そんな三人に対して、一度は興味をなくした筈の乗客たちが再びちらちらと目を向け始めた。晶が悲鳴をあげた時とは
また別の意味で、改めて興味の対象になってきたのだ。乗客たちの関心の的は、言うまでもなく、晶と徹也との仲だ。会
話の内容から察するにどうやら随分と久しぶりに会ったらしい従兄妹どうしが(真実を知らない乗客たちは也子の言葉を
そのまま信じるしかないものだから、そう判断するしかないのだが)互いに心惹かれ合っているようなのに、まだ若い故に
自分たちの気持ちを率直に打ち明けられないでいるその顛末がどうなるのか興味津々といったところだ。けれど、決して
下卑た好奇などではない。初老の夫婦は自分たちの若い頃を思い出して甘酸っぱい感傷にひたり、大学生どうしらしきカ
ップルは、小学生の女の子と中学生の男の子との幼くも微笑ましい間柄に目を細めて見守っているといったふうに、今に
も声を出して応援してしまいそうなほどにすがすがしく爽やかな興味だ。
「……」
「……」
が、周囲の注目をよそに、当の二人は何も応えない。徹也は照れまくってもじもじしながら時おり晶の横顔をちらちら窺
うくばかりだし、晶は、自分の置かれた状況に屈辱を覚えるばかりで、どう反応していいのかわからず身を固くしたままだ。
けれど、顔を伏せて口をつぐんだままの晶の様子が、周囲の目には、四つ年上の従兄から急に好意を持っていることを
告げられて恥ずかしそうにしている小学生の女の子のういういしい姿に見えてしまう。屈辱で肩を小刻みに震わせている様
子が、突然の出来事に驚いて気持ちを高ぶらせているように、そうして、羞恥に頬を染める様子が、少女らしい羞じらいの
仕種に。
「中坊、頑張れ。俺もお前の味方だぞ」
突然、男の声が飛んできた。
はっとして三人が揃って声の聞こえてきた方に顔を向けると、斜め前の座席に、体を捻ってこちらに振り向き、しきりに手
を振っている青年の姿があった。晶と徹也との間柄がどうなるか暖かい眼差しで見守っていた大学生カップルの男性だ。
「ちょっ、よしなさいよ、淳司ったら。余計なことしちゃ、あの子たちが迷惑するじゃない」
連れ合いの突然の行動に、カップルの女性の方が、慌てた様子で男性の手を押さえつけた。
「いいじゃん。俺だって、智子に告る時はめっちゃ緊張したんだぜ。その時のこと思い出したら、なんだか、あの中坊のこと
応援したくなっちゃったんだよ」
淳司と呼ばれた青年は、連れ合いの女性に向かってひょいと肩をすくめて言い、いったんは押さえつけられた手を再び大
きく振って徹也に声をかけた。
「いいか、諦めんじゃねーぞ。押して押して押しまくれ。ここで頑張んなきゃ、お前、漢になれねーぞ」
普通なら、バスの中で大声で叫ぶというのは迷惑きわまりない行為なのだが、この時ばかりは他の乗客たちも淳司と同
じような心情になっていたため、顔をしかめたり淳司に非難の目を向けるといったことをする者は一人もいなかった。一度
は淳司のことをたしなめた智子にしても、世間体もあって淳司の手を押さえはしたものの、内心は徹也を応援する気持ち
でいっぱいだ。
「……あの……あのさ、あ、晶ちゃん……」
淳司の声援に背中を押され、何度か深呼吸を繰り返して、徹也はいよいよ覚悟を決めて口を開いた。
「僕……僕と、つ、つきあってもらえないかな。まだ小学五年生の晶ちゃんだから男の子とつきあうのは恥ずかしいかもし
れないけど、僕、絶対に優しくするから。僕とつきあってることで晶ちゃんが誰かにからかわれたら、その時、僕、絶対に晶
ちゃんのこと守る。晶ちゃんのこと苛めるやつがいたら、絶対とっちめてやる。僕、喧嘩が強いってわけじゃない。でも、どん
なやつが相手でも絶対に負けない。晶ちゃんのことしっかり守るって約束する。――だから、ガールフレンドになってくださ
い。お願いします」
これ以上はなく真剣な顔つきで徹也がそう言い終わると、バスの中が一斉に静まり返った。聞こえるのはエンジンの音だ
けだ。
「……」
乗客が固唾を呑んで見守る中、晶は無言だった。
中学生の男の子から申し込まれた交際を、本当は高校生の男の子である晶が受け容れられる筈がない。かといって、
即座に拒否したりすれば、今の車内の雰囲気を考えると、乗客たちから激しくなじられそうで、それもできない。どうして徹
也とつきあってやらないんだよと淳司に詰め寄られて、それがきっかけになって騒ぎになり、晶が実は高校生の男の子だ
ということが暴き立てられる恐れもあるのだ。
「……だ、駄目かな? あ、ううん、いいんだ。急にこんなこと言っちゃってごめんね。こんなこと急に言われたって、晶ちゃ
んも困るよね」
顔を伏せ小物入れの鞄の角をぎゅっと握りしめてまんじりともしない晶の様子に、幾分しょげた声で徹也は言った。
そこへ、美也子の少しきつい調子の声が飛んでくる。
「いい加減になさい、晶ちゃん。年上の男の子が大勢の目の前で『お願いします』って言ってるのよ。それを返事もしないで
黙ったままだなんて、そんな失礼なことはないでしょう? いいなら、いい。駄目なら、駄目。どっちにしても、自分の口でき
ちんとお返事なさい」
美也子は、それこそ礼儀知らずの幼い妹を叱る姉そのままの口調でそう言ってから、わざと優しい声になってこんなふう
に付け加えた。
「でも、せっかく徹也お兄ちゃんがガールフレンドになって欲しいって言ってるのを晶ちゃんが断るわけないわよね。小っち
ゃい頃はお兄ちゃんにべったりだったし、あんまり久しぶりすぎて今は顔を忘れちゃってたけど、ちょっとおつきあいすれば、
また大好きになるに決まってるもの。あ、お姉ちゃんのことは気にしなくていいのよ。高校二年生のお姉ちゃんより先に小学
五年生の晶ちゃんにボーイフレンドができちゃうのはちょっとショックだけど、お姉ちゃんは部活で頑張るから。だから、そん
なこと気にしないで、晶ちゃんは大好きな徹也お兄ちゃんとおつきあいするといいわ。あ、そうそう。知ってた? 従兄妹どう
しでも結婚はできるんだよ。うふふ、晶ちゃんが徹也君のお嫁さんになるってのもいいわね。ウエディングドレス、どんなの
が似合うかな」
そんな美也子の言葉も、他の乗客たちには、徹也との交際をさりげなく晶に薦めているというふうにしか聞こえないだろう。
けれど、それが実は強制的な命令だということを晶は直感していた。徹也の申し出を断ったりしたら部屋で撮ったビデオの
映像をみんなに見せるわよ。紙おむつを精液で汚しちゃったことをみんなに話すわよ。美也子が言外にそう匂わせているの
は、晶にとっては火を見るより明らかだった。
それでも晶は首をうなだれたままだ。いくら命令されても、徹也の申し出を受け容れるわけにはゆかない。
「ほら、どうしたの? ちゃんとお返事しなきゃわからないでしょ? 晶ちゃん、まだお口のきけない赤ちゃんだったのかな。
もしもそうだったらお返事できないのも仕方ないけど、もう五年生だもの、きちんとお返事できるよね?」
長い睫毛を盛んにしばたたかせる晶の様子を面白そうに眺めながら、美也子はねっとり絡みつくような声で促した。
「……あ、あたし……」
美也子が口にした『晶ちゃん、赤ちゃんだったのかな』という言葉を耳にした途端、晶はびくんと肩を震わせて、ようやく重
い口を開いた。それが、いれ以上だんまりを押し通すようならスカートを捲り上げて紙おむつをみんなに見せちゃうわよとい
う美也子の脅しだということは、これまでさんざん恥ずかしい目に遭わされてきた晶にとってはこれ以上ないくらいにはっき
りしている。そう脅されては、晶しとても渋々ながら口を開かざるを得ない。
「うん? どうするの?」
口を開いたもののそれ以上は言葉が続かない晶を美也子は改めて促した。 口調は穏やかだが、徹也の申し出を拒否
したらどうなるかよく考えて返事しなさいよと命じている雰囲気が晶には痛いくらいに感じられる。
「……あたし……」
晶はもういちどぽつんと呟いてから、小物入れの鞄の角を握りしめる両手に更に力を入れて
「……て、徹也お兄ちゃんとおつきあいする」
と、よく注意していないと聞こえないほど弱々しい声で応えた。
「え? よく聞こえないわね。もういちど大きな声で言ってごらんなさい」
晶の返事は、かろうじてとはいえ、美也子の耳にも徹也の耳にも届いている。けれど美也子はそれでは満足せず、まわ
りの乗客たちを自分の企みに巻き込むべく、晶に対してもういちど大声で返事をするよう求めた。
「あ、あたし……徹也お兄ちゃんと、お……おつきあいする」
「よし、よくやった。中坊、えらいぞ。ちゃんと勇気を出して告ったんだから、もういっちょまえの漢だ。可愛いガールフレンド
を泣かすんじゃないぞ。約束通り、何があっても守ってやれよ。俺、お前の味方だからこそ、その可愛い彼女を泣かしたり
したら、どこまでも追いかけてって、お前のことぶっとばしてやるからな」
覚悟を決めて振り絞った晶の声が響き渡った瞬間、静かだった車内にほっとしたような空気が流れて、乗客たちは穏や
かな笑みを浮かべ、近くに乗り合わせた者と互いに顔を見合わせた。淳司は斜め前の席から身を乗り出さんばかりにして、
まるで自分のことにように声を弾ませた。
「お嬢ちゃん、晶ちゃんだったっけ、晶ちゃんも素敵だったわよ。こんなに大勢の人が乗っているバスの中で急にガールフ
レンドになって欲しいだなんて言われて、とっても恥ずかしかったでしょうに、ちゃんとお返事できて、すっごく素敵だったわ
よ。ほら、もうそんなに恥ずかしがってばかりいないで、ちゃんとお兄ちゃんの顔を見てあげなさい。――あ、もう、優しいお
兄ちゃんじゃなくて、かっこいいボーイフレンドになったんだっけ。ほら、恥ずかしくないから、ボーイフレンドに可愛いお顔を
みせてあげるのよ」
淳司と寄り添って座っている智子も、さっきは連れ合いをたしなめていたくせに、自分が交際を申し込まれた時のことを思
い出してか、満面の笑みをたたえ、こちらも席を乗り出さんばかりにして盛んに晶を励ます。
「あ、なんだよ、智子。おま、あの子たちの迷惑になるからって俺の手を押さえといて、うまくいったら俺の真似して喜んで
やるのかよ。たく、調子いいんだから」
智子の言葉を耳にした淳司が、わざと乱暴な言葉で毒づいた。
けれど、それが淳司なりの二人に対する祝福と智子に対する同意の表現だということは、雰囲気でそれとなく他の乗客
たちにも伝わっている。
「淳司みたいなお調子者が徹也君の味方になったって、あの子たちに迷惑だってことは変わらないわよ。だから、もっとち
ゃんとした人が見守ってあげなきゃいけないの。ということで、私が晶ちゃんの味方になってあげるって決心したの。いいわ
ね、晶ちゃん。男の子の本性なんて、この淳司も徹也君も一緒なのよ。いつバカなことやらかすかしれたもんじゃない、ロ
クでもない生き物なのよ。だから、徹也君が何か変なことしたら、私に言いつけにおいで。私が責任もって叱ってあげるから
ね。女の子は女の子どうし、男の子がバカなことしでかさないよう、力を合わせて仲良くしようね」
智子は淳司との掛け合いを楽しむみたいにして、ちょっと冗談ぽい口調で言った。
そんな淳司と智子のやり取りに、車内の雰囲気がほんわかとなごむ。
春という季節に似つかわしく穏やかでどこか華やいだ空気が流れる車内に、けれど、ひとり晶だけが、智子に向かって言
葉を返すでもなく、唇を噛みしめて首をうなだれるばかりだった。
「いきなり、初めて会った晶ちゃん――妹さんに厚かましいお願いをしてすみませんでした。それに、あの、妹さんの、えーと、
む、胸なんか見ちゃって、本当にすみません。でも、いやらしい気持ちなんかじゃなかったんです。一目で可愛い子だな、お
となしそうで上品そうな子だなって感じて、それで、ついつい見取れちゃって。なのに、他のお客さんが騒がないよう従兄妹ど
うしだなんてごまかしてもらって、その上に、妹さんに僕のガールフレンドになるよう薦めてもらって。本当にありがとうござい
した。それで、あの、あらためて連絡をしたいんですけど、お家の電話番号を教えてもらっていいでしょうか?」
なかなか顔を上げようとしない晶に向かって気遣わしげな視線を投げかけながら、徹也は、おずおずと座席から立ち上が
ると、声をひそめて、しきりに恐縮した様子で美也子に囁きかけた。
「いいのよ、そんなこと気にしなくても。むしろ私は徹也君に感謝しているの。妹、おとなしいっていうより、引っ込み思案な
ところがあって、人見知りも激しいのよ。だから、いつも私にべったりで、学校以外は一人でお出かけもしたことがないの。
小さいうちはそれでもいいけど、もう五年生だし、二年もしたら中学校でしょ。いつまでもそんなふうだと家族も困るし、なに
より、本人が辛いと思うのよ。だから、徹也君がボーイフレンドになってくれていろんな所に連れて行ってくれると助かるん
だ。ピクニックでもショッピングでも映画でも、とにかく、お出かけをする習慣をつけてやって欲しいの。お願いね。あ、それ
と、電話番号は、あとで私の携帯の番号を教えてあげる。妹はまだ小学生だから携帯なんて持ってないし、家の電話だと
家族の誰かに取り次いでもらわなきゃいけないから徹也君も気軽に電話できないでしょう?」
美也子は、徹也が晶のブラを盗み見したことなどまるで気にするふうもなく笑顔で囁き返した。気にするどころか、そのお
かげで晶をますます小学生の女の子扱いできるようになったのだから、むしろ内心は笑いが止まらない。
「あの、いろいろ考えてもらって、本当にありがとうございます」
徹也は、自分の謝罪が美也子に快く受け容れられたことにようやく安堵の色を浮かべると同時に、美也子が随分と協力
的なことにほっとしたような顔つきになって再び座席に腰をおろした。
「どういたしまして。あ。それと、徹也君、これから何か予定はあるの?」
美也子は鷹揚に頷くと、ひょいと腰をかがめて、席についた徹也にさりげなく尋ねた。
「いえ、今度出るCDの予約をするのにCDショップへ行くだけで、その後は別に予定はありませんけど」
徹也は美也子の顔を見上げて応えた。
「じゃ、ちょうどいいわ。私たちこれからちょっとお買い物をするんだけど、徹也君もつきあってくれないかな。せっかく晶ちゃ
んのボーイフレンドになってくれたんだから、初デートってことにしようよ。知り合いになった記念に、お茶くらい驕ってあげる
から」
徹也の予定を確認した美也子は、すっと目を細めて言った。
そんな美也子の顔を、首をうなだれたままの晶が恨みがましい目で上目遣いに睨んだ。美也子に強要されて徹也との交
際を受け容れさせられたものの、バスからおりて離れ離れになりさえすれば、あとはなんとか逃げ出すことができるかもしれ
ないと思ってもいた。なのに、美也子は晶のそんな淡い期待さえをも木っ端微塵に打ち砕いてしまったのだ。
「どう? つきあってくれる? それとも、私みたいな小姑が一緒だといやかな?」
晶の恨みがましい視線を感じつつも、美也子はしれっとした顔で徹也に重ねて訊いた。
「小姑だなんて、そんな。正直に言うと、あとで連絡をしてからじゃなくて、今すぐにでもデートしたくてたまらなかったんで
す。でも、お姉さんが一緒にいるのにそんな厚かましいこと言うのは失礼だと思って」
徹也は大きくかぶりを振ってぱっと顔を輝かせた。
「じゃ、決まりね。よかったわね、晶ちゃん。夕方まで、大好きな徹也お兄ちゃんと一緒にいられるのよ」
美也子は徹也に気づかれないよう注意しながら、上目遣いの晶の瞳を正面から睨み返して言った。
駅前の停留所にバスが到着するのに、それからあまり時間はかからなかった。
バスの昇降口から吐き出された人々は、それぞれの目的地に向かって三々五々散っていった。とはいっても、乗客の
大半はショッピングセンターへ行くのが目的だから、最初の頃は一塊りになって歩き出すことになる。
「はぐれないよう、お姉ちゃんの手をしっかり握っているのよ。晶ちゃん、人混みは慣れていないんだから」
自分はいつもの通学用の定期券を見せ、晶の分として子供運賃を料金箱に投入して先にバスをおりた美也子は、おぼ
つかない足取りで乗降口からおりてきた晶の手を取り、意味ありげな笑みを浮かべて言ってさっさと歩き出した。
日ごろから通学で晶も人混みには慣れっこだが、確かに、女の子の格好をして大勢の中を歩くのは、慣れていないどこ
ろか、これが初めての経験だ。なんだか、通路を歩いている人たちが一人残らずこちらを見ているような気がしてきて、ひ
どく心細くなってくる。
思わず晶は美也子の手をぎゅっと握り返してしまった。
「あらあら、晶ちゃんてば本当に甘えん坊さんだこと。もう五年生になるんだから、これくらいの人混み、一人で歩けるよう
にならなきゃ駄目よ。お姉ちゃんに頼ってばかりじゃ、いつまで経っても小っちゃい子のままなんだから」
美也子は、履き慣れない踵の高いサンダルのためにおぼつかない足取りで周囲の視線にびくびくしながら足を運ぶ晶に
向かってわざと優しく言ったかと思うと、何か面白そうなことを思いついたように満面の笑みをたたえ、二人に付き従って後
ろを歩いている徹也の方をちらと振り向いてこう続けた。
「あ、そうか。お姉ちゃんに頼れなくなったとしても、晶ちゃんには徹也君がいるんだったわね。いいわ、せっかくのデートな
んだから、徹也君に手をつないでもらいなさい」
「え? ……や、やだ。あ、あたし、お姉ちゃんじゃなきゃやだ……」
中学生の男の子と手をつないで歩きなさいと言われて晶は、周りの人たちに自分の正体を気づかれないよう、小学生の
女の子を意識し、鼻にかかった声で言って弱々しく首を振った。
「いいからいいから、ほら、恥ずかしがらないの」
美也子は、離されまいと尚も力を入れて握ってくる晶の手をぱっと振り払うと、後ろにいる徹也の手を半ば強引に引き寄
せ、互いの手をさっさとつながせて、晶の耳元に口を寄せた。
「うふふ。お姉ちゃんじゃなきゃいやだなんて、嬉しいことを言ってくれるじゃない。晶ちゃんてば、もうすっかり高校生の男
の子じゃなくなって小学生の女の子になっちゃったわね。それも、とっても甘えん坊さんで一人じゃ人混みを歩けない、あ
んよもあまり上手じゃない頼りない小学生。それに、それだけじゃないよね。いつおもらしをしちゃうかわからないからショー
ツの代わりに紙おむつを着けてる困った小学生。恥ずかしい下着のことを大好きな徹也お兄ちゃんに知られないよう、せい
ぜい気をつけることね」
まわりに聞こえないよう声をひそめてそう囁いた美也子は、晶と徹也の後ろにまわりこむと、
「さ、行きましょう。この先にファミレスがあるから、まずはお茶にしましょうか」
と明るい声で言って、二人の背中をぽんと押した。
「じ、じゃ、行こうか、晶ちゃん。手をつなぐ相手がお姉さんじゃないけど、我慢してね」
照れて顔を真っ赤にしながら、徹也は晶の手を取って歩き出した。
だが、これまで女の子の手を握ったことなどないのだろう、力の加減がわからず、感情の高ぶるまま、ついつい思いきり
強く握ってしまう。
「痛い!」
思わず晶が叫び声をあげた。
「あ、ごめん。ごめんね、晶ちゃん。痛かった? 大丈夫?」
痛みに耐えかねてあげてしまった叫び声だから、裏声を使った女の子らしい悲鳴を真似ることはできなかった。けれど、
徹也が晶の低い叫び声に不審の念を抱くことはなかった。自分の行為が晶に苦痛を与えたことにおろおろするばかりだ。
もっとも、およそ女の子らしくない叫び声を耳にしても、それを訝かしむ者は通行人の中にも一人もいなかった。誰も彼も、
晶の愛くるしい見た目にだまされて、その口をついて出た叫び声のことは気にも留めないでいる。
不意に、通行人の中から、そう毒づく声が飛んできた。もっとも、笑いを含んだ声だから、ぶっとばしてやるというのは冗
談だろうけれど。
「あ、さっきの……先に行ってたんじゃないんですか?」
驚いて振り向いた徹也の視線の先には淳司の姿があった。晶がおぼつかない足取りでゆっくり歩いているうちに、自分
たちの目的の店に向かって先に行ってしまった筈の淳司が、智子と仲睦まじく肩を寄せ合って、晶と徹也の様子をじっと
見ているのだ。
「気が変わったんだよ。今まで一回もデートなんてしたことない中坊が小学生の可愛いガールフレンドをどう扱っていいか
わからなくて困ってちゃ可哀想だと思って、コーチしに戻ってきてやったんだ。感謝しろよ」
優しい言葉をかけるのは性に合っていないのだろう、わざと乱暴な口調で淳司は言って、指先でぽりぽり頬を掻いた。
「せっかくのデートを邪魔しちゃってごめんね、晶ちゃん。淳司ったら、徹也君が自分の弟にちょっと似てるからって、なん
だか放っとけないんだって。それで、バカみたいに張り切っちゃって」
突然のことにどう対応していいのかわからず呆然と立ちすくむ晶に向かって智子がとびきりの笑顔でそう言い、傍らの淳
司の顔をちらと見てから続けた。
「えへへ、でも、正直に言うと、気になってるのは淳司だけじゃないんだ。私も晶ちゃんのこと妹みたいに思えてきちゃって
さ、お邪魔だろうけど、力になりたいなぁなんて」
智子はそう言ってから、晶と徹也の後ろに立って事の成り行きを見守っている美也子に視線を移し、優しそうな笑顔のま
ま話しかけた。
「ごめんね、本当のお姉さんの前で私が晶ちゃんのこと妹みたいに思ってるだなんて言って。でも、なんだか放っておけな
くて。バスの中で晶ちゃんが徹也君から交際を申し込まれて、それを受け容れるところまで見てたら、なんだか他人事とは
思えなくなってきちゃって。他のお客さんたちもきっとそうだと思うの。二人のこと、頑張れって応援したくてたまらないの。他
人が口を挟むことじゃないのはよくわかってるんだけど、もう少しだけ見守ってあげたいの。迷惑だとは思うけど、ちょっとだ
け一緒にいさせてもらっちゃ駄目かな?」
遠慮がちにそう言う智子に対して、こちらもにこっと笑って美也子は小さく首を振った。
「迷惑だなんてとんでもない。妹のことをそんなに気にかけてもらえるなんて、姉としても嬉しくてたまりません。私、部活
のバスケにばかり夢中で、男の人とおつきあいしたことなんてないんです。おつきあいしたいなって思っても、ほら、この
通り体が大きいでしょう? だから、おつきあいしてくれる人もなかなかいないんです。それで、男の子とどうやっておつき
あいすればいいのか妹にアドバイスできなくて、少し困ってたんです。そんなところへ素敵なカップルが助けにきてくれる
んだもの、迷惑なわけないじゃないですか」
そう応える美也子の笑顔がほんの僅かだが翳った。
体が大きいせいで男性との交際は諦めている。それはおそらく本心なのだろう。体が大きいせいで年ごろの女の子らし
く可愛いファッションを楽しめないと部屋で晶に話していたのも溜息交じりだったに違いない。その代償作用として、男の子
なのにぱっと見は女の子にしか見えない晶に幼女の格好をさせて楽しんでいるというところもあるのかもしれない。
「なに言ってるの。今どき、体が大きいことなんてハンデでも何でもないわよ。体が大きいからこそバスケで頑張れるんで
しょう? それに、スポーツだけじゃなくて、宝塚の男役なんて、180センチくらいの人がごろごろいるわよ。スーパーモデル
もそうだし。昔みたいに男の人に従うしかない時代とは違って、今は女の人が男の人を引っ張っていってもいいのよ。だった
ら、大きな体は却って役にたつんじゃないかしら。家系なのかな、お姉さんの血をひいてるみたいで晶ちゃんも小学生にして
は随分と背が高い方だと思うけど、将来が楽しみじゃない。可愛い顔をしてるし、芸能界デビューなんかしちゃうかもよ?」
慰めるというよりも美也子の大きな体つきを本心から羨むような口調で智子は言い、にっと笑ってみせた。
「ありがとうございます。そうですよね、この大きな体を活かして、私が男の人をリードしちゃえばいいんですよね」
いちどは翳った美也子の表情だけれど、智子の言葉を聞くなり明るさを取り戻して大きく頷いた。そうして、自分自身に言い
聞かせるように呟く。
「だから、私、絶対に晶ちゃんを守る。この大きな体でもって、晶ちゃんを守ってあげる。こんなに可愛い晶ちゃんを泣かせる
ようなこと、絶対にしない。何もかも私が決めて、間違った途には絶対に向かわせない」
そんな美也子の呟きを、智子は少しばかり訝るような表情を浮かべて聞いていた。姉である美也子が妹の晶をどんなこと
があっても守るというのは麗しい姉妹愛の表れに違いない。けれど、女性が男性をリードしちゃえばいいんだという言葉と、
晶を守るという言葉とが、晶が本当は美也子と幼なじみの男の子だという事実を知る由のない智子には、どうしてつながるの
かがわからない。加えて言うなら、何もかも私が決めてという言葉は、これから先ずっと美也子が晶の行動を束縛することを
宣言しているようにも聞こえる言い方だ。それはあまりにも妹に対する思い入れが強すぎるのではないだろうか。智子の胸の
中に、僅かながら、晶と美也子との間柄に対する疑念めいた感覚が湧き起こってくる。
「頑張ります、私」
きょとんとした表情の智子に向かって、美也子は晴れ晴れした笑顔でもういちど大きく頷いた。私が晶をリードしてあげる――
私が晶を(私の好きなように)たっぷり可愛がってあげる。それまで抱いていた晶に対する妖しい感覚がますます大きく膨れ
上がるのを感じて、美也子は胸の中で舌なめずりを繰り返した。
* * *
五人が足を踏み入れたのは、美也子が行くつもりだったファミレスではなく、洒落た感じの喫茶店だった。大学生である淳司
と智子には馴染みの店なのかもしれないが、友人とのお茶といえばファミレスと相場が決まっている高校生の美也子には少し
敷居が高い。ましてや、小学生(にしか見えない)の晶と中学生の徹也とのカップルにはおよそ場違いなのだが、それを「初め
てのデートなんだから、ちっとは格好つけた方がいいんだよ。チョコパやプリンなんてがきんちょのオヤツばっか食ってないで、
ストレートのコーヒーでいっちょまえに格好つけるんだよ。そうすりゃ、やっぱり中学生のお兄ちゃんは大人で素敵ねなーんて、
可愛いガールフレンドが惚れ直してくれちゃったりするんだよよ。さ、行くぞ」と淳司が強引に連れ込んだのだった。
ウエイターがさがり、しばらくして、オーダーした飲み物が運ばれてきた。
美也子が頼んだのはレモンスカッシュ、智子はミルクティーだ。そうして、銀色のトレイを手にして再び現れたウエイターが晶
の目の前に恭しく置いたのはオレンジジュースで、徹也と淳司の前には、同じストレートコーヒーのカップを置く。徹也は最初コ
コアを頼むつもりだったのだが、淳司が自分の分と合わせて勝手に、徹也にはまるで聞き馴染みのないややこしい名前のコー
ヒーをオーダーして、それに従わざるを得なくなってしまったのだった。
「じゃ、こっちはこっちで盛り上がるから、そっちは二人で仲良くな」
飲み物が揃ったのを確認して、ひやかすような口調で淳司が徹也に声をかけた。
「え、あ、……はい」
照れて顔をうっすらと赤く染めた徹也が、おずおずと首を巡らせて隣のテーブルについている淳司の方を向き、こくりと
頷いた。
席は、四人掛けのテーブルに淳司と智子、それに美也子の三人がつき、その隣の二人掛けのテーブルに徹也と晶とい
う組み合わせだ。美也子は二組のカップルの間で一人ぽつんと浮いた存在になってしまうが、徹也と晶の様子を少し離れ
た所からじっくり観察できるわけだから、美也子自身としてはむしろ望ましい配置だ。
「……じゃ、ゴチになります。ほら、晶ちゃんも遠慮しないで飲もうよ。せっかく淳司さんが奢ってやるって言ってくれてるん
だから」
交際を始めたばかりの女の子と二人掛けのテーブルで向かい合わせになって気分が舞い上がってしまい、何から話して
いいものやらまるでわからないまま、徹也はシュガーポットの蓋に手をかけた。
そこへ、横合いから淳司の声が飛んでくる。
「こら、中坊。せっかくブレンドじゃなくストレートを注文してやったんだから、砂糖なんて入れちゃいかんだろうが。ここは年
上のお兄ちゃんらしく、ブラックで渋くきめるんだよ」
淳司はそう決めつけると、これみよがしに椅子の背もたれに左手の肘を載せ、気取った様子で、砂糖もミルクも入れてい
ない自分のカップに口をつけた。
それを見た徹也が、淳司を真似て自分の椅子の背もたれに腕をまわし、こちらはおそるおそるといった様子でコーヒーカ
ップに口をつけた。
途端に徹也の顔が歪み、思わず口をついて出そうになった
「うぇ、にが……」
という呻き声を慌てて飲み込む。
「ったく、意地悪なんだから、淳司は。自分でも滅多に注文しないこの店の中で一番苦い豆を頼むだなんて、徹也君をから
かってそんなに面白いの?」
顔をしかめる徹也の様子を横目で窺いながら、智子は、向かい合わせに座っている淳司に向かって呆れたように言った。
けれど、それでいて、どこかこちらもその状況を楽しんでいるような、少し笑いを含んだ声だ。
「なに言ってんだよ、智子。これは、からかってんじゃなくて、大人になるための大事な儀式なんだぜ。漢には、勝てないと
わかっている敵にも立ち向かっていかなきゃいけない時がある。徹也にとっちゃ、今がその時なのさ」
淳司はわざとおおげさに芝居がかった口調でそう言い返した。たしかに、淳司には、徹也に意地悪をしてやろうという気持
ちなど微塵もない。徹也と晶のういういしいカップルに、悪戯心でついついちょっかいを出してしまうだけだ。それも、まるで
悪意はない。小学生の女の子と中学生の男の子とのカップルを応援する気持ちの表れ以外のなにものでもなかった。それ
を智子もわかっているから笑い声になってしまうのだ。
だが、中学生の男の子を相手に初デートと称して喫茶店の椅子に座らされた晶がそんな浮ついた気分になれる筈はない。
しかも、徹也がいかにも苦そうに顔をしかめて飲んでいるコーヒーが実は晶の大好きな豆だから尚のことだ。今から一年
半ほど前、高校入試に備えて深夜まで勉強を続けていた晶にとって、いつのまにかコーヒーは必需品になっていた。それも
最初は手軽なインスタントコーヒーですませていたのが、もちまえの好奇心から、いつしか本格的なドリップコーヒーにも手
を出し、様々な豆を片っ端から味わって自分好のテイストを求めるようになっていた。そうして巡り会ったのが、まさに淳司が
オーダーした豆だ。ほどよい酸味に加えて他の豆とは比べようもない深い苦みが、唇をつけた瞬間に心地よく鼻腔に抜ける
しっかりしたアロマの香りとともに、口中にふわっと広がってゆく感覚がたとえようもない幸福感を与えてくれたのを、昨日の
ことのように憶えている。
それを目の前の徹也ときたら、その本当の価値などまるでわかろうとせず、ただ苦いだけの飲み物として無理に喉に流し
込んでいるのだ。小学生の女の子そのままの格好をさせられた恥辱も忘れて晶は無性に腹立たしい思いにとらわれ、つい
つい恨みがましい目で徹也の顔を睨みつけてしまった。
けれど、そんな晶の視線を好奇に満ちた目つきと勘違いしたのだろう、徹也はおおげさに首を振ると
「駄目だよ、晶ちゃん。これは大人の飲み物だから、小学校の晶ちゃんにはまだ早いんだよ。とっても苦いから、大人になる
まで我慢しようね。その代わり、ほら、晶ちゃんにはお姉さんがオレンジジュースを頼んでくれてるじゃない。可愛い晶ちゃん
にはオレンジジュースがお似合いだよ」
自分も予想以上の苦さに辟易しながらも、さも平然を装い、大人ぶった仕種を真似てカップの取っ手に指をかけ、いかにも
年下の少女に教え諭すといった口調で徹也は言った。
徹也の言葉に、晶は、丈の短いサンドレスを着てサクランボを模した飾りの付いたカラーゴムで髪を結わえた、小学生の
少女そのままの格好をさせられた自分の姿を改めて思い知らされ、唇をぎゅっと噛んで目を伏せてしまう。
「ジュースのコップが少し遠くて飲みにくいのかな。――ほら、これでどう?」
いっこうにストローを口にしようとしない晶を気遣って、徹也が優しくジュースのグラスを近づけた。
「せっかく親切なお兄さんやお姉さんが初デートの記念にって御馳走してくださるっていうのに、いつまでも遠慮してちゃ却
って失礼よ。この後お買い物もしなきゃいけないんだから、ちゃんと飲んじゃいなさい」
徹也がグラスを晶の方に押しやるのと同時に、美也子が言った。口調こそ穏やかだが、晶にとっては決して逆らうことの
できない絶対的な命令だ。
「……う、うん……」
美也子に命じられて、ようやく晶はグラスに手をかけた。
「駄目じゃない、晶ちゃん。『うん』じゃなくて『はい』でしょ? お行儀よくしないと徹也お兄ちゃんに嫌われちゃうわよ。それに、
お兄さんとお姉さんにお礼を言っとかなきゃいけないんじゃないの? 晶ちゃんと徹也お兄ちゃんとが仲良くできるよう応援
してくださって、その上、こんなに素敵な喫茶店でジュースまで御馳走してくださるんだから」
少しきつい口調で美也子は晶にそう言ってから、すぐ隣に座っている智子と斜め向かいの淳司の顔を交互に見て
「すみません、礼儀知らずの妹で。あとできちんと叱っておきますから、許してやってください」
と、さも恐縮したふうにぺこりと頭を下げた。
「あら、いいのよ、そんなこと。淳司が徹也君のこと自分の弟に似てるからって妙に気に入っちゃって無理矢理ここへ連れて
きちゃったわけだから、そっちが気にすることなんてないのよ。それに、妹さん、まだ小学校の五年生なんでしょう? 小さい
うちにあまり叱ってばかりだと気弱な子になっちゃうかもしれないから、細々したことは気にかけない方がいいかもよ。そりゃ、
女の子なんだからお行儀よくしておしとやかにするにこしたことはないけど、ちょうど遊び盛りの年ごろなんだから、あまり構
わずのびのびさせてあげるくらいがいいんじゃないかしら」
智子が、見るからに優しそうな笑みを浮かべて軽く首を振った。
「ま、そういうことだね。俺たちのことはあまり気にしなさんな。それより、智子が言ったことに関係あるかもしんないけど、
あんたの妹、ちょっと気弱なとこがあるみたいだな。体つきは華奢だけど小学五年にしちゃ背も高いし、顔も可愛いから、
本当だったらもっと自信満々な態度でいてもおかしくないのに、どっかおどおどしてるっていうか、人の目を気にしすぎっ
ていうか。あ、いや、気にしないでくれ。よそんちのことにとやかく口を挟むつもりはないから」
淳司も智子と同じように軽く首を振った後、少し考えてから、そんなふうに美也子に言った。本当のことを知らない淳司
と智子だから、晶が気弱で人見知りが激しい性格なのを、美也子が小さなことを気にしすぎて叱ってばかりだからだと思
い込むのも仕方ない。晶が実は徹也なんかより年上の高校生の男の子で、なのに小学生の女の子みたいな格好をさせ
られて、それが周りにばれないかとびくびくしているのが気弱で人見知りが激しい性格をしているからというふうに映って
いるんだなんて思いつく筈がない。
「はい、わかりました。バスの中でも話したように、妹、人混みの中を歩くのが好きじゃないんですけど、徹也君にお願いし
てなるべく外に連れ出してもらうようにします。私も余計な口出しなんてしないで、徹也君の思う通りにさせてあげたいと思
います」
美也子は、淳司と智子の勘違いっぷりに思わず胸の中でぺろっと舌を突き出しつつも、年長者のアドバイスに耳を傾け
る殊勝な姉を演じながら大きく頷いた。そうして、おもむろに徹也の方に振り向くと、いかにも妹思いの姉というふうを装い、
「お願いね、徹也君。人見知りの激しい晶ちゃんも、大好きな徹也お兄ちゃんと一緒なら、喜んでお出かけすると思うのよ。
私、妹のことを心配しすぎて、そんなことしちゃ駄目あそこへ行っちゃ駄目ってことばかり言ってたかもしれない。それが
原因で、晶ちゃん、私に頼りきりになっちゃったのかもしれない。だから、いろんな所へ連れて行ってあげて。でもって、晶
ちゃんのこと、同じ年ごろの女の子たちとちっとも変わらない、元気いっぱいの女の子にしてあげて」
と言った。
「わかりました。お姉さんからそんなお願いされなくても、僕も晶ちゃんと少しでも長いこと一緒にいたいから、いろんな所
へ連れて行ってあげます」
少しはにかんだ様子で、けれどきっぱりと徹也は言った。が、すぐに少し困った顔になって
「でも、まだ中学生だから、あまりお小遣いもなくて、遊園地とか映画とかには連れて行ってあげられませんけど」
と、ぽつりと呟くように続ける。
「いいのよ、無理しなくても。小学生のうちから映画や遊園地だなんてお金を使うデートを繰り返してたら、それに味をしめ
ちゃうから。それよりも、街中を手をつないで散歩するとか、ウインドウショッピングするとか、そんなのでいいのよ」
美也子は徹也にやんわり言たかと思うと、なにやら面白いことを思いついたのか意味ありげな笑みを浮かべ、すっと目を
細めてこんなふうに付け加えた。
「明日、うちの近くの児童公園で晶ちゃんのお友達と遊ぶ約束になっているの。もしもよかったら、そこへ徹也君も来るとい
いわ。晶ちゃんのお友達も紹介してあげられるし、お出かけするにしても、うちの近くの場所から始めてゆっくり慣れていった
方がいいし。うん、それがいいわ。そうしようよ、ね、徹也君?」
「はい、わかりました。あとで場所と時間を教えてください。絶対に行きます」
徹也は美也子の申し出をまるで迷う様子もなくすんなりと受け容れた。
「よかったわね、晶ちゃん。これで、明日も大好きな徹也お兄ちゃんと一緒よ。それに、香奈お姉ちゃんや恵美お姉ちゃん、
美優お姉ちゃんも一緒だから、とっても楽しい一日になりそうね」
徹也が顔を輝かせながら大きく頷くのを見て、美也子は晶の顔に視線を移した。
「……」
「あの、香奈お姉ちゃんとか美優お姉ちゃんとかいうのが晶ちゃんのお友達なんですか?」
思いがけない美也子の提案に顔色をなくして押し黙ってしまった晶とは対照的に、こちらは興味津々といった様子で徹
也が訊いた。
「そうよ。香奈ちゃんと恵美ちゃんは晶ちゃんとは別の学校だけど、小学六年生で、晶ちゃんは二人のこと『お姉ちゃん』っ
て呼んで、とってもなついてるの。二人とも、弟さんの面倒をよくみるしっかりした子たちなのよ。それと、美優ちゃんは……」
美也子は二人の顔を思い出しながら簡単に説明し、意味ありげに少し間を置いて続けた。
「美優ちゃんは幼稚園の年少さんなの。とっても可愛らしくて、とっても優しい、とっても笑顔がよく似合う女の子なんだ」
「え? 美優ちゃんって、幼稚園の年少さんなんですか?」
香奈と恵美についての説明はすんなり聞き流していた徹也だが、美優が幼稚園児だと聞いた途端、きょとんとした顔に
なって美也子に訊き返した。
「だって、さっき、お姉さん、『美優お姉ちゃん』っていう言い方をしましたよね? 晶ちゃんよりずっと年下の幼稚園児の美
優ちゃんがどうして『お姉ちゃん』なんですか?」
「不思議? そうね、普通に考えればとっても不思議なことよね。でも、これにはちょっと事情があってね」
「事情? どんな事情なんですか?」
「やめて! そんな話、もうやめて!」
突然、それまで押し黙っていた晶が美也子と徹也の会話に割り込んだ。
「あら、何をそんなに怖い顔をしているの? お姉ちゃんはただ、徹也お兄ちゃんに晶ちゃんのお友達のことを説明してい
るだけなのに」
美優に関する説明からいつ紙おむつのことへ話題が移るかしれたものではないと不安を覚え慌てて二人の会話を遮る
晶に、美也子はしれっとした顔で問い返した。
「だ、だって……」
問い返されて、それ以上は何も言えなくなってしまう晶。
「あ、あの、美優ちゃんのことはもういいです。なんだか、晶ちゃんがいやがってるみたいだし。それに、明日になって公園
で直接会ってみたら事情っていうのが何なのか僕にもわかるかもしれないし」
肩を小刻みに震わせて口をつぐんでしまった晶の様子を横目で伺いながら、徹也はその場を取りなすように言い、美也
子に向かって軽く首を振った。
「私は別にいいわよ、徹也君がそう言うなら」
美也子は微かに首をかしげて応え、不安げな眼差しでこちらの様子をちらちらと上目遣いに窺う晶とジュースのグラスと
を見比べて
「あら、まだちっとも飲んでないのね。あんなに公園で遊んだのに、あまり喉が渇いてないのかしら? でも、せっかく御馳
走になったジュースを飲まないで残すなんて失礼よ」
と言うと、すっと右手を挙げて、カウンターの傍らに佇んでいるウエイターを呼んだ。
「御用でございますか」
コーヒーがおいしくて内装が洒落ているのに加えて接客態度もなかなかのものだ。テーブルのそばにやって来た中年の
ウエイターは、自分よりも一回り以上も年下だろうと思われる美也子に対しても、丁寧な物腰で伺いをたてた。
恭しく頭を下げるウエイターに向かって美也子は、少しばかり恐縮した様子で、ストローを一本持ってきてくれるよう依頼し
た。
待つほどもなく、ストローを持ったウエイターが戻ってくる。
「ね、徹也君、お願いがあるんだけど」
受け取ったストローを晶の目の前でこれみよがしに振ってみせながら、美也子は悪戯っぽい笑みを浮かべて徹也に話し
かけた。
「え、なんですか?」
美也子が振ってみせるストローに好奇の目を向けて徹也が言った。
「晶ちゃん一人だとジュースが残っちゃいそうだから、徹也君も手伝ってくれないかな」
美也子はにっと笑って、手にしていたストローを、晶の目の前に置いてあるグラスに差し入れた。そうすると、最初から入
っていたのと合わせて、二本のストローが仲良く一つのグラスの中に並ぶことになる。
「ほら、こうすれば二人で仲良く飲めるでしょ?」
美也子は、二本並んだストローの一本の吸い口を徹也の方に向け、もう一本の吸い口を晶の方に向けて言い、グラスを
テーブルの真ん中あたりに置き直した。
「……」
「……」
美也子が吸い口の向きを整えた二本のストローを目にした晶と徹也は、揃って言葉を失った。
徹也の方は、何か言いたそうにするのだが、美也子の思いがけない提案に恥ずかしそうに顔を赤く染め、けれど、満更
でもなさそうな表情で、二本のストローと晶の顔とを何度もちらちらと見比べるばかりだ。一方の晶は、甘ったるい恋愛映
画にでも出てきそうな行為を命じられた屈辱に唇を噛みしめるばかりだ。屈辱と、そうして、けれど結局はその命令に逆ら
えない惨めさに。
「あ、そりゃいいや。こっ恥ずかしくて俺たちにゃできないけど、二人にはお似合いだぜ。いかにも清純でういういしいっつう
感じで、とってもいいじゃん。こら、中坊。粋な計らいをしてくれたお姉さんに感謝しなきゃ駄目だぞ」
ひやかすようなにやにや笑いを顔いっぱいに浮かべて淳司が徹也に言った。
「うん、私もいいと思うよ。徹也君、晶ちゃんが困ったら絶対に助けてやるって約束したんだもん、これはお姉さんの言う通
りにしなきゃいけないわね。晶ちゃんもよかったね。妹のデートをこんなに助けてくれるお姉さんなんてなかなかいないよ。
いいな、晶ちゃんは。かっこいいボーイフレンドがいて、こんなに優しいお姉さんがいて。みんなから大切にされて、羨ましく
なっちゃう」
淳司に続いて智子も、にこやかな笑顔で徹也と晶に声をかけた。
「さ、どうぞ。遠慮しないでめしあがれ」
少しおどけた調子で美也子は二人を促した。
「じ、じゃ、いただきます」
盛んにもじもじしながら、それでも徹也は、少し迷った後、ストローの端に指を掛けて口元に引き寄せた。
けれど、一方の晶がストローに手を伸ばす気配は微塵もない。屈辱に肩を震わせ、下唇を噛みしめて、膝の上で両手の
拳をぎゅっと握りしめたまま身じろぎ一つできずにいる。
「あら、どうしたの、晶ちゃん。徹也お兄ちゃんはもうすっかり準備が出来ているみたいよ。あまり待たせちゃいけないから、
ほら、晶ちゃんも準備なさい」
美也子は自分のの席に座ったまま長い腕を伸ばし、晶の手首をつかんでテーブルの上に引っ張り上げた。体つきも腕力
もまるで比べ物にならないほどの差があるから、いくら晶が拒んでも結果は最初から見えている。しかも、あまり頑なに拒
み続けると却って不審がられ、正体を気取られるかもしれないという不安があるから尚のことだ。
「そう、それでいいのよ。あとは、こっちの腕の肘をテーブルに軽くついて、もう片方の手の指先でストローの端をそっとつか
んでごらん。あ、違う、そうじゃないってば。力まかせにぎゅっとつかむんじゃなくて、もっと優しく指先でそっとつまむように
するのよ。うん、そうそう。そんな感じでいいのよ。うふふ、まるで子役のモデルさんみたいに愛くるしいポーズだわ。ね、ね、
徹也君はどう思う?」
強引に晶にストローを持たせ、少し前に目にした映画のポスターを思い出しながらヒロインに似せたポーズを強引に取ら
せた美也子は、いかにも満足げな表情で徹也に言った。
「い、いいです。すごく可愛いです、晶ちゃん。こんなに可愛い子が僕のガールフレンドだなんて、なんだかまだ信じられな
いや。僕、僕、あのバスに乗って本当にラッキーでした」
愛くるしい仕種でストローの端を持ち、羞じらいの色を満面にたたえて上目遣いにこちらを見る晶の姿に、徹也はどぎまぎ
して声をうわずらせた。
「そう言ってくれると嬉しいわ。私も、あのバスで徹也君と出会ってよかったと思っているのよ。人見知りが激しくて気の弱い
妹だけど、これからずっと、どうかよろしくね」
「はい。どんなことがあっても晶ちゃんは僕が守ります」
徹也は、これ以上ないくらい真剣な顔つきで断言した。
「あらあら、本当に頼もしいボーイフレンドだこと。じゃ、二人で晶ちゃんを守っていこうね、徹也君」
「はい、お姉さん」
美也子の言葉に精いっぱい頷く徹也。
そんな二人の様子をどこか別の世界のことのようにぼんやり眺める晶の顔に、僅かながら焦りの色が浮かんだ。ストロ
ーを持つ指先が微かに震える。
「それじゃ、二人の初デートを記念して、はい、どうぞ」
美也子の少しおどけた掛け声に合わせて、徹也は照れ臭そうにしながらストローの端に口をつけた。
が、晶は助けを求めるような目で美也子の顔を見上げるばかりだ。
「ほら、晶ちゃんもストローを咥えるのよ。なにをいつまでも愚図愚図してるの? ひょっとして晶ちゃん、まだストローもちゃ
んと使えない赤ちゃんだったのかな? 哺乳壜じゃなきゃジュースも一人で飲めない小っちゃな赤ちゃんだったのかしら?」
なかなかストローを口にしようとしない晶に向かって美代子は『赤ちゃん』という部分を強調して言い、スカートの上から晶
の下腹部をぽんと叩いた。言うことを聞かないのなら紙おむつのことをみんなにばらしちゃうわよと、さりげなく晶を追いつめ
ているのだ。
晶は力なく首を振った。スカートの下の恥ずかしい下着のことをみんなに話すのだけは勘弁して。無言でそう赦しを乞うて
いる晶の胸の内が、美也子には手に取るようにわかる。そうして、更に、ぴんとくるものがあった。美也子は、晶が弱々しく首
を振っているのは、赦しを乞うためだけではなく、もっと別の意味もあるのだと直感した。だが、今はまだそのことには敢えて
触れないでおく。楽しみは先にとっておいた方が面白いのだから。
「ほらったら」
美也子はもういちど晶の下腹部をぽんと叩いた。
ようやく覚悟を決めたのか、晶はおそるおそるといった様子でストローに口をつけた。
美也子が目で合図を送ると、待ちかねたかのように徹也の頬と唇が動き出す。半透明のストローがジュースを吸い上げて、
薄いオレンジ色に染まった。
けれど、晶の唇はぴくりとも動かない。美也子に強要されてストローに口をつけはしたものの、本当は高校生の男の子であ
る晶が中学生の男の子と一つのグラスでジュースを飲むだなんてことできるわけがない。いや、正確に言うと、晶がストロー
を吸おうとしない理由は、徹也と同じグラスからジュースを飲まされることに対する屈辱と羞恥だけではない。ジュースに限ら
ず、今は飲み物を口にすることはどうしても避けたかった。だからこそ、オシボリと一緒に出てきた冷たい水が入ったグラスも
手つかずのままにしていたのだ。
「本当にどうしたの、晶ちゃん? おいしそうなジュースなのに」
ストローは口にしたものの一向にジュースを飲もうとしない晶に向かって、美也子は不思議そうな顔をして尋ねた。理由
は美也子にも充分わかっている。わかっていながら、そうやってじわじわ追いつめるのが楽しくてならない。
そうして美也子は
「あ、そうか。鞄の肩紐が邪魔になって飲みにくいのね。いいわ、鞄はお姉ちゃんが持っていてあげる」
と、晶がジュースを飲もうとしない理由をわざと取り違えて、晶が肩に掛けている小物入れの鞄を半ば強引に取り上げ、
留め金に指をかけると、誰にともなく呟いた。
「晶ちゃん、忘れ物はしてないかしら。お出かけの時に要る物みんな持ってきているかどうかチェックしておこうかな」
「い、いやぁ!」
美也子の呟きを耳にした晶は、ストローに添えていた指をぱっと離し、鞄を取り返そうとして慌てて両手を延ばした。
けれど、美也子と比べて身長が20センチ以上も低い晶だから腕も短く、簡単には鞄に手が届かない。しかも腕力の差が
歴然だから、指が鞄にかかる前に簡単に手を振り払われてしまう。
このまま美也子が鞄を開けたら、中に入っているのが何なのか、みんなに知られてしまう。たとえ鞄の中が見えなかった
としても、精液がべっとり付着した紙おむつがポリ袋の中で蒸れた匂いや、ベビーパウダーの甘い香りが漂い出たりすれば、
それが何のにおいなのかみんなが探ろうとするのは目に見えている。
「いくら姉妹でも、それはいけないんじゃないかな」
今まさに鞄の留め金が外れそうになった瞬間、智子がやんわりと美也子を制した。
「晶ちゃん、幼稚園とかの小っちゃい子じゃなくて、もう小学校の五年生なんでしょう? そんな晶ちゃんの鞄の中身を、よそ
の人の目があるこんな所で確認するのは感心しないわね。それも、女の子しかいない所ならともかく、淳司や徹也君みたい
な男の子がすぐ近くで見ている場所でなんて」
智子がそう言って美也子を押しとどめてくれたことに晶は思わず安堵の溜息をついた。
けれど、しばらくして、智子が美也子の行動を制した理由に思い至ると、羞恥で顔が真っ赤に染まってしまう。「晶ちゃんは
もう五年生なんでしょう?」「女の子しかいない所ならともかく」「男の子がすぐ近くで見ている」智子が口にした言葉は、晶の
鞄の中に入っているかもしれない生理用品が徹也や淳司の目に触れる恐れがあるからここで鞄を開けるのはよしなさいとい
うことを暗に仄めかしているのだ。
初潮を迎える年齢は小学校六年生から中学校二年生の間というのが一般的だが、それより早い子も幾らでもいるし、
体格が良くて発育の早い子ほど初潮を迎える年齢が早い傾向にあるから、小学校五年生(ということになっている)として
は背の高い晶が既に初潮を迎え、外出時に念のため生理用品を持ち歩いていたとしてもおかしなことはまるでない。智子
はそう判断して、美也子が淳司や徹也の目の前で鞄を開けるのを押しとどめたのだろう(もっとも、初潮を迎えると同時に
乳房の発育が始まることが多いから、ジュニアブラのカップのおかげでかろうじて微かに膨らんでいるだけの晶の胸元か
ら判断すれば、まだ生理用品を持ち歩く必要などないと考えたかもしれないが)。
晶は、自分がそんなふうに完全に女の子だと思われていることにひどい羞恥を覚え、頬をかっとほてらせてしまったわけ
だ。とはいえ、生理用品など比べ物にならないほど恥ずかしい精液で汚れた紙おむつをみんなの目にさらすことを考えれ
ば、その程度の羞恥は我慢するしかない。
鞄を取り返すことを諦め、羞恥のために身を固くしながら晶がちらと窺うと、徹也はジュースを飲むのをやめ、顔をうっす
らと赤くして智子の言葉に聞き入っていた。徹也は中学三年生。男の子とはいえ、女の子の生理についてもいろいろ聞き
及んでいる年ごろだ。智子が何を言っているのか、察しをつけたとしても不思議はない。
晶がそれとなく様子を窺い続ける中、徹也は、美也子が持っている晶の鞄と、晶の顔とを何度もちらちらと見比べた後、テ
ーブルにじっと目を向けた。しかし、徹也はテーブルを眺めているのでは決してない。徹也の視線をそのまま真っ直ぐ延長
すれば、ちょうど晶の下腹部に届くのだ。
(こ、こいつ、俺が生理ナプキンを着けた姿を想像してやがるな。てめ、どんだけ変態なんだよ。てめぇより年上の男のナプ
キン姿なんて想像すんじゃねーよ)晶は胸の中で毒づいた。けれど、それを声に出して言うことはできない。そんなことをし
て正体を知られたりしたら、たとえようのない恥辱にまみれるのは晶自身なのだから。
今の晶は、思春期の少女そのまま羞じらいに満ちた表情で、テーブルなど見透かすようにして晶の下腹部に向けられた
徹也の視線から逃れるために、丈の短いサンドレスの裾をぎゅっと引っ張り、スカートがの生地を太腿の上に両手で押さえ
つけることしかできないでいた。
それは、少年たちを前にして身をすくめてしまった児童公園での光景とそっくりだった。自分よりもずっと年下で体も小さ
い小学生の男の子たちにブラを見られて、けれど身を固くするしかできなかったあの時。そうして、小学生たちに妹扱いさ
れる被虐感に下腹部を疼かせてしまったあの時の光景。
しかも、今、目の前にいるのは中学生の徹也だ。並んで通路を歩いていた時のことを思い浮かべると、徹也と、踵の高い
サンダルを履いた晶との背が殆ど同じだった。晶の身長が160センチあるかないかだから、サンダルの高さを考え合わせ
ると、徹也の身長は163~4センチといったところだろうか。いずれにしても、徹也は、年齢こそ下だが、背は晶よりも高い。
しかも、「喧嘩はあまり強くないけど」とは言っていたものの、文芸部の部員で殆ど体を動かしたことのない華奢な晶に比べ
れば体全体が引き締まって腕力もありそうだ。それに、まだ中学生という無分別なところのある年代だから、かっとなったり
一つの事を思い詰めたりすると、何をしでかすかしれたものではない。そんな徹也にじっと見据えられると、ひどく心細くな
ってしまう。生まれた時からの女の子ならスカートの穿き心地にも慣れているからそうでもないかもしれないけれど、生まれ
て初めて身に着ける晶にとっては、ノースリーブの丈の短いサンドレスは、想像もできないほどに頼りない着心地だった。
足元も胸元も肩口も妙にすうすうして、まるで無防備に裸体をさらしているのとちっとも変わらない気さえする。晶は、改め
て自分の無力さを実感させられた。と同時に、目の前の徹也が、ますます大きく見えてくる。へんに逆らったら何をされるか
しれたものではないという怯えと、こちらが媚びをうれば何かあった時には守ってくれそうな打算的な信頼感と。
(ああ、そうか。女の子っていうのは、男の子のことをこんなふうに見ているのか。美也子も、小さい頃は俺のことをこんなふ
うに感じていたんだろうな。俺、わざとお兄ちゃんぶったりヒーローぶったりしてたから、美也子、余計にそう思ってたかもな。
けど、今は……)晶は、不意に、女の子の気持ちが少しだけわかったような気がした。同時に、今は自分がそんな女の子そ
のままの立場に置かれていることも痛いほど思い知らされる。
そう思う晶の下腹部が切なく疼き出した。公園で小学生たちから逆に下級生扱いされながらその被虐感が転じた下腹部の
疼きに耐えかねてペニスから精液を溢れ出させてしまったあの時の切なさが生々しく甦ってきて、まるで焦点の合わないど
こか別の世界のことを見ているような目に映っていた少年たちの顔が徹也の顔に重なる。
本当は高校生の男の子なのに、小学生の女の子として中学生の男の子のガールフレンドに仕立てられ、ナプキン姿を想
像される倒錯感。晶の下腹部がますます疼く。
けれど、その疼きは、公園で感じた疼きとまるで同じというわけではなかった。
「ごめんね、晶ちゃん。お姉ちゃんが悪かったわ。智子さんに言われて気づいたんだけど、晶ちゃん、もう小っちゃな子じゃ
ないんだよね。小学五年生っていったら、立派なレディだもんね。なのに、いつまでも子供扱いしてごめんね。お姉ちゃん、
晶ちゃんにあやまる。だから、晶ちゃんもいつまでも拗ねてないで、さ、徹也お兄ちゃんと一緒にジュースを飲みましょう」
徹也がテーブルを見つめている意味は美也子にもわかっている。もちろん、徹也の視線を避けようとしてスカートを太腿
に力いっぱい押さえつけている晶の胸の内も手に取るようにわかる。美也子は胸の中でくすくす笑いながら、けれど顔には
優しげな笑みをたたえて晶の手首をつかみ、その手をもういちどテーブルの上に引っ張り上げた。
「さ、今度こそちゃんと飲むのよ。ジュースを飲んでる間、鞄はお姉ちゃんが預かっていてあげるから」
美也子は晶の指をストローに添えさせ、小物入れの鞄をこれみよがしにぽんと叩いた。言いつけをまもれないなら今度こ
そ鞄をみんなの目の前で開けちゃうわよと脅しているのが見え見えだ。
「あら、お返事は? 晶ちゃん、もう小っちゃな子じゃないんでしょう? いつまでも子供扱いされたくないんだったら、ちゃん
とお返事くらいできるよね? もう五年生のお姉ちゃんだもんね? いつまでもおむつの赤ちゃんなんかじゃないもんね?」
「……う、うん……あ、ううん、は、はい……」
言われて晶は渋々のように返事をした。
「はい、ちゃんとお返事できて、晶ちゃんはとってもお利口さんね。それじゃ、お姉ちゃんが号令をかけるから、それを合図に
二人一緒に飲もうか。――じゃ、いくわよ。はい、いっちにの、さん!」
美也子は、蚊の鳴くような声で返事をして力なく目をそらした晶の髪を二度三度と撫でてから、徹也と晶の顔を見比べて言
い、軽く両手を打ち鳴らした。
ここまで追い詰められてしまっては、もうこれ以上は抗えない。晶はおずおずとストローの先を口に付け、おそるおそると
いった様子で唇と舌を動かし始めた。
半透明のストローの中をオレンジジュースがゆっくりゆっくり這い上がってくる。
一方、徹也の方は力まかせにストローを吸っているのだろう、晶のストローが三分の一ほど薄いオレンジ色に染まった頃に
は、徹也の口にはもうストローの先からジュースが溢れ出していた。
「ほら、しっかり、晶ちゃん。おしとやかなのもいいけど、こんな時は元気いっぱいの女の子の方が可愛いのよ。頑張って徹也
君を見返しちゃいなさい」
晶のストローがなかなかジュースを吸い上げないのを見かねた智子が声援を送る。
智子に悪意などあろう筈がない。けれど、気遣いに富んだ声援の声が、却って晶の逃げ場を失ってゆく。
「そうだぜ、晶ちゃん。晶ちゃんくらいの年の女の子は少しくらいお転婆な方がいいんだぜ。だから、ほら、頑張れ」
徹也のことはつっけんどんに『中坊』と呼んでいるくせに、晶の名前には『ちゃん』を付けて呼んで、そんな声援がますま
す晶の羞恥を煽るとは夢にも思わず、淳司も智子と一緒に囃したてた。
しばらくすると、いつしか晶のストローも、もうすぐジュースが吸い口に届くというところまでになる。
「さ、もうすぐよ。ほら、頑張って」
淫靡な笑いを含んだ声で美也子が促した。
その声に急かされ、半ば自暴自棄ぎみに、晶はストローをすっと吸った。
途端に口の中に流れ込んでくる甘酸っぱい香りとひんやりした舌触り。
本来なら爽やかな生ジュースの筈なのに、一つのグラスで中学生の男の子と一緒に飲んでいるのかと思うと、とてもで
はないが飲み込むことができない。
(こ、これって間接キスみたいなもんだよな? くそ、俺、中学生の男の子と間接キスしちまったのかよ。なんでこんなこと
になっちまうんだよ~)今にも叫び出しそうになるのをぐっと堪える晶。けれど、ストローの先から口の中に溢れ出るジュー
スを喉まで流し込むこともできず、かといってグラスに戻すこともできずに、ただ肩を震わせるばかりだ。
(こいつさえバスに乗ってこなきゃこんなことにならなかったのに。こいつが俺のブラを覗かなきゃ男と間接キスなんてさせ
られる羽目にならなかったのに)晶はストローを口に付けたまま、恨みがましい目で徹也の顔を睨みつけた。と、さきほどか
らじっとこちらを見つめていたらしい徹也と目が合ってしまう。
途端に徹也が顔を真っ赤にしてぷいっと目をそらした。
その慌てた様子に、晶は、はっとして自分の胸元を見おろした。
晶の目に、自分の肌とサンドレスの生地との間にできた隙間を通して見える淡いレモン色のジュニアブラが映った。
ストローを咥えるために幾らか前屈みの姿勢になったせいで、少しだぶつき加減のサンドレスがテーブルに向かって垂れ
さがりぎみになって胸元がはだけ、ブラジャーが丸見えになってしまっていたのだ。晶が鞄を掛けたままにしていたなら、肩
紐がサンドレスの胸元を押さえつけて、こんなことにはならなかっただろう。それが、美也子に鞄を預けてしまったせいで、バ
スの中での出来事と同様に肌とサンドレスとの間に大きな隙間ができてしまったのだった。
「い、いやぁ~!」
バスの中だけで懲りずに徹也がまたブラを盗み見していたと知って、晶は思わず男声で怒鳴りつけそうになったのだが、
実際に口をついて出たのは、少女の装いの頼りない着心地のせいなのか、甲高い裏声の女の子めいた悲鳴だった。
晶は慌ててストローから口を離し、悲鳴をあげながら、サンドレスの胸元を両手で押さえつけた。
と、飲み込むことが躊躇われて口の中にとどまっていたジュースが幾つもの雫になって唇から顎先を伝い、首筋や胸元
に滴り落ちる。
「駄目だよ、晶ちゃん。ちょっとじっとしてて。すぐに綺麗にしてあげるから」
晶と目が合ってばつわるそうに視線をそらした徹也だが、晶の口からジュースを溢れ出ているのを見て取ると、テーブル
の隅に置いてあるホルダーから小振りのペーパーナフキンを何枚か急いでつかみ取り、晶の口元に押し当てた。
「お兄ちゃんが綺麗にしてあげるから、晶ちゃんはじっとしてるんだよ。お口も首もこんなにびしょびしょにしちゃって、可哀
想に、とっても冷たいよね?」
徹也は、いかにも年長者ぶった口調でなだめるように言い、晶の口元についたジュースの雫をナフキンで拭い取ると、顎
先筋から首筋へと素早く手を動かした。
そうして、薄い胸に僅かに浮いた鎖骨のあたりを拭き清めて、今度は胸元へと手が移ってゆく。
徹也の手が尚も動いて、サンドレスの上からブラのカップを押さえるような形になった瞬間、
「やだ、駄目!」
再び甲高い悲鳴が晶の口をついて出た。
「あっ!」
同時に、徹也の叫び声。
胸元に触れる徹也の手を羞じらいに満ちた表情を浮かべた晶が思わず振り払った拍子に、勢い余ってジュースのグラス
をテーブルの上でひっくり返してしまったのだ。幸いグラスが割れることはなかったものの、飲み口を晶の方に向けて倒れ
たグラスからは、まだたくさん残っているジュースが勢いよくこぼれ出て、あるいはテーブルの上にオレンジ色の水たまりを
つくり、あるいはテーブルの端から滴り落ち、あるいは小さな無数のしぶきになって晶に向かって飛び散ったりした。
「大丈夫?」
「おい、大丈夫か?」
口々に声をかけながら、美也子と智子、淳司が揃って椅子から立ち上がり、グラスからこぼれ出たジュースを拭き取るた
めに各々のオシボリをテーブルに押し当てた。
そこへ、騒ぎに気づいたウエイターがオシボリを何枚も待って駆けつける。
「大丈夫ですか、お嬢様?」
ウエイターは、こわばった表情で椅子に座ったままでいる晶のサンドレスの裾がテーブルから滴り落ちる雫で汚れない
よう、太腿の上にオシボリを広げて置き、恭しく頭を下げて気遣わしげに訊いた。
「……あ、あたし……」
自分がとんでもないことをしでかしてしまったことにようやく気づいたかのように、晶はそこまで言って、言葉を飲み込ん
だ。心の中では(このオヤジ、俺のことを『お嬢様』だと? 俺は本当は『お坊っちゃま』なんだよ。ま、お坊っちゃまなんて
ほどガキじゃないけど、他に呼び方を思いつかないんだから仕方ねーだろ。だいいち、こうなったのは、俺が悪いんじゃな
いからな。そうさ、悪いのはみんな、目の前の中坊なんだからな)と毒づき、盛んに自分を奮い立たせようとするのだが、
自分のしでかした不始末の後片づけをせっせとしてくれている智子たちや、時おりこちらの様子をそっと窺い見る他の客た
ちのことを考えると、へなへなと心が萎えてしまう。
それでも尚も強引に自分を鼓舞しようとしても、(こいつがブラを覗き込んだりしなかったら俺が悲鳴をあげることもなか
ったし、それに、こいつが俺の胸をサンドレスの上から触ったりしなかったら、あんなふうに腕を払いのけてジュースをこぼ
すこともなかったんだからな。みんな、俺のブラを覗いたり俺の胸を触ったりしたこいつのせいなんだからな。――あ、あ
れ? でも、ブラを見られたり胸を触られたりしても、俺が悲鳴をあげることもなかったのかな? ブラを見られても、胸を
触られても、女の子みたいにおっぱいがあるわけじゃないもんな。そりゃちょっとは恥ずかしいけど、それにしたって、ぎゃ
あぎゃあ悲鳴をあげるなんてみっともないことしなくてもよかったんじゃないかな)と、気持ちが妙に平穏になってゆくのだ
った。いや、平穏になってゆくというよりも、なんだか自分が一人では何もできない、まわりに迷惑をかけてばかりの、それ
こそ小学生どころか幼稚園児くらいの手のかかる子供に戻ってしまったかのような気がして、なんともいえない無力感にと
らわれてゆくと言った方が正確だろうか。
(考えてみりゃ、こうなった元々の原因は美也子なんだよな。美也子がこんな馬鹿げたおままごとなんて始めなきゃ、俺が
小学生の女の子みたいな格好をすることもなかったし、目の前の中坊と一緒にジュースなんて飲む羽目にもならなかった
んだし。でも、美也子のやつ、おままごとは明日も続けるって言ってたっけ。たしか、明日も公園でガキンチョたちと遊ばさ
れることになってたんだっけ。どうすんだ、どうすんだよ、俺)いくら考えても美也子の企みから逃れる術など思いつかない。
晶は途方に暮れた顔で肩を落とした。
「気になさることはございませんよ。お客様がお水のグラスや飲み物のカップを落としたりひっくり返したりなさることは珍
しいことではございません。あとのことはおまかせください」
晶が肩を落としたのを見たウエイターは、晶が自分の失敗にひどく気落ちしているのだろうと判断して優しく言い、テー
ブルの上を手早く片づけた。言葉は丁寧で大人に対するように慇懃だが、その噛んでふくめるような口調からは、ウエイ
ターが晶のことを小学生の女の子と信じきっている様子がありありと感じられる。
「……ご、ごめんなさい……」
身をすくめながらも、晶は、見るからに人の好さそうウエイターの笑顔に、思わず少女めいた仕種でぺこりと頭を下げて
しまった。そのおどおどした様子がますます晶を幼くみせる。
「よろしいのですよ、気になさらなくても」
智子たちの手を借りてテーブルの上をすっかり綺麗に片づけ終えたウエイターは、すっと腰をかがめて晶と目の高さを
合わせ、穏やかな笑顔で言った。
が、サンドレスの裾にうっすらついたジュースのシミに気づくと、
「これは申し訳ございません。スカートが汚れないようにしたつもりですが、咄嗟のことで、行き届かぬところがございまし
た。シミが残らないよう急いで拭き取りますので、しばらくご辛抱ください」
と恐縮した様子で言い、急いで新しいオシボリをつかみ上げた。テーブルの端から滴る雫でサンドレスの裾が濡れないよ
うにとウエイターが晶の太腿の上にオシボリを広げて置いたのだが、一枚だけでは、覆い隠す面積が足りなかったようで、
広げて置いたオシボリから外れたすぐのところが小さなシミになっていたのだ。
「あの、これくらい構いません。だから、あの……」
晶は、こちらに向かって延びてくるウエイターの右手を慌てて押しとどめようとした。
「いえ、そういうわけにはまいりません。早めに拭き取りませんと、スカートにシミが残ってしまいます」
物言いこそ丁寧だが、職務に忠実すぎる性格なのか、ウエイターは晶の言葉をまるで聞き入れようとはせず、いささか
強引とも思えるくらいの身のこなしで新しいオシボリをサンドレスの裾に押し当てた。
晶はウエイターの手を押しとどめることは諦め、その代わり、スカートの裾を力いっぱい押さえつけた。
けれど、それも
「お嬢様、お手をおどけいただけますでしょうか。そのままですと、スカートに滲みこんだジュースを拭き取れませんので」
という言葉と共に簡単に払いのけられてしまう。
「駄目よ、晶ちゃん。じっとしてないと、ウエイターの叔父様の邪魔になるでしょ?」
スカートの中の恥ずかしい秘密を知られる恐れを少しでも減らそうとして晶が虚しい抵抗を続ける様子を面白そうに眺め
ながら、美也子は、分別のつかない幼児をたしなめるような口調で言った。
「そうよ、晶ちゃん。せっかくの可愛いサンドレスにシミがついたままだと、晶ちゃんも困るでしょう? ウエイターの叔父様は
こんなことに慣れてらっしゃると思うから、ここはおまかせしておいた方がいいわ」
美也子の言葉に、テーブルの向かい側の智子も同意する。
「で、でも……」
二人からそう言われると、晶としても拒み続けることはできない。渋々のように言葉を飲みこみ、左右の掌を所在なげに胸
の前で重ねて身をすくめた。
「それでは失礼いたします。こういうシミを拭き取るにはコツがあるんですよ。力まかせに拭い取るのではなく、生地の表と裏
を同時に濡れオシボリでつまむようにして――」
そう言いながらウエイターは晶のスカートの裾を指先でほんの少し持ち上げたが、その直後に、はっとしたような顔になっ
て言葉を失った。ただでさえ丈の短いサンドレスが、晶が前のめりの姿勢で椅子に腰かけているものだから幾らかたくし上げ
られてしまい、、裾を少し持ち上げただけで、僅かとはいえ、ピンクの紙おむつが見えてしまうのだ。
それに気づいた晶は慌ててスカートの裾を押さえようとしたが、傍らに立っている美也子に両手の自由を奪われてしまう。
「じっとしてなきゃ駄目って言った筈よ。お気に入りのサンドレスがシミになっちゃったら悲しいでしょ?」
美也子は晶が胸元から手を動かせないようしっかり押さえつけ、おもむろにウエイターの方に向き直って平然とした様子で
言った。
「どうぞ、気になさらずに続けてください。気にされると却ってこの子が恥ずかしがりますから」
「承知しました。それでは失礼いたします」
ウエイターは周囲の様子をさっと見まわし、他の客たちも、テーブルの向かい側にいる智子たちも晶のスカートの中の
秘密には気づいていないようだと判断すると、改めて恭しく頭を下げ、元の穏やかな表情に戻ってシミを拭き取り始めた。
ウエイターがシミを拭き取っている間、晶は体を固くして押し黙っていることしかできなかった。へんに騒ぎたてて恥ずか
しい秘密が目の前の三人に知られたら取り返しがつかない。瞼を閉じようとしても、どういうわけか、少女のように細く白い
両脚の間にある紙おむつのふわっと膨れた吸収帯から目を離せない。
「でも、残念だったわね。せっかく大好きな徹也お兄ちゃんと一緒にジュースを飲めると思って楽しみにしていたのに、それ
が駄目になっちゃって」
美也子は、スカートの裾から僅かに見えるハート模様の紙おむつと頬をほんのりピンクに染めた晶の顔とを交互に見比
べて言った。
と、シミを拭き取る手を動かしながら、ウエイターが晶にともなく美也子にともなく、こう告げた。
「そのことでしたら心配には及びません。このシミを拭き取ったらすぐに新しいジュースをお持ちいたします。いえ、お代金
は結構です。当店をお選びいただきましたお客様への当店からのささやんなお礼でございますので」
「え、本当ですか。御迷惑をおかけした上、そんなことまで」
ウエイターの言葉に美也子が顔を輝かせた。
同時に、テーブルの向こう側で心配そうにこちらの様子を窺っている徹也の顔もぱっと輝いた。
一方、晶は長い睫毛を何度かしばたかせて、胸の前で重ねた掌どうしをぎゅっと握りしめてしまう。これでやっとのこと中
学生の男の子と同じグラスから二本のストローで同時にジュースを飲むという屈辱に満ちた行為から解放されると思って
いたのに、その辱めをもういちど強要されるのだ。もう、飲むふりだけではすまないだろう。今度こそ、半分くらいは本当に
飲まないと美也子が承知しないに違いない。けれど、そんなこと。
「お待たせいたしました。これでシミが目立つことはないと思います」
丁寧にシミを拭き取ってようやくスカートから手を離したウエイターが、晶の顔を正面から見て穏やかな声で言った。そう
してウエイターは、おどおどと目をそらす晶に向かって、自分の口の前に人差指を立ててみせ、にかやかな笑みを浮かべ
た。おむつのことはみんなには秘密にしておいてあげるから心配しなくていいんだよ。ウエイターは晶に無言でそう告げた
のだ。その優しさが却って晶の羞恥をこれでもかと掻きたて、ますます、自分が一人では何もできない小さな子供に返って
しまったような気にさせる。
「よかったわね、晶ちゃん、スカートを綺麗にしてもらえて。それに、よかったわね、徹也お兄ちゃんともういちどジュース
を飲めるようにしてもらって。それから……」
ジュースを拭き取ったたくさんのオシボリを銀色のトレイに載せてカウンターの方に戻ってゆくウエイターの後ろ姿を見
送りながらそう言って、美也子は意味ありげに間を置き、晶の耳元に唇を寄せて囁いた。
「……よかったわね、晶ちゃんが本当は男の子だってことがウエイターの叔父様にばれなくて。おちんちんをお尻の方に
しまっておいてあげたお姉ちゃんのおかげなんだから、ちゃんとお礼を言ってくれるよね?」
それまでも身をすくめていた晶が、美也子の囁き声にますます体を固くしてしまう。男の子だということがばれなくてよか
ったねどころか、美也子が馬鹿げたおままごとなんか始めていなければ、そもそもこんな恥ずかしい目に遭わずにすんだ
のだ。けれど、そんな反論をしたが最後、この後どんな仕打ちを受けるかしれたものではない。
「あら、お礼を言ってくれないの? ふぅん、晶ちゃん、本当は男の子だってこと、みんなに知られても平気なんだ?」
胸元で手を組んで身を固くするばかりの晶の耳元で美也子は続けて囁きかけた。
途端に晶が弱々しく首を振る。
「じゃ、ちゃんとお姉ちゃんにお礼を言ってくれるのね? あ、みんなに聞こえるような大きな声だと恥ずかしいでしょうから、
お姉ちゃんだけに聞こえる小さな声でいいわよ。小さな可愛らしい声でお姉ちゃんにありがとうを言ってちょうだい。でも、
ありがとうだけじゃいやよ。他に何を言えばいいか、お利口な晶ちゃんにはわかってるよね?」
美也子の念を押すような口調の囁き声が晶の胸に冷たく突き刺さった。
「……あ、ありがとう、お、お姉ちゃん……」
しばらくの間きゅっと下唇を噛みしめていた晶だが、ようやくのこと覚悟を決めたようで、力なく首をうなだれ、よく注意して
いないと聞こえないような弱々しい声を絞り出した。
「……あ、あたしが本当は男の子だってばれないよう……お、おちんちんをお尻の方にまわしてくれてありがとう。こ、こん
なこと、ショーツだったら難しいよね? だから、お、おむつを穿かせてくれて……ありがとう、お姉ちゃん」
「はい、よく言えました。やっばりお利口さんね、晶ちゃんは」
顔を真っ赤にしてそう言った晶の声に美也子は相好を崩して頷き、らんらんと目を輝かせてこんなふうに付け加えた。
「じゃ、新しいジュースを持ってきてくださるウエイターの叔父様にもちゃんとお礼を言うのよ。それから、徹也お兄ちゃんに
は、晶ちゃんと一緒にジュースを飲んでちょうだいって可愛らしくおねだりするのよ。わかったわね?」
美也子の命令に晶はこくりと頷くしかなかった。
そうこうしているうちに、ウエイターが新しいオレンジジュースを運んでくる。
「お待たせいたしました、新しいオレンジジュースでございます」
そう言ってウエイターがテーブルに置いたオレンジジュースのグラスを目にするなり、晶の顔が引きつった。さっき晶が
勢い余ってひっくり返してしまったグラスに比べると、ふたまわりほども大きなグラスだった。おそらく、ジュース用のグラ
スなどではなく、フルーツやゼリーやクリームをたっぷり使ったボリューム満点のパフェを盛りつけるためのグラスだろう。
しかも、その大きなグラスになみなみとジュースが満たされていて、ご丁寧に最初からストローが二本並んでいる。
「特別サービスでございます。それでは、ごゆっくりどうぞ」
ウエイターはにこやかな笑顔でそう言うと、踵を返してカウンターの方に戻りかけた。
「ほら、ちゃんとお礼を言うのよ」
美也子が強い調子で促した。
「……あ、あの……お、叔父様……」
美也子に命じられて、晶は細い裏声でウエイターに呼びかけた。
「はい、何でございましょう?」
背中を向けかけていたウエイターがくるりと晶の方に振り返る。
「……あ、ありがとうございます。ジュースをこぼして迷惑をかけちゃったのに、新しいジュースを持ってきてもらえて、あ、
あたし、とっても嬉しいです」
晶は必死の思いで小学生の女の子を演じてそう言い、これもなるべく幼い女の子に見えるよう意識しながらぺこと頭を
下げた。
「お嬢様のような可愛らしい方からそうおっしゃられますと、却ってこちらが恐縮してしまいます。それにしても、優しそうな
方々とご一緒でよろしゅうございますね。そちらのボーイフレンドとも仲良くなさってください。それでは、ごゆっくり」
晶のことを小学生の(しかも、まだおむつ離れできない)女の子と信じて疑わないウエイターは慇懃にそう応え、もういち
ど恭しく頭を下げてカウンターの方に戻って行った。
唇の前に人差指を立てて無言で約束した通り、さっき見た紙おむつのことは一言も口にしない。けれど、それが、まるで、
おむつのお世話になっているのが当たり前の幼女そのままに扱われているように感じられて、却って晶の羞恥をくすぐる。
「はい、よく言えました。本当、お利口さんね、晶ちゃんは。じゃ、次は徹也お兄ちゃんへのお願いね。これもちゃんとできる
かな?」
美也子は、それこそ幼い妹にそうするように晶の頭を優しく撫でながら、わざとらしい笑みを浮かべて言った。
「……て、徹也……徹也お、お兄ちゃん……」
自分よりも年下の中学生を『お兄ちゃん』と呼ばされ、それに続く言葉を口にできなくなって、晶は、胸の前で組んだ掌に
目を落としてしまった。
けれど、そんな晶の仕種も、徹也にとっては、ういういしい羞じらいの表れとしか感じられない。まさか、ついさっき自分が
口元や胸元のジュースを優しく拭き取ってやった人見知りの激しい少女が実は自分よりも年上の男の子だなんて、想像も
できない。
「うん、どうしたんだい、晶ちゃん? どんなお願いでも聞いてあげるから遠慮しないで言ってごらん」
お兄ちゃんと呼ばれ、相好を崩して、徹也が先を促す。
「ほら、お利口さんの晶ちゃんはきちんとお願いできるんでしょう?」
美也子は、なかなか次の言葉を口にしようとしない晶の太腿をぽんと叩いた。
殆ど力を入れない、あやすような優しい叩き方だけれど、黙ったままなら紙おむつのことをみんなに教えちゃうわよと言外
に匂わせているのは明らかだ。
「……あ、あのね、徹也お兄ちゃん……」
美也子に脅されて口を開き、ようやくそこまで言った晶だが、すぐにまた言葉に詰まってしまう。
もういちど美也子が晶の太腿を叩いた。しかも今度は、叩いた後、指先でスカートの裾をそっと持ち上げた。テーブルに隠
れて他の三人からは見えないものの、当の晶にとっては身が縮み上がる思いだ。
「……さ、さっきはごめんね。あ、あたし、お転婆なことしちゃって、せっかくのジュースをこぼしちゃって。でも、あんなことも
うしないから、もういちど……あ、あたし、大好きなお、お兄ちゃんと一緒にジュースを……」
美也子に強要されてようやくそこまで言って、晶は再び口をつぐんだ。とてもではないが、もうこれ以上は言葉にできない。
けれど、徹也にはそれで充分だった。
「うん、わかった。もういちど一緒にジュースを飲もうね。さっきは僕の方こそごめんね。晶ちゃんの胸を覗き見なんてしち
ゃって、それで晶ちゃんが慌ててジュースで洋服を汚しちゃったんだよね。僕、急いで晶ちゃんの口元や洋服を綺麗にし
ようとしたんだけど、それがいけなかったんだね。そりゃ、急に男の子に胸なんて触られたらびっくりしちゃうよね。びっくり
してコップをひっくり返しちゃっても仕方ないよ。みんな、僕のせいなんだ。だから、晶ちゃんはちっとも気にすることなんて
ないんだよ。なのに、もういちど一緒にジュースを飲もうって言ってくれてありがとう。僕、ますます晶ちゃんのこと好きにな
っちゃった。明日も絶対に一緒に遊ぼうね。晶ちゃんのお友達の香奈お姉ちゃんや美優お姉ちゃんと一緒に公園で遊ぼう
ね」
徹也は一気にそう言うと、自分が口にした『ますます晶ちゃんのこと好きになっちゃった』という言葉に照れて顔を真っ赤
にし、両手の人差指の先をもじもじと重ね合わせた。
「よかったわね、晶ちゃん。徹也お兄ちゃん、晶ちゃんのお転婆、許してくれるって。だから、もういちど一緒にジュースを飲
もうって。こんな優しい徹也お兄ちゃん、晶ちゃんもますます好きになっちゃうよね」
美也子にしてみれば徹也の本当はだいたい予想通りだった。それをわざとおおげさに喜んでみせることで晶の羞恥を煽
り、胸の中でほくそ笑む。
「……う、うん……」
それに対して、晶は、泣き笑いみたいな表情で生返事しかできない。上品な喫茶店でジュースのコップをひっくり返すよ
うなお行儀の悪い子とはもうつきあえない。徹也がそう言ってくれることを期待していたのに、それは儚い望みに過ぎなか
ったのだ。
「じゃ、改めてジュースを飲もうか。ウエイターさんが気を利かせてこんなに大きなコップで持ってきてくれたジュースだもの、
たっぷり飲んでいいのよ」
美也子はジュースのグラスに手を伸ばし、二本のストローの吸い口をそれぞれ徹也と晶の方に向け直して、二人の肩を
同時にぽんと叩いた。
「それじゃ、今度こそ。いただきます」
徹也が待ちかねたようにストローに口をつけ、向かい側に座る晶を目で促した。
晶も、おどおどした様子でストローを咥える。
「徹也お兄ちゃんも言ったけど、本当に『今度こそ』よ。わかってるわね? さっきは、晶ちゃんの方から徹也お兄ちゃんに、
一緒にジュースを飲んで欲しいってお願いしたのよ。自分からお願いしておいて今更いやはないわよね?」
美也子は晶の肩に手を載せたまま、一言ずつ区切るようにして囁きかけた。
そう決めつけられても、晶には返す言葉がない。実質的には美也子に強要されたことだけれど、形としては晶の方から
お願いしたことと言われても仕方ない。
晶は顔を伏せ、徹也と目を合わせないように視線をテーブルに落として、おずおずとストローを吸った。
それを見た徹也も、照れくささと嬉しさとがない混ぜになった表情を浮かべ、目を細くしてストローを吸い始める。
表面にびっしり汗をかいたグラスの中で氷の塊どうしが触れ合って涼やかな音をたてた。淳司と智子がにこやかな表情
で互いに顔を見合わせる。そんな光景だけを見れば、穏やかな日常のさりげない一齣にすぎない。まさか、目の下の涙袋
のあたりを赤く染めてボーイフレンドと一緒に恥ずかしそうにジュースを飲んでいる少女がスカートの下に紙おむつを着用
し、その中にいやらしく蠢く肉棒を隠し持っていようなどと想像する者がいる筈もない。ただ一人、この倒錯感に満ちた企て
に妖しい悦びで体中をぞくぞくさせる美也子を除いては。
二人が一緒に飲んでも、ジュースはなかなか減らなかった。それは、特別に大振りのグラスをなみなみと満たしているか
らというよりも、ジュースを飲むペースが二人ともゆっくりだからという理由の方が大きかった。
徹也は、せっかくできたガールフレンドと一緒にジュースを飲むわけだから気持ちもはやって、ついつい力まかせにストロ
ーを吸ってしまいそうになるのだが、そんな高ぶる感情を抑えるのに必死だった。羞じらいの表情を浮かべて頬を染め、ぎ
こちない仕種でストローを吸う年下の可愛らしいガールフレンドに少しでもたくさんジュースを飲ませてあげたい、おいしいジ
ュースをたくさん飲んで嬉しそうにするガールフレンドの顔を見たい、そんな思いから、はやる気持ちを抑えてわざとゆっくり
ストローを吸っていた。
それに対して晶がジュースをゆっくりしか飲まないのは、本当は男の身でありながら中学生の男の子と同じグラスに差
し入れたストローを吸うことへの躊躇いのためだった。今度こそジュースを飲み干さないと美也子からどんな仕打ちを受け
るかしれたものでないと頭ではわかっていても、それをすんなりと受け容れることもできないままだ。そのため、ついつい
唇や舌の動きが鈍くなって、ストローを吸う力も弱くなってしまう。
「あらあら、あまりジュースが減らないみたいね。ははーん、さては、少しでも長く二人でそうしていたいのね? 晶ちゃん、
ひょっとしてそれって、まだボーイフレンドのできないお姉ちゃんへの当てつけのつもりなのかなぁ?」
晶の胸の内など充分に承知していながら、ジュースがなかなか減らない理由をわざと取り違えて、美也子が晶をひやか
した。
ひやかされてぱっと頬をピンクに染める晶の様子を、淳司と智子が微笑ましく見守っている。いつしか二人にとっても晶は、
内気ですぐ顔を真っ赤に染める恥ずかしがり屋さんの、一時も目を離せない妹みたいな存在になっていた。
* * *
喫茶店を出た美也子たち三人は、シネマコンプレックスになっている最上階へ行くためにエレベーターホールに向かった
淳司たちと別れて、すぐ上の階に昇るエスカレーターに向かった。
「気をつけるんだよ、晶ちゃん。ほら、僕が手を引いてあげるから、転ばないよう気をつけてね」
先を行く美也子につき従い、晶の手を引いてエスカレーターの昇降口のすぐ前にやって来た徹也が、おぼつかない足取
りの晶の手を更に強く握って気遣わしげに言う。晶の口元や胸元に付着したジュースを拭き取ってやり、たっぷり時間をか
けて一緒にジュースを飲み干してからこちら、徹也はすっかり晶の保護者気取りだった。
「あ、あたし、一人で大丈夫だから、そんなに気を遣わないで。本当に大丈夫なんだから」
そんな徹也に向かって、晶は、周囲の通行人たちにあやしまれないよう見た目通りの少女を演じつつ、弱々しい抗議の声
をあげた。自分よりも年下の少年から逆に子供扱いされる屈辱と羞恥は並大抵のものではない。しかも、子供扱いにとどま
らず完全に女の子扱いなのだから尚更たまらない。けれど、自分の正体を明かすことなどできる筈もない。
「いいからいいから、そんなに拗ねないの。晶ちゃんはもう五年生なんだから、小っちゃい子じゃないよね。でも、僕はお姉さ
んにも約束したんだよ。どんなことがあっても晶ちゃんは僕が守るって。だから、少しでも危なそうなことがあったらちゃんと
しとかないとね。晶ちゃん、あまりあんよが上手じゃないんだから、エスカレーターの乗り降りには気をつけないと、いつ転ん
じゃうかわからないだろ? だから、ほら」
徹也は、まるで駄々をこねる妹をあやすような口調で言い、少しばかり強引に晶の手を引っ張った。
買物客で混雑する乗降口でいつまでも足を踏ん張っているわけにもゆかず、晶は渋々といったふうにエスカレーターに
右足を載せた。途端に、履き慣れない踵の高いサンダルのせいで体がよろめく。
「あっ、しっかり捕まって。ほら、僕が手を引いていてよかっただろ? もしも晶ちゃん一人きりだったら尻餅をついてるとこ
ろだったよ。エスカレーターもエレベーターも子供の玩具じゃないんだから、しっかり気をつけて乗らないとね」
よろめく晶の体を咄嗟に引き寄せ、徹也は、いかにも年長者ぶって、お説教めいた口調で言った。
いったんエスカレーターに乗ってしまえば後戻りはできない。周囲の目をおそれて、晶は小さく頷くことしかできなかった。
「わかってくれればいいんだよ。晶ちゃんが可愛くて仕方ないから、ついついきついこと言っちゃうけど、僕の気持ちもわかっ
てもらえると嬉しいな。きついこと言うの、晶ちゃんを叱ってるんじゃないからね。晶ちゃんが危ない目に遭わないよう注意し
てあげてるんだってこと、わかってね。ただ、晶ちゃんがどうしても聞き分けのわるい子のままだと、僕も本気で叱っちゃうか
もしれないけど。だって、晶ちゃんは小学五年生の女の子で、僕は中学三年生の男の子。僕もまだ大人じゃないけど、いろ
んなことの先輩だもん」
おずおずと頷く晶を見て、徹也は相好を崩し、カラーゴムで結わえた晶の髪を優しく撫でつけた。
そんなふうに寄り添ってエスカレーターで昇ってゆく姿は、仲のいいカップルそのものだ。それとも、バスの中で美也子が
言ったように、互いに心惹かれ合う従兄妹どうしといったところだろうか。
しきりにお兄ちゃんぶる徹也と目を合わせるのが辛くて、晶は前方に向き直った。
晶たちのすぐ前のステップには、若い女性が二人並んで乗っていた。一人は美也子で、その隣は、たまたま乗り合わせた
買物客らしき若い女性だ。美也子ほどではないものの、どちらかというと背が高く、手脚もすらりと長いその女性が大胆なマ
イクロミニを穿いているものだから、エスカレーターの後ろのステップに乗っている晶からだと、どうにかするとスカートの中が
見えてしまいそうになる。
すぐ目の前の扇情的な光景に思わず見取れてしまいそうになった晶だが、じきに、自分も丈の短いサンドレスを着せられて
いるんだということを思い出すと、はっとしたような顔になって身を固くした。
晶はおそるおそる首をめぐらせ、後ろの様子を窺った。
晶のすぐ後ろのステップに乗っているのは、小学校低学年くらいの男の子と、その母親らしき女性の二人連れだった。
後ろにいるのが背の高い大人なら視点も高いから、いくらサンドレスの丈が短いといってもスカートの中が見えてしまう恐
れはないだろう。けれど、小学校低学年くらいの子供だと、かなり視点が低くなって、晶の後ろ姿を斜め下から見上げる格
好になるから、スカートの中を覗き見される心配はおおいにある。それでもまだ後ろにいるのが女の子なら遠慮して目をそ
らしてくれるかもしれないけれど、相手は、好奇心旺盛で不躾な年代の男の子だ。そろそろ性的なことがらに対する興味
も持ち始めている年ごろだから、まわりの目を気にすることもなく、好奇心にまかせて晶のスカートの中を覗き込もうとする
かもしれない。そうして、晶がスカートの下に身に着けているのがショーツではなくハート模様の紙おむつだと知ったら、あ
たりかまわず大声で「前のお姉ちゃん、赤ちゃんみたいにおむつしてる」と喚きたてるに違いない。
晶は思わず、徹也と手をつないでいることも忘れて両手をぎゅっと握りしめてしまった。
途端に、すぐそばに寄り添って立っている徹也が
「どうしたの、晶ちゃん? 何か困ったことでもあるのかな?」
と心配そうに訊いてくる。
「あ、……う、ううん……」
自分の手を握る時に同時に徹也の手も握りしめてしまったのだとようやく気づいた晶は、後ろの男の子にスカートの中の
秘密を知られるかもしれないという不安と相まって、動揺の色を隠せない。
「だけど、顔色が悪いみたいだよ。ノースリーブの洋服だし、ひょっとして寒いんじゃない?」
力なく首を振る晶に、徹也は尚も気遣わしげに重ねて訊いた。
「ううん。なんでも……」
蚊の鳴くような声で「なんでもないから気にしないで」と応えかけた晶だが、ふと何かを思いついたのか言葉を途中で飲み
込み、しばらく迷ってから、思い詰めた表情で徹也の方に振り向くと、今にも消え入りそうな声で言った。
「お、お兄ちゃん、音楽関係の本を持ってたよね? その本、あ、あたしに貸してくれない?」
「うん。別にそれはいいけど、でも、エスカレーターに乗りながら本なんて読んじゃ危ないよ。それに、僕が持っているのは
外国のハードロックを特集した音楽雑誌だから、晶ちゃんには難しいんじゃないかな」
晶の突然の申し出に、徹也はきょとんとした表情で応じた。
「ううん、読むんじゃないの。読むんじゃないけど、どうしても貸してほしいの」
晶はすがるような顔で言い、顔を伏せぎみにして、徹也の顔を上目遣いにして見ながら
「お、お兄ちゃん、あ、あたしのこと大好きって言ってくれたでしょ? あ、あたしも、お、お兄ちゃんのこと大好きだよ。だか
ら、あたしのお願い、きいてくれるよね? ね、お願いだから、大好きな・お・に・い・ち・ゃ・ん」
と甘えてみせた。
年上のボーイフレンドに媚びを売る少女そのままの自分自身の仕種に内心おぞけをふるう晶だが、今はこうするしかな
かった。
「いいけどさ、でも、何に使うのか教えてよ。ひょっとしたら、僕が手伝ってあげられることかもしれないだろ? 小学生の晶
ちゃんには難しいことでも、中学生の僕なら簡単にできることかもしれないし」
甘ったれた声で『大好きなお兄ちゃん』と呼ばれ、周囲の目に照れくささを覚えつつもおおいに気をよくした徹也は、ますま
す年長者ぶった様子で言った。
「……あ、あのね……」
借りた雑誌を何に使うのか、なんとかごまかして説明できないかと思いを巡らせた晶だったが、へたにおかしな説明をして
怪しまれたりすれば元も子もないと咄嗟に判断して、正直に話すことにした。
「……あ、あたしの後ろに小学生くらいの男の子が乗ってるんだけど、ひょっとしたら、スカートの中が見えちゃうかもしれな
いの。だから、お兄ちゃんから借りた本でスカートの後ろを隠したいんだけど……」
紙おむつのことは秘密にしたまま、晶は事情を説明した。その間、自分の唇を徹也の耳元に近づけ、熱い吐息を吹きかけ
るのを忘れない。晶自身が男の子だからこそ、自分が女の子からそんなことをされたら言いなりになってしまうに違いないと
いう行為がどんなものか、充分に承知している。そんな行為を女の子になりきって自分がするのは恥辱のきわみだけれど、
かといって、長い時間をかけて説得している余裕などなく、簡単な説明だけで徹也に言うことをきかせる方法は他に思いつか
ない。
晶から説明を聞いている間中ずっと耳朶に熱い吐息を吹きかけられたために赤く上気した顔で、徹也はちらと後ろの様
子を確認した。晶の言う通り、小学校低学年くらいの男の子の姿があった。今はまわりの様子を物珍しそうにきょろきょろ
見まわしているが、いつ晶のスカートの中に興味をしめすかしれたものではない。
「本当だ。あの男の子の身長だと、スカートの中、見えちゃいそうだね。僕の可愛いガールフレンドがスカートの中を覗か
れるだなんて、絶対に許せない。でも、大丈夫だよ。僕が守ってあげるから、晶ちゃんは何もしないでそのままじってして
いればいいよ」
男の子を目の隅にとらえながら、徹也は晶の耳元に囁きかけた。まわりに声が聞こえないように配慮してというよりも、晶
と顔を近づけるのが目的なのだろう、心配するふりをしているものの、どことなく顔がにやけている。
「え? ううん、あの、本を貸してもらえればそれでいいのよ。お尻は自分で隠すから」
晶の胸の内を後悔の念がよぎった。どうやら、徹也を自分の言いなりにさせるために使った『女の子の武器』が予想以上
の効き目を発揮して、ますます徹也が晶のとりこになってしまったようだ。
「駄目駄目。そういうことは僕がしてあげる。僕はどんなことがあっても晶ちゃんを守るって決心したんだから」
晶の抗弁など華麗にスルー。徹也は軽く首を振って自分の体を晶にぴったりと押しつけ、それまで晶の手を握っていた左
手を離して言った。
「本当はずっと手を握っていてあげたいんだけど、晶ちゃんに近い方の手で雑誌を持たないとお尻を隠してあげられないか
ら我慢してね。手を離すのはちょっとの間だけだから、寂しくても我慢するんだよ。エスカレーターからおりたらすぐにまた手
をつないであげるから」
晶が口にした甘ったれた声。晶が吹きかけた熱い吐息。徹也はもうすっかり舞い上がってしまい、自分が晶に対して寄せ
ているのと同じくらい晶が自分に対して好意を抱いてくれているものだと信じ込んでしまっているようだ。
「ううん、でも、あの……」
尚も何か言いかけた晶だが、すぐに諦めたような顔になって言葉を途中で飲み込んだ。後ろの男の子がいつ周囲の光景
に飽きて、すぐ目の前にある晶のスカートの中に興味をしめすかと思うと気が気ではない。徹也と言い争っている余裕など
ないのだ。
「それじゃ、こうして、と。うん、こんな感じかな」
徹也は左手を後ろにまわして、雑誌でスカートの裾をそっと押さえた。
と、指先が晶のお尻に軽く触れる。
「や……」
晶の口から細い悲鳴が漏れた。
「あ、あの、ごめんね、晶ちゃん。僕、そんなつもりじゃないんだよ。ただ、エスカレーターがちょっと揺れたから……」
女の子のお尻に触った経験など一度もないのだろう、徹也はしどろもどろになって言い訳を始めた。
「……わかってる。優しいお兄ちゃんがわざとこんなことするわけないもん、気にしないで」
思わず少女めいた悲鳴をあげてしまい羞恥の念にかられながら、晶は徹也の横顔をちらと見て言った。「優しいお兄
ちゃんがこんなことするわけないもん」とは言ったものの、晶だって男の子だから、徹也の胸の内はお見通しだ。仲良く
なれた可愛い女の子と体を寄せ合ってエスカレーターに並んで乗り、しかも、自分の手を女の子のお尻のあたりに持っ
ていけるせっかくの口実ができたとなれば、ちょっとした失敗を装ってついついちょっかいを出してみたくなるのも仕方な
いだろう。見た目はカップルだが、中の人は男どうし。徹也の気持ちを慮って、晶は、こんな人混みの中でまさか男声で
怒鳴りつけるわけにもゆかずと判断し、徹也の見え透いた言い訳を受け容れることにした。ただ、同時に、「わざとこんな
ことするわけないもん」と、二度と同じようなことをしないよう、やんわり釘を刺すことも忘れない。
「ありがとう、わかってくれて。晶ちゃんに嫌われたら、僕、春休みが終わっても学校へ行けないほど落ち込んじゃっただ
ろうな。じゃ、今度こそちゃんとするから、晶ちゃんは手摺りにしっかりつかまってるんだよ」
晶がわざと見逃してくれたのをどれほど理解しているのかわからないが、徹也はほっとした顔つきになり、改めて晶の
スカートの裾を雑誌で覆い隠した。
スカートの中を覗かれるかもしれないという不安からようやく逃れることができて、晶は胸の中で安堵の溜息をついた。
が、その直後、下腹部が切なく疼き出すのを感じて、顔をかっと上気させてしまう。
公園で小学生の男の子たちにブラジャーを見られながら覚えた疼き。そうして、喫茶店で徹也にナプキン姿を想像され
ながら覚えた疼き。今、晶が下腹部に感じている疼きは、それとまるで同じものだった。
小学校の半ばまでは美也子に対してしきりにお兄ちゃんぶっていたのが、高学年になると身長で追いつかれ、中学校
では圧倒的な差で逆転され、とうとう「今度は私が晶を守ってあげる」と美也子に告げられた時にふと覚えた被虐的な悦
び。自分が一人では何もできない無力な存在になってしまったという思いにとらわれ、『庇護』という名目の『支配』を受け
ることになったことを知った時に覚えた異形の悦び。晶の下腹部をじんじんと疼かせていたそんな歪んだ悦びが、自分
よりも年下の中学生の男の子に身を委ねざるを得ない状況に追いやられた今、ふたたび下腹部を妖しく疼かせているの
だった。年下の徹也を「お兄ちゃん」と呼んで甘えてみせなければスカートの中を覗き見されるのではないかという不安か
ら逃れることができなかった自分のことが、それこそ本当に幼い女の子のよう思われて激しい屈辱と羞恥を覚えるのだが、
その恥辱さえもが、下腹部を切なく疼かせる妖しい悦びに変わってゆく。
自分でも、そんな心の動きにうっすらと気づいていた。気づいていたからこそ、そんな歪んだ感覚が自分の胸の奥底に
ひそんでいると知って、思わず顔をほてらせてしまうのだ。
「どうしたの、晶ちゃん? 顔が真っ赤だけど、熱があるんじゃないの? やっぱり袖無しの洋服じゃ寒くて、風邪をひいち
っゃたんじゃない?」
不意に顔を真っ赤に染めた晶に、徹也は気遣わしげに言った。
「……ううん、風邪なんかじゃないよ。あたし、時々こうなっちゃうんだ。急に胸がきゅんってなって顔が熱くなるの。でも、
すぐに元に戻るから心配しないで。ごめんね、心配かけちゃって」
じんじんと痺れるように疼く下腹部の感覚に瞳をうっすら潤ませ、熱に浮かされたような声で晶は応えた。
* * *
「私たちのお目当てはこの階の一番奥にある洋服屋さんなんだけど、その前に晶ちゃんをトイレに連れて行ってくるわね。
日曜日の夕方前だと、特に女子トイレは長い行列ができてると思うから少し時間がかかるんじゃないかな。その間、徹也
君はどうする? 徹也君もトイレに行くにしたって、男子トイレはすぐに空くからから、私たちを待っている間、暇になっちゃ
うでしょう?」
喫茶店のあったフロアのすぐ上は、衣料品関係のテナントが集まったフロアになっている。エスカレーターからおり立っ
た美也子は、通行人の邪魔にならないよう徹也と晶をフロアの隅に連れて行って、そう訊いた。「トイレに行ってくる」ので
はなく、「晶ちゃんをトイレに連れて行ってくる」と表現するあたり、すっかり晶のことを手のかかる妹扱いしているのがあり
ありだ。
「あ、じゃ、その間にCDショップに行って新しいCDの予約を済ませておきます。新曲のリストも見ておきたいから、いい暇
潰しになると思います」
美也子の問いかけに、徹也は、手にした音楽関係の雑誌を軽く振ってそう応えた。
「ああ、それがいいわね。徹也君、もともとはCDショップへ行くためにバスに乗ってたんだものね。なのに無理矢理つきあ
わせちゃって、ごめんなさいね。たしか、CDショップは二つ上のフロアだったっけ。じゃ、ちょっと余裕を見込んで三十分後
にここで待ち合わせってことにしましょう」
美也子は徹也に向かって軽く頷くと、晶の手を握って言った。
「大好きなお兄ちゃんと離れ離れになるのは寂しいでしょうけど、ほんのちょっとの間だから我慢するのよ。晶ちゃんがトイ
レをすませて、徹也お兄ちゃんがCDショップから戻ってきたら、もういちどお手々をつないでもらえばいいんだから」
けれど、当の晶は、トイレと聞いて弱々しく首を振るばかりだ。
「あ、あたし、トイレなんて行かなくていい。トイレへ行かなくても大丈夫だから」
晶はおどおどした様子でそう言うと、手を引いて歩き出そうとする美也子に逆らって足を踏ん張った。
けれど、そう言ってはみたものの、本当は晶も内心ではトイレへ行きたくてたまらなかった。今日はトイレへは、午前中に
自分の家で行ったきり、美也子の家でひとしきり他愛ないお喋りに興じた後この奇妙なおままごとにつきあわされる羽目に
なり、女の子の格好を強要された上で強引に外へ連れ出され、公園で小学生や幼稚園児たちと遊ばされ、バスに乗せられ
てこのショッピングセンターに連れてこられるまでの間、一度も行っていない。それに加えて、丈の短いノースリーブのサン
ドレスを着せられているせいで、日射しがある場所はまだしも、建物の中や日陰に入ると体が冷えて仕方ない。そんな状態
だから、エアコンの利いたバスに乗ってすぐ感じた尿意は、喫茶店に入った時にはもう既にかなり強くなっていた。徹也にナ
プキン姿を想像されながら覚えた下腹部の疼き。それと同時に感じた、また別の疼きの正体は、じわじわと高まってきてい
た尿意によるものだった。それもあって晶はジュースを飲むのを躊躇っていたのだが、結局はお人好しのウエイターのせい
で特別にたっぷり飲まされてしまう羽目になって、ただでさえ強まっていた尿意は、今やもう殆ど我慢できないほどになって
いる。
けれど、他の使用者がいなかった公園のトイレとは違い、大勢の人が列をつくっているに違いないショッピングセンターの
女性用トイレに入る勇気はなかった。それに、見た目は申し分のない少女だから女性用トイレに入るのを見咎められる恐れ
はないに違いない(むしろ、今の晶が男性用トイレに入ったら、それこそ大騒ぎになるだろう)が、女性用のトイレで用をたし
たりしたら、それで自分の中の何か大事なものが音をたてて崩れ去ってしまうような気がして、とてもではないが、美也子の
言いなりにトイレへ連れて行かれるわけにはゆかない。
「本当? 本当にトイレへ行かなくても大丈夫? トイレへ行っとかなくておもらしでもしちゃったら、恥ずかしい思いをする
のは晶ちゃん自身なのよ?」
足を踏ん張る晶の顔を、美也子は疑わしそうな目つきで見おろした。
「……だ、大丈夫だってば……」
美也子が口にした『おもらし』という言葉に、晶は少し自信なさげにぽつりと応えた。正直、あとどれだけ我慢できるか自分
でもわからない。わからないけれど、我慢するしかない。
「そう、大丈夫なの」
美也子は手を引っ張るのをやめ、自分の腰に右手の甲を押し当てると、唇を「へ」の字の形に結んだ晶の顔をじとっと見
据えて念を押すような口調で言ってから、やおら唇を晶の耳元に押しつけて笑いを含んだ声で囁きかけた。
「でも、そうよね、大丈夫よね。おもらししちゃっても、晶ちゃんはちゃんとおむつ着けてるもん。おむつだから、おもらししても
おしっこで床やスカートを汚しちゃうようなことはないもん、大丈夫だよね。ショーツの代わりにおむつを着けてあげたお姉ち
ゃんに感謝してちょうだいね、おむつの晶ちゃん」
「そ、そんな……」
何度も『おむつ』という言葉を繰り返し口にする美也子の横顔を晶は恨みがましい目で睨みつけた。けれど、睨みつけるだ
けで、それ以上は何もできない。
そんな晶の反応を楽しんででもいるかのように美也子は少し間を置いてから、おかしそうに付け加え囁いた。
「でも、おしっこは漏れなくても、おしっこを吸った吸収帯はぷっくり膨れちゃうんだよ。おむつのお尻のところがぷっくりまん
丸に膨らんで、スカートをたくし上げちゃうんだよ。いくらスカートの裾を引っ張っても、お尻がまん丸になるからスカートも
まぁるく膨らんじゃって、紙おむつの中におもらししちっゃたこと、一目でわかるようになっちゃうんだよ。それでも、大丈夫な
んだよね、晶ちゃんは。だって、もう五年生だもん。赤ちゃんなんかじゃないんだもん、おむつをおしっこで汚したりなんてし
ないよね。格好いいボーイフレンドがいるレディなんだもん、おしっこを吸ってまん丸に膨らんだ紙おむつ姿でよちよち歩く
なんて恥ずかしいことしないよね?」
「や、やめてよ。そんな恥ずかしいこと言うのはやめてったら……」
晶は今にも泣き出しそうな顔をして弱々しく首を振った。
「あ、そう。晶ちゃんがそう言うのなら、やめてあげる」
晶の懇願に、美也子は意外にあっさり引き下がった。けれど、それは、晶の胸の内を慮ってのことなどでは決してない。
「晶ちゃん、ジュースを飲んだ後、喫茶店でずっとそわそわしてたでしょ? お店の中をきょろきよろ見まわしたりしててさ、
何を探してるのかなって思ってお姉ちゃん、晶ちゃんのことずっと様子を見てたからよぉく知ってるんだよ。それに、智子お
姉さんがレジでお金を払ってる時も、お店の隅の方をじっと見つめてたよね? 晶ちゃんが見てた所の先にトイレの入り口
があったのもお姉ちゃんは知ってるんだよ。それに、下の階で智子お姉さんたちと別れてエスカレーターがある所まで歩い
てる途中、トイレの前を通り過ぎた時、晶ちゃん、横目で何度もトイレの入り口をちらちら見てたよね? お姉ちゃん、先に
歩いてたけど、そんなこともちゃんと知ってるんだよ。だから、正直におっしゃい。晶ちゃん、おしっこしたいんでしょう? ト
イレへ行かなくても大丈夫だなんて、そんなの、本当じゃないんでしょう?」
美也子は晶の耳元で囁きかけるのはやめたが、まわりを行き交う通行人には届かないくらいには声をひそめつつも、徹
也には聞こえるよう充分に張りのある声で、問い詰めるみたいにして言った。
「……」
美也子の言っていることは本当だ。まさかそれほど詳しく観察されているなんて気がつかなかったけれど、美也子の言う
通りだった。それでも晶は、本当のことを応えることもできない。
「あらあら、困った子だこと。徹也お兄ちゃんと離れるのが寂しくて、本当はトイレへ行きたいくせに行かなくても大丈夫だ
なんて強情張っちゃって。でも、このままトイレへ行かずに徹也お兄ちゃんと一緒にCDショップへなんて行ったりして、そこ
でおもらししちゃったら、徹也お兄ちゃんにも迷惑がかかるのよ。恥ずかしい目に遭うのが晶ちゃんだけだったら仕方ないけ
ど、晶ちゃんを連れてる徹也お兄ちゃんも、おもらししちゃうような子をガールフレンドにしてるんだってまわりの人たちに思
われて恥ずかしい思いをしなきゃいけないのよ。そんなこともわからないの?」
美也子はわざと呆れたように肩をすくめてみせ、徹也の方に振り向いて溜息交じりに言った。
「どう思う、徹也君? 五年生にもなってこんなに聞き分けのない子がガールフレンドだなんて、徹也君もこれからいろい
ろ苦労しそうね。ま、徹也君は優しいからこんな困った子でもちゃんとリードしてくれるかもしれないけど、でも、これから先
が本当に思いやられるわね。五年生にもなって、トイレもちゃんと行けないなんて」
それに対して、それまで黙って二人のやり取りを聞いていた徹也が真顔で晶に言った。
「お姉さんの言う通りだよ、晶ちゃん。トイレへ行くのもいやがるほど僕と一緒にいたいって思ってくれるのは嬉しいけど、で
も、おもらししちゃって困るのは晶ちゃんなんだから、お姉さんにトイレへ連れて行ってもらわなきゃ駄目だよ。僕もなるべ
く早くCDショップから戻ってくるようにするから、その間に晶ちゃんはちゃんとおしっこをすませておきなさい。そうしたら、ま
たすぐに手をつないであげるから。晶ちゃん、もう五年生だもん、いつまでも駄々をこねてないで、お姉さんの言うことも僕
の言うことも、ちゃんとわかるよね?」
二人からそう責めたてられては、もうこれ以上は我を通せない。
晶は渋々のように小さく頷くと、徹也の顔と美也子の顔をおどおどと見比べてから、おぼつかない足取りで歩き出した。
「そうそう、それでいいんだよ。寂しいのは少しの間だけだから、ちゃんとトイレへ連れて行ってもらうんだよ。じゃ、晶ちゃん
のこと、よろしくお願いします、お姉さん」
最後の方はもう完全に晶が自分のものだというふうな口調で言って、徹也はエスカレーターの昇降口に向かって駆け出し
た。
「やれやれ、やっとトイレへ行く気になってくれたのね、晶ちゃん。お姉ちゃんが言っても駄目だったのに徹也君が言ってくれ
たら途端に素直になっちゃうだなんて、本当に晶ちゃんは徹也お兄ちゃんのことが大好きなのね。これからも晶ちゃんが駄
々をこねた時は徹也君にお願いしようっと」
美也子は晶の羞恥を煽るためにさかんにひやかして言い、再び晶の手首を強く握って、すたすたと歩き出した。
「や、やだ、そんなに速く歩かないでよ、お姉ちゃん」
履き慣れない踵の高いサンダルのせいで、美也子が少し速く歩くと、ちゃんとついて行けなくなってしまう。おぼつかない
足取りで体をよろめかせながら、晶は美也子に懇願した。
「でも、ゆっくり歩いてちゃトイレに間に合わないかもしれないでしょ? こんなに大勢の人がいる所でおもらししちゃっても
いいの?」
美也子はもう声をひそめることもなく、周囲に聞こえることを気に留める様子もしめさずに、しれっとした顔で言った。
「……」
美也子の声を耳にした買物客の視線が自分の方に向けられるのを感じた晶は言葉を失い、身を固くしてその場に立ちす
くんでしまった。
その拍子に、美也子の手がすっと離れる。
「え……?」
晶は一瞬きょとんとした顔つきになって自分の右手を見つめた後、慌てて顔を振り仰いだ。
いくら大勢の買物客の中にまぎれ込んでしまったとはいえ、180センチを超える身長の美也子で、しかもまだ手が離れて
すぐのことだから、その後ろ姿をみつけるのは簡単なことだった。
けれど、みつけるのは簡単でも、追いつくのは決して容易なことではない。晶のおぼつかない足取りでは、買物客でごった
返す通路を、人混みを掻き分けて美也子に追いすがることなど到底できない。
しかも、最初のうちこそはっきり見えていた美也子の後ろ姿は、陳列棚やマネキン人形の陰に隠れて、あっという間に晶の
視界から消えてゆく。
(や、やばい。こんな歩きにくいサンダルを履かされてこんな大勢の人の中に取り残されて、これじゃ、思うように進めないじゃ
ねーか。くそ、美也子のやつ、どういうつもりなんだよ。あの中坊をけしかけてまで俺をトイレへ連れて行こうとしたくせに、途
中で急に姿を消しちまうなんて、どういうつもりなんだよ、ったく)買物客の流れに中で立ちすくみ、肩と肩とが触れ合うたびに
今にも倒れてしまいそうに体をよろめかせて、晶は胸の中で毒づいた。
けれど、それは本気で美也子を罵倒しているのではない。人混みに押し流され思うように歩くこともままならない心細さに
加え、もう我慢の限界が近づいてきているのが明らかな尿意の高まりのため、そんなふうに心の中で強がってでもみせない
と、もうどうしていいのかわからないほどに晶の気持ちは追い詰められていたのだ。今の晶は、それこそ、トイレへ連れて行
ってもらう途中で姉と離れ離れになってしまい途方にくれて今にも泣きだしそうになっている幼い女の子そのままだった。
雑踏にもみくちゃにされる晶と違って、美也子の方は平然としたものだ。並外れて背が高く引き締まった体つきのおかげ
で、少々の人混みは苦にならない。人の流れに押しやられることなく、自分の思い通りに歩きまわることなど雑作ない。そ
んな美也子だから、晶の手を離したのは、人混みに押し流されて仕方なくなどということでは決してない。最初から人混み
の中に晶を独り取り残すタイミングを図っていたのだ。それが、おぼつかない足取りで自由に歩くことさえままならない上に
ひどい尿意を覚えているに違いない晶が大勢の人の波に揉まれてどんな反応をしめすのか、それを物陰からこっそり眺め
て楽しむためなのは、いうまでもないことだろう。
(ちょ、嘘だろ。ほんとに冗談じゃないぞ。さっきは恥ずかしさもあってトイレなんか行かないって言っちゃったけど、このまま
じゃマジやばいじゃん。もう恥ずかしがってる余裕なんかねーよ。後のことは後のことだ。女子トイレへ入るのを恥ずかしが
ってる場合じゃねーぞ、俺。けど、とにかく、トイレへ行くにしたって、この人混みの中から抜け出さなきゃいけいけないって
のに。くそ、どうしてこんなに歩きにくいんだよ!)心の中でそう呟く晶だが、体をよろめかせ、右往左往するばかりで、もう自
分がどっちを向いているかさえわからなくなってくる。
(こんなことなら、中坊について行った方がよかったかもしれないな。あいつだったら、どんな人混みでも、俺の手を離すな
んてことしないんだろうな。どんどん人が向かってきても、人の波を突っきって、俺をトイレへ連れて行ってくれるんだろうな。
あいつ、どんなことがあっても俺のこと守ってやるって言ってくれたもんな……)急ぎ足で通路を駆け抜けた小太りの中年
女性と肩が触れ合い、大きく体がよろめいた拍子にちらとエスカレーターが見えた。そこにまだ徹也の姿があるんじゃない
かと晶は思わず目を凝らしてしまい、じきに、そんなことをしている自分に驚き戸惑う。
(な、なに考えてんだ、俺。中坊に助けてもらおうだなんて、んとになに考えてんだよ)戸惑いながらも、晶の頬がうっすらと
ピンクに染まった。それは、目の前にいないボーイフレンドのことを思い出してういういしい羞じらいの色を浮かべる少女そ
のままの風情だった。
* * *
それからしばらくして、館内放送を報せるかろやかなチャイムの音がショッピングセンター中に響き渡り、それに続いて、
涼やかな女性の声がスピーカーから流れた。
『迷子のお知らせをいたします。パステルブルーの生地にヒマワリのアップリケの付いたサンドレスを着た、遠藤晶ちゃんと
おっしゃる女の子を迷子センターでお預かりしています。心当たりの保護者の方は迷子センターまでお越しください。なお、
迷子センターは、衣料品フロア中央付近にございます。繰り返し迷子のお知らせを――』
何度も繰り返し晶の名を呼んで迷子を知らせる館内放送を聞く美也子の顔には、妖しい笑みが浮かんでいた。
本当なら、実は高校生である晶が迷子センターで保護されているなどと知ったらひどく驚いてしまうところだろうが、驚く
どころか笑みを浮かべているのは、晶が迷子センターに預けられることになった経緯を美也子が全て見届けていたから
に他ならない。偶然を装って晶から手を離し、人混みにまぎれるようにして晶のもとから離れた美也子は、試着室や陳列
棚を巧みに使って晶の目を避け、あっという間に姿を消した後、晶に気取られぬよう注意を払いながらフロアの一角に身を
ひそめ、晶がどんな行動を取るか興味津々といった顔で見守っていたのだ。
そうやって美也子がじっとみつめる中、かろうじて人混みの中から抜け出すことができた晶は、天井に吊ってある案内板
を見上げ、トイレの場所を確認すると、壁際に添ってゆっくりと歩き出した。本当は急ぎたくてたまらないのだが、おぼつか
ない足取りでは駆け出すこともできず、それになにより、もう尿意が我慢できるかできなかいというところまで強まってきて
いるため、余計な力を入れることはできなかった。そうしてようやくトイレの近くまで辿り着いた晶だったが、女性用トイレの
入り口にできている長い行列を目にするなり、絶望的な表情を浮かべざるを得なかった。もうすぐトイレだから頑張れと自
分を励ましながら足を引きずるようにして歩き続け、やっとのことこの苦痛から解放されると安堵しかけていたものだから、
幾らかは予想していたこととはいえ、実際に長い行列を目の当たりにすると、余計に絶望的な気分になってしまう。
思わず晶は、すがるような目で男性用トイレの入り口に目を向けた。長蛇の列の女性用トイレとは対照的に、男性用トイ
レの入り口は閑散としていた。ひょっとしたら中で順番待ちくらいはしているかもしれないが、女性用トイレの混雑ぶりと比
べれば嘘みたいな空き具合だ。
しばらく迷ってから晶は顔を伏せ、男性用トイレの入り口をちらちらと何度も上目遣いに見ながら、おずおずと歩き出した。
もう躊躇っている余裕はない。このまま女性用トイレの行列に並んでいても、順番がまわってくるのに10分くらいかかるか
もしれない。もう、そんなに我慢し続けられる自信はない。実のところ、人混みに揉まれれ体が大きくよろめいた時にも、お
ぼつかない足取りで壁に体を預けるようにしてここまで歩いてくる時にも、僅かとはいえ、おしっこの雫で紙おむつの内側を
濡らしてしまっていた。体がよろめいた時に倒れまいとして両足を踏ん張ったせいで、下腹部に余計な力が入ってちょろっと
こぼれ、履き慣れない踵の高いサンダルのためにどうしても不自然な歩き方になってしまうせいで、それがやはり下腹部に
思わぬ負担になってちょろっと溢れ出てしまっていた。しまったと思った瞬間に慌てて膀胱を閉じたから量はさして多くはな
いものの、体の後ろ側に折り曲げられたペニスの先から溢れ出たおしっこの雫が紙おむつに吸い取られ、そのじとっとした
感触がお尻の方に広がってくる肌触りは羞恥のきわみだった。
女の子の格好をさせられるにしても、これが実際の年齢に合わせて女子高校生ふうの衣装に身を包まれていたら、とて
もではないが男性用トイレに足を踏み入れることなど思いもよらなかったろう。本当は高校生の男の子とはいえ、見た目は
完全に女の子の晶だから、実際の年齢に似つかわしい衣類で女装して男性用トイレに入ったりしたら、それこそ、女子高
校生がどうしてこんな所に?という好奇の目が集まるに違いない。けれど、今の晶は、どこからどう見ても小学生の女の子
だ。幼い女の子なら、おしっこがしたくてたまらず、混み合っている女性用トイレを避けて空いている男性用トイレに入っても、
好奇や非難の目を向けられるどころか、むしろ、「おやおや、可哀想に。ま、仕方ないな」といった、どこか微笑ましげな目で
見守ってくれるだろう。――もうこれ以上は紙おむつを濡らすわけにはゆかず、切羽詰まった胸の中でそう思い至った晶は、
女性用トイレの列を離れ、男性用トイレの入り口に向かっておずおずと歩き出したのだった。小学生の女子児童そのままの
自分の容姿を利用しようとしている自分自身に激しい嫌悪感は抱いたものの、それで思いとどまるわけにはゆかないほどに
晶は追い詰められていた。
女の子の格好をして、まさか堂々と胸を張って男性用トイレへ向かうこともできず、いかにも恥ずかしそうに顔を伏せて歩
き出した晶だが、視線を床に落としてばかりなのがいけなかった。列を離れてすぐ、トイレから出てきた初老の女性とぶつ
かってしまったのだ。晶はちゃんと前を見ていず、初老の女性もハンカチをバッグにしまいながら歩いてきたため注意が散
漫になっていて、互いに、歩速を殆ど緩めずにぶつかってしまった。本当なら、小柄とはいえ男子高校生である晶とまとも
にぶつかっては初老の女性が体をよろめかせてしまうところだろうが、今の晶は、踵の高いサンダルのせいで足取りがおぼ
つかないのに加えてぎりぎりのところで尿意に耐えているという状態だ。そのため、自分よりも小柄な初老の女性とぶつかっ
た衝撃で、晶の方が大きく体をよろめかせ、いとも簡単に尻餅をついてしまった。
「あ、大丈夫、お嬢ちゃん? ごめんなさいね、叔母ちゃん前をよく見ていなかったものだから思いきりぶつかっちゃって。大
丈夫? どこか痛いところはない?」
両脚を「へ」の字に曲げた立て膝ぎみの姿勢で床にお尻をつき、どことなく呆然とした顔つきの晶に向かって、慌てた様子
で女性が声をかけた。
「大丈夫? どこか痛いの、お嬢ちゃん?」
呼びかけに対して一向に言葉を返す気配のない晶に向かって、女性が、ますます心配そうな様子で重ねて声をかける。
けれど、女性が繰り返し声をかけても、晶が言葉を返すことはなかった。
いや、言葉を返すことはなかったのではなく、言葉を返すことができなかったと言った方が正確だろう。女性とぶつかっ
て尻餅をついた衝撃で、それまで我慢に我慢を重ねてきたおしっこが、とうとう堪えきれなくなって、一気に溢れ出てしま
ったからだ。大勢の買物客が行き交うショッピングセンターの一角、トイレ待ちの長い行列のすぐそばで床にお尻をつけ、
それこそ一人ではトイレへも行けない幼児そのままに紙おむつをおしっこで濡らしてしまう屈辱と羞恥。ペニスの先から
溢れ出したおしっこが、元々はさらさらだった不織布をじとっと湿らせながら紙おむつの内側いっぱいにじわじわ広がって
下腹部を包み込んでゆく湿っぽい感触。これでは、女性に言葉を返すことなどできるわけがなかった。
だが、晶が押し黙ったままでも、晶がスカートの中に紙おむつを着用していて、それを今まさに濡らしてしまっている真っ
最中だという恥ずかしい事実は、すぐに女性の知るところとなる。
女性は、どこか虚ろな目で壁をみつめたまま言葉も返さず立ち上がろうともしない様子に、脚に怪我でもしたのかもしれ
ないと心配になって晶の下半身に目を向けたのだが、その直後、
「あ……」
と驚いたような声をあげたかと思うと、慌てて自分の口を掌で押さえた。女性の目に映ったのは、はだけたサンドレスの裾
から三分の一ほど覗いているハート模様の紙おむつだった。倒れる時にふわっと舞い上がったスカートが、晶が立て膝ぎ
みの姿勢で尻餅をついたために捲れ上がったままになって、恥ずかしい下着があらわになってしまっているのだった。しか
も、内側の不織布がうっすらと黄色く染まってゆく様子が、淡いピンクの紙おむつの薄い表地を透かして、おぼろげながら
見える。そればかりでなく、女性の目の前で、紙おむつの内側の吸収帯がじわじわ膨れてゆく。
育児の経験もあるし幼い孫がいてもおかしくない年代の女性にとって、晶が今どんな状態にあるのかは一目瞭然だった。
「ご、ごめんなさいね。叔母ちゃんがもっとちゃんと前を見て歩いてたらよかったのにね。ちゃんと前を見てお嬢ちゃんとぶつ
かったりしけなりゃ、お嬢ちゃんがしくじっちゃうようなこともなかったでしょうにね。お嬢ちゃん、トイレ待ちの列の方から歩い
きたところをみると、随分と我慢してたんでしょう? ずっとずっと我慢してて、なのに、叔母ちゃんとぶつかったせいでしくじ
っちゃって。本当にごめんね」
どう見ても赤ん坊でも保育園児でもない晶がスカートの中にショーツではなく紙おむつを着けていることに気づいて一瞬は
驚いたものの、すぐに何か事情があるのだろうと推察して心の平静を取り戻した女性は、晶の紙おむつが他の買物客たちの
目に留まらないようようサンドレスの乱れを手早く整えながら、気遣わしげに言った。
「それで、お母さんはどこにいるの? このままじゃお尻が気持ち悪いから、早く取り替えてもらわないとね。お嬢ちゃんが
トイレへ行ってる間、お母さんはどこで待ってるの? 叔母ちゃんがお嬢ちゃんをお母さんのところまで連れて行って、ちゃ
んと謝ってあげるわね。しくじっちゃったのはお嬢ちゃんがいけないんじゃなくて、叔母ちゃんのせいなんですってちゃんと
事情を説明して謝ってあげるから、お嬢ちゃんはなにも心配しなくていいのよ」
女性は膝を折り、晶と目の高さを合わせて、優しく諭すように言い聞かせた。それは、おむつ離れの遅い孫がいつものよ
うに粗相をしてしまって母親に叱られることに心を痛める祖母そのままの口調だった。
けれど、晶からの返答はない。両目は大きく見開いているのだが、あまりの恥辱に、呆けたような瞳が小刻みに震えるば
かりで、そこにはまるで何も映っていないみたいだ。
「困ったわね。このままここに座らせておくわけにもいかないし」
女性は誰にともなく呟いて思案顔になった。
そこへ、女性に続いてトイレから出てきた、こちらは四十歳くらいの中年の婦人が声をかけた。
「私もお手伝いしますから、迷子センターへ連れて行ってあげたらどうでしょうか。この子が倒れるところからずっと見てい
ましておおよその事情はわかりましたけど、まさか、こんな大きな子のおむつを大勢の人の前で取り替えてあげるわけに
もいきませんし、とにかく、お母さんか誰か保護者の方を探すのが一番だと思います」
紙おむつに気づいた女性は晶が好奇の目にさらされないよう気遣って急いでスカートの乱れを整えてやったものの、もう
その時には、小学生らしき晶には似つかわしくない恥ずかしい下着のことに気がついた買物客は少なからずいた。。この中
年の婦人もそのうちの一人で、初老の女性と同じく、晶のスカートの裾から覗く紙おむつを初めて目にした時には随分と驚
いたものの、病気か若しくは何か事故の後遺症のせいなのだろうと推し量ると、トイレトレーニングの済んでいないような小
さな子でもないのにスカートの下にショーツではなく紙おむつを着けているのが(可愛らしい顔つきをしているから尚のこと)
不憫に思えて、ついついなんとかしてあげたいと、初老の女性に手助けを申し出たのだった。
まるで見知らぬ女性の口から出た『こんな大きな子のおむつ』という言葉が耳に届いているのかいないのか、晶はまだ、
まるで自分を見失ってしまったかのように、虚ろな目を壁に向け、半開きの唇をわなわなと震わせるばかりだった。
「あ、そうですね。迷子センターへ連れて行って館内放送で保護者の方を呼んでもらうのが一番ですね。そうですか、手
伝っていただけるんですか。ああ、よかった。私一人じゃどうしてあげることもできないし、かといってこのまま放ってもお
けないし、ほとほと困っておりましたのよ。私がぶつかって尻餅をつかせてしまったということもあるんですけど、なんだか、
ついつい構ってあげたくなるんですよ、このお嬢ちゃんを見ていると」
婦人の申し出に安堵の溜息をついた女性は、もういちど晶の顔に視線を走らせ、僅かに首をかしげた。
「おっしゃることは私にもわかります。体の大きさだけを見ると小学校の高学年か中学生くらいだと思うんですけど、なん
でしょう、娘の小さい頃を思い出してしまうような、そんな感じがありますものね。まるで見ず知らずの、本当に今ここで初
めて見かけただけの子なのに、とても不思議ですこと」
女性の言葉に婦人は相槌を打って、こちらも改めて晶の顔をいとおしげに見やった。
二人が揃って晶に心惹かれたのは、実は、彼女たちの心の中にある二つの感情のためだった。
一つは、保護欲。今の場合だと、母性本能と言い換えても差し支えないかもしれない。初老の女性は身近に幼い孫がい
るかもしれないが、それにしても、二人とも、自分の子供たちはもうすっかり成長して、或いは独立し、或いは親に口ごた
えばかりする生意気な年ごろになっていることだろう。そんな二人にとって、すぐ目の前にいる愛くるしい顔つきに華奢な
体つきの晶は、もう十何年あるいは何十年前のまだ幼かった頃の我が子の様子を思い出させずにはおかない、そんな存
在だった。初老の女性とぶつかっただけで簡単に尻餅をついてしまい、しどけなくはだけた可愛らしいサンドレスの裾から
紙おむつを覗かせ、ハート模様の淡いピンク色の紙おむつをおしっこで濡らしてしまう晶の姿が、無償の愛の代名詞でも
ある母性本能をこれでもかと掻きたててやまないのだった。二人とも、まさか晶が実は高校生の男の子だなどとは想像だ
にしていない。晶のことを小学生くらいの少女だと信じてやまない二人にとって、自分たちの目の前でまるで赤ん坊みたい
に紙おむつの中におしっこを溢れ出せる晶は、限りない保護欲の対象だった。付け加えて言うなら、晶が生まれながらの
女の子だったら、あるいは、二人ともこれほどまでには保護欲を刺激されなかっただろう。高校生の男の子の身でありなが
ら、体中がすうすうするサンドレスを着せられ、髪型までアニメキャラの女児そのままにふんわりと整えらた上で人混みの
中に連れ出された晶だからこそ、胸の内にひめたその無力感がいやでも表面に滲み出て、ますます二人の保護欲をくす
ぐっているに違いない。
もう一つは、保護欲と表裏一体になった支配欲だ。人間に限らず、飼い犬や飼い猫、野生の猛獣も含めて、生まれて間
もない子供は愛くるしい外見をしている。それは、その愛くるしい外見でもって敵の攻撃心をなだめるためだとも言われて
いる。要するに、保護欲に訴えかけて見逃してもらうための手段として、無力な子供は愛くるしい外見をまとっているという
わけだ。けれど、そんな愛くるしさも、一つ間違うと、却って激しい攻撃を招く元になってしまうことがある。攻撃といっても、
肉体的に痛めつけられる類の攻撃ではなく、その愛くるしい外見の持ち主を自分一人で独占したいという邪な願望を持った
者に囚われ、その手から逃げ出す術を奪われるといった、いわば精神的な攻撃だ。人間がペットを飼うという行為にしても、
動物と触れ合うことで心が癒されるからという側面はあるが、そんなものはおためごかしに過ぎず、本来なら野山を駆けめ
ぐっている筈の動物たちを様々な方法で従順な性格の持ち主につくり変えた上で飼い主の意に従わせることに無上の悦び
を覚える、支配欲に満ちた行為だと言い換えることが可能だろう。人間は誰でも、程度の多少はあれ、胸の奥底にどす黒い
支配欲を隠し持っているものだ。女性と婦人は今、限りない保護欲をかきたてられると同時に、自分の思うままにできそうな
愛くるしくも無力な愛玩動物を見るのと同じ目で晶の顔をみつめているのだった。
限りない保護欲と果てしない支配欲。おそらく、美也子もこの二つの感情のとりこになってしまっているのだろう。昔はしき
りにお兄ちゃんぶっていた晶が、いつしか自分よりも体も小さく無力な存在になってしまっていることに気づいた美也子の胸
の内で異様に成育した保護欲と支配欲。大きく成育しただけでなく歪んで異形の相を持つに至ったその感情が、加虐的な
悦びを餌に、宿主である美也子に命じて、己の欲望を満たすために蠢いていると言っていいのかもしれない。けれど、その
責が美也子一人にあるとは言い切れない。美也子の胸の内に巣くう、晶に対する異形の保護欲と支配欲。それを成長させ
たのは、晶自身なのかもしれない。世の中には、『魔性の女』と呼ばれる女性たちが確かにいる。意識して男をだふらかし言
いなりにさせた上で破滅に追い込む『悪女』とは違って、自らの意思で男たちを呼び寄せるのではなく、男たちが勝手に思い
を寄せ、その思いを成就しようとしながら果たすことがかなわず、いつしか破滅の途へと足を踏み入れてしまうような、そんな
類の女性たちだ。『魔性の女』と呼ばれる女性がいるのなら、ならば、『魔性の女装子』と称される男の子がいても道理では
ないだろうか。一見したところでは美也子によって一方的に攻めたてられるばかりの晶だが、別の角度から見れば、晶が美
也子に自分を攻めたてせさていると言えないだろうか。いや、攻める攻められるといった表現を使わず、互いが磁石の一方
の極どうしの関係にあるのだと言った方がいいだろうか。互いが互いに惹かれ合い、その間に走る妖しい磁力線によって周
囲の者たちの心を吸い寄せ、いつしか異形の磁場の中に取り込んでしまうような、そんな二人。だからこそ、妖しい磁力線の
とりこになって、晶に対して道ならぬ恋心を抱く徹也のように、自分よりも年上の晶を妹扱いしてやまない香奈や恵美のよう
に、赤ん坊でも保育園児でもないくせにおむつが外れない晶のことを不思議に思わなくなってしまった美優の母親のように、
誰しもが晶と美也子に関わり合いを持とうとするのだろう。まるで、知らず知らずのうちに『魔性の女』のとりこになってゆく男
どものように。
「さ、そろそろいいかな。叔母ちゃんたちが迷子センターまで連れて行ってあげるから、ほら、立っちしようね」
おしっこを溢れ出させている間に強引に抱き起こすこともできず、一分ほど待ってから、女性と婦人が力を合わせて晶
の手を引いた。晶が赤ん坊などではないことは充分に承知しているのだが、その愛くるしさに、初老の女性はつい幼い孫
を相手にしている時と同様、『立ってちょうだい』ではなく『立っちしようね』という幼児言葉を口にしてしまう。
女性の力だから、簡単にというわけにはゆかないものの、二人が協力すれば、心ここにあらずといった状態で、自分の
意志で立ち上がるわけではないけれど抵抗するそぶりもみせない小柄な晶の体を引き起こすのは難しいことではない。
「はい、お利口さんね。それじゃ、スカートの裾をちゃんとしてあげるから、そのままじっとしているのよ」
最初のうちこそ自分がぶつかって晶に尻餅をつかせてしまったと恐縮しきりだった女性だが、いつのまにか晶のことを
すっかり幼い孫扱いで、幼児言葉をやめようともせず、小さな子供をあやすように言って、スカートの裾に手をかけた。
途端に女性は、はったしたような顔つきになって、傍らに立ってこちらの様子を見守っている中年の婦人に向かって小さ
く手招きをした。
「あら、どうかされました?」
婦人は少しばかり怪訝そうな表情を浮かべつつ、女性に手招きされるまま晶のスカートにそっと触れた。が、こちらもすぐ
に驚いたような顔になってすぐに手を離してしまう。
「ね、濡れてしまっていますでしょう?」
スカートから手を離して指先をじっとみつめる婦人に向かって、女性は思案顔で言った。
「え、ええ……紙おむつのギャザーから横漏れしちゃったのかしら、びしょびしょというほどじゃありませんけど、スカートの
後ろの方が濡れてしまっていますね。やはり、すぐにでも迷子センターに連れて行って保護者の方に来ていただかないと
いけないんじゃないでしょうか」
女性は晶のサンドレスのお尻のあたりと自分の指先とを見比べながら小さく相槌を打った。
布おむつと違って、紙おむつは内側の生地全面でおしっこを吸い取るのではなく、おしっこが出てくるあたりを中心に縫
い込んだ高分子吸水材が、吸い取ったおしっこをゼリー状に固めてしまうような仕組みになっている。更に、もしも吸収材
で吸い取れなかった分があったとしても、おむつの内側は全面が吸水性のいい不織布になっていて、しかも、横漏れを防
ぐためのギャザーもしっかりしているから、おしっこが外に漏れ出すことは滅多にない。だからメーカーも、例えば「おしっ
こ3回分も楽々吸収」とかいう宣伝文句を謳っていたりもする。ただ、それにも限界はある。「おしっこ3回分」といっても、
1回分のおしっこの量としては、あくまでも平均的な数値を使って算出しているわけだ。例えば、生後半年の乳児なら1回
分の量はこれくらい、生後一年の赤ん坊ならこれくらいという数値を使って、対象のおむつが吸い取れる最大量を割り算
することで求めた概略値でしかない。それに加えて、乳幼児にしても、介護が必要な病人や老人にしても、そもそも、おむ
つを必要とする人が意識的におしっこを我慢するというケースは希だ。意識ははっきりしているのに足腰が弱って自力では
トイレへ行けないといった怪我人はともかくとして、気がついたら粗相してしまっていたという状態にある人たちだからこそお
むつが手離せないというのが一般的だろう。
それに対して、晶の場合は、バスに乗ってすぐに覚えた尿意にずっと耐え、限界ぎりぎりというところまでおしっこを我慢し
ていたのが、女性とぶつかって尻餅をついた衝撃でとうとう堪えきれなくなり一気におしっこが溢れ出たものだから、普通の
おしっこの量を想定してつくった学童用の紙おむつでは吸水能力が及ばないのも仕方ない。更に、「どれだけの量のおしっ
こを吸い取ることができるか」という吸水性に加えて、「どれだけの速さでおしっこを吸い取ることができるか」という吸水対応
性も問題になってくる。高分子吸収材にしても不織布にしても、おしっこが余りに勢いよく溢れ出してくると、短時間の内に全
てを吸い取ることができず、沁み出させてしまうのだ。「ちょろちょろ」と流れ出るおしっこなら一滴残さず吸い取ることができ
るおむつでも、「じゃあじゃあ」と迸り出るおしっこだと全部を吸い取ることができずに外へ漏らしてしまうことになるわけだ。し
かも晶は、男の子なのに、男の子のしるしであるペニスを後ろ側に折り曲げられて女児用の紙おむつを穿かされていた。そ
のため、吸水帯の位置とおしっこの出口との位置が微妙にずれてしまっていて、それもおしっこが紙おむつから横漏れする
原因の一つになったに違いない。
そんな事情で、晶のおしっこは、かなりの量が紙おむつから漏れ出てしまった。これが、立ったままのおもらしなら、紙
おむつのギャザーから漏れ出たおしっこは内腿を伝って床に落ち、スカートを濡らすようなことはなかったかもしれない。
けれど実際は床に尻餅をついた格好でおもらしをしてしまったものだから、スカートの前の部分は捲れ上がっていたもの
の、スカートの後ろの方はお尻の下敷きになってしまっていて、おむつから漏れ出たおしっこでじっとり濡れてしまったの
だった。
「そうですわね。このままだと人目にもついてお嬢ちゃんが可哀想ですし、早く連れて行ってあげた方がよろしいでしょうね」
女性も婦人に軽く頷き返し、改めてスカートの乱れを整えようと再び手を伸ばしかけた。
が、じきに、あっという声をあげて手を止めてしまう。
「今度はどうなさいました?」
「これをご覧ください。これ、どういたしましょう?」
早口で尋ねる婦人に、女性は、晶のお尻の膨らみのすぐ下あたりを指差して困惑した顔つきで訊き返した。
訝しげな表情で女性の指差す先に視線を向けた婦人の目に映ったのは、紙おむつのギャザーから漏れ出て晶の太腿
を伝い、内腿や膝の裏を濡らしながら滴り落ちる幾つもの雫だった。どうやら、吸収帯ではなく不織布に吸い取られたおし
っこが、二人が晶を引き起こした拍子に、あまりの量の多さのため不織布から沁み出してギャザーから横漏れしてしまっ
たらしい。
赤ん坊でもないのにおしっこでおむつを汚してしまう屈辱。おしっこを教えられない幼児でもないのにおもらしで両脚を濡
らしてしまう羞恥。今まさに晶は、大勢の目の前で、二つの恥辱を合わせて味わっている真っ最中だった。ただ、あまりの恥辱の
ために、自分が今どんな状況に置かれているのかはっきりと意識できずにいるということが、逆にたった一つの救いといえ
ば救いだろうか。
「本当、どういたしましょう。ハンカチで拭いてあげたいところですけど、そうすると、私が後で困ったことになりますし」
婦人は、少し考えてから、幾らか後ろめたげな口調で言った。
「ええ、私も自分のハンカチで拭いてあげたいのはやまやまですけれど、今持っているハンカチは長男の嫁が母の日に贈
ってくれた大事なハンカチですし……」
「あの、よろしければ、これをお使いください」
初老の女性と中年の婦人が困ったように顔を見合わせているところに横合いからそう声をかけたのは、小さな女の子を連
れた若い母親だった。
「私は予備の分も持っていますので、全部お使いくださって結構です。赤ちゃんと違って大きなお嬢さんですから、ちゃん
と拭いてあげようとするとたくさん必要になるでしょうし」
そう言って母親が差し出したのは、晶が肩に掛けている小物入れの鞄に入っているのと同じ、携帯用のパッケージに入
った赤ちゃん用のお尻拭きだった。
母親はお尻拭きのパッケージを女性に手渡した後、穏やかな笑顔でこう続けた。
「本当は私もお手伝いすればいいんですけど、一人のお嬢さんにあまりたくさんの人数でかかりきりになると却って邪魔に
なりそうですので、遠慮させていただいています。でも、手助けが必要なら、声をおかけください。どんなことでもしますから。
たぶん、ここにいらっしゃるみなさんも同じ気持ちだと思いますよ」
母親の言葉を耳にして揃って後ろを振り向いた女性と婦人は、トイレ待ちの列に並んでいる女性たちが一様に晶の様子
を見守っているのを知った。
見守っている――確かに、その場に居合わせた全員が晶の具合を心配して気遣わしげに見守ってはいる。見守ってはい
るのだが、けれど、全員の気遣わしげな顔に、それとはまるで別の表情が浮かんでいることも否定はできない。晶とぶつか
った初老の女性がスカートの乱れを整えてやる前に目敏く紙おむつのことを知った者も少なくないし、女性に続いてトイレか
ら出てきた婦人が口にした「こんな大きな子のおむつを」という言葉を耳にした者も大勢いる。小学生高学年くらいの女の子
がスカートの中にショーツではなく紙おむつを着け、自分たちの目の前でその紙おむつをおしっこで汚してしまったのだとい
う事実に、列に並んだ女性たちはうずうずするような好奇の念を抱き、自分たちがその中にどっぷりと浸ってしまっている日
常生活では滅多に目にすることのかなわぬ出来事に妖しく心を揺らめかせ、なにやら見てはならぬものを目の当たりにし
てしまったようなどこか後ろめたくてどこか淫靡な光景に心奪われて、初老の女性や中年の婦人と同じく、知らず知らずの
うちに異形の保護欲と支配欲を掻きたてられているのだった。お尻拭きのパッケージを差し出した若い母親も、そのにこやか
な笑顔のお面を外せば、どす黒い支配欲と胸の中をうずうずさせる好奇の念とをない混ぜにした奇妙な笑みを浮かべている
に違いない。けれど、だからといって、誰を責めることができる由もない。全ては、晶と美也子とを二つの極にした妖しい磁場
の中でのできごとなのだから。
「ありがとうございます。それじゃ、使わせていただきます。お嬢ちゃん、お尻とあんよを綺麗綺麗してあげるから、そのま
まじってしていてね」
そこにいる全員が紙おむつのことを知っているとわかれば、ギャザーから横漏れするおしっこを拭き取るのに、晶に対
して無用の気遣いをする必要はない。初老の女性は、若い母親に向かって軽く会釈をしてから、晶が着ているサンドレス
の裾をぱっと捲り上げた。それを、中年の女性が横合いから手を伸ばして、スカートの裾が落ちないよう支え持つ。
晶の下腹部を包み込むハート模様の紙おむつと、ギャザーから漏れ出して内腿や膝の裏を伝い落ちるおしっこの雫が
誰も目にもあらわになった。
「ママ、あのお姉ちゃん、赤ちゃんじゃないのにおむつしてるよ。亜美より大きいのに、赤ちゃんみたいにおむつしてるよ」
トイレ待ちの列の中ほどから甲高い声が聞こえて、公園で出逢った美優と同い年くらいの幼い女の子が、驚きと好奇に
目をまん丸にして晶のことを指差し、傍らにいる母親の顔を見上げていた。
「駄目よ、亜美。そんなこと大きな声で言ったりしたら、あのお姉ちゃんが恥ずかしがって可哀想でしょ?」
母親はしきりに我が子の言動をたしなめるのだが、当の母親にしたところが、事の成り行きに好奇の念を駆りたてられ
ているのがありありだ。
「うん、そうだね。赤ちゃんじゃないのにおむつだなんて、恥ずかしいもんね。亜美、もうパンツだけど、もういちどおむつよ
って言われたら、恥ずかしくて泣いちゃうかもしれない」
亜美と呼ばれた幼女は、自分のスカートをぱっと捲り上げ、アニメキャラのバックプリントがついた自分のショーツと晶
の紙おむつとを何度も見比べて言った。
「でも、おもらししちゃったら、恥ずかしいおむつに逆戻りだからね。ちゃんとおしっこを教えられなかったら、亜美がどんな
に泣いて謝っても、パンツじゃなんておむつを穿かせるからね。約束よ、いいわね?」
母親は、晶の膝の裏を伝って滴り落ちるおしっこのしずくを凝視しながら、娘のお尻をぽんと叩いた。
「うん、わかってる。だから、トイレを待ってる間も、ちゃんと我慢してるでしょ? 亜美、赤ちゃんじゃないもん。それに、あ
のお姉ちゃんみたいにおむつじゃない、パンツのお姉ちゃんだもん」
亜美はもういちど自分のショーツと晶の紙おむつとを見比べて、少しばかり意地になって言い返した。
そうこうしているうちに、初老の女性がお尻拭きをパッケージから抜き取って晶の内腿に押し当てた。
そのひんやりした感触に一瞬だけ晶の下腹部がぶるっと震えたものの、反応はそれだけだった。
日ごろから幼い孫の面倒をみているのだろう、最初の頃こそぎこちなかった女性の手が、いつのまにか滑らかに動いて
おしっこの雫を綺麗に拭き取ってゆく。晶はまだ自分自身を取り戻すことなく(あるいは、あまりの羞恥に耐えかねて、自失
したふりを続けているのかもしれないが)女性のなすがままだった。
そうして念入りにおしっこの雫を拭き取った後、女性と婦人が二人がかりで晶を迷子センターに連れて来たのだが 迷子
センターに連れて来られた後も晶は呆けたような顔のままだった。若い女性の係員と初老の女性とが何度も交互に話しか
けても、何も耳に入らないのか、まるで反応がない。住所や年齢、誰と一緒に来たのかということを係員も女性も優しい口
調で何度も問いかけるのだが、一言も返事がない。
「もういちどだけ訊くから、お姉ちゃんに教えてね。お嬢ちゃん、お名前はなんていうのかな?」
若い係員は、これで駄目なら名前を聞き出すのは諦めて服装と見た目の年齢だけを館内放送で知らせて心当たりの保
護者に来てもらおうかと考えながら、晶の顔を正面から覗き込むようにして言った。
と、係員が口にした『お姉ちゃん』という言葉に反応したのか、晶の瞼がぴくっと震えて、今にも消え入りそうな
「……晶。あ、あたし、遠藤晶……」
という、ぽつりと呟くような弱々しい声が唇をついて出た。
「そう、お嬢ちゃんの名前は晶ちゃんっていうのね。晶ちゃん、遠藤晶ちゃんね。うん、わかった。すぐにお家の人を探してあ
げるわね。もう大丈夫だから、心配しないで待っててね」
ようやく名前を聞き出すことができた係員は、それが実は晶の本当の名前ではないという事実など知る由もなく、安堵の色
を浮かべ、迷子を報せる館内放送を依頼するために内線電話の受話器を持ち上げた。
晶の本当の苗字は井上。晶が係員に告げた遠藤というのは、美也子の苗字だ。晶が自分の名前の上に美也子の苗字を
付けたのは、たまたま知り合いが買物にでも来ていて、館内放送で晶の本名が呼ばれるのを聞きつけ、迷子センターにやっ
て来るかもしれないということを恐れてのことだろうか。あるいは、それとも……。
迷子を報せる館内放送で晶の名前が呼ばれたのには、そんな経緯があった。
胸の中でほくそ笑みつつその経緯を存分に堪能していた美也子だが、初老の女性が迷子センターから立ち去ろうとしな
いことに気がつくと、さすがにちくりと心が痛んだ。女性がぶつかったおかげで晶はますます恥ずかしい目に遭うことになり、
美也子はますます加虐的な妖しい悦びに舌なめずりすることができたのだが、女性にしてみればまるで思ってもみなかっ
た事態に遭遇してしまったわけで、いい迷惑に違いない。なのに、(もう一人の中年の女性が、館内放送が流れて、これで
一安心というふうな顔で迷子センターをあとにした後も)晶が粗相をしてしまったのは自分に責任があるのだということを保
護者に説明するために、迷子センターに残ってくれているのだ。
一瞬は晶をこのまま迷子センターに放置して買物客たちの好奇の目にさらしておくのも面白いかなと思った美也子だが、
それではあまりに女性が気の毒だと気づいて、晶を引き取るために、いささか残念そうな面持ちで迷子センターに向かって
歩き出した。
が、下りエスカレーターを勢いよく駈けおり息を弾ませて迷子センターの方に走って行く徹也の姿に気づいて、身をひそめ
ていた物影から幾らも進まぬうちに、美也子の足がぴたっと止まった。
「晶ちゃん、大丈夫かい、晶ちゃん!?」
迷子センターに駆け込んだ徹也は、厚めのタオルを敷いた椅子に頼りなげな様子でちょこんと腰掛けた晶の姿を認める
と、係員や女性の存在などまるで無視して晶の目の前に立ち、腰をかがめて晶と目の高さを合わせて、いかにも心配そう
な声で話しかけた。
その声に晶はおずおずと顔を上げ、目の前にいるのが徹也だと気づくと、椅子からぱっと立ち上がり、両手の掌をぎゅっ
と拳に握りしめ、肩をわなわなと震わせて、涙声で叫んだ。
「お、お兄ちゃんの馬鹿ぁ! あ、晶のことほっ放り出してどこ行ってたのよ! 一人ぽっちで、あ、晶、どれだけ寂しかった
か、お兄ちゃんになんかわかんないんでしょ!? 晶、晶……一人ぽっちで晶、とっても……わ、わぁ~ん」
涙声混じりの叫び声が、最後の方は、紛れもない泣き声に変わってしまう。
晶は幼児そのまま手放しで泣きじゃくりながら、徹也の首筋にしがみついた。もう二度と離すまいとでもするかのように、
徹也の首筋の後方にまわした両手を力一杯組み、徹也の肩に顔を載せて、両の目からぼろぼろと涙の粒をこぼし続ける。
「え? でも、一人ぽっちったって、晶ちゃん、お姉さんと一緒だったんだろう? お姉さんにトイレへ連れて行ってもらうっ
ていうから、僕はCDショップに行ったんだよ。そんな、ほっ放り出してなんかじゃ絶対ないよ」
まるで事情を知らない徹也は、困惑した表情で、それでも優しく晶に言い聞かせた。
「だって、だって、お姉ちゃん、途中で晶の手を離して、どっか行っちゃったんだよ。晶、お姉ちゃんを探したけどみつから
なくて、それで、今度はお兄ちゃんを探したのに、お兄ちゃんもどこにもいなくて。晶、一人ぽっちになっちゃって、たくさん
人がいるからトイレへ行くのも大変で……それで、トイレが混雑してて、それで、それで……ふ、ふぇ~ん」
泣きじゃくりながら甘えた声でそう説明する晶の様子は、到底のこと演技とは思えない。エスカレーターの上で雑誌を貸
してくれるよう計算尽くで少女を装い甘えてみせた時とはまるで別人のように、心の底から徹也に頼りきっているのがあり
ありと感じられる。
健常な高校生の男の子でありながら大勢の人前で紙おむつを汚してしまい、紙おむつが吸い取れなかったおしっこの
雫で内腿といわず足首といわずしとどに濡らしてしまうという想像を絶する羞恥を味わった晶の心の奥底に、いつしか徹
也に対する依存心が芽生え、今やその依存心が胸の中いっぱいに膨れあがっている状態だった。自身のことを『僕』で
はなく、『あたし』でさえなく、幼児さながら下の名前で『晶』と呼ぶようになったのも、その表れだ。
「あ、途中でお姉さんとはぐれちゃったの? だったら、寂しかったよね。とっても心細かったよね。そんなことになるってわ
かっていたら僕も一緒にトイレへ行ってあげたのに。でも、もう大丈夫だよ。僕がいるから、もう寂しくないよね? 館内放
送が聞こえて、慌てて晶ちゃんのこと迎えにきてあげた僕がいるから、もう平気だよね? お姉さんもすぐに来てくれるに
決まってるから、もう心配しなくていいんだよ。だから、ほら、いつまでも泣いてないで笑おうね。可愛い晶ちゃんには、そ
んな泣き顔じゃなくて明るい笑顔がお似合いなんだから」
最初はわけがわからず戸惑った表情を浮かべていた徹也だが、幾らか事情が飲み込め、晶がすっかり自分に頼りきり
になっていることを知ると、すっと目を細めて、いかにも年長者ぶった様子で優しく言いい、いつまでも泣きやまない幼児を
あやすように、晶のお尻をスカートの上からぽんぽんと叩いた。エスカレーターで晶のスカートの中が見えないよう雑誌で
後ろの少年の目から隠すのに紛れて恐る恐る触れた時とは違い、それこそ、幼い妹を泣きやませるためという感じで、ごく
自然な振る舞いだ。
けれど、掌がスカートに触れた途端、はっとしたような表情が徹也の顔に浮かぶ。
「え……?」
晶のお尻をスカートの上からぽんぽんと叩いた徹也は、掌に伝わってくるじとっとした湿っぽい感触に、なんともいいよう
のない顔つきになった。同時に、さっき晶が「トイレへ行くのも大変で……それで、トイレが混雑してて」と言った直後に泣き
じゃくり始めたのを思い出す。
「まさかと思うけど、ひょっとして晶ちゃん……」
徹也は再び困惑の表情を浮かべて、途中まで出かかっていた言葉を慌てて飲み込んだ。まさかそんな馬鹿なという思
いもあるし、万が一そうだとしても、はっきり口にするのは晶が可哀想だという思いもある。
不意に、迷子センターの中に静寂が訪れた。聞こえるのは、ひっくひっくとしゃくりあげる晶の泣き声だけ。
その時になってようやく、ことの成り行きを見守っていた初老の女性が徹也に向かっておずおずと声をかけた。
「あの、失礼ですけど、このお嬢ちゃんのお兄さんですか? 差し出がましいことを言うようで申し訳ありませんけど、どう
か、お嬢ちゃんを叱らないであげてくださいな。お嬢ちゃん、ちゃんと我慢なさっていたんですよ。きちんとトイレ待ちの列に
並んで、自分の番が来るのを我慢して待っていたんですよ。でも、とうとう我慢できなくなったのかして男性用トイレの方へ
歩き出したところだったんでしょうね、そこへ私が前をよく見ていないでぶつかってしまって、それで、おしっこを失敗しちゃ
ったんです。おしっこを失敗しちゃったの、お嬢ちゃんのせいじゃないんです。みんな、私のせいなんです。だから、お嬢ち
ゃんを叱らないであげてください。お願いです、お兄さん」
晶が『お兄ちゃん』と呼ぶのを耳にして徹也のことを実の兄と思い込んだのだろう、女性は真剣な表情で懇願した。
女性の口から何度も繰り返し発せられる『おしっこを失敗しちゃった』という言葉にこれでもかと羞恥を煽られた晶が、徹
也と目を合わせまいとして、徹也の肩の上に載せた顔を首筋にぎゅっと押し当てた。生まれて初めてできたガールフレンド
の体温をこれ以上はないくらい身近に感じて胸がどきどきと高鳴る上に、女性の述べた内容があまりに衝撃的だったため、
徹也は一言も返答ができない。
「わかっていただけましたでしょうか? お嬢ちゃん、私とぶつかったりしなかったら、おしっこを失敗しちゃうこともなかった
んですよ」
徹也が押し黙ったままなのを晶の粗相に対する怒りのためだと勘違いした女性は、少し困ったような顔になって言い募っ
た。
「ですから、私がぶつからなけりゃ、おむつを汚しちゃうようなこともなかったんです。尻餅をついたままおむつを汚しちゃって、
それでおしっこが横漏れしてスカートやソックスを濡らしてしまったようですけど、それもみんな私のせいなんです。だから、
どうぞ、お嬢ちゃんを叱らないであげてください」
そう言って伏し拝むように頭を下げる女性の姿を呆然とした顔でみつめ、
「……お、おしっこを失敗しちゃったって……トイレが混雑してたって言ってすぐに晶ちゃんが泣き出しちゃったの、やっば
り、そういうことだったんだ……」
と呟きながら、徹也はおそるおそるといった様子で、晶が着ているサンドレスのお尻のあたりにもういちど掌を押し当てた。
さっき掌から伝わってきたじっとり濡れた感触は思い違いなどではなかった。徹也は、さっき胸に抱いた、まさか、けれど
万が一、という思いが図らずも的中してしまっていたことに少なからぬショックを受けた。そうしてすぐ、女性が口にした「お
むつを汚しちゃって」という言葉を思い出す。
「……晶ちゃん、お、おつむだったの? もう五年生なのに、おむつなの、晶ちゃん……?」
うわごとのように呟きながら、徹也は、スカートに押し当てた掌を晶のお尻の形に沿ってそろりそろりと下におろしていっ
た。
と、お尻の膨らみのすぐ下のあたりにさしかかったところで、その手がぴたりと止まる。
サンドレスの薄い生地を通して、普通のショーツなどとは明らかに違う少しばかりごわごわした感触が伝わってきた。そ
れに加えて、おしっこを吸って膨れ上がった吸収帯のぷにゅぷしゅした感触。
「……本当だ。これって、おむつだよね? おしっこをたくさん吸った紙おむつだよね?」
熱に浮かされたように徹也はそう言い、いったん止めた手を再びゆっくりおろし始めた。
いくらもしないうちに、徹也の手がギャザーに触れる。
徹也は少しだけ迷ってから、晶の両脚の間に指先を差し入れた。
横漏れしたおしっこのせいでじとっと湿った内腿の感触がなまめかしい。
「や、やだ。そんなとこ触っちゃやだってば、お兄ちゃん」
両の脚の間に割って入ってくる徹也の指遣いに晶は思わず体をくねらせ、それまでの泣き声を喘ぎ声に変えて、頬をぎ
ゅっと押しつけた徹也の首筋に熱い吐息を吹きかけてしまう。
大勢の買物客がいる中でおむつを汚してしまった上に、漏れ出たおしっこで下半身を濡らしてしまった羞恥。自分よりも
年下の中学生の男の子から逆に幼い妹のようなガールフレンドとして扱われ、しかも恥ずかしい下着の秘密を知られてし
まった屈辱。そんな恥辱が妖しく姿を変えた被虐的な悦びに晶の下腹部が切なく疼き出し、じっとり濡れた紙おむつの中
で、お尻の方に折り曲げられたペニスがいやらしく蠢きだしていた。
「あ、ご、ごめんね、晶ちゃん。まさか晶ちゃんがおむつだなんて思ってもみなかったから、僕、驚いちゃって。すぐに手を
離すから、本当にごめんね」
どこか甘ったれて聞こえる晶の声に胸が早鐘のように高鳴るのを感じながら、徹也はかっと顔を熱くし、晶の両脚の間
に差し入れた手を慌てた様子で引き抜いた。
その拍子に、人差指と中指の腹で、両脚の間に挟まって窮屈そうにしている晶のペニスの先をぎゅっと押してしまう。お
しっこをたっぷり吸ってぷっくり膨らんだ吸収帯の上からだから、徹也にしてみれば、自分の指先が触れたのがペニスだ
とはわかない。たとえ、おしっこを吸った吸収帯にしてはちょっと固めの感触だなと思うことがあっても、まさか自分の幼い
ガールフレンドが股間にペニスを隠し持っているなどとは夢にも思わないから、少しばかり不思議そうな顔つきになるだけ
ですんでしまう。
それに対して晶の方は、じんじんと痺れるように切なく疼く下腹部の中でも最も敏感な部分を不意に刺激されたのだから、
たまったものではない。あっという声をあげて体がのけぞり、膝から力が抜けて、そのままへなへなと倒れこんでしまいそ
うになる。
「どうしたの、晶ちゃん? 大丈夫かい、気分が悪いのかい?」
徹也は、左手を晶の腰にまわし、右手でお尻の膨らみのあたりを抱えるようにして、晶が倒れないよう慌てて支えた。
そのおかげでかろうじて倒れることは免れた晶だが、紙おむつのギャザーと太腿の皮膚との間にできた僅かな隙間から、
再びおしっこの雫が幾つか膝の裏の方へ伝い落ちるのは止められなかった。迎えが来るまで晶は椅子に座っていたため、
不織布に吸い取られた筈のおしっこの内の幾らかが晶の体重のせいで紙おむつの内側に滲み出していた。それが横漏れ
防止用のギャザーによってかろうじて堰き止められていたのだが、へなへなと崩れ落ちそうになった晶が両足を踏ん張り、
同時に徹也が紙おむつの上から晶のお尻を支えたものだから、とうとう外に漏れ出してしまったのだ。
一度は初老の女性の手で綺麗にしてもらった太腿と膝の裏側をおしっこの雫がつっと伝い落ちる感触に、晶はぶるっと腰
を震わせた。
「あっ、大変」
ギャザーから漏れ出たおしっこの雫に目敏く気づいた若い女性の係員が、座面が濡れるのを防ぐために椅子の上に敷い
ていた厚めのタオルをつかみ上げ、晶のお尻のすぐ後ろの床に膝をついた。
「すぐに拭いてあげるから、そのままじっとしていてね。お姉さん、保母さんの資格を取るために短大でお勉強していて、お
休みの日だけここでアルバイトしているの。まだ一人前じゃないけど、一年生の時にも実習でいろいろ経験してきたから心
配しなくて大丈夫よ。さ、あんよを綺麗綺麗しようね」
大きななりをしてまるで赤ん坊みたいに紙おむつのギャザーから漏れ出たおしっこの雫を拭いてもらう晶の恥ずかしさを
少しでもやわらげようと気遣っているのだろう、若い係員は、おしっこやおむつのから話題をそらすために簡単な自己紹介
をしながら、椅子の上からつかみ上げた厚めのタオルを晶の太腿に押し当てた。
けれど、そのさりげない自己紹介の内容が却って晶の羞恥をくすぐる結果になってしまう。晶が見た目通りの小学生なら、
高学年にもなっておもらしをしてしまったという恥ずかしさは覚えつつも、自分よりもずっと年上の優しそうなお姉さんに全て
を委ねるのは苦にならないかもしれない。けれど、実際は高校二年生になる晶からすれば、短大の二年生になる係員とは
三つしか年の差がない。その程度の年齢差なら、女性の方が年上のカップルも何組もある。そんな、男と女として交際して
もおかしくないほどの年齢差しかないのに、晶が実際は高校生の男の子だということを知る由もない係員は、実習で触れ合
うことの多い幼い子供に対するのとまるで変わらぬ態度で接してくるのだ。一人ではトイレへ行くこともできず、おしっこを教
えることもできなくて、おむつ離れできない幼児に対するのとまるで同じ態度で。その態度が実は晶の羞恥をどれほど煽っ
ているかも気づかずに。
しかも、幾ら実習を受けているとはいっても、まだきちんとした資格を取っているわけでもなく、経験を積んでいるわけでも
ない。ギャザーから漏れ出たおしっこの雫をタオルで拭き取るにしても、どこか力まかせなところがあるのは否めない。日ご
ろから孫の面倒をみている初老の女性の手の動きと比べると、どうしても雑で乱暴な感じがする。そのため、係員がタオル
を動かすたび、指や手の甲が容赦なくペニスに触れ、晶の下腹部の疼きをこれでもかと強めるのだった。徹也と同様、係員
も、まさか自分の手が吸収帯の上からペニスをいたぶっていることなど想像だにしない。ただ職務に忠実に、そうして、目の
前に立ちすくむいつまでもおむつ離れできない可哀想な少女がこれ以上おしっこで脚を濡らしてしまわないよう気遣っての
行為が、結果としてどれほど晶の下腹部を疼かせているかも知らずに。
「あ、や……」
ひどく敏感になってしまっているペニスを若い女性の手で攻められ、そのたびに晶は両脚を擦り合わせ、およそ小学生の
女の子には似つかわしくないなまめかしい喘ぎ声を漏らしてしまう。
だが、晶のそんな反応も、本当のことを何も知らない徹也の目には、幼いガールフレンドの羞じらいの仕種としか映らな
い。
「よしよし、大丈夫だよ。ちっとも恥ずかしいことなんてないんだから、晶ちゃんは何も気にしなくていいんだよ。どんな事
情があって晶ちゃんがなかなかおむつ離れできないのか僕にはわからないけど、でも、そんなことで僕は晶ちゃんのこと
嫌いになったりしないからね。約束したよね? どんなことがあっても僕が晶ちゃんのことを守ってあげるって。おむつの
ことだってそうだよ。おむつ離れできないからって晶ちゃんのことをからかったり苛めたりするやつがいたら、絶対に僕が
とっちめてやる。とっちめて、ごめんなさいって言わせてやる。だから、ずっと僕と一緒にいようね」
徹也は、自分の首筋にすがりついて両脚をしきりにもじもじと摺り合わせる晶の背中をとんとんと叩きながら、優しい声
で言い聞かせた。
「お、お兄ちゃん……」
徹也に対する依存心を胸の中いっぱいに膨れ上がらせた晶が、涙で潤んだ瞳で徹也の顔を見上げた。
それと、係員が晶の両脚の間にタオルを差し入れて内腿を伝い落ちるおしっこの雫を拭き取るのとが、殆ど同時だった。
係員が強引にタオルを動かしたため、おしっこを吸ってぷにゅぷにゅになった吸収帯が、これでもかとペニスをくすぐる。
「や、らめぇ!」
晶は悲鳴じみた喘ぎ声をあげ、徹也の胸元に顔を埋めた。
「らめぇ! お兄ちゃん、晶、変になっちゃうよぉ。助けてよ、お兄ちゃんってば。――や、お兄ちゃん、らめぇ!」
たっぷりおしっこを吸った紙おむつの中で、晶のペニスがどくん!と脈打った。
(あーあ、やっちゃった。迷子センターのお姉さんにおしっこをタオルで拭いてもらいながらイッちゃうなんて、晶ちゃんてば
本当にはしたない子なんだから。でも、優しいボーイフレンドに抱っこしてもらってイッちゃったんだもの、晶ちゃんも本望よ
ね)何度もその手で晶のペニスをいたぶり、精液を搾り取った美也子には、晶の下腹部が今どんなことになっているのか、
手に取るようにわかる。高校生の男の子でありながら自分よりも年下で同性でもある中学生の男の子の胸に顔を埋め、自
分と三つしか年の差がない短大生の手でペニスをなぶられて、自分のおしっこをたっぷり吸った紙おむつの中にとうとう我
慢できなくなって精液を溢れ出させてしまう時の気持ちはどんなだろう。それを想像する美也子の顔には、なんともいいよう
のない妖しい笑みが浮かんでいた。
「どうしたの、お嬢ちゃん? どこか痛いの? それとも気分が悪いの?」
突如として悲鳴をあげ徹也の胸に顔を埋めた晶の肩をやさしく叩いて、初老の女性が心配そうに声をかけた。
けれど、まさか、白いおしっこのおもらしの最中ですとも応えられず、晶は無言で、徹也の胸元に顔を埋めたまま弱々し
く首を振るだけだ。
「ひょっとしたら、またおしっこがしたくなったのかもしれませんね。それで、おしっこを我慢するためにお兄さんにぴったり
寄り添って気をまぎらしてるんじゃないでしょうか」
無言の晶に変わって横合いからそう言ったのは、タオルでおしっこの雫を拭き取り終えた係員だった。
「でも、ついさっきおむつを汚しちゃったばかりなのに……」
初老の女性は僅かに首をかしげて思案顔になったが、じきに何か思いついたような表情になって曖昧に頷いた。
「……でも、そうかもしれないわね。おしっこが近くて、おしっこを我慢するのが苦手だからおむつなんですものね。さっき
しちゃったばかりだけど、またしたくなってもおかしくないかもしれない」
誰にともなくそう呟いた直後、女性の顔色が変わった。
「だけど、そうだとすると、急いでおむつを取り替えてあげないといけないわ。今のおむつはもうたっぷりおしっこを吸ってい
て、これ以上は吸収できるわけないもの。それどころか、さっきのおしっこだって全部を吸い取れなくて、お嬢ちゃんのあん
よが濡れちゃったくらいなのに」
女性は早口で係員にそう告げ、背中を叩いて晶をあやしている徹也の方に向き直って気ぜわしく訊いた。
「お嬢ちゃんの替えのおむつがどうなっているか、お兄さんだったらご存知かしら? たとえば、お母様なりどなたか保護者
の方が替えのおむつを持ってらっしゃるのなら、携帯電話か何かで急いで連絡をつけてほしいんですけど、そのあたり、い
かがかしら?」
いかがかしら?と訊かれても、実の兄ではない徹也は何も応えられない。美也子に携帯電話で連絡をつけようにも、番号
は晶とのデートが終わって別れる時に教えてもらう約束になっているから、今はわからない。
「どうやら、実のお兄さんじゃなさそうですね。いえ、最初はお嬢ちゃんのお兄さんだとばかり思っていたんですけど、お嬢ち
ゃんがスカートの下におむつを着けていることも私の説明でついさっきお知りになったばかりのようだったから、ひょっとして
とは思っていたんですけど。でも、困りましたね。お嬢ちゃん、おしっこをあまり我慢できないようだと、ここからトイレへ連れ
て行ってあげる途中で失敗しちゃうかもしれないし。そうなったら可哀想ですものね」
途方に暮れたような表情を浮かべる晶の顔を見て事情を察した女性は、いたわしげな目を晶の後ろ姿に向け、気落ちした
様子で言った。
「その子のお姉さんの携帯なら私が番号を知っています。すぐに連絡してみますね」
不意に、迷子センターの受付のすぐ外から若い女性の声が聞こえた。
はっとして声の聞こえる方に徹也が目を向けると、淳司がおおげさな身振りで手を振っていて、その横に、携帯電話のボ
タンを押す智子の姿があった。
「え? 二人で映画を観に行ったんじゃなかったんですか?」
徹也は怪訝そうな表情で淳司と智子の顔を見比べた。
「ん、そうなんだけどさ、観たかった映画、俺達がチケットを買いに行った時にはもう定員いっぱいでさ。それで、次の回を
予約するか、別の映画を観るか、二人であれこれ相談してたんだよ。そしたら、迷子のお知らせとかで晶ちゃんの名前が
聞こえてさ。こりゃ放っとけないやって来てみたんだよ。けど、俺達のすぐ前におまえさんが来てたみたいで、ここはせっ
かくだから気を利かせてボーイフレンドに花を持たせてやろうってことになって、俺と智子はちょっと離れた所から様子を見
てたんだ。けど、どうやら大変なことになってきたみたいだから、こうやってのこのこ姿を現したってわけ。喫茶店を出る時、
智子と晶ちゃんの姉さんが携帯の番号を教え合ってたから、助けになるかと思ってな」
ぶっきらぼうに言う淳司だが、徹也と晶のことが気になって仕方ないという様子がありありだ。
智子が携帯電話のボタンを押しているのを見て、美也子は慌てて自分の携帯電話の着信モードを無音のバイブに切り替
えた。迷子センターにかなり近い物陰に身をひそめているから、着信音が鳴ったりしたら、すぐに存在を知られてしまう。
「ところで、さっきはよく言った。おまえさん、ちゃんと男の子してたぞ。晶ちゃんがおむつなのを知って、俺も智子もびっくり
したけど、おまえさん、俺たちよりも驚いただろうな。けど、それでも晶ちゃんのこと守ってやるって言い切ったもんな。まだ
中坊のくせに、なかなか見所あるよ。ちょっとだけ感心したぜ」
淳司は、携帯電話を耳に押し当てる智子の様子を横目でちらと窺いながら、人の好さそうな笑い顔で徹也に言った。
「そ、そりゃ、びっくりしました。びっくりしましたけど、でも、晶ちゃんが頼れるのは今は僕しかいないから。晶ちゃんのお姉
さん、途中ではぐれたまま、まだどこにいるかわかんないし。僕が守ってあげなきゃ、本当に晶ちゃん一人ぽっちになっちゃ
うから。あ、ううん、そうじゃないや。晶ちゃんが可哀想だとかそんなことより、僕が晶ちゃんを守ってあげたいから守ってあ
げるんです。僕を頼ってくれる晶ちゃん、いじらしいし、それに、こんなとこ言うと晶ちゃんは恥ずかしいかもしれないけど…
…おむつの晶ちゃん、とっても可愛いんです。僕がそばについていてあげないと何もできない妹みたいで、可愛くて仕方な
いんです。だから……」
徹也は、自分の胸元に顔を埋める晶の後頭部をさもいとおしそうに撫で、紙おむつの上からお尻をぽんぽんと叩きながら、
柔和な表情で目を細めた。
「あ、なんだと? おむつ姿の女の子が可愛くて仕方ないって、おまい、そりゃ、立派な変態さんだよ? おまい、中坊の
くせしてロリでペドだったのか、ああん? ちょっとでも感心した俺が馬鹿だったよ」
淳司がしきりに徹也をからからってみせる。けれど、その口調にはまるで毒気というものは感じられない。
「や、やだな、そんなじゃないですってば。そ、それより、晶ちゃんのお姉さんとは連絡がつきそうですか?」
からかわれた徹也は顔を赤くし、話題を変えようとしてだろう、慌てて智子に話しかけた。その様子がいかにも微笑まし
くて、小学生にしか見えない晶との組み合わせは、ういういしいカップルそのものだ。
「ううん、それが駄目なの。お姉さん、晶ちゃんを探して走り回っていて気がつかないのかしら。呼び出してるんだけど、
電話に出てくれないのよ」
自分の携帯電話を耳に押しつけたまま、智子は徹也に向かって小さく首を振った。
「それは困りましたね。お嬢ちゃん、いつまでおしっこを我慢できるかしら」
智子の返答に、初老の女性の表情が曇った。
「あの、私、買ってきます。迷子センターには赤ちゃん用や小さい子用の紙おむつは用意してあるんですけど、このお嬢
さんが使えるような大きなサイズのはありません。だから、薬局へ行ってすぐに買ってきます。その間、お嬢さんのこと
お願いできますか?」
係員が思い詰めたような表情で言った。
それを聞いた美也子は、もうそろそろ潮時だと判断し、腰をかがめて物陰を飛び出した。
けれど、そのまま迷子センターに向かうと、ずっと物陰にひそんで様子を眺めていたことが知られてしまう。それを防ぐ
ために、美也子はいったん通路の奥まで移動し、そこから、さも急いで駆けつけてきたかのふうを装い、息を切らせて迷
子センターの受付に走り寄ることにした。
「あ、やっと来てくれた。着信、聞こえなかった?」
足音に気がついてくるりと振り向いた智子が、足音の主が美也子だとわかると、ほっとしたような顔になって、ついさっき
まで耳に押し当てていた携帯電話を軽く振ってみせた。
「え、そうだったんですか?」
美也子は智子に言われてようやく気がついたようにわざと慌てた様子でポケットから携帯電話を取り出し、着信履歴を
確認するふりをしてから、胸の中でぺろっと舌を突き出してしらばっくれた。
「あ、本当だ。ごめんなさい、私、何かの拍子でボタンを押しちゃったのか、マナーモードにしちゃってた。途中ではぐれた
晶ちゃんを探すことばかり気持ちが向いてて、バイブに気づかなかったみたい。本当にごめんなさい」
「うん、ま、そんなとこだろうなと思ってたけど……」
「あの、こちらのお嬢ちゃんのお姉さんですか?」
智子の声に重ねて、初老の女性が美也子に向かって気ぜわしげに訊いた。
「あ、はい、そうですけど?」
女性が何を言いたいのか、美也子には充分わかっている。けれど、そんなそぶりは微塵もみせない。
「あの、申し上げにくいことなんですけれど、お嬢ちゃん、トイレに間に合わずにおしっこを失敗しちゃったんです。あ、で
も、お嬢ちゃんは我慢していたんですよ。ただ、私が注意して歩いていなかったものだから、お嬢ちゃんとぶつかってしま
って、その拍子に失敗しちゃったんです。それでおむつを汚しちゃったんですけど、みんな私のせいなんです。ですから、
お嬢ちゃんのこと、叱らないであげてほしいんです。お願いですから」
女性は、徹也に対してと同じ説明を美也子にも繰り返した。
女性に悪意がある筈などないことはわかっていても、自分の恥ずかしい行為を二度も言葉にして聞かされ、晶の羞恥が
いや増す。
それを、徹也が晶の髪をそっと撫でつけてあやしてやる。晶の胸の中で、徹也に対する依存心がますます大きく膨れあ
がってゆく。
「やだ、晶ちゃん、おむつを汚しちゃったの!?」
女性の説明を聞き終えた美也子は、本当はこれまでの経緯はじっくり眺めていたくせに、晶の羞恥を煽りたてるためにわ
ざとおおげさに驚いてみせた。
晶は思わず、徹也の胸元にますます強く自分の顔を埋めてしまう。
「あ、あの、お姉さん。晶ちゃん、こんなに恥ずかしがってるし、おむつのことはもう……」
晶の髪を繰り返し撫でつけながら、徹也が遠慮がちに言った。
「そうね、済んじゃったことを今更とやかく言っても仕方ないわね。わかりました、妹のことはあまり叱らないでおきます」
最初の方は徹也に、後半は初老の女性に向かって言って軽く頷き、それから美也子は、徹也の体にしがみついて離れな
い晶のすぐそばに歩み寄った。
「そういうことだから、お姉ちゃん、晶ちゃんのこと叱らないでおくわね。でも、その代わり、晶ちゃんが何をしちゃったのか、
自分のお口でお姉ちゃんに教えてちょうだい。それと、これからどうして欲しいのか、それもちゃんと言ってちょうだい。晶
ちゃん、お利口さんだもん、ちゃんとできるよね」
徹也の胸に顔を埋めたまま目だけ動かしておどおどとこちらの様子を窺う晶の瞳を覗き込むようにして、美也子はわざ
と優しい口調で言った。
けれど、晶からの返事はない。涙に潤む瞳に怯えの色を浮かべて、徹也の胸にすがりつくばかりだ。
「公園のトイレで約束したよね。美優お姉ちゃんに叱られて、『おもらししちゃったらすぐお姉ちゃんに教える』って約束した
よね。でもって、『おむつを取り替えてねってお願いする』って約束したよね。美優お姉ちゃんのママも聞いてたし、お利口
さんの晶ちゃんが忘れるわけないよね。――さ、何をしちゃったのか、ちゃんと教えてちょうだい」
優しい口調はそのままに、美也子は容赦なく晶を追いつめてゆく。
「……」
晶は徹也の胸元に押しつけた顔を弱々しく振るばかりだ。
「ふぅん、おもらししちゃったこと、お姉ちゃんに教えられないんだ。おむつを取り替えてって、お姉ちゃんにお願いできない
んだ」
美也子はわざと呆れたように言い、少し間を置いてから、悪戯めいた口調で続けた。
「あ、そうか。晶ちゃん、大好きな徹也お兄ちゃんにおむつを取り替えてもらいたいのね。いつも叱ってばかりの怖いお姉ち
ゃんより、優しいボーイフレンドの徹也お兄ちゃんがいいんだ。なぁんだ、それならそうと早く言えばいいのに。うん、わかっ
た。じゃ、内気で自分の本心をなかなか口にできない晶ちゃんの代わりに、お姉ちゃんが徹也お兄ちゃんにお願いしてあげ
るわね。晶ちゃんのおむつを取り替えてあげてちょうだいって」
その言葉に、びくっと体を震わせ、晶は怯えの色を濃くした瞳で美也子の顔を見上げた。
晶の背中を撫でさする徹也の顔にも困惑の表情が浮かんでいる。
「あら、どうしたの、そんな顔しちゃって? せっかくお姉ちゃんが徹也お兄ちゃんにおむつの取り替えをお願いしてあげるっ
て言ってるんだから、もっと嬉しそうな顔をしてほしいんだけどな」
美也子は僅かに首をかしげて晶の顔を見おろした。
「……いじわる。お姉ちゃんの意地悪!」
それまで無言だった晶だが、美也子の仕打ちにとうとう耐えられなくなったのか、激しく首を振って金切り声をあげた。
「あ、あたしがお兄ちゃんにおむつを取り替えてもらうだなんて、そんなことできっこないの、お姉ちゃんだってよぉく知って
るじゃない! なのに、それなのに、そんなこと言うだなんて、お姉ちゃんなんて大っ嫌いなんだから!」
「駄目だよ、晶ちゃん、お姉さんにそんな口のきき方しちゃいけないよ」
自分の胸元で突如として感情を爆発させた晶の振る舞いに一瞬は呆然とした徹也だが、すぐに落ち着きを取り戻すと、
幼いガールフレンドを優しくたしなめた。
「お兄ちゃんは黙ってて! これは晶とお姉ちゃんの問題なんだから、お兄ちゃんは何も言わないで黙っててよ!」
これまでに受けてきた仕打ちによる恥辱の数々が胸の中にくっきり甦ってきて、いったん高ぶった晶の感情はそう易々と
は鎮まらない。おさまりかけていた涙を再び両目からぶわっと溢れ出させながら、激情にかられて晶は悲鳴じみた叫び声
をあげ続ける。
「あ、晶だって好きでおむつなんかじゃないのよ! お、おもらしだって、おむつだって、みんな、お姉ちゃんのせいなんだか
らね! みんなお姉ちゃんがいけないのに、まるで、晶がだらしないからだって言い方しちゃって。そんなお姉ちゃんなんか、
大っ嫌い!」
晶が叫ぶ通り、恥ずかしい粗相も羞恥に満ちた下着も、どれも美也子が企み仕組んだことだ。けれど、いくら感情を爆発
させた晶でも、本当の事情をあからさまにすることはできない。そんなことをすれば、自分が高校生の男の子だということま
でみんなに知られてしまう。激情にかられながらも、晶にできるのは、美也子をなじることだけだった。
だが、本当の事情を知らない周囲の者の目には、それが晶が逆切れしているようにしか映らない。晶が美也子をなじれば
なじるほど、初老の女性も係員も淳司や智子も、そうして徹也も、おもらしの恥ずかしさのせいで晶が美也子に八つ当たり
しているのだという思いを強くするばかりだ。
「やめなさい、晶ちゃん。おもらしやおむつがお姉さんのせいな訳ないだろう? 優しくて面倒見のいいお姉さんにそんな八
つ当たりしちゃって、どういうつもりだんだい?」
もういちど、今度は少し語気を強めて徹也が晶をたしなめた。
けれど、それまで胸の中に溜め込んでいたものを一気に吐き出すかのように、晶の感情が鎮まる気配は一向にない。
「いいから、お兄ちゃんは黙っててよ! お兄ちゃんには関係ない話なんだから!」
尚もヒステリックに喚き続ける晶。
だが、続けて
「これは晶とお姉……」
と叫びかけた晶の声が急に聞こえなくなる。
それは、徹也が自分の唇を晶の唇に重ねて口を塞いだからだった。
「……!?」
突然のできごとに涙も止まってしまい、何が起きたのかもわからないような顔で、ただ両目をぱちくりさせるだけの晶。
迷子センターにいる者全てが息を飲んで注視する中、徹也が自分の唇を晶の唇に重ねていたのは、ほんの2~3秒の
ことだった。けれど、たったそれだけのことで、あれほど感情にまかせて喚きたてていた晶がぴたっと静かになってしまう。
「びっくりさせてごめんね、晶ちゃん」
春休みが終わって中学三年生になる徹也だから、これまで女の子とキスなどしたことはない。初めての体験に顔を上気
させ、それでも、いかにも年長者ぶった態度で晶の頬にそっと掌を押し当てて優しく言った。
「ほ、ほぇ……?」
一方の晶は、まだ何があったのかわからぬようなきょとんとした顔をして、右手の中指の先を自分の唇におそるおそる押
し当て、それから、その指先をおずおずと自分の顔の先に持っていって、何か怖い物でも見るような目でじっとみつめるば
かりだ。左手は、掌をぎゅっと拳に握りしめ、サンドレスの上からジュニアブラの左右のカップの間に押し当てたまま、ぴくり
とも動かせないでいる。
「あ、あの、大事な妹さんに急にキスなんかしてごめんなさい。それも、お姉さんの目の前で。晶ちゃん、まだ小学校だから、
もちろん今までキスなんてしたことないでしょうね。なのに、知り合ったばかりの僕が強引にしちゃってごめんなさい」
何かに魅入られたかのように自分の指先をじっとみつめるばかりの晶から視線を転じ、驚きと好奇がない混ぜになった表
情を浮かべて事の成り行きを見守っている美也子に向かって、徹也はぺこりと頭を下げた。そうして、いかにも緊張を隠せ
ない様子で唇を何度か舌で湿らせてから、真剣な目つきで、自分よりも頭一つ背の高い美也子の顔を真っ直ぐ仰ぎ見て言
った。
「自分の弟とか男友達とかが訳わかんないことを喚き続けたら、殴ってでも黙らせていたかもしれません。そりゃ、どんなこ
とでも、人によって考え方とか受け止め方とかいろいろあって、正しい意見ていうのが何なのか勝手に決めるのはよくない
と思います。でも、静かに自分の意見を述べるんじゃなくて感情にまかせて喚くだけっていうの、僕、どうしても我慢できない
んです。それに、あのままだったら、ますます感情的になって、晶ちゃん自身が自分で自分が何をしているのかわからなく
なっちゃって、自分の気持ちを傷つけるようなことまで言っちゃったりしちゃったりするんじゃないかと思って。でも、晶ちゃん
はまだ小学五年生で女の子だから殴るわけにはいかなくて、だけど、とにかく落ち着かせなきゃいけないと思って。それで、
それで……」
「それで、静かにさせるためにキスってわけね。ま、たしかに、大事な妹の大切なファーストキスを目の前で奪われて、お
姉ちゃんとしては心穏やかじゃいられないけど、でも、今回だけは大目に見てあげる。徹也君の言う通り、晶ちゃんくらい
の年ごろの子だと、まだ自分の感情をコントロールすることができないから、いったんヒステリックになると手がつけられな
くなっちゃうものね」
美也子は徹也に向かって軽く頷いてみせてから、目の前に立ちすくんでいる晶の肩に手を置くと、そのままくるりと自分
の方に向かせ、背中に両手をまわして、ぐいっと引き寄せた。
「……お、お姉ちゃん……」
その時になってようやく表情を取り戻した晶は、自分の頭のすぐ上にある美也子の顔を、体をのけぞらせるようにして仰
ぎ見た。
「よかったわね、大好きな徹也お兄ちゃんにキスしてもらって。でも、ボーイフレンドができるのもファーストキスも晶ちゃん
の方が早いなんて、お姉ちゃん、ちょっぴり妬けちゃうな」
美也子は晶のまん丸な童顔を見おろしながら、悪戯めいた口調で言った。
「フ、ファーストキス……」
ぽつりとそう呟いた晶の顔が、みるみる真っ赤に染まってゆく。
「そう、女の子にとって大切な大切なファーストキスを晶ちゃんは徹也お兄ちゃんに捧げたのよ。これで晶ちゃんはちょっ
ぴり一人前のレディに近づいたってわけね」
美也子は自分の人差指の先で、晶の唇をぷにっと押した。
「ファーストキス……」
晶はもういちど呟いて、おそるおそるといった様子で首をめぐらせ、徹也の顔を見た。
晶と目が合った徹也は、上気した顔にどこか照れ臭そうな表情を浮かべながらも、にこっと笑って、すっと目を細めた。
「あ、晶……キ、キスしちゃったんだ。フ、ファーストキス……お兄ちゃんとファーストキス……」
中学生の男の子に初めての唇を奪われた屈辱と、けれど、その相手に対する胸いっぱいに膨れ上がった依存心と。
とてもではないが、自分でも自分の感情を整理することができない。
「お、お姉ちゃん、晶、晶……」
自分の気持ちを持て余すばかりの晶はふたたび両目に涙を溜め、美也子の顔を上目遣いに見上げて、その豊かな胸に
深々と顔を埋めた。
「なにも言わなくていいのよ、晶ちゃん。小学校五年生でファーストキスはちょっぴり早すぎたかもしれないわね。まだ心の
準備もできてないのにいきなりのファーストキスでびっくりしちゃったよね。だから、なにも言わなくていいのよ。今はただ、
大好きな徹也お兄ちゃんの優しい唇の感触を思い出しながら、ちょっぴり切ない恋心に浸っていればいいの」
美也子は、それこそ、思いがけないファーストキスの体験に戸惑う幼い妹をなだめる姉そのまま、晶の背中を何度も撫で
さすりながら優しく言い聞かせた。
「だって、だって、晶、晶ね……ふ、ふぇ~ん」
晶は美也子の胸に顔を埋めたまま幼児がいやいやをするように首を振り、泣き声をあげた。
「急なことでびっくりしちゃったよね。みんなが見ている前でキスだなんて、恥ずかしかったよね。いいわよ、お姉ちゃんの胸
でたっぷり泣きなさい。思いきり涙を流して気持ちをすっきりさせなさい。気持ちがすっきりしたら、晶ちゃんは、何も知らな
い女の子から、大人のレディへの階段を一つだけ昇るのよ」
美也子は、サクランボを模した飾りの付いたカラーゴムで結わえた晶の髪をそっと撫でつけ、あやすように言った。
そうして、晶の耳元にすっと唇を寄せ、まわりに聞こえないよう声をひそめて囁きかける。
「そりゃ、恥ずかしいよね。高校生の男の子が中学生の男の子にファーストキスを奪われるだなんて、泣きたくなっちゃうよ
ね。女の子の格好に少しでも早く慣れるためにお出かけすることにしたけど、正直、私もこんなことになるとは思ってもみな
かった。でも、いいじゃん。女の子の格好に慣れるだけじゃなくて、ボーイフレンドができた女の子の恋心まで身をもって経験
知することができるんだから。うふふ、これって、究極のおままごとだよ。それにしても、女の子になってあまり時間が経って
ないのに、男の子をたぶらかしちゃうなんて、晶ってば、すっごくやーらしい子だったのね。小学五年生の女の子のくせに、
知り合ったばかりのボーイフレンドとキスしちゃうだなんて、晶ちゃんてば、すっごいおませさんだったのね」
「そんな、そんな言い方……お、俺……」
面白そうに言う美也子に向かって反論しようとする晶だが、涙声ではまるで迫力がない。
「いいわよ、無理して自分のこと『俺』だなんて呼ばなくても。小っちゃい女の子は自分のこと、下の名前で呼ぶことが多いも
んね。『あたし』でもいいけど、それだとちょっぴりお姉ちゃんぽいから、これからは自分のこと、下の名前で呼ぶといいわ。晶
ちゃんにお似合いで、とっても可愛らしく聞こえるもの。でもって、私にお願いするのよ。『お姉ちゃん、おしっこで汚しちゃった
から、晶のおむつを取り替えてちょうだい』って可愛らしい声でおねだりするのよ。できるわよね?」
晶の言葉を途中で遮って、美也子はぴしゃりと決めつけた。
「さ、もうそろそろいいかな。本当は気のすむまでお姉ちゃんの胸で泣かせてあげたいけど、濡れたおむつのままだと、お
むつかぶれになっちゃうものね。そろそろ泣きやんで、ちゃんとお姉ちゃんにお願いしてちょうだい」
晶の耳元での囁きかけを終え顔を上げた美也子は、しばらく晶の背中を撫でさすってから、それまで晶の背中にまわし
ていた手をすっと下におろし、じとっと湿ったスカートの上からお尻をぽんぽんと叩いて、今度はみんなに聞こえるような声
で言った。
けれど、晶は美也子の胸に顔を押しつけたまま、弱々しく首を振るばかりだ。
「ほら、ずっとそんなままじゃ駄目じゃない。晶ちゃん、お利口さんな上に、レディになるんでしょ。大人のレディはね、自分
がしなきゃいけないことをわかっていて、まわりに迷惑をかけないものなのよ。だから、ほら」
美也子は人差指を鈎型に曲げると、晶の顎先にかけて、くいっと持ち上げた。
涙に濡れる晶の目に、冷たい光を宿した美也子の瞳が映る。
「お姉ちゃん、晶ちゃんがおもらししちゃっても、おむつを汚しちゃっても、それについては叱らないわよ。おしっこが近くて我
慢できない体質なのは仕方ないから、それで叱ったりしない。でも、おもらしでおむつを汚しちゃったことをいつまでも隠して
たり、どうして欲しいのかをちゃんと教えなかったりしたら、それは叱るわよ。晶ちゃんがいい子になるための躾だもの、お仕
置きだってするわよ。わかってるよね、晶ちゃん? おもらししちゃったことをどうしても自分の口で教えてくれないなら、みん
なが見ている前でおむつの内側がどうなっているか調べるしかないわね」
強引に見上げさせた晶の顔を正面から見据えて美也子は言った。
「そうだよ、晶ちゃん。いつまでも強情を張ってるの、僕も感心しないな。僕、言ったよね? 晶ちゃんがおむつでも絶対に嫌
いにならないって約束したよね? だから、恥ずかしがってないで、おむつを取り替えてくださいってお姉さんにお願いしな
きゃ駄目だよ。晶ちゃんのすべすべのお肌がおむつかぶれで真っ赤に腫れちゃったりしたら、僕も悲しいもん」
まるで悪意を感じさせない徹也の言葉が却って鋭く晶の胸に刺さる。
固唾を飲んで成り行きを見守っているみんなの視線が痛い。
「……お、お姉ちゃん……」
一度だけ大きく息を吸い込んだ晶は、観念したような表情を浮かべておずおずと口を開いた。
「ん? どうしたの、晶ちゃん? 恥ずかしがらなくていいから、どんなことでもお姉ちゃんに教えてちょうだい」
わざと優しい声で美也子が先を促す。
「……あ、晶、お、おもらししちゃった……お、おむつ汚しちゃったから、取り替えてちょうだい。お願い、お姉ちゃん……」
今にも消え入りそうな声でようやくそう言って、晶は再び美也子の胸に顔を埋めた。
「はい、ちゃんとお願いできて、本当にお利口さんね、晶ちゃんは。いつもそんなふうに聞き分けのいい子でいてくれたら、
きっと徹也お兄ちゃんも晶ちゃんのこと大好きでいてくれるわよ。でも、こんなふうに何かあるたびにお姉ちゃんの胸に顔
を埋めてばかりいる甘えん坊さんのお相手をしなきゃいけないんだったら、徹也お兄ちゃんも困っちゃうかしら」
晶が再び美也子の胸に顔を埋めたのは、恥ずかしいお願いを聞かれたみんなと目を合わせまいとしてだ。それを充分
に承知した上で美也子はひやかすように言い、晶の耳元に口を寄せて囁きかけた。
「そう、おもらししちゃったのよね、晶ちゃんは。本当のおしっこでおむつをびしょびしょにしちゃっただけじゃ物足りなくて、
白いおしっこでおむつをべとべとにしちやったのよね。このことを徹也お兄ちゃんが知ったらどんな顔をするでしょうね。フ
ァーストキスの相手のガールフレンドが紙おむつを本当のおしっこだけじゃなく白いおしっこでべっとり汚しちゃったなんて、
思ってもいないでしょうね」
「や、やだ、そんなこと言っちゃやだ……」
晶は美也子の胸に顔をこすりつけるようにして首を振った。
「ふぅん。大好きなお兄ちゃんに晶ちゃんのやーらしい秘密を知られるのはやっぱりいやなんだ。うふふ、晶ちゃん、すっか
り女の子になっちゃったかな? 小学五年生にもなっておむつの外れない、うんと手のかかる、だけどそれが可愛い、困っ
たちゃんの女の子になっちゃったのかな」
美也子は悪戯っぽい口調で尚も囁きかけた。
「そんなじゃない……そんなじゃないんだったら……」
むきになって抗う晶。けれど、自分の気持ちの整理もままならない晶の口をついて出るのは、どこか甘えたような少女め
いた声だった。
「ま、いいわ。晶ちゃんが女の子の気持ちをわかるようになってくれて、お姉ちゃん、とっても嬉しいのよ。その御褒美に、お
むつは徹也お兄ちゃんの目が届かない所で取り替えてあげる。晶ちゃんがいつまでも我儘ばかり言ってたら徹也お兄ちゃ
んの目の前でおむつを取り替えてあげるつもりだったんだけど、それはやめにしてあげる。どう、素敵な御褒美でしょ?」
美也子はくすくす笑いながら囁いた。
迷子センターには、保護者の迎えを待っている間におねむになった子供を寝かしつけたり、退屈してぐずる子供を遊ばせ
たりするための区画が設けてある。ちゃんとした壁やドアを備えた立派な部屋というわけではないものの、一応はパーティ
ションで四方を囲ってあるから、通路を行き交う買物客の目は届かない。
「さ、おむつを取り替えようね。ずっと濡れたおむつで、お尻が気持ち悪かったでしょ?」
係員に案内されて晶と共にその区画に足を踏み入れた美也子は、係員が出て行くのを見届けると、晶のサンドレスの裾
をぱっと捲り上げ、それを自分の手で持っているよう晶に命じた。
「本当のおしっこだけだったら吸収帯が吸い取ってくれるけど、べとべとの白いおしっこは吸い取れないから、余計に気持
ち悪いよね? それを今まで我慢していたなんて、本当に辛抱強くてお利口さんだわ、晶ちゃんは」
公園のトイレでは晶を簡易ベッドに寝かせておむつを取り替えた美也子だが、ここでは、柔らかい素材でできた床に立た
せたまま、ギャザーまでじとっと濡れてしまっている紙おむつをそっと引きおろした。それが、おむつを取り替えるのに様々
なポーズをとらせることで晶の羞恥をさりげなくくすぐるためなのは、言うまでもない。
美也子が紙おむつを太腿のすぐ下あたりまで引きおろすと、それまでお尻の方に折り曲げられ紙おむつに抑えつけられ
て窮屈そうにしていた晶のペニスが、ぶるぶると小刻みに震える両脚の間にだらしなく垂れ下がった。
その拍子に、ペニスの先から、うっすらと白く濁ったおしっこがぽたぽたと滴り落ちる。公園のトイレを紙おむつを剥ぎ取ら
れた時に溢れ出た精液と同様、無理矢理お尻の方にまわされて抑えつけられていたペニスから溢れ出ることなく尿道に残
っていたおしっこが、ペニスが自由になってこぼれ出ているのだ。公園のトイレでの時と違うのは、ねっとりした精液とは違っ
て、今度はおしっこと精液とが混じり合った、さらさらのくせに白濁した液体だということだ。それは、比喩でもなんでもなく、
まさに白いおしっこだった。
「あらあら、おむつを濡らしちゃっただけじゃ満足できないで、お姉ちゃんの目の前でおもらしまでしちゃうんだ。晶ちゃんて
ば本当にいやらしい子なんだから。うふふ、でも、そうよね。本当は高校生の男の子のくせに、自分よりも年下の中学生の
徹也お兄ちゃんに抱っこしてもらいながらイッちゃうような変態さんなんだもん、いやらしくないわけがないよね」
ペニスの先からぽたぽたと滴り落ちたおしっこは、太股のすぐ下まで引きおろされた紙おむつの吸収帯に薄いシミをつく
って、すっと吸い取られていった。紙おむつの後ろ側はたっぷりおしっこを吸って、もうこれ以上は無理という感じだが、前
の方はまだいくらか乾いたところもあって、ペニスの中に残っていたおしっこくらいなら吸収してくれる。美也子は、両脚を
ぶるぶる震わせながらスカートの裾を支え持って下半身を丸見えにして立ちすくむ晶のすぐ前に膝立ちになり、それだけ
が晶の実際の年齢と性別とをしめすしるしであるペニスを眺めながら、さもおかしそうに言った。
「や、やだ。そんなこと言われたら、晶、晶……」
ここで手を離したらスカートの前の方までおしっこで濡らしてしまう。しかも、濡れた部分はうっすらと白いシミになってし
まうのだ。それがわかっているから、晶にしても、スカートの裾を支え持つ手をおろすことができない。本当なら恥ずかしさ
のあまり両手で自分の顔を覆って床にへたりこんでしまうところだが、それさえもできずに、大きな目をうるうるさせるばか
りだ。
「そうよね、大好きな徹也お兄ちゃんにおちんちんのこと知られたら大変よね。でも、はしたなくていやらしい晶ちゃんは、い
つおちんちんをおっきくしちゃうかしれたものじゃないでしょ? いくら紙おむつで抑えていても、おちんちんがおっきくなっち
ゃったら、徹也お兄ちゃんも晶ちゃんの恥ずかしい秘密を知っちゃうかもしれないわね。そんなことにならないよう、ここでも
ういちど、おちんちんがおっきくならないオマジナイをかけておこうね」
美也子は、ただでさえ濃くはない飾り毛を剃り落としてつるつるに仕上げた晶の股間を食い入るようにみつめ、晶の肩に掛
けさせた小物入れの鞄からお尻拭きのパッケージを取り出すと、お尻拭きを三枚まとめて引き抜いて、ようやくおしっこを出
しきったペニスの先を包むこんだ。
「や……!」
まだ萎えきっていなくて敏感になっているペニスの先から伝わってくるひんやりした感触に、晶は下腹部をびくんと震わせ、
体をのけぞらせて、聞きようによってはとてつもなくなまめかしい喘ぎ声を漏らした。幼い女の子泣き声ともつかず、みずみ
ずしい少女のあえかな呻き声ともつかない、聞く者の支配欲や征服欲を刺激してやまない、そんなはかなげな喘ぎ声だ。
「うふふ。相変わらず可愛い声を出すのね、晶ちゃんたら。こんな声で言い寄られたら、徹也お兄ちゃんがめろめろになっ
ちゃうのも仕方ないわよね。まさか、こんなに可愛い声を出す晶ちゃんがスカートの中にこんないやらしい物を隠している
なんて思わないわよね」
美也子は、晶のペニスをお尻拭きの上からふんわり握った。
萎えかけていたペニスが、みるみる怒張してくる。
「あらあら、うふふ。ちょっと触っただけでもうこんなに元気を取り戻しちゃって。晶ちゃんてば、とっても感じやすいのね。
感じやすくてはしたなくていやらしい変態さんなのね。この様子だと、徹也お兄ちゃんにキスしてもらった時もおちんちん
をおっきくしちゃったんじゃないの? 見た目は何も知らないうぶな小学生のくせして、中身はとっても淫乱で、女の子にな
ってすぐに男の子をたぶらかしちゃうような、どうしようもない変態さんだもの、びっくりした顔をしながら、紙おむつをおちん
ちんでもっこり膨らませていたんじゃないの? 今度はそんなことにならないよう、念入りにオマジナイをかけておこうね」
美也子はねっとり絡みつくように言いながら、ペニスを握った手をゆっくり上下に動かし続ける。
「やだ、そんなこと言っちゃやだってば……」
晶は息を荒くしながら、スカートの裾をぎゅっとつかんだ。
下腹部を攻めたてる快感にいつまでも抗っていられる筈などないことは自分でも痛いほどわかっている。美也子の手に
なぶられて再びペニスの先からいやらしいおつゆを溢れ出させてしまうことになるのは、もう時間の問題だ。
最初は、女児用ショーツの中に。その次は、ハート模様の紙おむつの中に。それから、小学生たちの目の前で、ピンクの
紙おむつの中に。そうして、サイドステッチを破いて剥ぎ取られた紙おむつを再びペニスにかぶせられて。さっきは、自分の
おしっこをたっぷり吸った紙おむつの中に、しかも、中学生の男の子の胸に中を埋めて。そして今度は、おむつを汚してしま
った赤ん坊の下腹部を綺麗にするお尻拭きの中に。
それは、あまりに惨めな射精の連続だった。けれど、その惨めさが妖しい悦びに姿を変えて晶の下腹部をじんじんと疼か
せているのもまた、まぎれのない事実だった。
「――にしても、かっこよかったぞ、中坊。いやぁ、見直しちまったよ」
口を半開きにして荒い息をつく晶の耳に、パーティションを通して、淳司の声が届いた。どうやら、徹也に話しかけている
らしい。
「本当、ちゃんと男の子してたわよ、徹也君。これからもあの調子で晶ちゃんを元気づけてあげてね。いつもおどおどして
る晶ちゃんを見てると、なんだか私も放っとけないの。でも、徹也君と一緒にいれば、晶ちゃん、きっと元気にいっぱいにな
ると思うから」
淳司に続いて、智子の柔らかい声も聞こえる。
「そりゃ、晶ちゃんがおむつだって知って、僕もびっくりしました。正直言って、一瞬だけど、どうしようかって迷いました。で
も、僕から申し込んでガールフレンドになってもらった晶ちゃんのこと、放っておけるわけないじゃないですか」
二人に続いて、照れ臭そうな徹也の声。
その声に、晶の胸がきゅんと締めつけられる。
「助けて、お兄ちゃん。晶、変になっちゃう。このままだと晶、いけない子になっちゃうよぉ。だから助けて。晶のこと助けてっ
てば、お兄……あん、いや~!」
パーティションの向こう側にいる徹也の顔を思い浮かべ、今は見えない徹也の名前を呼びながら、美也子の手でなぶら
れるまま、とうとう我慢できなくなってペニスの先から精液をとろりと溢れ出させてしまう晶だった。
最終更新:2013年10月02日 23:38