第十六話「マドンナ④」
「みくる!みっくるゥ!みっくるんるゥん!」
「グェス」は奇声をあげながら部屋に入ると、ぼくを水槽に投げ入れた。
宙を舞う間、セーラー服の少女が視界を掠めた。
激しい衝撃とともに地面に叩きつけられると、朦朧とする暇もなく悲鳴が耳を突いた。
「どう?お友達が来てくれたのよ。嬉しいでしょ?」
グェスの口から出たのは人形遊びをする少女のような台詞。しかし、その手に握っているのは生きた人間、みくるさんだ。
まただ。そうぼくは思った。また笑っている。直前の怒りに歪んだ顔が嘘のようにグェスは笑っている。
「さ、みくるちゃん。続きしよっか。お友達にも見せてあげようよ」
「続き」だって?嬉々とした表情はこの状況では不気味でしかない。拷問。最悪の二文字が頭をよぎる。
小さいぼくたちを痛めつけるなんてこいつにとってはわけもない。
例えば、今みくるさんを握っている手に力をこめれば?女性の力でもミニチュアサイズの人間を捻り潰すには十分だろう。
ぼくは最悪の事態を覚悟した。が、グェスがとった行動は一見拍子抜けするようなものだった。
グェスはみくるさんを文鳥のように肩に乗せ、一言。
「飛んで」
「飛べ」だって?見ると、乗せたほうの腕を曲げ、ここに飛べと言わんばかりに掌が広げられている。
あそこに飛べっていうのか?そんな事かと安堵する。が、すぐにそれは早計だとわかった。
今のぼくたちは……ざっと十㎝くらいに縮んでるのか?なら、グェスの肩の高さは?
今あいつは椅子に座っているから、一mくらい。……一m。ぞっとする。
普段は何て事ない高さだが、小さいぼくたちにとってはとてつもない。
身長の十倍ほどの高さ。もし床に落ちれば……即死なら運のいいほうだろう。
そんな失敗すれば死のダイブをみくるさんが出来るわけがない。
案の定みくるさんは凍り付いたように下を覗き込んでいる。
「あ、あの……」
上ずった声。ピクリとグェスの眉が吊り上がる。
「ほ、本当にやるんですか……?こんな高さ……」
「ヘイッ!」
再びグェスは激怒した。みくるさんを手荒く掴むと指を突き付けた。
「物覚えの悪い野郎だな……言ったろーが。鼠が言葉を喋んのかよ、おい」
「……こ、こんなの無理でチュ」
みくるさんが震えた声でそう言うとグェスの態度は激変した。
「きゃわィィィイイ!とっても!とっても!きゃわイイねェェェ、みくるちゃん!」
狂ったように賛美の言葉を吐いた。そして戸惑うみくるさんを撫で始めた。
その間にもかわいい、かわいいと壊れたレコーダーのように繰り返している。
おぞましい。そう言う他はないが、この様子ならダイブはなしになるかも……。
みくるさんも同じ考えなのだろう。引きつった笑顔で撫でるグェスに応えている。
だが、淡い期待は簡単に裏切られた。グェスは唐突に撫でるのを止めた。飽きたように無表情になっている。
「……でもそれとこれとは話が別だ。あたしとお前の間には信頼があるよな?
なら出来るだろ?……飛べよ」
……駄目だ。こいつは何があってもこの無意味な飛び降り自殺をやらせるつもりだ。
止めなければ。だがどうすれば?スタンドも今は頼りにならない。
みくるさんはまだ飛ばない。いや、飛べるはずがないんだ。性格からすればとても出来る事じゃない。
「どうした……?出来ねーのか?あたしはあんたを信頼してるのに、あんたは応えるつもりはねーって事か?
あたしたちの友情を裏切るって事と見ていいんだな!?答えろッ!オイッ!」
「いい加減にしろッ!グェス、もう止めるんだッ!」
出来る事なんてまるでない。それでも言葉が出ていた。
グェスが憎々し気にぼくを見る。……標的を移したか?
「うるせーぞッ!黙ってろ!みくるッ!飛べよ!」
駄目だ。ぼくの事などまるで気にしていない。表情は苛烈さを増している。
「飛ばねーならもうあんたとは終わりだッ!そこの野郎も捻り潰してやるッ!」
しまった。最悪の結果だ。これじゃ二人とも……。絶望したその時だった。
幻じゃあない。みくるさんが宙を舞っていた。
スローモーションのようだ。みくるさんが落ちて行く。
でも……駄目だ!目を閉じてる!あれじゃあ腕に着地しても踏み外す!
かといって、とても掌には届かない。床に落ちる!
ぼくは予想される惨劇から目を背けた。……静かだ。何の音もしない。まさか、成功した?いや、そんなはずはない。
あんなジャンプで掌に届くわけがない。なら、なぜ……?恐る恐るグェスを見る。
みくるさんが掌に座り込んでいた。なぜだ?どう考えても距離が足りないはずだ。どうにかして飛距離を延ばしたのか?
いや、それは違う。みくるさんを見ればわかる。あたふたと周りを見ている様子は策を弄した人間の物ではない。
みくるさんが何もしなかったなら、どうして……?答えはすぐにわかった。
簡単な問題だ。ぼくも、みくるさんも何も出来なかった。なら答えは一つしかない。
グェスだ。あいつが落ちるみくるさんをキャッチしたんだ。
でも、それは……あいつがわざわざ助けたって事か?……最初から痛めつける気はなかった?
なら、なぜこんな事を?そもそも、何か聞き出そうとする素振りもない。こいつは「強硬派」じゃあないのか?
……まさか。強硬派と関係がないなら、あの馬鹿げた「ダイブ」も「監禁」も全てあいつの気紛れなのか?
「ペット」のように、人間を支配するなんて。正気の沙汰じゃあない。
ぼくたちは、ひょっとするとこれまで一番ヤバい相手に捕まったのかもしれない。
「よおーしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし!
よく出来たッ!やっぱりお前が一番きゃワイイよッ!」
グェスが狂ったようにみくるさんを撫でている。おぞましい、本当におぞましい。
ぼくたちは今、ペットにされているのだ。
どれくらい狂喜するグェスを見ていただろうか。
グェスは突然冷めた表情になるとちらりと時計を見た。
「……そろそろ夕飯の支度しなきゃ。みくるちゃん、友達と仲良くするのよ」
そしてみくるさんを元いた水槽に戻した。「またね」と手を振り笑顔で去って行く。
グェスが部屋を出るとみくるさんが飛び込んで来た。
「あああぁぁ……ありがとう……ありがとうございます……!
不安で……怖くて……!」
普段だったら嬉しいシチュエーションだが、今はとてもそんな気になれない。ぼくはみくるさんを体から離した。
「みくるさん、今は慌ててる場合じゃない。ここはヤバい。危険すぎる。あいつは何なんだ?説明してくれ」
毅然とした態度で諭すと、みくるさんは涙を拭いながら話し始めた。
「は、はい……。あの人はあたしのお隣さんのグェスさんです。親切な人でこんな事をするなんて……。
月曜日、いつも通り学校に行こうとしてグェスさんに挨拶をして。気がついたら小さくなってたんです。それで、連れて行かれたんです……」
「あいつは……『強硬派』なのか?」
違うだろうとは思ったが、念のため聞いておく。予想通りみくるさんはかぶりを振った。
「いえ……。多分違うと思います。これまでずっと……その、さっきみたいな事を命令されたんですけど、
涼宮さんの事や皆さんの事は聞かれませんでしたから」
やっぱりそうか。他のスタンド使いを呼ばれる事がなくて一安心といった所だが、ある意味こちらのほうが恐ろしいかもしれない。
グェスは組織の利害など関係なく、「趣味」としてこんな事をしてるって事だからな。
「……あの、やっぱりこれって……スタンドなんですか?」
恐る恐るみくるさんが尋ねる。この「小さくする」能力はぼくの知らないまた別の能力ももちろんある。
しかし、今はその可能性は無視しよう。いるかもわからない幽霊を相手してもしょうがない。
「多分そうだろう。あいつ……グェスも『スタンド使い』だ」
ぼくがそう言うとみくるさんは死にそうな顔をした。スタンドを持たないみくるさんでは太刀打ちしようがないからだ。
しかし、悪いニュースばかりじゃあない。ぼくはこの前遭遇した弾丸を操るスタンド使い、「ホル・ホース」を思い出していた。
あの時、撃ち込まれた弾丸は距離をとったら消え去った。……つまり、「スタンド」には射程距離があるのではないか?
そしてそのルールがこの「小さくするスタンド」にも適用されるのなら、射程距離外に出れば無効化できる。
ぼくはこの一縷の希望と言える考えを話した。が、みくるさんはますます死にそうになっていく。
「……その仮説、あってるんですけど……すみません」
なぜか謝って俯いた。
「実はあたし、一度元の大きさに戻ったんです。さっきグェスさんが部屋を出て、その時に。
でも、すぐ戻って来て。メールを送るのが精一杯だったんです」
背筋が凍り付く。最悪の形で証明されてしまったようだ。
「……もう、グェスがぼくたちから離れる事はない?」
「……はい。職場にもあたしを持って行きますし、チャンスはないと思います」
泣きたい気分だ。今のぼくの爪のカッターではこの水槽のガラスですら切れるかどうか。
仮に切れたとして、グェスに気がつかれずに部屋を出られるか?分の悪すぎる賭けだ。
出来そうなのは……待て。さっきみくるさんは「メールをするのが精一杯」と言っていた。まさか……ぼくは携帯を取り出した。
「圏外、か」
多分電波も微弱になってるんだろう。元の大きさにならなければ、助けを求める事すら出来ない。
これで唯一の希望も断たれた……にもかかわらず、ぼくはさほど落胆してはいなかった。
部室での古泉や長門の態度を振り返れば、どっちみち助けに来てくれない事はわかる。
キョンは……残念だがスタンド相手では力になれないだろう。
中空を見ながら思いにふけり、ふと視線を手元に戻すと、携帯が消えていた。
「え?あ、いつ取ったんだ?」
なぜかみくるさんがぼくの携帯を持っていた。手に取られた感触なんてなかったのに。
「え……?あれ、なんで?」
ぼくに言われて初めて手に乗った携帯に気付いたようだった。
慌てた様子で携帯を差し出す。受け取る瞬間に目が合った。ぼんやりと見つめていると、みくるさんの唇が動いた。
「助けには……来てくれないんですね?」
寂しそうに笑っていた。
「違うよ。助けに来るさ」
反射的に嘘を口がついて出た。こんな簡単に悟られるなんて、ぼくの態度が悪かったのか?
「いいんですよ。無理しなくて」
みくるさんはわかっているようだった。きっと最初から。
恐らく、古泉や長門は助けに来ないと知っていた。だからぼくに連絡をしたんだろう。
ぼくは言葉に窮した。こんな寂しい笑顔をした人にかける言葉をぼくは知らなかった。
「あの……」
「ジョニィくん、でも二人を悪く思わないでください」
ぼくの沈黙を勘違いしたんだろうか。みくるさんは少し慌てたようだった。
「古泉くんや長門さんの言っている事とあたしの考えてる事は違うの。
……でも、みんなそれぞれ考えあっての事で、あたしが正しいって言いたいわけじゃなくて……
とにかく、しょうがないんです。あたしもきっと助けに行きません」
さっきの古泉と同じ事を言っているようだ。みくるさんもやはり組織の人間だ。
「……わかってるよ。でも……」
納得できるものじゃあない。ぼくたちが一緒に過ごした時間は1ヶ月程度だが、友達だと思っている。
今のように誰かが危険に遭ったら助けたい。……でも、もし彼ら同士が争う事になったら、ぼくはどうすればいいんだ?
「……それより、今はここから逃げる方法を考えよう」
ぼくは嫌な気分を押し殺しながら話を逸らした。とはいえ、今の状況は手詰まりに近い。
ぼくのスタンドという唯一カードが切れない以上、他からカードを持ってくるしかない。
要するに、助けてもらうしかないのだ。それか、何か偶然でグェスがぼくたちから離れるのを待つか。
どちらも確率は薄い。全く、現実ってヤツは非情だ。考え疲れて横になろうとした時、無機質な電子音が聞こえた。
「ジョニィくん、これは……」
チャイムだ。誰かが呼び鈴を鳴らしたのだ。パタパタとスリッパが音をたてる。開く鍵。そして……。
「あのー、すみません突然お邪魔して」
キョンの声。逆転のカードがそろったのかもしれない。
To Be Continued……
最終更新:2008年09月05日 16:38