全身に掛かる重力の魔を振り切る絶息の空間滑走。 
『オメーは「上」だッッ!!』
 先刻の彼の言葉。
 シャナはその言葉に心の中でもう一度小さく頷いた。
(ウン。「下」はおまえに任せた。だから、こっちは任せて……!)
 屋上全域に張り巡らされた青いフェンスを抜けたシャナはそこで黒衣を
翻して軽やかに身を反転させ、尚も直上に向かおうとする力の矛先を換え、
一部は無へと掻き消し華麗に宙返りをしてコンクリートの隙間から
青草の這い出した屋上の路面の上に手をついて着地した。
 開けた空間の先。
 自分の3倍以上の規模と密度を誇る、巨大な”封絶”の中心部をバックに、
長身の男が端然と一人宙に浮いていた。
「こんにちは。お嬢さん」
 男は甘い耽美的な微笑をその硝子工芸のような薄い切り口の口元に浮かべ、
気怠そうな瞳と口調でシャナに言った。
「初めまして、だね。アラストールのフレイムヘイズ”炎髪灼眼の討ち手”
イヤ、『紅の魔術師(マジシャンズ・レッド)』と呼んだ方が良いかな?
私の名前は”フリアグネ”。以後御見知り於きを」
 フリアグネと名乗った極薄の純白スーツに身を包んだ細身の美男子は、
幾重にも身体に巻き付いた鈍い光沢の長衣の裾を静かに揺らしながら
屋上の路面へと音もなく舞い降り、相も変わらずの気怠げな表情と
幻想的な雰囲気のまま淡麗な色彩のパールグレーの頭髪を緩やかに
揺らしながらシャナに歩み寄る。
 周囲を警戒しながら同じようにフリアグネ歩み寄ったシャナが、
その男の声とはまた逆の凛とした声で訊き返す。
「おまえが、王?2日前私たちにチョッカイ出してきた燐子の主?」
「その通りだよ」
 純白の貴公子は悪びれもせずにそう言って肩を竦め、そして静かに瞳を閉じる。
「私の何よりも大事で大切なマリアンヌに随分酷い事をしてくれたらしいね?
全くどう縊り殺してくれようか?この討滅の道具が……ッ!」 
 再び見開かれたパールグレーの瞳の中に、危険な眼光宿らせてフリアグネは
シャナに殺気だった言葉をブツけた。

 そのフリアグネにアラストールがわずかに声を低くして言う。
「フリアグネ……そしてマリアンヌ、か……音に聞いた名だな……」
「知ってるの?アラストール?」
 アラストールの呟きにシャナが訊き返す。
「うむ。数百年の永きに渡り数多のフレイムヘイズをたったの一人で討滅してきた
フレイムヘイズ殺し専門の”狩人”だ。燐子創りの鬼才としてもその名は紅世に
鳴り響いている。意志を持つ人形、”マリアンヌ”は彼奴が創造した燐子の最高傑作だ。
しかし、その者がまさか彼の者の軍門に降っていたとはな」
 アラストールの言葉にフリアグネはその薄い切り口の口唇を笑みの形に曲げた。
「君と逢うのは初めてだね?紅世の王、”天壌の劫火”アラストール。
しかし初対面の君に殺しの方でそう呼ばれるのは心外だな?」
「フッ……数多のフレイムヘイズを灰燼に帰しておきながら何を言う」
 アラストールとフリアグネ。
 紅世にその名を轟かせる二人の強力な王が白い封絶で囲まれた
近代的な建築技術で建造された学園屋上で静かに対峙する。
「フッ……まぁいいさ。最早”狩人”真名など私にとってはどうでも良い存在だ。
本来の意、紅世の徒の宝を集める狩猟者としての意も含めて、ね」
 そう言うとフリアグネは純白の長衣を閃撃のように鋭く翻した。
 それだけで今までの気怠げな甘い雰囲気が一気に吹き飛ぶ。
「貴様……それは一体どういう意味だ?」
 シャナの胸元から発せられるアラストールの問いに、
フリアグネは猛々しく名乗りを上げた。
「聞いての通りの意味さッッ!!私は『人間ではないがあの方に忠誠を誓ったッッ!!』
今の私はあの方の敵を抹殺する『炎の暗殺者』フリアグネ!
あの方を討滅しようとする薄汚い”フレイムヘイズ”も!そして『幽波紋使い』も!
一匹残らず私が探し出し、そして全て残らず狩り殺すッッ!!」
 狂信者特有のギラギラした危険な眼光をその嫋やかなパールグレーの瞳に
輝かせながら、フリアグネは己の暗黒の決意をシャナとアラストールに向けて言い放った。

「そしてェェェッッ!!『幽波紋使い狩り』!!フレイムヘイズ炎髪灼眼ッッ!!
貴様を斃してその真名をも頂戴し!より完璧な”暗殺者”として私はあの方に仕えよう!!
【幽靈(ゆうりょう)と劫炎の簒奪者】!!それが私の新たな真名だッッ!!」
 フリアグネはそう言って獲物を狙う黒豹(クーガー)のようなギラついた目つきで
シャナを睨め付けた。
「やれるものならやってみろッッ!!」
 シャナは右腕を鋭く水平に薙ぎ払い、黒衣を翻らせるとその凛々しき灼眼で
フリアグネを睨み返し勇ましき鬨の声を上げる。
 ”狩られるのはおまえの方だ!!”
真紅の双眸に宿る気高き光が何よりも強くそう訴える。
 自分の上で熱く猛るシャナとは裏腹に、アラストールは冷静に状況を分析していた。
(此奴の……この異常なまでの狂信振り……よもや……この者も彼の者の手によって……)
 重い沈黙が醸し出すその雰囲気からアラストールのその心情を類推したのか、
フリアグネはその淡いパールグレーの前髪をアラストールに向けて静かに捲り上げる。
「!」
 開けた額。 
『そこには何も無かった』
 装飾品は疎か露一粒すら浮かんでいなかった。
 再度沈黙するアラアストールに向けてフリアグネはその薄い切り口の口唇に不敵な笑みを浮かべる。
「無粋な勘繰りは止めて戴きたいものだな?天壌の劫火アラストール?
『私は自らの意志であの方に忠誠を誓ったのだ』
あの方に弓引くような愚か者でもなければ『逃げ出すような臆病者でもない』」
 明らかに含みのある言葉でフリアグネはシャナではなくアラストールに告げる。
直接的にではなく間接的に心疵(トラウマ)を抉った方が効果が大きいという
闇の知識を熟知しての応答だった。
「なんですって……!」
 己の意志とは無関係に沸き上がる怒気と羞恥をその強靭な精神力で
必死に抑えつけてシャナはフリアグネを鋭く睨み付ける。
 フリアグネはそんなシャナを無視し(無論相応の効果を狙っての行動であるが)
小馬鹿にするようにアラストールに告げた。

「それに君は、あの方を幽血の統世”王”などと無礼極まる失礼な呼び方をしているが
全くもってとんでもない思い上がりだ。まさか自分も”王”だからと言って
あの方と同格の存在だとでも想っているのかね?
その厚顔無恥と傲慢不遜さは万死に値するよ」
 フリアグネはそう言い捨て道端のつまらないものでも見るかのような
侮蔑の視線でアラストールを見下ろす。
 その行為にどうしようもない憤激がシャナの全身を駆け巡った。
「キ・サ・マ!!」
 怒号と共に炎髪が一迅鋭く靡き、逆鱗に触れられた赤竜のように
大量の深紅の火の粉を振り撒き空間を灼き焦がす。
 そしてその空間まで蠢くような途轍もない怒りのプレッシャーを全身から放つシャナを
フリアグネは再び無視して再度アラストールに侮蔑の言葉を投げつけた。
「まぁ、愚鈍な君にも名前を覚える位は出来るだろう。
次からはせいぜい『悠血の統世神』とでもあの方の御名を改め給え。
最大限の礼意と敬意を尽くしてな」
「……………………」
 きつく結ばれたそのシャナの黄花のように小さく可憐な口唇の中で、
鋭い犬歯がギリッと軋んだ音を立てた。 
 アラストールがこのあからさまな嘲弄を眉(?)一つ動かす事無く自然に
梳き流したのとは逆に、その上のシャナは今まさに噴火寸前の活火山のように
怒り狂っていた。
 その強靭な意志と精神力とで何とか必死に抑えつけてはいるが、
血が滲むほど強く拳を握りしめ(俯いているために表情は伺えない)
歯をきつく食いしばった細く小さな顎が憎悪の為に小刻みに震えている。
 今にも贄殿遮那を黒衣の裾から抜き出して飛びかかりそうな危うさだった。
 ソレを実行しないのは「まだアラストールの質問が終わっていない」
ただそれだけの理由からだった。
 そうでなかったらこんなヤツの言葉に耳を貸す気などサラサラない。 
 自分にこの上ない屈辱を与えた、「あの男」の軍門に降った
堕ちた紅世の王の戯言等に。

「フリアグネよ。いま一つだけ答えよ。紅世の王足る貴様が何故に彼の者の僕となった?」
 挑発を意に介さず平静な声で発せられたアラストールの問いに、
フリアグネは再び小馬鹿にしたような笑みを口元に浮かべ、
大袈裟に両腕広げてヤレヤレと首を左右に振った。
「何を訊くかと想えば……これはまた答えるに値しない愚かな質問だな?
アラストール?”天壌の劫火”の眼力も地に堕ちたものだ」
「おまえの主観なんか訊いてないッッ!!黙ってアラストールの質問に答えろ!!
消し炭にするぞッッ!!」
 忍耐の臨界点を超えたシャナがアラストールの上で激高する。
 フリアグネはそのシャナの様子を愉しむようにみつめると静かに言葉を返す。
「フフフッ……威勢がいいね?お嬢さん……でも、
『果たして君にソレが出来るのかい?』今まで紅世の徒も含めて
我が同胞が何人も君に討滅されたが『「斬殺」された者はいても
「焼殺」された者はただの一人もいなかったよ』」
「!?」
 驚愕にシャナのその真紅の双眸が見開かれる。
 ついで燃え盛っていた怒りも僅かにその火勢を弱め、
冷静な思考がシャナの中に舞い戻った。
「イヤ、実に残念だ。灼炎の魔導士の華麗なる炎儀を愉しみしていたというのに、
まさかそれが”封絶”を知らない者達の勘違いにしか過ぎなかったとは」
 フリアグネはそう言って淡い嘆息と共に長衣の裾をフザけるようにハタハタと振ってみせる。
 その仕草にカッとなったシャナが即座に怒気の籠もった声で反論する。
「勝手な憶測は止めておくのね……!いつ、誰が、
炎の「自在法」が苦手なんて言った……!?」
 努めて平静を装うシャナをフリアグネは眼を細めて真正面から見据えた。
 その射るような視線は獲物をつけ狙う”狩人”そのものだった。

「誰って……?『それは君自身さ。さっきから言葉にこそ出していないが君の
その真紅の瞳がそう言ってる』じゃないか?」
 予期せぬ言葉にシャナの瞳が更に遠くなる。
 一瞬、言っている意味が解らなかった。
 しかし長い戦いの日々で磨き込まれた少女の鋭敏な頭脳と経験は
すぐさまにフリアグネの言葉の意味を理解した。
 論理(ロジック)ではなく感覚(フィーリング)で。
「だってそうだろう?先刻から君の視線の動きを少々注意して「観察」していたが、
君が行っているのは私の攻撃予備動作と間合いの確認、
気の勢とソレによって生じる心の虚への集中力の収斂。
あとは精々目眩ましと隠し武器に対する警戒だけだ。
それは典型的な「剣闘士(スレイヤー)」或いは「格闘士(ケンプファー)」の瞳の動き。
もし君が炎の自在法を得意とする「魔導士(ウィザード)」なら
『そんな事は必要ないだろう』私が何を飛ばそうが己の身体に着弾する前に
全て焼き尽くせば良いだけなのだから。
何よりいま現在に至るまで己の弱点である筈の水や氷の自在法に対する
結界一枚すらも張っていない。
その体たらくでこの私に『炎の魔術師(フレイミング・ソーサレス)』
だと想え、と言う方が荒唐無稽な話だろう?」
(クッ!!コ、コイツ!?一体何者!?)
 法王と読んでも異和感のないフリアグネの、そのあまりの洞察力の鋭さに
シャナは喉元に白刃の切っ先を当てられたような寒気を感じた。 
 淡く冷たい、今は人形のように無機質な色彩のパールグレーの瞳が
自分の「弱み」を正鵠に射抜いていた。
 今まで、特にここ一年ばかりの間は、戦い慣れた”紅世の徒”はともかく
最近その存在を知ったばかりの『幽波紋(スタンド)使い』相手の戦いには殆ど、
王との契約によって得た人間を遙かに超越するフレイムヘイズの身体能力と
戦慄の大太刀、贄殿遮那との力のゴリ押しという方法で何とか勝利を重ねてきた。
『幽波紋(スタンド)』という驚異的な変異変則能力を持つ異能の戦闘者、
『スタンド使い』には今までの経験で培い、そして磨き抜いてきた戦闘のマニュアルが
全く通用しない場合が実に多かった。

 その変幻自在の異形なる力の前では一見した戦闘力の総力値が
相手を上回っているという事などという事は文字通り気休めにもならない。
 最弱が突如最強に。
 極小が突如極大に。
 そんな全く予測の付かない、一筋の道標すらない混沌とした磁場こそが
スタンド使いとの通常戦闘。
 更に「スタンド使い」相手の場合、その戦闘能力はソレ固有のスペックに合わせた
環境と使用法により威力はありとあらゆる状況に合わせて文字通り千変万化する。
 戦闘の黄金律である筈の、「如何に敵である者に致命的なダメージを与えるか?」
シャナの言葉で言えば”己の「殺し」を相手に刺し込むこと”事態が、
敵スタンド使いの特殊能力発動条件であったりした事が何度もあった。
 相手の保持する能力によっては圧倒的に優位に立つフレイムヘイズの
超人的な身体能力までもが時に枷となったり、炎の自在法が逆に敵に操られて
自分に牙を剥いた事さえあった。
 幽血の統世王、DIOとの戦いによりその事を再認識したシャナは、
最近では最初からフルスロットルで己の全戦闘能力を開放し、相手の特殊能力を
発動させる前に一気に大太刀の連撃の一斉放射をスタンド本体に捻じ込んで
一挙に討滅してしまうという方式を執っていた。
 当然相手の反撃もあるが『スタンド能力は本体が倒されてしまえば解除される』
という事を認識した上でのシャナの選択だった。
 攻撃の多種多様多彩性は距離を縮める事によって潰し、
逆に至近距離での乱打戦なら肉体の耐久力で遙かに勝る自分の方が圧倒的に有利。
 そう見越して執ったシャナの戦闘方式は未知の敵、
「スタンド使い」相手にはものの見事に嵌った。
 『幽血の統世王』を除くスタンド使いは全て生身の人間。
 故に本体への直接攻撃は何よりも効果がある。
 そうやってスタンド唯一の弱点を突く戦いを続け、
討滅したスタンド使い達の数が20人を超えた頃、
『幽波紋使い狩り(スタンド・ハンター)紅の魔術師(マジシャンズ・レッド)』
等というあまり有り難くないレッテルが自分に貼られていた。

 だから、それ故に存在の力を編み上げるのに大きな時間をロスする
”炎の戦闘自在法”は最初から戦いの選択肢からは除外された。
 能力の解らないスタンド使いを相手に、力を編む為に硬直状態に陥るのは
完全な自殺行為と言っていい。しかも折角編み上げた自在法も相手の能力によっては
無効化、或いは操られて逆にこちらに弾き返されるという
事態は決して稀なケースではなかった。
 故にDIOとの戦闘以降の戦いでは”炎の自在法”は
全くといって良いほど使っていなかった。 
 最近の鍛錬の内容も身体能力の向上と剣技の錬磨或いは新技能の開発という
”贄殿遮那”主体の訓練法で炎を用いる鍛錬は”封絶”くらいしか行っていない。 
 炎術の練度が鈍っているのは明らかだった。 
 そして、いま、目の前にいるこの男は、
その事実、『自分の弱点に気がついている』
 もし自分の近接戦闘、その主武器である贄殿遮那を封じる手段をヤツが持っていると
したら状況はかなり分が悪いと言って良かった。
 シャナは怒りで燃え上がりながらも頭の隅で冷静にそう分析し、
警戒心を研ぎ澄ました。
 しかしせっかく鎮まりかけた内なる炎に、フリアグネの次の言葉が余計な油を注ぐ。
「まったくもってガッカリだよ。君は生粋の「刀剣使い(ブレイダー)」だ。
それ以上でもそれ以下でもない。凡庸で有り触れた相手。今まで飽きるほど討滅した。
愚直に前から突っ込むしか能のない品位も礼節も欠片も持たない
野卑粗暴極まる者が相手では、戦意の高揚も戦果の充実も生まれようがない。
実に矮小な、取るに足らない存在だよ君は」
 そう言って斜に構えた表情で割れた硝子の側面のような
鋭利な視線でシャナを見下ろす。

「ぐ……!!うぅ……うううぅぅ……!!」
 生まれて初めての、血に塗れた獲物を目の前にした
子獅子のような唸り声がシャナの口から漏れた。
 身体の奥底からドス黒い何かが湧き上がり、早鐘を打つ鼓動と共に
炉解した鋼のように熱い灼熱の血液が全身を隈無く駆け巡る。
 心の内で熱く激しく渦巻く感情に気が遠くなりかけた。
 奮熱する怒りで頭がどうにかなりそうだった。
「うっ、ぐ……うっうっうっ……ウゥ~~~~~~~!!」
 感情に心を焼かれないように必死に憎しみを抑えようとしたが
漏れる吐息と声までは抑えようがなかった。 
 自分の能力に対する侮辱は、同時に契約者であるアラストールに対する侮辱でもある。
 自分自身に対する揶揄や中傷だったら幾らでも耐えられた。
 しかしこの世で最も尊敬しそして敬愛する、己の存在の全てを捧げた
アラストールに対する侮辱は絶対に赦せない。
 侮辱する相手も。
 そしてその付け入る隙を与えた自分自身さえも。 
 そんなシャナの様子を、完全に怒りが不可逆になった事を、
フリアグネは満足気に確認すると再びシャナを無視してアラストールに向き直った
「さて、と。お待たせしたかな?アラストール?それでは君の
下らない質問に答えてさしあげよう」
 ”下らない”という部分を殊更に強調してフリアグネは
慇懃無礼を絵に描いたような視線でアラストールを睨め付けた。
「私があの方に忠誠を誓った理由……『それは私があの方に邂逅したからだ』」
 俯いて怒りに震えるシャナとはなるべく視線を合わせないように、
瞳を閉じて横に向き直りそして腕を組むとフリアグネはそうアラストールに言い放った。

「実に単純な理由だがそれが全てだ。何よりあの方の世界を覆い尽くすような
巨大な存在の力はその復活前からひしひしと感じていた。「君」もそうだろう?」
 意図的にシャナを無視して言葉を続けるフリアグネ。
「……………………」
 シャナの震える左足が無意識に一歩前に出た。
 そのシャナの様子にフリアグネはDIOに劣らぬ邪悪な笑みを浮かべると、
妖しく煌めくパールグレーの瞳でサディスティックに一瞥した。
「その「兆」が夢の中に現れた事もあったか。
夢の中のあの方は神々しき麗絶な竜神の御姿をしておられたが、
実際に睥睨したその永遠の御姿は夢の中などとは比べものにもならなかった。
あの方に睥睨した君ならその意味が解るだろう?アラストール?」
「むう……」
 アラストールは此処からは大海を挟んだ遙か遠く、
北米の地で垣間見たDIOの姿を思い起こした。
 確かに、その全身が輝く黄金に煌めくような、その絢爛たる永遠の存在が
具現化したかのような男の姿に討滅の義務感以外の感情が芽生えなかったと
言えばソレは嘘になる。
 沈黙するアラストールを誇らしげに一瞥した見つめたフリアグネは、
そのまま微かに高揚した声で言葉を続ける。
「私を始めとする紅世の徒の多くは、あの方が復活するとほぼ同時に
すぐにあの方の御許に馳せ参じた。それをしなかったのはあの方の存在を
感じ取れない無能な徒と愚かなフレイムヘイズだけだ」
 フリアグネはそう言って何もない空間を長衣と一緒に
愛おしそうに両腕で掻き抱く。
 頬には人間のように赤みが差し、瞳はあくまで澄んでいた。

「あの御方の存在は……あまりにも……あまりにも大きく、深く、そしてお美しい……
その御姿を前にしてその御力を試そうなどとは微塵も想わなかった……
あの方の絶対的な存在の前では私の存在など塵芥にも等しい……
”フレイムヘイズ狩り”のそれまでの自負など跡形も崩れ去った……
そして気がつけば私は自分の宝具をあの方に献上していた……
そしてあの方はそれをお受け取り下された……
それだけで私の心はこれ以上ない至福に満たされたよ……
あんなに素晴らしい気持ちは666年前に
マリアンヌを生み出して以来初めてだった……」
 端麗な口唇から紡ぎ出されるフリアグネの言葉はか細い呟きのような
淡い声調で、アラストールに聞かせるというよりはまるで自分自身に
己の言葉を言い聴かせているようだった。 
 そして純白の長衣を何かの分身のように、愛おしそうに抱きしめながら
フリアグネは赤子のような限りなく透明に近い表情で
無垢な笑みをその耽美的な美貌の上に浮かべる。
「遂に王足る誇りすらも失ったか?『狩人』フリアグネ」
 敵とはいえ、嘗ての己が同胞の変わり果てた姿に落胆の色を押し隠せない口調で
告げられるアラストールの静かな言葉に、フリアグネは夢から覚めたように一瞬ハッ、
と純白の長衣から埋めた顔を起こすと、再び嘲るかのように
そして愚者を見下ろすようにして歪んだ笑みで応える。
「誇り?」
 細めた流し目でアラストールを見たフリアグネはそのままの視線で
数秒言葉と動きとを止める。
 そして、
「クッ、ハハハハハハハハハハハハハハ!!アハハハハハハハハハハハハハ!!」
 いきなり子供のような無邪気で開けっぴろげな声で笑い始めた。

「何が可笑しいッッ!!」
 怒髪天を突くようなシャナの声で空間がビリビリと震える。
「イヤイヤ、失礼。まさかそんな低次元な応答が返ってくるとは
夢にも想わなかったのでね。つい」
 口元を長衣の裾で覆いながらフリアグネはシャナを
小馬鹿にするような流し目で睨め付けた。
 相当に精神のテンションが上がってきているのか
口元から微かに小さな舌先まで出している。
「…………!!」
 底無しに湧き上がってくる怒りに頭が沸騰するのを覚えた。
「しかし、アラストール。君はまだそんな次元の話をしていたのか?
全くもって最早救いがたい。その老いた精神の鈍重さ加減には
嫌悪を通り越して寧ろ哀れみすら湧いてくるよ。
紅世の最果てに小屋でも拵えて隠居していた方が良いんじゃないのかい?」
 心底呆れ返ったという表情で言い捨てられる、
そのフリアグネの歯に布着せない露骨な侮蔑の言葉に
鋼鉄球弩弓(スティール・ボーガン)の鉄糸弦のようにきつく食いしばられた
シャナの奥歯がバリバリッと音を立てた。
 フリアグネはそんなシャナの様子など意に介さず、理解の悪い受講生を
啓蒙する教授のように指先を顔の前で立てた。
「いいかね?誇りや矜持などというそんな偏狭なヒロイズムは
あの方の絶対的な存在の前では全く無意味だ。
あの方の前では全ての言葉は意味をなくす!
善や悪などという些末な概念などは超越しているのだよ!あの方は!」
 そう言ってフリアグネは大仰に両腕を広げてみせる。

「そして愚かなフレイムヘイズ風情には解るまい!
あの方にその素質を見いだされそして永久(とわ)に傍らで
仕えることの出来るこの至上の悦びが!
今なら解る!そしてはっきりと実感出来る!
私はあの方に逢う為に!そしてあの方に仕える為に数千年も彷徨ってきたのだ!!」
 フリアグネは最早完全に自分の紡ぐ言葉に自分で陶酔していた。
 カルト宗教の煽動者(アジテーター)にありがちな特有の症状、
催淫(ヒュプノシス)現象である。
 その端正な口唇から出る言葉は、死霊の取り憑いた弦楽器が、
狂って勝手に動き出したかのような異様で不気味な調律と韻を掻き奏でていた。
「そしてあの方は!!この使命を完遂した暁にはこの地での
「都喰らい」をお赦し下された!!これで私の永年の悲願もようやく
成就出来るというわけだ!!」
「!!」
「!!」
「都喰らい」
 その言葉にシャナとアラストールが同時に絶句する。
 そんな二人の様子など無視してフリアグネはその耽美的な口唇から
調律の狂った音色を奏で続ける。
「クククククククククク!全くもって最高だッ!実に実に実に素晴らしいッ!
あの方に出逢ってから私という存在の運命はその全てが完璧に盤石に回転している!!
ハハハハハハハハハハ!!「神」だ!!
あの方は正しく現世(うつしょ)と紅世(ぐぜ)とを統覇するべくして生まれた「神」なのだよ!!
フハハハハハハハハハハハハハハハ!!
クハハハハハハハハハハハハハハハ!!
アアアァァァーーーーーーハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

「貴様……」
 最早身も心も完全なるDIOの下僕へと堕ちたフリアグネに
尚も言葉をかけようとするアラストールに
「アラストール……ッッ!!」
 懇願するようにシャナは叫んだ。
「も……う……!無駄……!よ……!!
あの……男……の……!!奴隷……に……!!成り……下がっ……た……!!
ヤツ……に……!!もう……!これ……以上……!
何……言っても……!通……じ……ない……!!」
 怒りで言葉が切れ切れにしか出てこない。
 でももうこれ以上聞いているのは堪えられなかった。
 もう何も聞きたくない。
 あの男に関する言葉も、そしてそのおぞましき従属奴隷の声も。
 全身を生き物のように這い回り胎動と脈動を繰り返す溢れ出る憎しみに
気が狂いそうだった。
 そう……
 戦わないと気が狂う!
 討滅しないと気が狂う!!
 目の前のこの男を!
 そしてあの男に纏わる全ての存在を!!
「クハハハハハハハハハハハハ!!このマヌケめッッ!!
貴様はその「奴隷」に惨たらしく殺されるのだよッ!!
卑しい王の討滅の「道具」がッッ!!」
 フリアグネはまるでDIO自身が取り憑いたかのような
邪悪な風貌でサディスティックに嗤うと、
その瞳にも仕える主と同色の悪魔の光を宿らせて叫んだ。 

                   ← PAUSEッ!!
             *STARDUST¢FLAMEHAZE*

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最終更新:2007年07月07日 17:17