美心(みこと)にとって小学生時代は黒歴史の連続以外の何物でも無かった。
 確かに親の真心は感じる名命名だが、紛らわしい上に美心自身の外観が中性的美形だった所為で
女子にも気軽に話しかけられたり良く誘われたり、それが気に食わない男子に女子トイレに無理矢理
押し込まれたり、劇で女装させられたり遠足の度に男子にハブられて女子に拾われたり体育の時間に
女子の前で下半身を丸出しにされたりと碌な思い出が残っていない。
 そして毎回毎回、純粋な厚意から女子達に励まされたり慰められたのが地味に痛かった。

 それもこれも……
 「みこちゃ~ん、ちょっと良いかな?」
 ……ファッションデザイナーの母親の所為だと言っても過言じゃ無い。
 恐らく悪気と言うか悪意はないのだと思いたいが、幼い頃から美心に新作の女児服を着せては
写真をバシバシ撮って資料と称して保存したり、モデル代が安く済むからと言って美心を会社や
スタジオに引っ張っていって女装させたりと迷惑千万な所行に枚挙の暇がない。
 おぞましくて開く気さえ起きないが、きっとアルバムは女装で溢れているに違いない。
 「いやだよ! ボクは手が離」
 「モデルの子が怪我しちゃったって連絡があってね。時間が無いから久しぶりに……」
 「どうして返事を全部聞く前にノックもしないで入ってくるんだよ!?」
 「まぁ親子なんだし細かいことは気にしないから、ね?」
 「だからなんで母さんが被害者っぽい口ぶりなんだよ! ボクの部屋だよね、ここ!?」
 「……もしかして自家発電中?」
 「それ晩ご飯にニンニク尽くしをリクエストしてるって意味に受け取っても良いよね!?」
 「そうそう! それなんだけど、今日は遅くなるから一緒に外食ね?」
 「~~~~っ!!」
 糠に釘というか暖簾に腕押しと言うか、この母親に口で勝てる気が全くしない美心。
 あと中学生の息子を捕まえて「みこちゃん」もいい加減止めて欲しい。
 「でね? 今日は……」
 「だから何も引き受けてないし! 引き受ける気も無いし!!」


 これ以上の黒歴史の積み重ねに耐えきれなくなった美心は必死に努力した。
 まず小学校時代を知っている旧友との綺麗さっぱり断ち切るために私立の進学系の中学を目指して
一生懸命勉強して、精神面を鍛えて男ら縁をしい体格を得るために近所の道場で剣道を習い、毎回四桁は
下らなかったアルバイト代の誘惑も断腸の思いで振り切り母の要望を全て断ってきたのだ。

 もっとも進学校については、その過酷な競争社会の片鱗に触れただけで撤回したが。

 「でもね、みこちゃん……」
 「でもも何も無いから! もう女の子の格好なんてしないから!!」
 「どうしても駄目? バイト代弾むわよ?」
 「お、お金の問題じゃ無いから! ボクは男らしくなるって決めたから!」
 「……そうなんだ、そこまで言うなら母さんも諦めるけど、実を言うと今日は佐倉未亜ちゃんと
一緒の撮え」
 「ほんとにっ!?」


 と言う訳で、
 「あらあら、みこちゃん久しぶり! 大っきくなっても綺麗よねぇ!」
 「……どうも」
 憧れのアイドル、佐倉未亜との接近遭遇に釣られて引き受けてしまった。
 「落ち着け落ち着け、よく考えるんだボク。未亜ちゃんは超可愛い女の子なんだ。そんなアイドルに生で
会って営業外で話が出来たり手とか握ったり直筆のサインも貰えたりするかも知れないチャンスのために
多少の理不尽も覚悟するのは男としては間違ってない筈なんだ。いや、むしろ男らしいと言っても過言じゃ
ないかも知れないじゃないか!」
 女の子に化けて、という前提は敢えて無視しつつ必死に自分を騙そうと呟き続ける美心。
 「あぁ……なるほどぉ。おタケさんも情け容赦ないわよねぇ相変わらず」
 おタケさん、というのは業界での母の愛称らしい。
 鏡に映るメイク中の自分と、小学校の頃に色々と世話になった母の同僚のメイクアップアーティストの
苦笑も見えないふりで美心はひたすら自己弁護に努める。
 「ボク、男らしくなりましたよね?」
 「…………………えっと………………」
 「……すいません無茶振りだったら無理に合わせてくれなくても構いませんけど……」
 そうでもしないと些細な事で折れてしまいそうだのは自分でも薄々気付いては居るが。
 「…………あ、あれよね? みこちゃんが目指してる男らしさとは少し違うかも知れないけど、
女装でもイケちゃう男の人って何処かしらセクシーな部分があるのよね。ほら歌舞伎の女形の人とか
野性味はないかも知れないけど洗練された美しさって言うか、そこはかとなく上品でダンディな
雰囲気とかあるでしょう?」
 「……そ、そう言えば……」
 「そういう男性って、下手に油臭い男よりも女の子にモテたりするものなのよ? 男らしさって
言っても最終的に判断するのは他人なんだし、みこちゃんの資質を上手く生かして女の子に認めて
貰える男らしさを追求するって言うのもアリじゃないかしら? それに女の子の格好して女の子の
気持ちを理解すればそれだけ気配りが出来る素敵な男性にもなれると思うし?」
 「……そ、そう言われればそんな気も……そう、そうですよね!」
 プロというモノは、いろんな意味でプロだった。


 そうして体よく騙され……もとい励まされて復活した美心は意気揚々と胸を張り、母がデザイン
したらしい夏物のワンピースドレス姿でグラビア撮影のためスタジオ入りした。
 「へぇ、あなたがおタケさんの娘さん?」
 「背も高いし姿勢も良いし、こんな可愛い子を隠してるなんておタケさんも人が悪いよなぁ」
 「新作なのに着負けしてないですね。普段から着こなしてて慣れてるのかな?」
 「新顔だって聞いてたけど、これなら大丈夫だよね?」
 「撮影にも慣れてるっぽいし、むしろ助かったって感じ?」
 「……どうも」
 他のモデル……と言うより人気アイドルの佐倉未亜のスケジュールに穴を開けないための代打として
スムーズに受け入れて貰えるよう、娘という触れ込みで参加している美心は精一杯の笑顔で周囲の賞賛の
声に応じる。が、女として絶賛され内心またも心が折れそうな気分だ。

 しかし……
 「おはようございまーす!」
 背後から聞こえた可愛い声で美心のテンションは一瞬で回復した。
 「未亜ちゃん!」
 「佐倉未亜です。よろしくおねがいしまーすっ!」
 少し目尻の上がった大きな瞳と柔らかそうに広がったショートカット、明るく笑う度に顔を覗かせる
愛らしい八重歯がチャームポイントの新鋭アイドル佐倉未亜。活発過ぎて『好奇心の塊が服を着て
歩いてる』と揶揄される程にエネルギッシュで、常に瞳を動かし面白そうな物を見つけるとキラキラと
目を輝かせ食い付くが、ひとたび話を振られれば年相応の明るい笑顔で無難に受け答えする彼女は実は
美心と同じ中学生というプロフィール。
 それでいて、飛び入り新参の美心の次にスタジオ入りして周囲のスタッフ全員にバネ仕掛けのように
元気の勢いのある会釈を配りながら歩く辺り、可愛くて頭が軽いだけの御輿アイドルでは無いのではとも
噂され仕事も着実に増加中である。
 「おはようございまーす。おはようございまーすっ!」
 八重歯が見えるほどにハキハキと元気な声で挨拶を繰り返しつつ、だんだん近づいてくる未亜に
釘付けになってしまう美心の視線。黒を基調にデザインしながらも、お辞儀に会わせてフワフワ揺れて
下地が透けそうな薄くて軽そうな黒のサマードレスが良く似合っていて本当に可愛らしい。
 「おはようございまーす! おは…………あら、あなたは?」
 そうして何気ない振りで美心への挨拶を最後に持ってきた上、瞳を大きく広げながら顔を近づけ名前を
尋ねてきた未亜。
 「お、おお、大竹美心って言います! よろしくお願いしますっ!」
 未亜との接近遭遇で舞い上がりながら女の子っぽい声を出そうとして裏返ってしまった。
 「おおたけ……みこと……さん?」


 「デザイナーの大竹さんの娘さんだよ。睦月ちゃんが怪我しちゃって代わりに……」
 「……大竹さんの……ふ~ん?」
 中身が男だけあって美心の方が若干長身だ。更に一歩踏み込み、腕を伸ばせば握手が出来そうな
所まで近づいてきた未亜の真っ直ぐな視線が美心の目にロックオンされる。
 まるで観察されてるみたいだ、と感じ緊張してしまう美心。
 「……ちょっと、良いかな?」
 と未亜。
 「は、はいっ?」
 「動かないでね?」
 そのまま上半身を折ってギリギリまで顔を寄せ、その姿勢でクルリと美心の周りを一周して観察を
続ける未亜。興味津々な様子を隠そうともしない辺りは、いかにも彼女らしいが。
 「…………………」
 「……すんすん、すんすんすんすん……」
 そして最後に吐息を感じるほど首を伸ばし、目を閉じ小さな鼻をピクピクさせ美心の首筋辺りの
匂いを熱心に嗅いでから「ふ~ん?」と意味深な瞳で首を傾げた。
 「…………………」
 一方の美心は、憧れのアイドルの髪から漂う甘い香りでノックアウト寸前である。
 「ねぇ? ミコトちゃん、って呼んで良い?」
 ぴょん、と一瞬で元の姿勢に戻った未亜は人懐っこい笑顔。
 「え、えっと?」
 「ねぇ今井さん! 未亜、ミコトちゃんとお友達になりたくなっちゃったの! ご迷惑じゃなかったら
最後に未亜とミコトちゃんのツーショットとかお願いしても良いですかぁ?」
 美心が返事をする前に、未亜の興味は写真家の方に移ってしまった。猫なで声で擦り寄りながら
美心とのツーショットを可愛らしく強請る美少女アイドル。
 「ねぇ? ねぇ? 良いでしょ良いでしょう?」
 そして、その後ろでは既に諦めたらしい未亜のマネージャーが鹿威しか水飲み鳥のようにヘコヘコ
頭を下げまくっている。
 「……いや、まぁ未亜ちゃんの都合さえ良ければ僕は構わないけど」
 「やったぁっ!」
 全身で喜びを表すように満面の笑みで飛び上がる未亜。その元気な様子にスタジオ全体が微笑まし
い空気になる。
 「え? え? ええっ!?」
 そして完全に置いてけぼり状態の美心。
 「じゃあ、まだ少し時間もあるから控え室で未亜とお話ししましょ! 携帯の番号とかメルアドとか
交換したいし聞きたいこともいっぱいあるの!」

 誰も異論を唱えない所からして未亜の少々の我が儘は日常茶飯事らしいが、いくら未亜と親しく
なれるチャンスでもコレは即座には頷けない。
 「あ、あの……」
 身上を偽っている美心は迂闊に口を開くことが出来ない。相づち程度ならともかく、母との
摺り合わせもなしに余計なことを口走って正体が露見してしたりすれば美心一人の恥曝しでは
収まらないのだ。
 ましてや未亜と個人情報の交換など出来るはずもない。
 「じゃあ早く行きましょ行きましょ! 未亜、この後もお仕事いっぱいあるし時間あんまり
ないんだぁ!」
 問答無用で腕に抱きつき、肩に頬を擦り付けるように甘えてくる未亜。その上目遣いの大きな
瞳には抗いがたい魅力があるが、こればかりは無理だ。
 「で、でも……」
 「それとも……ここでバラしちゃっても良い?」
 「え? えっ? えぇっ!?」
 「じゃあ未亜、ちょっとだけ失礼しまーすっ!」
 一瞬の虚を突かれた美心、自分より背の低い未亜に引きずられるようにスタジオを後にした。
 と言うより呆気に取られている間に拉致監禁されてしまった


最終更新:2014年03月22日 12:07