第二十二話「アナーキー・イン・ザ……④」
やれやれ。ハルヒの奴ときたら毎度面倒な事を考える。野球なんて、俺はろくにやった事ねーぞ。
ま、そうは言ったものの組織がらみの三人がイエスマンである以上、
一般人の俺たちの声なんぞそよ風程度にも響かないわけで、野球大会参加は実現しちまった。
かくして、貴重な休日を犠牲にしての野球大会が始まった……と、その前に事件は起こった。
野球に付き物の整列をしたんだが……どういうわけだろう。審判が何も言わない。
見ると、何やら怪訝な顔で協議中だ。辺りがざわついてきた所で主審がこちらに来た。
「あの……君も参加するの?」
……まあ予想はしてたんだが。主審が足を止めたのはジョニィの前。
車椅子なんだから当たり前っちゃ当たり前だな。むしろ俺の妹がスルーされた事のが驚きだ。
「はあ。まあ……そのつもりですけど」
ばつの悪そうな顔でジョニィが答える。もしや、まさかの不戦勝があるか?
小さな期待に胸を膨らませていると、ハルヒが自信満々に言った。
「あら。参加条件は特にないって書いてあったけど?」
どうだと言わんばかりだ。これほど子供じみた台詞を偉そうに吐ける人間もいないだろう。
「いや……確かにそうだけどね……」
「じゃあ何も問題ないわね。さあ、とっとと始めましょう」
「しかし……これは……何かあったら問題だよ……」
「問題!?聞いた?皆さーん!この人がジョニィを問題扱いしようと」
「や、やめなさい!わかったから、騒ぐな!」
ああ、将来いいクレーマーになりそうだなあ、と俺はまくし立てるハルヒを見つめていた。
一悶着あったが、ついにプレイボールだ。一回の表、攻撃は俺たちからだ。
一番打者のハルヒは不敵に笑いながら打席に舞い降りた。
プレイボールと同時にピッチャー振りかぶって、投げた。が、緩い。投球練習の時よりも明らかに緩い。
恐らく、相手が女で素人という事で手加減してやろうというつもりだろう。
カキン。
そんな相手チームの油断、というか配慮をハルヒはものの見事に打ち砕いた。快音残して打球がぐんぐん伸びていく。
猛追するセンターの頭上を通り越し、ワンバウンドでフェンス直撃。ツーベースだ。
まあ、これぐらいはするだろう。あんな球ならホームランがあるかもと思ってたしな。ジョニィや古泉たちも同感だろう。
だが俺たち五人以外は例外なく豪快なガッツポーズをするハルヒを驚きの眼差しで見ていた。特に敵チームは。
「ピッチャー全然大した事ないわよっ!あたしに続きなさい!」
威勢よく叫ぶハルヒ。しかし、これが放心状態の敵チームに火を点けちまった。
次のバッターは朝比奈さん。ぶかぶかのヘルメットにバットを抱き、おどおどした様子。
「よ、よろしくお願いしま、ひゃ!」
言葉の途中でインコースに直球が決まった。ふざけた真似しやがる。朝比奈さんに当てよう物なら、即飛び出して乱闘だ。
「野郎ォ~、何て事しやがる!乱闘だ!」
ん?思考が口に出たか?そう思ったが、横で虹村がジョニィと古泉に押さえつけられていた。
「離せ!あの馬鹿野郎をブン殴ってやるッ!」
「古泉、落ち着くまで口をふさいでくれ」
虹村に同感なので俺は放っといた。いっそ没収試合になっちまえばいい。
続く二球を朝比奈さんはバッターボックスの隅っこで見送った。
アウトの宣告を聞くとホッとした様子でベンチに戻ってくる。
「大丈夫っスか!?怪我ないっスか!?手当てなら俺にま---うげ!」
「あんた、素振りでもしてなさい。みくるちゃん、何で振らないのよっ!」
ハルヒの言う事なんて無視だ。虹村と同じく朝比奈さんの無事が第一だ。
三番は長門。どうなるか。
「…………」
「ストライク!」
「…………」
「ストライク、ツー!」
「…………」
「ストライク!バッターアウッ!」
いつも通りだった。つまり、全く動かなかった。
「キョン!あんた絶対打ちなさいよっ!四番でしょ!」
ハルヒの怒声がやかましい。くじ引きで決めたくせに。
とはいえ、朝比奈さんの前だ。ここは一つ、良い所を見せてやるか。
「アホーッ!」
ハルヒが怒鳴っている。ああそうだよ。三球三振だ。打てるかあんなの。何か文句あるか。
俺たちの守備はザルもいいところだった。特に外野はノーガードに近い。
朝比奈さんはボールが来たらしゃがみ込んでしまうし、俺の妹は空間把握能力がゼロだ。
センターの長門は補給は完璧だが、自分の守備範囲の外には反応しない上、動作が緩慢すぎてファインプレーは期待できない。
……何回でコールドになるだろう。俺はそう考えていた。多分、他の皆も。
「しまっていこー!おーっ!」
ハルヒが一人で気合いを入れている。お前、しまって行こうって言いたかっただけだろ。
敵チームのバッターが打席に立つ。
ハルヒはオーバースローで一球目を投じた。
「ストライィィィク!」
審判の声が高らかに響く。ノビ、球威、コントロール、全て申し分ない。
繰り返すが、ハルヒはこれぐらいはやる。何を可能にしてもおかしくはない。そういう奴なのだ。
例によって俺たち五人は驚いていない。が、さすがにサードのジョニィは呆れ顔だ。
「昨日も言ったけど、あれは素人のボールじゃあないな……」
確かにそうだが、ストレートだけだろ。
「……そうみたいだね。投球練習の時もストレートしか投げてな」
「違う」
な、長門!?お前センターだろ!?いつ移動してきた!
「……あれは、ジャイロボール」
「何ィ!知っているのか長門!?」
無視すんな。ジョニィも驚きすぎだ。
「ファストボール、いわゆるストレートには大きく分けて二種類ある。
一つはフォーシームファストボール。もう一つはツーシームファストボール。
涼宮ハルヒが投げているのは後者。ジャイロ回転が巻き起こす回転により、
打者はボールがいつまで経っても来ないような錯覚を覚える」
つまりクセ球って事か?
「一言で言えば」
そうか。
俺が言うと長門はゆっくりした動作でセンターに戻って行った。
「……何だったんだ。今の」
「……さあ」
そんな事をしてる間にツーアウトになっていた。どうやら二人とも三振に抑えたようだ。
これはまずいぞ。下手に長引いて、万一勝っちまったら丸一日拘束だ。
それは何としてでも避けたい。もっと頑張れ。敵。
俺の祈りが通じたのか、続く三番打者がハルヒ渾身のストレートをジャストミートした。
さすがはクリーンナップ。まあ、俺が言ってた通りストレートだけしか投げてないしな。
突っ立ったまま、長門はボールを見ようともしない。その遥か上空を越え、ボールは場外へ消えた。
茫然自失。ハルヒが初めて見せる表情だ。これでまずは一点のビハインド。
それからも、俺たちの守備は散々だった。
四番に二塁打を許し、続く五番はボテボテのセカンドゴロだったのだが。
「よっし、セカンド……っていない!?」
ライト方向から猛然と虹村がダッシュして来ていた。
「さー見てて下さいよお~っ!俺の活躍を!」
一二塁間で止まった球をキャッチすると、ホームにレーザービーム返球を放った。
「どおっスかあ~、俺の球!」
ハルヒ以上の剛球だ。ただ、とっくの昔にランナーはホームを踏んでるし、バッターランナーも二塁にいるのだが。
「こ、この阿呆がァー!」
「鶴屋さん、ハルヒを押さえてくれ。ぼくから億泰に注意するから」
その後、怒りのこもったハルヒの投球に六番打者が倒れ、スリーアウトチェンジ。
一回終わって2-0か。意外と善戦している。善戦程度じゃ困るのだが。さっさと負けてもらいたいのだ。
長い長い守備が終わり、ようやく攻守交替だ。俺にとっては早く終わって欲しい攻撃のターン。
なんせまだ二点差だ。逆転はないだろうが、コールド負けにはまだ遠い。敵にもう一頑張りしてもらいたいところだ。
「ここで逆転するわよ!あたしまで絶対に回しなさい!」
檄を飛ばすハルヒ。しかし俺はこの回の得点はないと思っていた。
この回のバッターはジョニィ、虹村、鶴屋さん。三人とも野球経験はないと言っていた。
ヒットは難しいだろう。特に、先頭打者は。ジョニィがバットを抱えながら車椅子を走らせている。
守備は器用にこなしてはいたものの、車椅子の身では打撃はまず無理だ。
ジョニィが打席に立った瞬間に敵チームに動揺が走ったが、投じられたボールに手心はない。
ハルヒの件もあるからか、どんな相手だろうと全力で来るつもりらしい。その無慈悲に今は拍手だ。
スコン。
そんな音をたてて、ふわりと打球が浮き上がった。慌ててサードが後退するが、打球はテニスのロビングのようにその頭上を越えた。
サードが追い付いた時には、ジョニィは一塁に着いていた。ヒットである。
「やったー!ジョニィ、よくやったわ!」
「凄い……」
「さすがの運動神経ですね」
「あたしもびっくりさっ。上半身だけで打ったんだよねっ」
「…………」
皆が口々にジョニィを誉め称える。……どうせ俺は打てなかったよ。
インチキ臭い運動神経しやがって……下半身不随か、本当に。
「よっし、億泰!さっきのミスの分、返しなさいよ!」
「おう!任しとけよッ!」
くさくさしててもしょうがない。次は虹村だ。熱心に素振りをしているが……一言で言えば、不細工なフォームだ。
あれだ。斧振り回してる原始人。それを思い出した。打席についたが、あの無様なスイングじゃな……。
グヮラグヮラゴキィィィン!
虹村はそんな俺の予想をいとも簡単に打ち砕いた。打球はグングン伸びて、伸びて、伸びて……。
「あ、ああ……!は、入っちゃった!嘘でしょー!」
……何なんだ、こいつら。
虹村らが予想外に活躍したものの、その後はいつもの展開って奴で、三者凡退だった。
次の守備、敵はSOS団の弱点が外野にあると見抜いたようで、明らかなアッパースイングで打ち上げてきた。
打球がライトやレフトに飛ぶ度に、俺と虹村は外野へダッシュして捕球を試みるのだが、成功率は極端に低い。
その結果、この回は五点取られた。七対二。あと五点だ。このままなら次の回で終わりだな。
三回表。こちらの攻撃。
「ちょっとタイム!」
やおらハルヒが言った。ジョニィが不思議そうに聞く。
「どうしたんだ?君の打順だろ?」
不敵な笑みを浮かべながらハルヒが答える。
「ふっふっふっ……この劣性を跳ね返す作戦が必要よね。それがあたしにはあるの」
作戦。それを聞いた瞬間嫌な予感がした。ハルヒがまともな作戦を考えた事はないからだ。
危惧していると、ちょこんと座っていた朝比奈さんの首根っこを掴んだ。
「ひっ!」
そして、ずるずると引きずり、ベンチ裏へと消えた。朝比奈さんと一緒にでかいボストンバックを担いでいたが、その中身はすぐに明らかになった。
「ちょ、ちょっと……!やめ……やっ……!」
「ほら、さっさと脱いで!」
朝比奈さんの可愛い悲鳴と、ハルヒの居丈高な声がアンサンブルを奏でる。またこのパターンか。
そして、出てきた朝比奈さんは素晴らしくこの場にマッチした姿をしていた。
鮮やかなブルーとホワイトのノンスリーブにミニのプリーツ。チアガールだッ!
「みくるー、写真撮っていいー?」
ゲラゲラ笑いながら鶴屋さんがデジカメを取り出した。
「いいっスよねッ!ねッ!」
「あははー。億泰くん、目が怖いよー?」
……正直、全力で虹村を応援したい。携帯のカメラの画質でいい。欲しい……!
「じゃ、あたし打ってくるから応援してね」
颯爽と打席へ歩いて行く。ちなみに、ハルヒもチアガール姿に着替えていた。
すぐに打つのに、お前が着替える意味は何だ……とは思わなかった。朝比奈さんのチアガール姿を目に焼き付けるのに夢中だったからだ。
その時だった。甲高い電子音がして、古泉がポケットから携帯を取り出した。
朝比奈さんと、長門の視線が古泉に集まる。
「少し、まずいですね」
古泉が呟く。俺は溜め息をつくのも億劫になりながら耳を傾けた。
「閉鎖空間が発生し始めました。それも、これまでにないスピードで」
閉鎖空間。俺にはトラウマだ。
「えと……ハルヒがストレスを感じると発生するんだっけ」
聞いていたジョニィが口を挟む。……おいおい、野球で負けてるからか?
「そのようです」
あっさり言う古泉に俺は言葉を失った。何か言ってやりたい。そう頭を絞って、苦し紛れに出たのはいつもの一言。
「……やれやれ」
「ねえ、それってまずいんだろ?前に、閉鎖空間の拡大は世界の崩壊に繋がるって」
ジョニィが真剣な顔で言う。返す古泉の顔にはまるで危機感がなかった。
「そうですね。いやあ、実に困りました」
「……君、随分余裕じゃあないか?」
少しカチンと来た様子のジョニィ。古泉はごまかすように笑った。
「いえいえ。とにかく、この回の守備を頑張りましょう。ここでコールドゲームが成立すれば、
それこそ世界の破滅です。四点以内に抑えなければ」
やはり、その顔に緊張感はなかった。
三回裏、ハルヒは好投した。チアガール姿のままで。明らかにバッターが動揺していたのである。
しかし、それでもというか……俺たちはエラーを連発した。まあ、直球だけだからバットには当たるわけで。
気が付けば四点取られていたしかもランナー一、二塁。ツーアウトだが得点圏。何とか三振……!全員が祈る。
カン。無情にも打球は舞い上がる。打球はセンターの浅いところ。長門はぴくりとも動かない。
考えてる暇はない。行けっ!俺は今日何度目かのダッシュをした。
よし、このまま走れば間に合う!と、指示の声に混ざって野太い声が聞こえた。
「俺に任せろ!」
な、何っ!?虹村が突っ込んで来てる!?任せろ、と言ったって俺も急に進路を変えられない。
ボールだけを見ながら後方へ全力疾走する虹村は、もう目前に迫っていた。世界、終わったな。
激しい衝撃を受けて、倒れる俺が見たのは目をそむける朝比奈さんだった。
ああ……世界が破滅を迎えた。……あれ?何もないな?
「あっ……!凄い、取ってる!」
朝比奈さんの可愛い声が響いた。見ると、同じく倒れた虹村が裸の右手にボールを握っていた。
「へへ……。どースか!?俺の活躍!」
取り囲まれて、もみくちゃにされながら称賛の眼差しを受ける虹村。……物凄く納得いかない。
ベンチの隅に座って土を払っていると、古泉がジョニィを伴ってやってきた。
「さっきの続きですが」
少し放っておいてもらいたいんだが。
「実は対処療法があります。あなたが前回、閉鎖空間に行った時に戻った方法はいますよね?」
思い出させるな、こんな時に。
「あの手を使えば、また上手くいくかもしれません」
「なんだ。そんな手があるのか?じゃあそれをやろうよ」
ジョニィが無邪気に言う。古泉、後で覚えてろ。
「それは却下だ」
心底おかしそうに古泉が笑う。くそ、ムカつく。
「それなら、勝ちましょう。僕に妙案があります。彼女とは利害が一致するはずですから」
にこやかに古泉が言って、長門のもとへと歩を進めた。
「何か、怪しいな」
ジョニィが眉を寄せる。古泉が怪しいのはいつもの事だ。
「またそんな事を……。古泉、良くない事を考えてるんじゃあないだろうな。ぼくらも聞きに行こう」
別に否定する理由もなかったので俺はついていった。
俺たちが来た頃には、もう古泉は話し終えていた。
「おや、お二人とも……。で、どうでしょう。引き受けて頂けますか?」
相変わらず長門は無表情だった。
「……バットの属性をホーミングモードにブースト変更、及びボールの軌道を操作、という事なら、可能」
ああ、久し振りの長台詞だ。と俺が感心しているのをよそに、古泉は得意そうに頷いた。
「そうですか。ではよろしくお願いします」
「…………以前の私なら」聴力検査のような小音量が聞こえた。
「……………は?」
古泉の笑顔が歪む。
「……情報統合思念体が派遣したインターフェースは私だけではない」
朝倉の事か?長門の表情は読めない。
「その、私とは別のインターフェースが暴走した。それも、二度」
二度、とは少し気になるが、それが何だっていうんだ?
「事態を重く見た情報統合思念体はインターフェースの力を削減し、それにより影響力を下げる事を決定」
古泉の笑顔が消えていた。ぼんやりと長門を見ている。
「つまり、今の私は情報操作により楽に勝たせる事は出来ない」
「…………」
沈黙。時が止まったかのような感覚。
「あの……古泉、どうする……?」
ジョニィが恐る恐る聞く。返事はない。焦った様子でジョニィが再び言う。
「古泉!どうするつも」
「さあ、皆さん!話している場合ではありませんよ!」
古泉が笑顔を取り戻したが……目が笑ってない。
「さあ、あなたの打順ですよ!打って下さい!」
バットを手渡されたが……実力勝負って事か?……あー、先に言っとこうか。
世界のみんな、すまん。今日で世界、終わるかもしれん。
To Be Continued……
最終更新:2009年04月25日 01:09