揺れる衝撃に、アナスイは目を覚ました。 視界は虚ろではっきりとしない。瞬きを二度三度繰り返すが、ただ影と霞が写っただけだった。 アナスイにわかったことは誰かに担がれているということだけだった。大きな背中と暖かな感触。途切れては結ぶ意識の中、アナスイはぬくもりを感じた。 安心感と心地よさを味わうかのように息を吸うと全身が痛んだ。その痛みがまだ、自分がかろうじてではあるが、生きていることを実感させてくれた。 男たちは進んだ。登った月が二人分に膨らんだ影を落とした。吹きさらしの風が容赦なく二人を打った。 承太郎は足を止めず、ただ進んだ。傍らに立つ者はいない。承太郎自身の手で、体で、アナスイを担ぎ、南へと進む。 アナスイはゆっくりと目を閉じる。こんなに心地よいのは久しぶりだ、と思った。ひょっとしたら生まれて初めてかもしれない。 途端に『記憶にない記憶』が水面に湧き出る泡のように、浮かび上がっては消えていった。 遊び疲れた自分が父親に担がれて家へと帰ったときの記憶。 学校帰りに久しぶりに父親と会い、その大きな手で頭を撫でられたときの記憶。 大きな自宅の大きな庭で、父とボール遊びをした時の記憶。 知らないうちに頬を黒い涙が伝った。決して戻らない遠い記憶、そしてあったはずもない―――これからも決して訪れないだろう―――記憶の渦が体を貫いた。 「『[父さん]』」 小さなつぶやきが三つの声に重なった。承太郎は足を緩め、そしてまた歩きだした。 荒涼とした田舎道を一歩々々確かめるかのように、承太郎は進んでいった。承太郎の緑の瞳にGDS刑務所が、身体を伏せた獣のように映っていた。 ◆ 通路の幅はおよそ3メートル、奥行は25メートル。4メートル四方の牢屋が両側に立ち並んでいる。 階段を下り切ったところでアナスイはしばらく立ち止まり、左右を見渡した。 一番奥側の留置所で人の気配がした。右足を引きずりながらゆっくりと近づいていく。普段ならなんでもない距離がやたらと遠く感じた。 牢屋の前に立ち、柵越しに様子を見る。場違いなほど大きなソファ、必要のないバイク(自転車)やギター、そして鉄アレイが二組、無作法に転がっている。 承太郎はこちらに背を向けるような格好でベットに寝転がっていた。体を休めているようだ。先の戦いの治療は既に済んでいた。体中に巻かれた包帯と止血帯が目に焼き付くように白く、その様子はことさら痛々しかった。 「承太郎さん」 承太郎はゆっくりと体を起こした。石をぶつけ合う独特の音が響き、一本の煙が揺らいだ。背中を向けたまま返事をする。 「体調は大丈夫なのか」 「承太郎さんこそ」 「こんなものはカスリ傷だ」 「俺が気を失ってから―――、俺はどのぐらいの間寝ていたんですか」 「二時間か三時間といったところか」 承太郎は時計に目をやると、煙を吐き出しながら言った。 「放送は……?」 承太郎の背中から影が浮かび出て、一枚の紙切れを弾き飛ばした。不規則に揺れながら、アナスイの足元に落ちる。 そこには禁止エリア、死亡者のリスト、スティールが脱落したことが書き留められていた。 縦長に几帳面にかかれたその文字を、アナスイは黙って追った。承太郎が一本目を吸い終え、二本目も吸い終え、三本目に火をつけたときようやくアナスイが言った。 「26人も……ですか」 「ショックか? 猟奇殺人鬼のくせに他人の人殺しは気に入らないのか」 アナスイの頬に赤味がさした。ここ数時間で最も生気が宿った表情をしていた。 アナスイは黙って紙をポケットにしまうと、鉄格子を握った。握った拍子に柵が揺れ、ガシャンと音を立てた。耳に残る、騒々しい音だった。 「どうした? 俺がお前のことに詳しいのがそんなにも意外だったか?」 「アナタが徐倫の父親でなければ、次の放送で呼ばれる名前が一つ増えるところでしたよ」 「やってみるがいいさ。鍵は空いてる」 スター・プラチナの腕が伸びると、入口が開いた。アナスイは牢屋の中に足を踏み入れる。承太郎はまだ背中を向けたままだった。 アナスイの表情から怒りが消え、代わりに戸惑いが浮かび上がってきた。 ベットの脇に立ち、承太郎を見下ろした。顔を上げた承太郎と初めて目があった。 アナスイの体から浮かんだ影が手を伸ばす。筋肉に盛り上がった腕が承太郎の喉元に伸び、ぐっとそれを掴んだ。承太郎はアナスイを見返している。 「タフぶるのはやめにしませんか。アナタの体はぼろぼろだ」 「そっくりそのままお返しするぜ」 「少なくとも俺はスタンドを使える。アナタみたいに制御できなくなったことは一度もない」 承太郎の体から飛び出た薄い影は煙のようにあたりを彷徨っていた。 二、三度アナスイの方へと揺らいだが、とうとう見当つかずの方へ手を伸ばすと牢屋の中のガラクタを撫で、諦めたように姿を消した。 承太郎は左腕を使って、四本目のタバコに火をつけた。普段使い慣れていない、ぎこちなさが伺えた。煙を一息吐くと、承太郎は左手で膝の上に乗った拳銃を撫でた。 アナスイの引き締まった身体とダイバー・ダウンのたくましい肉体を前にしては、それはいかにも頼りげない武器に見えた。 「承太郎さん」 「スタンドがあろーがなかろーが、隠居するにはまだ早すぎる。片付けないといけない輩があちこちにいるんでね」 「なるほど、敵がお目当てというわけですね。確かに刑務所には敵が多くいる。暴力を厭わない看守がほうっておいても湧き出てくる。試しに一人呼んできましょうか? 運良く看守が善良なやつだとしても―――あいにく、俺はそんなものを見たことはないが―――或いは全員寝入ってたとしても、囚人たちがいますからね。 恋人をバラした猟奇殺人鬼とかがね」 ダイバー・ダウンが力を強めた。承太郎は目を細めて、タバコの先を強く噛み締めた。呼吸を乱さないように意識すると、自然と顎がつり上がった。 アナスイのスタンドをはさんで、二人は睨み合った。煙でかすれた声で承太郎は小さく言った。 「何が言いてぇんだ」 「あなたこそ何が言いたいんですか。怪我人を看病すれば優しい言葉でもかけてもらえるとでも思ったんですか。 友人や頼りになる人を見送れば、慰めの言葉をかけてもらえるとでも期待していたんですか。 この俺が―――アナタの言葉を借りれば、娘に付きまとうイカレた殺人鬼でしたか?―――あなたに優しくしてあげるとでも、本当に思ったのか? 今のアンタは怒りに震える復讐者にも、納得を追い求める求道者にも見えない。不抜けてくたびれた野良犬みたいだ」 「……休息が必要だと判断しただけだ。何もお礼の言葉を期待してたわけじゃねぇ」 「タフぶるのはやめろ、といったはずです。戦えもせず、戦う気もないのに安い挑発を繰り返すアナタの姿は見ていられない。 チンピラ以下の存在に成り下がりたいというのならば止めはしません。ただ、この場でチンピラ以下になった存在がどれほど生きながらえれるかんなて言うまでもないと思いますが。 それともそれがアナタの願いですか? アナタはもう諦めているんですか? 徐倫もフー・ファイターズも、あれほど必死で生きたいと願っていたのに」 アナスイの手から力が抜け、承太郎は顔を背けた。下げた視線の先で、拳銃を強く握り締めた。引き金に指をかけ、いたずらに触れては離してを繰り返す。 アナスイがその手を抑えた。承太郎は顔を上げなかった。しばらくの間黙り込んでいたが、小さな声で吐き捨てた。 「御託はいい。やりたければやればいいさ」 「自分で死ぬ勇気も決断すらも失ったというわけですか。貴方には失望した」 アナスイは承太郎の手から拳銃をもぎ取ると、距離をとった。 銃口を構えると、狙いを承太郎の額に定めた。数秒の間、二人は黙りこんだ。 そして、銃弾を放った鈍い音が部屋に響いた。 ◆ ダイバー・ダウンの『指先』から放たれた『弾丸』は承太郎の肌に当たって弾け、肌を伝うと身体中にしみ込んでいった。 しばらくの間、承太郎は身体中に回る違和感に意識を向けていた。血流に逆らうように何かが身体中に蠢いているのが感じ取れた。同時に傷口が塞がるのもはっきりと感じ取れた。 アナスイは承太郎に近づくと、肩に手を置き治療を続けた。黒い涙がアナスイの体を伝い、承太郎の体へ流れ、傷口に向かって走る。15分ほど経ち、承太郎の身体中の傷口がプランクトンで埋まった。承太郎は右腕をあげ、ポケットに手を伸ばした。アナスイに向けてタバコの箱を振る。 「俺はタバコを吸いません。『今の俺』はという意味ですが」 「拒絶反応でもあるのか。プランクトンってのはけっこーやわな生物なんだな」 「煙が入るスペースがないってだけです。『フ―・ファイターズ』『[[F・F]]』『徐倫』……これ以上積み込もうと思ったらパンクしちまう」 承太郎は頷くと、ゆっくりと立ち上がった。承太郎が身体の調子を確かめ、ベットの周りをふらつくのをアナスイは眺めていた。 承太郎はほんの二、三周あたりを歩き、部屋の大きさを確かめるかのように端から端へと歩いて行った。やがて歩き疲れたのか、ソファに息を吐きながら腰を下ろした。 顔色が優れない。呼吸が収まるのにしばらく時間がかかった。アナスイは辛抱強く待っていた。 「気分はどうですか」 「最悪だ。娘の記憶の中にどれだけ自分が少ないかをまざまざとみせつけられて、機嫌が良くなる父親なんてこの世に存在しない」 「アナタがこれまで言った意見で一番ぐっとくる言葉ですよ、それは」 アナスイの表情が和らいだ。承太郎はタバコを咥えかけ、しばらく部屋の壁を見つめていたが、思い直したように箱の中にしまい直した。 二人は何も言わず、沈黙に耳を澄ました。遠くで車のエンジンが唸る音が響いた気がした。 アナスイは立ち上がると窓から外の様子を伺った。人の気配は感じられなかった。 「どうですか、まだ死にたいと思いますか」 「いや」 「でも戦うにはまだ勇気が足りない」 「……かもな」 いつの間にか牢屋の中にモノが増えていた。隣の部屋から運ばれてきたベットを眺め、承太郎は頷いた。 二人が見ている合間にも、承太郎から飛び出た影は壁を抜け、天井から腕を突き出し、気まぐれに姿を消しては現している。 看守の部屋からかっぱらてきたであろうラジカセから、音楽が流れ始めた。男の声で別れと戦いの悲しさを歌っていた。二人はその声にじっと耳をすませた。 歌が終わり、カセットテープがざらついた音を流し始めた。アナスイが停止ボタンを押すと、かちりと音を立ててラジカセが止まった。 膝を立て座る承太郎を、アナスイはもう一度見下ろした。今度は承太郎と目があった。アナスイが言う。 「行きましょう、承太郎さん」 「三人積みの車にもう一人乗せることになるぞ。お呼びじゃないだろう」 「『フ―・ファイターズ』と『徐倫』は満更でもないようですよ。あなた自身も感じ取れませんか?」 真っ直ぐな目が承太郎を見返していた。その強く、混じりけのない目は承太郎に徐倫のことを思い出させた。救うことのできなかった娘、自分のせいで戦いに巻き込んでしまった娘を。 承太郎はアナスイをしばらくのあいだ見つめ返し、やがて自身の胸に手を当てて、鼓動を確かめた。その後ろにいる三人の―――フー・ファイターズ、F・F、そして徐倫の―――意志を探ろうとした。 背中から浮かび上がった影がおぼろげながら像を結び始める。スター・プラチナは生まれたての赤ん坊のように頼りげなく、戸惑っているようにも見えた。 それでも腕が、足が、胸が、背中が形となって承太郎の傍で息づいている。承太郎は振り返り、スター・プラチナの顔を眺めた。 こんな顔をしていたのか。承太郎は忘れていた親友の顔を久しぶりに見たかのよにじっと眺め―――そして小さく、頷いた。スター・プラチナは満足したように、ふっと姿を消した。 「何もしないでいいんです。ただ傍に立つだけでいいんです。俺が望んでいるだけじゃない。『三人』も望んでいるんです。 それとも荒っぽく牢屋から引きずり出したほうが良かったですか?」 「牢屋から無理やり連れ出されるのは一回で充分だ。やれやれだぜ」 承太郎はソファから立ち上がると、帽子をかぶり直した。アナスイは黙って傍に寄ると、片腕を差し出した。承太郎はその腕を掴むと寄りかかることがないように、しかしその片腕に体重をかけて歩きだした。 二つの影が廊下を進んでいく。ゆっくりと、確かめるように前に進んでいく。 二人の足音が時間をかけて遠ざかっていくのが聞こえ、やがて沈黙の中に吸い込まれていった。 風が吹いて、ベットに残されていった一枚の紙切れを吹き飛ばした。 承太郎が書き残した死者のリストと禁止エリア、ファニー・ヴァレンタインについてのメモとは別に短い文章が残されている。 それはアナスイに宛てたものだった。 『鏡を見ろ。お前の首輪は解除されたようだ。ただし口には出すな。盗聴の恐れアリ』 GDS刑務所正面の扉が開く音が聞こえた。牢屋の中にもう亡霊はいない。風に乗ってメモはまた浮かび、どこかに飛んでいった。 【E-2 GDS刑務所/1日目 夜】 【[[空条承太郎]]】 [時間軸]:六部。面会室にて徐倫と対面する直前。 [スタンド]:『星の白金(スタープラチナ)』(現在時止め使用不可能) [状態]:右腕骨折(添え木有り)、内出血等による全身ダメージ(大:回復中)、疲労(中:回復中)、精神疲労(中) [装備]:ライター、カイロ警察の拳銃の予備弾薬6発、 ミスタの拳銃(5/6:予備弾薬12発) [道具]:[[基本支給品]]、[[スティーリー・ダン]]の首輪、肉の芽入りペットボトル、ナイフ三本 [思考・状況] 基本行動方針:バトルロワイアルの破壊。危険人物の一掃排除。 0.…………。 1.状況を知り、殺し合い打破に向けて行動する。 [備考] ※肉体、精神共にかなりヤバイ状態です。 ※度重なる精神ダメージのせいで時が止められなくなりました。回復するかどうかは不明です。 ※前話、承太郎の付近にあったナイフ×3、ミスタの拳銃(5/6:予備弾薬12発)を回収しました。それ以外は現場に放置されています。 ※肉の芽は肉塊になって活動を停止しているようです。波紋や日光に当てて消滅するかどうかは不明です。 【[[ナルシソ・アナスイ]] plus F・F】 [スタンド]:『ダイバー・ダウン・フー・ファイターズ』 [時間軸]:SO17巻 空条承太郎に徐倫との結婚の許しを乞う直前 [状態]:健康 [装備]:なし [道具]:基本支給品 [思考・状況] 基本行動方針:徐倫、フー・ファイターズ、F・Fの意志を受け継ぎ、殺し合いを止める。 1.承太郎と共に行動する [備考] ※アナスイと『フー・ファイターズ』は融合しました。 ※F・F弾や肉体再生など、原作でF・Fがエートロの身体を借りてできていたことは大概可能です。 ※『ダイバー・ダウン・フー・ファイターズ』は二人の『ダイバー・ダウン』に『フー・ファイターズ』のパワーが上乗せされた物です。 基本的な能力や姿は『ダイバー・ダウン』と同様ですが、パワーやスピードが格段に成長しています。 普通に『ダイバー・ダウン』と表記してもかまいません。 ※アナスイ本体自身も、スタンド『フー・ファイターズ』の同等のパワーやスピードを持ちました。 ※その他、アナスイとF・Fがどのようなコンボが可能かは後の作者様にお任せします。 ※首輪は装着されたままですが、活動を示す電灯が消えています。承太郎の『予測』では『どうやら』首輪は活動を停止しているようです。詳細は次以降の方におまかせします。 *投下順で読む [[前へ>風にかえる怪物たち]] [[戻る>本編 第4回放送まで]] [[次へ>次の目的地に向かえ!]] *時系列順で読む [[前へ>unravel]] [[戻る>本編 第4回放送まで(時系列順)]] [[次へ>To Heart]] *キャラを追って読む |前話|登場キャラクター|次話| |192:[[unravel]]|[[空条承太郎]]|190:[[次の目的地に向かえ!]]| |192:[[unravel]]|[[ナルシソ・アナスイ]]|190:[[次の目的地に向かえ!]]|