第十七話「マドンナ⑤」
やれやれ。朝比奈さんのクラスに行ってみたが、収穫はゼロ。まるっきりの無駄足だった。
それにしても男どもときたら。朝比奈さんについて話を聞くどころか、俺が逆に質問攻めされる始末だ。
彼氏はいるのかとか好みのタイプは何だだとか、俺が知りたいっての。
ま、それは別にしても結局朝比奈さんと仲がいい人には会えなかったな。
鶴屋とかいう人が一番の友達らしいが、ここんとこは朝比奈さん探しに奔走してるらしく会えなかった。
俺たちのように朝比奈さんから連絡があったわけではなかろうに、女の勘か、
ハルヒみてーに少しの事で騒ぐタイプなのか。前者である事を祈るね。
愚痴はここら辺で切り上げるとして、問題はジョニィの奴だ。
別れてから結構な時間が経ったのにまだ連絡の一つもない。それどころか電話も通じないのだ。
あの女に怒鳴られて帰っちまったのか?ヘコんでふて寝してるんならいいが、放っておくわけにもいかない。
そういうわけでマンションに戻ってきたが……気が滅入る。俺は本来あんなうるさいタイプは苦手なんだ。
ヒス混じりとなりゃ尚更だ。やっぱり帰ろっかな……そう思った時だ。
ぐしゃり。ぐえ、足に嫌な感触。虫か何か踏んだか?
恐る恐る足をどける。……え?これは……ひしゃげているが、車椅子?ミニチュアのようだ。
一見したところかなり精巧にできている。海洋堂真っ青だ。……これ、金属でできてるのか?
しかもタイヤの部分はゴム製。凝りすぎじゃないか?まるで本物をそのまま小さくしたようだ。
いや、凝っているというより、これは……。ジョニィが乗ってたヤツにそっくりだ。
細かな傷や汚れまで、何もかもが同じだ。偶然なのか?……これは?何か書いてある。
「ジョニィくん、今のって……」
上ずった声でみくるさんが言った。
「ああ……キョンが来てくれたみたいだ」
廊下でグェスに掴まれた時、咄嗟に床に「外に出せ」と彫った。
不安だったが、何かの危機にあると察してくれたらしい。
「あのー、さっきはすいません。大家の使いの者なんですけどね。ちょっと来てほしいんですが」
キョンの声だけが聞こえる。しばらくの間の後、ドアの閉まる音がした。
「ジョニィくん、これで元の大きさに戻れるんですか?」
「……きっと」
そうとしか言えない。スタンドには恐らく射程距離がある。だが、グェスが射程圏外まで行く保証はない。
まして一度みくるさんが大きくなったのだ。警戒しているはずだ。
キョンの大家がどうとかいう話もまず口から出まかせ。時間はさして稼げない。
頼む、元に戻ってくれ。祈る事しか出来なかった。
「見て!」
不意にみくるさんが叫んだ。ぴょんぴょん何度もジャンプしている。
「ほら!もう少しで届きそうですよ!」
確かに、近くなっている。絶望的なまでに高くそびえたっていたガラスの壁に!もう少しで手が届くぞッ!
いや、それより……ぼくは爪を回転させた。目の前のガラスに押し当てると、驚くほどすんなりと切れ目が入る。
スタンドの威力も元に戻りつつあるようだ。ぼくは円状に切れ目を入れ、簡単な脱出口を作った。
先に穴をくぐり、まだグェスが戻ってきていない事を確認するとみくるさんに手招きをした。
「みくるさん、早く逃げよう。グェスが戻ってくる」
「は、はいっ」
グェスという言葉を聞きみくるさんの表情が強張る。一直線に走り寄って来る……何だか次の展開が予想できた。
「きゃあっ!」
期待を裏切らない人である。盛大に転んだ。あー、涙ぐんでる。
「みくるさん、大丈夫か?ケガはない?」
立ち上がらせようと手を差し伸べると、奇妙な物が目に入った。
単純なマークだ。真っ赤なハートに矢が突き刺さっている。それがみくるさんの手の甲に浮かび上がっていた。
刺青?いや、あんな目立つ所に?これまで気がつかなかったが。
それにしても、みくるさんがタトゥーとは。アメリカじゃ珍しくないが、日本で、しかもこの歳では滅多にないだろう。
普段のイメージともそぐわない。未来の文化なのか?
「あ、だ、大丈夫です。あたしの事は気にしないで早く行きましょう」
「え?あ、ああ」
気遣っていると勘違いしたのか、申し訳なさそうにみくるさんが言った。
手を見直すがもうハートマークはない。見間違いだったのか?訝しく思っているとみくるさんが走り出した。
「大丈夫ですからっ!早く行きま……きゃっ!」
……。ま、いいか。とりあえず助けなきゃ。
やはり数日の監禁で体力の消耗が大きいのだろうか。今いる場所は棚の上で、平坦な場所だ。
こんな場所で転ぶなんて、顔には出さないがよほど疲労がたまっているに違いない。
「大丈夫か?急がなくちゃいけないけど、落ち着いて行こう」
「う……すみません。急に足が掴まれたみたいになって……」
予想以上に疲れてるようだ。早く逃げなければいけないが、このままじゃ……そうだ。
ぼくもかなり動転してたようだ。「ホル・ホース」と戦った時のように爪の回転をタイヤとして使えばいい。
そっちのほうが早いし、みくるさんにも負担がかからない。
「みくるさん、掴まってくれ。『爪』で走る」
しかし、みくるさんはこっちに来ない。膝をついたまま立ち上がりもしない。
「あの……立てなくて……」
どうやら、本当に動けないようだ。ぼくはみくるさんに近づいた。手を伸ばそうとした時。
「…………!?みくるさん、グェスは他に何か動物を飼っているのか?」
「?いえ、そんな様子はありませんでしたけど……」
気のせいだったのか?今、低い音……「唸り声」のような……が聞こえたが。機械の起動音でも聞き間違えたのか?
!まただ。また「唸り声」が聞こえた。……近い。どんどん近くなってくる。
どういうわけなんだ?音は……下から聞こえる。
「はっ!?な、何だ!それはッ!?」
「手」だ。確かにそこにある棚から奇妙な植物のように手だけが突き出て、みくるさんの足を掴んでいる。
「え?え?……ひいっ!こ、これは!?」
なんて事だ。「最初から」だったんだ。最初からぼくたちは追い詰められていたんだ。
逃げようとしたぼくたちを狩り取るために、猟犬のようにこいつは潜んでいた。
それは棚をすり抜けて全身を現した。人形のようだが、全身に細かな突起を持ち、鋭い牙と爪。
「怪物」と表現するのが相応しい。だ、だが……こいつは単なる「物体」じゃあない!
未だ半身が棚を通り抜けているのを見てもそうだし、よく見るとこいつ自身半透明だ。
じゃあ……こいつは……スタンド!「怪物」は完全に棚を通り抜け全身を見せ、再び嫌らしい唸り声をあげた。
「……グーグー……グーグー・ドールズ……」
「きゃあああああ!」
絹を裂くような悲鳴が響いた。「怪物」が鋭い爪を振り上げたのだ。
「うおおおおおお!」
爪のカッター!先に届いたのは、ぼくだ!奇声と共に怪物の腕から血が噴き出した。
「今だ!みくるさん、掴まれ!」
怯んだ隙にみくるさんを掴むとぼくは爪を走らせた。
「あ、あ、あ……あれは……?」
「スタンドだ。多分グェスの」
慎重に棚を降り、床に着地する。スピードは緩めない。
「ジョニィくんっ!追って来てます!」
振り向くと、猛然と怪物が走り寄って来ている。まずい。小さくなってるぶん遅くなっているようだ。
「あああっ!ジョニィくん、前っ!」
向き直ろうとした瞬間、体が宙へ投げ出された。思わず手を放してしまい、ぼくたちは別の方向へ飛んで行った。
フローリングに叩きつけられ痛みが全身を貫く。何かにぶつかってしまったのか?
「『グーグー・ドールズ』!そのガキを押さえろッ!」
怒声が耳を突く。しまった!戻ってきていたのか。グェスが憎々しげに睨んでいる。
こいつが足を引っかけたのか!逃げようとしたが、すでに奴のスタンドがぼくの体を拘束していた。
「これはどういう事だ?ええ、オイ?逃げようとしたってのか?あたしの……あたしたちの友情を……
踏みにじりやがったなッ!もうお前らとはおしまいだッ!」
雷鳴のような叫び声をあげると、グェスはテーブルの上のフォークを手に取った。
鋭利な先端がぎらりと輝く。朝食のソーセージのようにぼくを突き刺すつもりか!
「や、やめてっ!」
グェスの背後のみくるさんが叫ぶ。ぎろりと狂人じみた輝きを放つ目が睨んだ。
「この雌豚ッ!こんなクズを取りやがって!こいつの後ッ!お前はバラバラに引き裂いてやるッ!」
くそ、くそ、くそっ……!手さえ離れれば!何度も腕を切りつけた。
それでも「グーグー・ドールズ」は締め上げる力を緩めない。グェスも連動して流血しているにもかかわらず、だ。
怒りで痛みが気にならなくなっているのか。一瞬でも怯ませる事が出来れば!
苦闘するぼくに、無慈悲にもグェスはフォークを振り上げた。次の一瞬に起こる事が容易に想像できる。
輝くフォークは骨ごとぼくを串刺しにするだろう。生きている事なんて出来ない。
ぼくは必死にもがく。拘束は離れない。グェスはそんなぼくを見て表情を歪ませ―――フォークを振り下ろした。
もう駄目だ。貫こうとする先端から目が離せない。と、それがぴたりと止まった。
時間をかけていたぶろうというのか?違う。みるみる紅潮していくグェスの顔がそう言っている。
「な、何だ……!?振り下ろせねえ……!」
グェスが唖然としたように漏らす。筋肉が弾けそうなほど腕に力を込めている。
「何だ……!これ……!?『引っ張られてる』みてーに……!」
最後まで言う事はなかった。フォークが手をすり抜け、背後へと大砲のように吹き飛んだのだ。
そのまま目にも止まらぬ速度で吹き飛び、そしてある地点でぴたりと停止した。
……みくるさんの掌の寸前で。そして。
「……あたし。あたしのこの『掌』」
燦然とハートマークが輝いていた。これは、これは……!
「スタンド……!『引き付ける』スタンド……!?」
To Be Continued……
最終更新:2008年11月02日 23:25