Bloomenbinder ~花ヲ縛ル~
「――可愛い顔して、ずいぶんオヤジくさい趣味だね」
耳元で囁かれて、花園仁美(はなぞの・ひとみ)は悲鳴を上げた。
「わああああああっ!?」
いっ、いったい何っ?
誰っ!?
「とっさにブラウザを最小化? ずいぶん覗かれ慣れてもいるみたいだ」
振り向いたところに立っていたのは、モノトーンの塊みたいな子だった。
にこにこと親しげな笑みを浮かべた色白の小作りな顔。
艶やかな黒髪はツーテールにして白いレースのリボンを結んでいる。
この季節には涼しすぎるだろう黒いキャミチュニックから伸びた白い腕。
ボトムスは黒いショートパンツと黒いニーソックス。
その両者に挟まれた太ももの白さが眼にまぶしい。
「なっ、なんだよっ……!?」
叫んだ仁美は、隣のブースからの咳払いで我に返り、
「な……なんですか、ここ僕のブースですよ……」
声を抑えていかにも弱気そうに言った。
ここはネットカフェであった。
見た目だけ高級そうな木目調のパーテーションで仕切られた畳一枚ほどの広さのブースの一つである。
仁美という名前で可愛い顔立ちながら、「彼」が男であることはその服装で判断できた。
地元の公立高校の制服である青いブレザーとグレーのスラックス姿。足元には通学鞄を置いている。
しかし彼がこの店にいるのは学校帰りの寄り道というわけではない。
一度は家に帰りながら、彼氏を連れて先に帰宅していた姉の真澄(ますみ)に追い出されてのことだった。
「二千円やるからゲーセンでもどこでも行って、しばらく帰って来んなッ!」
きっとその金額は親の留守に彼氏を連れ込んだことの口止め料込みだろう。
それにしては安すぎる気もするが姉に逆らうとあとが怖い。
仕方なく駅前のネットカフェでパート勤めの母親が帰宅するであろう夜七時まで時間を潰すことにして。
(母親が帰るまでには真澄も彼氏を追い出している筈だ。)
そして――見知らぬツーテールっ子の闖入を受けることになったのである。
ずいっと、ツーテールっ子が笑顔を近づけてきて、仁美は椅子の上で仰け反った。
歳は自分と同じくらいか。
長い睫毛に、ぱっちりとした眼。きらきら悪戯っぽく輝く瞳は、いくらか青みを帯びている。
これほど綺麗な子に、これほど間近に接近されるのは初めてだった。
「な……なんですか……?」
どきどき自分の胸が高鳴るのを感じながら、仁美は同じ質問を繰り返した。
するとツーテールっ子は、くすっと悪戯っぽく笑い、
「キミ、ホントに可愛い顔してる。眼鏡と髪型と……あと体重を六、七キロどうにかすればモテそうなのに」
「そ……そうですか……」
ぎこちなく頷きながら、これはからかわれているのだと仁美は思った。
自分が標的として眼をつけられた理由はわからないけど。
きっと大人しそうに見えて、喧嘩になっても弱そうだから?
姉の真澄は性格の話を抜きにすれば結構な美人だった。
小学校の高学年以来、彼氏の存在を欠かしたことがない。
ただし同じ相手と最長で二ヶ月までしか続いている様子がないのは、やはり性格に問題があるのだろう。
相手が愛想を尽かすのか真澄が飽きっぽいのかわからないけど。たぶん両方だけど。
そして親戚一同やご近所の皆さんによれば、真澄と仁美は「よく似た姉弟」であるらしかった。
似ているといっても、勝気で自己主張が激しく要するに自己中心的な真澄と。
万事に控えめといえば聞こえはいいが常に他人の顔色を伺って生きる仁美とでは性格はまるで違う。
ならば「似ている」とは外見を指したものであり、つまりは仁美もそれなりの容姿である筈だった。
しかるに彼がモテたことなど十六年の人生において一度もない。
それは彼自身がモテるための努力を一切払っていないことにも起因するのだが当人は気づいていない。
むしろ親戚や近所の人の「似ている」発言のたびに真澄が口にする、
「仁美はあたしの劣化コピーですよ」
なる暴言を真に受けて、自分を「モテる姉」とは似て非なる「モテない」存在と決めつけている。
ツーテールっ子は、くすっと笑った。
「そのくせボクと波長が合うほどエッチ。キミみたいな子のところにボクは引き寄せられちゃうんだ」
マウスを握った仁美の右手に自分の手を重ねると、抗う隙も与えず素早く操作して――
ブラウザが最大化された。
「わあああっ!?」
仁美は慌ててディスプレイを隠そうとした。右手は押さえられているので左手でだ。
それは仁美がほぼ毎日巡回しているサイトだった。
『Blumenbinder(花職人)』
と記されたタイトルの下には、一昔前の中高生の運動会風景のスナップが数点。
そういうと聞こえはいいが、要するにブルマ姿の女の子たちの写真を集めたアングラサイトだった。
「その若さでナマのブルマなんて見る機会もないだろうに、どうしてこんな趣味に目覚めたのかなキミは?」
くすくす笑っているツーテールっ子は、仁美の右手をしっかり押さえて離さない。
「やめろよっ!」
仁美は左手をキーボードに伸ばし、「窓マーク」+「D」で再びブラウザを隠した。
「きみっ、いったい何なんだよっ!?」
「何ってのはボクの正体を訊いてるのそれとも目的を訊いてるの? どっちでも同じことだけど」
ツーテールっ子は、にっこりと微笑んだ。
「ボクはインキュバスのリミィ。キミと愉しくエッチなことをしたいんだ」
「い……いんきゅばす?」
何それ? エロマンガとかエロゲーの話?
しかもボクっ子……?
驚くより困惑した仁美に、ずいっとリミィは顔を近づけて来た。
「ちなみにキミも結構特殊な趣味だけど、ボクの趣味もフツウじゃないんだ。だから獲物を狩るのも一苦労」
ミントみたいな甘い吐息が吹きかかる。
「でもキミは合格。ある程度可愛くないと似合わないものね。今回はキミの好みに合わせて……」
ちゅっと軽く唇が重なり、ぎょっと仁美は眼を剥いた。
えっ、うそ? キスされた!?
すぐに唇を離して、くすっとリミィは笑い、
「ブルマ姿で『して』あげるよ」
キスされた事実に動揺するまま、言われたことの意味を理解する前に――
仁美の意識は闇に呑み込まれた。
「――ねえキミ、起きてくれるかな?」
呼びかけられて、うなだれていた頭を、のろのろと上げる。
眼に映ったのは……鏡の中の自分?
そうではない。誰だか知らない女の子だった。長い髪をポニーテールにしている。
それにしては自分に――いやむしろ姉の真澄によく似ていた。
フレームレスの軽やかな眼鏡の下の、すっきりした頬の線は自分とは違う。
仁美が普段かけている眼鏡は地味な銀縁だし、頬はもっと肉がついている(真澄からはブタ呼ばわりだが)。
いったい、この子は誰だろう?
体操服姿で椅子に腰掛けている。その椅子は、どこだか知らない学校の教室の戸口に置かれている。
前には洋服屋にあるようなキャスター付きで移動式の全身が映る鏡が置かれていて。
仁美がまばたきすると、女の子も一緒になってまばたきして――
ということはポニーテールの子は、やっぱり鏡に映った自分?
……ええっ!?
「驚かせちゃったかな。キミの身体をほんの少し、いじらせてもらったんだ」
リミィが仁美の後ろに立ち、鏡越しに微笑みかけてきた。
何故だか片手にどこか上のほうから伸びているロープをつかんでいるが、それ以上に気になったのは、
「……翼? あ……悪魔……?」
「悪魔じゃなくてインキュバスだよ。ちゃんと名乗ったじゃないか」
くすくす笑うリミィの背には、蝙蝠のものに似た黒い翼が広がっていた。
「ちなみに尻尾も生えてるよ。よく知られた悪魔の姿に似てるかも知れないけど、ボクたちには角はないんだ」
そう言って、くるりと背中を向け、キャミチュニックの裾をめくってみせる。
なるほど、つんと上向きの形のいいお尻を包むショートパンツのウエストの上から黒い尻尾が生えていた。
ぬめるような艶のある質感は両生類の肌みたいだが、ゆらゆら揺れている様子には愛嬌がある。
尻尾の先端にはハート型の突起があり、そのすぐ下に白いリボンが結んであるのは可愛らしかった。
ちなみに翼はキャミチュニックの背中が開いているおかげで露出した左右の肩甲骨の間から生えている。
リアルすぎるにしてもコスプレと思えば、ツーテールっ子のリミィに翼や尻尾は似合わないこともない。
くるりと前に向き直ったリミィが、にっこり微笑んだ。
「で、キミの話。いじったと言ってもオーバー気味の体重を落として、その分、髪の毛を伸ばしただけだよ」
「えっ……? 髪を伸ばすって……カツラをかぶせたとかじゃなくて?」
困惑する仁美に、リミィはくすくす笑い、
「ちょっとした魔法だよ。ボクはインキュバスだと言ったろう? あと眉を整えて、眼鏡と服も替えたけど」
「何のために? コスプレごっこ? きみの悪魔っ子姿は似合ってるけど、僕なんか女装させても……」
「ボクの姿はコスプレでもないし悪魔でもないってば。それにキミの姿もとてもよく似合ってる。ほら」
リミィはキャスター付きの鏡を仁美の眼の前に引き寄せた。
「こんなに可愛い眼鏡っ子、ほかにいるかな? キミの知ってる周りの子と比べて負けてる要素ある?」
「それはそうだけ……あ、いやいや」
思わず頷きそうになった仁美は慌てて首を振る。すると鏡の中の眼鏡っ子も一緒になって首を振った。
ポニーテールや耳の横の後れ毛が揺れるのが愛らしい――それが自分の姿だと思わなければ。
くすくすとリミィは笑った。
「素直になろうよ。いまのキミは可愛い、それが事実だよ。認めちゃいなよ」
「いや、だってその……」
仁美は逃げ道を探すかのように、周囲に眼をやり、
「ここ……この学校! ここ何処の学校なの? 誰か先生とか生徒とか来ちゃわないの?」
「ここはオープンセットみたいなものだよ。現実の学校とは違うんだ。いまはキミとボクの貸切さ」
「異次元空間とか……?」
「そんなところだよ。それよりさ、可愛いキミをもっと可愛らしくするプレゼントがあるんだ」
「プレゼント……?」
眼を丸くして訊き返す仁美に、にっこりとリミィは微笑み、
「実はもう身に着けてもらってるんだけどね。きっと気に入ってもらえる筈だよ」
手にしていたロープを引っぱった。すると、
「……わあっ!?」
仁美の両腕が引っぱり上げられた。
一本のモップの柄に左右の手首を、肩幅ほどの間隔を開けてロープで縛りつけられていたのだ。
モップにはさらに別のロープが結ばれ、戸口の上の高窓の窓枠をまたいで一端がリミィの手に握られている。
つまりリミィがロープを引っぱれば、仁美は無理やりバンザイの格好をさせられてしまうわけだ。
両足首も同じような状態でモップに縛りつけられていた。
まるで凌辱系のエロゲーのようなシチュエーション。しかし、それをされているのはオトコである自分だ。
「ちょ……ちょっと待って! 何でこんな縛ったりなんか……!」
「素直に立ち上がってくれるかな? このまま力比べでもボクは負けるつもりないけど」
くすくす笑いながら、リミィはさらにロープを引っぱる。
仁美は抗いきれず、椅子から腰を浮かせることになり――
「……わああああっ!?」
眼の前の鏡に映った、自分が下半身に着用させられているものを見て、悲鳴を上げた。
ブルマだった。
臙脂色で、サイドに白いラインが入っている。
「なっ……何だよこれえっ!?」
仁美は声を裏返らせて叫んだ。
太もものつけ根まで露わになった脚を、みっともなく内股にさせながら腰を引く。
もう一度椅子に座るかその場にしゃがんでブルマを隠したかったのだ。
だが、ぐいぐいと両腕を引っぱられ続け、仁美は完全に立ち上がるかたちになってしまった。
「ああっ……! やっ、やだよこんなの……!」
鏡の前で晒させられたブルマ姿は無防備そのものだった。
両脚は限界まで露出している一方、伸縮性のある生地がぴっちりと張りついた腰回りのラインも丸わかりだ。
下着同然のデザインが女の子に忌避されて、学校体育用としては廃絶させられた経緯が理解できる。
まして、いまそれを身に着けさせられている自分はオトコなのだ。恥ずかしいことこの上ない。
リミィは戸口とそのすぐ横の窓の間の柱に、手にしていたロープを結わえつけた。
そして再び仁美の後ろに回り、肩に手を置いて鏡越しに微笑みかけてくる。
「どうだい、ナマでブルマを見るのはきっと初めてだろう? モデルも可愛らしくて、とてもよく似合ってる」
「ふざけるなよっ! 何でボクが、こんなっ……!」
「ふざけてないよ。キミは可愛いブルマが大好きで、ボクはキミに可愛い格好をさせたい。利害の一致さ」
「好きって、べつに自分が穿きたいわけじゃないっ! 男がブルマ穿いても仕方ないだろっ!」
「仕方なくないよ。確かに昔の学校でブルマは女子専用だったけど、それは似合う男の子がいなかったからさ」
くすくす笑いながらリミィは、すべすべの頬を仁美に寄せてきた。
ミントの吐息が鼻腔をくすぐり、仁美は心臓の鼓動が早まるのを感じる。
「もう一度よく鏡を見てご覧よ。いまのキミに似合うか似合わないか正直に答えて。さあ」
「……に……」
ごくりと唾を呑み込み、仁美は、ぎこちなく頷く。
「……それは……、……うん……」
「うんって何? どっちを指してるの?」
にこにこ笑顔で問い詰められ、仁美はとうとう認めてしまった。
「……似合ってるよ。いま鏡に映ってるのが女の子だと思えば……でも、僕はやっぱり……」
男なので。それは曲げようのない事実で。
だからブルマの前に女の子ならある筈のない、いくら縮こまっていても気になった途端に気になるそれが。
つまり男の子のモノが、こんもり丸くふくらみを形作っているわけで――
ところがリミィは全く違う方向に議論を展開させた。
「……やっぱり男だとしても一般に女性向けとされるファッションが可愛いと思えばそれを真似て悪いのかな」
「え……?」
「だって可愛い格好を女の子たちに独占させるなんて不公平じゃないか。違う?」
「それは……でも、やっぱり常識的には男が女の格好するって世間の目とか変に見られるというか……」
しどろもどろになりながらも逃げ口上を探す仁美に、リミィは笑顔のまま眉だけ困ったようにハの字にして、
「あのさあ、素直になろうよ。キミいまの可愛い格好になって決してイヤな気分じゃない筈だよ。違う?」
「それは……その、だけど……」
「ボクのインキュバスとしての存在意義は、男の子に可愛い格好をさせて新しい自分に目覚めさせることだ」
リミィは少しばかり語気を強めて言った。
「だから、いまからキミに魔法をかける。これはキミの心を素直にする特別な魔法だよ。いいね?」
「えっ……ちょっと待ってそんな魔法なんて……!」
仁美は慌てて抗うように身をよじったが、リミィは構わず身を寄せてきて。
ちゅっ、と、仁美の頬にキスをした。
「……え……?」
ぽかんと口を半開きにする仁美に、くすっとリミィは微笑み、
「どうかな? これで素直になれそう?」
「……キス……だよね?」
魔法でもなんでもなく。
リミィは、くすくす笑い、
「魔法のキスさ。それとも、ほっぺより唇がよかった? キミが素直になるまで、いくらでもしてあげるよ」
最終更新:2013年04月27日 15:25