翌日、この街に住む大抵の人々にとって普通の朝が来る。
それは昨日もそうであり、明日もそうであると無意識のうちに誰もが信じている。
承太郎は仕度を終え、いつものようにキスをせがむ母をやりすごして家を出た。母、ホリィにトーチはなかった。
(ちなみに昨日、帰るなり妙にま自分を見る承太郎に、彼女が最高にハイになったのは余談である)
一応現役の高校生である承太郎は、当然のように学校へ向かう。途中どこから沸いて出るのか、
彼の取り巻きの女子生徒達(ほとんどが彼の嫌いな『うっとおしいアマ』である)が、一方的に登校を共にする。
承太郎はもちろん彼女らを無視し、彼女たちもそれでも彼といることを至福の時間としているらしい。
昨日の戦闘が、嘘のような日常。
しかし承太郎は既に知っていた。日常が非日常に破られるときは、いつも突然と言うことを。
そしてほとんどの人間は、自分が非日常のなかにいることに無自覚であることに。
教室に着くと、とりあえずクラス内にトーチとなった人がいないか確認する。
登校時に一人、どこかのサラリーマン風の男を見た以外、この学校ではまだトーチを確認してはいなかった。
「やれやれ」と承太郎が気を抜きかけた瞬間、妙な違和感から横の席を向いた。
少女がいた。承太郎に一年ぶりに非日常の世界に、戦いの世界に引きずり込んだ少女が。
「遅かったじゃない。女の子はべらせて、いい身分ね」
「……なんでてめーがいる。転校手続きでもしたか? 」
承太郎は少女を見て言った。格好は当たり前だが制服、髪も眼も通常時の黒だった。ご丁寧にペンダントも下げていた。
「話の続きはまたって言ったでしょ。あんたはまだわからないことがあるし、どうせまた会うなら近くにいたほうがいいって、
私は反対したんだけど、アラストールと相談してあんたのいる学校に割り込ませてもらったわ」
「“割り込む”だと? それとそこの席はすでに平井ってやつの席のはずだが……」
「ああ、ここの子トーチだったわ。家族全員やられてたわ。ちょうどいいから存在の力を操作して成り代わったの。
あんた以外の人間はみんな私を『平井ゆかり』って認識するのよ。」
「馬鹿な……」
「本当よ、確かめてみれば」
少女はそういうと、なぜか意地の悪そうな笑みを浮かべた。まだ昨日のことを根に持っているらしい。
承太郎は少女の言ったことが事実であることを察したようだった。落ち着いた口調で言う。
「本当の『平井ゆかり』を……誰も覚えちゃいねーのか……」
「そうよ」
承太郎自身、平井ゆかりという少女と特に親しかったわけではない。
孤独を好む一匹狼な性格のうえ、教師をも恐怖の対象とするほどの不良であったことから、
この学校に彼に憧れる者はいても、彼自身と親しい者はほとんどいなかった。
平井ゆかりに対しても、承太郎は「クラスメイト」ぐらいの繋がりで、彼女のほうもそうであった。
しかし……。
「気にいらねぇな。さっきから成り代わるとか割り込むとか……。
てめーが平井ゆかりで遊んでるようにしか見えねーぜ」
例えそれだけの関係だとしても、確かに存在したはずの彼女をいとも簡単に消し、
例の少女が当たり前のように成り代わって目の前にいるというのは、とてつもなく理不尽なように思えた。
「トーチになって時点で彼女は死んでいたのよ。
もうとっくに『物』になってるんだから成り代わるぐらいどうって……」
バァン、と破裂音に似た鋭い音が教室に響く。承太郎が叩いた机は中心から見事に陥没していた。
「そんな単純な問題じゃあ……ねーだろ」
クラス全体の空気が凍る。クラスの、いやこの学校で最も恐れられている存在、
承太郎がなにかの理由で隣の席の平井ゆかりに怒りを向けいているのだ。
呼吸をも許されぬような緊迫感の中、少女だけがその影響を受けていなかった。何故そこまで怒りを自分に向けるのか
理解できない、といったような表情をしたいる。
少女自身は、承太郎の言いたいことはわからなくもなかった。いくら物だと言っても、
つい昨日まで普通に接していた人間のことをそう簡単に死んだと割り切ることは出来ないだろう。
自分の行為は死者に対する冒涜と捉えたのかもしれない。
でも、と少女は思う。
(……それだけじゃない。なんだろう、そんな単純な、表面的な道徳観からじゃない。
もっと深い……よくわからないけど強い意思のような……)
他のフレイムヘイズと違い徒に恨みもなく、逆にフレイムヘイズだから仲間意識も薄く、
長い間トーチを『物』として扱ってきた少女にとって、
承太郎の普段表に出さない心情を完全に理解することは出来なかった。
「やっぱりこいつの近くにいるのは間違いだったんじゃない? アラストール」
不機嫌なままそっぽを向いた承太郎をちろりと見て、少女は周りに聞こえぬ程度の声でペンダントに囁いた。
アラストールは周りを気にしてか答えなかった。
授業の予鈴だけが、無常に響いた。
ちなみにこの日、イラついてる承太郎&授業をかき乱す平井ゆかりの二人によって
教師及び生徒が地獄のような重々しい時間を過ごしたのは言うまでもない
この日、承太郎のクラスの生徒たちは四時限目の授業終了チャイムが福音に聞こえたそうだ。
牢獄のような教室から脱走すると、教室には未だ軽度のこう着状態の続く承太郎と少女が残っていた。
そんな苦労をよそにいつもは教室以外で一人で昼食をとる承太郎は「静かでいいぜ」とのんきに思っていた。
少女も同じようで、かばんからごそごそとなぜかメロンパンをとり出して食べ始めた。
それを食べるときだけ、今まで見せたこともないような年相応の無邪気な笑顔だった。
「てめえは行かねぇのか? てめえがどっか行ってくれりゃあ最高なんだがな」
「嫌。あんたがどっか行けば」
「てめーが行け」
「なによ、えらそーに。絶対行かない!」
「やかましい。失せろ」
「うるさいうるさいっ!! 大体お前、質問の続きあるんじゃないの!? 」
承太郎と少女は隣同士の席のため、近距離で火花を散らしてにらみ合う。
しかし少女のほうは、メロンパンの甘い誘惑でか顔が半分ほど緩んでいて、なにかちぐはぐな表情をしていた。
「質問……? ああ、そうだったな」
結局今回の争いは『昨日の質問の続き』ということで休戦となった。
ちなみに承太郎は謝罪の一言もなかった。というかしたくなかった。
「昨日……てめーらは確か燐子が出てきたしばらく後から来たが、先回りすることはできないのか? 」
「無理よ。そんなこと出来たらこんなとこにいないわ」
「……残念ながら、まず不可能だ」
少女が即答し、ペンダントのアラストールが説明をする。
どうやらこれが彼らのやり方やしい。
「我々は奴らが人喰いなどの行動を起こすときに出る『存在の力』を追って奴らの居場所を知ることが出来る。
しかし奴らがその力を使わずにいるとき、この広い中から奴らを見つけ出すことはまずできん」
「つまり大抵後手にまわるのか……フレイムヘイズってのは」
「しかたないわ。あいつら、私たちに見つからないよう必死なんだから」
「……その間にヤツらに喰われている連中もいるんだがな」
承太郎は自分の考えを遠慮なく言った。まだ彼にとってフレイムヘイズは信用に足る存在ではなかった。
彼らは徒の討滅を目的としているのは理解できたが、そこに固執して「人を救う」ということがあまり重要視されていない、
そんな風に承太郎は思っていた。
「……そんなの、しょうがないじゃない。それに、変な話だけどトーチがいないと壊れたのも直らないし。
お前の傷だってトーチの存在の力で治したのよ」
痛いところを突かれたのか、もしくはただ単にメロンパンの効果か(恐らく後者だ、と承太郎は思った)
少女は若干勢いを落としたような言い方をした。
どうやら彼女らの意識の問題ではなく「そうとしか行動できない」ためだ、
と理解した承太郎はそれ以上深く言及するのをやめた。
「そうか……にしてもてめー、本物の平井ゆかりとは似てもにつかねー
やかましいガキだってえのに、よくもまあ……」
そこまで言うと承太郎は何かに気づいた様子で言葉を切った。
怪訝な表情で見る少女をじっと見て、承太郎は言った。
「そうだ……てめーの名前はなんだ? 」
「はぁ? だから私は平井ゆかりに……」
「違う。てめーは平井本人じゃあねえだろ。てめー自身の名前だ」
その質問は予想外だったのか、少女は不意をつかれてわずかに目を伏せた。
「そんなもの……ないわ。フレイムヘイズは大体単独で行動してるから、名前なんて必要なかったし。
……徒や他のフレイムヘイズからは『炎髪灼眼の討ち手』とか使ってる刀の名前の『贄殿遮那』って呼ばれてるけど」
「贄殿遮那……ややこしいな。じゃあ俺はおめーのことを『シャナ』って呼ぶぜ。
平井ゆかりとわけなけりゃ本物に申し訳ないからな。お前もてめーとばかり呼ばれたくはねえだろ」
「……勝手にすれば? 」
少女??シャナは特に気にすることもなくそっけなく言って、
メロンパンの最後のひとかけらを、名残惜しそうに食べきった。
「それでシャナ。さっきのことだが……」
「いきなり呼び捨て? 別にいいけど」
「奴らが行動を起こして存在の力を使わない限り、居場所はわからないと言ったな?
奴らがてめーらに対してもそうなのか?」
「そうね、でも昨日、燐子のひとつが逃げたから徒は私たちの存在を知ったはず。これがどういうことかわかる? 」
「……奴らは逃げるか、手段があれば俺たちを襲う……いずれにしても行動を起こすということか」
「そ、あんた一応それだけ考える脳ミソはあるみたいね。奴らは必ず動くわ。
逃げれば追う、来るなら迎え撃つ。それだけよ」
なんとも単純な行動だが、他に方法はないのだろう。承太郎はそれとは別に、今の会話から重要な事実に気づいた。
「するとこうしてる間にも、奴らがここに襲ってくる可能性もあるんじゃあないのか?」
「やつらは大体夕暮れ時に存在の力を使うわ。それにいざとなれば封絶つかえばいいし」
「……」
こいつら、やっぱり信用できねえ???、承太郎は人命をまるっきり無視したような言い分に閉口した。
「……少なくともここをまきこむようなマネはすんじゃあねーだろーな」
昼休み終了のチャイムが虚しく響いた。
最終更新:2007年05月22日 19:39