第23話「キリング・ザ・ドラゴン」

真っ暗な路地をぼくは一人で歩いていた。これは……自宅に続く道だ。
既に日付は変わっている。ぼくのような年齢の子供が外にいて良い時間帯ではない。
何でこんな時間に帰路についてるかって?一言で言えば、夜遊びってヤツかな。
楽しくもないパーティーで時間を潰すのが遊びに入るならだけど。
やがて、ぼくは一つの家の前で足を止める。ここケンタッキー州でも有数の歴史を持つ立派な屋敷。門は開かれたままだった。
敷石の上を歩き、簡素ながらも美しい細工がなされた扉の前に立つ。
そっと鍵を差し込み、ゆっくりと回す。まるで泥棒だが、何にしても気付かれるわけにはいかない。
かちゃりと鍵が開く音が響く。大きな音ではないはずだが、今は心臓が飛び出しそうな爆音のようだ。
家に入り、後ろ手に鍵を閉める。そのまま照明を点けずに自分の部屋へと歩きだした。
足取りは太極拳のようにゆっくりと。地雷源を歩くように足音を殺す。
亀のような歩みを続けて数分、ようやく自分の部屋の前に着いた。
……良かった。見つからずにすんだ。ほっとしながらドアノブに手を掛けようとした時だった。
真っ暗な廊下が突如として光に包まれた。ぼくは照明のスイッチには触れていない。
誰が点けたのか?……それはわかりきっていた。こんな深夜には使用人も帰っているはずだ。
会うのを避けるために、眠る時間を待って帰って来たってのに。ぼくは恐る恐る振り向いた。
「……父さん。起こして……いえ、起きてらしたんですか」

多分、待ち構えていたんだろう。父さんがスイッチの前に立っていた。
しかし、怒声や非難はそこに無く。父さんは深夜に帰って来たローティーンの息子を、ただ無表情に眺めていた。
その視線の先はぼくでは無い。ぼくが手に持った物……大きなトロフィー……だった。
普通の人間なら、一生手にする事も無いような豪華なトロフィー。今日の大会で貰った物だ。
「あ……これは……その……」
ぼくは顔を伏せて、やがて絞り出すように言った。
「『二位』でした……きっと、次は勝ってみせます」
父さんから言葉は無い。ぼくは顔を伏したまま続ける。
「……良ければ、次のレースを観に来て下さい……。……勝ちます……!」
返事がない。ぼくは目線だけを上げ、父さんを見た。……何も無かった。父さんは消えていた。
父さんの寝室のドアが閉まる音。それが彼の返事だった。
「…………」
ぼくは自分の肩がわなわなと震えているのを感じた。止め方がぼくにはわからなかったし、止めようとも思わなかった。
震えは指先にまで伝播し、トロフィーを握る手にまで及んだ。緩む手を握りなおし、ぼくはトロフィーを手近な窓に投げつけた。
ガラスを突き破り、トロフィーがバラバラになって夜に飲まれて行く。
バラバラに……。バラバラ……に……。

「……夢か」
自室のベッドでぼくはぼんやりと呟いた。最悪の目覚めだ。
日本に来るよりずっと前の、家を出て一人で暮らすよりも前の大昔の事だ。
何で今更そんな事………。………学校に行こう。

考えてみれば、ここ最近は過去を思い出す事もなかったな……。
あの日、ハルヒと出会ってから、過去を振り返る暇など無かった。元々、思い出したくも無い事だったし。
……過去の事は関係無い。大事なのは今だ。そうして、ぼくは昔を思い起こすのをやめた。
いつもと同じ日常、ハルヒが騒ぎ出した時も普段と変わらないと思っていた。
「みんな、日曜日空いてるわよね?」
みんなが顔を見合わせながら、やれやれといった様子で頷く。用事があると言っても強引に空けさせられるのが落ちだ。
しかし、何をすると言うんだろう。不思議探索ツアーはいつも土曜だし、日曜じゃなきゃダメな用事……。
草野球はもう勘弁だ。そんな事を思いながら満足気に笑うハルヒを見ていた。
「そう。んじゃー良かったわ。今度の日曜日なんだけど」
はいはい。あんまり無茶は言わないでくれよ?暢気な苦笑は、次のハルヒの言葉に吹き飛ばされた。
「宝塚記念に行きましょう!」
……宝塚記念、だって?聞いた事がある。偶然だっていうのか?
……それとも、忘れるなんて許さないっていうのか。過去が追い掛けて来るような、嫌な、嫌な気分がした。

「宝塚ァ?」
キョンの素っ頓狂な声が沈黙を破る。
「お前な、女子高生の趣味にしちゃ渋すぎないか?」
ちっちっち、とハルヒは指を振る。
「違う違う。記念よ。き・ね・ん。いい?宝塚記念っていうのはね」
「G1のレース……だよね?……阪神競馬場の」
思わず口を挟んでいた。言葉を取られたハルヒが呆気に取られた様子で目を丸くしていた。
「そ、そうだけど……アンタ、知ってたの?」
「ふむ。競馬ですか」
事情を知っている古泉が意味ありげにぼくを見る。
「そう言えば、ニュースで見ました。凄く強い馬がいるんですよね?」
気にしていないのか、みくるさんが明るい声で言う。思い出したように古泉がそれに答えた。
「『ホクトブライアン』でしたか。連戦連勝で、もう国内には敵は無いとか」
「そうそう。それを見に行こうってわけよ。流行にはビンカンじゃないとね」
好反応を得たハルヒは喜色満面といった様子だ。その中でただ一人キョンは眉をひそめている。
「あのなあハルヒ。まさか競馬で一攫千金、なんて考えてるんじゃないだろうな」
「えっ!?……な、何よそれ」
明らかに動揺している。大袈裟に溜め息をつくとキョンは子供を諭すように言った。
「20歳未満は馬券買えないぞ。全く、何を言いだすかと思えばギャンブルに手を出そうなんて」
「ちょっと、そういう言い方は止めてくれよ」
思わず口を挟んでいた。
「確かに、競馬は日本ではギャンブルの対象っていうイメージが強い。けど、それ以前に純粋なスポーツなんだ。
君だって、陸上をテレビで見たり、応援だってした事あるだろ?」
「そりゃまあ……あるけどな」
面食らった様子でキョンが肯定した。あらかじめ録音されていたかのようにぼくの舌は滑らかに動いた。
「それと同じだよ。馬……特に走ってる馬は凄く綺麗で、知識が無くてもそれだけで楽しい物なんだ」

言った後でしまったと思った。見ると、ハルヒは見るからに得意気だ。
「ジョニィ、良く言った!キョンは考える事が俗っぽくて困るわ。
あたしも馬の美しさに魅了されて、見に行こうと思ったのよ」
どうにも白々しい。しかし、こう勢い付いてしまったハルヒはもう止められない。
「って事で決まりね!日曜日は駅前に集合!」
あぁ、決まってしまった。
「うわぁ楽しみ!あたし、馬は実際に見た事無いんですよ」
「そうですね。僕も小さい頃にポニーに乗ったくらいです」
気遣ってそうしているのか、自然な態度なのか、二人は肯定的な態度をとった。
そりゃあ、競馬観戦なら前回のようなピンチは無いだろうけど。
「でしょ!絶対面白いわよ。ところでジョニィ、アンタ詳しいのね。アメリカじゃ競馬はメジャーなの?」
ぼくは曖昧に頷いた。ハルヒはふーん、と良くわかっていなさそうな相槌を打つと、当日の予定を話し始めた。
良い反応を得られたのが嬉しかったのか、いつにも増してハイだ。
溜息をつきながらキョンが肩をつつく。
「やれやれ……また休日が潰れたぞ。それはそれとして、だ。
さっき、悪し様に言ったのは悪かったが、だからってあそこまでムキになる事じゃないだろ?」
そうか。キョンは知らないのか。ぼくが騎手だった事や「事故」の事も。
黙ったままのぼくを勘違いしたのか、キョンは苦笑しながら言った。
「……ああ、別に責めてるわけじゃないんだ。ハルヒにしちゃマシな提案だしな」
「……そうだね。長門、当日は制服着て来ないでくれよ?さすがに目立つからね」
笑顔を取り繕い、普段と同じような軽口を飛ばす。しかし、頭の中ではただ一つの事を考えていた。
さっきのキョンの問い。どうしてあんなにムキになったのか………?
「……ぼくにもわからないよ。そんなの」
明るい雰囲気の中にぼくの独り言は溶けていった。誰も聞く者はいなかっただろう。

運命が、加速を始めていた。

To Be Continued……

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最終更新:2009年08月12日 16:39