午後――早々と時間が流れ、
 気が付いてみればもう帰りのHRだった。
 チャイムが流れ、先生が教室から去り、
 帰り支度を済ました生徒達もそれぞれ、自分の時間へと戻っていく。
 とりあえず、広瀬康一が『普通の転校生』であったならば、
 この時点で彼の北高での初めての一日は終わったのだ――が、
 あいにくと彼は普通の転校生ではなく、
 むしろ、彼の『仕事』はこの瞬間からが本番なのだ。


      第二話 広瀬康一の観察①


 康一の視線の下で、涼宮という女の子は
 同じクラスの男の人――『キョン』とか呼ばれてた――と、
 なにやら元気よく会話を交わしていた。
 彼女らがいるのは学校内で――物がやたらとごちゃごちゃ置いてある一室だった。 
 少し離れた所には、途中で投げっぱなしになったボードゲームの前に座る
 綺麗な顔をした男の人が、ニコニコ笑顔でその様子を見ている。
 その隣で、やたらふりふりの付いたメイド服を着た(着慣れているのか、
 やけに着こなしがいい、と思った)可愛らしい女の人が、
 お盆を両手に抱いてオロオロしていた。

「変わった人たちだなぁ」 

 康一は部屋全体が見渡せる位置まで上昇し、ぼそっと感想を漏らした。
 わかる人にはもうわかるだろうが、康一は現在
 ハルヒたち――『SOS団』の部室――の様子を、
 自身の『スタンド』【エコーズACT 1】を通じて見ている。
 なお、康一本人は校内の図書館にいて(図書館が射程距離内で助かった)、
 適当に幅の大きい本を開いてそこに顔を埋めていた。 
“はた”から見れば、ひときわ小さい少年が本に飲み込まれているようにも見えて、
 釣り合いの取れなさいシュールな絵柄だった。

「ん~……至ってふつうに見えるんだけどな~」 

 目の前で展開するものは、どこにでもありそうな友達同士の光景。
 康一は「なんだ」と思い、少し安心した。
 同時に、ほっと生暖かい息が口の端から漏れた気がした。
 (あの承太郎さんが【調査が必要】って言うからどんなすごい力を……
  あるいは、どんな変な人かと思ったけど、ふつうの女の子だ……)
 少なくとも、こうして見ている限りでは。と心の中で付け加え、
 一応本を読んでいる『フリ』をしているのだからと思って
 ページを一枚めくった――――

「逆」
「え!?」

 ――そのとき、右手(出入り口)側から声が聞こえてきた。
 今にも消え入りそうな、気のせいとも思えるような呟きだったが、
 それは確かにこちらに向けて言われたものだった。
 慌てて(と言うほど大げさでもないが)、康一は驚いて見せた。
 右手に振り向いてみると、それまで人気が無かったそこに、
 体相応と不釣合いな、分厚い本を小脇に抱えた、
 一人の女の子が立っていた。
 女の子はとても背が低く(おそらく自分より下)、自分と少し似た
 水色の髪を肩の辺りまで短く整わせている。
 当然の如く北高の制服を着ており、その顔には
 表情らしいものが見当たらない。
 ただ、天然の宝石のように綺麗な目が、康一のほうをじっとにらんでいた。
 康一は美術や芸術のことはあまり知らないし、わからなかったが、
 ガラスや雪を集めて造った造型は、きっとこんなふうに綺麗なのだと思った。 
 ……おっと、今はそれどころじゃない!

「あ、あの~っ……」 
「………………」

 しばらく見詰め合って沈黙していたのだが、
 このままでは自体が何も進展しないと考え、康一は恐る恐る声を掛けた。  
 康一の内心で『もしかしたらこの子スタンド使い!?』など、
 さまざまな憶測がぐるぐると飛び交っていた。
 それにしてもまずかったのは、接近に気づかなかったことだ。
 確かに気配は無かったのに……?

 康一が自分の中だけでそうこうしてるうちに、
 女の子が本を持ってない方の手をすっと上げた。
 たったそれだけの動きなのに、康一には
 その動きがやけに無駄の無いように見えた。

 女の子は眉一つ動かさず、人差し指で康一を指し示した。
 その動きと、圧迫してくるような鋭く綺麗な目が重なって、
 康一は反射的に身を竦ませた。
 (まずい……バレたッ? 攻撃してくるのかッ!?)ちょっと息を呑んだ。
 エコーズはまだ、こっちに移動中だ。
 今攻撃されたら身を守るすべが何一つない!
 本を握る手に自然と力が篭り、康一は仰け反った。
 しかし――注がれる無感情な瞳は、そこから斜め下にすとんと落ちた。

「本が、逆」
「ぇえ!? えーっと……あ! 本当だ!」

 違っていた。
 女の子が指差したものは、康一が読んでいた(フリを)していた
 やたらと“はば”の大きい本の方だった。
 最初は言葉の意味がよく理解できなかったが、ちらりと横目で本を見ると、
 その原因はすぐにわかった。恥ずかしい間違いをしていると、気づいた。
 康一はようやく、自分のしている間違いが、恥ずかしいことだと知った。
 強い力のせいでややしわの入った本は、よく見ずとも文字がさかさまだし、
 挿絵もさかさまで、簡単に言えばまるっきり本自体さかさまだったのだ。 

 ――――ということは……!

 胸の奥がカーッと熱くなり、体の中から火傷したように思えた。
 それが胴体、首と順に伝って、顔までやってくる。
 ほほに熱が溜まり、同時に急な恥ずかしさがこみ上げてきた。 
 康一はあろうことか、さかさまにした本にかぶり付くように読み、
 それをなんとも思わずページをめくっていた(ように見えた)ことになる。
 これでは、「ナにやってんの、こいつ?」みたいに思われて、
 見る人を呆れさせるのもまぁ当然だ。
 むしろ、指摘してくれただけ、この子はやさしい人なのだろう。

「あ、ありがとう。いや、変だなぁ、さっきまでちゃんと読んでたのに……
 ……ははは……」
「…………」
「はは……」

 乾いた笑い声はそんなに続かず、強く口を閉じた。
 とたんにまたこっぱずかしくなって、なんだかごめんなさいとあやまりたい衝動に駆られる。
 いや、この子の綺麗な目が掛けてくる重圧は、それほどにきついのだ。
 『沈黙』がここまでいやだと感じたのは、いつかの承太郎さん以来だな―― 
 現実逃避した脳の片隅で、ふとそんなこと思い出した。
 体に軽い衝撃が来て、ようやく、エコーズが戻ってきたことを教えた。

「不思議」
「はい?」

 一言、相変わらず短いが、今度ははっきりと聞こえる声で言った。
 康一は言葉の意図がわからず首を傾げたが、女の子は鉄仮面のように
 感情を表さない表情のまま振り返り、
 それ以上一瞥をくれることも何も告げることなく、図書館から歩み去った。

(タイミングがタイミングだけに……なーんか気になるな~……)

 結局わからなかった。あの子はいったいなんだったんだろうか……?
 心中で沸いた疑問を風船のように膨らませつつ、康一は再び
 ハルヒたちに向けてエコーズを飛ばした。

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最終更新:2007年11月21日 17:32