男女装女男3話・裸エプロンではないけれど
両親と妹が出かける日、僕は梓を自分の家に招待した。約束の時間は1時。到着
予定時刻は11時30分。
いつも通り、6時30分に目が覚めた。薄暗い白色じみた天井が、僕の意識を目
覚めさせる。30秒ほどそうして、身体を起こした。
リモコンで、蛍光灯を点ける。肌色の柔らかい光が部屋を照らした。
僕の部屋は、机にベッドに衣装箪笥と言う自分で言うのも何だけど、質素な部屋
だった。けど、ここ2週間辺りで、何故かクローゼットが増えているのは気のせい
じゃない。
寂が(いつの間にか)運び込んできたのだけれど、両親は気付いてないみたいで
ちょっと心配になる。中身は苺柄のシャツとチェック模様のジャンパースカートだ。
あと下着とかパッドとか。
梓が喜んでくれるのは僕としても嬉しいけれど、ちょっと複雑な気分でもあった
りする。別に女装趣味なんて無いので変な勘違いをされては困るのだ。これじゃあ
友達はもう部屋に呼べないじゃないか。
後悔ばかりしても仕方が無いので、腰を上げて、部屋から出る。ばったりと、隣
から寂が出てきた。
「お兄ちゃん、おはよー」
まだ眠いのか、寝ぼけて目をこすっている。フリルひらひらのネグリジェももう
何回も見て慣れてしまった。
「おはよう寂。顔洗ってくれば?」
「うん、そうするー」
ぽや~、とした足取りで階段を下りていく。続いて僕も階段を下りて、その足で
台所へ向かって、テーブルの椅子に座る。台所に隣接したフローリングの部屋が僕
たち家族の食堂になっている。
「ちょっと待ってね」
「うん」
台所でに居る母さんが声を掛けてきた。ジャー、と水道の音がここまで聞こえて
くる。時々冷蔵庫を開け閉めする音や、包丁の音とか、色んな音が聞こえてくる。
ほどなくして、朝食が運ばれてきた。
小学生辺りの時、友達に朝食の献立を言ってみたら、多すぎだろお前の家。と言
う驚愕の声が聞こえてきたほど、その献立の種類は多い――らしい。これが普通な
ので良くは知らない。今日梓に聞いてみることにしよう。うん。
「おはよーっ」
さっきより幾分かハイテンションになった寂の挨拶が台所とここに響く。
「どうしたの、こんな早くに」
「今日は映画見に行くから」
長い髪の毛をポニーテールに束ねながら、寂も席に着いた。別にかけてる訳じゃ
ないから。
父さんはもうでているので、3人で頂きます、を輪唱して、朝食を食べ始めた。
※
「行ってくるわね」
「じゃあねーお兄ちゃん」
母さんと寂が、一緒に家から出発するのを見送りに、玄関まで来た。とん、とん、
と靴を履く軽やかな音がする。
「あ、お兄ちゃん」
「何?」
「プレゼント、かけておいたから」
何が、と聞く暇もなく、2人は出かけてしまった。玄関に居ても仕方ないので、
自室に戻る。
蛍光灯が点きっぱなしの部屋は、余計に無機質な感じがした。暖色と矛盾する部
屋の空気に、少し哀しくなる。そんな部屋を見回して、寂の言ったことを思い出し
た。
慌ててクローゼットに近寄り、中を見る。
……服の種類が、余りにも増えすぎていた。妹が着ているようなネグリジェから、
メイド服のようなもの、チャイナドレスまである。
梓と会うために、苺柄のシャツを探して――――ない。ない。梓に買ってもらっ
た大事な服が無い。どうして、さっきはちゃんと在ったのに。もしかして寂の部屋
に……
寂の部屋に押し入ろうとしたけど、ベッドの上にこれみよがしと置かれているネ
グリジェ(今日のパジャマだった奴だ)とか。寂臭がたっぷりしそうなブラジャー
とか下着がやっぱりこれみよがしに吊されているのを見て断念する。
とても……とても(心が)痛いです。僕、泣いてしまいそうで――泣いて、いい
ですか。
とは思うものの、既に半泣き。しょうがない。梓には申し訳ないけど普通の服で
行こう……と自室の衣装箪笥を見ると、肝心の引き出しが全部抜かれていた。あり
えん(泣)
パジャマで外を歩くとよからぬ噂が立つこと間違いなし。……諦めよう。
クローゼットの中から、1番まともそうな服を選定する。一般常識と照らし合わ
せて考えてみても――男が着るのはおかしいけれど、まともな服だ。
下着も一緒に取り出す。本当に、帰ってきたら寂を叱らないと。
×
「で、セーラー服?」
「うん……」
駅前の人混みの中で、ごめん、と言う言葉と共に簡単にかいつまんで説明した。
僕が今身に纏っているのは襟と裾が青でそれ以外が純白のセーラー服だ。
休日にこれはどうなのだろう、と思ったものの、背に腹は代えられなかった。梓
は怒ることもなく、むしろ狂喜的な視線を向けてくる。周りの人もちょくちょく見
てきて、嬉しいけど哀しい、凄く微妙だ。
「何それ? 梓」
「秘密」
梓が持っていたのは、どっかのデパートの紙袋。はいあいらんどしょっぷとか何
とか。のぞき込もうとすると、梓は軽快に振り回して、見せまいとする。
諦めよう。
「それにしても、暑くなってきたね」
「ツグ大丈夫か。結構涼しいぞ?」
「え そう?」
例えるのなら、ぬるま湯に浸かっているような微妙な暑さだったけれど、変に蒸
し暑い気がしたので言ってみると何故か今日は涼しいらしい。
「熱でも……あー」
「何だ……何よ」
自分の言葉遣いが元のままであることに非常に感謝。僕はまだ男です。それより
も、梓に心辺りがあるらしい。
「もしかして見られて興奮してるのか」
「な……っ! ば、馬鹿言うなっ!!」
思わず男言葉で叫んでしまった。それに気付いて、周りを見てみると、びっくり
したのか通行人がこちらを見ている。
「次美はもうちょっとおしとやかになった方が良いぞ」
周りに言い聞かせるように、少し大きめの声で梓は言ってきた。一緒に、右指で
僕の髪を弄び始めながら。それで、周りの人々は納得したらしく、それぞれの道へ
と戻っていった。
「あ……」
「ほら、見られたいんだろ」
「そんな訳ない……っ」
確かに視線を逸らされる時にちょっと寂しくなった気もするけど、そんな人に見
られて興奮するような変態では僕は決してない。……多分。
「しょうがないな、行こうか」
手を伸ばしてきたので、その手を手で掴む。少しの間そうしていて、
「案内してくれよ」
「あ……ごめん」
リードされるのに慣れきっている自分がちょっと憎い。彼氏なのに情けないと心
底思った。
「ちょっとツグ、キツイってっ」
「うるさいっ」
せめて、こんな時くらいは強引にリードしてやろう。家に着いたときに、凄く態
度が女っぽかった、と梓に言われたのは、また別の話。
※
「お邪魔、します……」
「誰も居ないよ」
「分ってるけどさぁ」
おずおずとした様子で梓が家に入ってくる。きょろきょろと、狭い入り口で、靴
も脱がずに家の中を見ようと必死になっている。
「上がれば?」
「あ、ああ。そうする」
スニーカーを脱いで框を踏むと、梓は別人の様に活発的になった。リビングやら、
1階の色んな部屋を見て、ブラウン管だ懐かしいー、なんて言っている。悪かった
な時代遅れで。しかも勝手に電源入れて、リモコン弄ってるし。
「梓、何やってるのさ」
「いいじゃんいいじゃん。ほら、俺ここに来るかもしれないしさ」
家の規模的に考えて将来は婿入りになりそうなんですが。そう言おうとしたけれ
ど、梓が余りにも子供じみていたので、仕方なく隣に座る。うちのテレビの間は一
戸建てのくせに畳部屋で、テレビは転がったり、冬になると出すこたつに入って見
るのが常だ。何故かリビングは食堂にも、テレビの間にも使われず、荷物置き場に
なっている。
テレビのチャンネルは芸能番組で、時折自分達の笑い声とテレビからの五月蠅い
笑い声が部屋に響いた。
「ツグ、お腹減った」
「冷蔵庫に冷凍あるからレンジでチンしてよ」
「ここは奥さんが旦那の為に作るべきだろ」
「なら梓が作……りなさいよ」
「どう考えてもツグだろ」
自分もお腹が減っていたので、梓と一緒に何か食べようとは思ったけど、これで
は退くに退けない。女だと思われている所特に。
「何でだよっ奥さんになるのは梓だろっ」
「俺にそんな役つとまると思ってるのかっ?」
「僕よりかはつとまると思うよっ」
果てしない言い合いを何回も繰り返して、2人の息が切れて来たところで一時休
戦となった。テレビを見ると、テレビの中でも口論していたらしい。
「分ったツグ。ジャンケンで決めよう」
論点がずれ始めている気がする。でも、平等感が少ししたので
「乗った……わ」
乗った。2人して立ち上がり、右手を引っ込める。些細な事でこんなになる僕た
ちって、子どもの気がしなくもない。
「「最初はグーッ!」」
握り拳を、確かめる様に見せ合う。それから、僕は梓の視線を。梓は僕の視線を
見て、拳を引っ込める。
「「ジャン、ケン……」」
一瞬。
時間が止まった気がした。視線は合わせたまま。止まった一瞬で相手の手の内を
予測する。
「「ポンッ!」」
僕の選択はパー。ぐぉっ、と自分の後ろから手を振り抜く。梓の手は……
「俺の勝ちだな」
……チョキ。負けた。惨敗だ。
「ちょっと待ってろツグ」
「え?」
「奥さんは旦那の言う事を聞くもんだぞ」
うわぁなんてそれ男女差別。あれ、おかしくないか? ……止めよう。このまま
考えていたら間違いなく泥沼行きだ。
と言うわけで番組の続きを見ること10分。帰ってきた梓の手にあったのは、僕
のクローゼットに収められていた筈のエプロンだった。
ほら、着て着て、なんて言うあずさくんのご挑発。耐えられず僕は声を出す。
「冷食にしてよ……っ」
「断る」
因みに冷食はそのまんまの意味では無く冷凍食品の意である。愉快痛快を想像し
て口の端を吊り上げる梓。反比例する僕のやる気。
ジャンケンで負けたら俺が料理作ってたんだぞ。と梓は言うが、信用に足りない
のは恋人としてどうかと思う。上手いこと出し抜かれそうな匂いがぷんぷんする。
「あ、セーラー汚しちゃ駄目だろ。買ってきた服あるから」
かのはいあいらんどしょっぷ紙袋から取り出してきたのは、女物の、だけれども
セーラー服よりかはましそうな服だった。ちょっと助かった。
落ち着いた感じのする、肌色のカーディガンと紺色のスカート。確か寂が落ち着
いた感じの方が僕に似合う、って言っていたっけ。本当にこの世の中は、どれが助
けになるのか全く分らない。代わりに、シャツには少しながらフリルで味付けされ
ていて、良家のお嬢様みたいな雰囲気がある。てか目の前の人物がそうだったっけ。
これなら良いかな。いや、まぁ、変なところで譲歩している自分が哀しくなる。
そしてセーラー服に手を掛けたというのににこにこ眺めている観客が1人。
「――でてけっ!」
結局最後までにこにこしながら、梓は部屋から退場した。訂正しよう。血統は証
明付きの物だけど、精神は証明をビリビリに破る獣だ。
そそくさと着替える。着けにくいブラジャーなんかはもともと着けていたので、
実に簡単に着替えは終了した。カーディガンも一応羽織る。
「いいか?」
「――、うん」
梓の問いかけが凄くタイミング良すぎたので、不安に駆られるが、どちらにして
ももう終わっていると諦めた。
擦り音と共に、部屋に踏み込んできた。
「映えるぞ、映えるぞツグミちゃん~♪」
「うるさいっ」
同じことの繰り返しのような気がしないでもない。いい加減このワンパターンか
ら抜け出さないと。
テレビを消して、台所へ向かう。テレビを見てて欲しいのだが、そんな念願はど
うやら叶わないらしい。テーブルの椅子に座って、子どもみたいに
「りょうりまだー? あずおなかすいたー」
今から作る。
冷蔵庫の中を覗いて、何を作るべきかと思案する。が、中に有るのは真っ白な空
白。生き残った一割にあるのは、新鮮さまぶしい緑黄色野菜のみ。
サラダにしよう。そこらへんに転がっている漫画みたいな短絡思考だけど、そん
なモノで、十分だろう。
水で野菜を濡らし、さくさくと包丁で切っていく。このごろご無沙汰だったけど
鈍っていなくてほっとする。
そんな訳でのんびりと野菜を切っていると、腰に手を回された。
「梓……」
「できたか?」
「まだ。もうちょっと待ってよ」
「駄目だ」
……もぅ。包丁をまな板に置いて、振り向く。梓はあっけにとられたようにこち
らを見る。
その唇を、僕は何の前触れもなく、奪った。
ディープキスではなく、擦るような、短いモノ。
閉じた目を開くと、梓の驚きは更に大きくなっていた。そんなに驚かなくても良
いのに。
「……どうせ。私を食べるっていうんでしょ」
意地悪く微笑んでやる。梓は一拍後正気を取り戻して、
「よく分ってるな。ツグ」
2人して、吹き出した。
最終更新:2013年04月27日 17:42