第十五話「マドンナ③」

「ったく、何なんだよあいつら」
いつも落ち着いているキョンにしては珍しく荒れていた。あんな事を言われては無理もない。
「……しょうがないよ。きっと二人とも本当は助けに行きたかったはずさ」
自分で言っていて空々しい。推測と言う事すらおこがましい、そうであってほしいという願望だ。
キョンは馬鹿馬鹿しいと言いたげに鼻を鳴らした。
「どうだか。俺は前からあいつらは何考えてるかわからないって思ってたんだ」
キョンがうそぶく。恐らく本音も入っているだろう。だが、それ以上に彼らの言葉がキョンを不安定にしている。
考えてみれば、ぼくたちほずいぶんと異常な世界に放り込まれたものだ。
超能力……スタンドに宇宙や未来からの使者、そして同級生が世界を支配する事すら出来る能力があると知った。
信じられない事ばかりのこの状況で、古泉や長門は頼もしい存在だった。しかし、それは……一方的な思い込みだったのかもしれない。
「キョン、言ってもしょうがないよ」
キョンがぎろりとぼくを睨む。彼自身、腹立たしさを扱いかねているのだ。きっと、さっきの出来事を信じたくなくて。
「……何だよ、やけに落ち着いて。他人事だって思ってるのか?」
皮肉っぽく笑う。楽しくはなさそうだった。
「……わからないぜ。いざとなったら俺たちだって……!」
「キョン!」
ぼくだってショックだ。キョンがいるから努めて冷静になれたが、そうでなければどうなっていたか……。
だから、キョンの気持ちはわかる。しかし、それを言ってはいけない気がした。感情が形になってしまいそうだった。
「……君だってわかってるだろ?ハルヒが襲われたら大変な事になる。こうするしかないんだ」
キョンに返事はなく、そっぽを向いただけだった。ぼくの言っている事の正しさをわかっているのだろう。
……正しい、か。そうだ。今の意見は正論だ。反論なんてぼくにはしようもない。
———しかし、今のぼくたちに「正しい」って事にどれだけの価値があるんだろうか。友達を見捨てる事よりも価値があるんだろうか。

結局、それからぼくたちはずっと口をきかなかった。と言っても、考えている事はお互い手に取るようにわかっていた。
その事を口にしたくはなかった。この事はわかっていながら放り出しておいたパンドラの箱なのかもしれない。
ぼくは自分たちの事をまるで誤解していた。「強硬派」からハルヒを、もっと言うなら世界を守るヒーローのような存在だと思っていた。
実際は違う。古泉や長門やみくるさんのバックには組織がいて、彼らはその利害のためにSOS団に集まっている。
その事自体を否定はしない。大きな力の下に人が集まるのは当然の事だからだ。財力や権力や魅力……そんな力に人は引きつけられる。
ぼくだってSOS団に近づいたきっかけはハルヒの異能によってだ。ぼくはそれを否定できない。
ただ……ハルヒがその事を知ったらどう思うんだろう?
もちろん古泉や長門が隠している以上、ハルヒがその事を知る可能性は低い。
でも、知る事がなくても……例えばいつか力がなくなって……みんな離れていって……。
後に残ったのはわがままな少女が一人。誰も関心なんか払わない。見向きもしない。
そして、知る事になる。周りのみんなは全部偽者。一人ぼっちだって。
……その時ハルヒはどうなるんだろう。……「切れ」てしまうのではないか?
……やめよう。みくるさんが危ないんだ。こんな事を考えている場合じゃない。
懸命に振り払おうとしたが、ハルヒは頭から消えてくれなかった。どうしてこんなに気になるんだ?まったく、どうかしてるな。ぼくは。
じっとりとした空気は気分のせいだけではない。もうすぐ、五月も終わる。梅雨という季節が近づこうとしていた。

「ここだ。ここの五階……にしても、また高級そうなマンションだな」
無言のまま歩き続け、ようやくみくるさんのマンションに着いた。長門のものとはまた違った佇まいだ。
「家賃だけで俺の親父の給料が飛ぶぞ」
遠い目をしてキョンが呟いた。気の毒に。
「どうかな。ぼくだってずっと過去の暮らしには耐えられないと思うよ。案外質素なつもりかも」
時間は偉大だ。ぼくたちは軽口を叩けるくらいには落ち着いていた。
根本的な解決はされてない……でも今は目の前の事に集中しなくては。
幸い、警備は大した事なかった。ぼくたちはちょうどやってきた住人についていき、カードキー付きのドアを突破した。
特に見咎められる事もなくエレベーターに乗り込めた。
「ここが朝比奈さんの部屋……ジョニィ、角部屋だ」
目的の階に着くと、すぐにみくるさんの部屋が見つかった。
みくるさんは「となり」というメッセージを残していた。角部屋という事は、「隣」は一つしかない。
ぼくたちは隣の部屋のドアの前に立ちはだかった。
やはり、「強硬派」なのだろうか?部屋の中に思いを巡らせる。信じたくはないが、裏切った彼女自身と言うことも否定できない。
確実なのは、中にいる人間は危険である可能性が高いって事だ。
そうなると、ぼくはともかくスタンドを持たないキョンは……横目でキョンの様子を窺った。
緊張した面持ちでドアを見つめている。不意に唇が動いた。
「大丈夫だ。ビビッてない……俺だって修羅場は潜って来てるんだぜ」
呪文のようにそう呟くと、口の端を曲げて笑った。意外な言葉に一瞬呆気に取られたが、すぐにぼくも笑顔を見せた。
そうこなくちゃ。さすがSOS団だ。顔を見合わせると、ぼくはインターホンに手を伸ばした。

ボタンを押すと、短くチャイムが鳴った。程なくして部屋の中から乱雑な足音が響いてきた。
「……なに?」
以外にもドアは開けられた。女性のようだ。チェーン越しに冷たい目がこちらを見ている。
あっさりと反応しすぎている。「強硬派」ではない?頭に疑問が浮かぶ。ともかく今は相手の警戒を解かなくては。
「あの、ぼくたちはお隣に住んでいる朝比奈みくるさんの友達なんです。
彼女、ここ何日か連絡が取れなくて。何かご存知ないですか?」
頭に古泉をイメージして、できるだけ好青年らしく言った。……つもりだったが、女性は眉間に皺を寄せている。
くそ、ぼくじゃ駄目なのか。黙ったままの相手にキョンがさらに追及した。君ならもっと駄目だと思うが。
「何でもいいんです。変わった事はありませんでしたか?」
「……あんたら、学生?」
ぽつりと女性が言った。脈絡のない質問にキョンは目を丸くした。
「え?はい、まあ……」
「……あたしはね、仕事してるの。大事な休みをあんたらみたいな暇なガキに邪魔されたくないんだよッ!失せなッ!」
爆音のような怒声とともに、凄まじい勢いでドアが閉められた。続けて乱暴に鍵を閉める音が響く。
……何か悪い事言ったか?強盗だってもっとマシな応対をされるぞ。

「……何なんだよ、今の」
キョンが呆然と呟く。交通事故にあった気分だ。
ああいう人もいるんだろうか?個人的には付き合いたくはない。それでも放っておくわけにはいかないだろう。
ぼくはため息をつきながら再びインターホンに指を乗せた。
「お、おい。何考えてんだよ」
キョンが間抜けな声を上げた。何を考えているとはこっちが聞きたい。
「何って、どう考えても怪しいだろ。話をしなきゃ」
毅然として言い放ったが、キョンは明らかに嫌そうだ。……呆れた。さっきの威勢はどうしたんだ。
ぼくはまたため息をついた。今度は呆れからだ。冷たい視線を感じたのか、キョンは慌てて弁解した。
「いや、そう言う意味じゃなく……何か違和感……あ、そうか」
一人で納得したように付け加えると、もっともらしく話し始めた。
「あいつが『強硬派』とか、そんな組織の人間ならもっと自然に振舞うんじゃないのか?
あんな怪しい態度、取るわけがない」
どんな言い訳を言うかと思ったら、案外的を射ている。怪しいから怪しくない、か。
言葉に詰まるぼくを見て、キョンはここぞとばかりに言葉を続けた。
「大体、『となり』の『隣』って『隣の部屋』とは限らないだろ?他を当たったほうがいいんじゃないか?」
……確かに。そう言われてしまうと、反論の言葉が見つからない。
何となくみくるさんの家に来てしまったが、ここがメッセージの場所であるという確証は何もない。
隣の席、隣の教室、隣の部室……どれも怪しく思えてきた。考え込むぼくにキョンが決め付けるように言った。
「いったん学校に戻ろう。まだ朝比奈さんの友達も残ってるだろ」
と、踵を返す。ついて行こうとしたが……でも、やっぱり気になる。未練がましく振り返るぼくにキョンが面倒臭そうに言った。
「……やれやれ。じゃあお前はさっきの部屋に行ってくれ。俺は学校で情報収集する」
体よく難事を押し付けられた気もするが、断る手はない。何かあったら連絡する約束をしてぼくたちは別れた。

「さて、と……」
ドアが目の前にそびえ立っている。調べなきゃいけないと思うけど、正直ぼくも気が進まない。
さっきのように怒鳴られると思うと身震いする。
ぼくは一通りの罵倒をシュミレートすると、覚悟を決めてインターホンを鳴らした。
少ししてゆっくりとドアが開く。色素の薄い目がぼくを見ていた。目の下に刺青がある、とその時初めて気付いた。
蛇に睨まれた蛙の気分とはこの事だろう。脂汗が滲むのを感じながらぼくは頭を下げた。
「たびたびすみません。ですが、大事な事なんです。みくるさんに何か……」
「ごめんなさい」
……え?謝られたのだと気付くのにしばらく時間がかかった。
顔を上げると、女性は申し訳なさそうにうなだれていた。
「ごめんなさい……あたし、臆病で……突然男の人が来て……緊張しちゃって……許して……」
どういうわけだ?さっきとまるで別人じゃあないか。呆然として見ていると、女性は上目遣いにこちらを見た。
「……許してくれないわよね……あんなふうに怒鳴ったんだもの……」
泣きそうな声を出すものだからぼくも慌てた。これじゃぼくが悪者だ。
「あ、いえ!許すも何も、ぼくも突然訪問したわけですから。気にしてません」
本当はものすごく気にしている。本心とは逆の言葉を言うと女性は顔をぱっと明るくした。
「ほんとう?あなたいい人ね!」
かちゃりと音がした。チェーンが外されたのだ。女性はドアを開けると軽い足取りで奥へと向かっていった。
「みくるちゃんの事を聞きたいんでしょ?入って」
歌うような口ぶりで言うのである。唖然とした。何なんだこの人は。躁鬱の気があるんだろうか?

通された部屋は結構広い。この女性にそれほど収入があるとは思えないが、そんな良い仕事をしているのだろうか。
「今お茶を淹れるわね。ちょっと待ってて」
お構いなくという言葉を慌てて飲み込んだ。わずかな時間でも彼女が席を外すのなら、これはチャンスだ。
女性がキッチンに引っ込むのを確認すると、ぼくは辺りに目を走らせた。
違和感はない。詳しく調べれば違うかもしれないが、お茶くみなんて大した時間はかからないだろう。
あちこち引っ掻き回すわけにはいかない。収穫なしか……そう思っていると一つの物が目に止まった。
あれは、檻?近付いて覗き込んでみる。底にはおがくずが敷き詰められ、檻の主のための回し車が設置されている。
ハムスター、か。見ると、ゴミのように鼠が檻の隅にもたれかかっていた。
ずいぶん元気がない。ハムスターは夜行性だから、今の時間は静かでもおかしくないがそれにしても……。
まさか、死んでいる?疑問に思って鼠が寄りかかった柵を小突いた。
ぴくり、と頭が動く。眠ってただけか。悪い事をしたと思って手を離そうとした瞬間、息を飲んだ。
「え……!?」
首が、落ちた。もたれかかった胴体から、切り取ったように首だけが切り離されていた。
赤い光沢の残る胴体の内部には何もない。くりぬかれているようだ。
なぜ?どうして?こんな着ぐるみを作るような事を?頭を疑問符が埋め尽くす。
こんな死骸を生きているように檻に入れるってどういう事だ?……異常だ。彼女は異常者だ。
「お茶ができたわよ」
背後からの声に心臓が跳ね上がる。この人が鼠を殺し、内臓をくりぬいた……!何も考えられなくなっていた。
「あ、きゅ、急用で……すみませんが失礼します!」
ぼくはそう言うと出口へと駆け出した。震える手で鍵を開ける。引き止める声も気にならなかった。

部屋の外に出るとぼくはその場にへたり込んだ。心臓はまだ早鐘のように鳴っている。
逃げて来てしまった……みくるさんが捕まっているかもしれないのに……。
……いや、しょうがなかった。「強硬派」の人間かどうかわからないが、彼女が抵抗しようとしたら、
ぼく一人で取り押さえるのは難しい。殺してしまうかも……もう一人……そうだ、キョンだ。キョンを呼ぼう。
携帯電話を取り出そうとして目線を下げると、奇妙な違和感を感じた。
何だ?妙に床が近いような……まさか!?顔を上げると、廊下がアメフトのグラウンドのように広がっていた。
ぼくが、小さくなっている!?これは、「スタンド攻撃」!?慌てて逃げようとすると乱暴に体を掴まれた。
「このボケがッ!見やがったな!?」
あの女性だ。こいつ、「スタンド使い」!なら、手加減はしていられない。ぼくは爪を回転させ、切りつけた。
「痛ッ!?こいつ、噛み付きでもしたか!?」
そんな馬鹿な。人間の足を切り落とした事もある爪のカッターが、紙で切ったぐらいの切り傷しかつけないなんて!
そうか……!小さくなっているから、その分力も小さく……どうしようもない。ぼくの力では。
奇声をあげながら女……グェスとかいったか……はぼくを部屋に連れ込んだ。
どうすればいい……?小さくされて……かなうわけがない。ぼくは……「元に戻れる」のか……?

To Be Continued……

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最終更新:2008年09月05日 16:36