第十四話「マドンナ②」

制服に着替え終わって、あたしは鏡に映る自分に笑いかけた。気持ちのいい朝だった。
始めは不安でいっぱいだったけれど、この時代にもすっかり慣れた。
不便な事や戸惑う事は何度でもあったけれど、今ではそれに愛着がある。
未来にはない物がこの時代にはいっぱいある。
毎日毎日が発見と感動の連続で、この時代に来てからは退屈なんてした事がない。
友達もできた。未来にいたら会う事なんてけしてなかった人たち。考え方もとても新鮮だった。
今の生活は楽しい。心からそう思う。革靴を履いて、あたしは朝の光の中へ踏み出した。
「あら、おはよう」
「あっ、おはようございます」
挨拶してくれたのはお隣りさんだ。一人暮らしのあたしを気にかけてくれている、親切な人。
親切なのはこの人だけじゃない。学校でもみんな優しくしてくれる。
今では学校が始まる月曜日が来るのが楽しみになっていた。
今日も良い一日になるといいな。あたしはそう思いながらマンションの外へ歩き出した。

「やあ、遅れてごめ・・・」
「遅いっ!」
部室に入った瞬間にハルヒが怒鳴った。
「どうして遅れたの!?理由を言いなさい!」
何だか凄い剣幕だ。こんな言い方をするのも何だが、
十数分遅れたくらいでここまで怒らなくても、と思う。
「・・・ごめん。ホームルームが長引」
「もういいっ!言い訳は聞きたくないわっ!」
机を叩きながらそう言うと、ハルヒは「団長席」に踏ん反り返った。
「・・・君が言えって言ったんだろ・・・」
小声で言ったのにハルヒはぼくをぎらりと睨んだ。耳にマイクでもあるんだろうか。
「たるんでるわ。全く、そんなので宇宙人や未来人が見つかると思ってるの!?」
もう見つかってる。そうじゃなくても見つける気はないが。
ぼくが生返事を返すと、ハルヒはフンと鼻を鳴らして缶ジュースをあおった。
何なんだ一体。とりあえず鞄を机に置くとキョンが出迎えた。
「ツイてなかったな。・・・今日はずっとこうだよ」
疲労が顔に色濃く表れている。一日これじゃあ無理もない。
「一体どうしたんだ?急にこんな・・・」
キョンはハルヒを一瞥すると戒厳令下のように小声で話した。
「ほら、朝比奈さんが休んでるだろ?」
それはぼくも気付いているが・・・。今日も入れて三日、みくるさんは連続して休んでいる。
「だから荒れてるって?病気でもしただけだろ?大体昨日は退屈そうにしてただけじゃあないか」
「連絡したの」
例によって聞こえてたらしい。ハルヒが口を挟んできた。
「団長として団員の体調は把握するべきだから。なのに!
メールも返さないし電話にも出ないのよ!?説教決定だわ!」
空き缶を叩き付けるようにゴミ箱に投げ入れると、ハルヒはむんずと鞄を掴んだ。
「何か、みくるちゃんがいないと調子出ないわ。もう帰る」
そして、止める間もなく部室を出て行った。
「・・・調子って・・・。さっき、たるんでるとか言ったばかりなのに・・・」
後には嵐の中野ざらしにされたぼくらが残るだけだった。

「困ったものですね」
置物のように静観していた古泉が呟いた。世渡り上手め。涼しい顔でよく言うよ。
「はは、そう睨まないで下さい。これでも本当に困っているんですよ。
閉鎖空間が多数出現していまして、朝比奈さんに出て来てもらわなくては」
「『閉鎖空間』?」
思わず聞き返したぼくに古泉は意外そうな顔をした。
「おや?・・・ああ、失礼。まだ話していませんでしたね。
『閉鎖空間』とは、平たく言えば涼宮さんが力の一部を使って作った異世界です。
『閉鎖空間』は彼女がストレスを感じると出現し、最終的には現実を飲み込むと我々は考えています」
つまり、ハルヒはかなりストレスを感じていると。ぼくも今のでかなり感じたのだが。
キョンだって同じような気分だろう。そう思いながらキョンを見ると何かぶつぶつと言っていた。
「メール無視されてたの俺だけじゃなかったのか・・・よかった・・・」
咳ばらいをしてようやくキョンはぼくの視線に気付いた。
「あ、いや・・・。それにしても、メールも電話も返さないなんておかしくないか」
ごまかそうとしているようだが、発言には頷ける。
「それだけ体調が悪いとか、大事な用があるという事でしょう」
普通なら古泉の言う通りだが・・・。どうも腑に落ちない。
みくるさんは今時珍しいほど礼儀正しいタイプで、とりわけ相手を不快にさせるような事はしない。
未来から来た彼女に言うのも変な話だが、古き良き「日本女性」らしい人だ。
そんなみくるさんなら、それこそどんな状況でも返事をしそうなものなのに・・・。
「心配だな。一度お見舞いに行こうか」
ぼくの提案にキョンは目を丸くした。
「え。見舞いって、朝比奈さんの家に行くのか?」
「まあ、そうなるね」
「・・・そうか、そうだな。行こう。心配だからな」
表情が緩んでるのは気にしないでおこう。
「古泉と長門は?」
長門は微かに頷き、本を鞄に入れた。承諾だ。古泉は苦笑していた。
「やぶさかではないですね」
心配しすぎだと思っているのだろうか。古泉は積極的じゃあない。
ま、それはともかく、全員でお見舞いに行く事になった。

「住所は?」
「知っている」
尋ねるキョンに、長門がすらすらと番地から部屋番号まで答えた。
流石の記憶力だ。これで行き先もわかった。
「じゃあ、出発しようぜ」
そうキョンが号令をかけて、出発しようとした時、ぼくの携帯が振動した。
メールか・・・。携帯を取り出し、画面を開く。誰からだろう。
あれ?どういう事だろう。メールはみくるさんからだった。
ハルヒやキョンに返事をせずになぜぼくに・・・?連絡はしてなかったのだが。
疑問に思いながらも無題のメールを開いた。
「え・・・!?」
絶句するぼくにみんなの視線が集まる。
「どうした?」
代表して質問したキョンにぼくは画面を見せた。
「みくるさんからなんだけど・・・見てくれ」
文面を見て、キョンも言葉を失う。メールの内容はいたってシンプルだ。
「たすけて。となり」これだけが記されていた。異常を知るには十分な内容だ。
「おい、これって・・・」
具体的にはわからないが、何か抜き差しならない状況にあるという事だろう。
「となり」とは「隣」の事か?学校には来てないからマンションの隣の部屋だろうか。
「どうやら、みくるさんのマンションに行く理由が増えたみたいだな」
キョンが頷く。当然、助けに行く。放ってはおけない。
そしてぼくらは部屋の外へと踏み出そうとした。だが、どういうわけだろう。
「ん?お前ら、どうした?」
古泉と長門が動かない。キョンの質問を受けてもそれは変わらない。
「二人とも・・・みくるさんが危険かもしれないんだ。急がなくちゃ」
ぼくが出発を促しても二人はやはり動かない。キョンが不審そうに古泉に近付く。
「おい?」
声を受け、ようやく古泉が顔を上げる。そこにはいつもの微笑はなかった。
そして刺さるような目をぼくらに向けた。
「助けに行く事は、出来ません」

予想すらしていなかった言葉に思考が止まった。
ぼくもキョンも返事が出来ない。ぼくらが顔を見合わす間に、古泉が鞄を持って出ていこうとした。
我に返ったキョンが慌ててそれを制止した。
「お、おい。待てよ。どういうつもりだお前」
古泉は振り返ると毅然とした態度できっぱりと断言した。
「ですから。助けには行きません」
何のつもりだ?キョンの表情が戸惑いから腹立たしさを持ったそれに変わる。
「びびってんのか?お前にはスタンドって超能力があるんだろ。
それなのに、お前・・・!」
古泉がこれ見よがしに大きく溜め息をついた。
「そういう事ではなく・・・。いいですか。これは罠かもしれません」
「罠?」
話の意図が掴めず、ぼくは聞き返した。古泉は険しい表情を崩さない。
「そうです。『未来人勢力』の方針が変わり、涼宮さんの独占を狙っているのかもしれません」
「独占」だって?それは、つまり・・・。
「お前、ふざけんなよ」
頭が働かない間にキョンが口を開いた。口調は絞り出すようなものだったが、はっきりとした怒りが表れていた。
「言うに事欠いて、朝比奈さんが俺たちを売ったって言うのか?」
「『売った』?」
古泉が僅かに笑った。普段、彼自身を仄明るく照らしていた微笑みは、今は冷え冷えとした物に思えた。
「これはおかしな事を。『売る』というのは仲間に使う物でしょう?」
キョンの顔がすっと青ざめていく様子が見え、同時に溢れ出しそうな感情をせき止めていた堤防が決壊した。
「お前・・・!」
拳を握り締めて古泉に詰め寄って行く。ぼくには手首を掴んで止める事しか出来なかった。
キョンが離せと怒りを押し殺した声をあげる。古泉はそんなキョンから距離をとった。
「すみません、冗談ではすまない事でした」
目を反らす。ぼくは努めて冷静に反論した。
「古泉、いくら何でも、罠だなんて決めつけがすぎるよ。状況証拠しかない」
「確かに」
古泉は自分を諌めるように同意した。そして、控えめにだが、迷いなく首を横に振った。
「だとしても、やはり助けには行きません」
何かが崩れ落ちていくような気がした。

「朝比奈みくるが・・・失礼、朝比奈さんが本当に困っている。
例えば『強硬派』に拉致されたとします」
そう、ぼくが真っ先に思いついたのはそれだ。
「だとしても、助けには行きません。」
再びキョンの手に力がこもる。ぼくは手を離さない。
「機関、つまり僕が一番警戒すべき事は、彼女に気をとられている間に涼宮さんを奪われる事です」
正論だった。ハルヒを奪われて利用されたら、
一人の人間とでは比べものにならないほどの惨事になる事は想像に難くない。
同感なのか、キョンの腕に入った力が緩むのを感じた。
「キング・・・いや、クイーンのためにはポーンは犠牲にならなければならないのです」
キョンをじっと見る。長い沈黙の後に目を反らしたのはキョンだった。
「・・・いつまで掴んでんだ。離せよ」
ぼくの手を振り払い、扉に手をかける。そして首だけをぼくたちに向けた。
「・・・俺はそんな事情なんて知ったこっちゃない。来ないなら勝手にしろ」
そう言い捨てて部屋から出て行った。残された二人は動かない。長門も同じ考えのようだ。
「・・・行くんですか?」
一種の諦観を含んだ顔で古泉が言う。答えはわかっているようだ。
ぼくはその期待通りに二人に背を向けた。予定調和的に声が聞こえた。
「本音を言うと、僕もSOS団は嫌いではありません。
出来る事なら裏切り者でなく、助かってほしいと願っていますよ。
ですから、止めはしません。お気をつけて」
溜め息とともに吐かれた言葉を背に、ぼくは部室を出た。
焦っていた。ぼくは焦っていた。
みくるさんが裏切ったという事を信じたわけではない。ただ・・・。
ただ、気付かされたのだ。自分たちがいる世界が考えている以上に危うい。
古泉や長門、みくるさんは少なくとも味方同士ではない。
強硬派との熱戦の裏では彼らの冷戦が繰り広げられている。
みくるさんは助ける。しかしその後どうなるのだろう?
ぼくはどうすれば?思考の迷宮の中に出口は見えなかった。

To Be Continued・・・

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最終更新:2008年07月29日 13:24