解説
元ネタは、西尾維新『<物語>シリーズ』の主人公・阿良々木暦の台詞。
実況民の多くは、友人が全くといっていいほどいない。
おそらく、実況民は学生時代を孤独に過ごしてきた(と思われる)。
そのため、「仲間や友情の大切さ」という、
(主に子供向け)アニメでよく描かれるテーマに拒否反応を示す実況民が非常に多い。
例えば、バトル要素があるアニメや特撮番組の実況中に、
主人公側が複数VS相手側が1人という状況になった時に、
「味方多数で敵1人と戦うのは卑怯」「数の暴力」「リンチ」「学校でいじめに繋がる」
などと言い出し、相手側に感情移入する。
だが、こういうのは大抵、
- 敵怪人が下っ端の戦闘員数十名を引き連れていて、主人公側がまず敵の戦闘員を全員倒して、最後に敵の怪人だけが残った
- 敵が組織の大ボス(ラスボス)だった
- 主人公側が人間サイズなのに対して、敵が身長数十メートル~数百メートル規模の巨人サイズである
…などといったストーリー上の流れの結果だったりする。
「スーパー戦隊は卑怯か?」という議論は昔から言われてるが、結論で言えば×である。
なぜならこのシリーズは基本「仲間で力を合わせて戦う」がテーマなので、
敵は1人どころか5人でも勝てるか怪しいくらい圧倒的な戦力を持つ者が多い。
その為誰かメンバーが欠けたりチームワークが乱れていると怪人に勝てないケースが殆どである。
さらに、大抵の怪人は戦闘員を数十人引き連れている為、数の上でも有利だが、
戦闘員が全員倒されて最終的に怪人1人になるだけなので実質卑怯ではない。
ある意味「質より量」で戦闘を行った結果である。
しかも、放送回によっては幹部キャラが怪人と一緒に出てくる事もあり、
彼等を同時に相手した場合、スーパー戦隊は相当の苦戦を強いられる事になる。
また、スーパー戦隊に出てくる怪人は、『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくるスタンド並に強力な特殊能力を持っている者も多い。
『君の名は。』のようにお互いの人格を入れ替えてしまう能力、相手を子供にしてしまう能力等様々である。
一般市民を操り手先として襲わせる系統の能力だと、いくらスーパー戦隊でも簡単には手が出せない。
中には日本どころか世界中に影響を及ぼすほどの強力な能力や、
「時間を巻き戻す」といったチート級の能力を持っている奴までいる。
ちなみにプリキュアシリーズでは、「味方多数で敵1人と戦うのは卑怯」などといった事を言われないよう、
アニメの利点を活かし、敵怪物のサイズは人間(プリキュア)よりも大きめ、
身長十数メートル~数十メートルの巨人サイズに設定されているという。
しかし、実況民の多くはこのようなストーリー上の流れも考慮せずに、
ただ単に「数が多ければ多いほど有利」という、ぱっと見の絵面上からの理由で主人公側を叩く。
例えば主人公側が5人いた場合、敵側は怪人を5体以上用意してようやく両者が“対等”な条件になる、と主張しているのである。
戦闘員を頭数に入れていない時点で画面をまともに見ていないのが丸わかりである。
『進撃の巨人』で、調査兵団が超大型巨人(身長約60m)と戦う時に、「調査兵団が集団で超大型巨人と戦うのは卑怯」と主張するのが実況民である。
(実際には、超大型巨人を単独で相手にするのはリヴァイ・アッカーマンでも相当厳しいだろう)
これに対して実況民は、
「友達や仲間ができると人間強度が下がるから」
という理由を付けて自らを擁護する。
実況民は、1人孤独に戦う孤高のヒーロこそ強くて格好いい、と思い込んでいるのである。
正確には、友達を“作らなかった”のではなく、“作れなかった”と言うのが正しいだろう。
関連項目:「もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな」
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雑談
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最終更新:2025年01月17日 11:33