「……解析が完了した。間違いなく
 この『思念体』が、この空間を構築している根源」

……露伴が、はじめに憶えたのは。
『意外と、普通だな』という、なんともあっけのない印象だった。


キョンの憂鬱な冒険 -アフターロック-
外伝 『岸辺露伴の憂鬱』 後編


『男』だった。
年齢は、今ひとつ分からない。顔つきからして、日本人ではないようだ。
緑色の……しかし、済んだ緑ではない。
水底の苔を薄めたような色の長髪を、後頭部で一纏めにしている。
袖が長く、たけの短いカットソーと、ローライズのパンタロンを身に纏った、色白の男。
そして……それは、死者であるが故なのか。
それとも、生前からのものなのかはわからないが。
どこかへと注がれていながら
それでいて何も見つめていないかのような、淀んだ瞳が、露伴と長門を、無感情に見つめている。
この男が……この、『幽霊の廊下』の、主である―――『幽霊』だというのか。


「……『お前たちは』」

「!」

不意に。『幽霊』は、表情を変えないまま、声を発した。
『日本語』ではない……しかし。聞き知らぬ言語でありながら。
露伴には、『幽霊』の言葉から、その念を読み取ることができる。奇妙な感覚だ。

「『生きている』のか? ……何故、生きているものが、オレの前にやってこれたんだ……?」

幽霊の男は、言葉を連ねる。
やはり、日本語ではない……しかし、男の思考は確かに、露伴の頭の中に入ってくる。

「……解析、完了」

男の言葉など、耳には入っていないかというように。
長門は、一歩、男に歩み寄り、呟いた。

「パーソナルネームの解析が不可能……しかし、情報連結解除に支障はない」

「ちょっと、待て、長門有希! ……こいつをすぐに倒すつもりかッ!?
 冗談じゃない、何のためにぼくがここに来たと思っている!」

「……早急に処理するべき。
 この思念体と意思の疎通を行う必要性はない」

「ぼくにはあるんだよ! 邪魔をするなら、『スタンド』をくらわせるぞッ!?」

「……」

長門が、眼前に差し出そうとした手を止める。
よし。長門は『スタンド』に弱い。これは、露伴にとって好都合だ。
なんとしても、露伴は。目の前のこの『幽霊』を取材したい……しかし。

「おまえたちは、何を言っている……?
 いや、きさま……そっちの男は別だが、女……『人間』じゃあないな?
 わたしには分かる……『感情』がない。
 意思、オレへの敵意はあるようだが、感情がない……
 『感情』があるものならば、それは必ずオレに届くはずなんだ……
 めずらしいぞ……こんな『もの』は初めてだ。興味がある……」

幽霊の男は、露伴と長門を見比べながら、白い指先を顎にあて、ぶつぶつと言葉を発する。

「……そっちのきさまからは、逆に、おれへの『興味』を感じるな……
 オレが『幽霊』だからか? それとも、この『病院』についてか?」

「! な、何だ……まさか、この『幽霊』!」

露伴の脳裏に、一瞬。あの『吉良の父親』がよぎる……
目の前の男は、まるで、露伴の心を読んだかのように。
露伴の『感情』を言い当てた。
まさか、こいつは……露伴と似たようなタイプの……
『スタンド』を持っている幽霊なのかッ!?

「……なあ。わたしは、お前たちと、すこし話がしたい……
 どういうわけか、オレがどうやっても抜け出せないこの『病院』に。
 死人でない、生きた人間が入ってくるなんてのは初めてだ……
 それに、そこのお前……
 感情がない『もの』が何者かも、興味があるしな……」

男は、言葉をつむぐ……右手の中で、何か小さな、サイコロのようなものを転がしながら。
そして、その端々に散らかった単語が、露伴の脳裏に引っかかる。

「……何だって? 抜け出せない?」

「ああ……いつからかはよく分からん。
 しかしわたしはこの『病院』から抜け出せんのだ。
 どこにも出口がないからな……
 しかし、どこからか、ここには死んだ人間が入ってくる。
 次から次へとやってきては、そいつらはここに留まり続けるんだ……
 あわなかったか? あの幽霊どもに。
 一体、この『病院』が何なのか、何故わたしはここにいるのか。
 まったく『知らない』んだ。
 オレはただ、気がついたら、この『病院』にいた……
 持っていたのは、この洋服と、こいつ……」

そう言いながら、男が、右手を差し出す。
さきほど、露伴がサイコロと見間違えた、小さな四角い物体が、三つ。
しかし、それはサイコロではない。何の数字を表すシンボルも描かれていない、真っ白なブロック状の物体。

「……角砂糖?」

「ああ、そのようだ。わたしの『部屋』には、こいつが大量にある。
 何なら、食うか? わたしは食いたくもないから、もてあましているんだ。
 幽霊どもに時々くれてやるが、次々と湧いて出てくるんだ」

男からの、奇妙な薦めに対し、露伴と長門は、無言で拒否の意を伝える。
幽霊の持つ角砂糖。……とてもではないが、やすやすと口にしたいとは思えない。
それにしても、男の言葉が真実ならば。
……こいつは。あの『幽霊』たちを、故意に集めているわけではない、というのか。

「お前は……自分が何者なのかも、分かっていないというのか?」

「……そうだな。おれはどうやら幽霊らしいということは分かっている。
 しかし、いつ死んだのか、どのように死んだのかは覚えていない……
 そもそも、自分が何者だったかもほとんど覚えていない。
 ただ、オレは他人の『感情』に、奇妙なほど敏感でな。
 表情を見れば、そいつがどんな気分でいるのかが大体分かるんだ……
 もっとも、そいつはあの『幽霊』どもにしか試したことがなかったが……
 生きているらしいお前にも通用した。
 どうも、こいつはオレが生きている頃から持っていたもののようだな……」

馬鹿な。『記憶』がないというのならば、露伴の『スタンド』は通用しないじゃあないか……

「この空間を構築しているのは、あなた自身」

「……何?」

不意に。露伴と幽霊の男の会話に、鈴の音のような声が転がり込む。
長門だ。

「この『病院』は、オレが作っているものだと……そう言いたいのか?」

「そう。作っているという表現は異なる……
 この『病院』は、本来、あなたと同一の存在。
 あなたの精神から分離した、『記憶』の『怨念』が構築したもの」

長門の言葉に。幽霊の男の表情が、一瞬。僅かな驚きの色を帯びる。

「長門、それはつまり……
 この『病院』は、この男の『記憶』の『幽霊』だと言うのか……?」

「そう。そして、その『記憶』の怨念が、機関の病院に取り憑き、死者の思念を集め、幽閉している」

本来の『精神』とは分離していながら
『死者を幽霊にし、留まらせる』などという、邪悪であり、強力な存在を創り上げるほどの『怨念』。
一体、それは、どれほどまがまがしいものなのか……
露伴には、想像もつかない。

「……『おれ』はそんなことをしていたのか……?
 なるほど……それで、お前たちは、おれを……
 おれと、この『病院』を『成仏』させに来たというんだな」

「『精神』はあなたにある。
 あなたが消滅すれば、『病院』を構築している『怨念』も消滅する。
 抵抗は、無意味」

「……べつに構わないな。おれの記憶が、何がしたかったのかは知らんが……
 今のおれは……お前の言う、『精神』としてのおれは。
 この『病院』の中で幽霊でいることに、未練なんか一つもありは―――」

……幽霊の男がそう言った、瞬間だった。
露伴たちの眼前に、無数の光り輝くものが降り注いだのは―――!!


「なッ――――何ィィ――――ッ!!?」

……それが、何なのか! 露伴には、瞬間的には理解できなかった。
ただ、それは。露伴たちの前方の『天井』から、突然現れ。
露伴と長門の体にめがけて、降り注いできたのだ。

「うぐぅぅっ!?」

これは……『刃物』だ!
露伴は、自分の体が切り裂かれた感覚で、それを理解する!

「何だ……ッ!? オレは、何もしていないぞッ!?
 どうしてこんなところに『メス』が降ってくるんだッ!!?」

叫んだのは、幽霊の男だ。……演技をしている様子はない。
男は、突如、露伴たちを襲った『攻撃』に対して、純粋にうろたえている。
『メス』! そう―――それは、無数のメスだった。
体を見下ろして確認できるだけでも、十本近くのメスが、露伴の体に突き刺さっている!

「ぐおおおッ!?」

「これは……」

露伴の背後で、長門が呟く。
振り返ると……彼女の体にも。露伴と同じように、無数の細い金属が突き刺さっている。
―――まさか!

「ぐッ……『病院』が……!
 この『病院の幽霊』のほうが、ぼくらを攻撃しているのか……ッ!?」

『精神』とは別離していながら、『病院』に取り憑き
『死者』を集め続ける『幽霊』となるほどの、『怨念』!
その『怨念』が……自らの『消滅』を、拒んでいる―――
そして、露伴たちを『攻撃』している!

「―――情報連結を、解―――ッ!」

長門の言葉を遮ったのは。
彼女の真横の壁から飛び出した、無数の―――『注射器』!
細く、鋭い金属の針が、長門の体に突き刺さる……
宇宙人とはいえ、肉体があるならば、『痛み』はあるはずだ。
そして、その先には『死』がある!

「長門おおッ―――!!」

たまらず、露伴は、体中に金属の雨を浴びた長門に向かって、手を伸ばす―――
しかし、露伴に何ができる!?

「待て! ……動くな、動かなければ、攻撃はないんだ!」

不意に。幽霊の男が叫ぶ。

「何……ッ!?」

「……おれが。オレの『怨念』が、お前たちを攻撃しているんだ……
 だが、お前たちがオレを『成仏』させようとしなければ、攻撃はしないはずだ!
 ……分かるんだ、感じるんだ。
 この『病院』……オレの『怨念』の『感情』が、伝わってくるんだ……
 それに……これは、まさか……少しづつだが……
 『記憶』が、オレに戻ってきている……ッ!?
 お前が言うとおり! オレの『記憶』が、オレから切り離されて、この『病院』を作っていたなら……
 今! 『病院』は……『記憶』が、再び、オレに戻りはじめている!」

別離した『記憶』が、『精神』である、男へと戻りつつある……
それは、つまり! 『意思』と『怨念』が!
別離していたそれらが、再び一つになりつつあるということ――!!

「う……た、頼むッ!! 逃げてくれ……おれの、記憶が!!
 『病院』が、オレの意思を使って、攻撃をしようとしているんだ……!!
 お前たちを殺すために……だが、何だ!?
 この恐怖は……お前たちを殺してしまうこと以上に!!
 おれにこれ以上記憶が戻ったら……うぐうううッ!!
 どッ、どうなってしまうんだッ……!!
 おれは! いったい、どれほど恐ろしい『記憶』と離れ離れになっているんだッ―――!!?」

露伴は、目の前で。
『記憶』が蘇ってゆくことに恐れわななく、幽霊の男の姿を見て―――
そして。頭の中で、全てが『重なり合う』音を聞いた。

「……そういう、事か……!」

……『邪悪な精神』を持つ人間が、『怨念』と『意思』に分かれた『幽霊』となった、その理由。
『記憶』と『精神』を分離させなければいけなかった、その『理由』―――!!


「……人間は、恐怖のあまり……特定の記憶を忘れてしまうことがあるらしいな……」

「なっ……?」

誰にともなく。露伴は、呟く。

「そうしなければ……『精神』を『保てない』場合にッ!!
 人は、『記憶』を『切り離す』―――!!」

体に突き刺さったメスを引き抜き―――露伴は、立ち上がる!
その、瞬間! 露伴の『敵意』を感じ取ったのだろう―――
露伴の眼前の床から。金属づくりの『ストレッチャー』が、飛び出してくる!!
しかし!

"『岸辺露伴は動かない』”

露伴は、ストレッチャーを回避しない―――その代わりに!
自らの―――自らから湧き出した、その『腕』を、ストレッチャーにめがけて振り下ろす!


「"『天国への扉(ヘブンズ・ドア――――)』ッ!!"」


『ヘブンズ・ドアー』――――岸辺露伴の、『スタンド』は!
『精神を持つもの』を『本』へと変える、そのスタンドは―――!!

"『病院の幽霊』の『一部』である、その『ストレッチャー』を、『本』へと変える"!!

「……悪いが、すべて『元通り』にさせてもらうぞ……
 バラバラになったお前の『精神』も……『お前の行くべき道』も!」

『ヘブンズ・ドアー』の腕は。
 迫り来るストレッチャーを、『紙』の束へと変えながら―――『幽霊の廊下』の床までを、『殴り抜ける』!!
その瞬間、リノリウムの床に良く似た『幽霊の床』に……僅かな亀裂が生じ――――
無数の『切れ目』となり、床を伝い、壁を伝い、周囲の空間へと広がってゆく!


「――――うおおおおおおおッ―――!?
 これはっ……これがっ、おれの『記憶』ッ―――!!?」

『本』となった廊下の上で、幽霊の男は呻く。

「ああ、そうだ……すべて書いてあるぜ。お前が何者なのか。
 お前が死ぬまでに、何を経験してきたのか―――
 お前が死に際に、何を味わったのか。
 ぼくの能力……『天国への扉(ヘブンズ・ドアー)』によって。
 心の扉は、開かれる。
 お前の心は再び――――『ひとつ』となる!」

『紙』の迷宮となった『幽霊の廊下』が!
 その無数の『ページ』が、幽霊の男の体へと引き寄せられてゆく!

「ああああああ……ぎゃあああああああっ!!
 おっ、思い出したァァァァアアア!!!
 オレはっ! オレが、死んだのは……
 オレを『殺した』のはァァァアアアアア――――ッ!!!

幽霊の男が発する、絶叫を聴きながら。
露伴は、『ページ』となった廊下の上に倒れ伏す、長門有希の体を抱き上げる。
『注射器』と『メス』は、既に無い。
幽霊の一部であったそれらは、『ページ』となり、幽霊の男へと還っていくのだ。

「やめろおおおおおォォォ!!!
 オレを殴る……『ゆっくり』と『殴った』アアアア!!
 なんてっ……なんて酷い野ッ……うわあああッ!! この、記憶はァァアアアア!!!
 オレに帰ってくるなアアアァアァァアア――――!!!!」

果てしなく広がっていた『幽霊の廊下』の全てが、『ページ』となり。
幽霊の男の体へと引き寄せられ……
やがて。『それ』は、『消滅』してゆく。


「――――言い忘れていたが……ぼくは。
 この世の『未練』とか何とか言ってないで……
 さっさとあの世に行くってのが、正しい『幽霊』のあり方だという意見の持ち主でな―――」




―――


……全てが『消滅』した後。
露伴は、『スミレ』のいる、404号室の前に立っていた。
そして……腕の中には、長門有希の体がある。

「……いつの間に、お前が治したのか? ぼくの傷も、お前の傷も」

「そう」

金属の雨の名残りとして、制服のいたるところに、小さな血痕を纏った、華奢な肉体。
露伴が、僅かに体をかがめると。
長門はするりと、露伴の腕の中をすり抜け、リノリウムの床の上に降り立った。

「……感謝する」

幽霊などではない、正真正銘の『病院の廊下』で。
長門は、露伴を振り返り、呟いた。

「あなたに助けられなければ、私の負傷は、より深刻なものになっていた」

「……例を言っているとは思えない、相変わらずの無表情だな。
 ぼくは自分の身を守ろうとしただけだぜ。お前のためなんかじゃあないね」

「そう」

やはり、変わらぬ表情で。長門は、再び露伴に背を向ける。
露伴は、短いため息をついた後、腕時計を見る……
面会時間は、とうの昔に過ぎている。看護士に見つかったら、面倒なことになりそうだ。

「また、今度」

「ん?」

ふと。長門の呟きが聞こえ、露伴が、視線を腕時計から戻すと。
いつの間にか。長門有希の姿は、跡形も無く消え去っていた。
……宇宙人は、瞬間移動もできるというのか。
そう考えた直後。露伴は、自分が当初、『宇宙人』である長門について
『取材』がしたかったのだということを、思い出す。

「ちっ……何も収穫なし、タダ働きじゃないか……
 まったく、この街じゃあろくなことが無いな……」

誰にとも無く、ひとり愚痴た後。
露伴は、自らの拠点であるホテルの部屋を目指し、ひとり、歩き出した。




岸辺露伴――
       取材終了↓

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最終更新:2009年12月25日 04:57