(コイツは……?)
 確か吉田一美という女生徒だった。
 クラスも違い特に目立つわけでもなく親しかったわけでもないが、かつて授業に託けて女生徒に
セクハラまがいの真似を働いていた体育教師を生徒の目の前で殴って顎を砕いた為「停学処分」になったとき、
『謹慎中全ての』授業ノートのコピーを停学開けの自分に渡してくれた。御丁寧にもキレイな付箋つきで。
(注:不良だが承太郎の成績は常にトップクラスである)
 それ以来誰のことも気にかけない承太郎だがこの少女の事だけは覚えていた。
 オレの傍に来るな、と言おうとしたとき、
「あの、こ、これ……」
 差し出された少女の掌には小さな包帯が乗せられていた。
 確かノートを渡された時もこんな風に真っ赤になって俯いていた。
「あの、わ、私、病弱なんでいつも、く、薬とか持ち歩いてるんです。そ、それに、転ぶことも多いから、
ほ、包帯とか絆創膏も、さ、さっき、転んでケガしたみたいだから、よ、良かったら、これ、
お、応急手当に使って下さい……!」
 転ぶという表現は些か適当ではないが、どうも妙な所で思考のピントがズレている。
「…………」 
 承太郎は黙って包帯を受け取った。
「それじゃ、お、お大事に、です」
 少女は一礼すると承太郎に背を向けて小走りで去っていく。
 その小さな背中によく通る声で承太郎は言った。
「待ちな!」
「ひやあっ!?」
 少女は縮こまってジャンプ、という器用な真似をした。
 恐る恐る振り返る少女に、
「ありがとよ」
 承太郎は指先で摘んだ包帯を軽く振った。
「……は、はい……!」
 言われた少女はパッと顔をほろばせた。
 野に咲く雛罌粟のような、見る者の心に安らぎを与えるそんな笑顔だった。


 承太郎は少女に背を向けると、慣れた手つきで傷口に包帯を巻きつけた。
 無理に動かしたため出血がひどいので念入りに巻き付けてきつく縛る。
(!?) 
 不意に背後から強烈な殺気を感じた。 
「何ッ!!」 
 吉田一美がネコの付いたシャープペンのその手に握り、その先端を承太郎の頸動脈に向けて振り下ろしてきた。
 承太郎は間一髪、素手でそれを受け止める。
 しかし少女の動きは完全には止まらず、強引に腕の隙間にシャープペンの先端をねじ込んでくる。
 それが承太郎の左瞼の下に突き刺さった。
「な、何だッ!この力ッ!?女のモンじゃあねえ!まさか敵のスタンド攻撃か!?」
「そのとおり」
 背後で澄んだ声がした。
「テ、テメーは!」
 振り返った承太郎の前にいつのまにかコートのような詰め襟の学生服を着た男が立っていた。
 美しい風貌をしているが同時に凍り付くような冷ややかな視線をこちらに向けている。
「僕の名は花京院 典明。初めまして空条 承太郎。そしてさようなら」
「ぐっ!」
 吉田一美の力が一段と強まる。
 「本体」と「スタンド」の距離が縮まった影響だ。
 少女のその瞳はマネキンのように無機質で虹彩がなく焦点を失っていた。 
 半開きの口の中に緑色のスタンドの頭部らしきものが見える。
「テ、テメーがこのスタンドの「本体」か!」
「その女生徒には僕の『幽波紋(スタンド)』が取り憑いて操っている……
僕のスタンドに攻撃を加える事は、その女生徒を攻撃するのと同義だぞ……」
 承太郎の質問には答えず花京院は冷たく言った。
「承太郎ッ!」
 木の上から紅い影が降ってきた。
 異変を感じたシャナが駆けつけてきたらしい。
 着地の衝撃で炎髪が大きく舞い上がり鮮やかに火の粉を撒いた。


「おまえは!?」
 予期せぬ乱入に花京院の視線がシャナに釘付けとなる。 
「こいつが!「本体」!」
 一瞥しただけで状況を把握し、紅い灼眼で花京院を鋭く射抜いたシャナは
流れるような動作で素早く刺突の構えを執る。 
 しかしシャナが足裏を爆発させて大地を踏み切る前に承太郎が叫んだ。
「そいつを攻撃すんじゃあねー!そいつは今ッ!この女を人質にとっているッ!」
「え?人質?」
 シャナが首だけで女生徒と格闘する承太郎に振り向き紅い目を瞬かせた。 
「この女の中に!そいつのスタンドが取り憑いてやがるんだ!
「本体」を攻撃しようとすれば中からスタンドで食い破るつもりだ!」 
「……くっ!卑怯なッ!」
 シャナは苦々しく歯を食いしばり刺突の構えを解く。
 花京院はゾッとするような暗い瞳でシャナをみた。
「……君のことは仲間達から伝え聞いている。我らが宿敵、ジョースターと同盟を組んだ『フレイムヘイズ』だな?僕達の間でも有名だよ……
ジョセフ・ジョースターを始末する為に送った仲間のスタンド使いを悉く闇に葬った『スタンド使い狩り(スタンド・ハンター)』。
紅い髪と瞳を持ち炎を自在に操るという事からまたの名を『紅の魔術師(マジシャンズ・レッド)』
……少し待っていたまえ。承太郎を始末したら次は君の番だ……」
「おまえなんかにやられてたまるかッ!」
 大刀を両手に構え、全フレイムヘイズに共通する猛々しい声でシャナが叫んだ。
「テ…テメーッ!一体何者だッ!」
 瞼の裏から吹き出る鮮血に頬を濡らし口元を歪ませてながら承太郎は花京院を睨む。
腕の中の少女の力は留まることを知らない。
「僕のスタンドの名は『法皇の緑(ハイエロファント・グリーン)』。君の祖父、ジョセフ・ジョースターと同じタイプのスタンドだ……
『僕は人間だが、あの御方に忠誠を誓った』。だから!」
 花京院の指先がマリオネットを操るように艶めかしく動く。
「君を殺す!」
 花京院は両手を合わせて前に突きだした。
 それに合わせるように吉田一美が今度は両手でシャープペンを押し込んできた。
 眼窩に食い込み始めたシャープペンが再び暴れ出し鮮血が迸る。


「がッ……!ぐッ……!う……お……!!」
 承太郎もその小さな身体を引き剥がすよう掴んだ腕と肩に渾身の力を込めるが、まるで効果がなく血塗れのネコのシャープペンは
鮮血と共にゆっくりと、しかし確実に眼窩に埋没していく。
(『封絶』を起こしてこの女の腕を斬り落とす……!)
 冷徹だが戦闘では一番正しく合理的な方法をシャナは選択した。
 傷はトーチで修復出来る。
 封絶の中の空間は紅世に近い属性になるから、敵の幽波紋(スタンド)能力も増すことになるが
四の五の言ってる暇はない。
「!!」 
 シャナの足下の草むらに紅蓮の炎で出来た紋章が浮かび上がった。
 頭上に高々と掲げ上げられた指先に集まる無数の光を見て、
その意図を察した承太郎は怒気の籠もった声で叫ぶ。
「シャナ!余計なマネしてんじゃあねー!テメーはスッ込んでろ!こいつの相手はオレがする!」
 予想外の返答。明確な拒絶の言葉にシャナの思考が一瞬止まる。
 先程自分の戦意を高揚させてくれた同じ人物の言葉とは思えない。
無意識の内に生まれていた期待を裏切られ、空いた穴に怒りが流れ込むのを感じた。
「強がってられる状態!?おまえ!そのままじゃ目を潰されるわよ!!」
 怒鳴り声が木々の間に響いた。 
「フッ、甘いなマジシャンズ……『そんな程度ではすまさない』。このまま眼球を抉り取った後、眼窩を通して脳幹を串刺しにし、
更に中を掻き回してやる。イタリアンジェラードを作るように丹念にな……DIO様に逆らう者にはおぞましき死を!」
 花京院はその美しい顔に冷酷な微笑を浮かべ、艶めかしく指先を動かした。
「こ、こいつ!調子に乗ってくれちゃってぇ……!」
 シャナは花京院を睨み付けた。
 しかしそれは半ば八つ当たりに近い感情で、心の内は今の承太郎の言葉に対する疑問でいっぱいだった。


 出会ってまだ一日しか経ってないがその密度が大きかったので承太郎に対する大体の人格分析は出来ていた。
 その性格は徹底して冷静沈着。高い知能と深い洞察力を持ち、いかなる状況でも合理的、柔軟に対応する優れた判断力を備えている。
 だから今の彼の言葉はどうみても彼らしくない不合理な言葉だった。
 『こんなに感情的になる男じゃなかったはずだ』。
 その証拠に今だって目の前の女の攻撃をバカ正直に真正面から受け止めている。
 蹴り飛ばして引き剥がすなり、幽波紋(スタンド)で投げ飛ばすなりすれば良いのに一向にそうする気配はない。
 傷つけるのが嫌なのか?
 なら、さっき自分がやろうとしたように封絶の中でそれを行えば良いのだがそれも駄目だという。
 一体何がそんなに気に入らない?
 腕を斬り落とすといってもそれは一時の事。しかも意識が存在しないのだから痛みも恐怖も感じようがない。
 傷がトーチで修復できる事はもう承太郎は知っている。その事は「仕方がない」と昨日確かに承太郎は言った。 
 なのに今になって何故?
 目の前の少女を『攻撃する事自体』が承太郎は嫌なのか?
 だったらその理由は一体何だ?
 そして『なんで自分はその事にこんなに苛立っている』?
何故『承太郎の言葉なんか無視して』さっさと封絶を起こさない?
「うぐ……!!おおお……!!」
 承太郎の瞼の裏に冷たい金属の感触が混ざってきた。目元から流れる血が口に入って錆びた味が口の中に広がる。
 鍛え抜かれた膂力を脈動させてなんとか引き離そうと試みるが、吉田一美の力はそれに対抗するように強まるばかりだった。
 スタンドによって無理矢理限界以上の力を引き絞られている為、
少女の華奢な身体から関節と筋繊維の軋む音が聞こえてくる。
 このままでは自分の身同様彼女の身体も持たない。 


(!)
 血に染まる視界にスタープラチナの「目」がある変化を捉えた。
 眼前の少女の頬を返り血ではない透明な雫が伝っていた。
 虹彩を失った無機質な瞳から涙が止めどなく流れていた。
 幾筋も。幾筋も。 
 意識があるのかどうかまでは解らない。
 だが少女は泣いていた。
 承太郎の為に泣いていた。
 腕に力は籠もったままだったが、鬼気迫る表情だった承太郎の目つきがふと穏やかなものに変わる。
 そのライトグリーンの瞳に浮かんだ色は、彼の美貌に相応しい包み込むように強く暖かなものだった。
(なるほどな……解るぜ……気持ちはよ……あんなゲス野郎にいいように使われてるんじゃあな……
そりゃあ悔しいだろうさ……まってな……今おまえの中にいるスタンドを引きづり出してやるぜ……!)
「ぐ……!おおおおおおおおおおおお!!」
 再び鋭い目つきに戻ると承太郎は顔を引くのを止め、眼球が傷つかないよう角度を計算して『自分から』下向きに押し込んで
シャープペンの先端を固定すると、瞬時に覚悟を決め勢いよく横に逸らした。 
ブチッ!と耳障りな音がして、肉を抉りながらシャープペンの軌道が鮮血と共に赤い弧を描いて逸れる。
「!!」
 思いつきはしても自分では絶対に取らない選択を承太郎が実行した事に
シャナは驚愕しその紅い目を丸くする。
(どうしてそこまで……?何でそんな事が出来るの……?)
 シャナが考える間もなく、承太郎は瞬時に次の行動に移った。
 その行動はあらゆる意味でシャナを完全に裏切った。


「オラァッッ!」
 猛りながら吼えるスタープラチナが承太郎に重なるようにして出現する。承太郎は折れそうな少女の首筋を掴むと
その小さく可憐な口唇に自分の色素の薄い端正な口唇を躊躇なく重ねた。
「!?」 
 強引で舐りとるような深い口づけだった。
 その眼前の光景にシャナの身体が硬直する。
 小さな口の中で歯がカタカタと音を立てていた。
「あ……あ……」
「どうした!戦闘中だぞ!」
 胸元でアラストールが何か言っている。
 でも頭に靄がかかっていて何を言っているのか解らない。 
 鼓動が早鐘を打ち、今まで経験した事のない全身の血が逆流したかのような異様で強烈な体感が身を包む。
 大太刀、贄殿遮那を握った小さな手が震えていた。
 寒くもないのに、身体全体が震えていた。
(……な……何で?……やだ……胸が……すごく痛い……苦しいよ……どうして……?)
 見たくないのに目を背けられない。
 目を閉じたいのに閉じられない。
 戦闘中だから?
 いやちがう、わからないけど、たぶん、そうじゃない……



 メキッ……メキッ……
 マキョマキョマキョ!!


 関節の軋む音、肉の擦れる音、何れかに似てはいるがそのどれでもないスタンド音を伴いながら
吉田一美の口から彼女を操っていた元凶が引きづり出される。
「!!」
 花京院のスタンド、『法皇の緑(ハイエロファント・グリーン)』の頭部に噛みついた『星の白金(スタープラチナ)』が
少女の身体をスタンドの支配から開放した。
「この女をキズつけはしねーさ!こうやって引きづり出してみれば、なるほど。
取り憑くしか芸のなさそうなゲスな幽波紋(スタンド)だぜ。花京院!」
 自由になった吉田一美の肩を力強く抱きながら承太郎は凛々しい視線で花京院を見た。

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最終更新:2007年05月20日 12:15