第十八話「マドンナ⑥」
「『引き付ける』スタンド……」
みくるさんが呆然として呟く。そして小さく「あっ」と声をあげるとぼくを見た。
少しの圧力も感じる事なくぼくの体が動く。
「グーグー・ドールズ」が懸命に押えようとするが、引き付ける力が遥かに勝っていた。
たちまちグーグー・ドールズの手をすり抜け、ぼくは一直線にみくるさんに引き付けられた。
「大丈夫ですか!?」
みくるさんが心配そうに叫ぶ。串刺しになりかけたが、恐怖はもう吹き飛んでいた。
それよりも、みくるさんまでもがスタンドを発現させた驚きが大きい。
「ありがとう。助かったよ……『引き付ける』スタンドか。それもかなりパワーが強い……『マドンナ』ってところかな」
過大評価ではない。小さくなって相対的にパワーが弱まった状態で、
力いっぱい振り下ろそうとしたフォークを引き付けたのだ。そのパワーは相当なものだろう。
「でも、見て下さい。これ」
不安げに指差した先には先程のフォークが転がっていた。
「一度に一つしか引き付けられない?」
みくるさんがこくりと頷く。と、嫌らしい笑い声が聞こえてきた。グェスだ。
さっき、ぼくがグーグー・ドールズの腕を切り付けたからだろう。手を血に濡らして笑っている。
「どうやら一つしか引き付けられねーみてーだな?オイ?それならよォォォ
……こいつはどうやってかわすのかなあー--ッ!?」
何!?あいつ、何て事を!グェスが握っているのは画ビョウのケースだ。
それが今のぼくたちにはまずい!一本一本が槍のようなサイズに変貌している!あれをブチまけられたら……!
逃げる間もなくケースは開かれた。間を置かず中身がぼくらに降り掛かる。駄目だ。爪で切り飛ばせる数じゃあない!
ぼくがどうこうできる数じゃあ……!光を乱反射しながら落ちる無数の槍。
せめて急所は避けなければ。そう思って爪を向けると、同時に頭上に壁のような物が現れた。
見ると、みくるさんが手を上にかざしている。
「刺青に引き付けられる……。テーブルの上の雑誌を引き付けました」
ぱらぱらと紙に金属が当たる音。ただの雑誌も今のぼくらには強力な盾だ。
みくるさんが手を落とすのに従って雑誌も落ち、憎しみに満ちたグェスの顔が目に入る。
「クソッ……!いい気になるなよッ!ブッ殺す順番がみくるッ!お前からに変わっただけなんだからなッ!」
怒声に答えるように激しいノックの音。同時に男性の声が続く。
「グェスさん!グェスさん!どうしたんですか!?開けて下さい!」
驚いたように視線を入り口の方に移すグェス。ドアの外の声は続く。
「今、怒鳴り声がしましたよ!?大家さん、これ絶対ヤバいですって!」
これは……キョンの声だ。ノックが止み、代わりに甲高い足音。
「あのガキ……!あいつも殺す!お前らを八つ裂きにしてからなあッー--!」
逆上したグェスが猛然と襲いかかってきた。さっきの足音はきっと鍵を取りに走ったんだろう。
すぐに戻ってくる。余裕をなくしたグェスはどうあってもぼくらを殺すつもりだ。
「みくるさん、捕まれ!」
言うが早いかぼくは爪を走らせた。大きいグェスとは競走にすらならない。
ここは体が小さい事を活かす。ぼくらはテーブルの下へと滑り込んだ。
奇怪な唸り声がつけてくる。グーグー・ドールズだ。こいつだけなら何とかなる。
今のぼくにはグェスは太刀打ち出来ない相手だ。一体に絞るだけでも大分楽になる。
このまま時間を稼ごう。そう思った時、みくるさんが叫んだ。
「ジョニィくん、後ろ!」
ハードカバーの分厚い本が地面を滑り、ぼくらに迫っていた。
このままじゃぶつかる!ぼくは横に急旋回せざるを得ない。しかし、そこへグーグー・ドールズが手を伸ばす。
辛うじてそれをかわすが、このままではまずい。
グェスはキレてはいるがぼくらを始末する事に対しては冷静だ。
「スタンド」が物質をすり抜けられるという長所を最大限に活かしている。
こうしている間にも、次々と手頃なものを蹴り込み、味方には決して当たる事のない「援護射撃」をしている。
グェス自身は出口を守るためと、直接攻撃を避けるため、ぼくらから遠いドアに立っている。
次第に動ける範囲が狭まっていく。
「ジョニィくん、このままじゃ……!」
「…………」
焦った声を出すみくるさんに声をかける余裕すらない。
逃走路が次々とグェスの援護射撃と、グーグー・ドールズに塞がれる。
「……くそっ、駄目だッ!」
そして、ついに逃げ場がなくなった。部屋の隅に追い詰められたのだ。グーグー・ドールズがゆっくりと歩み寄る。
「やった!これで終わりだ!ブチ殺せッ!グーグー・ドールズッ!」
グーグー・ドールズが目前に迫る。……逃げられない。逃げられないが、しかし、はたして目の前の怪物と戦えるのか?
さっきは完全にパワー負けしていた……。しかも、下半身不随のぼくはスピードも完全に劣る。
厳しい。小さい今の状況では。普段の大きさなら負けはしないのに……!……「小さい」?
(あっ……!)
頭に電流が走る。まさか……いや、さっきの状態であれなら……!
ぼくは出来るだけ落ち着いて口を開いた。
「グェス……この『小さくする能力』の射程距離はどれくらいだ?」
「……あ?」
興を削がれたとでも言いたげに間抜けな声を出す。ぼくは返事を待たず続けた。
「『大きく』なってるよな……ぼくたち。さっきは『グーグー・ドールズ』より小さかった。
それが、今では倍近く大きくなってる」
部屋と部屋の端だからか、あるいはグーグー・ドールズを出すのにエネルギーを取られたか?
とにかく、ぼくらは大きくなっている。一mくらいだろうか?それくらいには。
つまりパワーも相応に戻っている。ならグェスには一大事のはずだ。
グーグー・ドールズのパワーは絶対的にいえば強くない。相手を小さくする事で相対的に優位に立っているだけなのだから。
しかし、グェスに焦りはない。それどころか、笑みを浮かべていた。
それが意味するのは圧倒的な優位。猫が、捕まえた鼠をいたぶる時のような微笑み。
「それで?それが何だってんだ?少しくらい大きくなっても、
あたしの『グーグー・ドールズ』はお前の爪よりずっと早いんだ。当たると思ってんのか?」
グェスの読みは恐らく正しい。兎のように素早く飛び回るグーグー・ドールズに一撃を食らわすのは難しい。
ぼくではほぼ無理と言っていい。しかし……。
「確かにね。……でも、グェス。お前にならどうだ?人間のお前に狙いを定めたら?」
微笑みが冷やかさを帯びる。哀れみすら混じった嘲笑。
「馬鹿か?わかってんだよ、お前のその爪は遠くに攻撃出来ねえ。……つまんねえ時間稼ぎだったな。
行けッ!グーグー・ドールズ!引き裂いてやれッ!」
グェスが高らかに死刑判決を下す。唸り声をあげるグーグー・ドールズ。と、その背を追い越す物があった。
「何ッ!みくるッ!お前か!?」
さすがにグェスの顔にも焦りが浮かぶ。しかし、すぐにそれは消えた。
何せ、みくるさんが引き付けたのはただのボールペンだったのだから。
みくるさんはそれを聖剣か何かのように大事に抱えた。
「……ボールペン?何でそんな物……」
ぴしり。突然鳴った音がグェスの言葉を遮る。
「何だ?今の音……!?」
グェスが後ろを振り向いた瞬間、音をたてて蝶番が壊れた。ドアが猛烈な速度でぼくたちに引き付けられる。
その間にいたグェスも。
「うおおおおお!?」
グェスの絶叫。ぼくのすぐ横のみくるさんが、ペンを壁に突き立てるように腰の脇に構える。
そしてグェスは引き付けられる。ドアごと、壁ぎわのぼくたちに。
「ぐわあっ!?」
嫌な音を立てながらグェスが壁に激突する。その悲鳴が止む事はない。
ドアに突き立てたボールペンがつっかい棒になって、みくるさんへの引き付けが終わらないのだ。
グェスはこのまま押しつぶされ続ける。ボールペン一本分の長さよりもみくるさんが大きくなるまで。
悲鳴がようやく止むと、傾いたグェスとドアがぼくらに倒れ込んだ。
手で押すと、外れたドアは呆気なく向こう側に倒れた。開けた視界にグーグー・ドールズの姿はない。
体も元の大きさに戻っている。グェスは気絶したようだ。
「……上手くいってよかった」
グェスの背後のドアを引き付けられるかどうか。完全な賭けだった。
その上時間稼ぎにも失敗。みくるさんも気付かなければやられていた。
「じょ、ジョニィくん……た、立てない……」
二重の賭けを乗り越え、勝利をもたらした女神はそのスタンドに見合わない情けない声をあげた。
覆いかぶさったグェスには息はある。もっとも、あのパワーで挟まれたら再起不能だろうが……。
「みくるさん」
「?」
「本当にありがとう。君のおかげだ。ぼくだけじゃ負けてた」
二人ともグェスに押しつぶされたままだったが、みくるさんが頭をぶんぶん振るのがわかった。
……頭がぶつかったから。
「す、すみません……いいんですよ。あたしもこの前助けてもらったし。
……それに、嬉しいんですよ」
嬉しい?何が嬉しいのかよくわからない。
「あたしも、長門さんみたいにみんなの役に立ちたいですから。……それと……」
そこで言葉を切る。続きを促そうとした時、小さくみくるさんが言った。
「……助けに来てくれたのも……嬉しかったです」
「…………」
咄嗟に言葉が出ない。沈黙が流れる。
「…………あの」
沈黙を打ち破ろうとした声はさらなる騒音に打ち消された。
手荒にドアを開ける音。室内に響く靴音。
「ジョニィ!無事か!?」
駆け込んできたのは普段は見せない焦り顔のキョンである。友達が危険なのだ。焦るのも無理はない。
……しかし、今のぼくらって……ぼくら二人にグェスが覆いかぶさってるわけで……。
……凄くまずい気がする。
みるみるうちに目を鋭くするキョン。後を追って入ってきた大家は目を背け、
若いからそういう事もあるだろう。と、もごもごと言った。
「……キョン。違うんだ」
「……わかった。とりあえず一発殴らせろ」
……認めないぞ。こんな落ち。
本体名「グェス」
スタンド名「グーグー・ドールズ」再起不能
To Be Continued……
最終更新:2008年12月25日 17:37