部屋に重い沈黙が降りた。
 アラストールの言葉を通して語られたDIOの途轍もない存在に
全員が感応し、その場にいた者全てが言葉を閉ざすことを余儀なくされる。
「あの日……君がズタボロの姿で帰ってきた夜……そんな事が有ったのか?
強敵だったと言っていたが、その相手がまさかあの、DIOだったとは……」
 動揺を隠せない表情でシャナを見るジョセフ。
「すまぬな。隠すつもりはなかったのだが、
機が来るまで黙って置いた方が良いと我が言ったのだ」
 承太郎は鋭い眼光でシャナの胸元のアラストールを見る。
「なるほどな。この空条 承太郎に喧嘩を吹っ掛けてくるだけあって、
なかなかヤりやがるみてーだな。そのDIOのヤローはよ」
 取りようによっては傲慢とも受け取れる承太郎の言葉に、
いつもならここでシャナのツッコミが入る所だが今少女に承太郎の
言葉は届いていなかった。
(逃げた……私は逃げた……!)
 屈辱が胸の内に甦り、全身が怒りで燃え上がる。
(アラストールのフレイムヘイズであるはずのこの私が……!)
 肩を震わせるそのシャナの心情を敏感に察知したジョセフが
小刻みに揺れるその小さな肩にそっと自分の手を乗せた。
いつもの凛々しさは影を潜め、シャナは今にも泣き出しそうな
瞳でジョセフを見る。
 その視線を黙って受け止め、ジョセフは静かに穏やかにそして優しく言った。
「シャナ。逃げた事を恥じる必要は全くない」
 顔に刻まれた、巨木の年輪を想わせる深い皺の数に
裏打ちされた重く威厳のある声。
「ワシもかつて若き頃、神に匹敵する強大な力を手に入れた
究極生物と戦わねばならなかった時、最初は逃げた。
相手の正体も解らない、能力も解らないでは勝機はゼロに等しいからだ」
 そう言うとジョセフは何かを思い出すように顎髭に手を当てて少し俯いた。



 そのまましばらくして顔を上げると
「『人間の偉大さは恐怖に耐える誇り高き姿にある』」
 と一息に言った。
 言われたシャナはキョトンとなる。
「ギリシアの史家、プルタルコスの言葉だ。古き戦友の受け売りだがな」
 そう言うとジョセフは自嘲気味に笑う。
 その男はもう此処にはいない。
 今は此処とは違う別の世界で、”JOJOのヤロー、オレのセリフで
カッコつけやがって”とでも言っているのだろう。
「君は「恐怖」を知った。あとはそれを乗り越え、「成長」に変えていけば良い。
それが「生きる」という事だ。ワシも『アイツ』もそうやって強くなっていった」
「アイツ?」
 シャナの質問にジョセフは穏やかな微笑で応じる。
 その瞳には微かに切なげな色があった。
 もしアイツが今、この場所にいたら何と言っただろうか?
 ”マンマミヤー!可愛らしいお嬢さん!貴方が御無事で本当に良かった。
安心してください。私が貴方を全力でお守りします”
 とでも言ったのだろうか?
 もっと共に生きていたかった。
 自分の孫を見せてやりたかった。
 そして、最近出来た紅い髪と瞳を持つ心底負けず嫌いなもう一人の孫も。
 そのもう一人の孫にジョセフは言う。
「大丈夫じゃ。君ならその敗北を糧に今よりもっと強く「成長」する事が出来る。
ワシが保証するよ」
 シャナのその小さな姿に、かつて偉大なる「風の戦士」に啖呵を切った
若き日の自分の姿が折り重なった。


(乗り越える?「成長」?)
 身体の「生長」が止まったフレイムヘイズの自分にはいまいちピンとこない話だった。 
 だが、奇妙な説得力が実感としてあった。
 その自分の心情を知ってか知らずかジョセフは
その春の陽光のような優しい微笑みを自分に向けてくる。
「得体の知れぬそれも「あの男」を相手に、
よくたった一人で孤独に闘ったと思うよ。その小さな身体でな。
シャナ、ワシは君を誇りに思う」
ジョセフの穏やかな言葉にシャナは何故か目頭が熱くなった。
 反射的に俯いて目蓋の裏に力を込める。
 自分も含めて今まで逃げた事を罵るフレイムヘイズはいても、
褒めてくれる者など決して誰もいなかった。
 そしてそれは当たり前の事だと思っていた。
 今でもそう思っている。
 ではなんなのだろう?いま心の中を流れるこの暖かな気持ちは?
 不意に頭の上に熱を感じた。
 承太郎が自分の頭にポンッと手を置いている。
「良かったじゃあねーか。死なずにすんでよ」
 剣呑な瞳で自分を見つめながら承太郎は静かにそう言った。
 ぶっきらぼうな言い方だが手の平から伝わる熱からは
本当に自分の身をいたわり、自分の無事を喜んでくれているのが感じ取れた。
 感情を無闇に表現しないという性格は、同時に己の感情を偽らない
という事にも繋がる。
 苦しんできた者には慈悲を。
 傷ついてきた者には慈愛を。
 差し伸べずにはいられない。
 その行為が例え終わりのない悲劇の始まりだったとしても。
 何度も。何度でも。 
 それが、ジョースターの血統の男。
 それが、何百年にも渡り受け継がれてきた『黄金の精神』



「ヤローの腕一本ブッた斬ったんだろ?なかなか大したもんだぜ」
 変わらぬ静かなトーンで承太郎は言った。 
 慰めなのか称賛なのか或いはその両方なのか、それともそのいずれでもないのか。
ともあれDIOにも勝る甘い響きでシャナの耳に届く承太郎の言葉。
 手から伝わる暖かな熱。水晶のような静謐さと気高さを併せ持つその怜悧な美貌。
陽光に煌めくライトグリーンの瞳と両耳のピアス。仄かに香る麝香の匂い。
(……………………え!?う、うそ、やだ!ちょっと待って!?)
『星の白金』の真名に恥じないそれら全ての要素に、浄化の炎を遙かに
凌駕する温もりを感じ蕩けた心に不覚にも涙腺が決壊しかけたシャナは
神速で部屋を飛び出した。
 顔を見合わせる承太郎とジョセフの耳元に洗面所の方から
勢いよく流れる水の音が聞こえてくる。
 しばしの間。
 アラストールに渇かしてもらったのか水滴一つ無い顔で、
檜の床を踏み鳴らしながらゆっくりと戻ってきたシャナは
承太郎をキッと睨み付けると件の如く
「うるさいうるさいうるさい!」
 と遅いリアクションを返した。
 灼眼でもないのに目が微妙に赤いのが気になったが
ジョセフも承太郎も何も言わなかった。
「しかしまさに九死に一生とはこの事だった」
 何事もなかったかのようにアラストールが話を続ける。
「あのまま彼の者との戦いを続けていたらこの子、シャナもまた
この小僧のように「肉の芽」で下僕にされていただろう」
「そしてこの少年のように数年で脳を食い尽くされ死んでいただろうな」
 ジョセフは憐憫の表情で仰向けで畳に横たわる花京院を見つめる。
「死んでいた?ちょい待ちな」
 承太郎がジョセフを真正面から鋭く射抜き、それからシャナを一瞥する。



「この花京院のヤローはまだ」
 承太郎の背後からスタンド、スタープラチナがその獅子の鬣のように
雄々しく長い髪を揺らしながら勢いよく出現した。
「死んじゃあいねーぜッ!シャナ!」
「了解!」
 承太郎が屈んで両手で花京院の頭部を固定するのとほぼ同時に、
シャナの髪と瞳が炎髪灼眼に変わる。
 その身体をフレイムヘイズの黒衣が広がって包み込んだ。
「オレのスタンドでこいつの「肉の芽」を引っこ抜く!」
 承太郎は簡潔に言うと、スタープラチナの手が素早く精密な動作で
花京院の額に埋め込まれた「肉の芽」に伸びた。
「早まるな!承太郎ッ!」
 ジョセフは驚愕の表情で承太郎を見る。
「騒ぐんじゃあねーぜ!ジジイ!気が散るから静かにしてろ!
こいつの脳をキズつけずに「肉の芽」を摘出する……オレのスタンドの指先は
目の前で発射された弾丸を一瞬で掴み取るほど精密な動きが出来る!」
 承太郎は集中力で研ぎ澄まされた碧眼で「肉の芽」を見るとスタープラチナの
指先が躊躇なくそれを摘んだ。
「やめろッ!その肉の芽は生きているのだ!!なぜ肉の芽の一部が
額の外に出ているのかわからんのか!すぐれた外科医にも摘出できない
わけがそこにある!」
 外部からの刺激に反応した「肉の芽」が、一度生々しく蠢くと
露出した触手が毒蛇のように高速で頭部を固定する承太郎の手に伸びた。
「摘出しようとする者の脳にそれは侵入しようとするんじゃああああああ!!」
 ジョセフの慟哭の叫び。 
 その触手が孫である承太郎の手に突き刺さる瞬間、
それは音もなく真っ二つに両断された。
「何!?」
 ジョセフは目を見開く。 
 斬られた触手はその驚異的な再生能力で瞬時に元に戻り
再び承太郎の手に潜り込もうとする。
 が、それより速くその切れ端が『燃え上がりもせず』蒸発した。



 いつのまにか承太郎の真横にシャナが剣を片手に構えて立っていた。 
 その手には溶鉱炉の中で融解した鋼のような色彩の刃が握られていた。
 刀身の周囲に揺らめく陽炎が舞い踊る灼紅の烈刃。 
 それはDIOとの戦いによって己の未熟さを悔いたシャナの、
血の滲むような鍛錬の結晶の末に生み出された新しい炎刃の形。
『火炎そのもの』ではなく、熱をより強力に円環状に集束させ、
加粒子に近い状態で刃に宿らせる。
 その為に持続力は低下し、存在の力も多く喰うが威力は飛躍的に上昇した。 
 強靭無比。閃熱の劫刃。
『贄殿遮那・煉獄の太刀』
 本能的に危機を察知したのか「肉の芽」は、皮膚と癒着していた
触手を全て剥離させ、本体を摘出しようとする承太郎の手に一斉に襲い掛かった。
 しかしそれは全部まとめて紅蓮の劫刃に両断され、そして蒸発する。
「UUUUUUUUUGYYYYYYYYYYYYYYY!!」
 スタープラチナに掴まれている「肉の芽」の本体は
奇声を上げて蠢き再び触手を量産し始めた。
 ものの数秒で先程の数の倍はある触手が再生を完了し、
死体に群がる禿鷲のように大挙して承太郎の生身の手に襲い掛かる。
 しかしそれすらも瞬時に空間を疾走する灼熱の斬撃に斬り落とされた。
「その調子だ!「肉の芽」の触手を一本たりともこっちによこすんじゃあねーぜ!」
「うるさいうるさいうるさい!誰に向かって言ってるの!」
 出会って一日の二人がまるで十年来のパートナー同士のような
優れた連携を見せつける。
(いかせるわけないでしょ……おまえの所になんか絶対に!)
 シャナは胸に強く誓った。
 不意に閉じていた花京院の目が開く。
 その視線が真正面から承太郎の碧眼を捉えた。
「……空……条……お……まえ……」
「ジッとしてな花京院。動けばテメーの脳は永遠にお陀仏だぜ」
 承太郎はそれだけ告げると、全身の神経が指先で一体化したかのような
精密な動きで、微細な振動すら起こさず「肉の芽」の本体を抜いていった。



 ジョセフは目の前で行われている壮絶な光景に思わず息を呑む。
(ワシの孫、いや、孫『達』は全くなんて奴らだ。承太郎は熟練の外科医でも
不可能な「肉の芽」の摘出手術を行っているにも関わらず冷静そのもの。
本体もスタンドも震え一つ起こさず機械以上に正確に力強く動いているッ!
対してシャナは微塵の誤差もなく触手のみを切り裂き、承太郎の
身体数㎜の位置まで正確に探知している。なのに承太郎本人には
キズは疎か焼け焦げ一つ付いておらんッ!)
「………………………………………………」
「はああああああああぁぁぁぁぁッッ!!」
 静と動、二つの絶技が半径3メートルにも満たない空間の中で交錯する。
 シャナは胸が奇妙な高揚に満たされているのに気がついた。
 自分は今、使命以外、戦い以外の事で贄殿遮那を振るっている。
 戦う為にではなく、誰かを護る為に、助ける為に。
 今までの使命とは全く違う剣の使い方。
 しかし悪くない。
 悪くは、ない。
 口元にいつしか微笑が浮かんでいたのにシャナは気づいていなかった。
(悪くない)
 胸の奥、体の芯、足の底から力が叫ぶように湧き上がっていた。 
(悪く、ない!)
 灼紅の大太刀に灼眼が映え、笑みが頬に強く刻まれる。
 それと同時に斬撃の回転が加速度的に上がった。
(ここだッ!)
「肉の芽」の本体が花京院の額から半ば出た所で承太郎はその下部から
伸びている骨針が脳の致命点を通り過ぎた事を確信する。
「ッオラァッッ!!」
 音速の手捌きで素早く「肉の芽」の本体を花京院の額から摘出すると、
スタープラチナは両手で触手を掴み、その怪力でバラバラに引き千切った。
「コオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
 その背後でジョセフが既に波紋の呼吸を練り始めていた。


(驚いてばかりもいられんッ!ワシとて歴戦の『波紋使い』!
まだまだ若いモンにゃあ負けはせん!)
 煌めく山吹き色の生命光がその手に集束していく。
「50年振りに行くぞぉぉぉッ!!太陽の波紋!
山吹き色の波紋疾走(サンライトイエロー・オーヴァードライブ)ーーーッッ!!」
 ジョセフの叫びと共に高速の掌打が撃ち落とし気味に本体に叩き込まれ、
「肉の芽」は鉄扉に流弾がブチ当たったかのような音を立て、瞬時に蒸散した。
「な……?」
 血が伝うこめかみを手で押さえながら花京院は呆然と承太郎を見る。
 承太郎はまるで何事もなかったかのように立ち上がると
花京院に背を向けて歩き出す。
 その背に向けて花京院は動揺を隠せない表情で言った。
「空条 承太郎。何故君は……敵である筈の僕を、自分の身の危険を冒してまで助けた?」
「さあな……そこのところがオレにもよくわからん」
 承太郎は花京院に背を向けたまま答えた。
「空条……」
「あとこいつのサポートがなけりゃあできねー芸当だったぜ。後で礼いっときな」
 承太郎はシャナの紅い頭をむんずと鷲掴みにすると、部屋を出ていった。
 真っ赤になったシャナが黒衣を翻して後を追う。
「こら!待ちなさい!おまえ!」
「褒めてやったんだがな」
「うるさいうるさいうるさい!やり方が問題大なのよ!おまえの場合!」
 徐々に茶室から遠くなっていく二つの声。
 それを聞く花京院の瞳に微かに光るものがあった。
 ジョセフはそれから目を逸らすと静かにそこから立ち去った。
 庭で鹿威しの音が静寂した空間に響き渡った。


 ←To Be Continued……

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最終更新:2007年05月20日 12:30