窓から見える空は、雲ひとつ無くどこまでも澄み渡っている。
世間的には「最高の結婚式日和」という奴だろうか。
部屋の中に目を戻すと、大きな鏡に俺が映っている。
素っ裸にされ、かつ全身のムダ毛というムダ毛を剃られた、あまりにも情けない姿にため息もでない。
「それでは、この下着からつけていきましょうね」
まだ20代前半と思われる式場メイクスタッフは、フルチンの男が目の前にいるにもかかわらず、少しも動じたそぶりも見せずに俺にバンザイを促す。
聴こえないふりをするという、ささやかな抵抗を試みるが、その試みもむなしく、別のスタッフの手によって強引に両手を上げさせられ、つつましやかなカップがついたコルセットのような真っ白い下着を身に着けさせられる。
「くびれ作るために、ちょっと締め上げますね」
苦しかったら言ってくださいとはいうものの、問答無用でキリキリと体が締め上げられていく。
まるで内臓が口からはみ出てしまうかと思うぐらい苦しい。
スタッフが躍起になって締め上げたためか、まるでモデルのようなくびれが出来上がる。
しかし欲しくもないくびれを手に入れた代償か、恐ろしく呼吸が苦しい。
深く息を吸おうとしても、空気が入る余地がすでに無いのか自然と浅い呼吸になる。
「次はこれを履きましょうね」
そう言うとスタッフは片膝をついて、くしゃくしゃに丸まった白い塊を差し出してくる。
やはり無言でささやかな抵抗を試みるが、脚を上げない俺に業を煮やしたのか強引に脚を取られる。
急に片足が上がってバランスを崩したが、あらかじめしゃがんでいたスタッフの肩につかまり事なきを得た。
なるほど、そのために片膝をついていたのか。いや、そういうことではなく。
スルスルとかすかな音を立てながら、ストッキングは俺の脚を真白に染め上げていく。
靴下とは明らかに違う肌触りに、俺は少しずつ変えられていくことを実感せざるを得なかった。
太ももまで引き上げられたストッキングは、先に着させられた体を締め付ける下着から伸びたベルトの先に固定された。
まさか、自分がガーターベルトをつけさせられるとは思わなかった。
続いて、美しいレースで彩られた白いシルクのショーツを履くよう促される。
諦めに似た感情を込めたため息をひとつ吐き、ゆっくりとショーツに脚を通す。
当然女性用の下着なので、自分のモノのポジションがうまく定まらず、遠目から見てもくっきりわかるほど奇妙なフォルムを布越しに描き出す。
「ちょっとバランスなおしますね」
女性スタッフは躊躇せずショーツの中に手を突っ込み、俺のペニスの位置を調整しはじめる。
気持ちよさとは程遠い強引な手の動きは、むしろ痛みすら伴う。
「これでよし」
ショーツから手を抜くと、女性スタッフは満足そうにつぶやく。
ぷっくりと股間は自己主張しているものの、先ほどとは違いペニスの形はわからなくなっている。
鏡に映る俺の姿は、首から下は一応女性らしいシルエットを描いていた。
なんとも情けない。
「ブライダルインナーも着たことですし、次はいよいよドレスですね」
機械的な営業スマイルを浮かべる女性スタッフ。
内心、どう思っているのかわかったものじゃない。
しばらくするとトルソーといったか、胴体だけのマネキンに着せられたドレスが台車に乗って部屋に入ってきた。
台車の脇には、乗り切らなかったスカート部分を2人がかりで抱えている。
うやうやしく、かつ正確に、慎重に、トルソーからドレスを脱がしていくスタッフたち。
手馴れたものだが、さすがに布の量が多く苦戦しているようだ。
「こんなにトレーンの長いドレスを扱うのは久しぶりですね」
トレーンがなんなのかよくわからないが、たぶんスカートの一部分かどこかなのだろう。
数人がかりで目の前に運ばれたドレスはファスナー部が限界部まで開けられ、まるで俺を食らおうと待ち構えている。
「裾を踏まないよう、慎重にお願いしますね」
こんなドレスなんて、今すぐ踏みにじって逃げ出したいところだが、そうもいかない。
意を決して一歩、ドレスの中へと踏み込んだ。
俺がドレスの中心へと体をもぐりこませると、スタッフはドレスの上半身部分を持ち上げ、続いて袖に手を通すよう促してくる。
袖は腕を通すのが一見無理なように思える細さだったが、意外にもするりと通ってしまった。
「では、お胸の部分をしっかりあわせてジッパーをあげますので、背筋を伸ばしてくださいね」
言われなくても、コルセットの締め付けで自然と背筋はシャキンと伸びている。
ウェディングドレスの立体的に縫製された胸部分が、補正下着で立体的に作り変えられた俺の胸にぴったりと合わさり、続いて鎖骨や襟首までも覆っていく。
「では上げますね」
ジジジ・・・・・・とかすかな音をたてながら、ゆっくりとジッパーが引き上げられてゆくたびに、ドレスの締め付け感が少しずつ増してゆく。
これはもはやドレスという名の拘束具なのではないだろうか。
「メイクしますので、こちらの椅子に座ってくださいね」
差し出されたのは、背の高い細身の椅子。
スタッフは手際よくそれをスカートの中にもぐりこませ、問答無用で俺を座らせる。
下着1枚で椅子に座るという奇妙な感覚は、どうにも慣れない。
直接座ればいいのにと思ったが、それだとスカートがしわになるからダメらしい。
いちいち面倒くさい。本当に逃げ出したい。しかしそうもいかない。
そうこうしているうちに、移動式の鏡台が目の前に据えられ、衣装係のスタッフに代わり、メイクスタッフがやってきた。
「ちょっと眉の形が悪いですね、せっかくの美人が台無しですよ」
なにが美人だ、と心の中で悪態づくものの、目の前にかみそりを突きつけられては手も足も出ない。
抜かれ、剃られ、男らしかった眉が、見る見るうちに女性らしいアーチを描いてゆく。
「あら、あごや頬にムダ毛が多いですね、これも処理しちゃいましょう」
一般男性より薄いとはいえ、うっすらと自己主張する髭も、安全かみそりで完璧に『処理』されてゆく。
本当は抜くほうがいいのだけれど、なんてスタッフは言うがそんな痛み耐えられるはずがない。
徹底的に剃られて少しヒリヒリする頬やあご周りに、アフターシェーブローションとは違うなにかがポンポンとつけられてゆく。
ファンデーションかと思ったら、どうやら違うらしい。
いまつけられた化粧品の効果か、剃り跡は肌になじんでちょっと見ただけではまったくわからなくなっていた。
続いてスタッフは薄いクリーム色っぽい液体を手に取り、それらを額、頬、鼻の頭、あごと顔の数箇所にポンポンと乗せてゆく。
そしてその液体を、鼻を中心にすばやく外側に向かって伸ばし、目の周りや小鼻付近を指でなで上げ、さらにスポンジで顔全体を軽く抑えてゆく。
これで終わりかと思ったら、さらに脂取り紙のようなもので塗られたところを抑え、とどめとばかりに、よくわからない粉が顔にパフパフと叩き付けられてゆく。
もう顔中いろいろ塗りたくられ、心の中で文句をつぶやく事すら疲れてきた。
いい加減にしてくれと思っても、化粧はまだまだ終わらない。
なにやら眉毛を小さな櫛で梳かされ、書かれ、再度整えられる。
もう眉だけ見たら、どこからどう見ても女性にしか見えない。
意気消沈しているところへ、今度ははさみの先がヘンテコに潰れた怖い器具が右目に突きつけられる。
それでまぶたの根本をつかまれ、キュっと表現できない独特の動作でまつ毛をひねりあげられた。
続いて左目も同様に。
恐怖の器具で強引に上向きにされた俺のまつ毛に向け、追い討ちをかけるようになにかが塗りたくられてゆく。
「式の途中に泣いたら大変なことになっちゃうので、マスカラはこのぐらいにしておきますね」
知ったことか。
「あまり赤いのもケバいですし、かわいらしくピンクにしておきますね」
小さなブラシで、唇が薄いピンク色に染め上げられ、形作られてゆく。
さらにキラキラするものが上から塗られ、艶やかで美しい唇が完成した。
これが自分の唇じゃなければ、どれほどよかっただろう。
「ええと、ウィッグはロングでしたっけ」
俺はそんな事まったく頼んでいないが、ロングというからにはあいつがロングを注文したんだろう。
スタッフはロングヘアーのカツラを俺にかぶせ、外側から見えないよう巧妙にピンで留めてゆく。
そして丹念に髪を梳かれたあと、テキパキとハサミや櫛で髪形が整えられてゆく。
「では、髪形作っていきますね」
いままでのは違うのか!と驚く間もなく、ドライヤーやらなんやらで無理やり作られたロングヘアーが、ふんわりとしたウェーブを描く髪形へと変化してゆく。
最後に額にお姫様がつけるような冠をつけられ、耳に淡いピンク色をした真珠のイヤリングと、同系色の真珠をたっぷりとつかったネックレスで飾られてゆく。
そして白いレースの手袋をはめられ、うやうやしくスタッフの手で白いパンプスを履かされる。
最後に、髪の上からヴェールをかぶせられ、ずり落ちないようピンで固定された。
「お疲れ様でした。本当にお綺麗ですわ」
なにがお綺麗だと悪態を吐こうと思ったが、鏡に映る人物は、確かに『結婚式を間近に控え、喜びと憂いを湛えた美しい花嫁』にしか見えない。
プロというのは恐ろしいものだと、身をもって実感した。
できれば実感したくはなかったが。
長かった化粧もようやく終わり、後片付けや式の準備であわただしく動き回る周囲に取り残され、俺はひとりぽつねんと椅子に座って時を待つ。
ふいに部屋のドアが開き、礼服に身を包んだ初老の男が現れた。
親父だ。
数日前に会ったにもかかわらず、その時よりもこころなしかやつれているように思える。
いや、実際心労で体力をすりつぶしたのだろう。
親父は口をぎゅっと真一文字に食いしばり、悔しそうにじっと俺を見つめている。
そんな親父の視線に耐え切れず、目を伏せることしか出来ない俺。
2人の間に、重い空気が横たわる。
「・・・・・・こんなことになって、本当にすまない」
沈黙に耐え切れなかったのか、親父が重い口を開く。
「・・・・・・いや、俺も納得してのことだ。親父が気にするな」
もちろん、心からの納得なんてしていない。いますぐここから逃げ出したい。
しかし、それでは立ち行かないというのは、いままでの人生で嫌というほど実感している。
そうか、とつぶやき、再び黙り込む親父。その顔には苦悩と無念がありありと浮かび上がる。
またも長く重苦しい沈黙の時間。
それを破ったのは、やはりドアが開く音だった。
「そろそろお時間です」
とうとうその時がやってきてしまった。
俺は案内係に促されるまま、ゆっくりと立ち上がる。
そそくさと近づいてきた衣装スタッフが、もうここにとどまる事を許さないとばかりにスカートの中から椅子を抜き取った。
いつの間にかスカートから伸びるトレーンを、まだあどけなさの残る金髪の子どもがひきずらないよう持ち上げている。
実際に出席した友人の結婚式では見たことなかったが、そういや、昔ドラマで見た結婚式ではこういうシーンがあったような気がする。
そして、案内係の誘導に従って大きな木製の扉の前に通された。
扉の脇にはドア係が1人ずつ立っており、うやうやしく俺に頭を下げ、お祝いの言葉を口にする。
こっちは少しもめでたくないのに。
ゆっくりと、重々しい扉が開かれると、パイプオルガンの壮厳な響きが押し寄せてくる。
目を前に向けると、左右に分かれた参列者席の真ん中を深紅のじゅうたんがまっすぐ貫き、その先には陽の光を浴びてキラキラと輝くステンドグラスと祭壇があった。
祭壇の向こうには、神に一生を捧げた神父と、そしてこれから俺が一生を捧げる事になる『夫』が立っていた。
父親に腕を預け、一歩一歩ヴァージンロードを歩いてゆくたび、さまざまな感情が入り混じった視線が突き刺さる。
まさか自分がヴァージンロードをこのような形で歩くとは、夢にも思っていなかった。
永遠と思える十数メートルを歩ききり、俺は父親から『夫』の元へと引き渡された。
長かったはずの髪の毛はばっさりと切り落としてオールバックになでつけ、かすかに施してあるメイクのせいか、凛々しさと強さが表情からにじみ出ている。
しかし、ぱっと見ただけでも仕立てのよさがわかるタキシードの胸はたわわにふくらみ、この新郎が実際は男性でないということを、これでもかと主張していた。
茨の道に等しいヴァージンロードを渡り切ると、その先に待ち構えていたアイツは俺に手を差し伸べる。
本来ならば払いのけたいその手に、そっと手のひらを重ね合わす。
それを確認し、新婦席最前列へとトボトボ引き下がる我が父親。
その背中がやけに小さく見えるのは、決して気のせいではない。
神父の指示でパイプオルガンの曲調が変わり、聖堂内に朗々と聖歌隊の歌声が響き渡る。
一応、参列者も歌うよう促されてはいるものの、よほどのキリスト教徒じゃないかぎり、聖歌なんて歌えるはずがないので沈黙している人が殆どだ。
聖歌斉唱が終わり、祈祷が捧げられる。
わかったようなわからないような祈りの言葉は、俺にとってはそれこそ刑執行前の死刑囚に捧げられるそれと大して代わりがなかった。
続いて神父は式辞を述べ、聖書を取り出してその中の数節をとうとうと語りだした。
夫の心構えだとか、妻はこうあるべきだとか、ある意味どうでもいい御託が延々と並べ立てられる。
そしていよいよ、有名な神に対する誓約のときがやってきた。
「新郎亜希子。あなたはいまこの女性と結婚し、神の定めに従って夫婦になろうとしています。あなたは、その健やかなときも、病めるときも、豊かなるときも、貧しきときも、この女性を愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命の限り、かたく節操を守ることを誓いますか?」
まるで機械的に誓約の言葉を述べる神父に対し、力強く約束する新郎。
その言葉には、本当に一生妻を守り抜こうとする意思が感じられる。
実際はどうだかわかったものではないが。
新郎の誓約が終わり、いよいよ俺の番となる。
「新婦貴明。あなたはいまこの男性と結婚し、神の定めに従って夫婦になろうとしています。あなたは、その健やかなときも、病めるときも、豊かなるときも、貧しきときも、この男性を愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命の限り、かたく節操を守ることを誓いますか?」
自分の名前の前に『新婦』とつくこの現実の前に、改めて心が折れそうになる。
誓いませんといって、この場から逃げ出せたらどれだけ気分的に楽になるだろうか。
しかし、たとえ逃げたとしても、その後に待ち受けるであろう運命を考えると、やはり逃げることはできない。
これは、ある意味最初で最後の親孝行でもあるのだ。
「誓いますか?」
誓いの言葉を返さない俺に業を煮やしたか、神父が再び聞き返してきた。
「・・・・・・誓います」
心をぎゅっと絞りに絞り、むりやり押し出すようにして、ようやく吐き出せた誓いの言葉。
これで楽になることはなく、嫁いでゆくという現実がさらに重く心にのしかかってゆく。
誓いの言葉に満足したかどうかはわからないが、神父は聖書を閉じて結婚指輪の交換を促してきた。
すると、その様子を写真に収めようと携帯やデジカメ片手に人々が祭壇そばに集まり始める。
どこに隠れていたのか、プロっぽいカメラマンまで現れた。
静かに、ひっかからないよう、レースの手袋を慎重に脱ぎとる。
このまま手袋を眼前の新郎に投げつけ決闘を申し込みたい気分だ。
そんな逸る気持ちを深呼吸で押さえつけ、そばに寄ったお袋に手袋を渡してからゆっくりと左手を亜希子に差し出した。
差し出す左手のつめ先が、ステンドグラスから差し込む光を受けてピンク色にきらめく。
亜希子は左手でそっと俺の手を取ると、うるさくない程度に精巧な彫刻が施されたプラチナのリングを俺の指にはめ込んだ。
瞬間、薬指を中心として全身に電流がほとばしったような錯覚に陥る。
なんというか、見えない糸で心だけでなく体の自由も奪われたような気分だ。
実際、俺の自由なんてもはや髪の毛の先ほども存在しないと思うが。
促されるまま、俺も亜希子の左手を取り、マリッジリングをその指に飾ろうと試みた。
しかし指になかなかはまらず、2度、3度とチャレンジしてようやく通す事ができた。
自分が思っている以上に緊張しているのか、それとも別の感情が体の中に渦巻いているのだろうか。
指輪の交換が終わると、祭壇にはすでに印鑑が押してある無記名の婚姻届と、まったく読めないのでわからないが、おそらくラテン語で書かれた結婚証明書が用意されていた。
多くの人々が見守る中、2人で法律上の契約書と、神に対する誓約書に名前を書き込んでゆく。
署名が終わった瞬間、神の御名と日本国法律の元に、俺は妻として亜希子に寄り添う存在となった。
「それでは誓いのキスを」
神父の言葉を合図に、亜希子が慎重に俺の顔にかかるヴェールを上げ、肩にそっと手をかける。
彼女の瞳に、俺がどのように映っているのかわからない。わかる必要もない。
ゆっくりと近づいてくる彼女の顔を直視しないよう、作法に従いそっと目を閉じる。
目を閉じる瞬間、ふと視界に入った、十字架に掛けられ苦難に耐えるキリスト像が、どことなく俺を哀れみながら見つめているような気がした。
そっと唇に触れる柔らかな感触。そして自分の唇を割って入ってくる舌の存在。
本来、このような誓いのキスはそっとするのがしきたりのはずだが、これは俺の舌を吸い、頬の裏側を撫で上げ、まるで魂が蕩けるような、甘く、官能的で、天使と悪魔が同居しているような、それほど濃厚で熱かった。
意識しないと脚の力が抜け、その場にへたり込んでしまいそうになるほど、いままでの人生で経験した事ないキスによって脳の中心がビリビリと痺れる。
実際にはほんの数秒だったのかもしれないが、永い、永い、まるで永遠の愛撫のような時間は、ふいに終わりを告げた。
「・・・・・・あ」
思わず、名残を惜しむように声を漏らしてしまう俺の目に飛び込んできたのは、まるで勝ち誇るかのように、にやりと笑う亜希子の姿。
それは、どこから見ても、妻となる眼前の『女』を制した男の顔だった。
悔しさかなのか、身も心も征服されたからかはわからない、知らずのうちに俺の目頭には一粒真珠のような涙が浮かんでいた。
完全敗北のキスが終わり、ふいに現実へと引き戻され、指輪交換やキスの瞬間を狙った即席カメラマンたちも自分たちの席へと帰ってゆく。
きっと彼らのカメラには、喜びに打ち震えているように見える花嫁の姿が映っていることだろう。
あの痴態が一生涯にわたって他人の手で保管されるなんて、なんという屈辱か。
そう思うと同時に、あの甘いキスの味が蘇ってきて、頭の中心から全身に向かって電流が迸る。
そうこうしているうちに、式はまた進み始めた。
神父は俺たち新婦新郎を祭壇のほうに向き直るよう促し、またも聖書の言葉を引用しつつこの結婚を祝福する。
呪いの言葉のひとつでも吐いてくれれば、こちらとしても気が楽なのだが。
ふいにパイプオルガンが鳴り、清らかな聖歌が御堂に響き渡る。
記憶が確かならば、ようやく式も終わりに近づいてきたようだ。
心地よい余韻を残しつつ聖歌の斉唱が終わり、パイプオルガンの演奏は、その曲目を変える。
それを合図として、亜希子は左腕を差し出してきた。
前もって言われていたように、差し出された腕とそっと寄り添うように組み合わせる。
メンデルスゾーンの結婚行進曲をバックに、独特のステップでヴァージンロードを歩んでゆく。
ステンドグラスから差し込む光がキラキラとドレスに反射し、美しく輝いている。
傍から見れば、本当に絵に描いたような花婿花嫁に見えることだろう。
左右の席から幸せな前途を歩もうとする若い夫婦に対する温かい祝福とともに、嘲笑にも似た哀れみの視線が入り混じったものが降りかかってくる。
もしも自分が参列席にいたとしたら、同じような感情を抱くだろうから、この参列者の態度は当然だろう。
ゆっくりと、時間を掛けて、この屈辱のヴァージンロードをようやく歩ききり、来たときとは逆に御堂の扉をくぐって退場する。
背後でドアマンが重い扉を音も無く閉めるとパイプオルガンの響きも届かなくなり、周囲は聖なる空間にふさわしい静寂に包まれた。
いつのまにか現れた係員に、参列者が御堂内から退場するまでの控え室に案内されると、この日、俺は初めて新郎亜希子と2人っきりになった。
双方語り合うことなく沈黙が続くのかと思いきや、あっさり亜希子のほうから話しかけてきた。
「予想以上にいい花嫁っぷりでよかったよ」
「やかましい」
男なのに花嫁という痴態を嘲るような、それでいて心から褒め称えているような不思議な言葉に対し、もちろん俺は悪態で返す。
「いや、本当に綺麗だよ、貴明」
精一杯無理して男言葉を使おうとしているが、彼女の育ちのよさのせいかあまり迫力は感じられない。
「こんな花嫁と結婚できるなんて、俺はなんて幸せなんだろう」
言い慣れない『俺』の発音に噴き出しそうになるが、彼女なりに『夫』として振舞おうとしているのだろう。
あまりに慣れていない男言葉をほほえましく思っていると、彼女は不意に俺の唇を奪ってきた。
さきほどの軽いものに見せかけた濃厚なキスと異なり、今度は最初から全力で俺のすべてを奪いにきている。
上あごをゆっくりと舐めあげられると、背筋にぶるりと震えが走り、続いて歯茎を撫でられると、膝ががくがくいいはじめる。
さらに下の裏側をまるで飴玉のように転がされると、なんともいいがたい、あふれる光の中にいるような気持ちよさに襲われる。
むちむちと上唇と下唇を挟み込むように愛撫され、舌と舌が絡まりお互いの唾液が交換される。
頭の先から脊髄を通り足の先まで、キスひとつで俺の『男らしさ』が吸い取られていくような錯覚。
たぶん、本当の花嫁にまた一歩近づいてしまった。悔しい事に。
またも甘美なひとときは、彼女の都合によって一方的に終わりを告げた。
離れていく2人の間に、まるでビーズのようにキラキラと輝く糸が、名残を惜しむかのように引き合い、やがて静かに切れて落ちた。
たぶん、本当に呆けていたのだろう、亜希子がにやりと笑いながらハンカチで口元をぬぐってくれた。
口紅が落ちないよう押さえるように拭くのは、さすが『元女性』ならではの心配りだろうか。
いや、亜希子はいまも女性で間違いないのだが。
「キスひとつであんなに気持ちよくなるなんて、本当に感じやすい体なんだな」
「そ、そんなこと・・・・・・あぅ!」
ふいに、スカート越しに股間をぎゅっとつかまれる。
度重なる快楽によってカチカチになったペニスを確認すると、亜希子は面白いおもちゃをみつけた悪戯っ子のように微笑んだ。
鏡で見なくてもわかる。俺の顔は快楽と恥辱、そのふたつで真っ赤に染まっている。
「ここをこんなにしてるのに、嘘をつくなんて悪い花嫁だな」
その声は、さっきまでの無理をした男言葉ではなく、まぎれもなく恥ずかしさに打ち震える新妻をからかう夫のものだった。
「残念だけど、お楽しみは夜までお預けだ。淫乱花嫁さん」
淫乱の部分を強調しながら亜希子は俺のモノから手を放し、軽くほほにキスをした。
あと数秒握られていたら、間違いなく達していた。
そのぐらい、続けざまのキスで俺はビンカンになっていたらしい。
「ま、前は使わせないかもしれないけどな」
完全に精神的優位に立った亜希子は、数分前とは見違えるほど『夫』の顔になっていた。
その胸に膨らんだ双丘がなければ、どこに出しても立派に男として通用するだろう。
一方、俺は時間を追うごとに心の中の男らしさは、ねじられ、締められ、押さえつけられ、どんどん小さくなって悲鳴をあげている。
環境が人を作るというが、あれはまぎれもない事実だというのをこの身で体感している。
今日という日が終わるまで、俺は『男』でいられるのだろうか。
それとも・・・・・・。
密室での情事などつゆしらず、案内係は参列者が式場の外に出たことを伝えに来た。
あと少し早くドアが開かれていたら、俺たちの恥ずかしい姿を見られてしまっていただろう。
いや、たぶん恥ずかしいと感じるのは俺だけで、案内係も亜希子も少しも気にしないことだろう。
用意されたレースの手袋を身につけ、コンパクトにまとめられたブーケが手渡される。
それを胸に抱えながら、亜希子の腕にすがるように一歩一歩進んでゆくと、外へ通じる扉がバッと開いて、眩暈を起こしそうなほどの陽の光が洪水のように押し寄せてくる。
目が明るさに慣れてくると、どこまでも広がる空の青さが心に染み渡る。
視線を移すと、白い緩やかな階段がチャペルから伸び、その下には参列者が待ち構えている。
口々に2人の前途を祝う言葉を投げかけてくれるが、その心遣いが逆に鎖となって俺をどんどん縛りつけてゆく。
「みなさん、今日はわたしたちのために集まってくれてありがとう!」
言いたくもない謝辞の言葉をいい、俺は式の手順に従ってうしろを向いて手にしたブーケを放り投げる。
振り返ると、適齢期の女性が何人もいたにも拘らず、ブーケは偶然にも同僚の山田が手にしていた。
苦笑いしながら「俺がとっちゃまずいだろ」とおどける山田。
うるさい、お前も花嫁になってしまえ。
ブーケトスが終わると、参列者は我先にと階段の左右へと集いはじめた。
すると、亜希子は前触れも無く俺を横抱きに俺を持ち上げた。
突然の事に俺はあわてて彼女の首へ腕を回し、体が落ちないようしっかり抱きしめ返した。
その瞬間、参列者からわっと歓声が沸きあがる。
亜希子が歩き出し始めて、ようやく俺が『お姫様だっこ』されていることに気がついた。
俺を抱きかかえられるまで体を鍛えた亜希子にも驚きだが、条件反射的に抱き返した俺にもびっくりした。
階段を下りるたびに、左右から花や米が降り注ぐ。
フラワーシャワーとかライスシャワーとかいうやつだ。
両方同時にやるというのは聞いた事ないが、より派手にしようということなのだろう。
たしかライスシャワーっていうのは、子宝に恵まれるよう祈るための儀式だったはず。
まさか参列者は、俺に子どもを産めというのだろうか。
妊娠した自分の姿と、そこに寄り添って優しく微笑む亜希子が脳裡に一瞬浮かんでしまった。
怖い考えを振り払おうと、ぎゅっと目を閉じると自然に手にも力が入った。
そんな俺に対し、亜希子は優しく「怖くないよ」とささやくのだった。
途中「こっち向いて!」と声をかけられる。
声の主は、どうやらこの麗しい新婦新郎の様子を撮ろうと狙っていた亜希子の同僚のようだ。
「目を開けて、笑いかけて」
俺にしか聴こえないような声で、甘く強く命令する亜希子。
精一杯の笑顔を作ると、パシャリとシャッター音が鳴り響く。
それをきっかけとして、パシャパシャとあらゆる方向から撮影音が鳥の羽ばたきのように聞こえてくる。
またも、俺の恥ずかしい姿が永久に残されてしまうのだろうか。
「キスしてー」
どこからか聴こえてきた声にびくりとして、条件反射的に亜希子の頬に口付けをしてしまう。
どよめく参列者。一段と大きくなるシャッター音。
ああ、なんて事をしてしまったんだ。しかし、後悔先にたたず。
俺の新妻らしいかわいいキスに、亜希子はさらに勝ち誇ったような表情を浮かべる。
結婚式は終焉を迎えようとしているが、この先に披露宴が待ち構えている。
俺を辱める華燭の典は、まだまだ終わりそうにない。
結婚式も見た目はつつがなく終わり、スタッフたちはあわただしく披露宴の準備に入る。
俺はというと、さきほどまで着ていたドレスを脱がされ、違うドレスに着替えさせられている最中だ。
結婚式で着させられたスカートの裾がぶわっと広がり、後に長く伸びたドレスと異なり、今度はどちらかといえば膝ぐらいまでは体に密着して
膝下からスカートがふんわり広がっている独特のシルエット。
なんでもマーメイドラインとかいうらしいが、そういうファッション用語はよくわからない。
上半身は肩や鎖骨が大きく露出しているデザインになっており、二の腕と肩の間に10cm幅ほどの布地でひっかかっている状態。
普通ならばこんな男の肩が露わになっても気持ち悪いだけだが、今日を迎えるまでに何度もエステに通わされたおかげで、グラビアアイドルのそれに匹敵するほどの美しさを保っていた。
室内ライトに照らされて、まるで水に濡れたかのように艶やかに光っているのを見ると、男だけれどもなんとなくうれしくなってきてしまう。
ひじ上まで覆う手袋を付けさせられたとき、なんとなくもったいない気分になってしまったぐらいだ。
ドレスを着たあとはまたもメイク。
一度すべて拭い取られ、再び丁寧にメイクされてゆく。
どこがどう変わったのか化粧の素人である俺にはよくわからないが、目元や唇の感じが大きく変わった気がする。
同じ『結婚式を間近に控え、喜びと憂いを湛えた美しい花嫁』でも、さっきまでは落ち着いた大人の女性的な雰囲気が漂っていたが、今度は明るい女性が喜びを隠し切れない、そんな印象を受ける。
同じ素材でもメイクひとつでここまで大きく変わるものなのか。
今後世の中の女性を見る目が変わってしまいそうだ。
メイク後のヘアセットは、さっきまでの挙式で崩れた部分を修復する程度だったが、ヴェールは顔を覆うほどのものではなく、後頭部に留められて後ろに流されるものに変更された。
頭に載せられていた冠みたいなアクセサリー(ティアラというらしい)も、儀式的な小さいものではなく、どことなく自己主張している王冠みたいなものに変更された。
まるで映画に出てくるような外国のお姫様のように見えるのは、決して俺のうぬぼれではないはずだ。
最後に大きく弧を描いたブーケを持たされ、準備はようやく終了した。
どこからか運ばれてきた姿見に映る俺は、さっきの結婚式前に見た自分よりも、どことなく幸せそうに見えた。
「本当、凄いお似合いですよ」
マーメイドラインのドレスは、背が高くてスタイルがよくないと似合わないとか、この日のためにこんなステキなドレスを仕立ててもらってうらやましいとか、いろいろ口々に褒め称えるスタッフたち。
たとえ男に対していうお世辞じゃないとしても、褒められるというのは気分がいい。
そして準備を済ませ、案内されるまま式場の入り口まで足を進めると、亜希子や媒酌人である常務たち、それに互いの両親が既に姿を現していた。
「ちょっと遅いぞ」
言葉だけ取るならば苛立っているように振舞う亜希子だが、口調や表情からは、花嫁に対しての愛情しか感じられない。
その対象となる花嫁というのが俺というのが少しだけ不本意だが。
「まぁ専務、花嫁ってのはなにかと準備が手間取るものなんですよ」
常務の奥さんが、言葉を額面どおりに受け取り亜希子を軽くたしなめる。
「女性ってのは本当に大変なんですねぇ」
亜希子はそういって軽く笑う。なんという白々じさ。
ふと俺の両親に眼を向けると、父親は悔しさからなのか目を真っ赤に腫らしている。
その様子は、事情の知らない人から見れば、かわいい娘が嫁に行ってしまうという男親最大の試練のためだと思うだろう。
一方、お袋のほうはこの状況に一切動じず、いつもどおりの微笑みを浮かべている。
こういうときは、やはり女性のほうが強いということなのだろうか。
逆に亜希子の両親はというと、娘が夫として結婚するにも関わらずそれがどうしたといわんばかりに堂々と立ち振る舞っている。
さすが日本を代表する巨大企業グループの頂点に立つ男とその妻だけある。
時折うちの両親に俺のような嫁を貰えて亜希子も幸せだとか、これからも両家で若い夫婦を盛りたてていこうとか、いかにもありがちな言葉を投げかけている。
それを社交辞令で受け流すお袋と、拳を握り締め耐え続ける父親。
2人を救うために選んだ道だというのに、逆に苦しめているのではないか?そんな疑問が脳裡に浮かぶ。
しかし、いまさら結婚式をとりやめることは許されないだろう。
こぼれた水は盆に戻る事はなく、もはや賽は投げられた。
この屈辱恥辱は披露宴がつつがなく済むまで終止符が打たれることはないのだ。
やがて時間がきて、披露宴が開場した。
次から次へと現れる会社のお偉いさんたちは、会長だけでなく亜希子にも頭を下げて、口々に結婚を祝福する。
会社のお偉いさんといっても、会長どころか亜希子より偉い人物なんてグループ内でも片手で数えられるほどしかいないのだが。
もちろん、会社のお偉いさんたちだけではなく、互いの友人たちも招待客として姿を現す。
事情をある程度飲み込んでいる会社関連の人間はそうでもないが、学生時代の、とくに強制的に呼ばされた俺の友人は一応お祝いの言葉を述べるが、披露宴会場内に入る際になにやらコソコソと話し合っているのがわかる。
会話の内容なんて聴こえなくても
「男なのになんで花嫁なんだ」という嘲笑だというのは理解可能だ。
と、いうか、誰だって久しぶり会った友人がこんなことになってたら驚くはずだ。
招待客もあらかた式場内に入場し、両親たちも続いて式場へと消えてゆく。
うやうやしくドアボーイによって閉められた扉の向こうから、やがてかすかに司会の声が聞こえてきた。
いよいよ披露宴の本番が始まったようだ。
この向こうには、どれだけのイベントが俺を待ち構えているのだろうか。
そう考えると自然と口の中が乾いてくる。
式場スタッフに頼んで水を一杯貰い、口紅がはがれないよう慎重に飲むと、少しだけだが緊張が和らいだ。
緊張で打ち震える愛しの花嫁を心配したのか、そっと近寄ってくる亜希子。
「大丈夫、俺がいっしょだから」
自信に満ち溢れた花婿の表情に、なんともいえない安堵感を覚えてしまう。
そしてそっと差し出された亜希子の腕に、俺はなんのためらいもなくすがるように組みついた。
扉が開け放たれると、堰を切ったように拍手が押し寄せてくる。
真偽入り混じった祝福の中、主賓席へと向かいながら俺は、なんでこんなことになったのか、いまさらながらぼんやりと回想するのだった。
亜希子と出会ったのは高校1年の春。
入学式が行なわれる講堂に続く桜並木で、ふいに吹いた風に長い髪がたなびかせていたのが印象的だった。
成績優秀、運動神経抜群、容姿端麗、しかも実家は大金持ちと、いまどきマンガでも出てこないような絵に描いたようなお嬢様は、一部の女子生徒から強烈なやっかみを受けたが、あっという間に学校中の人気者となった。
俺はというとどこにでもいるような平凡な学生で、ほかの男子生徒と同じく彼女にあこがれる身の程知らずの1人でしかなかった。
そんな彼女と俺の中が変化したのは、文化祭を前日に控えたある秋の日、みんなで学校に泊まって準備を間に合わせようと盛り上がっていたときだった。
超がつくほどのお嬢様だった彼女は、門限と家の規則から学校に泊まることが許されず、強制的に帰宅させられようとしていた。
普段から彼女を快く思っていない女子生徒たちからの強烈なブーイングと、無理やり連れ帰ろうとする迎えの者に板ばさみになり、亜希子は今にも泣き出しそうになっていた。
いや、もしかしたら既に泣いていたのかもしれない。
自分の思うところでないにもかかわらず罵倒され、しかも望まない結末を迎えようとしている彼女は、見たこともない高級車に乗せられて帰ろうとしていた。
それがどうしても耐えられなかった俺は、気がついたら亜希子の手を無理やり引いて迎えの者から奪い去っていた。
あの時の亜希子の驚きようと、なんともいえないほどかわいらしい笑顔はいまでも忘れられない。
ある意味ヤケクソと勢いで構成された若さゆえの暴走は、後夜祭でのキャンプファイヤーでクラス中の男子が見守る中、俺が亜希子にフォークダンスを踊ってもらうよう申し込み、見事受けてもらったときにクライマックスを迎えた。
この日から、俺と彼女は学校中公認のカップルとなった。
2人で1つの傘を差したり、手をつないで帰るだけでドキドキする、清らかで甘い交際。
クリスマスイブの夕方に初めてキスをしたときは、舞い上がってそのままどこかに飛んでいきそうなほど嬉しかった。
そういえば、初めて亜希子に女装させられたのは2年生の文化祭だった気がする。
あの時は、はしゃぐ彼女に無理やり制服を交換させられ、そのまま喫茶店の呼び込みをやらされたっけ。
本当の女子と思われてナンパされたときは「私の恋人に触れるな!」と怒ったり、悪ふざけでスカートをめくるクラスメイトに対して「お嫁に行けない」なんて笑っていた俺に対し、真剣な顔で「だったら私がお嫁に貰ってあげる」と真剣な顔で言っていたのが思い出される。
そういう意味で、彼女はあのときの約束を守ったのだろうかと、いまさらながら考える。
しかし、どんな幸せなときもいつかは終わりが来るもので、俺たちの交際にも突然終焉が訪れた。
卒業後、彼女が海外の大学に留学する事になったのだ。
もちろん、距離や時間に隔てられるほどやわな恋の道ではなく、綿密に連絡を取り合い、俺は日本の大学で勉学に励みながら彼女の帰国を待つ事に。
だが運が悪い事に、人数あわせで無理やり連れて行かれた合コンの開催日と、彼女が俺を驚かせようと緊急帰国した日が重なってしまった。
さらに不運は重なるもので、やけに馴れ馴れしい女に纏わりつかれながら飲み屋から出た瞬間、俺を探して街に出てきた亜希子とばったり出くわしてしまったのだ。
浮気されたと怒り狂う亜希子。必死で弁解する俺。
そして空気を読めず変な事を口走るバカ女。
あっという間に亜希子の沸点は臨界に達し、それまでの人生で食らった事のないほど強烈なビンタをお見舞いされた。
どんなに弁解しても許してもらえず、仕舞いには俺も逆ギレ的に亜希子に怒鳴り返してしまった。
そこでもう1発、目から星が飛び出るほどのビンタが炸裂。
頬に残る真っ赤な手形が手切れ金となり、俺と彼女はそのままぷっつりと縁が切れ、そのまま若き日の思い出になるはずだった。
そうして時は流れ、俺も社会人としての第一歩を歩み始めた。
就職した会社はグループ企業が500ではきかない日本有数の総合商社。
しかもその本社配属ともなれば、大失敗さえしなければ将来安泰、文字通りの「勝ち組」になることは間違いない。
そこで俺は入社初日から全力で働いた。がむしゃらになって働いた。
寝食を忘れ、それこそ会社の歯車となって、無我夢中で働き続けた。
その甲斐あって、3年目になる頃には社内では知らないものはいないほどの有能社員と呼ばれ、将来を約束されたエリートとして一目置かれるようになっていた。
若くして係長になるなど異例の出世を遂げ、もはや同期に敵はいないと思っていたその時だった、亜希子と再会したのは。
アメリカの大学を卒業し、大学院や実地で最新の経営論を学んできた彼女は、片手に余るほどの会社を興し、それらをすべて成功させてきたという。
そしていよいよ会長に呼び戻され、後継者となるべく入社してきたのだという。
愛娘とはいえ、いきなりの課長待遇。
同い年の社員が俺以外残らずヒラだという事実を考えれば、期待のほども伺えよう。
彼女と別れてから勉強に没頭し、彼女との思い出を脳内から消し去ろうと頑張った結果、この会社が彼女の父親が経営するものだということをすっかり忘れていた。
これで俺の出世はなくなった。そう感じても間違いないと思っていた。
しかし亜希子は、俺なんか眼中にないのか赴任その日からバリバリと働いた。
俺もかなり会社に貢献していたと自負していたが、そんなもの比べ物にならないほど会社の業績はみるみるアップし、同時に彼女の評価も指数関数的に上がっていった。
親の七光りだけではない、有無を言わさぬほどの実績。
気がついたら、亜希子は取締役の辞令を受け、あっという間に雲の上の存在となっていった。
そんな時だった。
俺の父親が経営する町工場が2度目の不渡りを出しそうになったのは。
小さいながらも高い技術力で評判だったが、長引く不況と安価でそこそこのものを供給する中国に圧され、経営は火の車になっていたのだ。
しかも追い討ちを掛けるかのように、父の後を継ぐことになっていた兄が居眠り運転のトラックに撥ねられ、瀕死の重体になってしまったのだ。
順調にエリート街道を歩んできた会社を辞め、父の工場を手伝うかどうか悩んでいたある日曜日、亜希子は俺の家にやってきたのだった。
「うちに融資していただける・・・・・・」ですと?
工場の負債を全額引き受け、かつグループ企業の仕事を回してくれるという亜希子の提案に、親父だけでなく俺も耳を疑った。
「ええ、こちらの工場の持つ研磨技術は、世界トップクラスと聞きますから」
確かに、親父を筆頭とした職人たちの精密部品研磨技術は、それこそ世界一といっても過言ではないほど凄い。
しかし、世の中にある機械部品の大半は、そこまでの精密さは要求されず、そのため「それなりの品質」で安価な中国製品を大量導入したほうが、企業としては見返りが大きいはず。
いくらつぎ込まれた技術が高かろうと、部品の質が優れていようと、大量生産品で最も重要視されるのは「どれだけ利益率が上がるか」なのだ。
それを考えたら、俺ならばこんな提案などしない。するはずがない。
当然、数々の実績を上げ、同い年で大企業の取締役に就いているような人間が、こんなうちだけが利益になるような話を持ちかけてくるはずがない。
なにか裏がある。
俺は知らず知らずのうちに身構えていた。
さらに都合のいい話は続く。
交通事故で入院している兄貴の入院費用までも面倒見てくれるというのだ。
わずかながらの保険で治療費をまかなっている現状、これだけでも願ってもない話だ。
最初はあまりにも都合のよすぎる話にうさんくささを感じていた両親だったが、提示する数々の条件に舞い上がってしまい、もはや状況を把握できる状態ではない。
現在唯一冷静さを保っている俺が、意を決して尋ねてみた。
「で、それだけ破格の条件に対し、親父の工場が飲む条件はなんでしょうか」と。
すると、亜希子は待ってましたとばかりに笑い、こう答えた。
「結婚することですよ。あなたと、わたしが」
あまりの返答に、空気が凍りつく。聞き間違いかと思ってもう一度言ってもらっても、やはり同じ返答。
あの不幸かつ突然の別れを、亜希子は後悔し続けていたのだという。
そのため、あれから男と付きあわず、ずっと学問に没頭していたのだとか。
そして、帰国して父の会社に就職したとき、俺に出会って再び恋心が燃え上がり、それをずっといままで隠し続けてきたのだという。
なんて出来過ぎの話だ。
しかし、俺のほうも彼女が入社してきたときから再び胸の炎が燃え上がっていて、どうにかして復縁したいと考えていたのも事実。
立場は大きく変わってしまって無理だとばかり思っていたので、この提案は渡りに船といったところだった。
そう、次の言葉を亜希子が言うまでは。
「ただし、あなたがわたしのお嫁さんになるという条件で、ですが」
俺が、お嫁さん? 亜希子の?
びっくりすると目が点になるというが、たぶん俺の顔もそうなっていたことだろう。
「ちょ、ちょっと待て!なんで俺が嫁にならなきゃいけないんだ!」
いまや雲の上の上司となったということも忘れ、思わず亜希子を怒鳴りつける。
そんな反応を見せる事など先刻承知とばかりに、
「男は浮気するから。既に浮気したんだし、もし結婚して夫になっても、きっと浮気するに違いないわ。だったら妻にして自分の目の届くところに置いておくほうが、どれほど気が楽か」
あれを本当に浮気といっていいのかわからないが、それなりに負い目はある。
しかしだからといって、男を妻にするっていう発想は普通生まれるか?
俺に決断を促す亜希子。
その目はかつてお互い甘い恋愛をはぐくんだときのものではなく、厳しいビジネスの世界に身をゆだねてきたヤングエグゼクティブのものだった。
俺の、そして家族の一生を、文字通り決めてしまうこの決断。
もし断っても、亜希子自身が俺を社内でどうにかすることはないと言っているが、そんなこと信用できるはずがない。
もし亜希子自身が何らかの方法で俺を左遷なり何なりしなくても、きっと「気を利かせた」他の管理職が、何らかの形で俺を会社から追い落とすだろう。
そして辞表を提出したとしても、俺と家族の生活が立ち行かなくなることも、しっかり予見している。
だが、ここで了承したら、俺は一体どうなってしまうのかわかったものではない。
なんせ『妻』に『花嫁』にされるのだ。
男なのに、『妻』で『花嫁』。当然、屈辱恥辱はそれだけで済まないことは容易に想像できる。
進んでも地獄、引いても地獄とはこういうことをいうのだろうか。
「大丈夫、工場は潰してかまわない。借金は警備員でもしてなんとか返すさ」
あまりの苦悩にもだえる俺を見かねてか、親父が声を掛けてきた。
最近は忙しくてじっくり話す機会も少なかったが、その髪の毛にはずいぶんと白いものが混じっていることに気がついた。
俺たち兄弟を育て上げ、さらに今、俺のために苦渋の決断をしようとしている。
親孝行するとき、それは今。
「わかった、結婚する」
俺は亜希子に深々と頭を下げたが、彼女はにやりと笑ってこう言い放った。
「もっと『お嫁に貰っていただく』ことを自覚してもらわないとね、貴明」
ぎりり。悔しさのあまり奥歯が鳴った。
もういいんだ、そんな条件飲む必要ないと親父やお袋は俺に優しく手を差し伸べる。
だが、俺はそんな両親のために、救済の手を振り払って、そして、震える手で三つ指ついて深々と座礼をし、搾り出すように言葉を吐き出した。
「亜希子さん、どうか私をお嫁に貰ってください」
亜希子は高らかに笑った。
あくる日出社すると、俺と亜希子が婚約したという噂は瞬く間に全社内に広まっていた。
心から祝福する者、やっかみの声を上げる者、無視する者、その反応はさまざまだった。
さらに同じ日、俺は今いた部署から亜希子専属の秘書になるよう辞令が下った。
元々出世頭で通っていたが、一夜にして経営陣の一角に加わろうかという出世ぶりに、平成の植木等なんていうわかったようなわからないようなあだ名までつけられてしまう。
しかし、秘書なんていうのは体のいい形式上の役職に過ぎず、実際は俺に業務中にも花嫁修業をさせようという亜希子の策略だったのだ。
料理や裁縫は言うに及ばず、お茶にお華に日舞に着付け、さらにはバイオリンや社交ダンスまで。
亜希子に言われるがまま、業務時間どころか残業してまで花嫁修業に明け暮れる日々。
もうなんのために会社に行っているのか、まったくわからない状態だ。
そして結婚の条件となっていた親父の経営する工場の再建はというと、亜希子が約束通り以上のことをしてくれたおかげであっという間に経営はよくなり、増資増築も行なって工場規模も以前に比べかなり大きなものとなった。
今ではその高い技術力で、グループ企業の製造下請け業務がどんどんやってくるという。
兄貴も転院してからみるみるよくなり、リハビリも順調だという。
俺1人が犠牲になることによってこんなにも家族が幸せになれるなら、花嫁になることを承知した甲斐もあるものだ。
しかし、時折現実を直視させるかのように、亜希子は数々の「イベント」を提示してきた。
まずは結納。正式に婚約を結ぶという重要な儀式だが、近年は形式だけのものとなっている場合が多い。
しかし、そこで俺は振袖を着させられるという屈辱を味わった。
男物の着物とは違う、独特の重さと締め付け感を伴った動きにくい服装は、それだけでも心が折れる代物だった。
しかも昼間のホテルで執り行われたため、備え付けのメイク室から結納が行なわれるところまで移動するだけでも
好奇の視線がザクザクと突き刺さってくる。
ウィッグとメイクでごまかしているが、絶対に男だという事がばれている。
間違いない。断言できる。
続いてはウェディングドレスを仕立てるための仮縫い。
男が花嫁としてドレスを仕立てに来るというのはいままでなかったらしく面食らっていたが、いくらか握らされたのか俺をずっと結婚を控えて幸せな花嫁として扱っていた。
ドレスのデザインはどれにするかと聞かれてもよくわからないので、結局全部亜希子任せになってしまった。
こういうのは20年以上女性だった彼女に任せたほうがいいだろうと思ったが、出来上がった『いかにも女性らしい』ドレスの数々にもう少しこちらの意見も主張して女性らしさを排除すればよかったと後悔した。
もっとも、ウェディングドレスから女性らしさを取り除く事なんてできはしないのだが。
そしてエステ。それも1回に目玉の飛び出るほどの料金がかかる、超高級エステ。
もちろんここでも俺は完全に女性扱い。
亜希子なんて「男性の方は受付まででお願いします」
なんて言われる始末。絶対、あらかじめそう言うよう申し付けていたのだろうが。
専門の女性スタッフ3人の手によって丁寧に丁寧にマッサージされ、パックやら角質除去やら脱毛やら、どんどん俺が磨き上げられてゆく。
脂肪を減らすというマッサージは「天然ハーブを配合したオイルで気持ちよくマッサージ」
なんていわれていたが、実際には肉をひねってつまんでもみしだくという、痛いだけのものだった。
バストアップマッサージも施されたが、こっちはなんとなく気持ちがよかったのは内緒だ。
そんな痛恥ずかしいエステを週1回ずっと続けるうち、男としてはまずありえないような「くびれ」と「バスト」がわずかながら生まれてきた。
当日ドレスを着るときは、これを補正下着で強調するのだという。なんて恐ろしい。
そんな恥辱にまみれた結婚準備だったが、これはまだまだ序章に過ぎないことがわかった。
限られた親族だけで執り行うと勝手に思っていた結婚式は、招待客を呼んで大々的に行なう事になったのだ。
つまり、俺のウェディングドレス姿も、知人友人お偉いさんに晒すという事だ。
これはさすがに拒否したかったが、俺にそんな権利もなく、どんどん挙式のプランが決まってゆく。
もちろん招待客の選別も俺の自由になるはずがない。
できるのは「こいつとは仲が悪いから呼びたくない」と、リストアップした招待客候補数人に赤線を引くぐらいだ。
こうして招待された高校や大学の友人、会社の同僚たちはいま、俺の花嫁姿を珍しいものを見る目で見つめている。
そんな視線の海を泳ぎきり、新郎新婦はようやく主賓席へとたどり着くのだった。
万雷の拍手に迎えられ、一歩一歩上座に据えられた新郎新婦席へと向かう俺たち。
ちょっと高めのヒールを履かされているためか、足元が少々おぼつかなく、これから人生をともに歩む頼もしい新郎に導かれ、寄り添うように従う花嫁という姿を、図らずも自ら演出してしまっている。
そんな俺の姿を「綺麗」だとか「かわいい」とか、参列している同級生や同僚たちが言っているのが口の動きでわかる。
かわいいとか綺麗とか言われても恥ずかしいだけのはずなのだが、なぜだかそれとは違う感情が胸の奥に湧き上がり、じわりと温かく恥ずかしさを覆うように広がっていく。
知らずのうちに、だんだん心が花嫁になってきているのだろうか。
少し恐ろしくなり小さく震えると、亜希子が少しだけ俺のほうを向くと
「大丈夫、心配いらないよ」とささやいた。
その力強い言葉で、なんとなく安心してしまったのは、やっぱりまずい気がしてきた。
間違いない、だんだんと染められている。
ようやく上座に設けられた新郎新婦席までたどり着くと、この道ン十年の司会者が開宴を告げられ、媒酌人である常務によって、俺たち新郎新婦の紹介が始まった。
亜希子がいかに有能ですばらしい『男』かというアピールと、俺がたおやかで優しく、そして気配りができる美しい『女性』かという話。
一連の紹介で本当に恐ろしいのは、1つも嘘は言っていないというところだろう。
話の切り口で印象などいくらでも変わる、変えられる。
こうしているうちにも、常務の話術によって参列者のなかにある俺のイメージは、どんどんとすばらしい女性へと変化していっていることだろう。
まるで洗脳音波のような新郎新婦紹介が終わり、長く、退屈な主賓挨拶が始まった。
なぜこういう式典には、お偉いさんのつまらない挨拶が多くあるのだろう。
誰も聞いちゃいないと思うのだが。
少し退屈になって横目で亜希子のほうを見ると、真剣なまなざしで主賓の言葉を受け止めている。
彼女のあまりに立派な振る舞いに、早く終われと祈っている自分がなんとなく恥ずかしくなってきた。
長い長い主賓挨拶が終わり、今度は乾杯の音頭をとるために俺が亜希子の秘書になるまでの上司だった男が司会に招かれ前にやってきた。
「本日はお日柄もよく」など、形式的な祝辞を述べる元上司が乾杯!と高らかに宣言すると、清く澄んだ音色が一斉に鳴り響く。
俺も手元のシャンパングラスにそそがれたかすかに泡立つ黄金色の酒を口紅がグラスにつかないよう慎重に口元に運んだ。
すっと入り込む独特の香味を持つ液体が、緊張と恥ずかしさでカラカラになった喉をやさしく潤していく。
そして披露宴最初の山ともいうべき、ウェディングケーキが台に乗せられ運ばれてきた。
最近は流行らないという、大きな3段のセレモニーケーキだが、これだけ大きな会場となると、生ケーキよりも見栄えのするこちらのほうがいいのだろう。
あらかじめ言われていたように、2人してそっと立ち上がり、ケーキへと近づく。
そして亜希子に促がされるままナプキンに包まれているリボンで装飾されたケーキナイフを両手で握ると、彼女は俺の腰に左手を回し、右手を俺の手にそっと重ねてきた。
すると式場の照明が消え、かわりに俺たち2人にスポットライトが当てられる。
「これより亜希子さん貴明さんのお2人に、ウェディングケーキにナイフをお入れいただきます。カメラをお持ちのお客様は、どうぞお近くでお撮りになって結構です」
この世にも珍しい夫婦のケーキ入刀を写真に残そうと、何人もの即席カメラマンが俺たちをぐるりと取り囲む。
もちろん、プロのカメラマンが混ざっているのは言うまでもない。
「そして皆様、ケーキにナイフが入りましたら、お2人を祝福の拍手でお包みいただけますでしょうか?」
亜希子に優しく後ろから抱きかかえられながら、2人でゆっくりとケーキへナイフを入れていく。
ケーキは少しも抵抗することなく、すっとナイフを受け入れ、次の瞬間、目もくらむようなフラッシュと拍手の嵐が俺たちを包み込む。
皆が写真撮影が済むまで入刀のポーズのまま動かず、一生懸命微笑み続ける俺。
きっと参列者の写真には、人生最高の瞬間に美しく微笑む花嫁の姿が残されることだろう。
ケーキ入刀が終わると、今度はファーストバイトなる儀式が待っていた。
殆どが食べられないイミテーションのウェディングケーキだが、入刀した部分だけは本物で作られている。
その部分をとりわけ、お互いに食べさせあうのだという。
まずは新郎亜希子から、新婦である俺に向かって、ひとくちサイズのケーキが差し出される。
下品に見えないよう、あまり大きな口をあけずに、亜希子の手からケーキを食べる。
新郎から新婦へのファーストバイトは「一生食べるものに困らせない」という意味があるらしい。
つまり、生涯愛する妻を養っていくという誓いの儀式な訳だ。
そして今度は俺から夫・亜希子へ向かって、同じくケーキをひとかけら。
『男』らしく、大きな口をあけてそれを受け入れる亜希子。
こちらは「一生おいしいものを食べさせてあげる」という意味合いを持つ。
これは新妻による「家庭を守ること」の宣誓ととっても問題ないだろう。
もっとも、結婚式に先立って寿退社させられ、家庭に入ることを義務付けられた俺には、いまさら誓いなおす意味があるのかという疑問が残されるのだった。
ケーキ入刀が終わり、招待客はもてなしの料理に舌鼓を打ち始める。
参列できなかった友人やら取引先からやらの祝電をBGMに、当然のように亜希子も目の前のごちそうをためらいなく食べ始めるが、俺はウェストがガッチリ締められているためか料理が口に入っていかない。
舐めるようにミネラルウォーターを口にして時間を潰していると、係のものがやってきて、俺に中座するよう言ってきた。
お色直しの時間だ。
司会による花嫁中座の挨拶があり、サプライズでエスコート役に高校時代の友人が指名された。
いや、サプライズを演出しているが、実際には亜希子から連絡がいっていたのだろう。
2人のクラスメイトだった田中と秋本に連れ添われ、俺は衣装を変えるため会場を後にした。
披露宴会場へと続く扉が閉められると、それまでにこやかに笑っていた田中と秋本が、いじわるそうににやにやして俺に話しかけてきた。
「一度別れたって聞いてたけど、まさか2人が結婚するとはねぇ」
「しかも貴明くんのほうがお嫁さんになるなんて!」
口々にはやし立てる、かつてのクラスメイト。
「で、なんで花嫁になることになったの?」
「それは・・・・・・言えない」
まさか家族を守るため、俺自身を売り渡したなんて、口が裂けても言えない。
これは花嫁に、新妻になる運命を負った俺の、男としての最後の矜持だ。
「じゃ、亜希子の言ってた事は本当なのかな?」
「?」
「『貴明くんが土下座して花嫁になりたいっていうから譲ってあげた』って」
なんてことだ!確かに土下座して亜希子に屈服した俺だが、あの姿がこのような形にゆがみねじれまげられて伝えられているとは!
たぶん、クラスメイトには俺がどうしても花嫁になりたいと願ったため、このような結婚式になったという風に伝わっているのだろう。
あまりの衝撃に、このまま気を失って倒れてしまいたいぐらいだ。
着替えるため控え室についた俺は別室待機となる2人と別れ、大慌てで違う衣装に着替え始めた。
スタッフの手によって、見る間にウェディングドレスをひん剥かれ、あらかじめ準備されていたドレスを身にまとう。
今度のドレスはワインにも似た赤が眩しいハイウェストに作られたカラードレス。
このドレスも先ほどまで着ていたドレス同様ストラップがなく、肩や鎖骨が露出しているというデザインになっている。
当然ながら背中も大きく開いており、アクセントとしてドレスと同じ色をしたレース布で作られたリボンがあしらわれ、左胸には、やはり同じ色をしたコサージュが飾られている。
そしてドレスにあわせ、髪型も変更する事に。
いままでは緩やかなウェーブを活かしたかわいらしいものだったが、今度は後頭部の上のほうで編み上げてまとめたものに変更された。
これによって背中に流れる髪の毛はなくなり、より背中が開いているドレスのデザインが強調されることとなった。
着替えが終わると、部屋の隅に作られた簡易撮影ブースに移動させられた。
そこでまたも新しいブーケを持たされ、「一生の思い出に」と写真を何枚も撮られる。
これ以上、恥ずかしい思い出を残さないでくれと思うが、それをカメラマンに要求される笑顔でなんとか隠し切る。
気がつくと、俺同様にお色直しを済ませ黒のタキシードを着込んだ亜希子が、俺のことを温かい目で見つめていた。
あれは間違いなく愛する新妻が美しく着飾っているのを喜んでいる夫の目だ。
「近くで見ても花嫁にしか見えねぇとは、よく化けたなぁ貴明」
亜希子のお色直しをエスコートしてきたのだろう、高校時代の悪友・佐藤が俺を見るなり笑い出した。
「化けたなんて失礼な。美しく着飾ったと言ってくれ」
嘲りにも似た笑い声にカチンときた俺は、高校時代のように反論してしまう。
田中と秋本が「こんな綺麗な花嫁さんに失礼ね」などと、いっしょになって悪態づいた佐藤を攻撃してくれるのがなんとなくうれしい。
俺を花嫁として認めてくれたのだと内心で喜ぶのも束の間、ニヤリと笑う亜希子を視界の端に捕らえ、そんな気分は一瞬にして吹き飛んだ。
なんで花嫁姿をほめられてうれしく思ったんだ?
恥ずかしいだけのはずだったのに?
環境が人を作るというが、俺も今の境遇に慣れてだんだんと花嫁化してきているのだろうか。
友人たちのエスコートによって、再び会場へと舞い戻る新郎新婦。
真っ赤なドレスで艶やかに姿を変えた俺と、黒のタキシードでより凛々しさを増した亜希子は、万雷の拍手で迎えられる。
お色直し後の再入場につきもののキャンドルサービスの時間だ。
ケーキナイフと同様リボンで飾られたトーチを2人で握り、2人で参列者のテーブルを回って、キャンドルに火を灯していく。
照明が落とされた式場内に、1つ、また1つと柔らかく暖かな光が浮かび上がる。
テーブルを1つ1つ回るということは、イコール参列者のそばに近づくという事で、今までじっくり見ることをためらっていた常識ある人々も、ここぞとばかりに俺の花嫁姿をまじまじと観察している。
エステで磨かれた鎖骨や肩から二の腕にかけてのシルエット、そして髪を上げて露わになったうなじや、そこから続く背中のラインは、いまやグラビアアイドルにも負けないものを持っていると自負できるが、それでも近くで見つめられると手にしたトーチで焼身自殺を図りたくなるほどの恥ずかしさ。
俺の顔が熱いのは、決してキャンドルの温かみのある光に照らされているからではないのだ。
キャンドルサービスで各テーブルを回っていてわかったが、俺の花嫁姿は、女性の招待客にはおおむね好評のようだ。
意外に女の人は女装というものに抵抗がないのだろうか?
逆に男の招待客、とくに年配になるほど、軽蔑のまなざしを向けてきたり、人を小ばかにしたような笑みを浮かべたりと、露骨に悪意を見せる。
それを口に出さないというのは、ここが晴れの舞台ということよりも、亜希子の父親の影響が大きいだろう。
偉きゃ白でも黒になるというが、あれは本当だと思い知らされる。
そして俺の両親が座る席へと到着し、いままで育ててもらったお礼を述べつつキャンドルに火を灯そうと試みた。しかし、なぜか手が震えてうまくいかない。
2度、3度と挑戦して、ようやくキャンドルの頭にぽっと明るいともしびが生まれるのだった。
ゆれる炎の向こうに、俺に対して謝罪のまなざしを向けながら、固く黙り込む親父が浮かび上がる。
果たして、俺の決断は親孝行だったのか、親不孝だったのか、なんだかわからなくなってきてしまう。
そしていよいよメインキャンドルに火を灯すときがやってきた。
ほかのテーブルに置かれたキャンドルとは作りからして違う、ツリー状に飾り付けられたキャンドルの決められた場所に点火すると、ツリー全体のキャンドルへと炎が走り、見事な炎の芸術へと変貌を遂げた。
ゆらゆらと揺れ動くエネルギーの彫刻は、やがて係員によって消されてしまったが、あの炎を見ていると今の境遇を忘れられるような気がして、俺としてはあのまま燃え尽きるまで放置してもらいたかった。
キャンドルサービスが終わると、続いて余興やお祝いのスピーチの時間。
お偉いさんがたのどじょうすくいやら手品やらが披露されるが、正直言って面白くもなんともない。
こういうのを自己満足といわずしてなんというのだろう。
いい加減気づいてもらいたいが、気づかないからこそ今の地位を築いたのかもしれない。
そして俺の友人代表として、田中が壇上へとやってきた。
「貴明『ちゃん』の高校時代からとてもかわいらしく、クラスでも狙っている男の子が多かったけど、まさか亜希子『くん』がそのハートを射止めるなんて思ってもいませんでした」
まさか過去のエピソードまで俺が女性扱い受けるなんて思ってもみなかった。
「一度は不幸な形で別れたって聞いたけど、またこうして出逢って結ばれるのだから、2人の絆は本物です。でも、私たちクラスメイトの中で、貴明ちゃんが一番最初に花嫁になるなんて! ウェディングドレス姿、とっても綺麗だよ!結婚おめでとう!」
今、ここにある現実はさておいて、誰だって俺が花嫁になるなんて思うはずがないだろう。
ある意味でマヌケな、かつ強烈なスピーチがボディーブローのように俺を叩きのめす。
続いて新郎の友人代表も、俺がクラスの男たちのアイドル的存在で、みんな狙っていたなんていう嘘を並び立てる。
いや、もしかしたらスピーチの内容が本当で、ずっと今までそうだと信じ込んできた人生が偽物だったのかもしれない。
なにが嘘で本当か、俺の中の真実まで揺らいできてしまった。
友人代表のスピーチが終わると、新婦がいままで育ててくれた両親に対してお礼を述べるという、披露宴で一番盛り上がるだろう瞬間がやってきた。
緊張で口の中が一瞬にして乾いてしまったが、ここを乗り切らなければ披露宴は終わらない。
俺は意を決して両親への挨拶の言葉を、精一杯紡ぎはじめた。
「皆様、本日は遠いところから私たちのために、この結婚披露宴にご出席くださいまして、本当にありがとうございます。本日は雲ひとつない晴天に恵まれ、絶好の行楽日和にもかかわらず、私たちのためにご都合つけていただきまして、感謝の気持ちで一杯です。こうして華やかな衣装に身を包み、ここにいらっしゃる出席者の皆様から温かい祝福を頂戴いたしまして、感激で胸が詰まりそうです。これもひとえに、ご媒酌人を務めていただいた野村常務ご夫妻と、皆様方のご尽力の賜物と感謝しております。おかげさまで、本日の披露宴は生涯忘れる事のない、すばらしいものとなりました。」
マイクにノイズが載らないよう慎重に安堵の息を吐く。
亜希子に何度もダメ出しされながら、必死で作った文章も一字一句間違えず言う事ができた。
しかし、まだ続きがある。ひとつ大きく息を吸い、俺はスピーチを続けた。
「お父さん、お母さん、私は今日、あなた方の許から巣立って亜希子さんの妻となります。2人の優しさのおかげで、今日の私がいます。2人が支え続けてくれたおかげで、私は亜希子さんと出会うことができました。お父さんとお母さんの『娘』に生まれてきて、私は本当に幸せでした。これからも、ずっとお父さんとお母さんの『娘』です。今日まで25年間、本当にありがとうございました」
スピーチの途中から、なぜか親父やお袋と過ごした日々が思い出され、胸になにかがこみあげてくるような、そんな衝動が俺を責める。
そして、最後の言葉を言い終えようとしたそのとき、亜希子がそっと俺にハンカチを差し出した。
スピーチで両親への感謝の意を述べている途中で、知らずのうちに感極まって泣き出してしまったらしい。
そっと目頭や頬をハンカチで押さえても、溢れるものを止めることはできない。
俺は泣きながら、亜希子といっしょに両親へ花束を渡すと、いままで我慢していたものがこらえきれなくなったのか親父もボロボロと泣き出した。
結婚式によくあるといえばそれまでだが、父と『娘』の美しい親子愛に、場内はいままでで一番大きな拍手に包まれる。
その瞬間、俺は冗談ではなく本当に嫁いでいくんだということを、心から実感するのだった。
図らずも涙で演出された花嫁挨拶も終わり、両家代表として亜希子の父親が壇上でスピーチしはじめた。
なにかチクリと言われるかと思いきや、意外にも俺たち2人の結婚を祝福しているようで、少し安心した。
しかし、早いところ孫を生んで欲しいというが、どうやったら男の俺が妊娠できるのだろうか。
あるならばその方法を教えて欲しいと思ったが、本当に何らかの手段を用意されそうな気がして怖くなった。
俺を花嫁に仕立て上げるぐらいだ、そのぐらいのことは絶対やってのける。
そしていよいよ、披露宴の最後を飾る新郎亜希子の挨拶の瞬間がやってきた。
次から次へと謝辞をつづる亜希子だが、その言葉には嘘偽りなく、本当に心から感謝の気持ちでいっぱいなのだろう。
「本日皆様から頂きました沢山の励ましのお言葉を胸に、これから二人の理想の家庭を目指して共に努力して行きたいと思いますので、どうか今まで以上のご協力をよろしくお願いします」
結婚生活に対する決意の言葉は、いままで語ったどの言葉よりも力強く、妻である俺を幸せに導くというはっきりとした意志が伝わってきた。
――この人なら、一生を添い遂げられる
先ほどのスピーチで涙腺が緩んでいるのか、彼女の頼もしい言葉に、また知らず知らず涙を浮かべてしまうのだった。
長かった披露宴も終わりを告げ、ようやく堅苦しい儀式から開放された喜びと、これから歩む結婚生活への思いで胸がいっぱいに満たされる。
今日はこのまま式場系列のホテルへと直行し、そこのスイートルームで宿を取ることになっている。
俺と亜希子はいままで着ていた衣装のまま用意されたリムジンへと乗り込み、宿泊予定のホテルへと向かうのだった。
到着先のホテルでは、ずらりとボーイたちが立ち並び、支配人自らも挨拶に来るという、熱烈な歓迎振り。
考えても見れば、このホテルも亜希子の父親が持つ企業の1つに過ぎず、そういう観点から見れば、この歓迎もなっとくといえるだろう。
手荷物をボーイに預ける際、『奥様』と呼ばれたのはなんとなく恥ずかしかったが、世間的に見れば俺は若奥様であり新妻なんだろう。
できればずっと男扱いしてもらいたかったが。
案内された部屋は、ホテルの最上階に設けられた超がつくほどの最高級グレードのスイートルーム。
調度類はどれも見た目はシンプルながら、それでいて仕事のよさが伺えるというすばらしいものばかり。
こういう高級な部屋にはホテルの威信を見せつけるために、これでもかと派手な高級家具を据えたがるところも多いのだが、そうならないというのは、伝統と格式に裏打ちされた揺るぎない誇りからだろうか。
南側の壁一面は一枚硝子の開放感あふれる大きな窓になっており、夕陽に染まる街並みが一望できた。
そのすばらしい眺めに吸い寄せられるように、俺は窓に寄り添うように立ち、だんだんと闇を深めていく景色を見つめていると、突然後ろから包み込まれるように抱きしめられた。
「やっと、2人きりになれたね」
結婚式をともに乗り切った新妻をねぎらうかのように、甘くささやく亜希子。
大きく開いたドレスの背中からじんわりと彼女の体温が伝わってきて、俺の心までなんだか温かくなってくる。
しかし、それでは状況に流されたまま。
ずっとこのまま花嫁で、新妻でいるわけにはいかない。
「・・・・・・これで、満足なのか?」
俺は亜希子のほうに振り向かず、小さくつぶやいた。
新婚夫婦が生み出す甘い雰囲気が一瞬で吹き飛び、重苦しい空気が辺りを支配する。
言葉を継ぐのがためらわれるような、痛く辛い沈黙が続く。
「・・・・・・愛しているから。貴明を、愛しているから」
沈黙に耐えられなくなったのか、亜希子が言葉を搾り出す。
「貴明を!あなたを!ずっと手元においておきたかったから!!」
悲痛な叫びが鼓膜を震わせる。耳だけでなく、心まで痛い。
確かに、最初に裏切ったのは俺だ。
しかし、それでもこれは、その償いにしても悪ふざけの度合いを大きく超えている。
愛ゆえの行為といえば聞こえはいいが、気が狂っているとしか思えない。
抱きしめる手を振りほどき、亜希子に反論しようと振り向いた刹那、今度は正面から抱きしめられ、唇も奪われた。
今日3度目となる、あの官能的で甘いキス。
舌による受身の愛撫は、どんどん口の中を性器に変えてゆく。
脳がしびれ、体が火照り、下腹部がキュっとせつなくなり、思考能力だけでなく、亜希子への憤りすらみるみる低下していくのがわかる。
まるで悪魔のような、魔法のような、永い永い、永遠に続くかのようなくちづけ。
一瞬、頭の中が真白になり、言いようのない快感が全身を電気のように駆け巡る。
どうやら軽くイッてしまったようだ。
膝がガクガクゆれはじめ、もはや立っていられず亜希子の胸に体を預けてしまう。
快楽に負けた俺に追い討ちを掛けるように、亜希子はスカートの上から撫で回し始める。
その手の動きは、男性を求める女性のものではなく、男が女性に快楽と愛を与えるものだったが、既に思考能力が低下していた俺は、その愛撫をすんなりと受け入れていった。
快楽は波のように引いては押し寄せ、押し寄せてはまた引いてゆく。
肩で息をしないと間に合わないぐらい、息が詰まるほどの気持ちよさ。
ただキスをされ、体を撫でられただけなのに、脳の処理が追いつかなくなるほど強烈な快感に、体はこれ以上耐え切れないと悲鳴をあげているが
心がもっと欲しいと求め叫びをあげる。
亜希子が首筋に舌を這わし、ゆっくり耳に向かって舐めあげてると、舐められたところが熱く燃え上がるように火照りだす。
彼女の唇が耳たぶにあたり、その吐息で全身がゾクゾクと痺れる。
「もし、私の、俺の『妻』になることを本当に受け入れたら・・・・・・もっと気持ちよくしてあげる」
ファウストに取引を持ちかけるメフィストフェレスの如き悪魔のささやき。
もう少し思考がマトモだったら断ることができただろう。
だが、この怒涛のように全身を貫き、心を砕く快感に、理性は防壁としてまったく役に立たなかった。
俺は亜希子の胸の中で、小さくうなづいた。
その瞬間、ガクンと膝の力が抜けてしまい、その場にへたり込んでしまう俺。
顔を上げると、優しく微笑む夫の顔が見える。
そのときの俺の顔は、きっと愛する人を潤んだ瞳で見つめる女のものだったに違いない。
快楽に負けて妻に、女になることを認めた俺を、亜希子は横抱きに持ち上げる。
あのときは屈辱と恥ずかしさだけしかなかったお姫様抱っこも、いまは夫のたくましい腕に抱えられる心地よさしか感じない。
心境が変われば、感じ方も変わるのだろう。
俺がきゅっと抱きしめ返すと、亜希子は優しく微笑んで軽くキスをしてきた。
お姫様抱っこで運ばれた先は、キングサイズのベッドの上。
純白のシーツの上に、真っ赤なドレスがふわりと広がった。
「綺麗だよ、貴明」
嫌がらせにしか聞こえなかったその言葉も、いまは純粋にほめ言葉として受け入れられる。
亜希子は俺の上に覆いかぶさるようにまたがると、大事なプレゼントのリボンを解くようにドレスを脱がしだす。
俺自信にはどういう構造になっているのか見当もつかないドレスも、彼の手で簡単にはがされてしまった。
美しいレースで彩られたブライダルインナーだけにされた俺は、愛する人に下着姿を晒すという恥ずかしさと、これから始まる行為への不安感で亜希子から視線をそらしてしまう。
そんな俺に対し「怖くない、俺に任せて」と甘くささやく亜希子。
まるで初恋の相手に純潔を捧げる少女のような感情が、俺の心をキュンと高鳴らせる。
亜希子はガッチリ固められたコルセットタイプの下着を、やはり簡単に剥ぎ取った。
エステで艶やかに磨かれたとはいえ、それでも男の胸にはかわらない。
生まれて初めて、ふくらみがないことを恥ずかしく感じてしまう。
そんなつつましい胸に咲くつぼみに、亜希子はそっと唇を寄せた。
いままで体験したことのない柔らかな感触によって生み出される快感は、一点から全身へと波紋のように広がっていく。
しゃぶられ、舐められ、転がされ、ねっとりと乳首が愛撫されていく。
もちろん、もう片方の『おっぱい』も、亜希子の手でこねられ、撫でられ、しっかり愛されている。
彼の舌が舞うたび手が踊るたび、俺の口から小さく嬌声が漏れ出してしまう。
その声を聞いて、亜希子の愛撫はさらに優しく、温かく、そして激しく、熱くなっていく。
快楽の波はだんだんとその周期を狭め、やがてひとつの線となって昂ぶる脳を貫いた。
間違いない、イった。確実に絶頂に達した。それも、胸への愛撫だけで。
男性器から得るものとは明らかに違う、いままで体験したことのない気持ちよさ。
普通ならば達したあとは放物線を描くように虚しくしぼんでいくだけだった快感が、今もまだ体中に残留してじんじんと刺激しつづけている。
女性が得る快楽は男性のそれの10倍だとか25倍だとか言われているが、たぶん本当だ。
俺の脳は許容量以上の快楽でショート寸前となり、酸欠でもないのに呼吸は大きく乱れ意識が朦朧としている。
何をすべきか、したいのか。それすらわからない。
ただ、今はもっと快感が欲しい。
定まらない視点で、それを与えてくれる唯一の存在・亜希子をぼーっと見つめる。
気がつくと、彼は既にタキシードを脱ぎ捨て、パンツ一丁になっていた。
黒い革のパンツ。股間にそびえるのは、イミテーションの男性器。
いや、たとえイミテーションであったとしても、それは紛れもなく夫のペニスであることに違いない。
いよいよ、純潔を散らすときが来たようだ。
男本来が持つであろう、自らに男性器を受け入れるという嫌悪感は、なぜか感じない。
今はただ、これから夫を迎えるという幸福感と、初めて体験する行為への期待と不安で胸がいっぱいだった。
亜希子は俺の股間に顔を寄せ、そっとショーツを下ろし始めた。
既に一度絶頂を迎えてしまったため、その内側は精液でぐちょぐちょになっている。
ペニスとの間にねっとりと糸を引きながら、するすると脱がされていくショーツ。
そして俺に残された衣服は、ガーターベルトと太ももまでを覆うストッキングだけになった。
もう服を着ているというのもおこがましい状態だが、逆にそれが俺の『女』を一層引き立てる格好になっている。
「もうぐっしょり濡れてるんだね」
俺自身が放出した粘液にまみれた股間を見て、微笑みながらつぶやく亜希子。
見られてはいけない、恥ずかしいところを見られた気がして、体の芯が燃え上がるように熱くなる。
「ひゃっ!」
玉袋と肛門の間、いわゆる蟻の門渡りを突然舐められ、一瞬腰が浮いた。
胸を愛されているときとは違う、一番気持ちいい部分を薄皮一枚隔てて撫でられるような独特の感覚。
その気持ちよさに、竿はピキピキと硬さを増し、玉は切なくキュンと締まりあがる。
亜希子の舌が動くたび、俺に残された最後の『男』は快楽から開放されようと悲鳴をあげる。
「貴明のココ、苦しそうだね」
触れたらきっと爆発するに違いない俺のペニスを見て、亜希子は悪戯っぽく笑う。
「でも、コレは女の子には必要ないものだからね。触らないよ、絶対にね」
俺にも触ることを禁じ、再び亜希子は俺の股間を舐め始める。
しっとりと、じっとりと、ねっとりと。時に激しく、時に優しく。
ただ舐めているだけにも拘らず、決して単調にならない亜希子の舌技から生み出される快楽は、俺の体を鎖のように縛り上げ、キリキリと責め続ける。
苦しさにも似た快感から逃れようと、自然と脚に力が入る。
なにかにすがろうと、強くシーツを握り締める。
開放されたい、だけどもっと堪能したい。
相反する感情が胸の中で渦巻き、ぶつかり、火花を散らすたびに視界は白い闇に包まれ、そしてその向こう側に待つ『なにか』に到達できそうな、そんな形容できない感情が、心にずんと降り積もっていく。
「ひゃぅっ!」
ふいに、肛門に舌が触れ、自分でもびっくりするほどの嬌声が唇から漏れる。
「そ、そこは・・・・・・やめて・・・・・・」
快楽の鎖で縛られて息をするのも苦しいなか、なんとか言葉を吐き出す。
「貴明の『女の子』は、もっとして欲しいってヒクヒクしてるよ」
俺の肛門に、亜希子はそっとキスをする。
舌とは違う、柔らかく暖かな快感。
自然と肛門に神経が集中してしまう。
まるで自分とは違う生き物のように、更なる快楽を求めて蠢いているのがわかる。
「!」
きゅっと締まったつぼみを割るかのように、亜希子の舌がねじ込まれる。
俺の唇を凌辱したように、肛門を舐め、転がし、撫で上げる。
その動きにあわせて玉袋が切なそうに悲鳴をあげ、ペニス本体はこれ以上ないぐらい反り上がって痛みすら覚える。
早く俺の『男』に触れて欲しい、開放して欲しい。
だが亜希子は執拗に肛門や、蟻の門渡りを責め続ける。
ペニスの痛みが限界まで達したとき、白い闇に覆われた視界に黒い光が差し込み、さっきからずっと到達しそうで出来なかった領域、そこにたどり着いた気がした。
ペニスとは全然違う場所から、全身にじんわりと広がる強い衝動。
全身が細かくけいれんするほど激しい快感。
脳はこれでもかと快楽に揺さぶられ、脳内麻薬が一気に放出される。
今、この瞬間、俺は肉体も亜希子に屈服し、『女』であることを受け入れたということを悟った。
いまだ全身が軽くけいれんを続け、呼吸することすらつらい。
シーツを強く握り締めたままの手が、しびれるほど痛い。
男性器を一度も使わず、2度もイった。
射精はしたみたいだが、放出したあとに虚しくなるあの感覚は一切なく、体は更なる快楽を求めていまだ火照っている。
もちろん体だけでなく、心も快楽を貪ろうと待ち構えている。
一連の激しい快楽で男としての脳の配線が焼き切れ、女のものとして再構成されたような、生まれ変わったような、そんな気分。
次はどんな快感が待ち受けているのか、ドキドキしながら亜希子の行動を待つ。
我が愛しの旦那様は、股間の猛々しいものを俺に見せつけるように立ち、そして旦那様の分身になにやら液体をとぷとぷと掛けはじめた。
さらりとして、それでいて粘り気のあるように見える液体は、亜希子の男性自身を包み込み、ただでさえ黒光りするモノをさらに輝かせるのだった。
いよいよ、俺の『女性』が亜希子の『男性』を受け入れるときが来た。
亜希子は何も言わないが、そのぐらいはわかる。
ごくり。
自分のツバを飲み込む音が、やけに大きく聞こえる。
やはり同じように、亜希子の喉が鳴るのが見える。
期待と、不安と、緊張と。
まるで先ほどまでの濃厚な前戯などなかったかのように、新鮮な気持ちで向き合う俺たち新郎新婦。
初夜に愛する人を抱く夫と、愛する男に守り通した貞操を捧げる新妻、いま、世界中のどんな男女の間にあるものよりも、純粋な愛がここにある。
心からそう断言できる。
「いくよ、いいかな」
死ぬまで俺を愛してくれると神に誓った愛しの旦那様・亜希子が俺にささやく。
生涯を彼の伴侶として生きることを神に誓った俺は、両手を広げて亜希子に呼びかける。
「大丈夫、きて」
亜希子は軽く微笑みながら、俺の体にぐっと腰を寄せた。
つん、つんと股間に何かが当たる感触。
じらすように、それでいて狙いを定めているかのように、肛門の周辺をつついている。
「いくよ」
ついに、亜希子を受け入れる瞬間がやってきた。
ごくりと俺の喉が鳴り、自然と体に力が入る。
彼は一気に俺の純潔を散らそうと突き入れたが、小指の先ほども入らず押し返された。
「深呼吸して、力を抜いて」
初体験の怖さにこわばる俺に、優しく微笑みかける亜希子。
全身の力を抜こうと深呼吸をした瞬間、ずん!と強い衝撃が俺の下半身を襲った。
とうとう、俺の『女性器』が亜希子の『ペニス』に貫かれたのだ。
彼と、亜希子と、旦那様と、1つにつながったという悦びよりも、下半身がずっしりと重くなるような、それでいて穴が大きく引き裂かれそうな異質な痛み。
「大丈夫!ゆっくり息をして!」
言われるまま大きく息をする俺。たぶん、目には涙が浮いているはず。
深呼吸で力が抜けていくと、受け入れた亜希子のモノが俺の中で自己主張しているのが感じ取れてきた。
重く、太く、そしてなぜか温かい。
俺には存在しないはずの子宮が、彼の体温によってじんわり温かくなっていく。
「それじゃ、動くからね」
ゆっくり、まるで汽車が出発するときのような重さで、彼の腰がゆっくりと動き出す。
ローションのおかげで擦られて痛いということはないが、自分の中で別のものが蠢く感覚はなんとも形容しがたい。
粘液質の音とともに、俺の中を亜希子のペニスがいったりきたり。
最初のうちは重く苦しい異物感しかなかったが、ゆっくりとしたピストン運動が繰り返されるうち、自分のペニスの付け根あたりがじんわりと温かくなり、そこからむずがゆいような、なんともいえない感覚が全身に広がっていった。
リズミカルとはいかないが、一定のスピードで、なおも亜希子は腰を動かし続ける。
彼の腰が引かれると、内臓がすべて持っていかれそうな感覚に襲われ、彼の腰が突き入れられると、鉄の棒で脳天まで貫かれたような衝撃が全身を疾る。
体がだんだんと彼のペニスに慣れてきたのか、動きにあわせて自然とあえぎ声が漏れ出してしまい、恥ずかしくなる。
そんな俺の嬌声で火がついたのか、亜希子の動きにだんだんと変化がついてきた。
時にスピーディーに、時にリズミカルに。
亜希子の腰が俺をずんずん責めたてる。
パンと肉を打つ音がビートを刻み、荒い呼吸音と嬌声がリズムを奏でる。
「!」
腰の動きに変化をつけはじめてからしばらくして、亜希子のモノが俺の体の中の壁を強くノックした。
そのとき、いままでどちらかといえば排泄感に似た気持ちよさだったものが、何ともいえない、強烈な快感に変化した。
下腹部を中心に全身へと電流が駆け巡り、脳が甘くしびれだす。
射精なんて子どもの遊びに思えるほどの強烈な刺激。
そんな桁違いの快感が、亜希子のモノが突き入れられるたび俺に襲い掛かる。
強い、強い衝撃が絶え間なく体だけでなく心も揺さぶり、そのたびに俺の中にわずかながら残された『男』がガラガラと崩れ落ち、
そしてその隙間を『女』が埋め尽くしていく。
もう引き返せない。身も心も女性に変えられていく。
しかし、その変えられていく屈辱すら、いまは快感となっていく。
亜希子に突かれ、彼を受け入れるたび、体の中にある快楽のダムはその水量を増やしていく。
何度目かわからない決壊警報が脳内に鳴り響き、だんだんと目の前が真白になっていく。
そして、今までにないほど強烈なピストン運動を感じたとき、視界だけでなく意識も真白に塗りつぶされた。
それと同時にやってくる、ありえないほどすばらしい快感。
熱く、激しく、それでいて優しく、甘い、ずっと感じていたくなるような、そんな体験。
たぶん、これが女性の絶頂で、とうとうその領域に到達したんだと、芽生え始めた女の本能が俺にささやいた。
ようやく意識がはっきりしてきたが、脳と体はいまだ快楽を欲している。
亜希子は俺の横にごろんと寝そべり、ペニスを誇らしげに天井へ向けた。
「今度は貴明が入れるところを見ててあげるよ」
もちろん、俺のペニスを亜希子に入れろなんていう性的倒錯な意味じゃないことはすぐにわかった。
屈辱、恥辱のはずなのに、こんなにも興奮している。
俺は亜希子にまたがり、ペニスに手を添えてゆっくりと腰を落とし始めた。
さっきまで入っていたもののはずなのに、緊張のせいかうまく飲み込んでいかない。
はやく入れたいのに!と、なぜか苛立ってしまう。
すると亜希子は俺の腰に手を添えて、ずんと引き寄せた。
瞬間、全身がペニスに貫かれ、頭の先から飛び出そうな衝撃が全身を襲う。
これだけでイッてしまいそうなほど、ずっしりとした重い快感。
騎乗位。しかも入れるほうではなく、入れられるほう。
これは亜希子ではなく俺が動かないと快感は得られない。
彼に促がされるまま、先ほどよりも強く感じる亜希子のペニスを軸に、ゆっくりと腰を浮かし、沈む動作を繰り返し始めた。
腰を動かすたび、自分の体重も加わって、正常位強烈な快感がもたらされる。
じんわりと温かくなる下腹部は、ペニスと幸せでいっぱいになる。
最初は恐る恐る動かしていた腰も、知らず知らずのうちに激しい動きとなって、その動きからもたらされる刺激で、さらに快楽の高みへとのぼっていく。
腰の動きにあわせて俺の『クリトリス』がペチンペチンと情けない音を鳴らし、時折その先からだらしなく潮を吹きあげる。
しかし、本来そこから得られるはずの快楽は、まったく体に伝わってこない。
もう、俺にとって、射精の快楽など取るに足らないものになっているのだろう。
わずかな間にも、どんどん体が、脳の仕組みが変化していっているのが自分でもわかる。
今は、股間を突き上げるたくましいモノに与えられる刺激だけが性的快感となって、俺の体を、心を、魂を、甘く白く女性へと染めていく。
貪るように、一心不乱に、亜希子の上で撥ね、踊り、舞い続ける。
気分はストリップ劇場のポールダンサー。
もちろんポールは亜希子のペニス、おひねりは際限なく沸いてくる快楽だ。
やがてダンスは最高潮を迎え、全身を貫く快感に全身がビクンビクンと痙攣を起こす。
魂ごとどこかへ飛ばされそうなほど強烈な絶頂に2度も導かれたにもかかわらず、いまだ心と体は快楽を求めている。
女性は何度もイけるというが、どうやら本当らしい。
亜希子が体を起こし、そこに抱きつくようささやきかける。
もちろん、その誘いに喜んで応じる俺。
亜希子の首に腕を回し、脚は彼の胴体を挟み込むように。
そして大事なところは愛しい人の分身をくわえ込む。
抱きかかえられながら、優しく秘所が突き上げられる。
正常位よりも、騎乗位よりも、旦那様が近くに感じられる体位。
下の口ではペニスを貪り、上の口では熱く激しいキスを交わす。
上からも下からも愛され、満たされ、高みへと導かれていく。
もし、男として、夫として亜希子と繋がってたとしても、絶対こんな快感を味わう事はできなかっただろう。
そう考えると、やはり選択は正しかったのかもしれない。
キスをして、愛の言葉をささやかれ、そして貫かれ。
刺激だけならば騎乗位のほうが強かったけれども、この座位のほうが心が満たされていくような気がする。
やはり愛し合う相手の顔が見えていたほうが、安心というか暖かな気持ちになれる。
「あ・・・・・・ん・・・・・・」
激しくなく、それでいて力強い亜希子のリズムにあわせて、自然と嬌声がもれる。
そしてもう何度目かわからない絶頂。だんだんとイく感覚が短くなってきている。
体力の限界が、もうそこまで来ているのだろう。
でも、まだ、この快楽をむさぼり続けていたい。
もっと、もっと女としての悦びを教えてほしい。
もうシてくれないのかと、亜希子にねだるような視線を送る。
俺と違ってまだ一度もイっていない愛しい旦那様は、性交に満足していない新妻を悦ばせるため、さらに激しいプレイを努めるのだった。
亜希子は座位で繋がっていた俺を抱きかかえながら立ち上がり、俺にしっかりしがみついているようささやいた。
言われるまましっかりしがみついていると、その体勢のままずっぷりと改めて挿入された。
AVでも見ることが少なくなった、いわゆる駅弁スタイル。
男性側に強靭な筋力と勃起力を必要とする体位にもかかわらず、顔色ひとつ変えずこなす亜希子。
引き締まったしなやかな体が律動し、俺の体を跳ね上げる。
腰の力だけにもかかわらず大きく弾んで、彼のペニスのストロークがしっかり感じられる。
座位も十分気持ちよかったけど、それ以上に激しく熱い。
俺を構成するすべての要素、皮膚や内臓は言うに及ばず、体重すら快楽へと変換されていく。
もう、セックス以外のことは考えられない。
頭の中は亜希子に突っ込んでもらうことでいっぱいになっている。
この悦びを与えてくれる人のいうことなら、なんだって聞いてもいい。
「貴明!」
「ひゃい!」
ふいに亜希子が大声を出し、びくりと体が震える。
そのショックだけで、軽くイってしまう。もう敏感になりすぎている。
「お前はなんだ!」
「ひゃい!」
突然の問いかけに、頭の中が真っ白になる。
俺は・・・・・・いったいなんだ?なんなんだ?
「お前はなんだ!ちゃんと言ってみろ!」
「俺は、花嫁です!」
そうだ、俺は花嫁なんだ。結婚式を終え、愛しい旦那様との初夜を迎えた花嫁。
決して男なんかじゃない。
男というのは、俺をこんなに悦ばせてくれる亜希子のような、強くて逞しい夫のことをいうのだ。
「『俺は』?」
「俺は花嫁です!亜希子の!旦那様の花嫁です!」
ずんずんと突き上げる衝撃が、早く答えろと俺を急きたてる。
「『俺』じゃない!『わたし』!わ・た・し!」
ああ、そうだ。かわいらしい花嫁は、貞淑な新妻は、『俺』なんていう言葉は使わない。
そういう言葉は、男が、新郎が、夫が使うものだ。なんて間違いをしてしまったんだ。
「わたしは!貴明は!亜希子の妻です!花嫁です!」
わたしの中で、なにかが崩れていく音がして、同時に、もはや何度目かわからない絶頂を迎えた。
抱きかかえられて繋がったまま絶頂を迎えたわたしは、そのままの体勢で窓際へと連れて行かれた。
外はもうすっかり夜の帳を下ろし、闇に包まれた世界に宝石のような明かりが散らばっている。
そっと下ろされたわたしは、窓に寄りかかるようにしてその風景を見つめている。
ひんやりとしたガラスの感触が、何度も絶頂に導かれて火照った体に心地いい。
ふと亜希子のほうを見ると、彼のペニスはいまだ逞しく反り返り、力強さをアピールしている。
呼吸も荒く、意識が朦朧としてきたわたしとは大違いだ。
さすが旦那様、持久力もハンパじゃない。
そして亜希子はわたしに窓に手をついて立ち、お尻を向けるよう命令してきた。
もちろん、言われるまま指示された体勢をとる。
うっすらとガラスに反射しているわたしの姿は、ストッキングはすでに伝線し、女性らしい装いはほとんどないにもかかわらず、夫を受け入れようと、いやらしく尻を振る淫乱な新妻にしか見えない。
心が女性であることを受け入れると、体もそうあろうと変化するのだろうか。
力強い男性を迎え入れようと待ち構える牝の穴に、再び亜希子のペニスが突き込まれた。
初めて受け入れたときと異なり、すんなりと咥えられたのは自分でも驚きだ。
短時間とはいえ、何度も迎えたことにより、だいぶわたしのモノもこなれてきたんだろう。
パン!パン!パン!パン!と力強い肉を打つ音が部屋中にこだまする。
今日一番の、力強く、深い、奥までえぐられるようなストロークに、嬌声をあげることもできず、ただ与えられる快楽に身悶えるだけのわたし。
「どこが!どこが気持ちいい!」
いまの状態を自分で再確認させるため、亜希子がまたもわたしに呼びかける。
「お尻が!お尻の穴が!気持ち!いいです!」
感じるまま、思うまま、心の底から叫びをあげる。
「お尻じゃない!そこは!貴明の!マンコ!」
「ひゃい!貴明は!マンコで!おマンコで!感じてましゅ!」
そう!いま亜希子の男性を感じているのは、お尻の穴なんかではない。
まぎれもないわたしの女性器なのだ。
また1つ、認識が上塗りされていく。外見だけでなく、心の中までも女性を装わされていく。
もう煌びやかなドレスで着飾らされても、屈辱など感じない。
女性が女性であることの、どこが恥ずかしいというのだろうか。
突かれ、愛され、飲み込んでいく。
ふと亜希子がわたしの髪をまとめていたピンを抜き去った。
一瞬にして、乱れ、踊る髪。ふんわりと漂い始める女の香り。
うっすらとガラスに映る自分の姿は、男に征服され慰みものにされている女性そのもの。
その姿からは、昼間見せていた貞淑な花嫁などまったく想像もつかない。
愛欲に愛欲に溺れ、男根から伝わる刺激だけで生きる娼婦。あるいは淫魔。
もはやそんなことはどうでもいい。
亜希子のペニスさえあればいい。この刺激さえ、快楽さえあればいい。
今日が終わったとしても、亜希子に、旦那様の妻として尽くせば、きっとこの快感を分け与えてくれる。そうに違いない。
もう数えられないほどのストロークの末、真っ白に、空っぽになっていくわたしの脳みそ。
目が覚めたら、きっと『女』として生まれ変わる。
生まれ変わらなかったら、そうなるよう生きていく。
その装いも、認識も、すべて変える。変えていく。亜希子の色に染まっていく。
昨日まで存在した男性・貴明はもう自分の中に別れを告げ、わたしは今日最後の絶頂を向かえ、どこまでも続く白い闇の中へ沈んでいった。
転寝から目覚めたとき特有の、なんとなく気だるい感覚。
いつの間にか寝てしまっていたようだ。
なんともいえない、幸せな悪夢を見ていたような気がする。
ソファーの上から身を起こし、乱れた髪や服を軽く調える。
ふと視線をサイドボードに移すと、そこには2枚の写真が飾られていた。
1枚は挙式のときに旦那様と一緒に撮った結婚記念写真。
緊張からか、無理に笑顔を作っている自分の顔が少しほほえましい。
もう1枚は新婚旅行で行った南の島で撮った写真。
生まれて初めて着るビキニの恥ずかしさと心もとなさは、今でも覚えている。
あれからもう3年も経ったなんて、今でも信じられない。
もしかしたら夢だったのではないかと、今でも思うときがある。
この結婚生活が、幸せで、愛に満ち溢れた日々が、すべて幻だったとしたら・・・・・・たぶん耐えられない。
旦那様が帰宅する前に、料理の最後の仕上げをするためキッチンへと赴く。
テーブルには花とワインと、そしてウェディングキャンドルが置かれている。
記念日に灯す蝋燭の目盛りは、すでに2年分減り、そして今日また1目盛り分減る予定だ。
腕によりをかけて作った料理をきれいに盛り付け、愛しい人の帰宅はまだかと待ち構える。
2人の記念日だといっても、ほかの人には単なる日常でしかない。
たぶん、今日も遅くなるのは間違いない。
忙しい人だということは重々承知している。
しかし、こういう日ぐらい切り上げて早く帰ってきてもいいのじゃないのか。
待ち遠しさと、寂しさで、少しいらだってきた。
そのとき、玄関のチャイムがピンポンと鳴った。
あわててお迎えに向かうわたし。
たぶん尻尾があったら、子犬のようにぶんぶん振っていたに違いない。
玄関の鍵を開け、愛しい旦那様を迎え入れようとしたら、うっとりするような香りが玄関に流れ込んでくる。
扉の向こうには、薔薇の花束を抱えた愛しい旦那様が立っていた。
こんな時間に帰ってくることなんてまずないのに、結婚記念日だからって早く帰って来てくれた!
しかも、こんな素敵なプレゼントを携えて。
思わず彼に抱きついて、頬に、唇に、キスの雨を降らせる。
彼も負けじと薔薇の花束を放り出し、キスで応戦。
そして、ゆっくりと目を閉じ、永い永いくちづけで愛を確かめ合う。
「おかえりなさい、あなた」
「ただいま、貴明」
わたしは今、幸せだ。
●終わり●
最終更新:2013年05月27日 23:05