第十一話「恋のミクル伝説④」
200mも進むと、ぼくは地面に倒れこんだ。疲労や苦痛が限界に達していた。
みくるさんは心配そうに顔を覗きこむと、ぼくの腕を取り、えいと声をあげて自分の肩にかけた。
「すまない、みくるさん・・・さっきも、助かったよ」
みくるさんがふるふると首を振る。目に涙を溜めていた。
「いいんです。それより・・・」
そう言ってぼくを見る。肩に突き刺さった杭を。
痛々しいそれはぼくの肩の機能を奪っている。とても普段のように動かせそうにない。
「大丈夫だよ。戦うのは無理そうだけど、死にはしない。」
笑ってみせたが、みくるさんは納得しなかった。
「でも・・・病院に行かないと・・・」
病院。それを聞いて思い出した。以前倒したスタンド使い「運命の車輪」を古泉に頼んだ時の事だ。
『そうですか。いや、無事でなによりです。後の処理は任せて下さい。
重傷のようですから、病院に移送しますよ。ああ、大丈夫です。「機関」の病院ですから』
電話の向こうで古泉はそう言っていた。
「機関」の息がかかっているなら、古泉と連絡がつくし、保護もしてくれるだろう。
「みくるさん、知ってる病院がある。そこなら安全だ。タクシーを拾おう」
さっき「ガンマン」から逃げた後、簡単に見つかった事からすると、
あいつらは何かの方法でぼくらを探知している可能性は高い。
一匹で飛び出してきた「風船犬」が怪しいが、それでも車には追いつけないだろう。
みくるさんも異論はなかった。幸い、ここは大通りだ。すぐにタクシーが見つかるだろう。
が。しばらくしてタクシーは意味がないとわかった。
「ジョニィくん。あの、ダメです。渋滞していて・・・見つけても、とても走れません」
言われるまでもなく、道路を埋めつくす車に気付いた。
こんな時に!ここは大して交通量が多いわけではなく、普段は渋滞なんて無縁の道路だ。
それが、どうして・・・視線を宙に移すと、黒煙が視界に入った。
原因は事故か?そう思って視線を煙の元へ移す。
「あっ!」
思わず声が出ていた。紙屑のように側面をぐしゃぐしゃにしたそれは、バスだった。
二人で帰っているあの時、ぼくが乗るはずだったバスだった。
今もなお、黒煙を吐くそれは間違いなく普段乗っていたバスだった。
横でトラックが潰れていた。どうやら、それが突っ込んだらしい。
周囲はちょっとした地獄絵図だ。乗車客では生きている人のほうが少ないだろう。
辺りには早くもテレビクルーらしき集団もいる。
あの時、みくるさんに止められてなかったら・・・。事故に巻き込まれる事を考えるとぞっとした。
惨状が目に入ったのか、みくるさんの肩が震えた。無理もない。
一歩間違えればぼくも死んでいたのだ。しかし。ぼくは一瞬でも安心した事を反省した。
事故を逃れた事なんて、この状況では寿命が延びただけだ。逃げ道がない事に変わりはないのだから。
「タクシーはダメだ。別のルートを探そう」
自分たちを奮いたたせる意味をこめてそう言った。が、みくるさんは微動だにしない。
みくるさんはただひたすら、凍ったように一点を見つめていた。
「みくるさん・・・。確かに酷い事故だけど、今は自分の事を考えなきゃ」
そう言っても彼女は反応しなかった。業を煮やして引っ張ろうとした時、
不自然な点に気付いた。大事故の現場が眼前にある時、十人中十人がそれに目をやるだろう。
当然、ぼくもそうしたのだが・・・みくるさんはそれを見ていなかった。
まるで、あって当然の置物か何かのように、事故を気にしていなかった。
事故現場を見ていると思った目の先は、それよりも横にあった。
「あそこです」
鉄琴のような声に、ぼくは返事ができなかった。
「ジョニィくん・・・あの中に逃げれば、助かります」
助かる?願ってもない話だ。だが、みくるさんが指指した先は要塞なんかじゃあなかった。
いたって普通の中華料理店のようだった。根拠はあるのか。
疑いの眼差しを向けると、みくるさんもぼくを見つめ返した。
泣いていた。だが、意志があった。錯乱しているわけじゃあない。
出征する兵士のような、確かな意志が彼女の顔にはあった。
「確かです。信じてください」
ぼくにはその意志を折る事は出来なかった。頷くとみくるさんはちっぽけな要塞へ歩き出した。
ぼくが戦えない今、助かる見込みはない。武器があるとするなら、みくるさんの意思だけだった。
店の前に着く頃にはみくるさんは息を切らしていた。
大の男を一人引きずって歩けばそれも当然だが、だいぶ時間がかかってしまった。
恐らく、奴らがここに辿り着くのにさほど時間はかからないだろう。
店は閉まっていた。定休日のようだ。夕飯を食べに来たわけじゃない。むしろ好都合だ。
扉の前でまごつくみくるさんを横に、ぼくは爪でガラス戸を斬った。
みくるさんは目を丸くして、悪い子を叱るような目でぼくを見たが、
すぐに気を取り直して中へ入った。壊してもいいのだ。
今は緊急時だし、ぼくが血痕を点々と残していた。
事故現場近くの喧騒があるとはいえ、血痕を見逃すほど奴らが間抜けとは思えない。
スタンドの追跡もある。ドアを壊さず侵入しても、すぐに見つかるだろう。
ガラス戸の隙間をくぐると、真っ暗な世界が広がった。カーテンが締め切られているようだった。
みくるさんは入口そばの階段にぼく共々座ると口を開いた。
「いいですか、大事な事です。あたしたちはこの店を出ていかなければいけません」
何だって?今入ったばかりで、君が行くと言ったのに。
反論しようとするぼくを、みくるさんは遮った。
「今じゃありません。六時ちょうど、です。それくらいが一番いいんです」
六時?時計を見る。あと五分もなかった。
「時間を稼がなきゃ・・・上へ」
うわ言のように呟くと、みくるさんはぼくを階段の上へ引きずり始めた。
「みくるさん、なぜだ?なぜ、『六時』?」
みくるさんはぼくの顔を見なかった。
「・・・禁則事項です」
ふざけているのか?前にも言ったフレーズは、桁違いに重々しい。
真剣な横顔からは真意は読み取れなかった。何もわからない。
ぼくがわかる事。それは微かに聞こえた犬の唸り声。もう時間はないようだった。
To Be Continued・・・
最終更新:2008年07月29日 13:20