旦那様といっしょ
いつもより遅くなってしまったので、はしたないとは思いつつもわたしは紺色のスカー
トをつまみ、駆け足で旦那様のお部屋へ参りました。
っは……はあ、はぁ…っ……
それでもお行儀の悪い子だと思われたくないので、ノックの前に上がった息を整え、額
にうっすらにじんだ汗を拭います。昼間ならどこからともなく現れる老家令の姿は、通い
の使用人が居なくなれば消えてしまいます。
「お入り」
ごいらえに扉を開ければ、葉巻の甘い香りがしました。
「失礼いたします…旦那様」
わたしを迎えるためにソファからお立ちくださった壮年の貴紳が、父やわたしの命の恩
人であるとともに、生涯お仕えするこの館の主でいらっしゃいます。
旦那様もお嬢様もお姿を拝見する度に、わたしは思わずそのお美しさにぼぅっとしてし
まいます。今宵も例外なく、です。
お皺の刻まれたお顔は穏やかで、知性に満ちた菫色の瞳はもちろん、昼間はきちっと撫
でつけておられる短い銀髪が幾筋か垂れる白い額まで、それはそれはお美しいのです。
殿方に、それも自分よりずっと年上の方にそのような言葉はおかしいかもしれませんが、
目の前の旦那様にはとてもふさわしいとわたしは思います。
「どうした、息を弾ませて…まるで昼間の娘を見ているようだ」
ほほ笑みながら、旦那様は大きな手のひらでわたしの頭を撫でてくださいます。
お年は父と同じくらいにお見受けしますが、小柄な父と違って逞しくいらっしゃり、猟
の際艶の良い鹿毛に跨がられた姿を拝見する度に、わたしはうっとりと溜め息をついてし
まうのです。
「申し訳ございません、お待たせしてしまって、その…」
「構わぬ。またあれが話の続きをせがんでいたのだろう?」
添い寝まで望まれてしまいましたとは言えず黙っていると、旦那様はそれまでおかけに
なっていたソファへ向かわれました。卓には口を切ったお酒のボトルとグラスが二つ。今
は見えない家令と交わされていらっしゃったのでしょう。
「私もお前の話を聞きたいと思うのだが、『レディーの寝室に入るなんて、お父様でも許
しませんわ』などと言うようになってしまった」
「まあ…」
なんとお返しすれば良いのか分からず、わたしはそれだけしか申し上げられません。
「遠乗りにはついて行きたいとねだるのに…まったく、困った娘だ」
お年に似合わず拗ねたような表情はとてもお可愛らしく、わたしは思わずクスッと笑っ
てしまいます。殿方に…旦那様にお可愛らしいだなんて、わたしはなんて無礼なのかしら。
「何を笑っている?」
ボトルを元の棚に置かれた旦那様に手招きされるまま、わたしはそのおそばへ参ります。
すぐ目の前に立てば、顔を上向けなければ旦那様のお顔を拝見できません。わたしの短
い髪を滑り落ちかけた制帽ごと、旦那様の手のひらが私の頭を包み、そっと身を屈められ
ました。
唇に与えられたのは、旦那様からのくちづけ。
お嬢様から頬や額にいただくそれとは違って、そっと唇をはみ舌を差し込まれるそれは
書庫にある小説や、たまにお嬢様のお伴として連れて行かれる歌劇場の中でしか知らなか
った、恋人同士のような接吻です。
「…ん………んぅ……っ……」
旦那様のお顔が見えなくなるのがもったいなくて、息継ぎの際に上瞼を旦那様になぞら
れるまで、いつも私は目を開けてしまいます。銀色の睫毛を伏せられた奥の瞳は、今はど
んな色をしていらっしゃるのかしら?
髪を梳かれ頬を撫でられる間にも、旦那様の舌が歯列をなぞり、わたしのそれを絡め取
られます。召されていたお酒の苦い味がしますが、唇を離されたわたしは二人分の唾液を
残さず飲み込みました。
ああ…わたしも、わたしの中にも旦那様のモノを受け入れているのだと思うと、背筋を
這い上がる甘い痺れからくる陶酔よりも喜びが勝ります。
捧げる立場にあるわたしがこんなことを望んでいるなんて、わたしの緊張を解くために
こうしてくださるご主人様はきっとご存じないでしょう。
森の中、幼子だったわたしを連れ途方に暮れる父を憐れんで、旦那様はご自分のお住ま
いにお招きくださったそうです。
温かいお食事とお部屋をご用意いただき、ようやく人心地つくことのできた父を、旦那
様は条件付きでお雇いになることをご提案くださいました。
まだ赤ん坊でいらっしゃったお嬢様と並んで眠るわたしを、この館の使用人…庭師の父
とは違って侍女として仕えさせること。
そしてわたしが長じたら、旦那様にその血を捧げること。
取って食うわけではない、決して危害を加えはしないと聞かされても、さすがに返事を
ためらった父に旦那様はこうおっしゃったそうです。
『私は愛娘をお前の子に預けよう…これで、信用してもらえるか?』
旦那様がお嬢様のことを、自分がわたしにそうするように深く愛していらっしゃること
を短い間に知った父は、それで首を縦に振ったそうです。
それでもわたしが、初めて下着を濡らしてしまった朝には固い顔をしておりましたが。
夜半に一人旦那様のお部屋を訪ね、わけの分からぬまま「約束の物を持って参りました」
と言い含められたままに申し上げた時は、旦那様は声をあげてお笑いになり、その晩は何
事もなくわたしを父の元に帰されました。
そして翌晩、わたしにご自分やお嬢様のことをお話しくださってから、もう一度、今度
はわたしにお尋ねになったのです。
心から…そして、この身ごと仕える気はあるのかと。
その時のわたしの返事の結果が、この愛しい方々にお仕えする、変わることのない幸せ
な生活です。
もっとも今のわたしにとっては、大きな声では言えない理由もありますが…
「……今宵は、どこからもらえるかな?」
お顔を離され、ささやく旦那さまの菫色の瞳が金色を帯びてきているのに気付き、未練
がましく口を開けていたわたしは慌てて言葉を紡ぎました。
「の……のど、を…」
そこだったら、さっきよりも旦那様がわたしの身体をすっぽりと包んでくださるからだ
なんて申し上げれば、旦那様はどうお思いになるのかしら?
わたしのはしたない願いに、旦那様はニッコリと笑いかけられました。
「私も、お前の喉は気に入っている」
持ち上げられた唇の端から、白い牙がちらりと覗きます。お嬢様と違って、そこはとて
も太くって、逞しくって…あら、わたしったらなんて恥ずかしいことを考えているのかし
ら!
赤くなっているだろう顔を見られたくなくて、わたしは俯き自分の首元に指をかけまし
た。エプロンに阻まれるまで釦を外し、スタンドカラーのブラウスを開けば、旦那様にか
き上げられた髪の毛の下にある首筋が露わになっているはずです。
「…やはりお前に、この髪型はよく似合う…私に、早く食べてくれと誘っているようだ」
「よう」ではなく、わたしとしては全力で召し上がっていただきたいのですが…他にも
金髪や美しい髪の娘は居るというのに、肩口で切り揃えた冴えない赤茶の髪を愛でてくだ
さる旦那様のお言葉に、わたしはただただ黙って目を閉じます。
瞼の向こうが不意に暗くなり、わたしの喉に旦那様の息がかかりました。旦那様のお手
がわたしの両肩から背に回され、旦那様の広く厚いお胸とわたしの貧相な身体がぴったり
と重なります。
「……ん、ぁ…だ、旦那様……!」
焦らすように牙でそこをなぞられ、たまらず声をあげると……ツクンと甘やかな痛みと、
そこから全身に広がる熱、そして…
「っあ………あぁ…ん、あ…っ…」
ヂュルヂュルという湿った音とともに気が遠くなるような、旦那様の腕の中であること
を忘れてしまうような快感がわたしを襲います。
「……ん、あ…ひぁ…あ、はぁっ………」
恥ずかしい喘ぎをもらしてしまうわたしに聞かせるように、旦那様はピチャピチャと音
をたててわたしの血を啜られます。お食事のテーブルにつかれた旦那様からは想像もでき
ないほどお行儀が悪いですが、このお美しさの前には、この気持ち良さの前には作法なん
て何の意味もなしません。
目もくらむようなひとときの後、その舌先でわたしの傷口を塞いだ旦那様がお顔を上げ
ました。黄金にきらめく双眸には、口を半開きにしたみっともないメイド服姿の侍女が…
わたしが居ました。
余韻に浸ったままのわたしの肩に、旦那様のお手が置かれます。
「…娘はお前に、何をしたのだ?」
今宵は、とからかうようにささやかれ、かあっとわたしの頬が熱くなりました。分かっ
ていることとはいえ、すべてお見通しというのはやはり恥ずかしいものです。
「その……お休みになる時、腕枕をさせていただきました…」
「それだけか?それだけでこんなに…一口で分かるほどに血が騒いでおるのか?」
「ああ、お許しください!わたし………お嬢様に抱きしめられて、わたし……!」
思わずわたしは身を引こうとしたのですが、ぐっと力をこめられた旦那様のお手がそれ
を許しませんでした。
「良い子だ」
お優しい声に…磨きあげたマホガニーのような艶のあるバリトンに、わたしはクラクラ
としてしまいます。
「手は、このようにか?」
旦那様の逞しい腕がわたしの背中に回されました。
「…いいえ、あの…こ、腰に…」
なんて恥ずかしいことを申させるのでしょう。しかしわたしは使用人。旦那様のご命令
には従わねばなりません。
旦那様のお手がするりと滑り降り、白いエプロンの結び目に重なります。
「…どうも、落ち着きが悪いな」
「お部屋では…脱いでおりましたから」
おずおずと進言すれば、「そうか」とうなずきながら蝶結びを解かれます。紺のメイド
服に覆われた私の腰を、旦那様の大きな手のひらがぴたりと包みました。
ああ、お嬢様のお声やお手が小鳥や花ならば、旦那様はそれを見守る大樹です。たまわ
ず目をつぶれば、日だまりのようなぬくもりがそこからジワリと伝わるのを感じられます。
「このようにか?」
わたしの片腕を上げさせて、旦那様がわたしの肩…というか脇のあたりに額を当てられ
ます。
ああ…そんな、さっきのようにされてしまうと…
「ぁ…あ、ああ、どうかおやめくださいませ!旦那様…!」
ドキンと高鳴る鼓動と、もう一つ疼くそこを誤魔化すように声をあげると「どうしたの
だ」とお尋ねになります。そんな、答えられる訳がありません。
先程自分で慰めたばかりの、いやらしい露を零すそこが熱くなって、下着を持ち上げて
いるだなんて…
「だ、旦那様…どうか、どうか離してくださいませ…!」
膝を擦り合わせ、必死に腰を引こうとするわたしをご覧になり、旦那様はいよいよ楽し
そうなお顔をされます。
「だから、どうしたのだと聞いている…私にはまったく分からぬではないか」
「…ああ……お願いです、意地悪なさらないで…!」
下着を湿らせていくそれが見た目に分からないのは、たっぷりとした紺スカートのおか
げです。厚い布地ではあるけれど、もし下着やスカートから染み出したモノが旦那様のお
召し物を汚してしまったら…!
わたしの身体のことなどお見通しでしょうに旦那様はそうおっしゃって、わたしをお抱
きになったままソファにかけられました。バランスを崩したわたしの足を軽々と抱え上げ
ながら。
「っ!?…だ、旦那様……!」
あろうことか旦那様のお膝に座る形になってしまい、わたしはおそれ多さに震えてしま
います。それなのに旦那様はお立ちになられていた時よりも強く強く、大きなお手でわた
しの腰を引き寄せるのです。
「気にせず私をベッドとでも思え…それとも、先もそのように固くなっていたのか?」
なんてひどいご命令でしょう!わたしも父も、お嬢様も敬愛する旦那様に抱かれたまま
くつろげだなんて。ましてやわたしは今、まさしくのっぴきならない状況なのです。
「…今宵は、ここからももらおうか」
わななくわたしの唇を指でなぞり、旦那様がささやかれます。わたしはといえば、旦那
様のお肩にのせてしまっていた自分の腕をどうにかお邪魔にならないよう下ろすのに精一
杯で、二度目のくちづけをお待ちする余裕などありませんでした。
「……っん!?んんぅ…っ……!?」
ズプリという、喉よりも生々しい音を立てて、旦那様の牙がわたしの下唇に食い込みま
す。にじんだ視界の中いっぱいになった、魔性の金色がわたしの瞳を見据え、そして…
ヂュルリ、湿った音の度にわたしの目の前に火花が散り、先程のように啜られているそ
こから身体中に熱が、正気を保てないほどの快楽が広がっていきます。当然それはスカー
トの奥、下着の中でぐしゅぐしゅに濡れそぼる…わたしの淫らな男根にも伝わりました。
「ふ………んん、ぅ……っ」
今わたしは、頭のてっぺんから爪先まで、旦那様を感じています。
わたしの身体が旦那様でいっぱいになって、そして…ああ、そして…
「っふ……ぅん………んんっ!」
唇を塞がれたまま、旦那様のお膝の上でわたしの身体が跳ねました。一度も触れないま
ま放たれた熱い迸りはすでに濡れていた下着からにじみ出し、擦り合わせていたわたしの
腿を伝ってしまいます。
こちらへ参る直前にしたことと同じはずなのに、旦那様のお身体に、香りに包まれたま
まのせいか、それは一人の時よりもずっとずっと…気持ち良いものでした。
「…ぁ…ああ……旦那様ぁ……」
だらしなく旦那様のお胸に身体を預けてしまっている無礼に、頭では起き上がろうとす
るのですが、ちょっとでも動いたらわたしのお尻に流れるそれが旦那様のお膝を汚してし
まいそうです。旦那様がわたしの口を再び塞がれるまで、わたしは足の間にスカートを押
し込んで拭うのに必死でした。
ヂュ…ヂュクッ。伏せられた銀色の睫毛を震わせて、旦那様がわたしの…わたしを召し
上がります。力の抜けた両手の上から、旦那様の大きなお手が、暖かなお手がわたしの一
番恥ずかしい所に添えられました。
あ…ああ、そんなにされてしまったら、わたし、また……!
「…やはり、この方がずっと美味い……どうした?そんな顔をして」
わたしの血で紅くなった唇で、旦那様がお尋ねになります。金色の瞳が傷の癒えた口を
半開きにした、はしたない侍女の顔を映しました。
「ふあ……ぁ、もっと…もっとお吸いになって、召し上がってください……っ!」
さすがにもう昂ぶることはなかったのですが、湿った下着の中で疼くそこからお手を離
され、つい思いのままに口走ってしまってからわたしは慌てて口をつぐみます。
こんないやらしい者の血を、旦那様が好まれるわけがありません…ああ、わたしはなん
てことを申し上げてしまったのかしら!
しかし旦那様は、使用人の身の程知らずな言葉にもかかわらず、わたしを抱きしめたま
まほほ笑んでくださいました。
「…これ以上そうすれば、お前がこの世には居られなくなる」
きらめく双眸に、ゆっくりと菫色が戻ってきます。夢から醒めるように、わたしの耳が
旦那様のお声をお迎えしました。
この行為で命を落としかけた者を蘇らせるには、一つしか方法がありません。
「ここに私の血を注げばどうなるか…お前は分かっているのだろう?」
構いません、どうかあなた方のようにしてくださいませ!
ずっとずっと、こうしておそばに置いて、こうして…可愛がってくださいませ!
そう叫ぶことができたならば、どんなに楽なことでしょう。
でも、それを望むことは使用人のわたしには…ただの人間であるわたしには許されませ
ん。
わたしはどうにか理性を振りしぼり、言葉を継ぎました。
「ぁ…だ……旦那様の…お召しのままに…」
「良い子だ」
今度は触れるだけの接吻。柔らかく重ねられたそれに、間近で細められた菫色の瞳に、
わたしはただただウットリとしてしまいます。
「……まだあれは、お前の物語を待っておるからな」
わたしはお嬢様の夜伽のお相手をするのも、こうして旦那様に可愛がっていただくのも、
どちらも終えたくはないのですが…わたしがそれを望むことは、過ぎた願いです。
ですからわたしは一夜一夜を精一杯尽くさせていただきます。
はたしてそれが、父と同じ使用人としての忠義からなのか、わたしの淫らな欲望からく
るものなのかは…最近は分からなくなってしまいましたけれど。
(おしまい)
最終更新:2013年04月27日 15:28