のあまりステージの上で涙を流した。
松任谷由実のツアーコーラス参加について、先に参加を果たしていた高橋洋子と知り合い、当時のツアーでやっていたコーラスの振り付けを教わって猛練習してからオーディションに望んだ。結果、オーディション募集要項の規定身長に満たなかったにも関わらず合格した。
林原めぐみとは「Get along」以来の親交があり、放送時間帯が連続するお互いのラジオ番組(林原の番組の後に奥井の番組が放送されていた)へゲスト出演する事もキングレコード所属時には度々あった。とは言え、互いのプライベートに踏み込むほどの親交があるわけでもなく、このような関係で友達と呼び合うのは不自然であるとの思いから、互いに友達と呼ぶ事は無い。スターチャイルド時代は頻繁に林原のラジオへゲスト出演していたが、evolution移籍後はゲスト出演の回数が減っている。
アルバムタイトルの名義において「奥井雅美」と「Masami Okui」の両方が混在していたため、これを統一するため「okui,masami」という名前で活動していた時期もあった。
ラジオ番組では「『デビルマン』の不動明のような男性がタイプである」という発言も聞かれた。
体調を崩すことが多く、病を押して仕事をすることがしばしばある。
ライブ活動も積極的に行っており、個人のライブツアーとしては年1~2回行われる(そのうち1回は東京単独公演の場合もある)。うち1回は奥井の誕生日である3月13日付近に必ず開催されている「Birth live」であり、他1回はアルバムの発売がある場合に開催される傾向にある。また2006年の大晦日にはカウントダウンライブが行われた。東京での公演はShibuya O-EAST、LIQUIDROOMで行われることが多い。
ライブ中にタオル曲が最低1曲は組み込まれており、大きな特徴となっている。例として「Never die」「それは突然やってくる」「Shuffle」などがあるが、ここ数年は「Shuffle」が歌われることが多い。
上記の「タオル曲」は矢沢永吉から影響を受けて始めたそうで、始めた当時のライブのMCで「矢沢さんが、60歳まで現役で歌い続けたいと(当時)語られていたので、自分は80歳まで歌い続けたい」と発言していた。この「80歳まで現役で歌い続ける」という趣旨の発言は、その後現在に至るまでのライブでも度々聞かれる。
かつて毎日放送で放送されていた「素人名人会」に出場し、名人賞を獲得したことがある。


関連用語

最終更新:2010年08月28日 12:04
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