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トータル・リコール(模造記憶)(上) - (2012/09/04 (火) 04:30:15) の1つ前との変更点

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 結論から言ってしまうと、それは『恐怖』では無かった。  いや、言い変えよう。『本当の意味での恐怖』では無かった。  それを説明するためには、まず『恐怖』とは何か? という話になるが、簡単に言えば脳内麻薬物質による生理反応である。  ストレスなどによってノルド・アドレナリンやアドレナリンという物質が脳内で分泌され、交感神経に作用し、心拍数の増加や脂肪の燃焼などを促す。  闘争、あるいは逃避行動に対する身体の準備のための機能であるとされるこれらの反応は、言い換えれば生理的であり身体的な反応に過ぎない。    『彼』はどうか? 横にいる、カウボーイハットの男は? まさにそのとおりの反応だ。  彼は瞬時にして、自らの生命の危機を悟り、脳が「闘争あるいは逃走への準備」を行った。  では、『彼女』は?  彼女には脳がある。しかしそれは「死んだ脳」だ。  いや、「死んだ人間の脳」だ。  脳の形をしているし、血管の中に血液とは異なる液体が流れてはいるが、それは本来の脳としての機能を既に損なっている。  『彼女』の中にある脳以外のあらゆる臓器もまた同様に、機能しているふりをしているだけで、実際には機能していない。  人間の姿をし、人間の肉体を持って居るが、人間ではない。  単にその身体を器として機能させるために、生きているふりをさせているだけだ。  あくまで、人間モドキ。  結論から言おう。  『彼女』の脳は機能していない。  従って、彼女の脳から脳内麻薬物質が分泌されることはなく、彼女が恐怖を感じることは、『有り得ない』。  人間の感情、思考は、すべて『脳』によって生み出される。  脳が脳でない以上、彼女には、脳が生み出すべき感情は存在しない。  しかし、それでも彼女には知性がある。  それは一体何か?    これは、ただの推論であると断っておくが、「DISCにより知性を与えられたプランクトンの集合体」という奇妙な生命である彼女は、言い換えれば存在そのものが一種の「生体コンピューター」なのだ。  人間の脳の中では、ニューロンから発せられるシナプスの電気信号の集積こそが、思考であり知性だ。  彼女の場合、そのニューロンの役割を、個々のプランクトンが果たしていると考えられる。  すなわち、個々の微細なプランクトンが発する僅かな電気信号が、擬似的な生体コンピューターとして機能しているのではないだろうか?  そしてその擬似的な生体コンピューターである『彼女』は、死んだ直後の『空条徐倫』の肉体を得る際に、そこに残っていた僅かな電気信号から、『空条徐倫の記憶』を、『得た』。  『得た』――― あるいは、『引き継いだ』。  そしてその記憶こそが、彼女に『人間の感情』を与えた。  「知性あるプランクトンの集合体」は、「生体コンピューター」であった。  その頃にあったのは、『感情』というよりは、『感情のようなもの』であったと言える。  しかし、『記憶』を『引き継いだ』ことにより、『彼女』は ――― 『感情を持った、ひとりの人間』、あるいは、『個』に、なった。  それは、あくまで『記憶によって作られた、擬似的な感情』に過ぎないのだが。      ☆ ☆ ☆     「――― ダメだ」  その小さくか細い、だがしかしきっぱりとした声に、カウボーイハットの男はつと足を止める。  止めはするが、完全に停止する程の余裕がなく、せわしなく体を動かしては、あたりを見回している。 「おい、何だってんだよ」  焦り。そして困惑。  既に空は白白と明け、壁際で影になってはいるが、それでも姿は丸見えだろう。 「日が昇っている今、ここで外に出なけりゃ、逃げるチャンスはねぇ。  言っただろ? DIOのやつの唯一の弱点は、太陽の光だ。  今この状況で遠くに行けなきゃ、どーしようもねぇんだぜ?」  建物の陰から空を見上げる。  二人は既に、先程までいた『GDS刑務所』の門からは外へ出ていた。  門の外の草原、所々の湿地帯。そこを道なりに進み、こちらに来たときの逆で北上しようとしているところだった。  やや東の空できらきらと光が反射しているのは、あれはおそらく『ホルス神のペットショップ』による氷の爆撃だ。  既に、あの地獄の門番まで来ていたとは!  カウボーイハットの男、ホル・ホースは文字通り、背中に氷柱を差し込まれたかに震える。  幸い、奴はほかの誰かと交戦中らしい。  DIOにも、奴にも気づかれず逃げ出すのは、不可能では無いはずだ。    しかし―――。  背後にいる少女、『空条徐倫』は、そんなホル・ホースの言葉など耳に入らないかのようにじっと虚空を見つめている。  唇はかすかに震えている。  顔面は蒼白で、息も荒い。  そう、明らかに「恐怖している」。 「おれ」と同じく、放送前のDIOの所業を見て、「恐怖している」はず―――。 「―――ダメだ…」  小さく、そして先ほどよりはいささかに強く、彼女は繰り返した。 「だから、一体何が―――…」 「ダメなんだ。あいつを…『DIO』を許しちゃあ、ダメなんだ―――…!!」 「何ィッ!?」  ホル・ホースは声を荒げる。 「ちょっと待て、何言ってんだ徐倫!?  おいおいおい、まさか、まさかな。  『今から戻ってやつを倒そう』なんて、言い出すンじゃあないよな!?」  絶対に。絶対に、そんな真似はしない。  ホル・ホースは固く心に誓っていた。  スタンドパワー? 吸血鬼故の不死身の体?  いや、そんなものは関係ない。  格。  言ってしまえばただそれだけ。悪の格。その点において、ホル・ホースは到底、DIOに及ばない。  無敵のスタンド『皇帝(エンペラー)』? 世界を股にかける殺し屋?  そんなのは、あのDIOの前では、『安酒場にたむろして、殺す、ぶっ殺すと喚くだけのただのチンピラ』程度でしかない。  その自分が、DIOをなんとかする ――― 不可能だ。    既に結論は出ていた。  とにかく、何があろうと二度とここには近寄らない。  DIOにも、ほかのDIOの部下にも、一切接触しない。  それが、短い時間でホル・ホースの考えた行動指針、いや、決意だ。  そしてその指針に、徐倫も賛同してくれた―――はずだった。   「わかってる」  同意の言葉。 「わかっている。そして、これは―――『恐怖している』…。  これは、『恐怖の反応』。  まるで『ドライブ中車の前に突然ヒッチハイカーが投げ込まれたとき』の様な―――。  『司法取引による減刑のハズが、いつの間にか全面的な有罪へとすり替えられていたとき』の様な―――『恐怖の反応』…。  あたしの記憶が、どうしようもなく、恐怖している」  恐怖、というその言葉その感情が、きちんと共有されていたことに、ホル・ホースはかすかに安堵した。 「けど…ダメだ…。ダメなんだ」  再びのかすれた叫び。 「あたしの記憶が、離れない。  あの少年…。  食われていた方、じゃない。けど、別の、もうひとりの少年…。  野球帽に、小さなユニフォーム…。金髪のくせっ毛…。  骨…。音楽室…。部屋の幽霊………。  彼は、エンポリオだ………っ!!  エンポリオ・アルニーニョ………っ!  あたしを………ッ! 救ってくれた………っ!!  友達だったッ! なのにっ……!!」  慟哭、である。  口を塞がねば、という意識が微かに脳裏をよぎる。  よぎるが、それすらもはねのけてしまうほどの、『魂の叫び』であった。   「あたしは ――― DIOを ――― 許しては ――― ダメなんだっ………!!!」   そして、時は動き出す。   ☆ ☆ ☆  八つ当たり、だと言っていい。  どうしようもない感情の渦を、ただぶつけてやった。  耳障りな叫び。  けたたましい悲鳴。  何があったか。何を見たのか。  そんなのは想像がつくし、どうでも良いことだった。  何を知ったのか。何が訪れたのか。  知りたくない事実。訪れて欲しくない時。  そう。 『俺と同じことがあった』  ただそれだけのことでしかない。    だから、あの女の気持ちはよくわかる。  いや、違うのかもしれない。  なにせ、彼にとって、「すでに死んだ仲間の死を、再び知らされた」のだから。  アンジェリカ・アッタナシオ。  その乾いた白い肌が、赤黒く染まる様。  ヴラディミール・コカキ。  〈パープルヘイズ〉によって、潰され蒸発し無と化した末路。  言葉。情報。感情。想い。  あらゆるものがない交ぜとなり、混濁したようなどろりとした意識の膜を、女の叫びが引き裂いた。 「あたしは ――― DIOを ――― 許しては ――― ダメなんだっ………!!!」      ああ、そうだ。許してはならない。  きっとお前の言うとおりなんだろう。  親しき者を殺されたのなら、決してその相手を許してはならない。  決してその運命に甘んじてはならない。  だから―――。    ☆ ☆ ☆  貫いているそれが何なのか、理解するより先に体が動く。 「う…うぉおぉォォォ―――ッ!?  何だァ~~てめ―――はァ~~~!!!???」  右手に現れるは光り輝く滑らかな銃身。  鋼鉄ではない。ホル・ホースの精神の具現化したスタンドの拳銃、『皇帝(エンペラー)』から放たれる弾丸は、瞬時に三発がその「怪物」の体を貫いている。  しかし、狙いは甘い。  目の前で崩れる体に、意識が持っていかれる。  徐倫。ドス黒い血。口からあふれる。いや。口だけではない。    怪物の腕。腕? そう、確かに腕だ。  無数の針が体中から生えている。体、なのか、或いは体を覆う何かなのか。  その姿は異形であり、異常であった。  その力もまた異常であり驚異であった。  見開かれた両目がらんらんと狂気に彩られている。  口の端からよだれを垂らし、まるで麻薬中毒者のようだ。  長い髪がさんざに乱れ、或いは顔や腕に張り付き、容貌をさらに怪異なものとしている。  その怪物が、徐倫の体をさし貫いていた。  手刀で人の腹を貫くなど、それは常人のなせる業ではない。  いかなクンフーの達人とて、生身で出来ることでもない。  パワーのあるスタンドなら可能だろう。  よくよく見れば、この「怪物」が身にまとっている奇怪な針まみれの薄皮が、スタンドヴィジョンであることがホル・ホースにも察することはできたはずだ。  しかし今のホル・ホースにそれだけの観察力を発揮する余裕はない。  怪物はホル・ホースの存在など気にも止めず、刺し貫いている右腕をさらに回して、徐倫の内蔵を抉り出す。  再びの銃撃。今度は頭に狙いを定め、三発 ――― が、左腕で弾かれる。 (―――早いッ!!??)  凶暴な怪物。そう見える外見とは裏腹に、きちんとこちらのことも意識に入れて、反応していた。  『皇帝』のスタンド弾丸は、針の生えた左腕に阻まれ、致命傷は与えられていない。  当たってはいる。発射した六発の弾丸は、全て当たっている。  しかし、それらは全て、かすり傷すら与えてていない。 (…き…、効かねェ!? 俺の『皇帝』は、あくまで拳銃―――。  弾丸を操ったり、精神力の続く限り無限に撃ち続けることもできるが、破壊力も弾丸の速度も、やはり「拳銃並み」…ッ!!  ライフルやマシンガンじゃあねーと、あいつの体は貫けねーってのか!?  殺したかったら核ミサイルでも持って来いッてーのか!!??  それとも…)  冷や汗がポトリと地面に落ちる。 (吸血鬼…屍生人…? まさかDIOの奴、唯一の弱点である『太陽の光』を克服することのできる化物を、すでに創り出していたというのかッ―――!!!???)  ヌケサクみたいな吸血ゾンビの手下を、太陽の下に出られるよう作り変えることに成功していたのであれば、既にか、あるいはいずれにか、DIOもまたその弱点を克服し、太陽の下にその猛威を振るうだろう。  ホル・ホースの精神は、その考えに至った瞬間、崩折れた。  いや―――崩折れかけた。   「ホル・ホース…」  暗転しかけた意識の中、声が耳に届く。 「F・F・F(フリーダム・フー・ファイターズ)…。なんてね…」  怪物の動きが、鈍くなっている。  キラキラと光に輝いて見えるのは錯覚だろうか?  いや、錯覚では無い。  光り輝く細い糸が、怪物の体の要所要所をがんじがらめに縛り、その動きを阻害しているのだ。  その糸の源は、『彼女』―――空条徐倫。  彼女は自らの体を極細の糸、いや、糸の束に変えて、怪物の体を縛り上げているのだ。 「い…糸の…スタンド…?」  ホル・ホースが呆然とつぶやく。 「ボケッとしてねーでよォオォ~~~!  あたしの『糸』じゃ、完全に拘束できるだけの『パワー』が足りないんだよなァ~~~!!」  見ると、徐倫の体は既に半分以上が『糸』化していて、これ以上拘束しようとしたら、体が全てなくなってしまいかねない。 「…OK、ベイビー。俺たちの『愛の弾丸』だぜ」    もがく。  怪物が糸を引きちぎろうとする。しかし、一本一本はもろく細い糸が、細かに編み上げ束ねられることで強靭さを増し、この怪物の異常な怪力でも、即座に切断することは出来ないようだ。  ブチッ。  腕が緩む。  ブチチィッ。  足が緩む。  ブチ、ブチチィッ。  頭が ――― 爆ぜる。    糸の拘束から逃れたのが先か。  ホル・ホースの放った弾丸六発が、側頭部の同じ場所を寸分の違いなく撃ち貫いたのが先か。  怪物はそのまま数メートルの距離を弾き飛ばされ、GDS刑務所の正門から敷地内へと叩き込まれていた。    バド! バド! バド!    ダメ押しとばかりにホル・ホースが弾を撃ち込む。その全ては怪物の肉体を貫く。  数発、数十発は撃ち込んだだろうか。  どれほど撃ったかは意識していないが、彼の「精神」が、休息を求めるまでそれは続いた。   「…水」  ようやく落ち着いたホル・ホースの背後から、徐倫の声がした。 「…記憶にあったより…あの『糸』はヤバイね。  糸になると、表面積が増えるから、すぐに水分が無くなっちまう…。  かなり……『ヘヴィ』だわ……」  既に手にしているボトルの水を飲みつくし空にしている徐倫は、体の大部分を糸から元の姿に戻しているが、まだ自力で立ち上がれないほど消耗しているようであった。  その徐倫の体を引き起こし、傍らのバッグから出したボトルの水を抱えながら飲ませつつ、 「しかし驚いたぜ。  『糸』になれるスタンド能力とはね。  一瞬、あの針骸骨野郎に腹をブチ抜かれているのかと錯覚しちまった」 「貫かれていたけどね。  でも、そのくらいじゃあたしは死なない」  表情も変えずに言う徐倫に、ニヤリと笑みを返す。これでようやく、『冗談を言い合える仲』ってことか?  それから、水を飲み終えた徐倫を、そのまま両手でぐっと抱え上げて立ち上がる。 「徐倫。なんにせよアイツは、DIOの手下に違いねぇ。やつに気づかれているのか、たまたまなのかは分からねぇが、どっちにせよ今は戦える状況じゃねぇからな。  お姫様はこの俺に抱っこされて、ひとまず退散だ。  先のことは、そこで決めようや」  先程までの絶望感などどこへやら。余裕ぶってそう笑いかけるホル・ホース。  その余裕が、油断になる。   ☆ ☆ ☆ *投下順で読む [[前へ>ダイヤモンドは砕けない]] [[戻る>本編 第2回放送まで]] [[次へ>トータル・リコール(模造記憶)(下)]] *時系列順で読む [[前へ>ダイヤモンドは砕けない]] [[戻る>本編 第2回放送まで(時系列順)]] [[次へ>トータル・リコール(模造記憶)(下)]]
 結論から言ってしまうと、それは『恐怖』では無かった。  いや、言い変えよう。『本当の意味での恐怖』では無かった。  それを説明するためには、まず『恐怖』とは何か? という話になるが、簡単に言えば脳内麻薬物質による生理反応である。  ストレスなどによってノルド・アドレナリンやアドレナリンという物質が脳内で分泌され、交感神経に作用し、心拍数の増加や脂肪の燃焼などを促す。  闘争、あるいは逃避行動に対する身体の準備のための機能であるとされるこれらの反応は、言い換えれば生理的であり身体的な反応に過ぎない。    『彼』はどうか? 横にいる、カウボーイハットの男は? まさにそのとおりの反応だ。  彼は瞬時にして、自らの生命の危機を悟り、脳が「闘争あるいは逃走への準備」を行った。  では、『彼女』は?  彼女には脳がある。しかしそれは「死んだ脳」だ。  いや、「死んだ人間の脳」だ。  脳の形をしているし、血管の中に血液とは異なる液体が流れてはいるが、それは本来の脳としての機能を既に損なっている。  『彼女』の中にある脳以外のあらゆる臓器もまた同様に、機能しているふりをしているだけで、実際には機能していない。  人間の姿をし、人間の肉体を持って居るが、人間ではない。  単にその身体を器として機能させるために、生きているふりをさせているだけだ。  あくまで、人間モドキ。  結論から言おう。  『彼女』の脳は機能していない。  従って、彼女の脳から脳内麻薬物質が分泌されることはなく、彼女が恐怖を感じることは、『有り得ない』。  人間の感情、思考は、すべて『脳』によって生み出される。  脳が脳でない以上、彼女には、脳が生み出すべき感情は存在しない。  しかし、それでも彼女には知性がある。  それは一体何か?    これは、ただの推論であると断っておくが、「DISCにより知性を与えられたプランクトンの集合体」という奇妙な生命である彼女は、言い換えれば存在そのものが一種の「生体コンピューター」なのだ。  人間の脳の中では、ニューロンから発せられるシナプスの電気信号の集積こそが、思考であり知性だ。  彼女の場合、そのニューロンの役割を、個々のプランクトンが果たしていると考えられる。  すなわち、個々の微細なプランクトンが発する僅かな電気信号が、擬似的な生体コンピューターとして機能しているのではないだろうか?  そしてその擬似的な生体コンピューターである『彼女』は、死んだ直後の『[[空条徐倫]]』の肉体を得る際に、そこに残っていた僅かな電気信号から、『空条徐倫の記憶』を、『得た』。  『得た』――― あるいは、『引き継いだ』。  そしてその記憶こそが、彼女に『人間の感情』を与えた。  「知性あるプランクトンの集合体」は、「生体コンピューター」であった。  その頃にあったのは、『感情』というよりは、『感情のようなもの』であったと言える。  しかし、『記憶』を『引き継いだ』ことにより、『彼女』は ――― 『感情を持った、ひとりの人間』、あるいは、『個』に、なった。  それは、あくまで『記憶によって作られた、擬似的な感情』に過ぎないのだが。      ☆ ☆ ☆     「――― ダメだ」  その小さくか細い、だがしかしきっぱりとした声に、カウボーイハットの男はつと足を止める。  止めはするが、完全に停止する程の余裕がなく、せわしなく体を動かしては、あたりを見回している。 「おい、何だってんだよ」  焦り。そして困惑。  既に空は白白と明け、壁際で影になってはいるが、それでも姿は丸見えだろう。 「日が昇っている今、ここで外に出なけりゃ、逃げるチャンスはねぇ。  言っただろ? DIOのやつの唯一の弱点は、太陽の光だ。  今この状況で遠くに行けなきゃ、どーしようもねぇんだぜ?」  建物の陰から空を見上げる。  二人は既に、先程までいた『GDS刑務所』の門からは外へ出ていた。  門の外の草原、所々の湿地帯。そこを道なりに進み、こちらに来たときの逆で北上しようとしているところだった。  やや東の空できらきらと光が反射しているのは、あれはおそらく『ホルス神のペットショップ』による氷の爆撃だ。  既に、あの地獄の門番まで来ていたとは!  カウボーイハットの男、[[ホル・ホース]]は文字通り、背中に氷柱を差し込まれたかに震える。  幸い、奴はほかの誰かと交戦中らしい。  DIOにも、奴にも気づかれず逃げ出すのは、不可能では無いはずだ。    しかし―――。  背後にいる少女、『空条徐倫』は、そんなホル・ホースの言葉など耳に入らないかのようにじっと虚空を見つめている。  唇はかすかに震えている。  顔面は蒼白で、息も荒い。  そう、明らかに「恐怖している」。 「おれ」と同じく、放送前のDIOの所業を見て、「恐怖している」はず―――。 「―――ダメだ…」  小さく、そして先ほどよりはいささかに強く、彼女は繰り返した。 「だから、一体何が―――…」 「ダメなんだ。あいつを…『DIO』を許しちゃあ、ダメなんだ―――…!!」 「何ィッ!?」  ホル・ホースは声を荒げる。 「ちょっと待て、何言ってんだ徐倫!?  おいおいおい、まさか、まさかな。  『今から戻ってやつを倒そう』なんて、言い出すンじゃあないよな!?」  絶対に。絶対に、そんな真似はしない。  ホル・ホースは固く心に誓っていた。  スタンドパワー? 吸血鬼故の不死身の体?  いや、そんなものは関係ない。  格。  言ってしまえばただそれだけ。悪の格。その点において、ホル・ホースは到底、DIOに及ばない。  無敵のスタンド『皇帝(エンペラー)』? 世界を股にかける殺し屋?  そんなのは、あのDIOの前では、『安酒場にたむろして、殺す、ぶっ殺すと喚くだけのただのチンピラ』程度でしかない。  その自分が、DIOをなんとかする ――― 不可能だ。    既に結論は出ていた。  とにかく、何があろうと二度とここには近寄らない。  DIOにも、ほかのDIOの部下にも、一切接触しない。  それが、短い時間でホル・ホースの考えた行動指針、いや、決意だ。  そしてその指針に、徐倫も賛同してくれた―――はずだった。   「わかってる」  同意の言葉。 「わかっている。そして、これは―――『恐怖している』…。  これは、『恐怖の反応』。  まるで『ドライブ中車の前に突然ヒッチハイカーが投げ込まれたとき』の様な―――。  『司法取引による減刑のハズが、いつの間にか全面的な有罪へとすり替えられていたとき』の様な―――『恐怖の反応』…。  あたしの記憶が、どうしようもなく、恐怖している」  恐怖、というその言葉その感情が、きちんと共有されていたことに、ホル・ホースはかすかに安堵した。 「けど…ダメだ…。ダメなんだ」  再びのかすれた叫び。 「あたしの記憶が、離れない。  あの少年…。  食われていた方、じゃない。けど、別の、もうひとりの少年…。  野球帽に、小さなユニフォーム…。金髪のくせっ毛…。  骨…。音楽室…。部屋の幽霊………。  彼は、エンポリオだ………っ!!  エンポリオ・アルニーニョ………っ!  あたしを………ッ! 救ってくれた………っ!!  友達だったッ! なのにっ……!!」  慟哭、である。  口を塞がねば、という意識が微かに脳裏をよぎる。  よぎるが、それすらもはねのけてしまうほどの、『魂の叫び』であった。   「あたしは ――― DIOを ――― 許しては ――― ダメなんだっ………!!!」   そして、時は動き出す。   ☆ ☆ ☆  八つ当たり、だと言っていい。  どうしようもない感情の渦を、ただぶつけてやった。  耳障りな叫び。  けたたましい悲鳴。  何があったか。何を見たのか。  そんなのは想像がつくし、どうでも良いことだった。  何を知ったのか。何が訪れたのか。  知りたくない事実。訪れて欲しくない時。  そう。 『俺と同じことがあった』  ただそれだけのことでしかない。    だから、あの女の気持ちはよくわかる。  いや、違うのかもしれない。  なにせ、彼にとって、「すでに死んだ仲間の死を、再び知らされた」のだから。  [[アンジェリカ・アッタナシオ]]。  その乾いた白い肌が、赤黒く染まる様。  [[ヴラディミール・コカキ]]。  〈パープルヘイズ〉によって、潰され蒸発し無と化した末路。  言葉。情報。感情。想い。  あらゆるものがない交ぜとなり、混濁したようなどろりとした意識の膜を、女の叫びが引き裂いた。 「あたしは ――― DIOを ――― 許しては ――― ダメなんだっ………!!!」      ああ、そうだ。許してはならない。  きっとお前の言うとおりなんだろう。  親しき者を殺されたのなら、決してその相手を許してはならない。  決してその運命に甘んじてはならない。  だから―――。    ☆ ☆ ☆  貫いているそれが何なのか、理解するより先に体が動く。 「う…うぉおぉォォォ―――ッ!?  何だァ~~てめ―――はァ~~~!!!???」  右手に現れるは光り輝く滑らかな銃身。  鋼鉄ではない。ホル・ホースの精神の具現化したスタンドの拳銃、『皇帝(エンペラー)』から放たれる弾丸は、瞬時に三発がその「怪物」の体を貫いている。  しかし、狙いは甘い。  目の前で崩れる体に、意識が持っていかれる。  徐倫。ドス黒い血。口からあふれる。いや。口だけではない。    怪物の腕。腕? そう、確かに腕だ。  無数の針が体中から生えている。体、なのか、或いは体を覆う何かなのか。  その姿は異形であり、異常であった。  その力もまた異常であり驚異であった。  見開かれた両目がらんらんと狂気に彩られている。  口の端からよだれを垂らし、まるで麻薬中毒者のようだ。  長い髪がさんざに乱れ、或いは顔や腕に張り付き、容貌をさらに怪異なものとしている。  その怪物が、徐倫の体をさし貫いていた。  手刀で人の腹を貫くなど、それは常人のなせる業ではない。  いかなクンフーの達人とて、生身で出来ることでもない。  パワーのあるスタンドなら可能だろう。  よくよく見れば、この「怪物」が身にまとっている奇怪な針まみれの薄皮が、スタンドヴィジョンであることがホル・ホースにも察することはできたはずだ。  しかし今のホル・ホースにそれだけの観察力を発揮する余裕はない。  怪物はホル・ホースの存在など気にも止めず、刺し貫いている右腕をさらに回して、徐倫の内蔵を抉り出す。  再びの銃撃。今度は頭に狙いを定め、三発 ――― が、左腕で弾かれる。 (―――早いッ!!??)  凶暴な怪物。そう見える外見とは裏腹に、きちんとこちらのことも意識に入れて、反応していた。  『皇帝』のスタンド弾丸は、針の生えた左腕に阻まれ、致命傷は与えられていない。  当たってはいる。発射した六発の弾丸は、全て当たっている。  しかし、それらは全て、かすり傷すら与えてていない。 (…き…、効かねェ!? 俺の『皇帝』は、あくまで拳銃―――。  弾丸を操ったり、精神力の続く限り無限に撃ち続けることもできるが、破壊力も弾丸の速度も、やはり「拳銃並み」…ッ!!  ライフルやマシンガンじゃあねーと、あいつの体は貫けねーってのか!?  殺したかったら核ミサイルでも持って来いッてーのか!!??  それとも…)  冷や汗がポトリと地面に落ちる。 (吸血鬼…屍生人…? まさかDIOの奴、唯一の弱点である『太陽の光』を克服することのできる化物を、すでに創り出していたというのかッ―――!!!???)  [[ヌケサク]]みたいな吸血ゾンビの手下を、太陽の下に出られるよう作り変えることに成功していたのであれば、既にか、あるいはいずれにか、DIOもまたその弱点を克服し、太陽の下にその猛威を振るうだろう。  ホル・ホースの精神は、その考えに至った瞬間、崩折れた。  いや―――崩折れかけた。   「ホル・ホース…」  暗転しかけた意識の中、声が耳に届く。 「[[F・F]]・F(フリーダム・フー・ファイターズ)…。なんてね…」  怪物の動きが、鈍くなっている。  キラキラと光に輝いて見えるのは錯覚だろうか?  いや、錯覚では無い。  光り輝く細い糸が、怪物の体の要所要所をがんじがらめに縛り、その動きを阻害しているのだ。  その糸の源は、『彼女』―――空条徐倫。  彼女は自らの体を極細の糸、いや、糸の束に変えて、怪物の体を縛り上げているのだ。 「い…糸の…スタンド…?」  ホル・ホースが呆然とつぶやく。 「ボケッとしてねーでよォオォ~~~!  あたしの『糸』じゃ、完全に拘束できるだけの『パワー』が足りないんだよなァ~~~!!」  見ると、徐倫の体は既に半分以上が『糸』化していて、これ以上拘束しようとしたら、体が全てなくなってしまいかねない。 「…OK、ベイビー。俺たちの『愛の弾丸』だぜ」    もがく。  怪物が糸を引きちぎろうとする。しかし、一本一本はもろく細い糸が、細かに編み上げ束ねられることで強靭さを増し、この怪物の異常な怪力でも、即座に切断することは出来ないようだ。  ブチッ。  腕が緩む。  ブチチィッ。  足が緩む。  ブチ、ブチチィッ。  頭が ――― 爆ぜる。    糸の拘束から逃れたのが先か。  ホル・ホースの放った弾丸六発が、側頭部の同じ場所を寸分の違いなく撃ち貫いたのが先か。  怪物はそのまま数メートルの距離を弾き飛ばされ、GDS刑務所の正門から敷地内へと叩き込まれていた。    バド! バド! バド!    ダメ押しとばかりにホル・ホースが弾を撃ち込む。その全ては怪物の肉体を貫く。  数発、数十発は撃ち込んだだろうか。  どれほど撃ったかは意識していないが、彼の「精神」が、休息を求めるまでそれは続いた。   「…水」  ようやく落ち着いたホル・ホースの背後から、徐倫の声がした。 「…記憶にあったより…あの『糸』はヤバイね。  糸になると、表面積が増えるから、すぐに水分が無くなっちまう…。  かなり……『ヘヴィ』だわ……」  既に手にしているボトルの水を飲みつくし空にしている徐倫は、体の大部分を糸から元の姿に戻しているが、まだ自力で立ち上がれないほど消耗しているようであった。  その徐倫の体を引き起こし、傍らのバッグから出したボトルの水を抱えながら飲ませつつ、 「しかし驚いたぜ。  『糸』になれるスタンド能力とはね。  一瞬、あの針骸骨野郎に腹をブチ抜かれているのかと錯覚しちまった」 「貫かれていたけどね。  でも、そのくらいじゃあたしは死なない」  表情も変えずに言う徐倫に、ニヤリと笑みを返す。これでようやく、『冗談を言い合える仲』ってことか?  それから、水を飲み終えた徐倫を、そのまま両手でぐっと抱え上げて立ち上がる。 「徐倫。なんにせよアイツは、DIOの手下に違いねぇ。やつに気づかれているのか、たまたまなのかは分からねぇが、どっちにせよ今は戦える状況じゃねぇからな。  お姫様はこの俺に抱っこされて、ひとまず退散だ。  先のことは、そこで決めようや」  先程までの絶望感などどこへやら。余裕ぶってそう笑いかけるホル・ホース。  その余裕が、油断になる。   ☆ ☆ ☆ *投下順で読む [[前へ>ダイヤモンドは砕けない]] [[戻る>本編 第2回放送まで]] [[次へ>トータル・リコール(模造記憶)(下)]] *時系列順で読む [[前へ>ダイヤモンドは砕けない]] [[戻る>本編 第2回放送まで(時系列順)]] [[次へ>トータル・リコール(模造記憶)(下)]]

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