『瀬野家の人々』 アキのモデル修行な日々C-1 2013/06/16(日)


 ──いよいよ、“この日”がやって来たのだ。
 自分の目の前には、一輪の花のような可憐な花嫁がいる。
 よく見慣れた面差しのはずなのに、丁寧なメイクを施された顔は別人のように華やかだ。
 ピンクのオーガンジーで出来た、軽やかな打掛を天の羽衣のように着こなした美しい少女。

 これは新和装、って言うんだっけ。
 白無垢をベースにしつつ、洋風のドレスのテイストをあわせた可愛らしい花嫁衣裳。
 髪もメイクも洋風で、薄紫の桔梗の生花をあしらった髪飾りが良く似合ってる。
 その少女に笑いかけると、少しはにかんだ、でもあでやかな笑顔を返してくれる。

 胸の中が、なんだかとても温かなもので満たされていくような、そんな笑顔だった。
 少女はそのまま袖の裾を持って、ひらり、ふわり、軽やかに衣装の様子を確かめ始める。
 その天女の舞いのような姿に、すっかり陶然としてしまう。

「アキちゃん、準備できた? ……うわぁっ。凄く綺麗!」
 鏡の中に映る自分の姿から目を離し、あたしは世界一愛しい、その声の主に笑顔を向ける。
 ──そうだ。あたしは今日、このピンクの打掛の婚礼衣装で、お姉さまの花嫁になるのだ。

(気分出してるとこ悪いけど、お前の結婚式じゃなくてお仕事だからね? これ)
 ……雅明って本当、無粋なんだから。
 ということで、今日はお姉さま達と一緒に、ブライダルフェアの中のウェディングドレスファッションショーのお仕事なのです。
 新郎役2人と新婦役6人。相場は知らないけど、この手のショーとしては大規模だとか。

(実際には男4人、女4人だけどなー)
 はい雅明、お約束の突っ込みありがとう。でも、それをいうなら男5人、女3人だよ?
(……うそっ。ってことは俺と俊也以外に女装して花嫁やってる人がいるの? 誰?!)
 悩む雅明をほっておいて、お姉さまの姿に見蕩れる。

 古典的で豪奢な黒打掛に身を包んだ、あたしと違って純日本風の打掛姿の花嫁さんだ。
 肩幅が狭く頭が小さくて首が細くて長いお姉さまのこと、そんな姿もとても良く似合う。
「でもやっぱり、打掛って重くて動きにくくて大変。アキちゃんは大丈夫?」
 すごく軽やかで優美な動きのまま、優しくあたしを気遣ってくれる。

「この打掛、軽くて動きやすくていいですよ?」
「アキちゃん、花魁のときもそんなこと言ってたから、油断できないよね♪」
 これも豪華な赤い打掛姿の愛里お姉さまが、くすくす笑いながら言ってくる。
「でも、衣装合わせで何度も見たけど、メイクするとまた格別。言葉に出来ないくらい綺麗」

「お姉さまがたも、本当に綺麗ですよぅ。もう、感動で涙が出てきちゃいそうなくらい」
「あらあら。せっかくのメイクが崩れちゃうから、それはもうちょっと待ってね?」
「メイクって厄介よね。それがなければ、今でもアキちゃん抱きしめてキスできるのに♪」

(でもさ、アキ。俺と悠里の結婚式やるとしたら、やっぱり俺がドレス着るのか……?)
 どんなドレスがいいかなぁ。今日着る3着目のドレス、あれなんか素敵だよねっ!
(いや、俺は普通に結婚式をあげたいし、ドレスなんて着たくないんだけど)
 ……雅明。あたしに嘘ついても無意味ってこと、ちゃんと学習しないとダメよ?

 ブライダルフェアの裏側。あたし達の出番が来るまで、しばらく待機。
 イベントのモデルの時に毎回ある、緊張と興奮とでドキドキしちゃう時間だ。

 今日は最初は全員和装スタートで、そのあと急いでドレスに着替え。
 特にお姉さま達はお客さんの前で、『5分で色打掛からドレスに早着替え』を実演するそうで……最前列でかぶりつきで見たかったなぁ、と正直ちょっぴり残念。
 でも一緒にウェディングドレスで競演できる喜びも捨てがたく、迷ってしまう乙女心。

 お姉さま達が一番綺麗なのは当然として、ほかの3人の花嫁さんたちも本当に綺麗。
 1人は身長180cm以上ありそうな、すらりと背の高い女の人。このショーのチーフプロデューサーも兼ねているという、才色兼備の美人さん。今は白無垢に身を包んでいる。

 白無垢の人はもう1人。なんだか天使を思わせる、少し不思議な人だった。お姉さま達と並んで容姿とスタイルで見劣りしない人を、モニタ越し以外で見るのは初めてかも。
 最後の一人は黒引き振袖を着た妖艶な美人さん。今は隠れてるけどたぶんGカップくらいの綺麗なおっぱいと、あたしが少し見上げるくらいの身長の持ち主だ。

 花婿役さんたちも、すらり背が高くて本当に美形。
 今は紋付袴姿で、長く伸ばした髪を後ろで纏めた、細身で中性的なハンサムさんと、タキシード姿で筋肉質の、ちょっとワイルド系のイケメンさんの2人。

「今日はすっごい、モデルのレベル高いわね」
 お姉さま達とチーフさんが、早着替えの最後の打ち合わせ中。
 1人ぽつんと待機状態のあたしに向かって、黒引き振袖の妖艶さんが話しかけてきた。
「そうなんですか? あたしこの手のショー、初参加だから分からないことが多くて」

「やっぱり。なんだかそんな感じがしたもの」
「そうなの? リハでもウォーキングとかうまくて、慣れてるなあ、って感心してたのに」
 白無垢姿の天使さんが、驚いた様子で会話に参加してくる。
「あなたのほうは、初めてじゃないのよね?」

「私なら大学のとき2回バイトで参加したくらいですね。本業モデルさんにはとてもとても」
「あれ? ということはモデルさんじゃないんですか? こんなに素敵なのに」
「私、そういうのは全部お断りしてて。今日はいろいろあって仕方なく」
 びっくりするくらい綺麗な肌が印象的なこの人にも、色々事情があるんだろうか。

「アキちゃん……だっけ? さっき悠里さんのことお姉さまって言ってたけど、どんな関係?」
 タキシードのワイルドさんも、会話に参戦。
「えっと。親同士が再婚したので、血は繋がってないけど、お姉さま達の妹です」
「へぇ。なるほどね! 瀬野姉妹の秘蔵妹か! やっぱりモデルになるんだ?」

「はいっ! お姉さま達に一歩でも近づけるように、日々修行中なのです」
「やっぱりか。きっとビッグになれるよ。今日、ショーが終わったあとサインもらっていい? 将来自慢できるようにさ」
 紋付袴さんのハンサムまでそう言って参加してききて、会場に聞こえないよう小声で会話。

 そんな和やかな雰囲気の中、いよいよショーが始まった。



 あたしの出番は4番目。
 5番目の愛里お姉さま、6番目のお姉さまに引き継ぐ、露払いのお役目だ。
 1番手のチーフさんが舞台袖に戻ってくるのを合図にして、会場に脚を踏み入れる。
 とたんに溢れる、あたしとその衣装を称える声とフラッシュ。

 一度体験してしまうと止められない、エクスタシーに似た快感が全身を包みこむ。
 さっきの会話で、いい感じに緊張感も取れてくれた。妖艶さん達に感謝だ。
 大きく袖を広げ、西洋の貴婦人の礼をイメージしながらお客さんたちに一礼する。
「うわぁぁっ。綺麗ー」
「可愛ぃー」
「華やかでいいねぇ」

「あら、こんなのも可愛らしくていいわね」
「私はもっと普通なのがいいかな」
 会場から、乗り気な母親を年頃の娘さんがたしなめる声が届く。それがなんだか楽しい。
 他の人は純粋な和装で、歩く姿もしずしずとした雅な姿。
 でもあたしには新和装の軽やかさを演出するように、むしろ華やかにと指示を受けている。

 足を止めて投げキッスしたり、小さな女の子相手に、少し屈んで笑顔で握手してみたり。
 その度に生まれるお客さんとの一体感。なんだかとても嬉しい気分になる。
 『ブライダルファッションショー』と聞いて、何か舞台の上でやるファッションショーを最初思い浮かべてたんだけど、今日はそんな感じじゃない。

 ホテルの会議場2部屋分を繋げて使った会場。
 手前に並べた椅子には主に母娘連れが座り、男の人とかが後ろに凄い密度で立っている。
 あたしたちが歩く場所は、中央に敷かれた赤いじゅうたんの上。
 手を伸ばせばお客さんたちとも触れ合える、そんな距離感がとても楽しい。

「きっ、れ──」
「……ええっ?! 瀬野悠里さん?!」
「本当だぁ。こんなところで見れるなんて思ってなかった!!」
「悠里さーん!」
 背後から、そんな声が上がってきた。
 ポーズをとる振りをして後ろを向き、苦笑している愛里お姉さまとアイコンタクト。

 悠里・愛里の双子姉妹として何度かテレビにも出てるとはいえ、まだまだ知名度にはお姉さまには劣る愛里お姉さま。
 お姉さまの、これまでの地道な積み重ねの重要さを実感する。

 2部屋目で折り返して、丁度愛里お姉さまとすれ違う頃合、今度は本物のお姉さまが登場。
「あれっ? また悠里さん?」
「……ああっ分かった! 今度は愛里ちゃんか?!」
 一部で混乱している様子に、吹き出しそうになるのをぐっと堪える。

 それにしても、お姉さま達は本当に優美だ。
 なんだかお決まりのようになってる、赤の衣装の愛里お姉さまと、黒の衣装のお姉さま。
 お姉さま達にいつも感心させられるのは、ちゃんと衣装の良さを引き出しているところだ。
 自分がモデルをやってみて、その凄さが特に実感できる。

『もうお気づきの方もいらっしゃるようですが、黒の打掛の方がモデルの瀬野悠里さん。赤い打掛の方がその双子の妹の瀬野愛里さん。そしてもう1人、ピンクの打掛の人が、お二方の妹の瀬野アキさんです』
 アナウンスの人がいきなりアドリブで、あたし達の紹介をしてくれる。

「ああっ、なるほど!」
「悠里さーん!」
「さっき、間違えちゃってごめんなさいっ!」
「アキちゃんって言うんだ。かぁいーっ!」
「愛里さーん!」
「アキちゃーん!」
 突如“ブライダルファッションショー”ではなくなってしまった空間と、知らない人からこんな風に名前を呼ばれる初めての体験。

 そしてリハーサルにない無茶振りに内心戸惑いつつ、3人笑顔でお辞儀する。
「うわぁ。本当、綺麗」
「息もぴったり。練習してたのかぁ」
「美人三姉妹でいいなあ」
 お客さん達が喜んでくれたようで、ほっと安心する。
 そのあとあたしだけ進んで退場、お姉さま達は部屋に1人ずつ立って早着替え実演開始。

 さて、これからが戦場だ。
 本来20分くらいかかるという和装からドレスへの着替えを、9分以内に終えるのだ。
 舞台裏に入った瞬間、横から伸びた手に髪飾りを外され、打掛をするりと脱ぎ去る。帯を取って脱いで、下着だけの姿になってパニエを装着。

 大慌てで白いドレスを纏って、メイクと髪型を調整する。鏡の中の、可愛らしい花嫁としての自分の姿。それをじっくりと鑑賞する間もなく、次の出番に入る。
「アキちゃん、可愛いよ♪」
「リラックスして頑張ってね」
 自分達も着替えで忙しいのに、笑顔で声をかけてくれるお姉さま達の存在が愛おしい。

 バレエ衣装を思わせる、チュールスカートがふんわりと膨らんだ、膝丈までのミニドレス。
 肩胸背中が大きく開いた胴部のデザインは身体にそったシンプルなものだけど、その分スカートには花飾りとか散らされていてとっても可愛い。
「これ、軽くて動きやすそうでいいなぁ」
「式で着るにはちょっとはしたないんじゃ?」

 「アキちゃーん」と呼ばれるたびに笑顔で手を振って、さっき握手した女の子の前でくるりと一回転したりして。そんな折り返し地点、またお姉さま達の姿が見える。
 オプションの付け方でがらりと印象の変わる4wayのウェディングドレス。ホルターネックに見える飾りをつけた愛里お姉さまと、それを外してベアトップ状態のお姉さま。

 2人で仲良く手を繋いで優雅に歩く姿につい見蕩れそうになって、慌てて意識を引き戻す。
 あたしが退場する間際、くるりと一礼すると、お姉さま達がスカートを外してミニドレスに変化する様子が見えた。ギミック満載なのが羨ましくもあり大変そうでもあり。

 3分間で着替えを済ませて次の出番。
 これはあたしには珍しく少し大人びたドレスで、密かなお気に入りなのだ。
 前は小さく、お尻側を大きく膨らませたバロックスタイルのウェディングドレス。

 胸元と背中が大きくむき出しで、長袖になった腕と胴部にびっしりとフェイクパールと刺繍が付けられている。お尻につけられた大きなリボンが可愛らしさを演出する。
 ラインが綺麗で、ウェストがすごく細く見えるのもお気に入りの理由の一つだ。
「これ凄くいいね! 気に入った」
「でも、あなたじゃウェスト入らないんじゃ……」

 前回までとは打って変わって、優雅に歩きを進める。
 できればこの姿で、いつかお姉さまと一緒にヴァージンロードを歩くその時を夢見ながら。
 先ほどまで華やかな声をかけてくれていた女の人達が、うっとりとため息をついている。
 そんな様子が誇らしい。

 ターンすると、一足先にカラードレスになったお姉さま達が見える。
 赤と黒の、スレンダーなイヴニングドレスに身を包んだ綺麗な姿。

 愛里お姉さまのTVデビュー時、ドレス姿の少女がお姉さまじゃなくて愛里お姉さまといことを自ら暴露してちょっと騒ぎになった、いわくつきのCM。
 そのCMで愛里お姉さまが纏っていたのと同じデザインで色違いの、優美なドレスだ。
(スポンサーさんは結局、いい宣伝になったと大喜びだったそうだけど)

 お客さん達でも気付いた人がいたらしく、
「これ、CMのドレスだね」
「実物だと、もっと綺麗だなあ」
「いいなあ。あたしも着れるかな?」
 とか言い合ってる声が耳に届く。

 そのあとあたしはスカイブルーのミニのドレスに着替えて再登場し、更に最後の、豪奢なピンクと白の、童話のお姫様風のドレスに着替える。
 大きく膨らんだプリンセスラインのスカート。広がるパコダスリーブの袖口。
 金髪巻き毛のウィッグの上に、ティアラが燦然と輝いている。
 コスプレっぽい気もするけど、披露宴でこういうのも人気だとか。

 最初に握手した女の子の前で、今度はスカートを摘み上げて貴婦人の礼。
「アキさん、ありがとう! お人形さんみたいで本当に綺麗!」
 一緒にいたお母さんともども大喜びしてくれて、何よりと思う。

 真紅のスタンダードなAラインドレスのチーフさん。
 漆黒の色っぽいマーメードラインのドレスの妖艶さん。
 背中の大きなリボンが妖精の翅を思わせる、桜色のミニドレスを着た天使さん。
 3人の前を通り過ぎ、モスグリーンとマリーゴールドの、色違いで同じデザインのベルラインドレスのお姉さま達。
 それに花婿さん達の横に並び、最後に大きくみんなで一礼。

 途端に鳴り響く、大きな拍手。
 準備も含めて確かに色々大変ではあったけど、それが報われたと思う瞬間だ。
 皆そのままの衣装で着替えることもなく、髪やメイクのセットをきちんとしなおしたりして、ブライダルフェアを終えたお客さん達を見送る。

 お姉さま達の周りが人だかりになるのは当然なんだけど、あたしの周りに出来るこの人だかりは意外だった。
 すっかりお馴染みになった女の子を抱っこして写真を撮ると、他に何人かいた女の子達も我先に抱っこをねだってくる。

『ブライダルフェアの主役はお客様』ってチーフさんの言葉を思い出しつつ、握手をしたり、一緒に写真を撮ったりして、ようやく人がはけたのは割と時間ぎりぎりになってしまった。
 1回目がショー終了し、最初のピンクの打掛に着替え次の2回目のショーに備える。

 ここまでが1セットで、これが今日は残り3回。
 意外に工夫しどころがあって、面白い。
 同じドレスでも、自分の動き方を変えるだけでお客さんの反応が随分変わってくるとか。

 3分間での着替えも、最初ぎりぎりだったのが、段々と余裕が出るようになってくる。
 もっともっと続けたい。
 そうは思っても、やっぱり終わりの時間がやってくる。それがちょっと寂しかった。



「アキちゃん、また腕をあげたね♪ サクサクしてるのに、口の中でとろけてる」
「この甘さに癒されるわあ。ほっぺた落ちそう」
「いつもながら美味しいわね……アキちゃん、愛い奴、愛い奴」
「ん。なんだか少し、不思議な食感がする……これ、ひじき入りかな? あとはおから?」

「当てられるとは思ってなかったです。ミネラルと植物繊維たっぷりにしてみました」
「なるほど、体にもいいんだ。それでこれだけ美味しいし。今度私も試してみよ」
 今日のショーもすべて終わって、普段着に戻って化粧直しして。
 撤収作業その他で忙しいチーフさん以外の、今日の花嫁モデルさん5人で少し休憩。

 昨日のうちに作って持ってきたチョコクッキーを皆で食べる。
 お姉さま達と3人で食べるつもりだったけど、色々意見を聞けるのはやっぱり嬉しい。

(ところでアキ、俺ら以外に女装してる1人って結局誰なの? やっぱりチーフさん?)
 ん? あたし、そんなこと言ってないよ?
 持ってる情報は一緒なのに、やたらと男と女とかどうでも良いことに拘るくせに、相手が男か女かも分からない雅明がなんだか不思議だった。

 スタッフの皆さんとも挨拶をして、会場を出る。
 下着の上はショーのときから変えてないから、今日は胸元を見せる服が着れる。
 ということで衿が大きく開いた、白地に赤い小花を散らしたトップスの上に、ピンクの長袖シャツを前を開けて羽織り、空色のマキシスカートを合わせた衣装。

 その服で事務所に立ち寄って、今日はあとは帰宅だけだ。
「いい一日だったねー♪ 素敵なドレス一杯着れたし」
「やっぱりドレスは女の子の憧れですよねぇ……すてきなお仕事でした」
「あなた達はそうかも知れないけど、私は流石に疲れたわ」

 今日をうっとり回想する愛里お姉さまとあたしに、お姉さまが突っ込みを入れる。
「まあでも、可愛いアキちゃんがいーっぱい見れたから、今日は私も大満足かな♪」
「アキちゃん凄かったなぁ♪ 舞台の最中でも、どんどん上手くなっていくんだもの」
「お姉さま達を見て本当に凄いな、って思って。一歩でも近づけるように、って頑張って」

「やっぱりアキちゃん偉いなぁ。……私も負けてられないな。このあと、事務所のトレーニングルーム使わせてもらえないか、聞いてみよ」
 と言って携帯を取り出すお姉さまに、大慌てで「あたしもお願いします」と頭を下げる。
「2人とも元気だなぁ……あ、お姉ちゃん、私の分もお願いしてね」



 それにしても、今日は素敵な一日だった。あんなに綺麗なドレスをいっぱい着れて。
(男なのに、せっかくの日曜を女物のドレスを着せられて潰して。酷い一日だった……)
 ……なんだか雅明、今日はやけにつかっかってくるのね。

 それじゃあ来週もブライダル関係のお仕事だし、せっかくだから雅明にお任せしちゃおう。
(本当に勘弁してよ。俺、ドレスなんて着たくないんだって)
 あの素敵なドレスを“あたし”が着れないのは本当に残念だけど、雅明のことを思って譲ってあげるんだからね。感謝しなさいよ?



『瀬野家の人々』 アキのモデル修行な日々C-2 2013/06/22(土)


「うん。アキちゃん、やっぱりおっぱい綺麗でいいなあ♪」
 俺の胸を指先でぷにぷにと突きながら、悠里が実にニコヤカな笑顔で言う。
 見下ろすと見える、たった今出来上がったばかりの谷間が、下着の合間から『コンニチワ!』している光景。

 別に豊胸したわけでなく、上半身の肉を胸のところにかき集めてそれらしくして、ヌーブラで持ち上げて下着で固定して作った、即席でまがいものの谷間もどきである。
 着替えやドレス合わせに何度か参加しても、(多分)一度も俺が男だとばれなかった優れもの。……貧乳・上げ底というのは、わりとバレまくりだったけど。

 俺が今着ているのは、純白のウェディングドレス用の下着(ビスチェとか呼んでいたっけ)。
 コルセットと胸のカップが一体になったもので肩ひもがなく、背中側は大きく開いている。
 最初のころ息が止まるかと思った締め付けには段々と慣れてきたけど、マシュマロや悠里の素肌のような肌触りのよさには未だに慣れられそうにない。

 アキでいるときは大喜びしていたそんな姿も、今はただ、げんなりさせる材料だった。
「悠里、毎度だけど胸作る手助けありがとな。……あとズボン貸してくれない?」
「どうぞどうぞ。……私もそろそろ準備に入らなきゃ、かな」
 時計を見上げて風呂場に向かう悠里。その背中を見送ってクローゼットを開く。

 『彼女のクローゼットを開いて物色して、その服を着る彼氏』というのもまた異様な話だけど、俺たちの間では最近普通になってきた。なんだか感覚が麻痺してきてまずい。
 黒のジーンズを適当に選んで部屋に戻り、二ヶ月前に部屋に増えた自分の衣装棚を開く。
 フリル・レース沢山、ピンク系多数の、頭がくらくらするような眺めと匂いだ。

 今日はホテルでの撮影。ロビーで場違いにならぬよう、シックに大人らしくなるように。
 頭をひねってお洒落するのは楽しい……と思っている自分に気付いて落ち込むけれど。
 まずレースのついたクリーム色のショーツに穿き替えて、胸元に小さなリボン飾り付きの白のキャミソールを羽織る。アキで慣れて、もう感想も浮かばなくなってるのがやばい。

 その上から俺用の、男物の無染色のリネンの長袖シャツを着て、先ほどのジーンズを穿く。
 脚の長さは殆ど一緒で、腿回りは少し余るくらい。いつも着ている男物よりよほどフィットするという事実が、俺の男としてのプライドをいい塩梅で潰してくれる。
 ウェストがぶかぶか過ぎるのは、ベルトをきつめに締めてカバー。

 タックで股間に回したペニスが、ショーツの生地とジーンズの股下部分に常に刺激されてかなり気持ちの良い事態になってるけど、それは我慢しつつ自分の姿を鏡に映して確認。
 お尻が寂しいので、ジーンズの上に、白地に赤い花柄のスカートを着用してみる。

 女物とはいえジーンズと、男物のシャツの取り合わせ。
 マニッシュ方面を目指したつもりだったはずなのに、下着に取り付けたパッドのせいで突き出た胸と、括れたウェストが強調されて、逆に非常に女らしくなっていた。
 お洒落って難しい。

 髪をとかして、最小限のメイクをして、女物のベージュの薄いジャケットを羽織ればもう、“可愛くて発育の良い女子中学生”の出来上がりだ。
 ……『シックに大人らしくなるように』は、どこに行ってしまったんだろう?



 モデルの仕事がある日はいつも勝手に登場している“アキ”なのに、今日は呼んでも何してもやってこない。
 前の日曜、今日は俺に任せるとか言ってた記憶があるけど、本気なのだろうか?
 案内された控え室でマニキュア・ペディキュアを塗られながらも、既に違和感が半端ない。

 靴や手袋で隠れるのに、いちいち塗らなくても良いだろうに、とも思うのだけど、今日は本格的な花嫁姿で撮影するのがクライアントの意向とかで仕方がないらしい。
 男そのものである俺が、『本格的な花嫁』! ……どんな酷い冗談なのかと。
 手術済みとか、心は女とか、せめて女装が趣味というならまだ理解可能な世界なんだが。

 だけど冗談でもなんでもなく、俺は徐々に徐々に花嫁にされていく。
 ベースの化粧だけで、種類を替え、場所を替え、色を替え。
 睫毛も一本一本持ち上げていくように。

「今日は随分可愛らしいモデルさんなのね。お肌も本当に若々しくて……何歳になるの?」
「もうすぐ18歳なんですよぅ」
「ええっ?! もっと若いと思った。私も何回か16歳の子のメイクしたことあるけど、それよりずっと若い感じ……白人さんでも、こんなに肌が白くて綺麗な人いないし」

 やたらと話しかけてくる、中年女性のメイクさんだった。
 そのたびに“17歳の現役女子高生モデルの瀬野アキ”として回答しないといけないのがいちいち羞恥心を煽る。2歳サバを読んで、まだ幼く見えるのってどんなのだろう。
 ただこのメイクさんの腕は確かで、その指の動きについつい見とれてしまう。

 メイクさんも俺のそんな視線に気づいて、少しの会話ののちメイクの説明を事細かにしてくれるようになった。面白いテクも多くて参考になる。
 写真栄えするぎりぎり最小限の色遣いでとどめて、モデルでは意外と欠点になりがちな色の白さを魅力に置き換えている。

 化粧も終わって次はヘアメイク。アップ風に纏めて、ゆったりとしたウェーブのかかった髪と同色のエクステをつけて背中に垂らす。
 そのくすぐったい感覚が心地よいと、不覚にも思ってしまった。

 ひとまず完成した、鏡の中の自分を見つめる。
 いつもの自分の幼さは、瑞々しく若々しい可憐さに変えられている。代わりに占めるのは、ヨーロッパの社交界にでも出せそうな気品と上品さと、新雪のような透明感。
 メイクってやっぱり奥が深くて面白い。自分の女装姿に落ち込みつつ、改めてそう思う。

 下半身の下着を替えたあと、ボリュームを出すためのパニエを身に2重に着ける。
 そしてスタッフが何人がかりかで持ち込んできた、本日1着目のドレスと対面。
 衣装合わせのときも思ったけれども、本当に俺が着てよいものかどうか不安になるようなドレス。1日間のレンタル料だけで百万円を軽く越えそうだ。

 本当に俺が──というより人間が着れるのか不安になるほどほっそりした上半身。
 びっしりと細やかな刺繍と、本物の真珠らしい輝きと、布地そのものの煌きがそれを彩る。
 スカート部を埋める花を模した飾りが、まるで花畑のよう。
 ドレスというより、布で作った芸術作品という印象すら与える存在だった。

 その“芸術作品”のパーツの1つに、俺はこれからされてしまうのだ。
 そう考えた瞬間、なんだかよく分からない感慨めいた何かが背中じゅうを駆け回るような感じがした。

 化粧を衣装につけないよう、慎重に慎重にドレスを上から被らせてもらう。
 パニエの上を滑らせたスカートを合わせるふりをして、生地に指をそっと這わせる。
 “シルク”と一言で言っても、ここまで差があるとは思わなかった。

 手触りが違う。煌きが違う。
 初めてシルクのチャイナドレス(正確にはシルク混紡だそうだけど)を着たときも、男物の服にはない気持ちよさにびっくりしたものだけど、それとすらレベルが完璧に違う。

 ボディの部分を慎重に合わせて、コルセットみたいに背中の紐を編み上げられる。
 肘上までの、これまたシルクのグローブを慎重に引き上げてもらう。
 自分の手であることが信じられない、細くて優美な姿。手を開いたり閉じたりして確認するけど、それでも現実感がしてこない。

 スカートの中に潜り込んだスタッフの手助けをもらって、ヒール付きのパンプスを履く。
 大きな真珠のついたチョーカーを首に巻き、ダイヤとプラチナの輝きも眩しい上品で重いイヤリングを耳につけ、頭に豪奢なティアラとヴェールをつけ、ブーケを受け取る。
 少し髪と化粧の手直しが入って、何か肌に粉を振りかけられて、これで漸く完成形。

 改めて鏡を見なおしてみる。
 オフショルダーでプリンセスラインのウェディングドレス。肩から胸、背中にかけて大きく開いていて、白くて柔らかそうな胸の谷間が微かに覗いている。
 先ほど振りかけられた粉のお陰か、肌が形容でなく本当にキラキラと光り輝いている。

 大きく大きく膨らませたスカートが、上半身の細さと優美さを強調する。
 一歩間違うと装飾過多でごてごてした感じになりそうなのに、洗練されたデザインのおかげでむしろすっきりした印象になっている。
 振り向くと見える、5m以上ありそうな長いトレーンと腰より長いヴェール。

 恐らく本当の女性でも、多分一握りの令嬢にしか袖を通すことが許されない高貴なドレス。
 それを建前的にも女子高生モデルで、実際には女装男子大学生の俺が着ている……その事実に、なんとも言えない複雑な気分になる。

「凄い綺麗……このドレス、こんなに着こなせる人は多分、世界中探しても他にいないわね。アキちゃんのために作られたみたい」
 いつの間にか入ってきていた瞳さんが、うっとりとした声で言うのを聞いて我に返る。
「あ、瞳さんおはようございます」

「アキちゃん、おはよう。……けど本当にアキちゃんて、綺麗なドレス着るのが好きなのね。今もわたしに気付かないくらい、嬉しそうな笑顔ですっかり自分に見蕩れきっちゃって」
 ……俺、そんな顔してたんだろうか。

 瞳さん含め、ここにいる全員が俺を女性と信じて口々に賞賛してくるのを、嬉しく感じる。
 せめて自分だけでも俺は男であると認識していたいのに、それすら揺らいできそうだった。

「俺は男だ!」
「女装なんて真っ平だ!」
「ウェディングドレスを着るなんて絶対嫌だ!」
 そんなことを叫びたい誘惑に駆られる。

 男なのに矯正下着でウェストを絞り上げ、手術もホルモンもなしで胸元に谷間を作り、女装趣味でもなんでもないのに唇を紅く塗った姿で。
 でもそんな俺の内心の葛藤は完全に無視された状態のまま、撮影場所に移動する。

 女物の衣装って、ふわふわとして柔らかくて肌触りがいいのが多いけれど、特にこれは飛び切りだ。
 そして女の衣装って、重くて動きにくいのも多いけど、これはそっち方面でも飛び切りだ。

 下手に動くと破けて高い弁償を払わされそうで、ついつい動きが制限される。
 姿勢を固定された挙句に普段使わない筋肉を使わされて、正直かなりきつい。
 『動きが優美だ』と口々に言われるけれど、そんなの慰めにもならない。
 顔が引きつりそうだけど、それさえも許されないのだ。

 スタッフ達に導かれるままについたのは、こんな機会でなければ足を踏み入れることもなかっただろう、立派なチャペル風の式場。それも改装オープンを目前にした真新しい空間だ。
 黒のテールコートを着た、長身の新郎役の男性がびっくりした表情で自分を見ている。
 どこかで見たような、と思ったら先週アキが“ワイルドさん”と呼んでた男モデルだった。

「うーん、こんな綺麗な花嫁、初めて見た……アキちゃん、でいいんだよね。見違えたよ」
 少しの間のあと、そう言う彼。改めて見ると、顔立ちの整いぶりが半端でない。
 元々宝塚の男役のような美形に、鍛えられた逞しさが精悍さを加味する。
 俊也や義父、それに北村と知人に割に多いハンサム連中の中でも、トップクラスだろう。

 その彼と挨拶と多少の会話をして、撮影に入る……寸前に。
「アキちゃん、愛してるよ」
 囁くように、そんなことを言われてしまう。
 途端、全身に鳥肌が立つのを覚える。

 土曜の休日を潰して、可愛い美人の恋人と遊びに出かけもせずに、男なのにウェディングドレスを着て化粧して、よりによって男から愛を囁かれる!!
 これが悪夢だったらどんなに良かっただろう。でも、これは現実なのであって。
 見返すと、真顔で、真剣な眼差しでこちらを見つめる“ワイルドさん”の顔がある。

 とても演技とは思えない迫真さ。中途半端な自分が嫌になり、プライドを捨てようと決心する。
 瞼を閉じ、衣装の許す限り最大限の深呼吸。先の鏡の中の自分に意識を合わせる。
「……ええ、あなた。あたしもです」
 自分の左胸、心臓と柔らかい胸のある場所に手を当てて、にっこりと微笑む。

 ──これからの時間、あたしはこの世界で最高の男性を夫に迎える、世界で最高の花嫁。
 それ以外の自分は、すべてひとまず封印だ。……そう、自分に言い聞かせる。

 そしてその陶然とした、ふわふわとした心のまま、撮影を進行させていくのに任せる。
 祭壇の前で指輪を交換し、結婚証明書への署名をし、2人で誓いのキスをする。

「いや、それはフリだけでいいんだってば!」「メイクさん、手直しお願い!」
 大慌てするスタッフさんの声に、顔を見合わせて同時に吹き出す。
 温かくて力強くて優しい唇の感触が、まだ残っていた。

 最初の衣装での撮影を終え、白無垢と赤い打掛の悠里と俊也、それに初めて見る花婿役の男性モデル氏にバトンタッチして、お色直しのために控え室へ。
 メイクを一旦完全に落とし、下着姿に戻る。
 そこにいるのは、一人の恋する乙女。

 新しい化粧を済ませ、ドレスを再び纏ったあとに現れるのは、愛する男性との結婚を迎え、人生の絶頂に眩いばかりに輝く一人の美しい女性。
 先ほどとは打って変わり、飾りは少ないけどその分デザインの優美さが際立つドレス。
 足首までの長さのAライン、ホルターネックタイプでわりと動きやすい。

 そんな姿で次の移動。
 タキシードに着替えた彼が、あたしの姿を目にするとニッコリと微笑む。
 ドレスのアクセントである大きなリボンの下にある心臓が、恐ろしいほど早く強くバクバク言って、下手につついたら弾けて破裂しそうな気さえしてくる。

 そのままぴたり2人で寄り添って、ホテル内のブライダル施設を順に巡りながら撮影を重ねていく。トレーンはないけど、代わりに足元まで届くマリアヴェールを翻しながら。
 通りすがるホテルのお客さん達から、口々に祝福を受ける。
 くすぐったくもあり嬉しい感覚。

 特に指示もないのに、お姫さま抱っこで抱えあげられてみる。
 体重とドレス、足して60kg近くあるのに、不安定さを微塵も感じさせない確かな足取り。
 自分の胸を、幸福感が埋めていくのを感じる。
 包まれている、守られている、愛されている、そんな実感をひしひしと感じる。
 その後、再びのお色直しのため、愛しの彼とまた別れて控え室へ。

(……雅明ってさ、時々あたしよりずうっと乙女ちっくになるよね)
 頭の中で、アキが感心するように言うのを聞いて、思いっきり我に返る。
 冷や水を浴びた気分。……俺は一体、今まで何をやらかしてたんだ?

(アキ。今までどこに行ってた?)
(あたしはどこにも行けないよ? それは雅明が一番良く知ってると思うけどなぁ)
(良くわからないけど、まあいいや。せめて次のシーンでいいから交代してよ)
(嫌よ。あたしはお姉さま達に一筋なの。雅明みたいに、『愛してる』って囁かれただけで、すぐ転ぶような尻軽じゃないもの。他の人の花嫁役なんて、まっぴら)

 ……なんだか凄い誹謗中傷を受けた気がする。

 次に着替えさせられた衣装は、漆黒のイブニングドレス。
 生地が薄く、軽く、滑らかで、まるで何も纏っていないかのような落ち着かなさを覚える。男物の服には絶対ない、でも女物の服でおなじみになってしまった、裸のときより裸な感覚。
 装飾が殆どない分、布の黒と肌の白との対比が恐ろしいくらい目を惹く。

 裾はわずかに引きずる長さだけど前にスリットが入っていて、動くたび右脚全部が見える。
 下着の許す限り大きく露出したビスチェタイプのデザインで、背中も恐ろしく開いている。
 後ろは被った黒のストレートロングのカツラが隠しているけど前は丸見えで、覗いている白い谷間に、これが自分のものと分かっていながら魅入りそうになる。

 化粧も一度完全に落とされて、また自分の存在が別人であるかのように書き換えられる。
 ご丁寧に目にも黒のカラコンを入れて、今の俺はエキゾチックでセクシーな美女な状態。
 たださっきのキラキラ状態から一気に落ち込んだので、色々心配されてしまったけれども。

 歩くたびに脚にまとわり付く、薄い布の感触がつらい。露出狂の気はまったくないのに、大きく開きまくった肌がきつい。耳元で揺れるイヤリングの重みが堪らない。
 特に男性からの視線が視姦されているようで、鳥肌が立ちそうだ。

 撮影場所に到着してみると、悠里たちの撮影がまだ続いていた。
 “ワイルド氏”は事情があって少し遅れているとの話で、少しほっとする。
 とにかくどんな顔をして会えばよいのか分からない。こんなんで撮影できるのかも不明だ。
 心を落ち着けるために、今は唯一のよすがになる俺の恋人を見つめていたかった。

(アキ、どっちが悠里か分かる?)
 今撮影しているのは純和風の赤い裾を引きずる振袖と、それとうって変わって和風の生地をドレスに仕上げた衣装の2人。だけど悲しいかな、俺だとどちらがどちらか分からない。
(振袖のほうだよ)

 良かった、意外にあっさり教えてくれた。
 赤い百合のような、悠里のほっそりした佇まいに見蕩れる。
 大きく結った日本髪のカツラとの対比のせいで、すんなりと伸びる首の細さが一層強調されて折れてしまいそうにすら見える。

 小さな頭、狭いなで肩によく映える和装。
 後ろを向いたときの、うなじの優美さは驚くほどだ。
 赤の地に白で大輪の花々を描いた鮮やかな衣装と、それに負けないくらい華やかな笑顔。
 振袖って、こんなに綺麗な衣装だったのかと感動すら覚える。

 やっぱり悠里は凄い。
 ただ立ってるだけのように見えるのに、それだけで他の花嫁とは格が違っている。
 一見なにげない仕草の中に、『いかに自分を、衣装を美しく見せるか』の超絶技巧がどれだけ含まれているのか。改めて惚れ直している自分を感じた。

(ごめん雅明、間違えた。ドレスのほうがお姉さまで、引き振袖は愛里お姉さまだった)
(……)
 悶絶しそうになるのをなんとか抑える。
 ──こいつ、分かっててやりやがったな?

 そうこうしているうちに、白いタキシードに着替えたワイルド氏も到着。
 その笑顔を見た瞬間に、先ほどよりは少し大人びた、ゆったりとした愛情が胸を満たしていくのを覚える。多少の会話を交えたあと、悠里たちと交代する形で撮影開始。
 慣れない“色っぽい”衣装に合わせるのに苦労して、少し駄目出しを受けてしまったけど。

 でも、彼の視線に見守られながら、時にアドバイスを受けながら、形にしていく。
 最後はスタッフたちから賞賛まで受けて、なんとも誇らしい気分になりながら控え室へ。
 今日最後の衣装は、衣装合わせのとき一目見て「かーわいぃっ!」と思わず叫んだ、ペパーミントグリーンのプリンセスラインのドレスだ。

 細身で大きく開いた上半身。チュール製の花々が胸元を飾る。
 右足の付け根までくし上げたスカートような飾りが付いていて、その下に花の刺繍入りスカートが覗いている。そんなドレス。
 メイクもそれに合わせて、非常に可愛らしい雰囲気に変更。髪も地毛を結い上げた感じ。

 うん、自分はやっぱりこっちのほうが演じやすい。
 ドレスと同じ色の大きな帽子に、やっぱり同じ色のチュールのショールを羽織り、悠里たちの撮影真っ最中の場所に移動する。

 純白と真紅。色違いで同じデザインのスレンダーなドレスを纏った悠里と俊也。
 やっぱり悠里は綺麗だ。……どっちが悠里か分からないのが残念だけど。
 さっきのようにもっと眺めていたかったのに、自分が到着したのと殆ど同じタイミングで撮影が完了してしまって少し残念。

「そのドレス、本当に可愛いね。まるで花の妖精のようだ」
「あら、可愛いのはドレスだけ?」
「もちろん、アキちゃんも妖精みたいに可愛いよ」
 そんな会話をしながら、銀系統のセレモニースーツの相方と一緒に自分達の撮影を開始。

 途中からピンクとブルーのミニのドレスに着替えてきた悠里達と合流し、ソファに並んで座ったりしながら、ややゆったりした気分で撮影を続ける。
 ドレス姿の3人で抱っこしたりされたり、抱き合ったり、膝枕したりさせてもらったり、自分が真ん中で両側からキスするフリをされてみたり。

 傍から見てると『美少女同士の戯れ』に見えるのだろう、そんな光景。
 最後、花婿2人も加わって合計5人のショットも撮り、本日の撮影が完了した。



「お疲れ様……3人とも凄く良かったわよ」
「綺麗なドレス沢山着れて、いいお仕事でした♪ でもお腹すいちゃったね」
 あまりにノリノリに『恋する乙女』を演じてしまったせいで、なんともいえない自己嫌悪と心身の疲労困憊を抱えながら、瞳さんとも一緒の4人での帰り道。

 撮影場所だったホテル、そのロビーに差し掛かる……と。
「アキちゃん、ちょっといいかな?」
 ソファに座っていたワイルド氏が立ち上がり、俺に声をかけてきた。
 背が高く、身体も厚い。トラッドなファッションが良く似合う。

 俺もこんな体格なら、女装なんてさせられることもなかったのに、と少し羨望してしまう。
 自分の心を探ってみる。
 撮影中の『乙女心』は、ありがたいことに憑き物がとれたように霧散していた。
 あるのはわずかな羨望と、『何であんなことをやらかしたんだろう』という大きな羞恥心。

「ええと、なんでしょう」
「どこから切り出すか迷うけど……アキちゃんって、彼氏いたりするのかな」
「いいえ」
 と、首を横に振る。
 彼氏なんていてたまるか。俺にいるのは、愛しい彼女だけだ。
 その答えに、「良かった……」と、少し考え込む様子の彼。

 そういえば、と思い出す。
 今日の撮影の直前、演技とも思えない迫真さで『愛してるよ』と囁いてくれて、それに応えようと努力することで、何とか今日の仕事を終えたんだった。
 あのきっかけがなければ、きっとグダグダのまま進んでいただろう。
 その礼を言ってない。

 そう考えて彼の瞳をまっすぐ見返すと──あのときよりも更に熱っぽい視線が返ってきた。
 不意に、撮影中の『誓いのキス』の感触を思い出しそうになる。
 ぶんぶんと頭を振ってその記憶を頭から追い出す。
 でもどう答えたものか。
 「俺は男だから、男と付き合う気はない」と本当は言いたいけど。

「……今日の撮影、どうもありがとうございました。新郎の演技、とても上手くて尊敬しました。あたしも、少しはそれに応える演技が出来ていたら嬉しいんですけど」
 お辞儀をして、『演技』というところを故意に強調しつつ言ってみる。

「俺は演技じゃないよ。最初から最後まで、偽りない本心だ。先週から好意を感じてたけど、今日また会って確信した。いつか仕事じゃなくて、本当にアキちゃんと式を挙げたいって」
 何が悲しくて恋人の目の前で、同性から求婚を受けなきゃいけないのか。
 人の往来も多い土曜夜のホテルのロビー。無茶苦茶目立ってて恥ずかしくて逃げ出したい。

「あたし、凄くいい演技をする人って、ずっと感心してたんですけど……」
「アキちゃんこそ、あれが演技とか信じられない。演技だったことにしたいだけとか?」
 なんとか当たり障りなく別れたいと言葉を交わしてみるけど、どうもうまくいかない。

(ああ、もう見てらんない。ごめん、雅明)
 しばらくの会話のあと、突然“アキ”が頭の中でそう言って、俺の主導権を奪う。
 そのまま彼の耳元に口を近寄せて、小声で囁く。
「ごめんなさい。あたしやっぱり、女の人と付き合う趣味はないんです」

 俺自身、びっくりな一言だ。でも彼? の狼狽もまた凄かった。
「今日はありがとうございました。次ご一緒する機会があれば、またお願いします」
 その隙を縫って距離を取り、にっこりと笑顔のまま一礼して別れる。

(……あいつが女って、アキはいつ気付いたの?)
(あれ? 先週の最初に言わなかったっけ? 花婿役が全員女の人で、花嫁役のうち1人を除いた全員が男の人。あわせて男5人に女3人、って。お姉さまだけがなぜか例外で)
 あれ、そういう意味だったのか。今のを見ても信じられないし、正直わけが分からない。

「ごめんなさい、お待たせちゃいました」
「アキちゃん、モテモテだね♪ 食事くらい一緒に行ってあげたら良かったのに」
「お姉さま、そんな意地悪言わないでくださいよぉ」
「ところであの人になんて言ったの?」
「んと……それは秘密です」

「それでこれからどうするの? また事務所のトレーニングルーム使うなら、わたしもアドヴァイスするけど」
 帰りの地下鉄の車内。瞳さんの質問に、俺は少し考えて、頼み込むことにしてみる。
「えっと、それなんですけど……」



        <<悠里視点>>

「くちゅ……ちゅぷ……ちゅぱ……」
「ぬちゅ……ちゅる……ちゅぴ……」
 静かな部屋の中、キスの音だけが伝わる。

 地下鉄の中で瞳さんと俊也と別れ、そのまま臨海地区で雅明と2人でデートして。
 そのあとホテルの部屋に入るなり、荷物を足元におとしただけで、熱烈なキスを交わす。
 ぷっくりとして、柔らかくて滑らかな、女の子として極上の唇。
 蜂蜜パックを続けているせいか、ほのかに甘い味がする。

 形もよくて、艶めいて。見てても思わずキスしたくなるようなそんな唇。
 それが『自分のもの』であるということに、なんとも言えない満足感を覚える。
 アキちゃんがつけてる花の香水の匂いと、息にも気を使っているから甘やかな吐息の香りが私を興奮に誘う。雅明が『雅明』でいる頃には、正直なかった興奮だ。

 デート前に、スカートとジャケットと下着を脱いで化粧を落として、一応は女装を解いて。
 それでもその後ナンパされまくった、可憐で庇護欲を誘う、飛び切りの『美少女』。
 そんな私の恋人との間に作った唾液の糸が、長く空中に留まって落ちるまでを見送る。

「このまま、いい……?」
「それよりお風呂入りたいかな。2人一緒に」
 私の提案にすんなり従って、脱衣場に入る。
 浴室へは先に入ってもらったあと、さっきまで雅明が穿いていたスキニーデニムを手に取ってみる。

 購入するとき、ぴったりあうサイズのものがないか、それなりに探して回った私用のパンツ。
 それを『彼氏』が普通に穿きこなしてしまう現状に、大きな達成感を覚える。
 “スタイルに自負のある女の子”としてのプライドが、ちょっとめげそうでもあるけれど。
 ……ウェストとか太腿とか、コルセットなしでもちょい余るくらいだったもんなあ。

 感慨にふけるのもそこそこに浴室に入ると、一輪の白百合の花がいた。
 そんな錯覚を覚えるほど、色が白くてほっそりした可憐な姿。
 たった今タックを外し、解放された股間のものが覗いている。それが唯一の男の証。

「今日も一日お疲れ様……やっぱ悠里は綺麗でいいなあ。この眺め、最高のご褒美って感じ」
「雅明も凄く綺麗で素敵だよ♪ 見ててうっとりしちゃう。……ね、身体洗わせて」
 一瞬だけの戸惑いのあと、「よろしく」と言う雅明。
 保とうとしている無表情を透かして、無防備な笑顔が垣間見えるのが可愛い。

 備え付けのボディソープを手に取り泡立てて、その身体を撫でるように洗っていく。
 女装を本格的に始めさせてから3ヶ月くらい。
 女性ホルモンを投与しても、この期間だとここまでは変化しないんじゃないか。

 元々の素質、本人の意思、適切な技術。

 3ヶ月前までは普通の男の子だったはずなのに、この3つが合わさって、今はモデル仲間でもなかなかいないくらい綺麗な『女体美』がここにある。
 でも一番凄いのは、まだまだ綺麗になっている途中だということだろう。

 半月前の雅明より、今の雅明のほうがもっと綺麗。
 半月後は、たぶんきっともっと綺麗。

 色が本当に白くて白くて、シミもなくて、きめ細やかで、さらさらと手触りが良くて、脂肪の柔らかさとしなやかな筋肉の弾力を兼ね備えた肌。
 毎週のようにエステに通っているおかげもあって、ムダ毛も吹き出物もないツルツルお肌。
 両手の掌で、その身体をくまなく洗っていく。

 美容体操の効果か、スタイルもいい。括れたウェストも綺麗だし、お尻の形も素敵。
 下着や水着のモデルは厳しいかもだけど、バニーガールのお仕事くらいは楽に出来そう。
 私としては、女性モデルとして丁度いい感じに張った肩のラインが羨ましい。私たちの狭い肩は、和服のモデル向きではあっても、今日みたいなドレスは微妙に似合わないのだ。

「悠里の手って、やっぱり気持ちいいな……」
「雅明の肌も、すっごく気持ちいい♪」
 綺麗に身体を洗い終えて、私の身体も洗ってもらって。
 浴槽にも二人ぴったり身体をくっつけあって入る。すべすべの肌が気持ちいい。

「もっと広いお風呂に一緒に入れるといいんだけどねえ」
「うち狭いもんね。……一緒に女湯に行ってみる? 雅明なら大丈夫だと思うよ♪」
「無理無理! 確実に男だってばれるし、犯罪者になりたくない」
「そうかなあ。疑われるどころか、たぶん羨望の眼差しで見られると思うけど」


 お風呂をあがって、軽くマッサージをしながら身体を冷まして乾かして。
 ふと興味が湧いて、雅明が昼間につけていたほうのビスチェを取り出して手に取ってみる。
「ね、雅明。ホック閉じてくれないかな?」
「今日はドレス用の下着でのプレイ? ……いいね」

 そんなことを言いながら、下から順にホックを締めていく雅明。……って。
「ごめん、ギブ、ギブアップ! 私これ無理! 外して、お願い!」
「昼間は大丈夫だったのに?」
 雅明の怪訝な声が聞こえるけど気にしてる余裕がない。完全に外してもらって一息つく。

「……ありがと。これ、雅明がつけてたほうなんだけどね。私だと苦しすぎて無理だった」
 そう説明したあとの雅明の顔の変化は、一種見ものだった。
 そんなことに面白さを感じる自分もあれだけど。

「やっぱり、私は大人しく自分の下着にしよ。雅明もそれちゃんと着けてね?」
「……ええ?」
「それ、ちゃんと着てね?」

 ぶつくさ言いながら、でも結局(私は着れなかった!)ビスチェを身につけてくれる雅明。
 ま、股間の反応で、彼が内心喜んでるのはまる分かりなんだけど。
 鞄の中からロンググローブと短いヴェールを取り出して、これまた2人で装着する。

 上半身は純白に包まれた状態。でも下半身には何もつけてないから、陰毛のないつるりとした股間から、『花嫁にはあるはずのないもの』がいきり立って見える。
 でもそのインバランス感がそそる、清楚で官能的で無垢で淫乱で可憐でエッチな、私のための美少女花嫁さん(※性別:男)の出来上がりだ。

「うんうん、アキちゃん。すっごく綺麗♪」
「……なんでこんなアイテムの準備を? 今日エッチする予定まったくなかったよね?」
「実は結構前から仕込んではいたんだ。今日やっと実行に移せたけど」
「……今日は俺、自分が男なことを確認したくて誘ったんだけどなあ」

「うん、いいよ♪ 私の身体に、雅明が男である証拠をいっぱい注ぎ込んでね!」
 白くてレースが控えめに飾る、お揃いのブライダルインナーに身を包んだ2人。
 ベッドの上で身体を密着させて抱き合い、キスを重ねあう。
 回された腕が、サテンの感触で愛撫してくれる様がなんとも新鮮で気持ちいい。

 付き合い始めた最初に比べ、雅明の愛撫も随分上手くなった。
 特に女装でのプレイを初めて以降の上達ぶりは目を見張るようだ。
 彼に女の格好をさせるのは私の困った性癖だけど、それで性的な興奮を覚えてしまうのは本当に困った私の性癖だけど、それ抜きでも女装を始めさせた甲斐があったと思ってしまう。

「今日、私感動しちゃった……そのくらい、今日のアキちゃん凄かった……ぁん」
「俺は本当に一杯一杯で、何とか形になって良かったけど、本当にきつかった。……ゃっ……悠里がどれだけ凄いか改めて確認して、改めて尊敬した……ぁあん」

「でも私、あんなに見事に『幸せの絶頂にいる新郎新婦』に成り切ること出来ないもの……んっ! ……成り切る、ってレベルじゃないな。なんというか、新郎新婦そのもの、だった」
「やめてよ。あれ、一生懸命忘れようとしてるのに……あっ、ぁっ、あぁん!」
「もったいないよ。あれ絶対に武器だよ……っ! ゃん!……」

「嫉妬とかしなかった? ……はぁふ……」
「うん、した。アキちゃんは本当に凄いなあ、って。……んぅっ!」
「彼氏が男と新郎新婦やってることは……あぁぁん……気にしなかったんだ」
「そんな事、軽く吹っ飛んじゃった。モデルなら必要って分かってるしね……あんっ」

 会話の部分は努めて男声を保とうとしてるのに、嬌声の部分は私なんかよりずっと可憐な、少女の声色。2人だけなのに、3Pしてると錯覚しそうな変な状況に心が躍る。

 ふと思いついて、そんな音を奏でる、彼の喉のラインに舌を這わせてみる。
 俊也ほどじゃないけど傍から見て膨らみが判然としない、すっきりした頸。
 でもこうやってみると、男の子の徴が確かにある。不思議にそれが愛おしい。

 そのまま頭を少し上げ、舌を顎の下のラインに沿って往復させる。
 丁寧な手入れの賜物で、毛根の跡すら判然としない滑らかな肌。
 将来女装をやめたとしても、この手入れは続けて欲しいなと思う。
 更に上げて、ぷにぷにと柔らかい頬っぺたの味を楽しむ。

「これだと……ぁん!……なんだか……ゃん!……俺のほうが女の子みたいだ」
 私の舌先による愛撫を浴びて、散々可愛らしい嬌声を上げ続けていた雅明が、息も絶え絶えに抗議してくる。拗ねるような、甘えるような声色だけど。

「こんなの嫌かな? 気持ち悪い?」
「いやそんなことない……とっても気持ちいい……」

 許しを得たこともあり、舌先による愛撫をより激しくする。
 与えられる快感に酔うように目を閉じて、睫毛を震わせる雅明。
 光の当たり加減によっては金色に見える、よく手入れされた長くて濃い睫毛だ。

 頭にはヴェールを付けたそんな姿。
 化粧気のない今でも、この至近距離から見ても、その顔は美少女そのもの。
 この日のために守り抜いた純潔を、愛しの花婿に捧げようとする麗しい花嫁そのもの。

 お揃いの純白のビスチェを身体に纏って、傍から見ればたぶんレズ行為に見えるだろう、2人の世界。
 下半身を隠したまま、『この2人のどちらかは女装した男性です。それはどちら?』と質問したら、十人中九人が、たぶん私のほうを男だと答えるんじゃないか。

 そこまで考えて、ふと下半身を責めてみたくなる。
 肘より長いロンググローブに包まれた指先で、今私の腕の中に敏感に身もだえしている可憐な花嫁さんの男の証を弄ぶ。
 色白の肌を、全身ピンクに更に紅潮させていく様子がなんとも色っぽい。

「あっ、あっ! あぁぁん! ひっ、イク、イっちゃう────────っっっ!!」
 雅明はわりと耐えて我慢していたようだけど、執拗な責めに結局屈服して、少女のような絶頂の嬌声をあげて、私の白い手袋と下着とに、白い精液を解き放った。

 少しの休息を挟んで、攻守交替。
 私がベッドに腰掛け、床に座った状態の雅明が指と舌とで私の股間を責め上げる。
 ぺたんと女の子座りになっているのは、意識しての仕草なのかどうか。

 純白のインナー、純白の手袋、純白のヴェール。そんな姿の花嫁さんが、私の股間に一生懸命ご奉仕してくれる。途中、上目遣いで私を見上げる花嫁少女と視線が交差する。
「うん、アキちゃん綺麗。凄いいい眺め」
「悠里、綺麗だよ。とってもいい眺め」
 ふたりぴったり同時にそんなことを言葉にして、一緒に吹き出してもみる。

 テクもかなり上手い。というか、この3ヶ月で飛躍的に上手くなった。
 教え尽くした、新たに開発された弱点を的確に責めたてられ、快感が全身を駆け巡る。
 アキちゃんのように派手に大きな興奮というのは、私にはやって来ない。
 けれども多分、それに近い状態を、最近は垣間見ることが出来るようになってきた。

 心が体が、徐々に千々に乱れていく。
 正常に制御しようとすればできるけど、今はただ、その大きな流れに身を委ねる。
 サテンの手袋に包まれた、雅明の器用な指先が私の腿の内側の敏感な部分に触れるたび、電流のような感覚がビリビリと伝わっていく。

 前まではこんなことなかったんだけど、変わったのは私の側か、彼の側か、両方か。
 クンニだけでいったん絶頂を迎えた私の身体を、今度は立ち上がってベッドの外から正常位で突き上げてくる。

 激しい動きのせいで、既にヴェールは髪になんとか引っかかっただけの状態。
 純白のビスチェは汗だくで、そんな花嫁さんが一心不乱に突き上げてくる。

 下着の胸のカップ部には最初からパッドが入ってるから、この状態だと普通に胸があるように見える。脱いでも見事なウェストの括れが強調されて、優美で女らしいラインを作る。
 首を振るたびに、さらさらの髪が乱れる。喉からこぼれでる嬌声は相変わらず女の子のようで、でもそれなのに男らしく私の身体を責め続けてくる。

 鏡に映る自分たちの姿は完全にレズ行為のようで、そうでないことは私の膣内の雅明の分身が激しく主張していて。

 雅明の熱さを感じる。
 雅明の脈動を感じる。
 雅明を感じる。

 今日の撮影の光景を思い出す。
 すべての女性が憧れそうな、まるで芸術品のような煌めきを放つ豪奢な純白のドレス。
 その衣装に少しも負けることのない、むしろドレスの美しさをますます高めあっている、若々しく気品あふれる美しい女性。

 最愛の新郎を見つめるその視線は、本物の新婦よりずっとずっと新婦そのもので。
 優雅さと優艶さを兼ね備えたその姿は、本物の女性よりずっとずっと女性そのもので。
 綺麗に化粧されたその美しい花嫁の顔と、今の雅明のすっぴんの顔がぴったりと重なる。
 いつの間にか私は、そのドレスを纏った花嫁に抱かれているような錯覚に陥っていた。

 びっしりと施された細かな刺繍と真珠の飾りと、最上級の絹だけが持つ生地の煌めき。
 耳元で揺れるイヤリングと、頭を飾るティアラの輝き。
 そして内側から光を放っているかのような、純白の無垢な素肌の眩さ。
 錯覚だと頭では理解してるのに、質量さえ伴うかのようなそんな幻覚。

 その光り輝く乙女に今、私はしっかりと貫かれている。
 朦朧とする意識の中、私の絶頂と同時に、美貌の花嫁は私の胎内に精子を振りまいた。

 幻想が解ける。
 豪奢なドレスを纏った王女のような花嫁は、錯覚がなおったあともやっぱり可憐な花嫁で。
 そのほっそりした姿を、思わず全身を使って思いっきり抱きしめる。

 華奢だけどしっかりとした筋肉を秘めた身体。
 シルクに負けないくらい肌触りの良い肌。
 花の香水の匂いに混じる、嗅ぎなれた体臭の匂い。

 極上の美少女であると同時に、しっかりと男でもある不思議な私の花嫁。
 そんな存在と巡り合えた、自分の手で生み出せた幸福感に、私は包まれていた。



『瀬野家の人々』 アキのモデル修行な日々C-3(おまけ)


        <<伊賀真治視点>>

「ね、ね、前こんな看板なかったよね? きれーなモデルさんねぇ」
「いいなぁ、わたしもこんな美人になって、こんなイケメン捕まえて結婚したいなぁ」
「んー、あんたなら、一回死んで生まれ変わらないと無理かな」
「ひどっ?!」
 前を歩いていた女性2人連れの会話が耳に入る。

 今まで気にしたこともなかったけど、確かにこの看板は見覚えがない。
 ホテルの結婚式場のものだろう、美男美女のカップルが、『リア充爆発しろ!!』と叫びたくなるくらい幸せそうに『誓いのキス』を交わしている様子が写っている。
 大学への通り道だから、毎日朝晩に見かけるその看板。
 なぜだか次第に、ウェディングドレス姿のその花嫁が非常に気になっている自分を覚えた。



「あー、今日は愛里ちゃん一緒じゃないのかぁ」
 そんなある日。最近では少し珍しく、アネキとお袋の3人で一緒の晩飯どきの話。
「あらあなた、ちょっと前まで『悠里ちゃん』『悠里ちゃん』って言ってたのに?」
「悠里ちゃんもいいけど、どっちかと言えば愛里ちゃんかなぁ、って」

 テレビのバラエティ番組に片割れが出演してる、双子モデルの会話が姦しい。
 つられて何となく、画面の中に注目してみる。確かに顔もスタイルも無茶苦茶いい美人だ。
「って、あ────っ!!」
「何? 真治、突然」

 食事を中断して部屋に戻り、しまっていたものを探し出して食卓に急ぐ。
 怪訝な表情のアネキをスルーして、見つけたプリクラとテレビに並べてみる。多分そうだ。
「うわっ、何これ凄い。悠里ちゃん? 愛里ちゃん? どっち? 超レアもんじゃん。
 ……で、なんであなたがこんなもの持ってるの。てかなんで一緒に写ってるのよ」

 マシンガンなアネキの質問をかいくぐり、事情を説明する。
 といっても、高校卒業後の春休み、北村と一緒にゲーセンで遊んでいたときに出会って、偶々ナンパしてプリクラを撮っただけなので、あんまり説明できることもないんだけど。

「いいなぁ、いいなぁ。ナマ悠里ちゃんかぁ。……なんで今まで黙ってたのさ」
「いやぁ、てっきり別人だと思ってたし。髪型もメイクも全然違うし、むしろ良く気付いたって褒めて欲しいくらい。……名前も確か、瀬野悠里って言ってなかったし」
「そりゃあんたアレでしょ。芸名」

 あの時のことを思い出そうと努力してみる。
 “悠里ちゃん”は確かに凄い美人だと思ったけど、彼女一人だけなら声をかける気にもなれなかっただろう。おれが惹かれたのは、“アキちゃん”のほうだ。
 まあ、じゃんけんに負けたせいもあって、あの娘は北村に譲る羽目にはなったけど。

 そこまで考えたとき、番組がCMタイムになる。
「あっ、これアレよね。駅前のホテルの看板の。やっぱすごい美人だなあ。憧れちゃうなぁ」
 こういうのには疎いおれでも分かる、例の看板の結婚式場のCM。

「あ────っ! そっか────っ!!」
「真治、近所迷惑よ。あんた声でかいんだから」
 ようやく、今更ながら、『あの看板』の花嫁が気になっていた原因に気づく。
 印象が変わりすぎて分からなったけど、たぶん、あれアキちゃんなんだ。

 ということで夕食後、久々に(彼女のプリクラを持ってる)北村に電話をかけてみる。
「よぅ、北村、久しぶり。あのな……」



 土曜昼過ぎに北村と待ち合わせて、例の看板のところに行ってみる。
 人だかりというほどではないけど、人が看板近くのショーウィンドー前にたむろっている。
 看板の確認もそこそこに、なんとなくその場所に行ってみる。

「これ、人間なのかな?」
「私さっきから見てるけど、ピクリとも動いてないし、瞬きもしてないしマネキンでいいと思う」
「そうなんだぁ。けど凄いリアルねぇ。動き出しそう」
「看板の花嫁さんそっくりだよね。やっぱ美人よねえ」
「ウェストほっそいよねえ。原寸?」
「間近で見るとこれ、ドレスも凄いなぁ。どんなセレブなら着れるんだろ。憧れだなぁ」

 そんなことを言ってるギャラリー連中の上から、自分達の身長に感謝しつつ覗き込む。
 確かにやたらに精巧なマネキン?が置いてあった。
 ドレスの区別なんかつかないおれだけど、多分看板やCMと同じ衣装を着たマネキンだ。
 顔もモデル本人から直接型取りしたに違いない。それくらい似てる。
 けど一緒に覗いた北村は、「アキちゃんっ!」と叫んで、皆の注目を集めてしまった。

 マネキンは当然、反応がない。何も映らない無機物の瞳で、どこかを見つめているだけだ。
「北村、やっぱりあの看板の花嫁、アキちゃんでいいの?」
「……そうだけど、そうじゃない。今あそこでマネキンのふりをしてるのが、アキちゃんだ」
 なぜか確信した感じで言われても、おれには少しぴんと来ない。

 その時ちょうど、1時の時報の音楽が街中に鳴った。
 自分の目で直接見てなかったら、きっと何かのSFXだと思っただろう。
 時報を合図にするかのように、今まで命を持たない花嫁人形そのものだったマネキンが、急に生き生きとした生命を持つ花嫁に生まれ変わる。

 これまで微動もしなかった身体は滑らかで優雅極まりない動きに、作り物の笑顔を貼り付けていた顔は柔らかで華やかな笑みに、ガラス玉のようだった瞳は愛する相手を迎える花嫁そのものの夢見る瞳に。
 周囲で起きた悲鳴と歓声を、おれはひどく遠くで起きたことのように感じていた。

 まわりを見回しながら手を振ったりしていたアキちゃん。
 観客の一員であるおれ達には、特にすてきな笑顔とウィンクまでプレゼントだ。
 そんなこんなで時が進み、時報の音楽が止まる。
 その瞬間に、今までが嘘だったかのように、最初とは別のポーズでぴたり静止する。
 そうなるともう、本当にマネキンにしか見えない。

「すごいな……」
 正直、ため息しか出なかった。



 予めホテルの人から聞いていた終了時刻である6時の、その少し前。
 戻ってきてみると、けっこうな人だかりができていた。
「これ、本当に人間なの?」
「本当だって。もうちょっと待ってて。そろそろ動くはず」

 時報の音楽が鳴り始める。1時の時とは違い、最初は機械的に2、3度瞬きしただけだ。
 それでも、一度見て頭の中で理解していたはずなのに、『動かないはずのマネキンが命をもって動き出す』という非現実的な光景に、強いショックを受ける。

 人形めいた動きで身体を動かし始める。機械仕掛けの人形と言われたら納得しそうな動き。
 それが徐々に滑らかに、人間らしい動きと表情を取り戻し、優美さを備え始める。
 ドレスのスカートを両手で摘み上げ、背筋をきちんと伸ばして礼をした状態で音楽が終わり、そのまま静止してこの短い公演が終わりを告げた。



「アキちゃん、本当におつかれさま」
 それから1時間くらいあと。ホテルの中から出てきた少女に、北村が声をかけた。
 フリルのついた薄手の白いブラウス、少し透ける黒い長いスカート、細い黒いリボンタイ、つばの広い大きな白い帽子。“深窓の令嬢”という言葉が似合う綺麗な少女だ。

「待ってて頂けたんですか。ありがとうございます。北村さん伊賀さん、お久しぶりです」
 あわてて帽子を取り、にっこりと笑いながら、ぺこりと頭を下げる彼女。
「……お疲れ様、本当凄かったよ。おれのこと、覚えてくれてたんだ。嬉しいな」

 おれの知ってるアキちゃんは、どこかボーイッシュなところなところのある、『わりと可愛い』レベルの女の子だった。
 それが今は、アネキやお袋、いやおれの知ってる女性全員とすら比較にならないくらい女らしい、綺麗で上品で可憐で可愛らしい、飛び切りの美少女になっていた。
 よく彼女がアキちゃんだと一目でわかったもんだと、北村に内心で感心しつつおれも挨拶。

「アキちゃん、このあとどういう予定? やっぱり彼氏さんとデート?」
「いえ、事務所に行って、明日のイベントの打合せです」
「うわ、頑張ってるんだなあ。凄いよ。尊敬する」
「ありがとうございます。色んな仕事ができて、毎日充実中、って感じですね」
 今からの予定をいろいろ聞き出し、結局事務所まで一緒に行かせてもらうことにする。

 あの大仕事のあとだというのに疲れを見せない、背筋をぴんと張った流れるような足取り。
 細くて艶やかな髪を今はアップで纏めてるのでよく見える、透明感溢れる白い首筋。
 『笑顔』だけで幾つ表情を持っているのだろう。先ほど無表情なマネキンの演技をしていたとは信じられないくらい、くるくる変わる表情に、おれは見とれる。

「アキちゃん結局、モデルになったんだね」
「はいっ。あれから色々ありまして。でも、あの時の伊賀さんの後押しがなかったら、ならなかったかも。あの時のお礼もまだでしたね。ありがとうございます」
「あの式場、ちょうど大学の行き道にあるから、毎日看板見て、綺麗だな、って思ってた」
「うわっ、なんだかちょっと恥ずかしいですね」

 平日は毎日使っている地下鉄を、大学とは反対方向の便に乗る。
 揺られること10分強、そこから歩いて数分。『事務所』と聞いて都心に行くのか思っていたら、意外なくらいに近場だった。

 前回は比較対象が悠里ちゃんだったから目立たなかったけど、この子も頭が小さくて腰の位置が高い場所にある、スタイル的にも満点な美少女ぶりだ。
 北村と並んで違和感がないくらい背がすらりと高く、胸とウェストの対比も見事。
 何よりも滑らかな白い肌が、周囲の乗客の注目を集めまくっている。

 でも最初は外見の変化に気を取られていたけども、それより大きく変わっていたのは、彼女の内面のほうだと、道中話しているうちに気づく。

 以前あったときは、何かこう、自分を包む殻をおっかなびっくり内側からつついている、孵化寸前の雛ような印象のあったアキちゃん。
 それから4ケ月も経ってないのに、もう自分の翼で大空を飛び始めている。そんな印象。
 一体、これから彼女がどこまで飛んでいくのか、楽しみにすらなってくる。

「アキちゃん本当にすごい変わったよね。おれだけなら分からなかったかも。素敵になった」
「ありがとうございます。以前のあたし知ってる人と会うのはやっぱり恥ずかしいですね。……あたしもう、自分に嘘をつくのやめたんです。可愛くなっていいんだ、って」

 人って、こんなにも変われるもんなんだ。
 そんな感動すら覚えているおれの鼻に、彼女の匂いが届く。
 お気に入りの香水なのだろうか。前会ったときと同じ、花のような微かな香り。
 大きく変わった彼女の中の、変わらない点──それに何故か余計にドキドキしてくる。

 そんな楽しい時間は、あっという間に終わる。
 『こんな場所に芸能事務所があったのか』と驚くような、大きくはない雑居ビルの前。
「そうそう、忘れるところだった。アキちゃん、これ」
「へっ? え? え? え? かっ、かぁいぃーっ!! やっぱかぁいぃーなぁ、もぅっ」

 北村が手渡した白い仔猫のぬいぐるみ。それを見て、大きな目を更に大きく丸くしてる。
「これってあれですよね。最初お会いしたときの」
「うん。アキちゃんが狙ってた、クレーンゲームのぬいぐるみ。今日一日、がんばったね、って、僕たちからのプレゼント」

「いいんですか? ありがとうございます。ありがとうございますっ。やったぁ!」
 原価でたぶん500円もしないアイテムを両手で抱えて、ぴょんぴょん飛び跳ねたりしてるアキちゃん。
 今日、6時のアキちゃんの仕事の終了を待つ間に探して何度も挑戦して、最後は店員さんにお情けで開けてもらったシロモノだけど、この喜びようだけで十分な気がしてしまう。

「本当にありがとうございます。うわっ、今日はいい日だ。かーいぃよう」
 そう言うアキちゃんのほうがずっと可愛く見える。
 柔らかそうな胸の間にぬいぐるみをむぎゅっと抱きしめて、何度もお礼するアキちゃん。
 おいお前、場所変われ。

 別れの言葉を繰り返してビルの中に入る姿とその残り香を見送って、北村に声をかける。
「で、北村。これからどうする? 何か飲みに行くか?」



『瀬野家の人々』 アキのモデル修行な日々C-3’ 2013/07/06(土)


(ね、ね。雅明。見て見て)
(言われなくても、同じもの見てるってば)
(綺麗に撮れてるよねえ。あたしより、雅明のほうが実はモデルに向いてるんじゃ?)
(そりゃないよ。この時も勢いで誤魔化したけど、色々ギリギリだったのは分かってるだろ?)

 俺たちの視線の先にあるのは、一枚の大きな看板。
 豪華な純白のウェディングドレス姿の花嫁が、黒のテールコート姿の花婿と、幸せそうに“誓いの接吻”をしている。そんな大きな写真。
 その下には『2013年7月1日リニューアルオープン!!』の文字が躍っている。

(なんでよりによってこの写真を使うかな? ……というか、この時撮影してたんだ)
(いい写真じゃない。あたしだって、これ見てたら結婚したくなるもの)
(けどこれ、ドレス女装男と男装女のキスなわけだろ? 教育上まずくないか?)
 そう。この看板の『花嫁』は以前撮影した、女装した俺なのだ。

 最近、量産体制に入っている気がしなくもない俺の黒歴史。
 その中でも最大級のシロモノが、新幹線駅も近いこんな人目につく場所に置かれている。
 俺自身があまり来る場所じゃないのが、まだ救いなのかどうか。



(それ、何?)
 今日についての打合せのあと、メイクその他を済ませて入った従業員用の女子トイレ。
 鞄から“ソレ”を取り出したアキに、俺は尋ねる。

(何、ってナプキンだけど?)
(俺、男なんだけどな。どうしてそれが必要なのか、って聞いてるの)
(あれ? 雅明は自覚ないの? 用心しといたほうがいいと思うんだけどな)
 どういう意味だろう。聞いてみたほうがいいような、聞きたくないような。

 これからの7時間(準備撤収含めれば+1時間)、トイレ休憩もないから用を足したくなっても我慢するしかない。一応昨日の昼から飲み物は取ってないけど大丈夫かどうか。
 その最後のトイレということで、最後の一滴まで用を足して丁寧に拭き取る。

 そして俺には本来無縁のはずのその物体を、ショーツの上に慎重に置く。
 ゆっくりと下着ごと引き上げて、ぴったりセット。奇妙な柔らかな感触が、お尻のほうにこっそり覗いた○ンコの先端ごと股の部分を包み込む。
 きちんと装着するために指を前後に走らせるたびに、快感めいた何かが背筋を駆け抜ける。

 男なら一生涯の間、決して知るはずのない感触。
 ……でもそういえばこの前、俊也がナプキンのCM(!)に出演したって言ってたっけ。
(そ。試用に、って渡されたものをもらって来たの。これお姉さまたちにも好評だったし)
 そういえば前、俊也とそんな会話してた気がする。……酷い話だ。

(薄いし、ガサガサしないし、蒸れないし、べとつかないし、それで吸収力抜群なんだって)
 そんなことを言われても、俺は“普通のナプキン”が分からないから比較できない。
 今まさに股間を覆う、慣れないなんか変なくっつく感覚に戸惑うだけだ。
 勃起しかける自分の息子に戸惑いながら、スカートを整えなおして外に出る。

 トイレに入ってきた女性が、悲鳴を上げる寸前、って顔でこちらを見たのが印象的だった。
(あの人の表情、ちょっと失礼じゃない?)
(しょうがないと思うよ。自分の顔、見てみなよ)

 仕立ての良い白いフリル付きブラウス、ハイウェストで足首丈の透ける黒いスカート。
 そんな首から下は良いとしても、マネキン風に化粧した首から上が鏡の中から見返す。
『トイレの中で、動くマネキンに会う』……そんな怪談に出てきそうなシチュエーション。
 本当に悲鳴を上げられなかっただけまだマシなのかも。



(まさか、このドレスを3回も着る羽目になるとはねえ)
 最初はチラシや雑誌向けの写真の撮影で。
 2回目はそれから数日後、CM撮影で。
 CMは元々別のモデルさんがやる予定だったのに、そのモデルさんが出演できない事態になって、『すぐにドレスを準備できる』花嫁モデルの自分にお鉢が回ってきた。

 大学を自主休講して、平日にCMの撮影。
 『見栄えがいいから』ということでこの豪華だけど重いドレスをまた着せられて、15秒と30秒バージョンを一気に撮り切る。
 ちなみにそのCMはもう放送中で、恐ろしいことに県内のテレビ画面には俺のドレス女装姿が映りまくってたりもする。
 どんな羞恥プレイなのかと。

 その撮影の後は“高校の考査の期間”ということで、しばらくは仕事をあけてもらって。
『次の仕事の七夕イベントまでのんびりできる』と喜んでいたのに、急遽入った本日の仕事。
 事務所の仕事欄に、『絵画モデル・人間マネキンも可』と書き加えられたのが恨めしい。

 これは女装した男で、それも俺自身なのだ。
 頭ではそう理解していても、それでも花嫁姿の美女にしか見えない、鏡の中の人物。
 チョーカーで首が、手袋で手先が、スカートでお尻が。意図的なのか俺の体で比較的『男』を残している箇所が隠されているせいで、余計にそう見える。

 ウェスト部ではほとんど水平になるくらいに大きく大きく膨らんだスカート。狭い展示スペースに本当に入りきるのか不安になる。
 その下半身部の対比から更に細く見える、コルセットで作った細いウェスト。
 そこから続く背中の弓なりのラインが、なんだかとても女らしい印象を与える。

 通常でも大きな目が、今は化粧のせいで更に一回り大きく見える。
 重い付け睫毛に縁どられた目は、言われ慣れた言い回しだけど本当に『お人形みたい』だ。
 日本人にしては色素が薄く、少し大きめな瞳がその印象をより強める。

 オフショルダーでほぼむき出しになった、陶器めいた質感の白い肩、白い二の腕。
 例によって光る粉末をかけられたせいで、なんだか肌自体がキラキラして見える。
 毎度のテクで作った偽物の谷間が、ドレスの胸の部分からチラリ覗いているのも女らしい。

 けど何より“女らしい”のは、綺麗なドレスにうっとりとする乙女そのものの表情だろう。

(こら、雅明。あたしのおっぱい見て鼻の下伸ばしてないで。お仕事行くわよ)
 そう言って移動を始めるアキ。
(……って、もう。雅明、邪魔しないでよ)
 抗議されてしまったけど、俺のほうは対応する余裕がなかった。

 付け慣れないナプキンが覆った状態で、後ろ側に回された俺のペニス。
 歩くたびに太腿の間で挟まれて揉まれて、絶妙な刺激がやってくる。
 トイレから控え室に戻る間はまだ我慢できるレベルだったのに、何の加減か今は一歩歩くたびに一発で昇天しそうな快感に変わってしまっている。

 アキはそんな俺をからかうためか、まるでこの場が舞台の上であるかのように大きく腰を振って、スカートを揺らしながら歩いてるし。
 普段オナニーしているときよりも強いエクスタシーが、脚を動かすごとにやってくる。
 展示スペースにつくまでの間に射精に至らなかったのを、自分でも褒めたくなるくらいだ。

 そんな俺のことは完全に無視して、アキはカーテンの降ろされたその狭い空間の中央に陣取り、ポーズを取る。
 街中に鳴る11時の時報の音楽、それを合図にするかのようにカーテンが上げられる。
 これから7時間に及ぶ長丁場。俺とアキの1人による舞台の始まりだ。

 道行く人が、驚いた表情、憧れるような表情、怪訝な表情、様々な表情でこちらを見てる。
 自分が『瀬野雅明』であることを否定され、19歳の男であることを否定され、今度は人間であること、どころか有機物であることすら否定されている。
 胸の奥で、“ジン”という不思議な感触がした。

「これマネキン? 人間? あの看板のドレスだよね」
「んー。マネキンじゃないの? あの看板、修正しまくりだったけどそれに合わせて作ってる」
「修正しまくり、って?」
 なんとなく、どこかで聞いたことがあるような女性2人の声。

「あー。あれウェストとか肌とか、どう見ても画像修正してたじゃない」
「そうなの? よくわかんないけど、広告用の写真って今時そんなもんか」
 苦しい思いをして絞ったウェストとか、気を使いまくっている肌とか、そんな風に思われていたのか。
 ショックでもあり面白くもあり。

「もーしもーし。人間さんですかー? モデルさんですかー?」
 視線のある方向に回り込んで、その記憶にある声の主が、俺に向かって手とか振ってる。
 どこかで見たような、太めの女性……凄い昔、“甘ロリ女装した雅明”として一緒に夕食を食べた女性2人組なのだとようやく気付く。

(アキ、手くらい振り返してあげたら?)
 そう言っても、返答は何も帰ってこない。
 最初にカーテンが開いた瞬間、(『これ』はマネキン。店頭に置いてある、人型の展示物)と脳内で呟いたあと、何も思考が浮かんでこない状態のままだ。

「ねー。やっぱりマネキンでしょ」
「そっか。けど凄いリアルよねー。今にも動き出しそう」
 それからしばらく俺の前で立ち話したあと、彼女たちはそのまま立ち去る。
 女装した俺を見ていた相手に、よく俺だとバレなかったものだと、内心ほっとする。

「このドレス、こうして近くで見ると本当素敵よねえ。私も着たいなあ」
「こういうのが良いんだ。確かにこれ着たエミ、俺も見てみたいけど」
「でも、すっごく高いんだろうなあ」
 それからほどなく、カップルの男女がガラス越しに俺のことを見ながら会話している。
 俺のことをただのマネキンだと信じきった、そんな感じの会話。

 人通りの多い道。通り過ぎるだけの人、立ち止まる人、興味深そうに見ている人々。
 誰もが俺のことを、精巧だけど意識のない、ただのマネキンだと信じている。
 そのことを意識するたびに、身体の芯からじわじわと性的な興奮がこみ上げてくる。
 タックしていなかったら完全に勃起していただろう。先走り液がにじみ出るのが分かる。

 隠れていじって自分を慰めて収めることもできない。ピクリと動くこともできない状態。
 衆人環視の中、なんとも切ない性欲を、俺はただ持て余していた。

 そういえば、とふと思い当たる。
 このお仕事、『人間マネキン』という説明と条件(開始終了と休憩)を確認しただけで、肝心かなめの、『客が人間マネキンに何を求めるか』が聞けてない。
 このまま動かないなら普通のプラスチック製のマネキンを置いてるのと変わらないわけで、それでいいんだろうか。
 そういう疑問を脳内で伝えてみるけど、アキからはやっぱりなしのツブテだ。

 もの凄い長い時間が過ぎたような気がするけれど、でも時報の音楽はまだ1回しか耳にしていない。するとあと5時間以上この状態でいないといけないのか。
 改めてこの仕事のヘビィさにうんざりしてしまう。

「看板の花嫁さんそっくりだよね。やっぱ美人よねえ」
「ウェスト細いよねえ。原寸?」
「間近で見るとこれ、ドレスも凄いなぁ。どんなセレブなら着れるんだろ。憧れだなぁ」
 それでも(本人がもろに聞いてるとも知らずに)自分の容姿やドレスを褒める言葉を聞くと、嬉しい感情が心の奥から湧いてくるのを止められない。

 そんなことを考えつつ、でも表面的には感情を持たないマネキンを演じているとき、唐突に「アキちゃんっ!」と聞き覚えのある声で叫ばれてしまう。
 意識を占めているのが、俺でなくてアキでなくて良かった、と思う。俺なら凄い勢いで反応していたところだ。
 ……そもそも俺なら、始まって3分も耐えられなかったとも思うけど。

(この声、北村さんか。随分久しぶりね)
 何故か唐突に戻ってきたアキの言葉に思い出す。昔俺たちがナンパされた、元バスケ部2人の片割れか。なんでこんなところにいるのやら。
(そうそう、その北村さん。雅明がキュンキュンしてた相手ね)

(なんだ、アキ。変な言い掛かりして。俺はホモじゃなくてノーマルだっての)
(男なのに土曜の昼間から街中でウェディングドレスを着て女装して、知らない人に自分の姿を鑑賞されてハァハァ言ってるのは、じゅーぶんアブノーマルだと思うけどな)
 内心自覚があるだけに、アキの言葉がグサグサと心に突き刺さってくる。

 北村と……確か伊賀だったっけ、2人はまだ何か言い合っているようだけど、喧騒に紛れて半分も聞き取れない。
 ただ北村が、なぜか俺がマネキンでなく“アキ”本人と確信してることは、途切れ途切れの中伝わってくる。

(なんでこいつ、俺がマネキンじゃないって分かるんだろ。他は大体誤魔化せたのに)
(ほら、やっぱりあれじゃない? ラヴの力)
(やめてくれよなあ)
 北村と“誓いのキス”をしている花嫁姿の俺を、一瞬想像してしまってげんなりする。

(そうだ、アキ。このままだと普通のマネキンと変わらないし、少しくらいは動いたほうがいいんじゃない? でないと『人間マネキン』のメリットがないし)
(そっか、雅明は北村さんに挨拶したい、と。うん、分かった)
(違うって、そういう話じゃなくてな……)

 その時ちょうど、図ったかのように1時の時報の音楽が街中に鳴り始める。
(じゃ雅明、やってみるね)
 実に2時間ぶりの瞬きをして、これまで自分を生命のないマネキンだと信じ切っていたギャラリー相手に笑顔を振りまき始める。
 北村相手にはウィンクまでするサービスぶり。

 周りに湧き起こる、驚きの悲鳴と感嘆の声。
 なんとも不思議な快感が背筋を駆け抜け、軽くイってしまう。
 それでも表面上は平然と、周囲に愛想を振りまいて、時報の音楽が鳴り終わると同時にピタリと静止する。
 やばい、周りの反応が楽しすぎる。ドヤ顔のアキの表情が目に浮かぶようだ。

(じゃあ、またマネキンになるわね)
 そう言って、再び無機物の無思考に戻るアキ。
 アキが狙ってやったのか分からないけど、ウェディングドレスを着てマネキンのふりをしている俺を見つめる、北村の熱い視線がもろに視界に入っている。

 パニエとスカートの何重もの布の塊に覆われ、女ものの下着類とナプキンで隠され、後ろに回された挙句に接着剤で止められて。
 そんな状態なせいで、外からは絶対に充血しているとはばれないはずだけど、実はずっと俺の息子は興奮状態だった。

 でも、北村の視線を意識するたびに、そことは別の場所──下腹部のあたりがジンジンと熱くなるような、不思議な興奮を感じる。
 ──アキと雅明。この感情は一体どちらのものなのだろう?



 失敗したかな? と、北村たちがその場を離れたあと、少し後悔する。
 さっき動いたせいで、俺のことをただのマネキンだと思ってくれる人がかなり減ったのだ。

「近くで見ると、このドレスこんなになってるんだ」
「刺繍とか真珠とか本当にびっしり」
「スカートもトレーンも迫力あるなあ」
「この人って、CMに出てたモデルさん本人よね? なんだかすごいなあ」
「本当に美人よねえ。手足長いし、スタイルすごい良くて羨ましい」
 そんな意見には内心湧き上がってくる喜びを隠せないし、

「えーっ?! 本当にこれ生きてるモデルさんなの? 信じらんないっ! だってだって、お肌とか人間にしてはツルツルしすぎてるし、お目々もありえないくらい大きいじゃん」
「ツイッターにそう書かれてたけど、自分じゃ確認してないからなあ。なんか自信なくなってきた。瞬きもしてないし……瞼の上に目を書いてるわけじゃないよね?」

 という会話には内心ニンマリしてしまうけど、でも『意識を持たないただのマネキン人形』だと信じ込まれて、自分がそこにいないように鑑賞されて会話される、それを自覚した時に感じる性的な興奮にはやっぱり勝てない。

 ……いや、俺がそんなことに興奮する超絶変態だったとか、知りたくなかったんだが。

 それはともかく、この仕事で大変なのは、時間の経過がやたらと遅く感じることだ。
 もう何日間もここでじっとしている気がする。
 今後の一生マネキンにされてしまって、もう二度と解放されることがない気がしてしまう。
 時報の音楽が鳴ってる間だけが、自分が動いていられる時間。
 それももう、とっくに何回目か分からなくなって、何百回何千回となく繰り返している気がしてしまう。

 それでも時間は過ぎて、待ちわびていた時報の音楽が街に鳴り響く。
 前回の時に「もうそろそろ5時だし~」って言った人がいたから、今回が最後というのだけは把握できている。
 自分がマネキンではなく人間であって、身体が動くものだと理解するまでしばらくかかる。動きがぎこちないのが自分でも分かる。
 体も心も、本当に機械仕掛けの花嫁人形になってしまっていたような錯覚がする。

 それでも徐々に、もとの動きを取り戻していく。反応を見るに、幸いに最初のぎくしゃくさも演技の一部に思われたような印象でほっと少し安心。
 周囲を見回しているうちに、何故かまた来ていた北村と視線がピタリとあってしまう。
 心臓がぴょこんと飛び跳ねたような感触。仕事中というのにドキドキが止まらない。

 彼の目には、自分の存在はどう映っているのだろう。
 この素敵なウェディングドレスに、見合った花嫁に見えていれば良いのだけれど。
 もう聞き慣れた音楽に合わせて最後の公演を済ませ、最後にスカートを摘み上げて一礼。
 カーテンが降りるまでの時間がいやに長く感じた。



 ドレスを脱いで従業員用女子トイレに駆け込み、個室で付けていたナプキンを取り外す。
 赤いオリモノならぬ、白い精液がついていて死にたくなる思いだ。
(ね、雅明。ナプキン付けてて良かったでしょ?)
(あー。うん、認める。万一ドレスに精液ついたら洒落になってなかった)

 匂いが広がらないうちに慌ててビニールに入れて鞄につっこんだあと、いつものように便座に腰掛けてほぼ8時間ぶりの用を足す。ほっと一息。
 ……って何か変だ。いつの間にやら意識の主導権がアキでなく雅明に切り替わっている。
 ごく自然に女子トイレに入ったのは、アキだったのか雅明だったのか。

(んー。あたしにも良く分かんない。最後の時報の前から雅明だった気もするけど)
 アキの言葉に困惑しつつ控室に戻って、少しの休憩のあと普段用のメイクをする。
 白いブラウスと黒いスカートをきちんと着て、黒いリボンタイを結びイヤリングをつける。
 もう少しお洒落したい気分がして、髪をアップに纏めて香水を振る。

 10年前、一番初めに女装をしたときの衣装によく似た服。その少女が美しく可憐に成長を遂げたかのような姿に、これが自分だと分かっていてもトキメキを感じる。
 さすがに少し疲労の陰が見えたけど、気を引き締めなおして心からの笑顔で吹き飛ばす。

 仕事の後始末まで終えてホテルを出る。
「アキちゃん、本当におつかれさま」
 横からかけられた声を、俺は予想(あるいは期待)していたのだろうか?
「待ってて頂けたんですか。ありがとうございます。北村さん伊賀さん、お久しぶりです」

 帽子を脱いで、声の主である北村とその隣の伊賀にぺこりとお辞儀をする。
 モデルをやっていて、自分より背の高い女性や、自分と釣り合う背丈の男性は割と見慣れた存在になってきていた。それでもこの2人の身体の大きさはやっぱり別格だ。

 なんだか意識が、10年前の小さな少女である自分に引き戻される感覚がしてしまう。
 偽物の胸の丘が、呼吸のたびに緩やかに上下しているところが、当時とは異なるけれど。
 伊賀とか、視線がついつい胸元に行くのを止められてないし。
 本人はこっそりやってるつもりだろうけど、分かってるんだゾ。

「アキちゃん、このあとどういう予定? やっぱり彼氏さんとデート?」
「いえ、事務所に行って、明日のイベントの打合せです」
「うわ、頑張ってるんだなあ。凄いよ。尊敬する」
 18歳になりたての女の子、“アキ”に成り切って、色々会話。

 いつも内心気恥ずかしい思いをしてて、終わったあとに自殺したい症状に駆られるなりきりプレイ。でも今は別の種類の気恥ずかしさが胸の奥にこみ上げてくる。
(まるで、初恋の先輩の前で平常心を装って普通に振る舞おうとする、健気な恋する乙女みたいだねっ☆ とってもとっても可愛いよ)
 アキはあんまり俺の心をえぐらないでくれると嬉しい。

 早く別れたかったのに(アキ:本当に?)、3人一緒に事務所の前まで行くことに。
「あたしもう、自分に嘘をつくのやめたんです。可愛くなっていいんだ、って」
 色々互いの近況を確認する会話をして。その中でつい自分の口から飛び出た言葉に戸惑う。

 雅明は男の本当の自分で、アキは女装の気恥ずかしさを誤魔化すために生んだ仮想の女の自分──にしてはきっちり自我を持ちすぎてる気もするけど──そう認識してたけど、ひょっとするとそれは勘違いだったのかもしれない。
 自分に嘘をついてるのが雅明で、ついてない素直な本当の自分がアキ。そういう差。

(ようやく今更気づいたんだ?
 『女装なんて嫌だ』『可愛いくなりたくない』──それに、『目立ちたくない』『平凡でいたい』。
 そんな【嘘】をやめたのがあたしなの)
(今、会話してるんだから、割り込んでこないでよ)
 それは少なからずショックな話。
 間違いや勘違いならいいんだけど。

 気が付くともう事務所前。マネキンを演じていた時とは違って、時間の経つのが早いこと。
 別れようとする自分に、北村さんが鞄から何かアイテムを取り出す。
 差し出した掌の上に、「プレゼントだから」とちょこんと置かれた、白い仔猫のぬいぐるみとご対面。

 何だか記憶に引っかかる……って、“アキ”として最初に外出した時、欲しかったクレーンゲームの景品か。これ、わざわざ取ってきてくれたんだ。
 あの時も可愛いと思ったけど、目の前で見ると本当に可愛い。
 気が付くとアキと2人でピョンピョン飛び跳ねて、場所も考えずに大喜びしていた。

 冷静に考えると20歳近い男が貰って喜ぶものでもないんだけど、でも何故か止まらない。
「本当にありがとうございます。うわっ、今日はいい日だ。……可愛いよう」
 何度もお礼して、そのまま別れてビルに入り、ひとけのない階段を上る。

 結局、北村さんはあたしを『お持ち帰り』する度胸はなかったんだ。
 紳士的なのはいいけど、時にはもっと積極的にならないとね……それともあたしって、そこまで魅力的な女の子じゃないのかなあ。
 そんなことをナチュラルに考えている自分にふと気が付いて、とても怖くなった。



「おはようございまーっす」
 深呼吸して気を取り直し、元気に事務所のドアを開ける。そこかしこから返ってくる返事。お姉さまたちがいると教えてもらった部屋に入る。
「お姉さまがた、おはようございます。……遅れちゃってごめんなさい」

「アキちゃん、おはよ。お仕事すごかったんだってね」「……むぅ」
 いつもは明るく返事を返してくれる悠里が、女装した俺の顔を見た瞬間むすっとしてる。
「……お、お姉さま、なんでしょう?」
「──浮気の気配がする」

 いつもは俺が男と抱き合おうがキスしようが気にしない悠里なのに、なんだか雲行きが怪しい。今までこんなことはなかったはず……って、そういえば一度あったのを思い出す。
 確か以前、北村とデート──じゃない、北村に買い物の同行をお願いした時に、こんな瞳で俺を見たことがあった。あのとき、二度とこんな顔させまいと誓ったはずなのに。

「お姉さまっ、申し訳ありませんでしたっ」
「……釈明を聞きましょうか」
「その、仕事帰りに北村さんたちがやってきてですね、事務所まで送りたいっていうから断れなくて、一緒にここまで来ただけです。キスもハグも手繋いだりもしてないです」

 土曜の夜。ブラウスにスカートを着て、下着まで女ものを身に着けて胸を膨らませて、長くなった地毛の髪を女らしくアップに纏めて化粧もイヤリングもした完璧な女装姿の俺。
 そんな格好で、愛しの彼女から【男】相手の浮気を疑われるという、きつい状態。
 でも一番きついのは、自分でも完全にそれを否定しきれないところだろう。



 そのあと入ってきた瞳さんから明日の説明を受けて、事務所を出て俊也と別れて、閉店間際のショップに飛び込んで、料金悠里持ちで何故か2人分の浴衣を購入。
 それを包んでもらって店を出て、遅めの夕食を悠里と2人で取る。

「……やっぱりアキちゃんって、本当に可愛いなあ」
 ここまでずっと、まともに悠里の顔も見れない状態。
 そんな俺をじっと見つめて、悠里が感心するかのようにしみじみと呟く。
「顔も性格も可愛いし、男だったら誰でも惚れてしまうのも分かるな」

 俺は返事に困って、「……それはお姉さまもですよね?」というのがやっとだった。
「私? 私はあんまり男からは好かれないのよね。その分、女性からの好感度が高い、って分析結果を今日、事務所の人に見せてもらって、なんだかすごい納得しちゃった」

 すらりとしてスタイルが無茶苦茶良くて、目鼻立ちのきっちりした美人で、自己がしっかりしてて、頭が良くて、(家事以外は)何でもテキパキとこなして。
 俺が恋人を名乗っているのもおこがましいくらいの、男なら誰でも憧れる存在だと思っていたけどそうでもないんだろうか。

「愛里も私と同じ感じ。ただ男受けは私より随分いいかな。
 で、アキちゃんは中高年と子供が好感度高めで、男受けが無茶苦茶良くて、逆に若い女性層からの好感度が案外イマイチ」
「──そんなのが出ちゃうんですね。でもなんだか変な感じ」

「でまあ話を戻して。……何を言いたかったかというと、ごめんなさい、ってこと」
「へ?」
「私も忙しさにかまけて、最近あんまり構ってられなかったなあ、って反省してるの。これじゃあ、恋人をほかの男に寝取られても仕方ないのかな、って。
 このデートも、さっきの浴衣のプレゼントも、私からのお詫びのつもりなんだから」

「……怒ってるんじゃないんですか?」
「そりゃ、怒ってますよ。でも私にも悪いとこあるんだから、そこは改めていかないとね。これからますます忙しくなるし。
 ……ほら、アキちゃん。こっちを見て。はい、あーん」
 視線を上げると、豆腐ハンバーグをつまんだ悠里の箸先がある。

 少し戸惑って、それをパクリと口に入れる。
 狐につつまれたような、でも甘酸っぱい気分。
「ありがとう、お姉さま。あたしからも、あーん」
 ちょっと調子に乗って、自分も同じように一つまみして食べさせてみるバカップル状態。
 でも傍からは、『仲の良い女の子同士の微笑ましい戯れ』に見えるんだろうなあ。

「そういえば、ますます忙しくなるって、もうすぐ夏休みですよね?」
「その前に前期末があるし、8月にドラマの撮影が入ったから、それにほとんど時間が取られちゃう。だから隙を作ってイチャイチャしないと」
「おめでとうございますっ。ついに女優デビューですね。……どんな役なんです?」
 正直寂しいしツラい。でも彼女の夢は応援するのが彼氏としての努めだろう。
 これがアキならどんな反応をしたのだろう? 北村と別れたくらいから何も言ってこないけど。

「大正時代を舞台にした探偵ものでね。○○さんが主演の探偵役で、私がその少年助手役。ついでに愛里が、華族の令嬢役だっけ」
「あら女優じゃなくて男優デビューなんですね。……でも、○○さんかあ。懐かしいなあ。あたし昔大ファンで、あの人の主演の映画は何回も見に行ってました」
 その後映画を見に行くどころかテレビも家にない生活が始まって、興味も薄れていた。
 ……そう思っていたのに、彼と共演できる悠里と俊也を、羨ましいと思う自分がいた。



 食事処を出て、ホテルに入って、お風呂に2人でゆっくり入って。
 その間中、ほとんどずっと2人で話っぱなし状態。悠里と2人だけでこれだけ色々と会話するのもずいぶんと久々な気がする。
 それだけの言葉を重ねて、改めて俺はやっぱり悠里が好きだと思う。

 外見だけじゃなくて、自分の夢を実現させるため、努力を重ねる内面が好きだ。
 もちろん外見も好きだ。小さな顔、細い首、薄い肩。さっき買ったばかりの正統派な浴衣が良く似合っている。湯上りの肌が、朝顔の花咲く濃紺の衣装によく映える。

 まあ、俺を女装させておもちゃにして楽しむ部分は困ったものだけど。
 ──いや。今日アキが言っていたことがもし本当なら、その部分すらひっくるめて、俺は彼女のことが好きなのだろう。

「悠里……愛してる。惚れ直しちゃうな。凄く綺麗だ」
「あらあら、ありがとう。“アキちゃん”も凄く可愛いよ。惚れ直しちゃう」

 鏡の中に視線を移す。
 ピンク色の生地に赤い金魚が泳ぐ。襟元袖元には白いフリル満載で、ミニ丈の裾から白くてすべすべの脚が覗いてる、そんな浴衣姿の可憐な美少女……いや女装男。
 いかにもアキが好きそうなデザインの衣装。心なしか俺の顔も嬉しそうに緩んで見える。

 もう殆ど意識しなくても、日常の中でもいつの間にかするようになっていた姿勢を、より意識的にポーズしてみる。背筋をピンと張って肩甲骨を互いに引き寄せ、胸を張る。
 右肩を下へ落とし、ヒップを上に思いっきり持ち上げる。
 頭の中に浮かべた『S』の字に、全身のラインを合わせるイメージで。

 こうすると身体の曲線美が強調されて、本当は男のはずの自分の身体が、いっそ蠱惑的と言いたくなるくらいに『女』の魅力を放つ。
 両手を胸の前で軽く組み、小首を傾げて鏡の中の自分に微笑んでみる。
「もう、アキちゃんってば、ほんっとーに可愛すぎっ!」

 いきなり抱き付いてこられて、帯が潰れるのも構わずベッドの上に押し倒されてしまう。
「やんっ! お姉さまっ、いきなりすぎっ……はぐっ!」
 抗議の言葉も悠里の唇でふさがれ、身体の芯から突き上げる快感の衝撃に、身体が弓なりにしなってしまう。意識と関係なくビクン! ビクン! と身体が反応する。

 まだキスだけというのに、目の前で火花が散り、飛びそうになる意識を留めるのがやっと。
「あぁっっ……っ! はぁぁあぁんっ! ゃっ! お姉さまっ、お姉さまあっ!」
 何度絶頂を迎えたかも分からない長いキスが終わり、そのまま2人の唾液が混じり合った舌先で俺の頬や顎を舐め始める。そのたびにいやらしい声が溢れるのを止められない。

 最近の悠里のお気に入りなのか、舌先で喉を丹念に何度もくすぐってくる。
 そんな場所まで性感帯になっていて、その度に快感が身体の芯で弾ける。
 そっか。今日は7時間耐久で寸止めしてたようなものだから、余計に感じてしまうのか。完全に朦朧とした頭に、そんな考えがふわりと浮いて消える。

「なぁんでアキちゃんって、こんなにも可愛いのかなあ」
「ふにゅ?」
 ピンクの浴衣姿で喘ぐ俺の上にまたがって、少し攻め手をやめていた悠里が、不思議そうに呟く。
 涙目の俺の瞳に映る濃紺の浴衣姿が、ありえないくらいに綺麗。

「──触れれば溶けそうな粉雪みたいな肌がいいのかな。端正なのに愛くるしい顔がいいのかな。無垢で純粋な笑顔がいいのかな。思わず守りたくなるような、儚げで危うげな感じがいいのかな。それでいて頑張り屋で、家事が上手いのがいいのかな。
 キスも知らない清純な印象なのに、このエッチで感度のいい躰がいいのかな」
 これは何だろう。どれもとっても、“俺”には程遠いように感じる言葉の数々。
 でもそれらを自分のこととして素直に受け取って、喜びを覚えている“あたし”もいて。

「──私もアキちゃん見習って、もっと女らしくなって、男受け良くしたほうがいいのかな?」
「あ……あたしは、お姉さまのことが大好きですよっ? それでいいんじゃないですか?」
「──そっか。──そうだね。アキちゃんありがとっ。もう二度と浮気なんてしないでね」
 今までの狼藉ではだけ始めた襟元に、そう言って再び舌先による責めを始める悠里。

 「浮気なんてしてない」って言いたかったのに、それは自分の口から飛び出す声にかき消される。
 ピンク色した女ものの可愛らしい浴衣に包まれた身体が、いやらしく震え、くねり、暴れまわる。そのたびに結んでいた帯が緩み、露わになる面積が大きくなっていく。

 鎖骨を舐められて思わず身体をよじり、そのせいで更に露わになった胸元まで舌が下がり、とうとう乳首まで到達する。
 2人とも下着をつけずに素肌の上に直接浴衣を着たから、ブラジャーもなくて何も隠すものがない状態。その乳首から来る快感に、心と体が大きく弾ける。

 同じようにはだけまくった裾の部分から、露わになった股の部分が見える。
 お姉さまの言いつけに従って脱毛して、一本の毛すらなくパイパン状態の一筋の割れ目。
(俊也にリムーバーをもらいそこねて……タックはずせなかったから……)
 まともに考えることもできない脳裏にそんな考えがよぎるけど、もう意味も理解できない。
 ただただ、そのスリットの奥からこみ上げてくる快感に翻弄されるだけだ。

 ふと、密着していた身体が離される。
「アキちゃんって、本当にピンクが似合うのね。浴衣もそうだけど、ほてった肌が凄く綺麗」
 自らの浴衣の帯を緩めつつそう言うお姉さま。でも呼吸を荒くするだけで答えることもできない。
「このツルツルの割れ目ちゃんも、とっても素敵……色々、ありがとうね」

 お姉さまに褒められて、その誇らしさにもう胸いっぱいになる。
 あたしの脚を持ち上げ、松葉崩しのような体位。さっき褒められたあたしの割れ目に、露わなったお姉さまの割れ目をぎゅっと合わせてくる。
 気持ちいい! 気持ちいいっ!! 気持ちいいいいいっっ!!!

 今までの快感すらただのさざ波にしか思えない、圧倒的な感覚が爆発する。
 肉体はそれをまだ快感だと把握できているようだけど、脳が完璧に追いついてない。
 快感というより、むしろもう【白】とでも名付けたくなるような炸裂感。
 今の一瞬で失神しなかったのは上出来だと思う。

 いつからあたしは、こんなエッチな女の子になってしまったのだろう?
(ある意味、生まれつきだと思うよ? 雅明がこんなに淫乱なのは)
 ……あたしを『雅明』と呼ぶこの声は誰なのだろう? あたしはアキって名前なのに。
(うーん、それならそれでいいやっ☆ いや、それもひとつの正解なんだし)

「アキちゃん、とってもエッチで可愛いっ!」(アキちゃん、とってもエッチで可愛いよっ)
 お姉さまの、半分叫びのような声と、脳内の不思議な声がきれいにハモる。
「お姉さま、お姉さまっ、おねえさまああっっ!」
 弓なりにしなるあたしの躰から、自然とそんな甲高い絶叫が溢れ出る。

 濃紺の浴衣と、ピンク色の浴衣。もうほとんどはだけてその下の肌が覗いた状態。
 そんな美少女2人が、複雑に身体を絡ませあっているシーンが目に飛び込んでくる。
 一瞬その奇跡のような美しさ見とれたあと、ようやくそれが鏡の中の自分たちだと気付く。

 もう限界はとっくに超えていたのだ。
 それを理解した瞬間に訪れた高揚感と陶酔感と【白】とに全身を包まれながら、あたしの意識はぷつりと途絶えた。



『瀬野家の人々』 アキのモデル修行な日々D-1 2013/08/09(金)


 目を覚まして、時計を見る。うん、目覚まし時計が鳴る2分前。
「ましろん、ふーみん、ゆっちん、おはよっ☆」
 ベッドの上のぬいぐるみさんたちに小声で挨拶して、2段ベッドの下を覗く。
 愛里お姉さまはまだ、柔らかな寝息を立てているところだった。

 目覚ましが鳴らなかったことに感謝しつつ、音を立てないようにそうっとベッドを降り、着ていたネグリジェから花柄ピンクのルームウェアに着替え、部屋を出る。
 最近部屋替えして相部屋になった、あたしと愛里お姉さま。
 昔の俊也さんの部屋が、今は雅明と俊也さんの相部屋ということになっている。

 あたし的には、この部屋替えで可愛い小物を遠慮なく置けるようになったのが嬉しい。
 匂いも素敵だし、人も遠慮なく呼べるようになったし、なんでもっと早くこうしなかったのかと思ってみたり。

 朝の新鮮な空気を深呼吸して洗面所に。
 鏡の前でもうすっかり日課になった、笑顔の練習だ。
「うんうん。あたし、とっても可愛い☆」
 今日も素敵な一日になるように、素敵な笑顔でがんばろう。

 朝のスキンケアを手早く済ませて、キッチンに入ってエプロンをつける。
 ピンクでフリル付き、黒猫に白猫が寄り添ってるプリント付きの、最近のお気に入り。
 今日は麦とろごはん、ワカメの味噌汁に焼きシシャモの和風メニューだ。
 平行してお昼のお弁当も。カロリー控えめで、スタミナがあって、美容によくて、栄養バランスがよくて、美味しい食事。工夫のしがいがあって、なかなか面白い。

「相変わらず美味しそうな匂いね。アキちゃん、おはよう」
「おはよっ、ママ」
 あたしの頭をなでなでして、一緒にお料理してくれる。相変わらず、見とれちゃうくらいの腕前だ。

 楽しい会話を母娘でしつつ、楽しいお料理。こんな時間をちょっと前まで持てなかっただなんて、なんてもったいないことをしてたのだろう。
「うん、あとはよそうだけだから、アキちゃん、みんなを起こしてきて」
「はーい、ママ」

 まずはあたしたちの部屋に戻り、部屋の明かりを灯す。
 愛らしく寝息を立てている愛里お姉さま。まるで天使のようだ。
 長い睫毛とすべすべのほっぺ、額の描く曲線美、形のいい唇に見とれる。
 思わずその唇に、自分の唇を重ねてしまう。

 ほんの一瞬、軽いキスだけのつもりだったのに、愛里お姉さまが抱き付いてきて、いきなりディープキスに。
「?!っ ……んっ? ぅんっ……!」
 思わず脚から力が抜けて、思いっきり抱き合う形でベッドに重なり合う。

「んーふ♪ 朝のアキちゃんキスげっとー♪ おーはよっ♪」
 身体を起こして、唇に指をあてた愛里お姉さまの、爽やかな笑顔が眩しかった。

 ドキドキしてる胸がちっとも静まらないのに困惑しつつ、次はお姉さまの部屋。
 ノックをして「どうぞー」と言われたので開けてみると、お姉さまは既に起きていて、全裸で鏡の前で身体のラインとか確認しているところだった。
 その美しい姿に、思わず息を呑む。

「おはよっ♪ アキちゃん」
 振り返りながら笑いかけるその顔に、ぴょこんと心臓が飛び跳ねる感触がする。
「お姉さま、おはようございます。朝食の準備が出来てるので、来てくださいね」

 最後にパパを起こしてあげて、一家みんなが食卓に並ぶ。素敵な光景。
(──おはよ、雅明)
(おはよ♪ アキ)
 頭の中で、眠たげに挨拶してきたアキに対しても挨拶。

 ……ってちょっと待った。“あたし”……じゃない、“俺”は雅明なのか?
(なぁに、雅明。なんでそんな変なこと言ってるの?)
 大学が夏季休暇に入って以来、ずっと女装しっぱなし、タックしっぱなしで男姿に戻ったことがないとはいえ、なんで俺はここまで『女の子』に順応してるのか。
 ──俺はもう、駄目かもしれん。



 準備と最低限の家事を済ませて、家を出る。
「アキちゃん、おはよう。こないだのキャロットケーキありがとう。おいしかったわぁ」
「坂本さん、おはようございます。お口にあって何よりです」

「うちの亮、普段人参食べないくせに『美味しい、美味しい』って。人参のケーキってばらしたらウゲって顔したけど、アキちゃんの手作りって教えたら『もっとないの?』、だって」
「あはははは。でも、嬉しいです」
「こんな可愛いし、性格いいし、料理もお菓子も上手だし、本当、いいお嫁さんになるわぁ」

 雅明のときには黙って頭を下げて通り過ぎるだけの、近所の住人たち。
 それが“アキ”になったとたんに、親しく言葉を交わす知人・友人たちになる。
 20年くらい実際に生きてきた実在の男性『雅明』より、半年前には影も形もなかった非実在の少女『アキ』のほうが、もう知り合いの数が多いんじゃないのか。
 改めてそのことを実感させられて、なんとも不思議な気分に包まれる。

 唇や顔を覆うヌメヌメ感、妙な匂い。
 耳たぶの圧迫感、耳元で揺れる重み。
 風になびく髪、その度に届くシャンプーの香り。
 呼吸のたびに緩やかに上下する胸。
 ピンクの可愛らしい日傘、日除けの白いショール、長手袋。
 足首丈の淡いブルーのサマードレスの裾が、脛毛のない脚に絡む感触。
 『慣れるため』と履かされているハイヒールの不安定感、締め付け感と、コンクリートを叩くコツコツという音。

 おかしな気分だ。
 とっくに慣れたはずの『女らしい』色々なことが、なぜか妙に気になる。
 一歩間違えればただのキモい変態の、女装した男。それなのに『背の高い可愛い女の子』として疑いもなく受け入れられる、見られる、扱われる、振る舞うことを要求される。
 とても奇妙な、自分でもよくわからない、ふわふわした気分がした。

「瞳さん、おはようございまーすっ」
「おはよう、アキちゃん。……何かいいことあったの? なんだかいつもより嬉しそう」
 そんなこんなで事務所到着。……俺が“嬉しそう”? そうなんだろうか?
「あたしはいつも通りだと思いますよ? お姉さまたちはもう出ちゃいました?」
「2人はここは少し立ち寄っただけね。ちょっと早いけど、わたしたちも出発しましょうか」

 8月に入ってからずっと、悠里と俊也はドラマの撮影にかかりきり。
 女優になるのが夢と悠里は言っていたから応援したいけれども、せっかくの夏休みに土日以外ほとんど顔を合わせる間もないのが悲しい。せめて仕事場が一緒なら良かったのに。
(これはまあ、昔、俺がファンだった某男優が主演のドラマの撮影という理由もあるけど)

 たしか、大正時代を舞台にした探偵もの。。
 大正の女学生スタイルは可愛くていいけれど、時代考証のしっかりしたドレスは重くて動きにくくて大変、と悠里がぼやいていたことを思い出す。
 ……まあ俺も今、その『時代考証のしっかりしたドレス』を着ているわけだが。


「本当、綺麗ねぇ」
「お姫様そのものって感じ」
「フランス人形みたい」
「身体細いのねえ」
 スタッフさんたちの賞賛を、素直に喜びそうになっている自分が嫌だった。
 コルセットをこれでもかというくらいに締め上げ、スカートを鳥かごみたいなモノで思いっきり膨らませた“ヨーロッパのお姫様”みたいな、淡いピンクの生地に花柄のドレス。

 衣装合わせの時に、ロココ朝のドレスを完全再現って言われたっけ。よく覚えてないけど。
 一応自分の身体に合わせてもらったけど、それでもドレスは男が着る衣装じゃない。そんなことをしみじみ実感させられる、きついドレスだった。

 今日のお仕事は、とある企業の新製品のCMの撮影。
 朝から相方の俳優相手に普段着でリハを繰り返し、このレトロなドレスが本番用の衣装。
 ……ただ、この『とある企業』というのが少し問題で、『あいつ』の会社なのだ。
 今のところ顔も見てないけど、撮影後食事に、とかあるんだろうか? と思ってたら。

「──実に懐かしいよ。昔を思い出す。アキさん、綺麗だ」
 かけられた声の主を見て、思いっきり吹き出す。そうきたか。
 視線の先には、『あいつ』=『このCMのスポンサーの会社の社長』=『デンパナンパ男』が、王子様の出で立ちで立っていた。美形ではあるし、似合ってはいる……のだけれど。

 リハで相手した俳優氏はダミーだったのか。流石にひきつった笑みしか出てこない。
「本当はリハーサルから一緒に居たかったんだけど、どうしても都合がつけられなくてね」
「それはいいんですが……『昔』、って何のことでしょう?」
 ひょっとしてこいつ、10年前の“アキ”の知人だったのか? 少し身構えて質問する。

「ごめん……そうだよね。君には前世の記憶なんてないんだよね」
「すいません、この社長さんって、いつもこんな感じなんでしょうか」
 思わず、このCMの担当役をしてくれていた中年男性の社員さんに聞いてしまう。
「いえ、こんな社長は初めて見ました。基本、生真面目なかたですし」

 しかしどうしよう。突っ込みどころが多すぎて困った。

 何か言いたげな瞳さんとか、話したいことは色々あるけれど、でも撮影を開始しないと。
 頭の中で流れを確認する。
 最初は昔のヨーロッパ貴族の衣装で2人で登場。その後商品紹介が入り、現代のスーツ姿で2人、職場で働いているシーンで終了という、まあ単純なストーリーのCMだ。


 撮影は、意外なくらいスムーズに終わった。
 始めしどもどして怪演していたデンパナンパ男が、すぐに気を取り戻したように役に入りきって快演で応えてくれたのが大きいのかも。
 終了後、2人で着替えもせずに、撮影に使った職場の隅に退避して、撤収作業を見守る。

 スーツの上下にネクタイを締めたビシっとした姿のデンパナンパ男。前に会ったときのカジュアルな服よりずっと板について格好いい。
 これでやり手な若手社長なのだから(たとえ極度のデンパ男でも)もてそうなのに、先ほどの中年男性氏によれば、今まで浮いた話がないというのが意外だった。

 ちなみに自分もレディスだけどスーツ姿。(ヒップパッド入りの)体のラインがきっちり出るタイトスカートに肌色のストッキング。パッドが盛り上げるブラウスに、スーツの上着。
 瞳さんを見ていいなと思っていた衣装を、自分が着ているという事実が妙に恥ずかしい。

「……『何をしてるのですか? あなた。時代はもう変わったのに』」
 それまで沈黙していたデンパナンパ男が、ふとCMの中の俺の台詞を呟く。
「……アキさん。この言葉を聞いて、何も思い出したりしないかな?」
「すいません。あたし、あなたが何を言ってるのか分からないです」

「そうなんだよね。『時代はもう変わったのに』……200年も前に言われたのに、オレは今でも昔に拘ってる。前のキミは、今のキミじゃないのに。いい加減、吹っ切らないと」
 なんかいきなり自己完結してるし。いや本当に吹っ切ってくれるならありがたいけど。

「ところでアキさん、今高校3年だっけ。どう? 卒業後はうちの会社に来ない?」
 それは少し心が揺らぐ申し出だったけど、色んな意味で無理な話だった。
 けどさっきのは、『新しい関係を始めよう』って宣言なのか。ゲンナリしてみる。



 もとのサマードレスに着替え、瞳さんに付き添う形で悠里たちの撮影現場へ。
 スタジオに入ると、丁度悠里と俊也が2人向かい合って熱演している最中だった。
 桜色の小袖に海老茶色の女袴。ハーフアップの髪を大きなリボンで留めた大正の女学生姿。そんな格好も似合っていて、無茶苦茶可愛い。

 まるで鏡のように、外見がぴったり一緒の2人。そんな美少女が2人もいるのだ。なかなか良い眺め……じゃない。片方が実は男だと知ってる俺にとっては、微妙な眺めだった。
 悠里が演じるのは探偵の助手の少年で、俊也が演じているのはその助手にそっくりの華族の令嬢。今は探偵助手が令嬢に変装しているシーンなのだろう。

 中身を知ってる俺からすれば、逆の配役が良さそうに思える変な状況。
 素直に自分の恋人の姿に見とれたいのに、それも出来ずにもどかしいと思う俺に向かって、ドラマのスタッフと色々話していた瞳さんが相談をかけてきた。

 鏡の中に映る、一人の女学生の姿。
 紫の矢絣の小袖、濃紺の女袴。ドーランを塗ってそばかすを描いて黒い三つ編みのかつらを被って目立たないようにした、でも隠せない愛らしさを持った少女。
 自分は男なのに、また変なコスプレ女装させられて全国にその姿を晒される。

 ──そのことを嫌だと思う自分と、可愛い衣装にウキウキしてる自分。
 鏡の中の“少女”の表情を見ているだけで、どっちが本当の自分か丸分かりで辛かった。
「相変わらずアキちゃん可愛いわねえ。……それに引き換えわたしはこの齢で、恥ずかしい」
「いぇ、瞳さん、十分可愛くて綺麗でいけてますよっ。美人で憧れちゃいます」

 事情は知らないけど、2人抜けたエキストラのピンチヒッター。名前も台詞もない、画面に映るかも分からない本当の端役。それでも悠里との共演は心が躍る。
 『女装に戸惑う男の子』の役を演じる女の子の後ろに、女装した男が普通の少女の役で存在する。そんな皮肉な構図には、内心笑いが出てしまうけれども。

 『瞳さんが目立ちすぎ』という理由で、一度NGくらったくらいで、そのシーンは結局スムーズに終了。俺はまたなんとなく女袴のまま、ドラマの撮影を見学させてもらっていた。
 間近で見る男優氏の演技もやっぱり凄いけど、初出演なのにそれを食う勢いの熱演ぶり。
 悠里は凄い……いつも思うことを、改めて実感する俺だった。




「もうっ! アキちゃんってば可愛すぎっ!」
 撮影が終わって、退出した2人を追う形で楽屋に入った俺に、悠里がほとんど飛びつくような形で抱き付いてくる。何とかドアを閉め、二人で深いキスを交わす。
 俺が女袴の女装姿、悠里が少年役の男装姿。キスもなんとなく自分が受け側気味だ。

 もう慣れて感覚が麻痺しかけてるのがまずい、倒錯した関係。でもこの温もりが愛しい。
 いつまでもこうしていたかったけど、ドアのノックの音で、慌てて飛び離れる。
 入ってきた瞳さんにバレてなきゃ良いけれど。

「瞳さんもあの衣装のままだったら良かったのに。すっごく綺麗だったよ♪」
「愛里ちゃんもそんなこと言わないでよ。わたし、恥ずかしかったのに」
 大正時代の令嬢らしい、少し時代錯誤的な洋服姿の俊也と、スーツ姿の瞳さんによるそんな会話。俺的には、ドレスや女袴よりスーツのほうが恥ずかしかったんだけど。



 明日のスケジュールを確認して瞳さんと別れ、そのあと何故かドラマ陣に混じって夕食。
 その後ホテルに入り、先に風呂に入る2人を見送って、ベッドに倒れこむ。

 今日はCM撮影やエキストラも大変だったけど、最後の夕食の席が一番疲れたかも。
 くだんの男優氏との会話は楽しかったけど、後半酒が回ると俺を口説き始めてくるし。
 俺が本当に女なら、今頃は別のホテルの別の部屋で寝ていたかもしれなかった。

 悠里たちと交替で風呂に入り、弁当箱も洗って外に出ると、悠里たちは寝息を立てていた。
 無乳と美乳の違いだけで、双子の美少女にしか見えない裸姿でピタリ抱き合って。
 久しぶりにエッチできると思っていたのに、肩透かしを食らった気分。
 彼女たちを起こさないよう、俺も静かにベッドに横になると、すぐに睡魔が襲ってきた。



『瀬野家の人々』 アキのモデル修行な日々D-2 2013/08/10(土)


 目を覚まして、目覚ましが時計どこにあるのか探して少しキョロキョロする。
 いつもと違う光景。そっか、あたしは昨日ホテルに泊まったんだった。
 そして目に入る、あたしの身体の左右に寄り添うお姉さまたちの姿。
 今日はお昼すぎまで、姉妹3人でゆっくり休みという素敵な一日。

「ふにゃあ」
 思わず満足の鳴き声(?)が喉からこぼれてしまう。
 一糸まとわぬ姿でぴったり抱き付いてくる2人の、肌のぬくもり、柔らかさ、いい匂い。
 瞼を閉じて、それを存分に堪能しよう。そう思ったのに……いつの間にか寝てたみたい。



 ……唇の柔らかい感触に、意識が引き戻される。
 王子様ならぬお姫様のキスによる目覚めだ。うっとりした気分。
「おはよう、アキちゃん♪」
「お姉さま、おはようございます……って、あっ! あぁぁんっ! ……ふぐっ!」

 まだ寝惚け眼のあたしに向かって、上の口と下の口に対するキスの嵐。
 唇をお姉さまが、(タックで作った)割れ目ちゃんを愛里お姉さまが、それぞれ慣れ親しんだ絶妙なテクニックで舌先による愛撫を繰り返す。
 あまりの快感に、身体がうねるように飛び跳ねる。素敵だけど、でも大変な朝の目覚め。

 結局3回も絶頂を繰り返したあとで、ようやく開放された。
「ふぁにゃあああぁぁぁ」
 なんだか猫のような声しか出てこない。まだ目がとろんとしているのが、自分でもわかる。
「アキちゃん、本当気持ちよさそうな表情でいいよね♪」

 そう言う愛里お姉さまは、水着を纏った格好。それも紐メインで布の面積の小さい、かなりきわどいビキニだ。
 胸はないけど、惜しげなく晒された長い脚の滑らかな曲線美、きゅっと上を向いたお尻の丸み、高い位置のウェストのくびれは、それだけで芸術作品と言えそうなくらいに綺麗。

 お姉さまも、それとお揃いのビキニを着用。相変わらずの赤と黒の色違いだ。
「……今日は、水着なんですか?」
「うん♪ ……本当はいろいろ考えたんだよ? 今日の夕方のイベントの浴衣とか、昨日の袴姿で出来ないかとか」

「袴でのプレイが出来なかったのは残念だよね……まあ、あれエッチしにくそうだけど」
「で、まあ夏の盛りだし、結局水着で。……ほらアキちゃんも」
 あたしの知らない場所で、何か色々あったみたい。

 立ち上がって、お姉さまたちに水着の紐を結んでもらう。
 触られただけで感じちゃう状態なだけに、いぢられまくって大変な状態になってましたが。
 お尻を覆う布の面積は小さく、つるりとしたお股を覆う面積はそれよりも小さく。
 毛とかきちんと手入れしてなかったら、みっともない状態になっていたところだ。

 ぺたりとした胸だって、乳首とあと僅かな面積を隠すくらいで、ほとんど解放状態。
 ピンク色の、そんな衣装とも呼べぬ衣装。裸よりも裸な気分にさせる露出度が恥ずかしい。

「うわぁっ、きれーっ」
「色が白いって、やっぱり『力』だなあ。水着なのに、なんだか雪の妖精みたい」
「みんなに見せてあげたい気分もするけど、でも今は私たちだけでアキちゃん独り占めなんだよね……すっごい優越感がする」

 そんなお姉さまたちの賞賛を気恥ずかしく思いながら、鏡に全身を映してみる。
 部屋に差し込む朝日を浴びて、それぬ負けぬ光を内側から放つかのようなきらきらした姿。
 膨らみのない胸、曲線にやや欠ける体つき。そんな思春期前の少女のようなあどけない肢体が、露出度の高すぎる水着によって逆に危険な色っぽさをもたらしている。

 それが自分の姿であることを忘れ、しばらくその姿に見とれる。
 そしてそれが、あたし自身の姿であることに、誇らしい気分を抱く。
 肩をふわっと隠す長さまで伸びてきた髪が、今は寝癖つきまくりなのが、少し微妙だけど。

 お姉さまたちもそれに気づいたのか、ブラシを取り出して丁寧にブラッシングしてくれる。
「髪が柔らかくて素直だから、寝癖すぐ直るんだね。びっくり」
「このダークブロンドの髪の色とか髪の質ってって、女の人がお金使って、気を使って目指す理想の状態なのに、それが天然で『こう』なんだもんね。本当反則」

 ブラッシングを終えたあとは、3人でプチ水着ファッションショー。
 3人ともプロのモデルなのだ。身内だけのお遊びとはいえ真剣に、でも笑顔を振りまいて。
 ほとんど自分の身体だけで、衣装の魅力を伝える久々の体験。いかにあたしが最近服に頼っ
てきたかを思い知らされて──モデルの持つ、新しい奥深さにワクワクしちゃう。



「お姉さまたち、ほんっとーに素敵でしたぁ」
 結局1時間近くショーを続けて、心地よい疲労感に包まれながらベッドに腰掛ける。
「アキちゃんこそ、本当凄かったわよ。……グングン吸収していくんだもんなぁ」
「……アキちゃん、ちょっといいかな?」

「なんでしょう? 愛里お姉さま」
「もう、アキちゃんってばセクシーすぎ! ここまで我慢した私を褒めてっ!」
 返事の前に、あたしの唇が愛里お姉さまによって完全に塞がれる。そのままベッドに押し倒されて、侵入してくる舌にあたしの舌を絡ませあう。

 胸があまりに強く激しくドキドキしまくって、張り裂けてしまいそう。
「あー、愛里抜け駆けずるーい!」
 そういって、水着の上をちょっとずらして、あたしの乳首を舌で責め始めるお姉さま。
 ほんの一瞬で、絶頂の波が押し寄せてきてしまう。あたしが男なら早漏レベル。

「あん! やん! あぁぁああんっ!! ひゃんっ!」
 愛里お姉さまは唇を離して、お姉さまと反対側の乳首を、同じように責め始める。
 左右同時の乳首責めに、絶叫のような嬌声が止まらなくなる。腰が、身体がいやらしくうねるのが止まらなくなる。

 乳首を甘噛みされて、乳首の周囲を舌で丁寧にペロペロされて。片方でもいきそうなそんな刺激が、左右同時に! あまりの快感に、心が、体が、完全に翻弄される。

 乳首責めだけで、何度イってしまったのだろう。
 ふと気づくと、お姉さまが立ち上がって鞄のところでごそごそしていた。
「あはっ、おちんちんだぁ☆」
 朦朧した頭、少し霞んだ瞳に映るのは、ペニバン姿のお姉さま。

「アキちゃんって本当におちんちんが好きなのね」
「うんっ! だぁいすきぃっ!」
「うふ。……本物のペニ○じゃなくてなくてごめんね」
「んっ、アキいい子だから、がまんする!」

 雅明のものより、もう一回りくらい多分大きな、お姉さまの疑似おちんちん。
 愛里お姉さまと一緒になって左右から同時にお口でご奉仕を始める。
 息がかかるくらいすぐ近くにある、整った顔立ち、滑らかな頬、長い睫毛。
 目があうと、にっこりと微笑んでくれる。そのたびにもうドッキドキだ。

 そんな時間がしばらく流れたあと、ベッドの上に上がって四つん這いになり、お姉さまのおちんちんを受け入れる体制に入る。繊細な指先が、そっとビキニをずらす。
 あたしと愛里お姉さまの唾液でぬとぬとになった、微かに温かい疑似肉棒があたしの穴に押し当てられる。それだけでイってしまいそうな興奮があたしの全身を襲う。

 あたしのお尻が、お姉さまのおちんちんをずぶずぶと受け入れる。
「ぁあぁっ……! はぁっ……! っぁぁぁぁっ!!!」
 堅い物体が、あたしの中に入り込んでくる。快感が全身を貫く。ぽたぽたと汗が滴る。
「アキちゃん、すごいすごい。本当にこれ最後まで飲み込んじゃったんだ」

 感心するようにお姉さまは言ったあと、腰を力強く振り始めた。
 張り出したカリ首が、あたしの体内をえぐるように動く。竿の部分が、何度も何度も門の部分を往復する。深く突き当てるたび、先端があたしの一番奥深い部分を叩く。
 そのどれもが気持ちいい。

 もう、四つん這いの形を保ててるのが不思議なくらいに身体が暴れまわる。
 何度イったのか、数える気にもなれないくらい絶頂が絶間ない波として襲い掛かってくる。
 途中から、双頭ディルドー装備の愛里お姉さまとタッチして、今度は正常位でエッチだ。
 細いし、短いし、力強くもない。でも繊細なテクニックがそれを埋めてなお余りある。

 全身くたくたなのに、それでもまだ貪欲に快楽を求めるあたしの躰。
 ビリビリした電流めいた快感が指先まで走り抜け、支配する。なんて素敵な朝だろう。
「お姉さま、愛里お姉さま、愛してますうっ!」
 思わず口から出てきた言葉に、2人一瞬顔を見合わせたあと、完璧にハモりながら。

「「ありがと! 私もアキちゃん大好き!!」」
 とても素敵な笑顔でそう、答えてくれた。

 ……そのあと流石に少し休憩を挟んで、その間にリムーバーで股の接着をはがされる。
 久々に見る『雅明』の姿に、凄い違和感。
 昔お風呂でしたように、愛里お姉さまとぴったりと抱き合って、ビキニから完全にはみ出た股間同士を重ね合わせつつ、ディープにキスをする。

 なんだか身体の芯の部分からこみ上げてくるような感覚がして、それだけで何もしていないのに、盛大に白いものが噴き出してしまう。
 愛里お姉さまとあたしから同時に出た熱い液体が、混じり合いながら2人の身体を染め上げていく。それは初めて味わうような、深く長い発射感。

「キスだけでイク……こんな感覚なんだね。なんだかとても不思議な気分」
 2人で床の上に崩れるように座り込んで。目を閉じて、深い真理でも語るような調子で、愛里お姉さまが言う。
「世界が変わりますよねぇ。空気そのものが光り輝いて……」

 しばらく2人で呆けた次は、3人身体を重ね合わせる。
 あたしのクリちゃんを、その……お姉さまのアヌスに慎重に入れて、あたしの穴に今度は愛里お姉さまのクリちゃんを迎え入れて。お姉さまのペニバンより3回りは小さい、でもまがい物では決してありえない熱さに興奮が高まる。

「あっ、やっ、ひゃうぅぅんっ! アキっ、アキちゃんやっぱり気持ちよすぎっ!!!」
 腰を振り始める前にいきなり、あたしの体内に迸る熱い液体の感触。
 さっきイったばかりだというのに、その元気さが羨ましい。おまけに抜くこともなく、そのまま一心不乱に腰を大きく振ってくれる。

 さっき出したばかりの白い液体があたしの身体を前後に包んで、ぬちゃぬちゃと音を立てる、ヌメヌメと感触がする。でもそれすら愛しくて気持ちいい。
 3人ともほとんど全裸な水着姿で、でもこれはしっかりとした衣装で。
 いつかあたしも、こんな水着で被写体になる日が来るんだろうか?

 お姉さまのあそこはキツキツで、愛里お姉さまのあそこはまた堅さを取り戻し、前と後ろから火傷しそうな熱さであたしを責め立ててくる。
 もう誰が何度絶頂を迎えたかも分からない。ただただ嬌声がこだまする。前後の性器だけじゃない。もう全身が性感帯になって、至る所でもはや爆発のような快感を繰り返す。

 ──殆ど意識が飛んだ状態で、ふと気になる。今の“あたし”はどっちなんだろう?
(……もう、いいところなんで気にするの。どっちでもいいじゃない? “アキちゃん”)
 そっかあたしはアキなんだ……じゃない。“俺”は雅明だったのか。
 たぶん起きた時から。
(ちえ。分かっちゃったか。でも、アキと雅明は同じ人物なんだよ? 区別いらないって)

 『アキと雅明は同じ人物』……何度も繰り返されてきたフレーズ。でも、昨日と今日の朝を経て、初めてその言葉がストンと落ちてくる。
 露出度が高いけど可愛い女ものの水着を着て喜んで、後ろから同じく女ものの水着を着た俊也から貫かれて悦んでいる。そんな“雅明”でいいやと思えてしまう。

 最初は波のように襲ってきた快感が、完全に絶え間ないものになる。
 今までより強く、今までにないくらいに3人……いやアキも含めた4人の心と体が結ばれているのを感じる。

 身体はまだまだ貪欲に快楽を求めている。でも、もうとっくに脳がその大きすぎる快楽を処理しきれなくなっている状態。
 その快楽が目の前で大きな爆発をして、その白い閃光に飲まれる形で意識が途絶えた。



「アキちゃん、おはよう」
 唇に感じる温かい感触に目を覚ます。仕立ての良い男物のシャツ、すらりと伸びたスラックス。一部の隙もなく男服を着こなした美少年の姿。見た目的には俊也だけど、でも。
「おはよう、悠里」

「2人同時に気絶しちゃったときは、どうしようかと思っちゃった。アキちゃん、愛里を起こしてあげて」
 ベッドの上で寝息を立てる、(胸と股間以外は)完璧な美少女。言われた通り、その柔らかい唇に自分の唇を押し当てる。

「やっぱり起こすのはキスなんだ」
 そういえば、「起こして」と言われただけで「キスしろ」とは言われてないんだっけ。
「……アキちゃん、おはよ……そっか、私、快感で失神しちゃったんだ」

 身体をきちんと洗い流し、タックをしてショーツとブラジャーを身に着ける。
 その状態で鏡の前でポーズ。うん、今日もあたしはとっても可愛い……だけじゃなくて、なんだか今までより『綺麗』に見える。
 今日は淡いグリーンのサマードレスを着て、ショールその他は昨日のままで。

 日焼け対策で、どうしても普段着れる服に制限が出るのがつらかった。あたしもキャミとミニで涼しげに可愛くなりたい……そんなことを思っている自分に驚いてみる。
 俊也は黒いロングのウィッグをつけて、白いワンピースのお嬢様姿。
 これで悠里と並んでいると、本当にセレブの兄妹か似合いの超美男美女カップルって感じ。

 移動途中もずっと人目を引いてるし……って、これは俺?あたし?も含めてだけど。
 惹かれるような、憧れるような、恋するような視線で自分たちの姿を追う多くの人たち。
 本当の性別が分かる人が何人いるのだろう。なんだか不思議なおかしさがこみ上げる。
 ごく自然に、女の子に、アキになりきって、この視線を楽しんでいる“あたし”がいた。



 少し遅めになってしまった昼食のあとに、今日のお仕事のイベント会場入り。
 リハーサルのあと、瞳さんが持ってきた浴衣に着替える。
 悠里が濃紺地に白の、俊也が白地に薄青の、朝顔の柄の浴衣。あたしはピンク色に金魚の浴衣だ。あたしだけ、レースつきまくりでミニで太腿まで露出した可愛らしいタイプ。

「やん! やん! やんっ! やっぱりアキちゃんかわいいっ!」
 着替え終わった控え室、俺が悠里に見とれている隙に、俊也がそう言って飛びついてくる。
 柔らかい身体、細い首が覗く襟足、そこから立ち上る体臭と香水の混じった匂い。
 ……って“俺”はなんでこうドキドキしてるんだろう。

 実際には女装男同士でいちゃついてるシーンなのに、『仲の良い美少女姉妹の戯れ』だと他の人たちから見られているのが複雑な気分。
 コルセットで圧迫されるのはもう慣れたとはいえ、帯の圧迫感はまた別物。タオルや腰紐やら伊達締めやらでぐるぐる巻きにされて結構たいへん。

 それでも鏡に映る3人の美少女たちの姿に、思わず満足げな笑みがこぼれてしまうあたしなのだった。

 司会の合図に従って入った会場は、凄い熱気だった。
「悠里さーん!!」
「愛里さーん!!」
「アキちゃーん!!」
 女性客メインのイベント会場。メディア露出が少ないだけに『あんた誰?』扱いされることを予想してたのに、少ないもののあたしへの声援もあってびっくり。

 中でも一番大きな声のしたほうを見ると、元バスケ部の2人組、北村さんと伊賀さんが少し居心地悪そうにしながら手を振っている。
 一瞬吹き出しそうになったのをこらえて、笑顔で小さく手を振り返す。伊賀さんの隣の女の人は恋人なのだろうか。

 紹介を経て3人でトーク。そして浴衣でのウォーキングなどを披露してたりもする。
 司会さんがうまい人で、後半ほとんどイベントということも忘れて会話を楽しんでいただけの気もするけど、お客さんも一緒に楽しめてる感じで多分オーライなのだろう。
 始まる前は務まるかドキドキだったけど、終わってみると一瞬で少し寂しい感じだった。



 花火の光が唯一の灯りの、暗い道。
 今から自分がやろうとすることに胸をドキマキさせつつ、“俺”はそこを歩いていた。
 鞄から服を取り出して、イベント会場からここまで着てきた女もののピンクの浴衣を脱ぐ。
 他にひとけがないから良いけれど、いたら完全に痴女だなと苦笑してみたりもする。

 10分後に来るようにお願いしていた悠里がここに着く前に済むよう、急いで着替えを。
 久々に着た男物のスラックスとシャツは何だかゴワゴワして肌触りが悪くて、ついつい着慣れた女ものの服が恋しくなる。
 メイクは落とせてないし髪は後ろで縛っただけだから、傍から見たら多分『男装の女の子』に見えるんだろうけど、これからやることはせめて自分の意識としては男姿でやりたかった。

(──おめでとう、雅明。とうとう、これで目標達成なんだね)
(ありがとう。長かったような、短かったような。『アキ』にも色々迷惑かけてごめんね)
 モデル経験で早着替えが板についてたせいか、時間が余ってしまったたので、花火の音が鳴り響く下、話しかけてきたアキと脳内で会話してみる。

(モデルを始めた理由はこれでなくなるわけだけど、これからどうするのかな?)
 少しからかうようなアキの言葉。それに俺は、少し考えたあと返事を作る。
(もちろん、モデルを続けるよ……こんなワクワクすること、辞められそうにないや)
(うん、知ってた。……これからもよろしくね。もう一人の“あたし”)

 そこまでの対話を終えたあと、夜道に鳴る足音に振り返る。
「ここ、いいとこだね」
「……うん。花火がよく見えて、人が来ない穴場なんだ」
 イベントと同じ、濃紺に白い朝顔を咲かせた正統派の浴衣。ほっそりとしつつきちんと肉のついた、スタイルが良すぎるほどに良い肢体。

 素敵な笑顔で優美に歩いてくる、そんな姿に思わず見惚れる。
 少しぼけっとしていた俺だけど、我に返ってポケットから小さな箱を取り出す。
 喉がカラカラして、心臓がバクバクいっている。
 自分の動きがぎくしゃくしているのが分かる。

「俺からのプレゼントなんだけど、受け取ってくれるかな」
「……ありがとう。嬉しい。……ね、つけてくれるかな」
 微かに戸惑ったあと、小箱を開け、うっとりとした表情で呟く悠里。
 その華奢な指先を取り、慎重に左手薬指に“それ”を嵌めていく。

 もう随分昔に思える。デンパナンパ男に婚約指輪をもらった時に思いついたアイデア。
 自分で稼いで買った指輪で、悠里にプロポーズしたいと。
 ようやく目標にしていた金額が溜まって、今それがここにある。
 悠里に自分の分もつけてもらって、並べてみる。

 あの時もらった指輪よりずっとずっと安物だけど、それでも誇らしい気分だった。
 もう言葉も要らない。
 浴衣姿の悠里の身体を引き寄せて、唇同士を重ねあう────ぶっ。

「お前か俊也────────────────っ!!!」
「あははははっ、やっと気付いたんだ。でもこの話には、やっぱりこれがないとね♪」
「お前なあ、俺が死ぬ気で告白したのに、茶化しやがって……」
「……別に、茶化したわけじゃないよ。婚約指輪、嬉しかったもの。……本当に嬉しかった」

 きらきらと光る瞳に、蠱惑されたように動けなくなる。目の前に存在するのが男とは頭では理解していても、でも外見は最愛の女の子と同じ姿の浴衣美少女なのだ。
「ふーん、雅明って私より愛里のほうがいいんだ」
「ゆ……悠里サマ、申し訳ありませんでしたっ」

 暗がりから現れた、白い浴衣姿の(今度は本物の)悠里に向かって土下座してみたり。
「ごめん、私たちもちょっとおふざけが過ぎたかな。……ほら、雅明立って」
 促されるまま立ち上がる。一生一度の告白の不発もあって、まともに悠里の顔が見れない。
「ほら、雅明、こっち見て。……私からもプレゼントがあるの」

 差し出されたのは、たった今俺が悠里(と思い込んでいた俊也)に渡したのと同じ小箱。
 開けてみると、そっくり同じデザインの指輪が入っている。
 そっと取り上げて、俺の薬指に嵌めてくれる。
「ありがとう。……なんてのかな、凄い嬉しいよ」

 もう一つの指輪を受け取り、悠里の指に嵌める。
「うん……これ、意外なくらいに嬉しいね」
 左手を目の前に掲げて、うっとりと眺める悠里。指がすんなり伸びたその小さな手に、自分の手を合わせる。左手を掲げ、俊也もその手を重ねてくる。

 白い浴衣が鮮やかな浴衣姿の、愛しくて可愛い俺の婚約者にして義理の姉、悠里。
 それと瓜二つの、双子の姉妹の美少女にしか見えない、でも義理の弟、俊也。
 指先までそっくりな2つの手、その薬指に1つずつ輝く指輪。
 そして男でもあり女でもあるような、中途半端な格好をした俺の薬指で輝く2つの指輪。

 花火が頭上で大輪の花を開かせる。ひときわ大きな音が鳴り響いてくる。
 その光に照らされて、夜闇の中光る4つの指輪。
 それは少し奇妙なようでいて、でも俺たちの関係をうまく表すもののように思えた。

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最終更新:2013年09月20日 08:28