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ダイヤモンドは砕けない - (2012/09/24 (月) 03:44:19) の1つ前との変更点

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まるで身体を引き裂かれているかのような叫びだった。その叫びは二度と途切れることがないかのように、街中に響き続けた。 口から血を吐き、喉をかきむしった爪先が赤く染まる。涙が止まることはなく、川尻しのぶはただひたすらに泣き叫んだ。 そう、川尻しのぶはただひたすらに泣いていた。 息子の、そして夫の名を呼び続け、顔中ぐちゃぐちゃにして、彼女はこの世の終わりが訪れた様にただひたすらに泣いた。 泣いて、泣いて、泣き尽くして……それでも涙が涸れるようなことはなく、彼女はまだ泣き続けた。 「さぁ、川尻さん……もう大丈夫です。大丈夫ですから……しっかりつかまってください」 しのぶは言葉を返さなかった。代わりに狂った獣の様な叫びがかえってきた。空条承太郎は黙って彼女の体を支えてやった。 ほとんど引きずるような形で、強引にしのぶを民家まで連れてきた承太郎。近くの民家、その玄関の敷居を跨ぐとふと彼は立ち止る。 男は耳を澄ませ、辺りに視線を配る。その鋭さはまるで獣のようであった。 悲しみにくれる女性とそれを支えるため隙丸出しの男。 しばらく待てども、絶好の獲物である二人を襲うような殺人鬼は現れなかった。どうやらこの家には誰も潜んではいなさそうだ、そう承太郎は判断した。 それでも最大限の警戒をはらい、男は女性を連れながら、とりあえずは寝室を目指した。 通りがかった際に見つけた、大きな窓が印象的な一室だ。その性質上、逃げるにも警戒するにもうってつけの場所であることを、歴戦の戦士は見透かしていた。 承太郎は寝室の扉を開き、しのぶを中へと引きずりこむ。家族を失った悲しみに、依然母の涙は止まる気配を見せなかった。 承太郎は口を閉ざしたまま、彼女をそっとベッドへ寝かしつけてやった。 辺りの変化に気づいているのか、しのぶの慟哭が一段と大きくなったような気がした。 女性の肩にそっと毛布をかけると、彼はブラインダーを下ろし、電気を消し、そしてそっと部屋から抜け出した。 後ろ手に扉を閉め、ようやく一息つく。男は通ってきた途中にあった台所を目指し、そちらに足を向ける。固い革靴がフローリングの床に、よく響いた。 「――――――……あ」 その時だった。それは突然のことだった。 突如、承太郎の口から呟きがついて出た。 自分でも言葉が飛び出たのが一瞬分からなかったほど、それは自然に口から零れ落ちた。 もう限界だった。もうそれ以上は、空条承太郎にとって耐えられなかったのだ。 心が限界を迎える。空条承太郎の心が、限界を迎える。 廊下の途中、突然男はバランスを失い、その場に崩れ落ちる。 反射的に伸ばした手が廊下脇のドアノブを掴み、彼はなんとか倒れずに済んだ。 けれども、もう進むことは不可能だった。僅か数メートルの距離を歩くことすら、今の彼にはままならなかった。 這うような恰好で、つい今出たばかりの寝室の扉までたどり着く。扉を背にして床に座り込むと、男は目を瞑った。 男の頬を一筋の涙が伝っていく。 承太郎は泣かなかった。すくなくとも川尻しのぶのように、泣き叫びはしなかった。 噛みしめた奥歯、固く閉じた口。漏れ出そうな絶叫を必死で押し殺すため、男は拳を固く握った。 それでも悲鳴は止まらなかった。空条承太郎の心は悲鳴を上げ、絶叫し、自らを傷つける様に暴れまわった。 扉一枚挟んで漏れ出たしのぶのすすり泣きが鼓膜を揺さぶる。 幾度となく聞いた女性のすすり泣き。記憶の洪水が承太郎を一気に襲う。 数十年前の記憶がよみがえる。脳裏に浮かぶ、空条ホリィが見える。 母は悲しそうに涙していた。若く美しい母はやんちゃすぎる息子の行いに涙しているようだった。 どうしてそんなことするの。そう尋ねる彼女の優しさが嬉しく、またそのお節介具合がたまらなく嫌だった。 少年空条承太郎は母親に背を向けると、何も言わずに立ち去った。 母がじっと自分の背中に視線を送っていることはわかっていた。だがその視線から逃げるかのように、足早に少年は家を飛び出した。 数年前の記憶がよみがえる。記憶に新しい、空条徐倫の姿が見える。 娘は泣いていなかった。だが真っ赤に充血した目、腫れた目元を見れば、つい今しがたまで泣いていたのは明らかだった。 彼女は何も言わずに、ただそこに立ちつくしていた。琥珀色の澄んだ眼が、まるで心の内を見透かすように、自分に向かって投げかけられていた。 父親空条承太郎はそのあまりに真っすぐな視線から目を逸らすと、足元の荷物に手を伸ばす。 娘がじっと自分の背中に視線を送っていることはわかっていた。だがその視線から逃げるかのように、足早に父親は家を飛び出した。 「――――――ッ」 男は声をあげることも物にあたることも許されず、ただひたすらに耐え忍ぶことしか許さなかった。 頭が割れそうだ。身体が二つに引き裂かれそうだ。 バラバラに砕け散り、踏みつぶされ、滅茶苦茶にされ……その上固まることすら許されず、また砕け散る。 千切っては捨てられ、引き裂かれては押しつぶされる。 空条承太郎の心が砕け散る。破片一つすら残さず、すりつぶされていく。 ポタリ、ポタリと音を立て、男の頬から雫が流れ落ちた。 フローリングの床に大きな染みが出来上がっていくのを、男は口を一問字に結んだまま、ただ見つめ続けた。 喉元を再び込み上げた感情が、少しの拍子に漏れ出てきた。 肩を震わせ、男は小さく嗚咽を漏らした。そして一度漏れ出すと、あとはもう止まらなかった。 空条承太郎はむせび泣く。扉に身体を預け、天井仰ぎ涙流す。 罰するように勢いをつけて、頭を扉に打ち付ける。何度も何度も、打ちつける。 男の口から情けない、子供のような泣き声が漏れ出した。恥も外聞も捨て、悲しみの感情をありのままに露わにした嘆きを、彼は叫んだ。 廊下に男の泣きじゃくる声が響く。いつのまにか扉を挟んだすすり泣きは止んでいた。 空条承太郎は気づかない。男はただひたすらに泣き続ける。 泣いて、泣いて、泣き尽くして……それでも涙が涸れるようなことはなく、深緑色の澄んだ眼からは涙がとめどなく溢れ続けた。 廊下の窓からゆっくりと朝日が差し込んでくる。穏やかな朝を告げる、温かな光だった。 ◆ 「ありがとう、ございます…………」 「…………」 差し出されたマグカップは温かかった。 しのぶは掠れた声で感謝の言葉を述べる。承太郎は何も言わず、黙って頷いた。 スプーンを回す音、陶器同士がぶつかり合う音。 静かな朝だった。まるで世界に二人だけ取り残されたような、そんな静けさだった。 承太郎はガスコンロに寄りかかりながら、窓の外を見つめていた。しのぶはぼんやりとした様子で悪戯にコーヒーをかき混ぜ続けている。 二人がコーヒーを口にするまで、随分と時間がかかった。 二人はともに口を開かなかった。長い間沈黙が流れ、どちらとともなく口を開きかけるが、それも消える。 かわりにそれを誤魔化すかのように、コーヒーをすする音だけがキッチンに響いた。 いつの間にか時間だけが過ぎ、ほんの少しだけ飲み残されたコーヒーが冷たくなったころになって、ようやく男が口を開いた。 空条承太郎は腰を上げ、川尻しのぶの眼の前の席に座る。 数時間前とまったく同じ状況だというのに、二人はともにひどい有様だった。あまりにひどいので、随分と派手に泣いたことは一目見れば明らかであった。 共に目は真っ赤で腫れぼったく、しのぶは化粧がボロボロ、承太郎の目元にはハッキリとした涙の跡が残っていた。 ちょっとした気まずい沈黙がまた流れた。 しのぶはそっと頬に手をやると、ボロボロになったファンデーションを指先でぬぐった。 体面に座った男はわざとらしい咳払いを二度繰り返し、ゆっくりと口を開く。承太郎の声は掠れてはいなかった。 乾ききった機械のような、そんな無機質な声が部屋に響いた。 「大切な話があります」 「……ここに来てから、大切じゃない話をした覚えがないです」 ぼそりとしのぶが漏らした言葉にも、男は反応しなかった。まるで聞こえなかったように男は振る舞うと、淡々と話を続けた。 「私はもう貴女を守れないかもしれません」 「……それはまた急な話ですね」 「それよりも大切な事が出来たのです」 ―――それは家族よりも大切なものなのですか。 喉元まで出かかったその言葉を、なんとかして押しとどめると、川尻しのぶは顔をあげ、改めて男の顔をまじまじと見つめる。 共に家族を失った衝撃が、二人の心をささくれたものに変えていた。 しのぶは承太郎の顔を睨みつける。承太郎は冷徹な目で見返す。辺りの空気が重量を持ったような、そんな雰囲気が両者の間には流れていく。 先に視線を逸らしたのはしのぶのほうだった。女性はゆっくりとテーブルに視線を下ろし、そして唐突に顔を手で覆うと泣きだした。 どうしてなの、と疲れきった問いを彼女は呟く。枯れ果てたと思っていた涙がまたも彼女の眼から溢れ出た。 そのどうしてなの、は全てに向けられた嘆きだった。別に承太郎の宣言に対する嫌味ではない。 今の彼女にその深刻さを判断するほどの理性は残されていなかった。 ただ男との会話を通して、改めて家族を失ったことが思い起こされ、そして彼女は泣いたのだ。 夫を失った悲しみ。息子に先立たれた衝撃。とんでもないことに巻き込まれた理不尽な怒り。 川尻しのぶは泣いた。悔しさと怒りと、そしてやはり悲しみが彼女の感情を揺さぶり、もはやしのぶには泣く以外の感情の制御法を失っていた。 すすり泣きをする女性を承太郎は無表情で見つめる。些か無表情すぎるほどに、彼は何の感情も込めずにしのぶが泣きやむのを待っていた。 「“俺”は貴女の夫だった男を、正確に言えば一時夫の振りをしていた“吉良吉影”を殺すつもりだ」 その一言はしのぶが泣きやむか泣きやまないかのころに言い放たれた。 まるでしのぶの虚を突く一番のタイミングを見計らっていたように。彼女が傷つくであろう、その時を的確につくかのように。 あまりに残酷で、あまりに衝撃的な宣言だった。だからだろう、しのぶは一瞬何を言っているのかわからなかった。 涙がゆっくりと止まるのと同時に彼女の頭脳が目覚め始めた。承太郎の言葉が砂漠にしみ込む水のように、じわりじわりと広がっていく。 ようやく男の言葉と意味が頭の中でつながり、女性は顔をあげ、男の顔を見た。 今言葉を言い放ったのが目の前の男だと、確かに確認するかのように、しのぶは大袈裟に瞬きを繰り返した。 承太郎はそんなしのぶをただじっとみつめていた。しのぶがゆっくりと口を開く。 彼女は時間をかけて言葉を選び、息を殺して囁いた。自分の口にする言葉がまるで襲いかかって来るかのように。ひっそりと。息をひそめて。 「殺す」 「そうだ、殺す。殺人だ」 承太郎はぶっきらぼうにそう返した。彼の言葉は迷いなく、淡々としていたが力強かった。 目の前に座る女性がいまいち事態を把握できていないことに何の感情も抱いていないかのように、男は次々と言葉を口にした。 事務的で、儀礼的で。空条承太郎は台詞を読み上げる様に、言った。 「正確に言えば吉良吉影だけじゃ済まない。さっきざっと名簿をみてみたが、10数人に収まればいいほうだろう。  勿論これは増えるかもしれないし、減るかもしれない。ソイツが俺が手を下すまでもなく死んでしまえば、それはそれで構わない。  ただ疑わしきは罰せとはよく言ったもので、その理論にのっとれば俺はこの名簿の過半数を殺すことになる」 もっとも、幸か不幸か、もう既に死んだ者もいるようだが。承太郎は最後にそうつけ加えた。 締めくくるように言い放たれた言葉を、口の中でしのぶは繰り返した。そしてようやく事態が自分の思わぬ方向に進んでいることを理解する。 所在なさげにもてあそんでいたスプーンがやかましく音を立て、テーブルに落下する。 しのぶは唇をわなわなとふるわせ、なんとか次の言葉を紡いだ。承太郎は彼女が言葉を言い切る前に、それを遮った。 「空条さん、貴方は……」 「別に貴女に理解されようとは思っていない。だから最初に言ったんだ。  俺はもう貴女を守れないかもしれない、と。  ……いや、正確に言うならば、俺には貴女を守りながら危険人物を排除していくことが不可能だ。  だからここで貴女とは―――」 ―――ダンッ! 男は気だるそうに首をほんの少しだけ傾け、突然立ち上がった女性の顔を見た。 その仕草はまるで実験動物を観察するように冷静で、しのぶは身体を震わせながら男を見返した。 その時初めて、しのぶは承太郎の目をまともに見た。 彼の眼はくすみ、ぼやけ、霧がかったようにはっきりしていなかった。見つめていると、そのほの暗さに引き込まれそうなほどに、底無しの暗さがしのぶを見返していた。 しのぶは思わず顔をそむけ、脇を見ながら口を開いた。口をつぐまなかったのは彼女に残された最後のプライドだった。 承太郎はそんなしのぶをただ見つめていた。何の感情も見せず、無機質に。義務的に。 「貴方は……罪滅ぼしでもするつもりですか。復讐ですか。仇打ちですか」 しのぶの声は震えていた。それはどうしてだろうか。怒りだろうか。恐怖だろうか。 どちらでもいい。そうしのぶは思った。何かを言わずにはいられなかった。 承太郎が間違っているだとか、正しいだとか、批判したいとか傷つけたいとかやつあたりだとか……そんなことはわからなかった。 ただ口をついて出る言葉そのままを、彼女は口にした。ただこのまま黙ってここに座り込んでいるのだけは我慢ならなかった。 迷いはなかった。しのぶの口から次々と言葉がうって出た。 「娘さんを、そしてお母様を殺した誰かを殺すために、貴方はしらみつぶしに殺人を犯すつもりだと言うつもりなのですか」 「……訂正させてもらえるなら、仮に娘を、そしてお袋を殺した奴を始末し終えても、俺は最後の一人まで殺しつくすつもりだ。  ああ、誤解がないように言うが何も無抵抗な人間を手当たり次第に殺していこうってつもりじゃない。  ちゃんとした情報に基づいて、俺が危険人物と判断した奴だけ殺すつもりだ」 家中に響く勢いで、しのぶが机に拳を叩きつけた。 コーヒーカップとスプーンが飛び、やかましい音を立てながら、今度は机の下まで跳ね跳んだ。 しのぶも承太郎も一切そちらに視線を送らなかった。彼ら二人は互いに見つめ合い、どちらもともに視線を切らなかった。 しのぶの目に浮かんだ荒々しい感情が、男の瞳に反射する。男は冷ややかな目で彼女を見返す。 彼女はめげなかった。グッと身を押し出し男の顔に近づき、更にその瞳の奥を見透かそうとする。 見返してきた男の眼光の鋭さに彼女は怯みかけた。だがそれでも彼女は諦めなかった。 押し返された体勢をただすように更に身を乗り出し、承太郎との距離を近づける。男はやれやれと呟いた。 話しにならないな。男がそう言いたげだったのは明らかだった。だがそれでもしのぶはもう一度口を開こうとした。 平行線をたどるだけの話し合いだとわかっていても、彼女は自分から折れる気は一切なかった。 川尻しのぶが言葉を投げかける。同時に男が放った小さな囁き声は、彼女の耳に届かなかった。  「……空条さ―――」  「……『スター・プラチナ・ザ・ワールド』」    ―――――…… そして、彼女は戦慄する。 川尻しのぶの身体は元の椅子にすっぽりと収まっていた。まるで数十秒前に、時を戻されたかのように。 いや、決して時を巻き戻されたのではない。違いはある。 いつの間にか床に散らばっていたはずのスプーンや皿が拾い上げられ、そしてそれが流し台に置かれていた。 更に言うならば承太郎はいつの間にか窓辺に立ち、タバコをくわえていた。しのぶの脇をすり抜けるしかその窓には近づけないはずだというのに。 彼女は身を震わせた。川尻しのぶは今になって空条承太郎の『本気』を理解した。 この男は必ずやり遂げる。殺すと言ったら、本当に殺すだろう。 最後まで殺しきると言った。ならば本当に殺しきるだろう。 ―――もしも今彼が『私』を殺そうと思っていたならば……? 背中の産毛が一斉に逆立った。スタンド能力、時を止めるという能力の恐ろしさを今、彼女は全身で噛みしめる様に感じていた。 凍りつくように動かぬしのぶを尻目に、承太郎はゆっくりと煙を吐き出す。彼はぼんやりと空を見つめた。 窓の外の風景を眺めながら、彼は呑気に一服を楽しんでいる。二、三度煙を吸い込み、そしてもう一度吐く。 そうしてタバコが半分ほどになったのを確認し、承太郎は機械的にそれを押しつぶした。 窓を半分ほど開くとタバコを地面に落とし、その上から踏みつける。炎がしっかりと消えたのを確認し、承太郎は部屋から出ようと身を翻した。 しのぶの存在などそこにいないかのように、彼は扉へと足を向ける。 途中ソファーに放り捨てられたデイパックを肩にかけ、男は女に背を向けると、家を出ようとした。 しのぶがじっと自分の背中に視線を送っていることはわかっていた。 だがわざわざ振り向いて確認するまでのことではない。少なくとも承太郎にはそう思えた。 承太郎の足が扉の敷居を跨がんとした時、しのぶの声が彼の耳に届いた。 「私もついて行きます」 「……」 「私もついて行きますッ!」 二度目はほとんど叫びに近かった。飛び跳ねる様にしのぶもデイパックを拾い上げ、承太郎の隣に並び立った。 承太郎はしのぶを見下ろした。かなり身長差があるので、普通にしていても見下ろすような形になってしまうのだ。 「嫌だと言っても承知しません。仮に貴方が嫌だと言っても、拒否しようとも、無理矢理にでもついて行きますから!  今決めました! ええ、そうしますとも! 例え地の果てまでだろうと、私はあなたについて行きますからッ!」 男はじっと女を見つめた。女は口を真一文字に結び、挑戦するかのように男を睨みつけた。 そのまま永遠に続く様な沈黙が流れ、空条承太郎は視線を逸らした。 ボソリと言葉をつぶやくと、彼は玄関に向かって一歩踏み出す。その足取りは決してせわしないものではなかった。 何かにおいたてられたわけでもなく、何かから逃げるようなわけでもない。空条承太郎は呆れた様に溜息を吐いた。 「―――……勝手にすればいい」 「ええ、しますともッ」 しのぶは怒ったように、そう言い返す。玄関の扉を開くと、承太郎は彼女を先に扉の外へと出してやった。 不意に何かを感じ取った男は、改めて家の中を見渡した。 何でもない一軒家だ。とりわけ大きいわけでもなく、それほど小さいわけでもない。 金持ちでもなく、貧乏人でもなく、フツーのサラリーマンがフツーに生きて、そして精一杯の努力の末、なんとか建てることができた家。 そんな家だった。 ――― 俺もこんな…… 承太郎は首を振り、思考を打ち切った。自分が何を考えていたかははっきりとわかっていた。 だが最後にそれを本心として捕えるようなことはしたくなかった。それをしてしまうと何か大切なものを失いそうだった。 しのぶが不安げな顔でこちらを見ていた。承太郎は最後にもう一度だけ家を見回し、そしてそっと扉を閉じた。 バタン、と控え目な音が静かに家に響き……そして家はいつもの朝を、いつも通り迎えていた。 【E-7 北部 民家/一日目 朝】 【空条承太郎】 [時間軸]:六部。面会室にて徐倫と対面する直前。 [スタンド]:『星の白金(スタープラチナ)』 [状態]:??? [装備]:煙草、ライター [道具]:基本支給品、ランダム支給品1~2(確認済) [思考・状況] 基本行動方針:バトルロワイアルの破壊。危険人物の一掃排除。 0.??? 【川尻しのぶ】 [時間軸]:The Book開始前、四部ラストから半年程度。 [スタンド]:なし [状態]:疲労(大)、精神疲労(大) [装備]:なし [道具]:基本支給品、ランダム支給品1~2(未確認) [思考・状況] 基本行動方針:空条承太郎についていく 1.空条承太郎についていく 【備考】 ・承太郎は参加者の時間のズレに気づきました。ただしのぶに説明するのも面倒だし、説明する気もありません。 *投下順で読む [[前へ>第1回放送]] [[戻る>本編 第2回放送まで]] [[次へ>トータル・リコール(模造記憶)(上)]] *時系列順で読む [[前へ>第1回放送]] [[戻る>本編 第2回放送まで(時系列順)]] [[次へ>トータル・リコール(模造記憶)(上)]] *キャラを追って読む |前話|登場キャラクター|次話| |086:[[愛してる ――(I still......) 前編]]|[[川尻しのぶ]]|110:[[石作りの海を越えて行け]]| |086:[[愛してる ――(I still......) 前編]]|[[空条承太郎]]|110:[[石作りの海を越えて行け]]|
まるで身体を引き裂かれているかのような叫びだった。その叫びは二度と途切れることがないかのように、街中に響き続けた。 口から血を吐き、喉をかきむしった爪先が赤く染まる。涙が止まることはなく、[[川尻しのぶ]]はただひたすらに泣き叫んだ。 そう、川尻しのぶはただひたすらに泣いていた。 息子の、そして夫の名を呼び続け、顔中ぐちゃぐちゃにして、彼女はこの世の終わりが訪れた様にただひたすらに泣いた。 泣いて、泣いて、泣き尽くして……それでも涙が涸れるようなことはなく、彼女はまだ泣き続けた。 「さぁ、川尻さん……もう大丈夫です。大丈夫ですから……しっかりつかまってください」 しのぶは言葉を返さなかった。代わりに狂った獣の様な叫びがかえってきた。[[空条承太郎]]は黙って彼女の体を支えてやった。 ほとんど引きずるような形で、強引にしのぶを民家まで連れてきた承太郎。近くの民家、その玄関の敷居を跨ぐとふと彼は立ち止る。 男は耳を澄ませ、辺りに視線を配る。その鋭さはまるで獣のようであった。 悲しみにくれる女性とそれを支えるため隙丸出しの男。 しばらく待てども、絶好の獲物である二人を襲うような殺人鬼は現れなかった。どうやらこの家には誰も潜んではいなさそうだ、そう承太郎は判断した。 それでも最大限の警戒をはらい、男は女性を連れながら、とりあえずは寝室を目指した。 通りがかった際に見つけた、大きな窓が印象的な一室だ。その性質上、逃げるにも警戒するにもうってつけの場所であることを、歴戦の戦士は見透かしていた。 承太郎は寝室の扉を開き、しのぶを中へと引きずりこむ。家族を失った悲しみに、依然母の涙は止まる気配を見せなかった。 承太郎は口を閉ざしたまま、彼女をそっとベッドへ寝かしつけてやった。 辺りの変化に気づいているのか、しのぶの慟哭が一段と大きくなったような気がした。 女性の肩にそっと毛布をかけると、彼はブラインダーを下ろし、電気を消し、そしてそっと部屋から抜け出した。 後ろ手に扉を閉め、ようやく一息つく。男は通ってきた途中にあった台所を目指し、そちらに足を向ける。固い革靴がフローリングの床に、よく響いた。 「――――――……あ」 その時だった。それは突然のことだった。 突如、承太郎の口から呟きがついて出た。 自分でも言葉が飛び出たのが一瞬分からなかったほど、それは自然に口から零れ落ちた。 もう限界だった。もうそれ以上は、空条承太郎にとって耐えられなかったのだ。 心が限界を迎える。空条承太郎の心が、限界を迎える。 廊下の途中、突然男はバランスを失い、その場に崩れ落ちる。 反射的に伸ばした手が廊下脇のドアノブを掴み、彼はなんとか倒れずに済んだ。 けれども、もう進むことは不可能だった。僅か数メートルの距離を歩くことすら、今の彼にはままならなかった。 這うような恰好で、つい今出たばかりの寝室の扉までたどり着く。扉を背にして床に座り込むと、男は目を瞑った。 男の頬を一筋の涙が伝っていく。 承太郎は泣かなかった。すくなくとも川尻しのぶのように、泣き叫びはしなかった。 噛みしめた奥歯、固く閉じた口。漏れ出そうな絶叫を必死で押し殺すため、男は拳を固く握った。 それでも悲鳴は止まらなかった。空条承太郎の心は悲鳴を上げ、絶叫し、自らを傷つける様に暴れまわった。 扉一枚挟んで漏れ出たしのぶのすすり泣きが鼓膜を揺さぶる。 幾度となく聞いた女性のすすり泣き。記憶の洪水が承太郎を一気に襲う。 数十年前の記憶がよみがえる。脳裏に浮かぶ、[[空条ホリィ]]が見える。 母は悲しそうに涙していた。若く美しい母はやんちゃすぎる息子の行いに涙しているようだった。 どうしてそんなことするの。そう尋ねる彼女の優しさが嬉しく、またそのお節介具合がたまらなく嫌だった。 少年空条承太郎は母親に背を向けると、何も言わずに立ち去った。 母がじっと自分の背中に視線を送っていることはわかっていた。だがその視線から逃げるかのように、足早に少年は家を飛び出した。 数年前の記憶がよみがえる。記憶に新しい、[[空条徐倫]]の姿が見える。 娘は泣いていなかった。だが真っ赤に充血した目、腫れた目元を見れば、つい今しがたまで泣いていたのは明らかだった。 彼女は何も言わずに、ただそこに立ちつくしていた。琥珀色の澄んだ眼が、まるで心の内を見透かすように、自分に向かって投げかけられていた。 父親空条承太郎はそのあまりに真っすぐな視線から目を逸らすと、足元の荷物に手を伸ばす。 娘がじっと自分の背中に視線を送っていることはわかっていた。だがその視線から逃げるかのように、足早に父親は家を飛び出した。 「――――――ッ」 男は声をあげることも物にあたることも許されず、ただひたすらに耐え忍ぶことしか許さなかった。 頭が割れそうだ。身体が二つに引き裂かれそうだ。 バラバラに砕け散り、踏みつぶされ、滅茶苦茶にされ……その上固まることすら許されず、また砕け散る。 千切っては捨てられ、引き裂かれては押しつぶされる。 空条承太郎の心が砕け散る。破片一つすら残さず、すりつぶされていく。 ポタリ、ポタリと音を立て、男の頬から雫が流れ落ちた。 フローリングの床に大きな染みが出来上がっていくのを、男は口を一問字に結んだまま、ただ見つめ続けた。 喉元を再び込み上げた感情が、少しの拍子に漏れ出てきた。 肩を震わせ、男は小さく嗚咽を漏らした。そして一度漏れ出すと、あとはもう止まらなかった。 空条承太郎はむせび泣く。扉に身体を預け、天井仰ぎ涙流す。 罰するように勢いをつけて、頭を扉に打ち付ける。何度も何度も、打ちつける。 男の口から情けない、子供のような泣き声が漏れ出した。恥も外聞も捨て、悲しみの感情をありのままに露わにした嘆きを、彼は叫んだ。 廊下に男の泣きじゃくる声が響く。いつのまにか扉を挟んだすすり泣きは止んでいた。 空条承太郎は気づかない。男はただひたすらに泣き続ける。 泣いて、泣いて、泣き尽くして……それでも涙が涸れるようなことはなく、深緑色の澄んだ眼からは涙がとめどなく溢れ続けた。 廊下の窓からゆっくりと朝日が差し込んでくる。穏やかな朝を告げる、温かな光だった。 ◆ 「ありがとう、ございます…………」 「…………」 差し出されたマグカップは温かかった。 しのぶは掠れた声で感謝の言葉を述べる。承太郎は何も言わず、黙って頷いた。 スプーンを回す音、陶器同士がぶつかり合う音。 静かな朝だった。まるで世界に二人だけ取り残されたような、そんな静けさだった。 承太郎はガスコンロに寄りかかりながら、窓の外を見つめていた。しのぶはぼんやりとした様子で悪戯にコーヒーをかき混ぜ続けている。 二人がコーヒーを口にするまで、随分と時間がかかった。 二人はともに口を開かなかった。長い間沈黙が流れ、どちらとともなく口を開きかけるが、それも消える。 かわりにそれを誤魔化すかのように、コーヒーをすする音だけがキッチンに響いた。 いつの間にか時間だけが過ぎ、ほんの少しだけ飲み残されたコーヒーが冷たくなったころになって、ようやく男が口を開いた。 空条承太郎は腰を上げ、川尻しのぶの眼の前の席に座る。 数時間前とまったく同じ状況だというのに、二人はともにひどい有様だった。あまりにひどいので、随分と派手に泣いたことは一目見れば明らかであった。 共に目は真っ赤で腫れぼったく、しのぶは化粧がボロボロ、承太郎の目元にはハッキリとした涙の跡が残っていた。 ちょっとした気まずい沈黙がまた流れた。 しのぶはそっと頬に手をやると、ボロボロになったファンデーションを指先でぬぐった。 体面に座った男はわざとらしい咳払いを二度繰り返し、ゆっくりと口を開く。承太郎の声は掠れてはいなかった。 乾ききった機械のような、そんな無機質な声が部屋に響いた。 「大切な話があります」 「……ここに来てから、大切じゃない話をした覚えがないです」 ぼそりとしのぶが漏らした言葉にも、男は反応しなかった。まるで聞こえなかったように男は振る舞うと、淡々と話を続けた。 「私はもう貴女を守れないかもしれません」 「……それはまた急な話ですね」 「それよりも大切な事が出来たのです」 ―――それは家族よりも大切なものなのですか。 喉元まで出かかったその言葉を、なんとかして押しとどめると、川尻しのぶは顔をあげ、改めて男の顔をまじまじと見つめる。 共に家族を失った衝撃が、二人の心をささくれたものに変えていた。 しのぶは承太郎の顔を睨みつける。承太郎は冷徹な目で見返す。辺りの空気が重量を持ったような、そんな雰囲気が両者の間には流れていく。 先に視線を逸らしたのはしのぶのほうだった。女性はゆっくりとテーブルに視線を下ろし、そして唐突に顔を手で覆うと泣きだした。 どうしてなの、と疲れきった問いを彼女は呟く。枯れ果てたと思っていた涙がまたも彼女の眼から溢れ出た。 そのどうしてなの、は全てに向けられた嘆きだった。別に承太郎の宣言に対する嫌味ではない。 今の彼女にその深刻さを判断するほどの理性は残されていなかった。 ただ男との会話を通して、改めて家族を失ったことが思い起こされ、そして彼女は泣いたのだ。 夫を失った悲しみ。息子に先立たれた衝撃。とんでもないことに巻き込まれた理不尽な怒り。 川尻しのぶは泣いた。悔しさと怒りと、そしてやはり悲しみが彼女の感情を揺さぶり、もはやしのぶには泣く以外の感情の制御法を失っていた。 すすり泣きをする女性を承太郎は無表情で見つめる。些か無表情すぎるほどに、彼は何の感情も込めずにしのぶが泣きやむのを待っていた。 「“俺”は貴女の夫だった男を、正確に言えば一時夫の振りをしていた“[[吉良吉影]]”を殺すつもりだ」 その一言はしのぶが泣きやむか泣きやまないかのころに言い放たれた。 まるでしのぶの虚を突く一番のタイミングを見計らっていたように。彼女が傷つくであろう、その時を的確につくかのように。 あまりに残酷で、あまりに衝撃的な宣言だった。だからだろう、しのぶは一瞬何を言っているのかわからなかった。 涙がゆっくりと止まるのと同時に彼女の頭脳が目覚め始めた。承太郎の言葉が砂漠にしみ込む水のように、じわりじわりと広がっていく。 ようやく男の言葉と意味が頭の中でつながり、女性は顔をあげ、男の顔を見た。 今言葉を言い放ったのが目の前の男だと、確かに確認するかのように、しのぶは大袈裟に瞬きを繰り返した。 承太郎はそんなしのぶをただじっとみつめていた。しのぶがゆっくりと口を開く。 彼女は時間をかけて言葉を選び、息を殺して囁いた。自分の口にする言葉がまるで襲いかかって来るかのように。ひっそりと。息をひそめて。 「殺す」 「そうだ、殺す。殺人だ」 承太郎はぶっきらぼうにそう返した。彼の言葉は迷いなく、淡々としていたが力強かった。 目の前に座る女性がいまいち事態を把握できていないことに何の感情も抱いていないかのように、男は次々と言葉を口にした。 事務的で、儀礼的で。空条承太郎は台詞を読み上げる様に、言った。 「正確に言えば吉良吉影だけじゃ済まない。さっきざっと名簿をみてみたが、10数人に収まればいいほうだろう。  勿論これは増えるかもしれないし、減るかもしれない。ソイツが俺が手を下すまでもなく死んでしまえば、それはそれで構わない。  ただ疑わしきは罰せとはよく言ったもので、その理論にのっとれば俺はこの名簿の過半数を殺すことになる」 もっとも、幸か不幸か、もう既に死んだ者もいるようだが。承太郎は最後にそうつけ加えた。 締めくくるように言い放たれた言葉を、口の中でしのぶは繰り返した。そしてようやく事態が自分の思わぬ方向に進んでいることを理解する。 所在なさげにもてあそんでいたスプーンがやかましく音を立て、テーブルに落下する。 しのぶは唇をわなわなとふるわせ、なんとか次の言葉を紡いだ。承太郎は彼女が言葉を言い切る前に、それを遮った。 「空条さん、貴方は……」 「別に貴女に理解されようとは思っていない。だから最初に言ったんだ。  俺はもう貴女を守れないかもしれない、と。  ……いや、正確に言うならば、俺には貴女を守りながら危険人物を排除していくことが不可能だ。  だからここで貴女とは―――」 ―――ダンッ! 男は気だるそうに首をほんの少しだけ傾け、突然立ち上がった女性の顔を見た。 その仕草はまるで実験動物を観察するように冷静で、しのぶは身体を震わせながら男を見返した。 その時初めて、しのぶは承太郎の目をまともに見た。 彼の眼はくすみ、ぼやけ、霧がかったようにはっきりしていなかった。見つめていると、そのほの暗さに引き込まれそうなほどに、底無しの暗さがしのぶを見返していた。 しのぶは思わず顔をそむけ、脇を見ながら口を開いた。口をつぐまなかったのは彼女に残された最後のプライドだった。 承太郎はそんなしのぶをただ見つめていた。何の感情も見せず、無機質に。義務的に。 「貴方は……罪滅ぼしでもするつもりですか。復讐ですか。仇打ちですか」 しのぶの声は震えていた。それはどうしてだろうか。怒りだろうか。恐怖だろうか。 どちらでもいい。そうしのぶは思った。何かを言わずにはいられなかった。 承太郎が間違っているだとか、正しいだとか、批判したいとか傷つけたいとかやつあたりだとか……そんなことはわからなかった。 ただ口をついて出る言葉そのままを、彼女は口にした。ただこのまま黙ってここに座り込んでいるのだけは我慢ならなかった。 迷いはなかった。しのぶの口から次々と言葉がうって出た。 「娘さんを、そしてお母様を殺した誰かを殺すために、貴方はしらみつぶしに殺人を犯すつもりだと言うつもりなのですか」 「……訂正させてもらえるなら、仮に娘を、そしてお袋を殺した奴を始末し終えても、俺は最後の一人まで殺しつくすつもりだ。  ああ、誤解がないように言うが何も無抵抗な人間を手当たり次第に殺していこうってつもりじゃない。  ちゃんとした情報に基づいて、俺が危険人物と判断した奴だけ殺すつもりだ」 家中に響く勢いで、しのぶが机に拳を叩きつけた。 コーヒーカップとスプーンが飛び、やかましい音を立てながら、今度は机の下まで跳ね跳んだ。 しのぶも承太郎も一切そちらに視線を送らなかった。彼ら二人は互いに見つめ合い、どちらもともに視線を切らなかった。 しのぶの目に浮かんだ荒々しい感情が、男の瞳に反射する。男は冷ややかな目で彼女を見返す。 彼女はめげなかった。グッと身を押し出し男の顔に近づき、更にその瞳の奥を見透かそうとする。 見返してきた男の眼光の鋭さに彼女は怯みかけた。だがそれでも彼女は諦めなかった。 押し返された体勢をただすように更に身を乗り出し、承太郎との距離を近づける。男はやれやれと呟いた。 話しにならないな。男がそう言いたげだったのは明らかだった。だがそれでもしのぶはもう一度口を開こうとした。 平行線をたどるだけの話し合いだとわかっていても、彼女は自分から折れる気は一切なかった。 川尻しのぶが言葉を投げかける。同時に男が放った小さな囁き声は、彼女の耳に届かなかった。  「……空条さ―――」  「……『スター・プラチナ・ザ・ワールド』」    ―――――…… そして、彼女は戦慄する。 川尻しのぶの身体は元の椅子にすっぽりと収まっていた。まるで数十秒前に、時を戻されたかのように。 いや、決して時を巻き戻されたのではない。違いはある。 いつの間にか床に散らばっていたはずのスプーンや皿が拾い上げられ、そしてそれが流し台に置かれていた。 更に言うならば承太郎はいつの間にか窓辺に立ち、タバコをくわえていた。しのぶの脇をすり抜けるしかその窓には近づけないはずだというのに。 彼女は身を震わせた。川尻しのぶは今になって空条承太郎の『本気』を理解した。 この男は必ずやり遂げる。殺すと言ったら、本当に殺すだろう。 最後まで殺しきると言った。ならば本当に殺しきるだろう。 ―――もしも今彼が『私』を殺そうと思っていたならば……? 背中の産毛が一斉に逆立った。スタンド能力、時を止めるという能力の恐ろしさを今、彼女は全身で噛みしめる様に感じていた。 凍りつくように動かぬしのぶを尻目に、承太郎はゆっくりと煙を吐き出す。彼はぼんやりと空を見つめた。 窓の外の風景を眺めながら、彼は呑気に一服を楽しんでいる。二、三度煙を吸い込み、そしてもう一度吐く。 そうしてタバコが半分ほどになったのを確認し、承太郎は機械的にそれを押しつぶした。 窓を半分ほど開くとタバコを地面に落とし、その上から踏みつける。炎がしっかりと消えたのを確認し、承太郎は部屋から出ようと身を翻した。 しのぶの存在などそこにいないかのように、彼は扉へと足を向ける。 途中ソファーに放り捨てられたデイパックを肩にかけ、男は女に背を向けると、家を出ようとした。 しのぶがじっと自分の背中に視線を送っていることはわかっていた。 だがわざわざ振り向いて確認するまでのことではない。少なくとも承太郎にはそう思えた。 承太郎の足が扉の敷居を跨がんとした時、しのぶの声が彼の耳に届いた。 「私もついて行きます」 「……」 「私もついて行きますッ!」 二度目はほとんど叫びに近かった。飛び跳ねる様にしのぶもデイパックを拾い上げ、承太郎の隣に並び立った。 承太郎はしのぶを見下ろした。かなり身長差があるので、普通にしていても見下ろすような形になってしまうのだ。 「嫌だと言っても承知しません。仮に貴方が嫌だと言っても、拒否しようとも、無理矢理にでもついて行きますから!  今決めました! ええ、そうしますとも! 例え地の果てまでだろうと、私はあなたについて行きますからッ!」 男はじっと女を見つめた。女は口を真一文字に結び、挑戦するかのように男を睨みつけた。 そのまま永遠に続く様な沈黙が流れ、空条承太郎は視線を逸らした。 ボソリと言葉をつぶやくと、彼は玄関に向かって一歩踏み出す。その足取りは決してせわしないものではなかった。 何かにおいたてられたわけでもなく、何かから逃げるようなわけでもない。空条承太郎は呆れた様に溜息を吐いた。 「―――……勝手にすればいい」 「ええ、しますともッ」 しのぶは怒ったように、そう言い返す。玄関の扉を開くと、承太郎は彼女を先に扉の外へと出してやった。 不意に何かを感じ取った男は、改めて家の中を見渡した。 何でもない一軒家だ。とりわけ大きいわけでもなく、それほど小さいわけでもない。 金持ちでもなく、貧乏人でもなく、フツーのサラリーマンがフツーに生きて、そして精一杯の努力の末、なんとか建てることができた家。 そんな家だった。 ――― 俺もこんな…… 承太郎は首を振り、思考を打ち切った。自分が何を考えていたかははっきりとわかっていた。 だが最後にそれを本心として捕えるようなことはしたくなかった。それをしてしまうと何か大切なものを失いそうだった。 しのぶが不安げな顔でこちらを見ていた。承太郎は最後にもう一度だけ家を見回し、そしてそっと扉を閉じた。 バタン、と控え目な音が静かに家に響き……そして家はいつもの朝を、いつも通り迎えていた。 【E-7 北部 民家/一日目 朝】 【空条承太郎】 [時間軸]:六部。面会室にて徐倫と対面する直前。 [スタンド]:『星の白金(スタープラチナ)』 [状態]:??? [装備]:煙草、ライター [道具]:[[基本支給品]]、ランダム支給品1~2(確認済) [思考・状況] 基本行動方針:バトルロワイアルの破壊。危険人物の一掃排除。 0.??? 【川尻しのぶ】 [時間軸]:The Book開始前、四部ラストから半年程度。 [スタンド]:なし [状態]:疲労(大)、精神疲労(大) [装備]:なし [道具]:基本支給品、ランダム支給品1~2(未確認) [思考・状況] 基本行動方針:空条承太郎についていく 1.空条承太郎についていく 【備考】 ・承太郎は参加者の時間のズレに気づきました。ただしのぶに説明するのも面倒だし、説明する気もありません。 *投下順で読む [[前へ>第1回放送]] [[戻る>本編 第2回放送まで]] [[次へ>トータル・リコール(模造記憶)(上)]] *時系列順で読む [[前へ>第1回放送]] [[戻る>本編 第2回放送まで(時系列順)]] [[次へ>トータル・リコール(模造記憶)(上)]] *キャラを追って読む |前話|登場キャラクター|次話| |086:[[愛してる ――(I still......) 前編]]|[[川尻しのぶ]]|110:[[石作りの海を越えて行け]]| |086:[[愛してる ――(I still......) 前編]]|[[空条承太郎]]|110:[[石作りの海を越えて行け]]|

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