ウチの馬鹿アニキ?


「三条さん家のお兄さんは立派ね」
 小さい頃から、私たちはその言葉を聞く度に誇らしかった。
 兄貴が中学生で私が小学生、弟の幸二に至っては幼稚園の時に、親戚の家に世話になり
始めた頃から兄貴は私たちの両親代わりであり、何より私たちの兄だった。
 一般センターで有名国立大学を一発でパスし、奨学生どころか優待生となることが決ま
った兄貴は、中学から新聞や郵便配達で貯め続けていたお金で私たちを連れて家を出た。
 伯父さんも伯母さんも良い人だけど、だからこそその憐れみと優しさが居心地悪かった
私たちは兄貴の行動力に驚かされつつも、両親が死んでから初めて気兼ねなく「ただいま
」と言えることに安らいだ。
 ちょっと自分の妹弟に対してだけ愛情過多というか、シスコンブラコンのケが激しいく
らいなんてこと…なくもないけど、まあ全体的に見て私たちはうまくやってきた。
 兄貴は立派だ。他人の知らないところで、彼がどれだけ努力してきたか私たちは良く知
ってるし、私たちの知らないところでどれだけ彼が大変な思いをしてきたのかも知りたい
と思う。
 幸二はまだ中坊だけど、私は後見人の同意さえ得られれば結婚できる年だ。兄貴の言葉
に甘えて勉強は続けさせてもらうけど、その重荷を少しくらい分けてもらったってバチも
当たらないだろう。
 兄貴の誕生日が近いので、その言葉とともに送るプレゼントをどうしようか考えながら
帰路につく。
 平日の真っ昼間に制服でぶらつく私を、散歩中のじいさんがうさんくさげに見てくるん
だけど、今日は急に生物の先生がノロでダウンして下校だなんて知るよしもないから、ま
あいっか。
 妹や弟に温かいご飯を食べさせるため、午前の最初の講義を受けたら家に帰り、私たち
が箸をつけてから大学から特別に二部に回してもらった授業に向かう兄貴。
 今日はいっぱい手伝ってやろう、野菜炒めしか作れないけど。
 そう思って、いい年して寄り道もせずに家の前に着いた私は、インターフォンを鳴らし
た。


 よそ行き声の誰何に「ただいま」って返したら、兄貴はどんなリアクションをするんだ
ろう。
 そう思ってたら、スピーカーからの応答の代わりに、小走りにこちらに向かってくる足
音がした。宅急便か集金でもくる予定だったのかな?不用心だなあ。
 冗談で「金を出せ」とか言ってやろうか考えてたら、ガチャリとドアが開き、
「はぁ~い!ご苦労さまで……」
 「す」と、最後までルージュを引いた唇が紡ぐことはなかった。
 見知らぬ女が、目の前に出てきた。
 その瞬間私が思ったこと。
 一、間違って違う部屋に来てしまった。
 残念、斜め上のネームプレートにははっきりくっきり兄貴の字で「押し売り勧誘かどわ
かしお断り・三条」と書かれている。
 二、兄貴の彼女。
 私の彼氏に少女漫画のライバルのような圧力をかけてきた彼には、早いとこ女でも作っ
て欲しいと思ってたところなので諸手を挙げて大歓迎なのだが、平素のフラグクラッシャ
ーぶりから考えて、ちょっと無理がある。
 何よりかにより、無視しがたい直感が私の仮説をことごとく否定していた。
「……伸子?」
 ほらね。
 モデルのような長身にハイネックセーターとスカートを身に着けて、栗色のゆるふわロ
ングヘアを髪に垂らした女は、間違いなく兄貴だった。眼鏡はかけてないけど、二次元キ
ャラではないのでそれくらいで分からなくはならない。
 こんな時、私はどうすれば良いのだろう?
「…えーと、もう一度ピンポンする?」
 妹の苦肉の策に、女、もとい兄貴は首を振って私の腕を掴むと、そのまま中に引きずり
込んだ。
「……おかえり」
 玄関のドアを閉めてからそう言った兄貴に、その間固まっていた私の舌が動き出す。
「な、なななななんなの兄貴!?それ、何の冗談?」
 靴を脱いで上がりながら必死で軽い感じに尋ねるが、顔面の筋肉と言う筋肉が引きつっ
てしまい大変なことになっている。


「冗談じゃないよ」
 私の目を見て短く答える兄貴。兄貴のスカート姿なんてものを見るのは、高校の頃創作
劇「ロミ子とジュリ男」で男の体になってしまったお姫様役をしてた時以来だ。
 「意外にハマってる」と幸二と爆笑したが、今は爆笑どころではない。ある意味笑うし
かないが。
 顔を飾るのはやや濃いが決して下品でないメイクに、自然な栗色のウィッグ。マダムキ
ラーな兄貴の顔に、今はどこぞの令嬢のような華やかさがある。
 たまに、ごくたま~に覚えのない場所にファンデ跡らしき色があったり、私の髪にして
はクセのある毛が洗面所に落ちてたりしたことがあったが、これか?
 均整のとれたボディラインをアピールするような、薄手のハイネックセーターの胸元に
も自然なふくらみがある。身内じゃなかったら野郎と分からないどころか、思わず振り返
ってしまいそうだ。
 足元は上品なシフォンの膝丈スカートに、蝶の模様がふくらはぎを飾るストッキング。
こりゃア○スイか?金かかってんな。
 兄貴の本気具合に打ちのめされている私を、さらなる責めが襲った。
「冗談じゃないぞ伸子。俺はお前と幸二の次に、女の子の格好するのが大好きなんだ!」
 腰に手を当て盛大なカミングアウト。小学生の頃親が居ないのに引け目を感じたあの頃
の自分はちっぽけだったなあ、うん。
「…って、威張っていうことか!……ぁ?」
 ピンポーン。
 近付く足音に動きを止めると、インターフォンの音と「三条さん、お荷物でーす」とい
う男の声。
 刹那、
「あ、はぁ~い!」
 さっきより二オクターブ高い声で兄貴が応え、私を押しのけて玄関に出た。歌手の物真
似が上手いとは思っていたが、そんな才能をここで発揮しないで欲しい。
「毎度どうも」
 玄関を開けると兄貴より少し年上っぽい兄ちゃん。ムキムキだけど、兄貴に向ける馴々
しい笑顔が「奥さん米屋です」と言い出しそうな伊達男だ。


「いつもありがとうございまぁす!」
 代引きなのかお金を出す兄貴の後ろに立つ私に、兄ちゃんが気付いた。
「あ、妹さんですか?」
「ええ。ほら、ご挨拶なさい」
 優雅に振り返りほほ笑む兄貴、設定的には姉貴。
「こんにちは…」
「お姉さんに似て、可愛らしいですね」
「もう、お上手なんだからっ」
 下心見え見えな配達員のセリフを軽くあしらう兄貴。おっとりしたうら若きレディー(
死語)っぷりに、私も米屋(設定)とは別の意味で悩殺だ。
「それでは、また!」
 永遠に訪れない昼メロ展開を期待している兄ちゃんを見送り、受け取った小包を持って
リビングに向かう兄貴を無言で追う。
 ローテーブルに包みを置くと、カーペットに座る私の方をパッと見た。
 そして、
「バレてしまっては仕方がない。見よ、妹よ!」
 言ってグワッとほわほわシフォンスカートの裾を捲り上げた。
「……うわぁ」
 中身を見た私の第一声は、そんな無感動なものだった。人間、何事も度を超すとこうな
るものなのか。
 ピンクのショートガードルは、やっぱりその道用なのか一物が見事に隠れている。いる
のだが…ガーターリングから垂れるストラップで留められた、ストッキングが描く脚線美
に気が遠くなりそうだ。
「どうだ!さっき届いた荷物にはバラ模様ストッキングもあるぞ!」
「…てことは、上も?」
「やだ、伸子ちゃんったらダ・イ・タ・ンっ!」
「要らんわバカ兄貴!」
 スカートから手を離し、いそいそとセーターに手をかける変態を怒鳴りつけると、にわ
かに傷ついた顔を兄貴は浮かべた。
「やっぱり……175センチでクマさん刺繍のブラはキモいかしら…?」
 言ってる事は変質者極まりないのだが、すっかり乙女になった顔でそんな表情向けられ
ると困る、非常に困る。


「ぃ…いや、そんなキモいってほどじゃないと思うよ。ほら、さっきの配達の人だって、
ありゃあ兄貴に惚れてたね」
「やっだー伸子ちゃんたらっ!メグミちょー嬉しくってよ!」
 火(バカ)に油(燃料)注いじゃったー!
 というか何なのメグミって!?女装名までちゃんと付けちゃってるの!?
 大喜びの元・恵一さんがひとしきりピョンコラ飛び跳ね終わるのを待ってから、私はで
きるだけ冷静に尋ねた。
「兄貴、あたしたちできる限り受け入れるよう頑張るから正直に言って?ぶっちゃけゲイ
とかオカマとかなの?」
「何言ってるんだ。俺は伸子や幸二以外の男女に興味はない!」
「じゃあなおさらおかしいよ絶対!なんでそんな格好しちゃうのさ!?」
「だってこうしたいんだもん、仕方ないじゃん!」
 一年次の兄貴にくっついてった、偉い教授のフロイトの講義を思い出す。えーと、これ
はナニ期に失敗したらなるケースかな?
 とりあえず学業人物ともに優秀な兄貴が、こんな変わり果てた…美女に変わるような事
例は聞いたことがない。
「そこで妹よ、これを見て逃げてくれなかったよしみで頼みがある!」
 秘密の楽しみを暴いてなおお元気なことだ。
「……なに?」
「俺の…メグミのお姉様になってくれ!」
 最近のノロウイルスは、聴覚にくるのかな?なんか胃と頭が痛くなってきた上に、幻聴
が聞こえるよ。
「…何だって?」
「俺だって『お姉様』とか『~~でよろしくってよ』とか言ってみたい!」
 いや、それ女でも言わねーから!
 メディアの刷り込みですっかり勘違いしているバカ兄貴は、両手をぐーっと握りしめて
ふるふるしながら目に涙を浮かべている。キリッとした切れ長の目がそんな弱気な表情を
見せることは、たぶん私の前では初めてだ。
 ぐらっ。
 不意に目眩を覚え、私は頭を抱えた。


「あれ?伸子どうしたの?」
 どうしたもこうしたもないだろ。ずっと私たちを守ってきた兄貴が、大好きな兄貴が初
めて私だけに頼みごとをしてくれたんだ。
 私はもう大きいから、兄貴の重荷を、兄貴の願いを…
「…って、そんな頼み聞けるかーっ!」
 それは社会的にとか経済的にって意味だ。間違ってもこんな変態趣味を助長させるため
に、私の健気な妹心を無駄にしてはならない!
 気圧されてはダメだと睨みつける私を、女の顔をした兄貴は静かに見つめ、
「……そっか」
 ドラマに出てくる美しき未亡人のような、ちょっと寂しげな笑顔を浮かべた。
「わかった。じゃあお姉様ごっこは諦める。変なこと言ってごめん」
 やけにあっさり引いて、兄貴は栗色の頭を下げた。
 そう、断れば良かったんだ。そうしたらまた元通り私たちは普通の兄弟で、また元通り
兄貴は一人の時に女装して……え?
 ちょっと待て、私が断ればこの変態はどこへ行く?
 また今日みたいに何かの加減で、今度は幸二と対面しちゃったりしたら…?
 私の脳裏に、背徳とかキンシン何とかいう言葉がよぎる。
 まだ女の子にそんな免疫がないだろう弟に、この悔しいけどビジュアルだけはポワワン
お姉様系色香に対抗できる理性はあるだろうか?
 ならばそれに押し切られない自信のある女の私なら、妹の私なら…
「…わ、わかった!付き合ってあげるよその変態ごっこに!」
「ほんと!?」
 私の胸の裡も知らず、パッと花咲くような顔をする兄貴。
「ただし!あたしと一緒に居る時だけにして、幸二には絶対バレないようにすること!そ
うしないと幸二と一緒にきょ…兄弟の縁切ってやる!」
 そんなことできるわけない。ちくしょう、声が震えちゃったじゃないか。


「わ…わかった」
 真剣な表情でコックリうなずく兄貴。その服装と化粧がなくて眼鏡かけていればいつも
の自慢の兄貴なのに。
 うん、「たられば」が多過ぎるのは承知している。
「じゃあ、さっそく言って良い?」
 ウキウキが押さえきれないのか、夢見る少女のように胸の前で指を組む兄貴に、私は引
きつらないように注意しながら笑みを向けた。
「さあ、どこからでもかかってきなさい!」
 ええい、どうにでもなっちまえ!
 シャドーの濃淡バランスが絶妙な瞼を伏せて深呼吸した後、兄貴は身構える私の目をじ
っと見つめた。
「……お姉様?」
 コンタクトをつけてないのか、焦点の合わない目はふわふわと頼りなげなオーラを放っ
ている。うぅ、これに弱いから私は後輩に懐かれるのか?
「な…なぁに?メグミちゃん」
「やだ、お姉様。メグって呼んで」
 あだ名まで設定済みかい。
「め……メグ?」
「きゃ、お姉様ったら!」
 頬をほんのり薔薇色に染めた兄貴はたおやかな仕草で膝をつき、私にもたれかかってき
た。
 ほわん、と化粧品以外の良い匂いがする。
 「兄貴」の顔で私や幸二を抱きしめてくれる時とは違って、ちょっと遠慮がちに肩に指
を置かれた。
「ど、どうなさったの?メグ」
 もっと女らしい言葉遣いをしなさいと小学生の頃から言われてきたが、発表会とか以外
で自分から意識して話すのは初めてだ。
「抱っこして。お姉様」
 言って、私の着ている制服のリボンあたりに顔を寄せた。何詰めてるのか、兄貴のセー
ターの下にあるフニフニのニセモノ乳と、彼氏以外には女子にしか揉ませてない私の胸が
ムギュムギュぶつかる。
「メグ、お姉様のことうらやましい。お姉様は可愛いし、お勉強もできるし、おっぱいも
おっきいんですもの」
 あのー、なんかセクハラされてません?私。


「…まさか兄、いやメグ。あたしの居ない間に変なことしてなかったでしょうね?」
「いやだわお姉様。メグに妹の服が合うわけないじゃない」
 兄貴がでかいのと自分が平均身長なのに、今は亡き両親に深く感謝する。
 頬に当たるふわふわの髪の毛と、程よく甘い香水の香りにムズムズしてきたのを誤魔化
すように私は口を開いた。
「あら、メグちゃんだってすぐ大きくなるし…その、今のままでとっても可愛らしくって
よ」
 なんだこの女言葉。
 自分で自分に悶えたくなるが、兄貴は気にならないのかクスリと小さく笑った。
「うれしいな…お姉様、大好き」
 普段ではありえない、低い位置から聞こえる兄貴の、いつもと違う声。抱きしめた腕か
ら、密着した胸から伝わる声。
「…それに、メグはとってもお利口さんよ」
 わずかに濃くした睫毛にかかる前髪をよけてやると、兄貴が私を見上げてきた。
「…お姉様。お姉様は、メグのこと好きですか?」
 わずかに震える声と、私の肩にかけられた指。
「……ええ、もちろん」
 この言葉に嘘はない。
 腕の中の兄貴の姿に嘘はあっても、私の気持ちに嘘はない。
「あたしも、メグのこと大好きよ」
 一瞬とても複雑な表情を浮かべてから、兄貴はとてもきれいな笑顔を見せてきた。
「お姉様、好きよ。大好き」
 頬ずり(非常にすべすべしている)してくる兄貴の背を撫でてやりながら、私は誕生日
プレゼントは女物のオーデコロンだな、と思っていた。
 この「妹」に、ジ○ンシーはまだ早い。

(おしまい)

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最終更新:2013年04月27日 15:23